《殺人事件秘話02》あきる野資産家強盗殺人 元公務員死刑囚の生真面目な手紙

私は過去、社会を騒がせた様々な凶悪事件の犯人と面会や手紙のやりとりをしてきた。そんな中、一度手紙をもらっただけでありながら、生真面目そうな文面が強く印象に残っている男がいる。沖倉和雄という。7年半ほど前に東京都あきる野市で起きた資産家姉弟強盗殺人事件の犯人の1人で、裁判で死刑が確定しながら病気のために世を去った男だ。

沖倉から届いた手紙

◆強盗らしからぬ丁寧な物言い

事件の経緯を振り返っておこう。

沖倉(当時60)があきる野市で暮らす資産家の姉弟、A子さん(当時54)とB男さん(同51)の家に共犯者の男(同64)と一緒に押し入ったのは、2008年4月9日の夜8時ごろだった。沖倉は、1人で在宅していたB男さんにサバイバルナイフを突きつけると、次のように「脅迫」したという。

「強盗です。お金を出してください」

こうした強盗らしからぬ丁寧な物言いは、沖倉が元々、市役所に長く務めた公務員だったことと無縁ではないと思われる。だがしかし、沖倉がこの後、共犯者の男と共に敢行した犯行は、弁明の余地がないほど残酷きわまりないものだった。

まず、共犯者の男がB男さんの両手足を粘着テープで拘束。そして沖倉と共犯者の男が室内を物色していると、ほどなくA子さんが帰宅してくる。そこで沖倉がA子さんにもサバイバルナイフを突きつけ、「私は強盗です。お金を取りに来ました」と脅迫すると、共犯者の男がA子さんの両手足も粘着テープで拘束してしまう。こうして2人の強盗は資産家姉弟から現金35万円とキャッシュカード35点を奪うのだが、凄まじいのはこのあとだ。

2人は、両手足を拘束しているA子さんとB男さんの頭部にポリ袋をかぶせ、首のあたりに粘着テープを巻いて密封。このように姉弟が息のできない状態にして放置し、窒息死させてしまったのだ。その挙げ句、長野まで姉弟の遺体を運び、山の中に埋めた――。

翌2009年に沖倉が東京地裁立川支部の裁判で死刑判決を受けた際、判決はこの犯行態様について、「冷酷非道で残忍なことこの上なく、極めて悪質である」と厳しく指弾した。まことにその通りだ。

◆まじめな公務員はなぜ身を持ち崩したのか……

沖倉と共犯者の男は犯行後、姉弟のキャッシュカードで総額500万円以上の現金を引き出してアシがつき、あえなく逮捕。いち早く罪を認めた共犯者の男は東京地裁立川支部の裁判で「心底からの反省悔悟の態度」が認められて無期懲役判決を受け、そのまま確定したが、一方で沖倉が死刑判決を受けたのは「終始主導的な立場だった」と認定されたためだった。

沖倉はその後、2010年に東京高裁の控訴審でも死刑を支持する控訴棄却の判決を受けるのだが、私が沖倉に取材依頼の手紙を出したのは、最高裁の審理も佳境を迎えていた2013年の秋のことだった。

私が沖倉に関心を抱いたのは、やはりその経歴ゆえだった。

沖倉は大学卒業後、いくつかの職を経て1997年4月に本籍地の秋川市(現・あきる野市)の市役所に採用されると、2004年12月に勧奨退職するまで27年間に渡って勤務した。公務員としての仕事ぶりはまじめだったという。

裁判で明らかになったところでは、そんな男が退職後に開店したスナックの経営に失敗したり、麻雀の負けがかさんだりして約4700万円の借金を抱える羽目に。そして金目当てに許されざる罪を犯すのだが、沖倉はなぜ、そこまで身を持ち崩さねばならなかったのか・・・。

私は、当時東京拘置所に収容されていた沖倉本人にそれを直接聞いてみたいと思ったのだ。

そしてほどなく沖倉本人から返事の手紙が届くのだが、それには次のように綴られていた。

・・・・・・以下、引用・・・・・・

片岡健様

取材についての件ですが、私はまだ現在、話ができる状況ではありません。折角、切手、ハガキまで送ってきていただきましたが、真に申し訳ありません。お許しください。
今後の片岡様のご活躍をお祈り申しあげます。
ご希望に添えないので、切手、ハガキ、返送いたします。ご気分を悪くなさらないでください。

平成25年10月3日  
沖倉和雄  

・・・・・・以上、引用・・・・・・

私は、拘置所や刑務所に収容されている人物に取材を申し込む際には、返信用の切手やハガキを同封することにしている。取材を断る際、その切手やハガキを返送してくる者はたまにいるが、これほど丁寧な言葉で取材を断る者は珍しい。私はこの手紙を読み、沖倉が公務員時代、まじめな仕事ぶりだったというのは本当なのだろうと改めて思ったのだった。

「私はまだ現在、話ができる状況ではありません」というのは、最高裁の審理が佳境を迎えた時期に取材など受けている精神的余裕は無いということだろう。そう理解した私は取材を諦め、沖倉にお礼の手紙を出すと、これを境に沖倉のことは一度忘れてしまったのだった。

沖倉の「終の棲家」となった東京拘置所

◆実は闘病中だった

沖倉は私に手紙をくれた約2カ月半後、最高裁に上告を棄却されて死刑が確定したが、それから7カ月余り経った2014年7月、驚くようなニュースが飛び込んできた。沖倉が脳腫瘍のために獄中死したというのだ。

報道によると、沖倉は前年6月から肺ガンの治療を受けていたというから、私が取材依頼の手紙を出した時はすでにガンで闘病中だったわけだ。そして死の2カ月前には脳腫瘍も見つかっていたそうなので、おそらく最後はガンが全身に転移し、手の施しようがない状態だったのだろう。そのことを知って手紙を読み返すと、私は自分が勘違いしていたのではないかと思うに至った。

「私はまだ現在、話ができる状況ではありません」という沖倉の言葉は、裁判のせいで精神的余裕がないという意味ではなく、「ガンで闘病中のため、話ができる状況ではない」という意味だったのではないか・・・。そんな私の疑問を沖倉本人に確認するすべはない。

沖倉和雄。享年66歳。この生真面目な殺人犯がガンで闘病中、見ず知らずの私にくれた取材お断りの手紙は、彼の遺筆として大切に保管している。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私の内なるタイとムエタイ〈11〉タイで三日坊主 Part.3 寺の環境に触れて

◆寺の堅苦しさは無くなり

ついにやって来たタムケーウ寺と藤川さんとの再会。お坊さんになったなら大人しく、真面目一辺倒の会話をするだろうという想定をいきなり裏切ってくれた藤川さん。大声で話し大声で笑ったバンコクのM&K食堂を経営していた頃と何も変わらないではないか。でもそれが堅苦しさをほぐす安心感を私に与えてくれるのでした。こんなんでもやっていけるのだと。藤川さんを通じて和尚さんにもお会いし、楽観的に捉えてしまう出家の道へ繋がりました。

トイレ、水周り掃除をする藤川さん
トイレ掃除する藤川さん
他の比丘も率先して清掃する者もいる

◆トイレ掃除は修行の一環

お喋りに付き合い、午後3時を回り、藤川さんは日課というトイレ掃除を始めました。洗濯洗剤と便器ブラシ、竹ぼうきを使って水浴びスペースとなるホンナーム(水の部屋=トイレとシャワー)を掃除。寺のクティにトイレは3箇所ほどあり、それを1時間ほど掛けて丁寧に掃除していきます。

トイレは外から入れるので、サンダル掃きで皆が利用します。常に泥汚れが溜まるトイレ。寺を訪れた俗人も使えるので一概に言えませんが、便器やその周辺はいつもタバコの吸殻が落ちており、仏門の世界でもモラルが欠落した寺の裏側が見られる場所でもあります。

藤川さんは寺に居る日で、立て続けに葬儀等が無い限りは毎日トイレ掃除をこなす様子。和尚さんや先輩比丘からそういう任務を命ぜられている訳ではなく、率先してやっているのでした。「毎日掃除しても翌日にはしっかり汚れとる。自分がやってきた若い頃のヤンチャな喧嘩や法律違反スレスレの建設営業、地上げ屋など人を騙したり脅したり、一日二日掃除しただけでは罪は消えんほどの悪行があったんや。お釈迦さんはそれをトイレの汚れで毎日教えてくださってはる、という思いで掃除するんや」と言う藤川さん。

そんな真面目な姿を見て、これが地上げ屋をやっていた人かと思うほど、変わりように驚くばかり、かつての不良や不動産屋仲間が見れば同じように思うことでしょう。トイレ掃除するのは藤川さんだけ。「他の奴は寝てるもんも居るし、勉強しとるもんも居る。皆、好き勝手に何かやっとるけど、これが誰も干渉せん寺の姿。修行は己でやるもんやから。これが葬儀やニーモン(比丘を招いて葬儀や結婚式、建築完成祝いなどでの寄進)が無い日はのんびりした一日や」という藤川さんの話しでした。

経文を覚える藤川さん

◆蚊避け線香!?

