自民党総裁選展望〈3〉ある人物の参戦で、石破が逆転勝利? 負ければ傷を残す賭け 自民党プリンスの決断は?

ここにきて、自民党総裁選に興味ぶかい観測が浮上している。メディアの話題づくりがその大半の動機だとはいえ、石破茂が安倍に逆転勝利する可能性が出てきているというのだ。そう、自民党のプリンスが石破を支援することで、地方の党員票が雪崩をうって安倍を敗北に追い込む可能性が出てきた。自民党のプリンスとは、いうまでもなく小泉進次郎のことである。


◎[参考動画]総裁選の日程決定に石破氏「お互いに議論戦わせる」(18/08/21)(ANNnewsCH 2018/08/20公開)

ここまでの両陣営の陣地戦を解説しておこう。総裁選は衆参国会議員票(405票)と党員・党友票(405票)で争われる。安倍総理は細田派(94人)や麻生派(59人)など5派の支持を受け、議員票320票近くを固めたという。一説では党員票も優勢とみられる。いっぽう、石破氏は石破派(20人)と竹下派(55人)の衆参議員20数名を中心に50人前後の支持にとどまっているとされる。派閥の縛りがある議員票はともかく、党員・党友票は必ずしも安倍有利とはいえない。6年前の総裁選挙では、第一回投票で地方党員に人気のある石破が165票と他を圧倒した。

▼第一回投票
        得票数  議員票  党員票
 石破 茂    199   34   165
 安倍晋三    141   54    87
 石原伸晃     96   58    38
 町村信孝     34   27    7
 林 芳正     27   24    3

▼決戦投票(議員票のみ)
 安倍晋三    108
 石破 茂     89

決選投票が議員票のみとなったから、安倍がかろうじて勝利を拾ったといっていいだろう。石破が党員から支持される理由は、その全国行脚によるものだ。週末はかならず地方講演を行ない、農園や工場に足をはこぶ。けっして安倍のように大仰にアジ演説をするわけではなく、ていねいな口調で自民党の施策を説明する。そして現場の人々の声に耳をかたむける。その様子は、自身のツイート(ほぼ毎日)ブログ(毎週)に反映され、それへの意見にも目を通すという。地方での人気の理由がわかるというものだ。

◆地方創生かリフレか

この連載でふれてきたとおり、安倍政権の経済政策(アベノミクス)はインフレターゲットのリフレ(紙幣の増刷)と財政出動という、誰でも思いつくものだった。しかるに、マイナス金利まで踏み込みながら、事実上リフレは失敗した。財政出動はわが国の借金を増やしただけで、来年の秋にも消費税の引き上げ(10%)という苦難が待ちかまえている。第三の矢といわれる経済成長こそが、じつは肝心要の消費の拡大をうながす新商品の開発および賃上げ、それを可能にする融資と設備投資。いわゆる景気循環をうながす経済政策がもとめられていた。そのカギは地方経済の活性化をうながす規制緩和だとされてきた。事実、安倍政権は戦略特区という位置づけで、地方創生を掲げてきたが、その内実は自分のお友だちを優先して認可する(森友・加計事件)というチョンボを犯してきた。

いっぽう、石破は防衛大臣の印象が強いが、じつは農政に明るく地方に人脈の多い農林族でもある。麻生政権に農林水産大臣を経験し、第二次安倍政権では地方創生担当大臣としておもに農村を歩いてまわった。このとき、内閣府政務官として石破をささえたのが小泉進次郎なのである。その後、小泉は自民党農林部会長に就任し、全国の農村を駆けまわったことは知られるとおりだ。2012年の総裁選で「石破先生に投票した」(小泉)のも知られている。こうしたことから、小泉進次郎が7日の総裁選告示後に石破の応援にまわるのではないかとみられているのだ。

キリッとした容姿に、外連味(けれんみ)のない言動。左派系の農業関係者に評判を訊いてみたところ、政治と農業をつなぐ有力なパイプとして大いに期待されている。「TPP賛成であろうと農協に大鉈を振るおうと、正論の部分があるわけであって、大切にしたい政治家だ」という。

◆石破の傷

しかしながら、派閥をこえて将来を嘱望され、十年後の自民党を担うのはこの男しかいない、とまで言われている小泉進次郎が応援するには、石破の政治センスはあまりにも危険すぎる。というよりも、なぜ石破派が20人しかないのか。その原因は石破の変節歴にある。過去に自民党を離党(93年の総選挙敗北後)し、小沢一郎とともに新進党に走った石破に、いまも党内の長老たちは冷たい視線を向けている。いや、完全に無視しているといっていいだろう。

いまひとつは、安倍とは口も利かない我の強さであろう。安倍も我はつよいが、時と場所に応じた判断ができる。感情的になることはあっても、それを取り繕うセンスを持っている。石破にはそれがないから、徹底的に嫌われることも少なくないし、本人もそれを厭わない。かつては橋本龍太郎が、薀蓄好きで自民党の政治家たちに嫌われていた。何かというと「それは君、意味がわかっていないね」などと言う橋龍よりも、石破はさらに学者的な語り口をする。「それはどうなんでしょう」と疑問を投げかけてくる石破を、無学な自民党の政治家たちは「また学者気取りで」という雰囲気になってしまうのだ。そんな石破を小泉が支援するとしたら、相当な覚悟を持ってのこと。当然ながら周囲の反対を押し切ってということになるであろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

大反響『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

リンチの加害者が罪や責任を課せられずにいることは許せない! 検察審査会に「申立て理由書」を提出、心ある審査委員の人間らしい判断に期待する!

◆「人事を尽くして天命を待つ」

リンチの被害者M君は、リンチの現場に居てリンチに加担した李信恵氏の不起訴処分に対して、大阪第四検察審査会に7月20日の不起訴不当の申立てに続いて、8月20日「申立て理由書」と、証拠を提出した。鹿砦社・松岡も力の入った「意見書」を提出した。今後検察審査会から追加資料の要請があるやもしれぬが、これでM君としては「人事を尽くして天命を待つ」状態にひとまず至った。

検察審査会への申立ては、当初から視野に入ってはいたが、対野間裁判、対5人裁判の進行状況を見極めながら、最終的にこのタイミングとなった。李信恵氏は大阪地裁の尋問で、みずからが「M君に掴みかかろうとした。誰かが止めてくれると思った」などと証言している。その他加害者サイドから「李信恵さんが1発殴った」ことを発信する証拠はあまた存在する。ここではどのような証拠が提出されたのか明かすことはできないが、M君は全力で準備にあたった。

