紙爆の最新号を紹介します。今回も興味を惹かれた記事を深読み、です。取り上げなかった記事のほかに、テレ朝の玉川徹処分の背景(片岡亮)、ヒラリー復活計画(権力者たちのバトルロワイヤル、西本頑児)が出色。読まずにはいられない情報満載の最新号でした。

◆安倍晋三の旧悪を追及することこそ、真の弔いになる

 

最新刊 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

国会における野田佳彦元総理の安部晋三追悼演説が好評だった。とりわけ、安倍晋三の「光」とその先にある「影」を検証することこそ、民主主義政治の課題だというくだりが、議員たちの政治家魂を喚起させたことだろう。

だがその検証は、安倍晋三の旧悪をあばき出し、現在もなお続いている安倍トモ政治を批判することにほかならない。それを徹底することにこそ、安倍晋三という政治家の歴史的評価が議論され、真の意味での弔いになるのだ。

その第一弾ともいうべきレポートが「旧統一教会と安倍王国・山口」(横田一)である。

安倍晋三が地元下関の市長選に並々ならぬ力を入れてきたのは、市長前職の江島潔の時代に「ケチって火炎瓶」(自宅と事務所への火炎瓶事件)、すなわち暴力団(工藤會)との癒着までも明らかになっていた。ちなみに、江島元市長は現在参院議員であり、統一教会のイベントに参加したことが明らかになっている。

◎[参考記事]【急報‼】安倍晋三の暴力団スキャンダル事件を追っていたジャーナリストが、不思議な事故に遭遇し、九死に一生を得た! 誰かが謀殺をねらったのか?(2018年8月18日)

安倍晋三の元秘書である現職の前田晋太郎市長もまた、旧統一教会の会合に参加していたことを定例会見で明らかにした。子飼いの政治家たちが、ことごとく元統一教会とズブズブの関係だったところに、「安倍晋三の影」(野田佳彦)は明白である。票のためなら相手が反日カルトであろうと斟酌しない、安倍晋三の選挙の強さは、ここにあったのである。

さて横田一の記事は、前田市長のあと押しで下関市立大学に採用され、今年4月に学長になった韓昌完(ハンチャンワン)が統一教会と深い関係にあるのではないかという疑惑である。

その疑惑を市議会で共産党市議に追及された韓学長は、事実無根として「虚偽告訴罪」での刑事告発を検討していると返答したのだ。

だが、韓学長が所属していたウソン(又松)大学を、安倍晋三と下村博文(安倍の子飼いで、元文部科学大臣)が訪問していた事実に、接点があったのではないかと横田は指摘する。

というのも、単科大学(経済学部)だった下関市立大学が、突如として「特別支援教育特別専攻科」なるものを新設し、教授会の9割以上の反対を押し切って韓教授を採用したからだ。

この事件がおきた2019年以降、下関市立大学では3分の1の教員が中途退職・転出しているという。学園の私物化が告発されてもいる。具体的には新設学部の赤字、市役所OBの天下りなどである。これはしかし、氷山の一角にすぎないのではないだろうか。

◆鈴木エイト×浅野健一 ── 旧統一教会問題

9月号につづいて、鈴木エイトの記事である。講演会をともにした浅野健一が鈴木の講演録を、わかりやすく紹介するスタイルだ。ちなみに、講演会の司会は「紙の爆弾」中川志大編集長が務めた。

まず第一に読むものを原点に立ち返らせるのは、カルト問題が政治と宗教の問題以前に、人権問題であるという鈴木の一貫した視点である。

そして第二に、信者たちを利用して「ポイ捨て」する政治家たちの「カルトよりもひどい」実態である。

全体にカルト統一教会の触れられなかった10年間を顧みて、ジャーナリズムが執着を持つことが必要だったのではないか。持続的、継続的な取材こそ、組織の闇を解明できるとの印象を持った。

この運動に関連する事件にも、少々触れておこう。

記事では触れられていないが、この連続講座の一か月後に開かれた「10.24国葬検証集会」において、浅野健一も参加した鈴木エイトの講演があった(記事中に記述あり)。このとき、機器の不具合で発言時間をオーバーした浅野にたいして、佐高信がクレームを付けたという。詳細は下記URLの浅野健一ブログを照覧してもらいたいが、声帯をうしなった障がい者(浅野)に、発言時間のオーバーを批判したのは明白な事実のようだ。