部屋に戻ると藤川さんのもうひとつの日課の一人読経が始まりました。今は本当の修行の身、日々お経を覚えているようで、仏陀の像の前で、その教科書となる経文を読みながらの読経を30分ほど続けた後、更に30分ほどの瞑想。

そうして夕方になると当然ながらイヤな蚊が出て来ます。生きものを殺すことが禁じられている戒律があるので、蚊は殺さないはずと思っていると、ここまで修行の顔を見せていた藤川さんは蚊取り線香を三つ出し、頭と尻尾にそれぞれ火を点け、部屋の隅々に置かれました。計6本点けたに等しい煙。やがて部屋中真っ白の煙だらけ。燃え尽きるまで3時間ほど掛かったかと思いますが、「蚊取り線香使っていいんですか?」と聞いても、「追い払ったんや、これで朝まで蚊は出て来えへん、蚊はこの部屋を避けて、しばらくすると左隣の部屋に集まってとなりの坊主が“パチン”と蚊を叩く音が聞こえるんや、時々嘆いとるわ、ワッハッハッハ!」と笑う藤川さん。この論点ずらしがオモロかった。

◆牛乳の力

比丘は午後食事をしてはならない戒律の下、藤川さんは当然何も食べていませんが、私には「寺の外に屋台があるけど、今日は食わんでもええやろ、牛乳でも飲んどき!」と言い、冷蔵庫から托鉢で寄進された紙パックの牛乳を出してくれました。
これが一本でも意外とお腹いっぱいになるもので、屋台に行く気も無くなり、「これは自分で空腹をごまかせるなあ」と何やら安心してしまう牛乳の力。贅沢な日々を送っているからデニーズなどでステーキやハンバーグ定食やパフェなど腹一杯食べたくなるもので、質素に暮らせば夜は小食で充分なような、藤川さんの勝手気ままな言い分に呑まれているのか、そんな気がしてしまうこの夜でした。

◆興味津々、覗き部屋!

ふと気が付けば、比丘の部屋には壁にところどころ穴が開いており、壁が劣化している訳ではなく、お互いが隣の部屋を覗けるようになっているのでした。つまり、一人で居ては隠れて何でも出来る。エロ本見ることもオナニーすることも、午後にお菓子を食べることも出来てしまう、それをさせない抑止力的覗き穴がところどころにあるのでした。

テレビや冷蔵庫を所有していても、修行の一環と認められれば必需品と拡大解釈されるものの、寺の外でも中でも至るところから厳しい目で見ているのが寺の日常であることが分かります。

その隣の部屋の穴から覗いたのがデックワット。すぐ藤川さんが「オイ、こっち来い」と呼び、こちらの部屋に来させたところ、この寺から小学校に通う男の子。親元を離れ、寺に居住しながら比丘の世話をすることで日々の生活費はタダ。日常生活に不自由はない寺でのデックワット生活の様子。しかし欲しいものが手に入るような贅沢はできないのは想像に難しくないところです。

夜も9時を過ぎ、朝も早いので寝る準備に入り、板の間に薄いタオルケットと古い黄衣の余りものを借り、硬い床の上で寝ることになります。こんな寝床はムエタイジムでも同じだったので苦痛ではありませんでした。ただ寝る前に、右隣の副住職の部屋からムエタイ中継が聞こえてきました。寺とはどういうところなのか。テレビは見れるし、蚊は殺せるし、牛乳は飲めるし、そんな自由奔放な寺の環境を見た一日。この日は安心しきって眠ってしまいましたが、節々に厳しさも垣間見れる寺であることもわかりました。

明日は、タイに居ながら身近で見ることが滅多に無かった托鉢に同行します。

デックワットを呼んで御挨拶

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

WBCムエタイ2大チャンピオンの健太とMOMOTARO、NJKFで今宵も共演!

テーパブット vs 健太。接近戦でやられる覚悟を持って激しく打ち合う健太
テーパブット vs 健太。バックハンドブローを打つ健太、プレッシャー与えるだけでも効果的

今年、NJKFで話題を振り撒いた健太とMOMOTAROの出場。WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン.健太(ESG)は4月から毎月の試合をこなして勝っても負けても立ち止まることなく戦ってきた健太。

WBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級チャンピオン.MOMOTARO(OGUNI)は今回は3回戦ヒジ打ち禁止のルールの試合に出場。11月23日のRISEのトーナメント(DEAD OR ALIVE TOURNAMENT)へ、出場を見据えてのものという。

◆健太 vs テーパブット

接近しては危険な雰囲気からタイミング見計らって第2ラウンドに健太が左フックのクリーンヒットでスリップ気味ながらダウンを奪った。健太は思いっ切り打つボディへの左右フックとローキックでテーパブットがどこかで崩れるかと思えたが、ムエタイ一流選手は簡単には崩れない蹴りで凌ぎきり、健太はダウン奪ったラウンドの差だけの判定勝利となりましたが、ダウンを奪って以降、主導権支配し続けた勝利でした。

健太 vs テーパブット。健太がダウンを奪った左フック、スリップ気味だが綺麗に入った
健太 vs テーパブット。ロープ際に詰めて、かわして打って出るベテランの健太

◆MOMOTARO vs 北薗翔大

ヒジ打ち禁止ルールに挑んだMOMOTAROはヒジ以外の技を多用し、1ラウンド半ばから様子見を終え、徐々にペースを上げていった。パンチを強めた攻めでフルマークとなった展開は新たな戦略へ繋がった様子。

MOMOTARO vs 北薗翔大。ハイキックをヒットさせるMOMOTARO、オールラウンドプレーヤーの真髄
北薗翔大 vs MOMOTARO。至近距離でも高く上がるMOMOTAROの柔軟なハイキック

◆YETI達朗 vs 門田哲博

昨年、白神武央(拳之会)に王座を奪われた雪辱を目指すYETI達朗が、ストレートパンチとミドルキックで圧力を強めると、首相撲からのヒザ蹴りも蹴り負けない展開で僅差ながら門田哲博を突き放す。

YETI達朗 vs 門田哲博。ここで負けられないYETI達朗が門田を突き放すハイキック
前田浩喜 vs 新人。互角の蹴り合いから圧力を掛けたのは新人

◆前田浩喜 vs 新人

チャンピオン同士の正攻法のミドルキック中心にベテランらしい攻防が見られた両者。ウェイト差が影響したか、圧力を強めた新人が的確さで優り判定勝利。

◆杉貴美子 vs SAHO

女子の試合にしては密度の濃い試合となり、SAHOのジャブが距離感を掴み、蹴りへ繋げていく。至近距離での打ち合いもSAHOが支配し、杉貴美子に挽回を許さず判定勝利。杉貴美子は初防衛成らず、SAHOが新チャンピオン。

杉貴美子 vs SAHO。杉貴美子の突進を阻んだSAHOの前蹴りがヒット

◎NJKF 2017.3rd / 2017年9月24日(日)後楽園ホール17:00~21:10
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ、NJKF

MOMOTARO vs 北薗翔大。組めば転ばし、何でもこなしたMOMOTARO
MOMOTARO vs 北薗翔大。相手のタイミングを合わせて繰り出すMOMOTAROのハイキック

◆メインイベント 67.0kg契約 5回戦

健太(E.S.G/67.0kg) vs テーパブット・シッオブン(元・BBTV・SFe級C/タイ/65.95kg)
勝者:健太 / 判定3-0 / 主審:山根正美
副審:神谷50-47. 西村50-48. 竹村49-47

◆57.5kg契約3回戦

MOMOTARO(OGUNI/57.5kg) vs 北薗翔大(K-LIFE/57.35kg)
勝者:MOMOTARO / 判定3-0 / 主審:多賀谷敏朗
副審:神谷30-27. 西村30-27. 山根30-27

◆WBCムエタイ日本スーパーウェルター級挑戦者決定戦 5回戦

NJKF同級チャンピオン.YETI達朗(キング/69.9kg)
vs
JKI同級チャンピオン.門田哲博(武勇会/69.45kg)
勝者:.YETI達朗 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:神谷30-29. 多賀谷30-29. 山根30-28

◆56.5kg契約3回戦

NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.前田浩喜(CORE/56.4kg)
vs
NJKFフェザー級チャンピオン.新人(=あらと/E.S.G/56.45kg)
勝者:新人 / 判定0-3 / 主審:西村洋
副審:竹村28-29. 多賀谷28-30. 山根28-29

◆NJKF女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級タイトルマッチ 3回戦

新チャンピオン、SAHOのマイクアピールで周囲への感謝を述べる

チャンピオン.杉貴美子(TenCloverGym世田谷/55.0kg)
vs
挑戦者同級2位.SAHO(闘神塾/54.95kg)
勝者:SAHO / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:竹村29-30. 多賀谷28-30. 西村28-30

◆54.0kg契約3回戦

NJKFバンタム級チャンピオン.玖村修平(K3B/54.0kg)
vs
コンバンノー・エスジム(タイ/54.0kg)
勝者:玖村修平 / KO 2R 2:07 / テンカウント
主審:山根正美

◆62.0kg契約3回戦

NJKFライト級チャンピオン. NAOKI(立川KBA/62.0kg)
vs
キヨソンセン・FLYSKYGYM(FLYSKY/61.95kg)
勝者:キヨソンセン / 判定0-3 / 主審:多賀谷敏朗
副審:山根28-30. 神谷28-30. 西村28-30