検察審査会で審議にあたるのは、一般市民だ。裁判官は自らの出世を考え、最高裁の顔色ばかり窺い、市民感覚と著しく乖離した判断をすることが少なくないから、一般市民の感覚にこそむしろ期待が持てるかもしれない。

◆M君に対する救済なくして「人権」も「反差別」も空語

ところで、少なくはなったが、相変わらず勘違いしておられる方がおられるようである。われわれ、そして鹿砦社は原則的に「あらゆる差別」に反対し真に人権を守ろうとするが故に、M君の支援に踏み込んでいるのだ。「あらゆる差別」を根絶し人権を守ることは大変に困難だろう。人間という生物の複雑さ、質の悪さを考えるとき、「差別根絶」は途方もない大命題に違いない。だからといって問題に直面することから逃げてしまっては歴史が前には進まないし、人類の進歩もない。時に「どうしてそこまでこの事件にこだわるのか?」との質問を、鹿砦社や取材班、支援会は受けることがあるが、回答は「差別問題から逃げずに直面しているから」「真に人権を守りたいから」である。

生身の人間の尊厳を暴力で毀損するリンチが許せないことは言うまでもない。人ひとりの人権を守れなくて、やれ「人権だ」、やれ「差別に反対だ」と言っても空語だ。身近にM君というリンチの被害者が居て、彼に対する救済なくして「人権」も「反差別」もない。このリンチ事件に対する態度こそ、あなた自身の「人権」や「反差別」についてのスタンスそのものだ。

『週刊金曜日』8月24日号掲載の鹿砦社書籍広告

◆差別は人間の尊厳と深くかかわり、人間の尊厳を踏みにじるものが暴力である

M君が集団暴行を受けたのは暴行・傷害事件である。しかしその事件に至る道筋には明確に「差別問題」が横たわっており、それがなければ「M君リンチ事件」は発生しなかった。「差別問題」とかかわるとはどのようなことなのか?「差別」とは本質的に何なのか? 差別―被差別の関係性は絶対的なものなのか? 差別を法で定めることはできるけれども、法により差別を低減、もしくは根絶することはできるのか? 宗教により異なる価値観と差別の問題は…?

少し考察するだけでも、差別問題は可視的、短視眼的、または時流に乗ったテーマだけではない。むしろ深く人間の根本に根差す、哲学とも無縁ではないといっても過言でもない深淵な問題であることに、賢明な読者であれば思い至るだろう。

そして差別問題については世界に、日本に歴史的な蓄積がある。われわれは目の前で乱暴狼藉を叫ぶ徒党を目にしたとき、まずはこれまでの「反差別運動」の蓄積(成功体験・失敗体験)を振り返り、学ぶところから出発すべきではないか、と考える。少し差別について勉強してみると、差別は人間の尊厳と深くかかわった問題であることに行き当たる。

そして人間の尊厳を究極的に踏みにじるものが「暴力」であり、その究極が「戦争」であることが理解される(その延長線上に「死刑」を想定することもできよう)。そうであれば、あらゆる「反差別運動」と運動内の「暴力」は、絶対的に相容れない。

「反差別運動内」で暴力が行使された瞬間、それは「反差別運動」ではなくなる(念のため付言するがここでの「暴力」は、権力者が権力を持たない人間に振るう、あるいは同等の力関係のものが仲間に振るう「暴力」を指す。力関係が弱いものが、防衛的に実力行使することを「暴力」とは想定しない)。

◆「M君リンチ事件」を無きものにしてでも「ヘイトスピーチ対策法」成立に夢中であった師岡康子弁護士

そのように考えるとき、今日の「反差別」と自称する運動の中には、首を傾げざるをいないような人びとが散見される。「ヘイトスピーチ対策法」なる言論弾圧法案を進んで成立させた人びともまた、人間の尊厳や、権力の本質がいかなるものであるかを深く考察したとは、到底考えられない。

国家に言論内容についての嘴を突っ込む(今のところは「ヘイトスピーチ対策法」は理念法であるが、やがて拡大解釈されるだろう)口実を与えるなど、市民の側からは決してなされてはならない、言論の自殺行為に匹敵する行為であると、言論の末席を濁すわれわれ、鹿砦社、取材班、支援会は深く危惧している。

そしてその危惧は、不幸なことにおそらく外れてはいまい。その最たる証左は、「ヘイトスピーチ対策法」成立に深くかかわった、師岡康子弁護士が「M君リンチ事件」を無きものにしてでも(それだけではなく被害者M君を、あろうことか加害者に置き換えてまで!!)同法の成立に夢中であった事実が示している。

そこには法律家以前に、人間として最低限の知識も良識も見識もない。あるのは自己の目的達成のために、ひたすら〝障害物〟となる可能性がある「M君リンチ事件」を専門知識で闇に葬ろうとする、どす黒い私欲だけだ(師岡康子弁護士については近日中にあらためて詳述する)。

われわれは、私利私欲にもとづいて〝自己達成〟の手段として「差別」問題にかかわるものを、一切信用しない。むしろ最大限の軽蔑で、本質的な差別問題の敵であると断じる。われわれがM君を支援し、差別問題に向き合う基本的姿勢は上記したとおりである。

(鹿砦社特別取材班)

『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

私の内なるタイとムエタイ〈39〉タイで三日坊主Part.31 触れ合いビエンチャン

◆ワット・チェンウェーでの務め

ビザが下りるまでのビエンチャン滞在の中では、新しい出会いや問題が浮上していきました。

ブンミー和尚さんに「ニーモン(比丘を招く寄進)があるから9時30分までに帰って来なさい」と言われているのに10時15分になってしまう。

「ニーモンには行けないなあ」と藤川さんと話していたら、なんとブンミー和尚さんが車を待たせて我々を待っている。タイと同様に時間にゆとりのある国である。しかし、呼ばれたのは藤川さんだけ。車に乗せられ行ってしまった。後から思えば、この寺の年配者は病気がちなおじいさん比丘と、ブンミー和尚さんだけ。地上げ屋のような眼力ある藤川さんを連れて行けば、虎の威を借るように好都合かもしれない。

黄衣を洗ってくれたデックワット(寺小僧)の一人

他の比丘、ネーンも居らず、私はクティの踊り場で日記書きながら「これは昼飯は無いなあ」と飯抜き覚悟していたら、残っていた一人の“英語ネーン”が「昼飯だよ」と呼びに来てくれました。行って見ると私とこの英語ネーンと二人っきり。そしてヨーム(在家信者さん)3名ほどが食材を持って来ている様子で、英語ネーンが「お経唱えますよ」と言う。