おそらく佐高において、初対面の障がい者ならばこのようなクレームはつけなかったであろう。かりに政治的慮りでクレームが左右されるようなら、明らかに障がい者差別である。浅野によれば佐高は過去にセクハラ事件(同志社でのイベント後の飲み会)を起こしているという。運動内部の批判は遠慮するべきではない。日ごろから批判的な論評をもっぱらとする者ほど、自分が批判されたときに謙虚になれないものだ。佐高は浅野の抗議に何も反応していないという。

◎[参考記事]10・24国葬検証集会エイトさん講演 佐高氏が浅野非難 : 浅野健一のメディア批評 (livedoor.jp) 


◎[参考動画]2022.10.24 安倍「国葬」を検証する ―講演:「自民党と統一教会の闇をさぐる」鈴木エイト氏(ジャーナリスト)、浅野健一氏(無声ジャーナリスト)、スピーチ:佐高信氏(評論家)

◆氷川きよし「活動休止」と「移籍説」の裏側

喉のポリープの手術後で、長期休養に入るとされていた氷川きよしの、事務所事情である(「紙爆」芸能取材班)。

2019年の芸能生活20周年を機に、自分らしく生きたいと(ジェンダーレス)表明したkiinaこと氷川きよし。舞台での女装や松村雄基との恋愛関係、プロ並みの料理など、スキャンダラスで華やかな魅力がファンを魅了してきた。


◎[参考動画]氷川きよし「革命前夜」in 明治座【公式】

肥った男性の女装は勘弁してほしいと思うことがあっても、kiinaの場合は別だという方は多いのではないか。LGBTQとは無縁なつもりでも、誰でもアニマ(内的女性性)・アニウス(内的男性性)があると言われている(ユング心理学)。

たとえば艦隊これくしょんや美少女ゲームに興じる男性には女体化願望があり、その願望がゲームの中の少女に同化するのだ。女性の場合はもっと露骨で、ボーイズラブ志向として、やおい小説・やおい漫画に熱中することになる。

このようなアニマを体現するリアル系が、氷川きよしの女装化だと言えるのだ。Kiinaの場合は、おそらく誰もが受け容れる美貌のゆえに、イケメン演歌歌手からロック女装、舞台での女装が歓迎されてきたのであろう。

しかるに長期休養の裏側に、事務所(神林義弘社長)の暴力的な体質があるというのだ。氷川きよしの自宅の抵当権(3億4500円)も長良プロが設定しているという。

問題は休養後に、長良プロからスムースに移籍できるか、であろう。記事のなかで氷川きよしの名付け親を、ビートたけしとしている(大手プロ役員)が、じっさいは長良プロの神林義忠会長(故人)である。ということは、芸能人がプロダクションを移籍するときに起こりがちな、芸名の商標登録をめぐるトラブルの可能性である。来年からのKiinaの休養が、つぎの活躍へのステップになるのを期待してやまない。記事ではほかにGACKTのスキャンダルもあり、美形歌手たちの危機が気になるところだ。 


◎[参考動画]氷川きよし / 限界突破×サバイバー ~DVD「氷川きよしスペシャル・コンサート2018 きよしこの夜Vol.18」より【公式】

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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去る10月23日、秋晴れの日曜の午後、労働者の街・大阪釜ヶ崎で、先頃出所した重信房子さんやホリエモンこと堀江貴文氏も獄中で聴き感動した女性デュオPaix²(ぺぺ)のやさしい歌声が響きました。

Paix²は20数年間、マネージャーが運転するワゴン車「ぺぺ号」に音響機材を積み、全国の矯正施設(刑務所、少年院など)を回り獄内で収容者を前にライブ(彼女ら言うところの「プリズン・コンサート」)を行ってきました。その数505回! 驚異的な数です。全国の刑務所は北は網走から南は沖縄まですべて踏破、少年院もほぼ踏破しているとのことです。そうしたことで以前は「受刑者のアイドル」とか言われました。

「はなママ」こと尾崎美代子さんの発声で始まりました

Paix²登場!