他、4試合は割愛します。

《取材戦記》

NJKF看板選手が引退や怪我で戦線離脱が目立つ中、4月以降、毎月の試合で存在感大きくなっているのが健太。過去にはダウンもあれば判定負けもある中、大きな怪我も無く続けられているのは生まれ持った頑丈な肉体で、より鍛えられた筋肉美を強調。強さだけでなく笑いも誘うパフォーマンスを起こし、今年2月には「KNOCK OUT」興行出場と、8月には中国でのクンルンファイト出場とビッグマッチ出場も充実させた試合間隔を保っています。長くNJKFの看板選手の一角を務め、30歳になったばかりでもまだまだ進化を続ける健太です。

MOMOTAROは2013年12月から2016年12月に掛けて14連勝し、3月のタイでの試合は判定負けだったものの、修行の成果を発揮し、6月にWBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級王座をKOで奪取。徐々にNJKFトップクラスに躍り出てきた注目の存在です。本名は小寺耕平で、同じOGUNIジム所属のWBCムエタイ・インターナショナル・フライ級チャンピオンのTOMONORI(佐藤友則)がMOMOTAROの名付け親となるようです。

他団体交流が盛んなNJKFは他団体興行出場も多く、MOMOTAROはこの日の北薗翔大に勝利時点で、11月23日に開催されるRISEトーナメントへ出場の正式決定はしていませんが出場を見据えての、今回のヒジ打ち禁止ルールでの試合でした。

「真の強者はルールを問わない」という信念で挑むMOMOTAROの今後の進化に期待が掛かります。

キックボクシングに於いて、ヒジ打ち有りと禁止では、単に有りか無しかではなく、その対戦相手との踏み込む距離感が違ってくると言われます。かつてムエタイルールに馴染んだ選手がヒジ打ち禁止ルールのイベントに出場して本来の力が発揮できなかった試合もありました。

ポスター、パンフレット用の正面向き表情を撮りたくても、毎度の健太筋肉パフォーマンス、いろいろなパターンがあります

本来のキックボクシング基本ルールに統一して欲しいと願うのは純粋なキックファンだけでなく、いろいろな団体に赴いて裁かねばならないレフェリーのようでもあります。打撃だけでなく、採点基準も違えばその都度、ルール確認とミーティングを行ない、今日はヒジ有り、明日はヒジ無しといった日が続くこともあるという厄介さ。と嘆いていても仕方なく、今あるイベントを盛り上げていくのが明日へ繋ぐ、今出来ることのキックボクシング界の現状のようです。

NJKF次回興行はプロ興行、関東エリアに関して、
10月22日(日)にPITジム主催「絆 Ⅸ」が埼玉・ふれあいキューブにて開催。
11月26日(日)に後楽園ホールにて「NJKF 2017.4th」が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

韓国〈民衆歌謡〉の「サム☆トゥッ☆ソリ」11月に京都、滋賀公演決定!

京都在住の読者の方から「サム(生)☆トゥッ(志)☆ソリ(歌)」公演のご案内を頂いた。チラシとDVDをお送りいただいたが、私は「サム☆トゥッ☆ソリ」の名前を目にするのも初めてだ。

韓国からやってくるグループなので、サムルノリを用いた楽団かなと、勝手に思い描きながらDVDを再生したら、全然違う。「サム☆トゥッ☆ソリ」は日本にはない「民衆歌謡」というジャンルの楽曲を奏で、歌うカルテットだ。「民衆歌謡」はチラシの説明によると、「韓国における音楽ジャンルの一つで韓国における民主化運動や労働運動、学生運動などの闘いの中から作られた歌」と解説されている。

◆ 日本にはない「民衆歌謡」

でも、肩に力が入っていて、背筋を伸ばして聴かないと、怒られるような堅苦しい雰囲気は微塵もない。昨年東京で行われた公演のダイジェスト映像からは、雰囲気としては日本の(このジャンルももう残っているのかどうか、不確かだが)「フォークソング」のコンサートを思わせる、ゆったりしながら、喜怒哀楽を歌う雰囲気が伝わってくる。

「サム☆トゥッ☆ソリ」が歌うのは、恋愛や演歌ではない。日本にはない「民衆歌謡」とは、民主化運動や、光州事件、学生運動などの中から生まれてきた闘争のうたの数々だ。そう考えればなぜ、いまこの国に「民衆歌謡」がないのかが、逆に理解させられる。運動の中から出てきた歌を、それほど政治に深いかかわりを持たない人びとでも、なんとなく耳にして知っている、そんな歌が韓国にはいくつもある。

もう20年近く前になるが、韓国人留学生たちと時々カラオケに遊びに行った。「この歌はね、光州事件の時にできた民衆の歌の歌なんですよ」、「これはね。虐殺されたデモに参加していた学生を追悼する歌です」と教えてもらった。いったいどどれくらいの「民衆歌謡」が現在もカラオケに収められているのか、最近の事情には疎いけれども、どうして韓国の「労働歌」や「学生運動」から生まれた歌はあるのに、この国の歌はないのだ、と驚くとともに少し不快になった記憶がある。国際的に歌われてきた「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」の日本語版も見当たらない。楽曲一覧が載った分厚い冊子の後ろの方で、結構なページ数を占めるハングルの楽曲の中には「民衆歌謡」のメロディーが収められている。おかしいなと思った。

でも、この国で生まれ、この国に根付いた「労働歌」や「学生運動」の歌がそもそもあるのかどうかという、至極基本的な問答にすぐ突き当たった(もちろん運動展開の方法や文化背景の違いも無視はできないが)。それ以前に、いま(20年前にしても)「労働運動」や「学生運動」が「ある」といえるのかどうか。私が目にした光景だけからいえば、20年前、この国に「労働運動」や「学生運動」は皆無ではなかった。しかしそれはすでに圧倒的な劣勢だった。いまや法政大学や同志社大学を先頭に、かつて学生運動の一大拠点だった大学は、学内での集会やビラ配りを理由に学生を逮捕したり(法政大学)、大学敷地内に交番を設置し、学長が「戦争法」に賛成したり(同志社大学)、わずか半日のバリケードストライキを行った学生を退学処分としたり(京都大学)、この国の大学に「大学自治」などはもう実質、死滅している。

◆ この国のマスメディアはなぜ、お隣韓国の運動の姿を報道しないのか?

他方、韓国の大学を訪問した際、ある大学では「無期限バリケードストライキ」の最中だった。キャンパスの入り口に結構おしゃれな学生が見張りとして立っていて、最低限数の職員しか学内に入れない。私は通訳を兼ねて同行してくれた友人が、その筋では結構名前が通っていたらしく、「バリスト」を学生たちに笑顔で迎えてもらった。面会した職員の方は「何分こういう状態でして。お迎えするのにお恥ずかしいです」と言われたので「何をおっしゃっているんですか。学生が生き生きしている証拠です。韓国も国立大学の大学法人化など、日本の愚策同様の新自由主義政策を大学にも導入しようとされていますが、それは大いなる間違いです」と話したら、この日本人なにをいっているんだ、という呆れた表情が彼の目に明らかに浮かんだことが思い出される。

近いところでは朴槿恵を倒した民衆のデモは多い時にはソウルだけで100万人に達し、少子高齢化、格差の拡大などこの国同様の問題を抱えながらも韓国の労働運動はいまだ健在である。そういった姿がこの国のマスメディアで国民の目に触れることはほとんどない。中東やアラブ、欧州のデモは報道しても、お隣韓国の運動の姿をマスメディアは無視する。なぜか。

この国の政権やマスメディアは、韓国国民が決起している姿をこの国の人びとには見せたくないのだ。奴らはこの国の人びとが韓国の運動に影響されたら、学ばれたら困るのだ。

◆ 本コンサートチケットを5名の方にプレゼントします!

でも、見なくても聞けばわかる。11月16日(木)京都テルサホール、11月18日(土)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで「サム☆トゥッ☆ソリ」のコンサートが行われる。料金は前売りが一般3,500円、学生・障がい者2,000円(当日は500円増)だ。お問い合わせは「サム・トゥッ・ソリの会」高田さん(Tel.090-4763-0751)もしくは京都音楽センター(Tel.075-822-3437)へ。

尚、デジタル鹿砦社通信読者5名の方に本コンサートのチケットをプレゼントします。チケットご希望の方は下記の田所のメールアドレスに、住所、氏名、年齢、電話番号を明記の上、お申し込みください。
tadokoro_toshio@yahoo.co.jp

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

『帝国の慰安婦』裁判をめぐる中沢けいと田中明彦の結託と日米軍事同盟強化

◆中沢けいの刑事告訴つぶし 『帝国の慰安婦』裁判

中沢けい(鹿砦社『人権と暴力の深層』より)

中沢けいといえばその文章が国語の教科書に掲載されている著名な作家だ。代表作として『楽隊のうさぎ』などがある。同時にのりこえネット共同代表をつとめ、リンチ事件被害者のM君が刑事告訴することを防ごうとしてきたリンチ事件隠ぺいの主犯のひとりだ。この経緯は鹿砦社刊『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の深層』に詳しい。

中沢けいのリンチ事件に対する対応はそれ自体驚愕するものだが、ここでは別の刑事告訴つぶしについて言及したい。「日本軍と同志的関係にもあった」などの表現が従軍慰安婦被害者の名誉を棄損したとされ、在宅起訴された『帝国の慰安婦』著者である朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)を擁護する声明(朴裕河氏の起訴に対する抗議声明)についてだ。中沢けいの他に大江健三郎や津島佑子、海外からもノーム・チョムスキー等そうそうたる学者・作家が署名している。