私は「うわっ、ヤバイな!」と思うが、いつも朝食後に唱える「サッピティヨー」から始まる短いお経で簡単だった。終わるとヨームはワイ(合掌)をして帰って行く。こんなわずかな儀式でも重要な仏教徒の務めだから軽んじてはいけない。でもこれで昼飯は摂る事が出来た。

この昼時を終えると、藤川さんらが帰って来ました。何やら寄進された、お土産のような大きい包みを持って来た藤川さん。タバコだけ抜いて他はデックワットにあげていた。お菓子類がほとんどのようだ。

皆それぞれのニーモン先から帰って来て、今日のひと仕事終わったかのような昼下がりの午後、疲れた様子の藤川さんはクティの踊り場でゴザ敷いて寝てしまう。

『カメラマン』を見る英語修行中のネーン(少年僧)とチビくん

私は洗濯しようと黄衣を持って洗い場に行くと、デックワットのひとり、ガキデカ(イメージ的に付けたあだ名)くんが、「僕が洗います」と黄衣を持って行ってしまう。後に干して乾いた黄衣も持って来てくれて、何と気の利く奴らだろう。でもこれが普通のデックワットの役目なのだ。本当に我がタムケーウ寺と比較してしまう、この寺の優秀さ。

手が空いてしまったが、英語ネーンや最年少デックワットのチビくんは私と雑談になる。「日本の冬は寒いぞ」と雪の話をしていると、確か雪景色の絵柄があるはずの、持って来ていた『カメラマン』を見せてやる。カラー発色の光沢ある紙質の雑誌である。英語ネーンくんは「綺麗な本だ、印刷が凄い!」それだけで感動している様子。雛形あきこを見ると「この子、日本人なの? 綺麗な子だ!」と目がランランと輝くが、さすがに「幾らだ!」とは言わない。

私以外ほとんど差の無い年齢だが、左の兄さんだけ比丘で、他はネーン

ガキデカくんは私が持っていた安物の電池式髭剃り機(シェーバー)を、「それ見せてくれ」と言うから渡すと、スイッチ入って“ガガガガー”っと振動すると「うわあ~!!」とビックリして落としてしまう。何だ、こいつヒゲ剃り見たこと無いのか。タイのムエタイ選手や、お寺の比丘などはヒゲ剃り機そのものは持っていなくても、見たことぐらいはある奴らだ。このラオスというアジアの奥地には、昭和30年代の日本がある感じで懐かしい気持ちになれるところだった。

最年少チビくんもやたら寄って来るようになった。幼いから遊んで欲しいのだろう。学校には行って無さそうで、寺の周囲に友達が居るようには見えない。相撲を取るような、ムエタイの首相撲をやるような取っ組み合いをやると物凄く笑って喜ぶ。7歳ぐらいなのか、無邪気で可愛いものだ。比丘が取っ組み合いやっていいかは、本当はやっぱりダメだろう。タムケーウ寺のメーオくんはムエタイ経験があり、軽い取っ組み合いで上手い蹴りは見せていたが。

ブンミー和尚さんを中心にこの寺の比丘とネーン達

◆アメリカ青年、訪ねて来る!

夕方頃、別のネーンが私を呼びに来る。「お客さんだよ!」と。こんなラオスの寺に私にお客さんなんて、思い当たるのは奴しかいない。早速やって来たのだ、アメリカ青年が。

講堂に行くとネイトさんと再会、「ノンカイに渡ることで相談があります」と言う。

講堂では夕方の読経が始まるので、クティに移ってお喋り上手の藤川さんと会話が続きます。

ネイトさんはアメリカでラオス語を習い、高校2年の時、日本に来て、タイ留学生と出会い、「その発音は間違っているから直してやる」と言われて、そこからタイ語を習い始めたという。大学を含め7年間、日本に居る間に日本語とタイ語を完璧に覚えてしまったようだ。

藤川さんが「宗教とは何やと思う?」と問うと、ネイトさんは「お父さんが“自然だ”と応えたことがあります」と言う。更に「お父さんはインドに居たことがあるんです」と言うと、藤川さんは大きく理解したように「ほほ~う、だからやな!」と頷く。

アメリカ青年ネイトさんが訪ねて来て藤川さんと雑談
クティに集まったネーン達と写真に収まる藤川さんとネイトさん
話せば思いっきり笑うこと多い藤川さん

傍から聞いていると飽きて疲れる話になってきた。討論成り立つネイトさんに任せて私はこの場を去るが、ネイトさんが気にしていたのは「ノンカイに渡ったら本当に出家できるのか」という素朴な疑問。

「ノンカイに渡ったら、ミーチャイ・ター寺の和尚に紹介するから、この寺でもイサーンの寺でも好きなところで修行すればええ!」ともうネイトさんに惚れ込んだ様子の藤川さん。「ワシに任せとけ!」という藤川さんの太鼓判に安心した様子。

読経が終わった頃、「みんな集まって写真を撮ろう」と言うブンミー和尚さん。ネイトさんは英語ネーンに英会話の機会を与えると、とちりながら話してみるネーンくん。わずかな時間ながらよく頑張っていた。ブンミー和尚さんとも雑談を続けて、写真を撮り終えてから知人宅へ帰って行きました。

何となく集められた旅の我々と共に
ブンミー和尚さんとネイトさん、通訳もしてくれて助かった

◆ブンミー和尚の苦悩

私はブンミー和尚さんに「この寺の住所を書いて欲しい」とお願いすると、ラオス語と英語で書いてくれて、更に日本語で書かれた日本からの手紙を見せられました。その手紙はちょっと古く、「日本にもう2年あまり、私の弟が居るんだが、弟の嫁が私の手紙を弟に渡してくれないようだ。だから連絡が取れない」と言う。日本に帰ったら私に尋ねて行って見て来て欲しいのだろうか。住所は神奈川県の平塚だった。

後に藤川さんに話すと、「ブンミー和尚の弟さんは不法就労の類いやな、仕事やっても半年しか居れんはずや、それが2年も居るというのはビザ切れしかないやろ、尋ねていくのはかえって迷惑がられるぞ!」と言われる。まあ確かにそうだろう。今、ブンミー和尚さんの気休めにでもなればと思った次第だが。

◆合格発表へ!?