声明文にはこうある。

「それ(筆者註:検察庁の起訴文)は朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、 予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています」

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版2014年11月)

中沢はこの著作をこう評価している。

「軍に代表される公権力によって拉致され性的奉仕を強制された多くの被害者の声に耳を傾けようとする姿勢のかげには、単純な戦時下の人権侵害とする見方よりも、植民地主義、帝国主義にまで視野を広らえる鋭さが隠れている。それは戦時下の人権侵害的犯罪というとらえ方よりも厳しい問いを含んでいると言わなければならない。朴裕河は過去を美化し肯定しようとする歴史修正主義者の視点とは正反対のまなざし慰安婦被害者に注いでいるのだ」

しかし、このような評価は正しいのだろうか。鄭栄桓明治学院大学准教授の『忘却のための「和解」』(世織書房)によれば、『帝国の慰安婦』には極めて恣意的な引用が目立つのだという。一例をあげる。

「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だか “わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない”という従軍慰安婦の証言にたいし、朴裕河は日本語版『帝国の慰安婦』のなかで自分の身に降りかかった苦痛を作った相手を糾弾するのではなく、『運命』という言葉で許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは、彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる」(92-93頁)と書いている。

鄭栄桓『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房2016年4月)

しかし、この従軍慰安婦の証言には続きがあり、最後にこう述べていたのだ。

「アイグ、日本の軍人のことを考える本当に恨めしい。恨めしいのは恨めしいけど、あの軍人たちもみんな死んだはずだよ」

さらに鄭栄桓氏によれば、この被害者は米下院議長宛てに公開書簡を送った6人のうちの1人だったそうだ。その公開書簡には「私たちは戦争が終わった後も私たちが被った残酷なことについて語ることができず、ほとんどの全人生を傷と恨を抱いて暮らしてきました」とある。

いかに恣意的な引用であったかがわかるが、他にも『帝国の慰安婦』には大量の誤った引用や歴史認識が見受けられる。それほど分厚い本でもないので、ぜひ『忘却のための「和解」』をご購読いただきたい。

上記のことを踏まえると、ヘイトスピーチ規制を推進しながら、従軍慰安婦の被害者たちの訴えに「名誉が傷ついたとは思えず」と賛同した基準はなんなのかと中沢けいに聞いてみたくなる。中沢は『人権と暴力の深層』のインタビューでヘイトスピーチ対策法に関し「出来たものをうまく運用して、社会的に役に立つものになりましたよ、っていうのがジャーナリストや報道の仕事でしょ」と他人に運用に関して丸投げにしているが、中沢の基準が曖昧なのにどうやって適正に運用できるのか。

◆田中明彦ら軍拡目指す安保法制推進学者の不気味な賛同

中沢けいの他の署名者を見てみよう。高橋源一郎や島田雅彦、星野智幸、いわゆるSEALDs・しばき隊と親和的な関係にある作家以外にも元東京大学教授田中明彦が入っている。   

ジョセフ・S.ナイ ジュニア、デイヴィッド・A. ウェルチ『国際紛争 ─ 理論と歴史 原書第10版』(翻訳=田中明彦、村田晃嗣/有斐閣2017年4月)

田中明彦は日本の大学で国際政治学を学んだ人物であれば必ず名前を知っている著名な国際政治学者だ。集団的自衛権行使容認を含む憲法解釈変更を提唱した「安保法制懇」(安倍首相の私的顧問機関)のメンバーで、安保法制推進の理論的リーダーでもある。また彼の訳出したジョゼフ・ナイ=デイヴィッド・ウェルチの『国際紛争』はアメリカの大学で広く用いられている教科書であり、日本の大学でも使用されているほど影響力がある。ジョゼフ・ナイは「ソフトパワー」という概念を広めた他、日本の橋本龍太郎内閣時にクリントン政権の国防次官補として日米安保再定義にも関与した実務家でもあり、「知日派」として影響力があるとされている。

田中もナイも日本の集団的自衛権行使容認を昔から提唱しており、イラク戦争支持者であったことも共通している。

日本の外交政策に大きな影響力を与えているとされ、山本太郎議員が国会で取り上げた第3次ジョゼフ・ナイ=アーミテージレポート(IWJ仮訳)を引用する。

日米同盟、ならびにこの地域の安定と繁栄のために極めて重要なのは、日米韓関係の強化である。この3国のアジアにおける民主主義同盟は、価値観と戦略上の利害を共有するものである。(中略)米国政府は、慎重な取扱いを要する歴史問題について判断を下す立場にないが、緊張を緩和し、再び同盟国の注意を国家の安全保障上の利害、および将来に向けさせるべく、十分に外交的な努力を払わなければならない。同盟国がその潜在能力を十分に発揮するためには、日本が、韓国との関係を悪化させ続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。米国はこのような問題に関する感情と内政の複雑な力学について理解しているが、個人賠償を求める訴訟について審理することを認める最近の韓国の大法院(最高裁)の判決、あるいは米国地方公務員に対して慰安婦の記念碑を建立しないよう働きかける日本政府のロビー活動のような政治的な動きは、感情を刺激するばかりで、日韓の指導者や国民が共有し、行動の基準としなければならないより大きな戦略的優先事項に目が向かなくなるだけである。(中略)直近では、金正恩の長距離ミサイル実験および軍部との権力闘争は、北東アジアから平和を奪うものである。同盟国は、根深い歴史的不和を蒸し返し、国家主義的な心情を内政目的に利用しようという誘惑に負けてはならない。3国は、別途非公式の場での活動を通じて、歴史問題に取り組むべきである。現在そのような場がいくつか存在するが、参加国は、歴史問題についての共通の規範、原則、および対話に関する合意文書に積極的に取り組むべきである

このレポートを読めば田中明彦がなぜ朴裕河の起訴に反対したのかが、明確になってくる。『帝国の慰安婦』にみられる記述が外交関係の「改善」、ひいては日韓の軍事同盟強化に資するとみているからだ。

実際、朴裕河自身も『帝国の慰安婦』の日本語版あとがきで「この2年、日韓は一種のコミュニケーション不全に陥り、相手に対する諦めと不満を募らせてきました。幸い2014年春、日韓の局長級協議が始まり、9月末現在、首脳会談成立への兆しも見えています。この動きは望ましいもの」と日韓政府の「歩み寄り」に肯定的だ。

◆日本の侵略・植民地支配責任

イラク戦争を支持し、安保法制を推進した中心人物と同じ声明に賛同していることになんらの違和感を感じないらしいのがSEALDs・しばき隊シンパの学者・作家なのだ。今回小池=前原のコンビによる政界再編により「リベラル」派の困惑は頂点に達しているが、そもそもなし崩し的に堤防を決壊させるようなことをしてきたのは彼らである。今更困惑されてもどうしようもない。このリベラルの崩壊は長年にわたって積み重ねられてきた右傾化の結果でしかない。これ以上の決壊を防ぐには地道に日本の侵略・植民地支配の責任を明らかにして法的に賠償していくことしかないだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

鹿砦社は、大学院生リンチ事件加害者側当事者・李信恵氏を提訴したことをご報告いたします。 株式会社鹿砦社代表取締役 松岡利康

既に9月12日の本通信で予告しましたように当社は9月28日、大学院生リンチ事件加害者側当事者で、この夏連続して当社とこの代表・松岡に対し誹謗中傷、侮辱、名誉毀損発言を行った李信恵氏を「被告」として大阪地裁に損害賠償300万円と謝罪広告等を求め提訴いたしました(第13民事部。平成29年ワ第9470号)。ようやく訴状が李信恵氏本人に送達されましたのでここにご報告させていただきます。これに先立つ本通信8月2日、同30日、9月12日号をも併せてご参考にしてください。
以下、訴状に沿って概略をご説明いたします。

◆ 被告・李信恵氏による名誉毀損行為

被告・李信恵氏(以下、李被告とする)はマスメディアを中心に受けている社会的評価からはおよそ想像できない攻撃的姿勢を示し、以下の通り自身のツイッターで原告に対し悪意をもって誹謗中傷、侮辱、名誉毀損に該当する発信を繰り返した。

1 2017年(平成29年)7月27日、李被告は、自身のツイッターアカウント上において「鹿砦社はクソですね。」と発言した。
 同発言は原告・鹿砦社(以下、原告とする)のみならず従業員や取引先、ライターに対する侮辱、誹謗中傷、名誉毀損に繋がるもので、その影響も大きく無視できないと判断せざるを得ないものであった。原告は李被告を諌め、それ以上の行為に及ばないことを期待し、原告が運営するホームページ上の同年2017年8月2日付け「デジタル鹿砦社通信」にて、反論記事を掲載した。
 ところが李被告は、その後も自身のツイッターアカウントにおいて、侮辱、誹謗中傷、名誉毀損発信を継続した。

2 同年8月17日、被告は「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」と発言した。

3 同年8月23日、被告は「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」と発言した。

4 同日、「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」と発言した。

5 同日、被告は、「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないなあ。あんなクソに、(以下略)」と発言した。

6 同日、被告は、「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」と発言した。

7 同月24日、被告は、「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」と発言した。

8 同日、被告は、「鹿砦社って、ほんまよくわかんないけど。社長は元中核派?革マルは?どっち?(中略)クソの代理戦争する気もないし。」と発言した。

◆ 李被告の行為が有する意味とこれに対する原告の対応

李被告の発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない品性を欠く表現であることは一般常識である。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人間の支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、原告に対する強い悪意をもってなされたものであることが明瞭である。しかも、「反差別」運動において一定の社会的評価を得ている李被告がかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、原告に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ない。

やむなく原告は、同月25日、被告に「警告書」を送付し、とりわけ、当社、および当社の関係者がいつどのような「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」を行なったのか、具体的に事例を摘示し証明するよう、また、被告が主張するところの「鹿砦社ってほんまクソやなあ」とか「クソ鹿砦社」と表現される根拠を証明するよう求めた。

しかしながら、李被告からは代理人の神原元弁護士を通して「『名誉毀損』には該当しない」との形式的で内容の伴わない回答があったのみで、原告が求めた説明に対する回答はなかった。

原告や原告関係者が、李被告に対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行なった事実などないし、また原告の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも被告の一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものと言わざるをえず、原告に対する名誉毀損の程度は甚だしい。

なお、原告代表者が現在から40年以上も前である学生時代に一時ノンセクトの学生運動(主に学費値上げ反対運動であった。原告代表者は母子家庭で育ったこともあり、学費値上げが学生や父兄、学費支弁者に課す負担増加に怒り運動に関わっていったが、被告が言うように「中核派」や「革マル派」は勿論のこと、一切のセクトに所属したことはない。)に関わったことを針小棒大にあげつらい、あたかも「中核派」か「革マル派」に所属していたかのように発言しているが、それは両派の血で血を洗う内ゲバ・殺人の歴史を顧みれば、原告鹿砦社代表者の松岡、ひいては同人が代表を務める原告会社に対する明確な名誉毀損である。

――――――――――――――――――――――――――――

第1回弁論は11月9日午後1時30分からです。多くの皆様方の傍聴をお願いするものです。

8月2日の「デジタル鹿砦社通信」の記事を読んで「クソ」発言をやめたら、また「警告書」を受け取って真摯に対応したら、わざわざカネと労力を費やして裁判沙汰にするまでもありませんでした。いやしくも私たちは出版社なので言論で勝負することをモットーとしていることで、私たちから訴訟を起こすことは、よほどのことでない限り、これまでめったにありませんでした。今回の件について、「この程度で訴訟かいな」という声もあるようですが、歳を重ね丸くなったとはいえ、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」と再三再四誹謗中傷され安穏としておれるほど私もお人好しではありません。今回私は特段の名誉毀損と感じ、取引先(大から小まで月に50社[者]以上の支払いがあります)らへの悪影響を懸念し提訴に及んだ次第です。

また、訴状が裁判所から送達されたことについて李被告は自身のツイッターで、本名と通名の併記で送達されたことに対し不快感を示し文句を言っています。リンチ事件の際の検察の書面もそうなっていて、本件訴訟でもそれに倣ったのですが、先のリンチ事件の民事訴訟でも本件同様(エル金や凡も)本名と通名の併記になっています。李被告とつながる「しばき隊」の人たちが「レイシスト」認定した一般市民の本名や住所等を暴露した「はすみリスト」とは違い、私たちから「家族を危険にさらす」(李被告のツイッター)ようなことはしませんし、いたずらに本名や住所を公にすることはしません(李被告に、「はすみリスト」で名前や住所等を暴露された人たちがどれほど「危険にさら」されたことをどう思うか聞きたいところです)。

リンチ事件の訴状送付の時は何も言わなくて、今になって文句を言うのはどういう理由でしょうか? 李被告の場合、夫が日本人だということですので、「夫の姓を私の日本名にしました」と李被告みずから言うように、そう役所に届け、おそらく検察の書面でも住民票を確認し、その名と「李」の名を併記しているのでしょう。本件訴訟でも、検察の書面同様、この国の裁判の法律に従ったまでであり、悪意があってのことではありません。それがなにかしら「家族を危険にさらす」ことに繋がるわけがありません。

さらに、連日「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」呼ばわりされて私(たち)は不愉快極まりありませんが、李信恵サン、あなたが「李信恵はクソ」「クソ李信恵」と一度ならず再三再四言われたらどう感じますか? 嫌でしょう? あなたが嫌だと思うことは他人も嫌なのですよ。

悪意を持って他人が嫌がることをするような人に「反差別」だとか「人権」だとか言う資格はありません。「差別」に反対し「人権」を守る闘いは、崇高なことだというのは言うまでもありません。そして、この先頭に立つ人の言葉は人一倍美しく、それを読む人を勇気づけるものと思ってきましたが、この1年半余り、李被告の発言をつぶさに見て来て、大いに疑問を抱くようになりました。汚い言葉(「クソ」という日本語は決して美しい言葉ではありません)は「差別」に反対し「人権」を守る人が使うべきではありません。言葉は、人格や人間性を表わします。私の言っていることはおかしいですか?

《関連記事》
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵氏による「鹿砦社はクソ」発言を糾す!(2017年8月2日松岡利康)
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵被告による、鹿砦社に対する悪質な誹謗中傷、名誉毀損発言について「警告書」を送付しました(2017年8月30日松岡利康)
◎ 鹿砦社からの「警告書」に対し、李信恵代理人・神原元弁護士から〝回答にならない回答〟届く。誠意のない回答にわれわれの方針はただ一つ! 鹿砦社特別取材班(2017年9月12日鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

《殺人事件秘話01》和歌山カレー事件 弁護人に叱責された「疑惑の被害者」

弁護人「そんな何べんも何べんも、おかしい女と一緒におってよ、そのたびに疑いもせんと同じような被害に遭うかい!」

証人「…………」

これは2003年12月17日に大阪高裁で行われた、ある刑事裁判の一場面を証人尋問調書に基づいて再現したものだ。この裁判の被告人は林眞須美、当時42歳。和歌山カレー事件と呼ばれる毒物殺傷事件で殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2002年に第一審・和歌山地裁で死刑判決を受け、大阪高裁に控訴していた。捜査段階にメディアから「毒婦」とか「平成の毒婦」と呼ばれていたのをご記憶の方も多いだろう。

しかし、そんな眞須美の裁判で、弁護人がこのように証人を叱責するような証人尋問を行っていた事実を知る人はほとんどいないはずだ。メディアで報じられていないからである。

この証人は、眞須美にヒ素で殺されかけた「被害者」とされている男だが、刑事裁判の証人尋問で弁護人が被害者という立場の証人を叱責するというのは異例だ。一体なぜ、こんな事態になったのか。

それを説明するには、まず事件の経緯を簡単に振り返っておく必要がある。

眞須美が暮らしていた家は今は空き地に

◆保険金詐欺の疑惑によりカレー事件も犯人と思い込まれたが……

事件発生は1998年7月25日のことだった。和歌山市郊外の園部という町で地元の自治会が開催した夏祭りのカレーに何者かが猛毒のヒ素を混入し、67人が急性ヒ素中毒にり患、うち4人が死亡した。そんな大事件で今も語り草なのが、眞須美と夫の健治に対してメディアが大々的に繰り広げた犯人視報道だ。

当時、眞須美は37歳で、夫の健治は53歳。2人は現場近くの大きな家で4人の子どもたちと一緒に暮らしていたが、働いている様子もないのにゼイタクな暮らしぶりだったため、当初からメディアに注目されていた。そんな2人がカレー事件に関与した疑いを盛んに報じられるようになったのは、事件が起きて1カ月が過ぎたころからだ。きっかけは、夫婦が事件前、知人男性らに保険をかけたうえ、ヒ素を飲ませて負傷させ、保険金詐欺を繰り返していたという疑惑が浮上したことだった。

というのも、カレー事件が起こる以前、林夫婦の家に出入りしていた知人男性らが病院への入院を繰り返しており、その中には入院時、ヒ素中毒に酷似した症状に陥っている者もいた。しかも、この知人男性らには多額の保険がかけられており、入院の際に支払われた保険金の多くは林夫婦のもとに渡っていた。加えて、眞須美は元保険外交員で保険には詳しく、健治も過去に営んでいたシロアリ駆除の仕事でヒ素を使っていた。林夫婦には、疑われるだけの要素が十分すぎるほど揃っていたのである。

やがて捜査が進む中、健治もカレー事件以前、ヒ素中毒とみられる症状で何度も入院していたことが判明する。これに伴い、保険金詐欺の主犯は眞須美であり、眞須美は共犯者である夫の健治にまで保険金目的でヒ素を飲ませていたという疑惑が報道されるようになった。

そんな日々の中、眞須美が自宅を取り囲んだ報道陣に対し、庭からホースで水をかける「事件」も発生。その映像がテレビで連日、繰り返し放送されたことも「林眞須美=毒婦」というイメージを決定づけた。こうして確たる証拠もないまま、眞須美はいつしか和歌山カレー事件の犯人だと全国の人々に思い込まれる存在となったのだ。

ところが――。

いざ裁判が始まってみると、眞須美とカレー事件を結びつける証拠は思いのほか、ぜい弱だった。加えて、眞須美がカレー事件の犯人ではないかと疑われるきっかけになった別件の疑惑、すなわち「夫や知人男性に保険金目的でヒ素を飲ませていた」という疑惑についても信ぴょう性に疑問を投げかけるような事実が次々示されたのだ。