申請して2日後の午後、タイ領事館へビザの受取りに向かいます。ビザはパスポートに印字押されるだけなので、そのパスポートを返して貰うことになります。一人で行きたいところ、「行く時は起こせよ!」と言って昼寝している藤川さんを起こします。着いて来たがる、先に歩きたがる。「買い物もしたい」と言っていたが、寝かせたまま一人で行けばよかったかと思う。「俺って何で正直に従ってしまうのだろう」なんて悔やむこと数え切れない。

何かの受験合格発表でも見に行くような緊張感。たかがビザ。大丈夫ではあろうが、書類は万全だったか考えるとちょっと不安が残る。そしてこの先、ビエンチャンでまだまだ慌てる事態が発生していきます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

雑協に入ってなくても雑誌なんですよ(笑) 鹿砦社と「紙の爆弾」のイジラれ方

けっして仲良しではないが、気になる相手というものがいるものだ。遊び仲間ではないけれども、いつも気になって仕方がないから、何かと内輪で話題にしてみる。そんな経験はないだろうか。鹿砦社および「紙の爆弾」とは距離を置いているけれども、どうも気になって仕方がない。そんなネット雀さんたちの面白いツィートがあった。どうやら、鹿砦社をイジっているらしい(苦笑)。

 

その内容は、旧流対協系の出版社80数社の代表が連名で発信した、杉田水脈のLGBT差別への抗議声明に、鹿砦社松岡利康の名前が入っていないではないか。という「疑問」から、鹿砦社が日本雑誌協会に入っていないことを探り当て、さらにはABC協会および雑誌広告協会にも入っていない。ゆえに「紙の爆弾」は雑誌ではないのではないか(笑)、というものだ。

べつにこのツィートをフェイクだとか、ネガティブキャンペーンだとか言うつもりはない。出版雑誌業界の知識がないゆえに、勝手に思い込むのも無理はないであろう。とはいえ、ブログにしろツイッターにしろ、全世界に発信しているのだ。ちょっと検索すれば「鹿砦社」「紙の爆弾」「雑誌ではない」というキーワードで拡散される怖れがある。どんな些細な情報でも、ネット上の情報源になりうるのだ。

つまりネット上の誤情報として、全世界にフェイクとして流布されることに想像力を働かせなければならない。無責任なフェイクニュースが飛び交う中、SNSや公開サイトに発信する人は、「ネットに書く責任」に自覚的でなければならないのだ。最近はネット上での誹謗中傷・名誉毀損・不法行為についても、訴訟や告発がなされるようになった。単に報道の道義的責任のみならず、法的な責任も発生しているのだと指摘しておこう。書きたいなら、裁判闘争を覚悟して書け。である。

◆LGBTの多様性は、従来の男女二項対立では解けない

ところで、杉田水脈のLGBT差別への出版各社代表の批判は、わたしも言論に関わる人間として大いに賛同するものだが、これらの出版人が本業の中でLGBTの多様性を広めるのでなければ、しょせんは一片の抗議文にすぎない。というのも、LGBTはあまりにも多種多様で、従来の反差別の視点では収まりきれないものがあるからだ。たとえば、よくフェミニストに「女性差別」だと指弾される「萌え絵」「美少女ゲーム」などは、じつは「やおい」「ボーイズラブ」の裏返しの表象なのである。つまり美少女になりたい、萌える美女になりたい。女性になって女性を愛したいという、男性のトランスセクシャルのバリエーションとして成り立っているのだ。ユング心理学における「アニマ」(内的女性性)である。

だとしたら「萌え絵」や「美少女ゲーム」を、男性による女性の隷属や性欲の発散などという文脈は的はずれになってしまう。なぜならば、女性がフィクションの中で男性になって男性を愛したい欲求としての「やおい」や「ボーイズラブ」が、女性による男性の隷属や性欲の発散ではない「アニムス」(内的男性性)と同じ原理だからだ。いや、性欲の発散であってもいいだろう。ただしそれは、トランスセクシャルとしての性欲なのである。それを性差別と言えるのだろうか。かように、LGBTの多様性は奥深い。

 

◆業界団体および雑誌コードと書籍コード

話を「紙の爆弾は雑誌ではない」にもどそう。ツィートの書き手の論拠は、鹿砦社が雑誌協会に加入していないからだという。そうではない。月刊「文藝春秋」とともに、わが国の論壇誌を代表する月刊「世界」の発行元である岩波書店も、日本雑誌協会には加入していない。岩波の「世界」「思想」とともに左派系の学術系雑誌として、全国の図書館に置かれている「現代思想」「ユリイカ」の発行元・青土社も雑誌協会には加盟していない。新左翼系の老舗雑誌「情況」(情況出版)も雑誌協会に入っていない。若者に人気のサブカルチャー雑誌「Quick Japan」の発行元・太田出版も雑誌協会に入っていない。

いや、この「Quick Japan」こそ、書籍コード(ISBN)で発行されている定期刊行物、雑誌(雑誌コード)ではない雑誌なのだ。中身は雑誌であっても、法的(出版ルール的)には書籍という意味である。雑誌コード(「紙の爆弾」は「雑誌02719」)の有無が、出版ルールでは雑誌なのである。この雑誌コードは飽和状態にあり、新規に得ようとすればムックコード(書籍コードと雑誌コードを併用)になると言われている。

そもそもツイッターの書き手が論拠にした日本雑誌協会とは、雑誌をおもな業態にしている大手出版社の業界団体にすぎない。任意の業界団体として取次や図書館行政と交渉したり、広告業界に向けて雑誌の刷り部数を公表したり、雑誌の利益のために任意の活動をしているだけなのだ。ABC協会と雑誌広告協会にいたっては、雑誌の部数を印刷会社の保障のもとにアピールし、広告価格の「適正化」をはかっているにすぎない。広告をとるための団体だと言っても、差しつかえないだろう。

現在5000社とも6000社ともいわれる出版社が、数千といわれる雑誌を出しているとされているが、総合誌(オピニオン誌)と呼べるものは、そのうちわずかである。講談社の月刊「現代」、朝日新聞出版の「論座」、文藝春秋の「諸君」、左派系の「インパクション」(インパクト出版会)、「atプラス」(太田出版)が姿を消し、週刊誌も部数を激減させている。そのような中で、「紙の爆弾」が貴重なのは言うまでもない。それは左右という垣根を越えて、あるいは膨大なネット上の書き手にも解放された誌面として、公共性をもっているがゆえに貴重なのである。わが国から論壇誌・総合雑誌が消えた日、それは民主主義が消える日であろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業・編集者。酒販業界雑誌の副編集長、アウトロー雑誌の編集長、左派系論壇誌の編集長などを歴任。近著に『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