◆「被害者」が被害者であることを否定

たとえば、健治は眞須美の裁判で、「ヒ素は保険金を騙し取るため、自分で飲んでいた。自分と眞須美は保険金詐欺では純粋な共犯関係にあった」と証言した。被害者であるはずの人物が自ら被害者であることを否定したわけだ。

また、眞須美は他の「被害者」の男たちについても「被害者ではなく、一緒に保険金詐欺をしていた共犯者だった」と主張したが、裁判で明らかになった事実関係は眞須美の主張を裏づけていた。他の「被害者」とされる男たちは病院への入院を繰り返しながら、入院中に無断外泊して林家で麻雀に講じたり、飲みに出かけたりと楽しそうな入院生活を送っていたのである。

その1人が、弁護人に叱責された証人の男だった。

ここでは、この男の名は仮にIとしておこう。Iは冒頭の公判に出廷した当時42歳。父や妹夫婦が警察官という警察一家の長男だが、カレー事件が起きた頃は働きもせずに林家に入り浸り、居候状態だった。取り調べや裁判では、「眞須美につくってもらった牛丼やうどんを食べたら、気持ち悪くなって嘔吐し、病院に入院した」などと供述していたが、実際には楽しそうな入院生活を送っていたというのはすでに述べた通りだ。健治によると、「Iは私の真似をして、保険金を騙し取るために自分でヒ素を飲んでいたんです」とのことである。

そんなIに関しては、他にも裁判で様々な怪しげな事実が裁判で明らかになった。たとえば、Iは捜査段階に数カ月に渡り、和歌山県の山間部にある警察官官舎で警察官たちと寝食を共にしながら取り調べを受けていた。さらに眞須美が起訴され、和歌山地裁の第1審で死刑判決を受けるまでの期間は高野山の寺で「僧侶」として働くという不可解な行動をとっていた。要するに警察や検察が眞須美をカレー事件で有罪に追い込むため、本当は保険金詐欺の共犯者であるIを管理下に置き、「被害者」に仕立て上げた疑惑が浮上したわけだ。

検察側の主張によると、Iはカレー事件以前、眞須美に殺意をもってヒ素を4回、睡眠薬を10回、食べ物に混ぜて飲ませられ、その都度、ヒ素中毒に陥ったり、バイクを居眠り運転して事故を起こしていたとされた。結果、裁判では、眞須美にヒ素を1回、睡眠薬を4回飲まされた事実があったとされたが、このこと自体が不自然だと鋭い人なら気づくだろう。

Iがそんなに何度も危険な目に遭いながら、眞須美に提供される食べ物を食べ続けたというのは、常識的にはありえないからだ。

Iが警察官と共に寝食を共にしていた警察官官舎

◆「疑惑の被害者」が弁護人に叱責された事情

Iは、眞須美の裁判で検察の主張に沿う証言を色々しているが、その証言内容も総じて不自然だった。中でも、とりわけ不自然だったのが次のような証言だ。

「私が林家で健治と一緒にいた時、健治は眞須美につくってもらった“くず湯”を食べて苦しみだしたのです。健治はこの時、『また何か入れたな』と言っていました」

こうしたIの証言もあり、裁判では、眞須美は健治に保険金目的でヒ素を飲ませていたと認定されたている。しかし、Iがこのような場面に立ち会っていたにも関わらず、自分自身は眞須美の食べ物を食べ続け、何度も死にかけたというのはいくら何でも変だろう。

弁護人が「疑惑の被害者」を叱責した大阪高裁

そこで弁護人はIを次のように追及している。

弁護人「あなたは当時、健治さんがそんなこと(=また何か入れたな)を言っていたとは、誰にも話していませんね」

「別に話すこともないと思うし」

弁護人「あなたはその後、眞須美さんに対し、警戒心を持たなかったのですか」

「警戒心というところまでは……」

弁護人「ただ、目の前で死ぬような苦しみをしている男が、女房に何か盛られたんじゃないかということを言っていたんでしょう。その女に対し、何か今までとは違う感じを持たなかったの?」

「多少はあったと……」

Iはこのように曖昧な答えを繰り返し、ごまかそうとした。それに弁護人がいら立ち、冒頭のように叱責したわけだ。これに対し、Iが何も言い返せずに沈黙したことは、健治や眞須美が主張するようにIが被害者ではなく、「保険金詐欺の共犯者」だったことを裏づけている。

それでもなお、この事件の裁判官たちは結局、Iが林夫婦に経済的に依拠していたことなどを根拠に「都合のいいように一方的に使われていた面が強い」(1審判決)などと述べ、Iのことを眞須美にヒ素を飲まされていた「被害者」だと認定した。そして眞須美は2009年に最高裁で死刑が確定したのだが、あまりに無理がある裁判だったというほかない。

眞須美は死刑確定後も無実を訴え続け、現在も裁判のやり直し(再審)を求めている。そんな執念が報われたのか、近年は世間でも眞須美について、冤罪の疑いを指摘する声が増えてきた。しかし、それはもっぱらカレー事件に関することで、夫や知人男性らに保険金目的でヒ素を飲ませていた疑惑については、冤罪を疑う声はまだ少ない。

ここで紹介したような裁判の実相がまだほとんど報道されておらず、世間に知られていないためだろう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

映画『被ばく牛と生きる』── 原発、資本主義、そして「命」を再考する

政界再編に混乱、一喜一憂の声はあがる。ただし、わたしたちは学んでいる。安倍と小池は結びつていることを知っている。むしろ、「本当の」政策や思想の傾向が白日の下に晒された。やれることを1人ひとりがやるだけだ。

わたしは、この動きが始まる9月27日よりも前の週末に松原保監督ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』を観ており、これを書いているのは27日よりも後のことだ。希望の党の「原発ゼロ」を疑い、むしろ自民と希望で改憲が容易になることをおそれなければならないだろう。

さて、個人的に福島第一原発関連のドキュメンタリー、劇映画を20本くらい観ている気がする(数えていないのでそこまで多くはないかもしれないが)。もちろん、鹿砦社が『NO NUKES voice』を発刊し続けるように、映画もまた作られ続けているのだ。

映画『被ばく牛と生きる』より 「希望の牧場」の吉沢正巳さん © 2017 Power-I, Inc.

◆「経済的な価値が豊かさなのか」という監督の問い

2011年3月11日の福島第一原発の事故を受け、同年5月12日に「原発から半径20km圏内において生存している家畜が、当該家畜の所有者の同意を得て、苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分されること」が原子力災害対策本部長である首相からの指示を受けた福島県知事より同県内の居住者に対して周知するよう指示され、12年4月5日に「生存している家畜及びその子孫(以下「対象家畜」という。)が捕獲され、その所有者が特定できない場合、その所有者が正当な理由なく一定期間内に対象家畜の引渡しを受けない場合その他対象か地区を処分する必要がある場合は、苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分されること」などが同様に指示された。

20km圏内は11年4月22日に「警戒区域」とされた場所で、この地域の牛は11年3月11日には約3,500頭のうち1,700頭が死亡、1,800頭が「放れ牛」となったという予測が立てられていた。本作は、それでも牛を生かし続けることを決意した畜産農家の人々を5年間にわたって記録したものだ。

残された牛たちを集めて莫大なえさ代の負担や死体の処理までを覚悟する人、それを、寄付を通じて応援する人々、居住制限地域で暮らしながら牛の命を守る人、1日おきに60km離れた避難先の二本松市から通い続ける人、科学的な研究調査に取り組む人などが現れた。ただし、12年4月の発表では安楽死処分が839頭、捕獲が731頭となっている(いずれかの数値は正確でないかもしれない)。

監督は、「経済的な価値が豊かさなのか、それが幸福を生むのか」という疑問を投げかける。また、「反原発や動物愛護を声高に叫ぶのでなく、傾聴するドキュメンタリーとなった」とも語っているのだ。そして、命の尊さを主張し、牛を殺さずに研究対象として生かし、その研究の価値を認めて関係者に国家が予算を割くべきだと考えている。

◆「殺処分は証拠隠滅」という吉沢さんの叫び

原発関連で畜産農家や動物を描いた映画作品を、ほかにも何本か観た気がする。印象的だったのは、牛だけでなくダチョウ・猫・犬と人を描くことで人と大地の絆を描いたジル・ローラン監督ドキュメンタリー『残されし大地』、酪農家を描いた園子温監督劇映画『希望の国』などだろうか。

本作は、まず、わかりやすいナレーションの入り方などがテレビドキュメンタリー風だと感じながら観ていた。すると、松原監督はテレビ番組などを多く手がけてきた方だった。ナレーションは竹下景子さんだ。

心に残っているのは、「若い頃、政治活動をしたことがある」とナレーションで説明された吉沢正巳さんと、重大な決断をせざるをえないところまで追いこまれた柴開一さん。

吉沢さんは、300頭以上の牛を生かし続け、牧場名を「希望の牧場」に変更している。「希望の党」誕生に憤っている1人かもしれない。牧場の経営者は兄であり、代表(牧場長)ではあっても土地や牛に対する賠償金を受け取ることもできない。

渋谷のスクランブル交差点付近をはじめ全国を「決死救命を! 団結!」「原発爆発」などのメッセージ(プラカード)を掲げた宣伝カーでまわり、「被ばく牛の殺処分は、被災者に対する棄民政策」「浪江町では2度と米が作れない。償いを求めて闘いたいと思う。津波で爆発する原発のせいで、あそこはチェルノブイリになってしまった。わたしたちの無念をわかってください。原発なくてもやっていける。日本の安全について、みんなで考えよう」「牛は被曝の生きた『証人』。餓死・殺処分の目にあったたくさんの牛、街を追い出された人々のこと、命を見捨てた無念を、東京のみなさんにわかってほしい」と繰り返す。

そして、「殺処分は証拠隠滅」「仮設住宅でくたばった人、棄民だろ!」という。埼玉県に避難した鵜沼久江さんは、「吉沢さんに助けていただけなかったら殺処分されていた。できれば埼玉で、自分で育てたいが、それができないから悔しいね」とつぶやく。

映画『被ばく牛と生きる』より © 2017 Power-I, Inc.

その後、牛に斑点が現れる。この牛を経産省前テントひろばで見かけたことがあるような気もするが、記憶が定かでない。

映画『被ばく牛と生きる』より © 2017 Power-I, Inc.

そういえば、わたしが3.11の1年後に向けて二本松市に拠点を移した大堀相馬焼協同組合を取材した際には、「どこの媒体に真実を話しても書いてもらえない、書けるか」と繰り返しいわれ、わたしも意地になって憤りのメッセージを細かく拾い上げたということがあったのを想起した。また、3.11直後の被災地ボランティアでは、原発の影響の規模(範囲)がわからず、現場に入ってしまえばなし崩し的にかなりの無茶をする人はいたし、金が入れば問題も囁かれた。そんなことも改めて思い出した。

◆では、わたしたちは、どのような選択をし、行動をとるのか

故郷を奪われ、あたりまえにあった生活を奪われる。3.11前には2度と戻らない。その悲痛な叫びを少しずつでも理解したい。そのような気持ちがある。事実をより明確にし、国家や企業の責任を認めて十分に対応し、命と研究のことを真剣に検討し、汚染土壌を詰めたフレコンバッグの処理や廃炉の問題に対しても現実的に対処していかなければ未来はない。わたしたちは、情報や知識を収集し、よく見極め、今日も1歩1歩進まなければならないだろう(疲れたら休みながら、助け合いながら)。

ところで本作の話題に戻ると、わたしだったら、たとえば吉沢さんと柴さんの日常もできるだけとらえ、この2人(家族)に絞り込んで取材したいと考えそうだ。今度、監督にインタビューが可能になるかもしれないので、広く多くの方をカメラにおさめたこと、反原発以上に伝えたかったことなどについて、深くたずねてみたい。


『被ばく牛と生きる Nuclear Cattle』オフィシャルサイト(2017年10月28日より東京・ポレポレ東中野にてロードショー)
 
▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター、労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。
◎『neoneo』での著者記事
音楽で人を包む、尾道の『スーパーローカルヒーロー』
「いのちを肯定する」というメッセージを届けたい『スーパーローカルヒーロー』主演ノブエさん&田中トシノリ監督 

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私の内なるタイとムエタイ〈10〉タイで三日坊主 Part.2 具体化する出家への道

お喋りと高笑いがお得意の藤川清弘さん、反面、厳しい面構えにもなります

◆藤川さんの思惑の始まり!

郵便受けから薄っぺらい封書を見つけた私は早速開けてみました。切れたと思った縁は切れておらず、ワープロで打たれた文字は、字が下手だからという理由も書かれた、大胆さが表れている内容でした。

「私の事覚えておられますか、バンコックでレストラン、スーパーをしている、と言うよりは、していた藤川です。その節は色々とありがとうございました。
 戦勝会を盛大に行ないたいと、思っていたのに何も出来ず本当に残念です。御免なさい。
 私、10月10日にブアット(出家)し、現在、ペッブリー県のワットタムケーウで坊主の修業をしています。前にも話していたと思いますが、前に一度出家した時から、いつかもう一度出家して、今度は一生仏門で過ごそうと決心しておりました。本当は、もう少し金を貯めてからと思っていたのですが、ある人から、なぜ出家を考えている人が金にこだわるのか?、と聞かれ、自分自身に問いかけた結果、やはりこの人の言うとおりだと気付き、出家するならパンサー(安居期間)が良いと思い、和尚様に相談して急遽出家致しました。前回は、一つの経験として軽い気持ちで出家したのですが、今回は、一生を仏と共に過ごそうと決心しているので、お釈迦様の教えに従い、正式に離婚し、家も店も捨て、身軽な身体になって寺に入りました・・・。」(一部抜粋)2536年(仏暦/西暦1993年)10月17日付

アッシーの試合後、お店で客の居ないテーブルの椅子に座って煙草を吸いながら、遠くを見つめて何か考えているような姿を、バイクタクシーに乗って通過する時、見たことがありました。あの時、すでに再出家のことを考えていたのかもしれません。

それにしても決断の早いこと。レストランに隣接するM&Kというコンビニエンスストアーも藤川さんの経営店で、すべてを妻に権利を渡し、今後の幾らかの活動資金だけ持って、知り合いの弁護士の兄が比丘を務めるタムケーウ寺を紹介されて、この寺で出家されたようでした。

タムケーウ寺正門
タムケーウ寺後門、牛が飼われる広い敷地です

◆再会を目指して!

この人にはもう一度会わねばならない。「この出家姿を追うだけでもいい写真が撮れる」そう考えた私は、なるべく早いうちに藤川さんが居る寺を訪問することを計画。自分が出家するチャンスも今しかないだろう。仕事は元々たいしたこともしていないし、やるなら今やっておいた方がいいと考え、藤川さんと手紙のやりとりをして、翌年(1994年)3月、寺の様子見と前準備の為、短期予定でタイに渡りました。

藤川さんは、「前に言ったとおり、日本で体験できない良い人生の勉強になると思います。一度、寺に来て和尚さんに会ってみてください。いきなり来て突然の出家できる訳ではないので、出家の何ヶ月か前に顔合わせしておいた方がいいでしょう。出家するには親(身元引受人)がいないと出来ませんが、我々にはタイでは親がいないので私の親代わりになってくれた弁護士も紹介します」という返答。

出家は確定した訳ではないが、すべてはここからレールを敷かれた上を走ればそのまま出家に至るだけ。まだ「俺に出来るんかいな」と半信半疑ではありましたが。

タムケーウ寺和尚さん

◆風格ある黄衣姿の藤川さん

藤川さんの案内どおり、バンコクの南部行きのサイタイマイバスターミナルから青いエアコンツアーバスに乗って2時間。終点手前で降りるので、車掌さんに「タムケーウ寺に行きたいので最寄のバスターミナルに着いたら教えてください」と告げておいて、着いたところから軽四輪のソーンテーオ(トラックの荷台を長椅子に替えた乗り合いバス、軽四輪から大型車まで有り)に乗って5分で観光地ナコーン・キリーがある山の麓、タムケーウ寺に着きました。

広い境内に圧倒されるタイ仏教の格式の重み。本堂やサーラー(講堂や葬儀場)が並び、静かで神聖な空間を漂わせる中、クティ前にいた比丘に「藤川清弘という日本人比丘はいますか?」とタイ語にして尋ねるとすぐ理解してくれて、2階の窓に向かって「キヨサーン!」となかなか気さくなお坊さんで日本語で呼んでくれました。

窓から覗く藤川さん。「上がって来て!」と招かれ、クティ2階の藤川さんの部屋の前へ。部屋から出てきた藤川さんは、剃った頭にこげ茶色系の黄衣を纏い、俗人の頃とは全く違う風格ある姿に変身。私の「こんにちは、御無沙汰しています!」の挨拶には応えず、「どうぞ中に入って!」と部屋に招き入れてくれました。ここまでに充分タイ仏教寺の雰囲気に呑まれていた私でした。

何でも揃っていた藤川さんの部屋

部屋に入ると……!

藤川さんの部屋は4畳半よりやや広め、6畳は無いぐらい。そこにテレビはある、冷蔵庫はある、ワープロはある、私が送った立嶋篤史出場の試合ポスターは貼ってある、これがタイ仏教の比丘の部屋とは思えない神聖さを覆す近代設備の整った部屋。この日はホテルなども予約は取らず直接の訪問で、藤川さんから早速の「泊まっていけや!」の一言でこの狭い部屋での宿泊が決定。

そして、口から先に産まれてきたかのように捲くし立てて喋り始めた藤川さん。元々喋り好きだけあって普段話せぬ日本語を待ってたかのようにツバ飛ばしながらよう喋るし、よう笑う。周囲に丸聞こえの高笑いである。

かつてラーブリー県で出会った日本人比丘は口数少なく、堅い話しかしない真面目なお坊さんでした。そんな比丘イメージを崩してしまう藤川さんの黄衣を纏った今の姿。喋る相手ができたと言わんばかりの“泊まって行けや”誘いであったのは後々に分かることでした。

捲くし立てる話も一旦中断して、和尚さんのところへ連れて行かれ、和尚さんと初対面。タイ人のように上手くはない、ワイ(合掌)して御挨拶。

和尚さんはニコニコと「そうかそうか、よく来たな、遠慮なくゆっくりして行きなさい」とおおらかに温かく迎えてくれました。藤川さんが言う和尚さんの前評判は「ここの和尚は見栄っ張りでふんぞり返って偉そうに話すから見とき!」と言い、和尚としての立場もあると思いますが、そんな背伸びある雰囲気の和尚さんでありました。

「今度来た時、出家させて貰えますか?」と尋ねると「ダーイ(いいよ)!」と言ういとも簡単なお許し。先に話はついていることでしたが、和尚さんからの直接の承諾でまた確実さが一歩前進。

初期段階として、出家に向けて前準備が整っていきました。この後、神聖なる仏教寺のイメージが崩れる藤川さんの日課を見ていくことになりますが、その中身は真剣で、奥深い修行であることを徐々に実感していくのでした。

5ヶ月ぶりの再会(1994年3月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

待たせたな!田村聖 vs 西村清吾ミドル級決着戦!!