《殺人現場探訪16》宇都宮宝石店放火殺害事件 被害者悼むシャッターの天使絵

凄惨な殺人事件の現場を訪ねてみると、事件発生から長い年月が経っているのに、周辺の人たちがいつまでも心に生々しい傷を抱き続けていることがよくある。

18年前に栃木県宇都宮市の繁華街「オリオン通り」の宝石店で起きた放火殺人事件もその1つ。私が現場の宝石店跡地を訪ねたのは、事件から16年近くが過ぎた頃のことだったが、近くで小売業を営む人に当時の話を聞こうとしたところ、「何も話すことはないです」と強く拒絶された。

それは、この事件の世上稀に見る残酷さを物語っているように思われた。

惨劇が起きた宝石店があったオリオン通り

◆手足を拘束した6人をガソリンで焼殺

事件が起きたのは2000年6月のこと。犯人の男S(当時49)は金に困って強盗を企て、馴染みの宝石店に約1億4000万円相当の商品を用意させて来店した。そして宝石を奪い、店長ら女性従業員6人を殺害するのだが、恐るべきはその手口だった。

Sはまず、被害者6人の手足を粘着テープで拘束し、休憩室に押し込めた。そしてガソリンをまくと、ライターで火を放ったのである。

店舗は全焼。焼き殺された6人の遺体は性別の区別もつかない無残な状態だったという。

現場の宝石店があった場所はずっと空き店舗のまま

◆宇都宮に舞い降りた妖精

そんな現場周辺では、なかなか当時の話を聞かせてくれる人はいなかったが、現在も空き店舗のままの建物のシャッターに、切ない思いにさせられた。被害者たちを悼むように、妖精の絵が描かれていたからだ。

「文星アートプロデュース部」という署名があり、絵のタイトルは「宇都宮に舞い降りた妖精」と書かれていた。店舗として借りたいという人は現れないままでも、こうした絵が描いてあれば、地元の人も多少は気持ちが和むだろう。

犯人のSは、裁判で「殺す気はなかった」と主張したが、2007年に最高裁で死刑確定。2010年に東京拘置所で死刑執行された。

シャッターに描かれた「宇都宮の妖精」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

自民党総裁選展望〈2〉虚構の経済政策で支持を得て、公約外の安保・改憲にひた走る安倍政権 経済オンチ・石破の決定的な弱点とは

 
2016年時日本の二国間政府開発援助の供与相手国上位10か国(外務省HPより)

◆安倍が行なってきた、大企業優遇の経済政策

リフレの失敗(インフレ政策の事実上の断念)と経済成長戦略(官民ファンド)の破綻など、旗印のアベノミクスが崩壊しているにもかかわらず、安倍政権への支持率は保たれている。これは安倍の政策説明のわかりやすさが、国民に受け容れられているからにほかならない。

わかりやすい例を挙げるならば、安倍による経済協力の営業外交であろう。従来の経済協力に加えて、日本企業の進出を商品として具体的に売り込みつつ、ODAを推し進めるパフォーマンスである。大手商社に勤務するわたしの友人は「安保政策は危険きわまりないと思うが、安部の経済外交には感謝せざるを得ない」と語っていた。

まさに大企業のためのアベノミクスであり、いっぽうで軍学共同や兵器輸出といった、軍事産業を育成・成長させることで、目に見える成果を上げようとしている。株価の維持と兵器輸出が、一般国民には何ももたらさないにもかかわらず「これらは、皆さんの生活を豊かにするために、やがてはめぐってくるのです」と安倍は力説する。歯の浮いた演説にもかかわらず、おそらく希望を託したくなる国民生活の現実があるのだ。

国民はひたすら経済を何とかして欲しい。あるいは中朝の潜在的な脅威にたいして「強い指導者」をもとめているのだといえよう。しかしアベノミクスの行き詰まり、中朝関係とくに共和国(北朝鮮)を敵視する東アジア外交の破綻も明らかになりつつある。にもかかわらず、ひん死の安倍政権に取って代る政権・指導者がいないのである。

主要援助国のODA実績の推移=支出総額ベース(外務省HPより)
主要援助国のODA実績の推移=支出純額ベース(外務省HPより)

◆政策論争が行なわれない、奇妙奇天烈な選挙

戦争法ともいえる安保法制を、自然法としての「自衛権」から導き出したのは、安倍ではなく石破茂である(自民党国防部会)。法律学者なみの法知識を持ち、オタク的なまでの軍事知識、精緻な思考方法を持っているがゆえに、安倍のようにアジテーションでごまかすことはしない。その意味では法の運用も政策決定も、はるかに慎重で信頼に足ると、わたしは安部政権との比較で「よりましな選択」として、石破に期待するものだ。「よりましな選択」を放棄してしまえば、ただちに戦争の危機に陥ることもあるのだから――。

ここにきて、石破は安倍の「臨時国会に憲法改正草案を提出するべきだ」という「スケジュールありきの提案は、民主主義の現場を知らない言動だ」と批判し、さらには「誰かのためだけの政治であってはならない、特定の人たちの政治ではいけない」「政策本位の討論会をやるべきだ」「自民党だけの政治でもいけない。幅ひろい世論を汲み上げなければならない」と、正論を安倍に叩きつけている。議員数で多数派におよばない現実から、政策論争をもとめたものだが、これが本来の政策論争のあり方であろう。

◆安倍にしかできないパフォーマンスに、石破は敗北するのか?

にもかかわらず、石破には決定的な弱点が存在する。学生時代から法律については、研究会を組織するなど熱心な石破だが、経済に弱すぎるのである。べつに経済に強くなくても政治家はやっていける。安倍がまったく経済オンチであるにもかかわらず、アベノミクスなるまやかしの経済政策を「やっている」かのように見せられる。

たとえば「同一労働、同一賃金」を、安倍は労働政策のスローガンに採り入れている。労働運動を経験された方はすぐにピンとくるであろう。「同一労働、同一賃金」は「地域同一賃金」などとともに、ILO(国際労働機構)などの労働組織が掲げているきわめて社会主義的なスローガンである。このスローガンを実現すれば、ただちに本工(正社員)と季節工(アルバイト・パート)の賃金格差は是正され、労働に応じた賃金、つまり労働証書制が成立する。すなわち社会主義社会が実現するという意味なのだ。

この「同一労働、同一賃金」の聞こえの良さを、安倍は何のためらいもなく採り入れているのに対して、石破は自身のブログで「誰か教えていただけないか」と疑問を呈した。当然であろう。実現の見込みも、そこに近づく道筋も見えない労働政策(ひいては経済政策でもある)に、ふつうの政治家なら立ちどまるはずだ。いや、ふつうの政治家では総理大臣にはなれないのだ。たとえば安倍のように、政治に利用できるものはすべて利用する。たとえ意味がわからなくても、理想を表現したスローガンならば何でも使う。その節操のなさが、長期政権を維持しているのだから――。