西村清吾(左)vs田村聖。戦う度激しさが増した両雄、田村の反撃も凄まじかった
プロレス技ではありません、無我夢中でスリーパーホールドへ?

◎神風シリーズvol.4
9月23日(祝・土)後楽園ホール17:30~21:10
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

田村聖vs西村清吾戦は、今年2月5日のNKBミドル級王座決定戦で、田村聖が最終ラウンドにヒザ蹴りで2度ダウンを奪い、形勢逆転の判定勝ちした王座獲得でした。

初黒星を喫した西村は、6月25日のチャンデー戦でムエタイ技術を学ぶ経験をした自信と、この日、元・ラジャダムナン系ライト級チャンピオン.梅野源治がセコンドに着いてくれた後押しで、西村は第1ラウンドの左ストレートをヒットさせ田村をグラつかせる好調な出だしでしたが、ヒットすると思っていなかったか、間を置いてしまい慌てて詰めに入るがタイミングが一歩遅れてしまう。しかしこれで田村は距離感が狂い、西村が主導権を握った展開でパンチのヒットが目立ち、田村も蹴りで応戦の前回よりアグレッシブな展開。前々回の昨年10月は凡戦だったことからみれば、かなりの成長の両者。

以前から交流のあった梅野源治氏からのジムでの指導とセコンドに着いての相当尻を叩かれた後押しは、苦しい修行を耐え抜いた西村の、この1年を、待たせた成長は大きいと言える第7代NKBミドル級チャンピオン誕生。

西村清吾vs田村聖。西村のクリーンヒットが目立った重いパンチ
苦しみから立ち上がって西村清吾が勝利、いろいろな想いが脳裏を過ぎる涙。セコンドは梅野源治

安田一平はこの日がラストファイト。重いパンチを振るい、洋介は蹴りで対抗するも、安田は距離を詰め、強打で仕留め有終の美を飾る。洋介は担架で運ばれる失神KO負け。公式戦後、簡素な引退式ながら、小野瀬邦英会長からのお言葉は「安田一平は一度引退しています。まあいろいろあって、一平は何年か後に、僕のところへ帰ってきました。“やり残したことがある”と、それを燃やし尽くす為に帰ってきました。燃やし残したものを真っ白に燃やし尽くす為に、今日の今日まで練習して戦ってきました。そして今日、その燃やし尽くせなかったものを真っ白に燃やしたと思います。またこれからの安田一平の人生も、いろいろなもの(人生の節目の)をかき集めて、それを燃焼させながら人生歩んで行くと思いますので、今まで同様、温かい愛情の応援を、これからも宜しくお願い致します。」とファンへ激励と感謝の御挨拶。

安田一平の強打が洋介にヒット、ラストファイトを飾る
完全燃焼して引退式に臨む安田一平と、労いの言葉をかけるSQUARE-UPジムの小野瀬邦英会長

安田一平は「僕なんかがこのリング(引退式)の上で喋るなんて数年前まで思ってもなかったことでした。小野瀬会長、高橋コーチと出会って、ここまでやれるようになったこと凄く感謝しています。また、ここまで来れたのはここに居る皆さんのお陰です。本当に有難うございました」と感謝を述べ、テンカウントゴングに送られました。

12月16日にNKBライト級新チャンピオンの高橋一眞(真門)に挑戦予定の、前チャンピオン.大和知也は新鋭の棚橋賢二郎にKO負けの意外な結果となりました。昨年の試合での怪我で王座を返上し、休養していた大和は試合勘がやや鈍ったか、余裕の序盤からペースを乱したか、第4ラウンドに一気に棚橋の右ストレートを受けあっさりダウン。立ち上がるもパンチ連打の追い討ちを受け、2度目のダウンを喫し立ち上がろうとするもフラついて、レフェリーに止められてしまいました。

棚橋賢二郎の右ストレートが大和知也にヒット
棚橋賢二郎の連打で崩れ落ちる大和知也
昨年6月デビューの5戦目の棚橋賢二郎が31戦目の元ライト級チャンピオンに勝利してのインタビューに応える

デビュー戦から7連敗し、初勝利を得て話題が広まった岩田行央は、KO勝利で3勝目。デビュー戦から岩田と3連戦を戦った藤田直道(藤田の2敗1分)もパンチ、首相撲からのヒザ蹴りなど技を酷使し、判定勝利で成長を見せ初勝利を飾る。普通、話題にならない30歳過ぎの新人が繰り広げた戦いにも人生有り。期待は薄いものの、二人がどこまで上位に進めるか、注目を浴びる存在であります。

《メインイベント、アンダーカード8試合》

◆NKBミドル級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.田村聖(拳心館/72.2kg)vs挑戦者1位.西村清吾(TEAM-KOK/72.35kg)
勝者:青コーナー・西村清吾 / 判定0-2 / 主審 鈴木義和
副審 佐藤友章49-49. 馳48-50. 亀川48-49

◆64.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級1位.安田一平(SQUARE-UP/63.9kg)
VS
NKBライト級6位.洋介(渡辺/63.65kg)
勝者:安田一平 / TKO 2R 0:41 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審 川上伸

◆ライト級 5回戦

NKBライト級1位.大和知也(SQUARE-UP/61.2kg)
VS
同級8位.棚橋賢二郎(拳心館/61.1kg)
勝者:棚橋賢二郎 / TKO 4R 1:13 / カウント中のレフェリーストップ
主審 馳大輔

◆女子50.0kg契約3回戦

喜多村美紀(テツ/50.0kg)vs佐藤“魔王”応紀(PCK連闘会/49.25kg)
勝者:喜多村美紀 / 判定2-0 / 主審 鈴木義和
副審 亀川30-29. 佐藤彰彦30-29. 馳30-30

◆68.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.チャン・シー(SQUARE-UP/67.7kg)vsゼットン(NK/67.85kg)
勝者:チャン・シー / 判定2-0 / 主審 佐藤友章
副審 川上29-28. 馳30-29. 鈴木30-30)

◆ライト級3回戦

NKBライト級7位.パントリー杉並(杉並/60.75kg)
vs
同級9位.野村怜央(TEAM-KOK/61.1kg)
勝者:パントリー杉並 / 判定3-0 / 主審 亀川明史
副審 馳29-28. 佐藤彰彦30-29. 佐藤友章29-28

小笠原裕史vs岩田行央。岩田行央がKOできる武器を持って勝ち星を増やせるか

◆60.0kg契約3回戦

岩田行央(大塚/59.6kg)vs小笠原裕史(TEAM-KOK/59.5kg)
勝者:岩田行央 / KO 2R 1:12 / テンカウント
主審 川上伸

◆フェザー級3回戦

藤田直道(ケーアクティブ/56.9kg)vs鈴木孝則(TRIAL/59.9kg)
勝者:藤田直道 / 判定3-0 / 主審 佐藤彰彦
副審 亀川30-28. 鈴木30-28. 馳30-28

他、2試合は割愛します。

《取材戦記》

西村清吾は試合直後の応援してくれたファンに囲まれての記念撮影にリング下から会場ロビーまで移動してファンの応援に応えて長引き、控室に帰れない中で合間を縫っての私の質問に、今後の目標を聞くと「まず防衛」で、「他団体などのビッグマッチ出場を目指す気はありますか?」と尋ねると「これから考えたいです!」とその場では考えがまとまらないのは当然ながら咄嗟に応えてくれました。

新チャンピオン・西村清吾の誕生。ここまで来れたのも梅野さんのお陰、防衛して恩を返さねば

「控室に梅野源治さんも待っているのだから早く戻った方がいいよ」とは頭を過ぎりつつ、言いませんでしたが、退場はサッと一旦引き上げた方がカッコいいと思うところ、支援してくれた後援者も居るので仕方ないところでしょうか。最終試合の後はこんな光景が目立つことがあります。

次回興行は12月16日(日)後楽園ホールに於いて、NKBライト級とフェザー級のタイトルマッチが行なわれます。フェザー級は村田裕俊(八王子FSG)が2度目の防衛戦、再び優介(真門)を迎えての2度目の防衛戦となります。

村田裕俊は6月25日のライト級王座決定戦出場に際し、フェザー級王座は返上していなかったのかと疑問に思いましたが、その村田裕俊(八王子FSG)に2-1判定勝利で王座獲得した高橋一眞(真門)が王座初防衛戦。挑戦者の大和知也(SQUARE-UP)が今回KO負けを喫した為、現在保留の状態です。誰が挑戦して来ても、高橋一眞の今後を占う大事な一戦となるでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

本日発売『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』