したがって石破が「候補者同士の討論を、ぜったいに実現して欲しい」というのに対して、安倍は応じられないはずだ。何も自分で考えたことがないのだから、討論で相手に説明できるはずがない。政治的なパフォーマーと慎重な学者の戦いが、今回の総裁選挙の本質なのである。

◆安倍を三選させてはならない

石破も地方創生担当大臣として、地方経済の活性化を現地で体験してきた。それはしかし、各地域に共通する経済政策とはならない、じつに個別的で具体的な経済活性化の成功なのである。しかもそれを「イシバノミクス」などという具合に、軽々しくネーミングできない生真面目さに、この人の決定的な弱点がある。

前回の記事でわたしは、たとえ再武装・準核武装論者であろうと、あるいは軍事オタクであろうと、民主主義的な手続きをおろそかにしないかぎり、その候補を支持するべきだと提言した。それは安倍というパフォーマンスしかない政治技術者がはびこる中では、石破茂のほうがよりましであるからだ。

重要な案件が「閣議決定」で済まされる安倍政権によって戦争に引きづり込まれることはないという意味で、いわゆる人民戦線戦術と呼称しておこう。古い言葉でいえば、自由主義的なブルジョア分子もファシズムに抗する意味では味方である。政治において「敵の敵は、味方」なのだから。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
雑誌編集者・フリーライター。著書に『山口組と戦国大名』など多数。

月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

《殺人現場探訪15》音羽幼稚園女児殺害事件 悪夢の公衆トイレは今は無く……

社会の耳目を集めた重大事件の現場を訪ねると、「こんな何の変哲もない場所で、あんな大事件が起きたのか……」という思いにとらわれることが少なくない。約19年前、東京都文京区の音羽幼稚園で起きた女児殺害事件もその1つだ。

もっとも、殺人の現場となった「公衆トイレ」は現在、取り壊れており、その跡地はうら寂しい雰囲気となっている。

現場の公衆トイレの跡地

◆公衆トイレで引き起こされた惨劇

音羽幼稚園で、母親と一緒に園児の兄を迎えに来た2歳の女児が失踪したのは1999年11月22日のことだった。母親が一瞬目を話したすきに、女児は忽然と姿を消したのだ。

そして3日後、この女児失踪事件は衝撃的な展開をたどる。失踪した次女を殺害したとして警察に1人の女が自首するのだが、それは音羽幼稚園に長男を通わせている別の母親だったのだ。

「被害者の女の子のことは幼稚園の敷地内の公衆トイレに連れ込み、首を絞めて殺しました。遺体は静岡の実家の庭に埋めました」

犯行をそう自供したYは、被害女児の母親とは顔見知りだった。

動機は当初、子供のお受験のことで生じた嫉妬であるように報道されたが、実際はそうではなかった。のちにYの裁判で明らかになったところでは、Yは被害女児の母親に病的な悪意を抱き、「女児を殺せば、母親と会わないで済む」という異常な心理で犯行に及んだとされる。

護国寺と入口は同じ音羽幼稚園

◆同じ敷地内の別の公衆トイレに感じられる防犯意識の高さ

同じ敷地内の護国寺の公衆トイレは警報装置を完備

私がこの現場を訪ねたのは2016年3月のこと。母親の一瞬のすきをつき、女児を公衆トイレに連れ込み、殺害するという犯行がどのようにして可能になったのかを自分の目で確認してみたく思ったのだ。

しかし、その公衆トイレは取り壊されていた。殺人事件の現場となった建物は取り壊されることがよくあるが、この事件の現場になった公衆トイレもやはり、園児や父兄の心情に配慮し、幼稚園側が取り壊したのだろう。

そのため、詳細な犯行状況はイメージしづらかったが、公衆トイレは幼稚園の建物のすぐそばにあったようで、加害者のYはごくわずかなすきをつき、犯行を実行したことはわかった。

同じ敷地にある護国寺の公衆トイレは、警報装置が備えつけられており、防犯意識の高さを感じさせられた。悲惨な事件を2度と繰り返すまいとする関係者たちの思いからの措置だろう。

ちなみに加害者のYは2002年に裁判で懲役14年が確定している。何も問題起こさずに服役生活を送っていれば、すでに刑期を満了し、社会復帰しているはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「カジノ」ができる以前から日本に横たわる根本的不正義

「カジノ法案」が先の国会で成立した。「IRなんとか」とぼやかしているようだけれども、主目的はカジノの解禁であることは間違いない。この議論に入る前に、「賭博」に関する日本の根本的不正義を確認しておくべきだろう。

◆刑法185条で「賭博は禁止」されているはずだが……

“賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処せられる”という刑法185条の明文規定がある。憲法を見返しても賭博についての言及は見当たらなので、原則的に日本の刑法では「賭博は禁止」だと、市民レベルでは解釈して良いだろう。だから「賭け麻雀」でも逮捕されるひとが出るし、競馬の「ノミ行為」や「野球賭博」はもちろん違法とされている。

け・れ・ど・も。どうして、競馬、競輪、競艇、オートレース、サッカー賭博、パチンコ、スロトマシーンなどが堂々と行われているのだろうか。

専門的な法解釈は、こういった場合「屁理屈」にしかならない。たしかに競馬や競艇、サッカー賭博を「合法化」する法制は準備されている。パチンコ、スロトマシーンについても同様だ。つまり、「胴元が国や国に上納金を収めると確約している、大規模賭博だけはやってもよろしい」という原則が、刑法で禁止されているはずの賭博を公認する原則として成立しているのだ。

刑法185条も例外を設け、常習性のない軽度の「賭け」には目くじらを立てないと、穏当な例外規定を設けている。家族や仲間内で少々のカネをかけて麻雀やトランプをやったからと言って、いちいち取り締まられていては庶民生活の潤いもなくなるだろう。そもそも、仲間内での「賭け」には「胴元」がいないから、誰かが負ければ誰かが勝つ、ある種の公平原則から逸脱はしない。

◆「公営ギャンブル」の基本的構造

他方「公営ギャンブル」は悪質である。宝くじ、競馬、競輪、競艇……。すべての「賭博」で、「胴元」は勝負の如何にかかわらず、最初から「儲け分」を抜き、その残りで当選者への払い戻し金額を算定する仕組みになっている。つまり、運営が維持できて一定数の顧客がいる限り「胴元が一番儲かる」のが賭博の基本的構造である。だから競艇の運営母体が「日本財団」などと偉そうな名前を名乗れるほど、ぼろ儲けが可能であるし、小口の「ノミ行為」や「闇賭博」が検挙されることがあっても、JRAの馬券売り場で馬券の購入や払い戻しを受けても、誰も捕まる心配はない。

要するに「悪いことは堂々と大きくやればやるほど」あたかも正当なように扱われ、法律まで整備されているのが、刑法で賭博を基本的に禁じている日本の素顔である。パチンコやスロットマシーンは「公営ギャンブル」ほど法律の保護が厚くないので、近年厳しい状況に直面している。パチンコ業界の状況については『紙の爆弾』が毎号連続してその近況を伝えているので、ご参考になるだろう。

◆「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となる

そこへきて「カジノ」である。まず断言できるのは、カジノが出来ても、カジノで遊ぶ目的で、日本にやってくる外国人観光客は増加しないであろうことである(世界各地にカジノはあり、どこのカジノがどのようなサービスを提供するか、ユーザーは知り尽くしている。後進で規制の多い日本では「海外からの常連」を獲得することはできないだろう)。逆に現金を目の前で「賭ける」醍醐味に、これまで公営ギャンブルやパチンコ・スロットマシーンに通っていた人が、カジノに押しかける姿は想像できる。どうしてそんなことが言えるのか? わたし自身が相当「カジノ」には出入りした経験があり、その魅力も危険性も身に染みて体験しているからだ。

かつてわたしにとって「カジノ」へ行く行為は、「日本から離れ異空間にいる」ことをより強く実感することと重なる意味があった。ルーレットのテーブルに座り、100ドル紙幣をテーブルに置き、チップと交換する。経験のある方であればご理解いただけようが、その行為はパチンコやスロットマシーンで銀玉やコインと現金を交換する行為とは、まったく異なるリアリティーを抱かせる。

競馬、競輪、競艇などは他人(競技行為者)の優劣を予想するに過ぎないが、「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となるのである。近年はゲーム機のようなコンピューター制御のスロットマシーンも増加したが、それでもディーラー相手のカードゲームやルーレットは、確率論と心理戦で勝率が大きく左右される。

大規模カジノは24時間営業で条件によっては、食事も無料、アルコールも無料である。「賭博好き」が入り浸らないはずがない。もうかなり昔だが、初めてラス・ベガスに貧乏旅行で立ち寄ったときに、「こんな街にいたら身ぐるみはがされる」と感じ数時間で別の街に移動したことを思い出す。その後少し懐に余裕が出来てから、あちこちの国でカジノに足を向けた。理性が働いているあいだ、つまり「自分はいくら負けてもよい」か、が認識できているあいだは、危険性はない。

◆胴元がいる賭博では、胴元が必ず儲かる

しかし、その「理性」は「射幸心」のまえで見事に崩れ落ちることを、過去あまたの有名人による、カジノでの大惨敗事件を振り返るとわかる。1980年「ハマコー」と呼ばれた故浜田幸一自民党議員はラス・ベガスにおいて一晩で4億6000万円負けて、当時ロッキード事件の黒幕といわれた小佐野賢治に穴埋めをしてもらっている。また大王製紙の前会長はカジノで負けた106億円をファミリー企業から借りて、有罪判決を受けている。

一度に賭けることができる金額は各々のカジノやそのテーブル、またはVIPルームにより異なるが、VIPルームでは一度(つまり数秒)のカードゲームで数百万円負けることは当たり前だ。賭け方によっては勝敗が1千万円近くになる。わたしはそんな金は持ち合わせないから、もっと少額のテーブルで遊んでいたが、額は違えど心理に変わりはない。

給与収入の数カ月分を一度の勝負で稼ぎ出せば、「理性」は揺るぎだす。「ビギナーズラック」ということばがあるが、ことカジノに関して、不思議なほど「ビギナーズラック」が訪れる場面をわたしは目にしている。しかし「ビギナーズラック」の真相は「ビギナーズアンラック」であることをのちに知る人が多い。

あらゆる賭博は、胴元がいれば、誰がいくら賭けようが、勝とうが、負けようが胴元が必ず儲かる。宝くじも同様だ。「サマージャンボ数億円」などと広告していても、みずほ銀行が手に入れる「上がり」はお調べいただければすぐにわかる。

「カジノ」が日本にできることに、実はわたしは反対しない。なぜならば、公営ギャンブルやパチンコと比較にならないほどの社会問題を誘発し、政府の目論見から離れて、治安問題へと発展するのが必定だと見るからだ。シニカルすぎるかもしれないが、そのカオスを日本政府は経験すれば良かろう。

わたしは本文でシニカルな意見を述べたが、山本太郎議員のこの質問に共感する。


◎[参考動画]【国会中継】山本太郎(自由党)【平成30年7月19日 内閣委員会】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

自民党総裁選展望〈1〉ファシズムの危機(安倍)か、それとも軍事立国(石破)の本道か? 安倍が勝っても、まさかの石破が勝っても危ういが……しかし。

もうすぐ自民党の総裁選挙である(9月20日)。安倍晋三と石破茂の一騎打ちだが、どちらが勝っても変化はないという評価は、しかし現実の政治過程を投げ打った考えではないかと、わたしは思う。少なくとも、安倍のような政治技術主義(目的のためには手段を選ばない)は、石破にはない。その意味で石破に頑張って欲しいと思うのだ。いかに石破茂が軍事オタクの再軍備、核武装検論者であろうと、安倍のようにごまかさずに民主主義の手続きを踏むと考えるからだ。この民主主義の手続きとは、ちゃんと質問には答弁に答える、論点をはぐらかさないという意味である。いずれにしても、どちらが勝っても同じである、という議論はダメだと思う。

たとえば、よりましな政府と体制を選ぶことで、敵(資本主義? 天皇制?)を延命させる。あるいは政権に融和的になるという「左派」の批判は、現実の政治過程を投げやることで、ぎゃくに現状を容認しているのだと、わたしは思う。現在の安倍政治の延長に、それがさらに危険な後継者に引きつがれ、戦争を可能とする安保法制のもとに動き出す。それも本人が知らないうちに、事態が破局にまで突き進む。つまり戦争が起こってしまう可能性があるのだ。

何が言いたいのかというと、昨年の今ごろまでは安倍の「後継者」が防衛省をシビリアンコントロールできなかった稲田朋美だと目されていたからだ。安倍が党規約を変えてまで三選を可能とすることで、その先にもはや石破茂の目はないだろうと思われた。そうすると、当時の朝鮮半島情勢のなかで、共和国(北朝鮮)のミサイルが発射されたとき、そしてそれがSM3(洋上イージスシステム)やパック3(地上迎撃ミサイル――ただし射程は25キロほど)の対応を余儀なくされたとき。そして第二弾を防止するために、ミサイル発射基地を事前に攻撃したら、まちがって戦争が起こるではありませんか、ということなのだ。なぜならば、南スーダン派遣自衛隊の日報問題を掌握できない大臣に、ミサイルが飛び交う瀬戸際での指揮は、とうてい執れないからだ。

◆最終的には、政治の延長である戦争は個人が発動するものなのだ

けっきょく、戦争は個人の指揮による発動である。たとえばヒトラーがいなくても、1930年代のドイツは戦争に活路を求めたであろうと、よく云われる。なぜならば、莫大な賠償金とハイパーインフレによる国民経済の逼迫は、それを打開するための政策的なインパクトを必要としていたからだという。それが国民経済の破綻を外化する欧州制覇、ドイツ民族の生活圏の確保であるはずだからだと。

しかしそれは、ヒトラーのミュンヘン一揆による挫折ののちの鉄鋼資本との提携、国防軍と結んだレームの粛清(突撃隊を皆殺しにした「長いナイフの夜」)など、茨の道ともいえる政治過程を無視している。30年代のドイツは、アドルフ・ヒトラーという個性を抜きに論証することは出来ないのだ。偶然かもしれないが、政治危機にさいして個人が役割りを発揮することがあるのだ。ヒトラーなくして、ドイツの戦争発動はなかったであろう。わが国においても、戦争発動は個人が決断した。そこに逆らえない「空気」があろうと、しかし個人が決めたのだ。


◎[参考動画]2011年9月3日放送未来ビジョン73『安倍晋三元総理が訴える憲法9条改正論』(JapanMiraiVision2012/07/06公開)

◆安倍の政治センスの良さが危うい

かつて、わが国は軍部の暴走(関東軍の中国戦争)の延長に、アメリカおよび西欧列強との対立に追い込まれた。なし崩し的な日中紛争と対米矛盾を解決するために、近衛文麿と東条英機という、天皇の信任の厚い政権が国家を運営したのだった。近衛も東条も対米戦争慎重派であり、むしろ非戦派だったと多くの証言がある。昭和16年8月に行なわれた若手の官僚と将校のシュミレーション(『昭和16年の敗戦』猪瀬直樹)では、対米戦敗北の結果が出て、東条もその結果に納得していたという。しかるに、国内の海戦への「空気」と情勢(対米交渉)は、東条を立ちどまらせることを許さなかったのである。その「空気」は東条をして、開戦を決断させた。かくのごとく、戦争への道は危うい「空気」と情勢の混乱によるものだといえよう。

安倍とその政権の危うさは、その政治的なセンスの良さ、言い換えれば「政治家としての能力の高さ」にある。この能力の高さとは外見上はパフォーマンスのようなものだが、たとえば、安保法制を自分の肉声で説明できることだった。「敵が味方を攻撃したら、その味方を護ることは、自分を護ることになるのです」「ですから、平和のための法律なのです」と。このあたりのパフォーマンスが、勢いで戦争を始めてしまいそうだと、わたしは危惧する。戦争はつねに「平和」を名目に行なわれる。なにしろ安倍は、文民統制のできない防衛大臣に、後継を託そうとしたのだから――。

なるほど、安保法制は「自然法としての自衛権」を元にしているが、じつはこれは安倍が考えたものではない。自民党の安全保障部会を仕切ってきたのは、ほかならぬ安倍のライバル、石破茂なのである。そこで安倍は「自然法としての自衛権」が憲法九条にも「加筆」されることで、解釈改憲を成文改憲に持ち込めると、自民党の改憲草案を飛び越えて「加憲論」に走った。これは自民党の議論を経ていない。

◆「加憲」が憲法を崩壊させる

そもそも、憲法九条は「国際紛争の解決における武力の否定」である。そこに「ただし、この規定から自衛隊は除外される」とか「自衛権としての自衛隊の保持は排除しない」などと、条文の精神と相容れない条項(加憲)を入れてしまうと、解釈の整合性がとれないのだ。「ただし」とか「しかしながら」とかの逆接を入れると、条文自体に矛盾が生じる。そこで、矛盾した条項を入れるよりも、九条を撤廃して「国防軍(国防省)」の条項を明記したほうが、法の運用が正確になる。政治家の恣意性や情勢の変化に拠らない、誰がやっても間違えのない運用ができる。しかしながら、それらの改憲は国民的な議論をもって行なわれなければならない。これが石破の立場であろう。

こうしてみると、両者の違いは歴然としている。安倍においては、誰にも説明のできない脈絡で「自衛権」が「戦争放棄」と同居し、石破においては「自衛権」が「自衛戦争」に限定されるのだ。ただし、直ちの改憲は望めないはずだ。憲法九条の完全な否定は、国民的な議論が必要となるからだ。それを回避する安倍の「加憲」こそ卑怯な裏口改憲なのである。

総裁選に改憲論が持ち込まれれば、もはや自民党の機関を通じた議論は行なわれないであろう。おそらく安倍は、総裁選挙後に直ちに「改憲法案」を国会に提出して、数を頼んだ改憲になだれ込むはずだ。きわめて危険な水域に入ったというほかはない。心ある自民党員は、石破茂に投票せよ。である。


◎[参考動画]2018年8月10日、自民・石破氏、総裁選出馬表明会見(日仏共同テレビ局France10 2018/08/10公開)

※安倍と石破の経済政策については次回に詳述したい。そこでも安倍の政治センスが、否応なく発揮されているのは周知のとおり。石破茂の決定的な弱点が、その学者的なセンスと経済オンチにあることも、併せて解説していこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
雑誌編集者・フリーライター。著書に『山口組と戦国大名』など多数。

月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

私の内なるタイとムエタイ〈38〉タイで三日坊主!Part.30 アメリカ人青年現る

お寺の仕事をこなすデックワットの3人
デックワット(寺小僧)の少年と、英語を学ぶネーン(少年僧)

◆ワット・チェンウェーでの触れ合い

タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”

宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。

そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。

そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。

デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。

ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。

托鉢から帰るとすかさずデックワットがバーツ(お鉢)を持ってくれます

そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。

更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。

しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。

蚊帳を吊って寝る藤川さん

本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。

小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。

◆ビエンチャンでの托鉢

朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。

先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。

托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。

托鉢の風景

ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。

食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。

朝の風景、お寺の外で見掛けた児童たち
トゥクトゥクで街に出るとラッシュの混雑

◆タイ領事館での出会い

「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。

寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。

タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。

そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。

このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。

領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。

ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。

タイ領事館にて、アメリカ人青年と出会う

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』