また、今回もそうでしたが、音響機器のセッティングも自分らで行い、終われば後片付け、撤収も3人で行います。現在はコロナ禍で休止しているとのことですが、仮に今やめても驚異的な数です。客観的に見ても歴史に残る快挙だと言わざるをえません。

ということで、去る10月12日には、「安全で安心なまちづくりの推進に尽力した功績」で内閣総理大臣表彰を受けました。これには、総理大臣の名のある表彰ということで異論もありますが、それはそれとして長年のPaix²の労苦をせめて顕彰させようという刑務所関係者、法務省の職員のみなさん方の善意のプッシュが大き力となっています。

Manamiさん(左)とMegumiさん(右)

私がPaix²を知ったのは15年ほど前になります。例の出版弾圧で勾留され保釈になり、裁判闘争を闘い、ようやく事業回復しつつあった中で、ある雑誌社から送られてきた実話誌(『実話Gon!ナックルズ』だったと記憶します)に掲載された漫画を偶々見たことから連絡し、東京・新宿の喫茶店で会ったのが最初となります。自分自身が実際に逮捕、勾留されたことでリアリティを感じ胸を打たれた次第です。この漫画は今も切り取って保存しています。

その後、西宮で今回の規模のライブを行い、その後、小さなライブを10回以上やっていますし、縁あって非常勤講師を務めさせていただいた関西大学の講義でミニライブをやったり、忘年会・新年会や記念イベントなどでも歌っていただいたりしました。

プリズン・コンサート300回、500回を達成した折には記念本も出版いたしました。せめてもの贈り物です。

今回は久しぶりの生ライブということで非常に緊張し、失敗したらもう釜ではやれないな、という、私なりの強い想いで取り組みました。スケジュールや選曲も私のほうで行わせていただきました。特に現在、ウクライナ戦争のさなか、反戦歌も2曲歌っていただきました。一つは忌野清志郎版『花はどこへ行った』(私たちが若い頃はPPMことPeter Poul & Maryらでヒットしました)、もう一つは寺山修司作詞でシューベルツが歌った『戦争は知らない』です。Paix²という名は元々「Paix」は「平和」という意味で、この二乗で「Paix²」ということですから、この名に恥じないように今こそ反戦歌を歌って欲しいという願いからです。

受刑者の家族からの手紙で感動を誘い、『元気だせよ』で一気に盛り上がり、2曲の反戦歌、そしてアンコール曲『いいじゃんか』で会場の熱気は最高潮に達し、この日のライブは終了したのでした。

満員の会場!

定番『元気だせよ』で大盛り上がり!

この後、Paix²から抽選で観客の皆様方にプレゼントがありました。けっこう数があり、この日のライブに対する彼女らの想いを感じました。

当日のライブは午後3時きっかりに始まり5時に終了、その後、懇親会で思う存分語り合い大阪・釜ヶ崎の夜は暮れていったのです。

今回は釜ヶ崎で小さな食堂を経営する「はなママ」こと尾崎美代子さんがライブの案内を公にするや一気に予約が殺到し早目に申し込みを打ち切らざるをえませんでした。参加したかったのにできなかった皆様方、申し訳ございませんでした。早晩、またライブの企画を検討しようと思っていますので、次の機会にはぜひご参加ください。

車いすの方が心からの花束贈呈

ウクライナ戦争が一刻も早く終わることを祈り、カオリンズも加わり会場と一体化して『戦争は知らない』を合唱

Paix²、カオリンズ、尾崎さんらと初老の爺さん

(松岡利康)

◎Paix²(ぺぺ)オフィシャルウェブサイト https://paix2.com/
◎Paix²(ぺぺ)関連記事 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=77

『塀の中のジャンヌ・ダルク――Paix²プリズン・コンサート五〇〇回への軌跡』

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『逢えたらいいな――プリズン・コンサート300回達成への道のり』(DVD付き特別記念限定版)

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アントニオ猪木さんが亡くなりました──われわれの世代にとって猪木さんは特別の存在です。力道山の時代からプロレスを観ていた私は、一時期観なくなった時期もありましたが、猪木さんやタイガーマスク(佐山聡)が登場しプロレスブームが到来するや、また観るようになりました。ストロング小林との死闘、モハメド・アリとの歴史的試合も観ました。

マイオカ・テツヤ画(『いかすプロレス天国』〔鹿砦社刊〕所収)

 

板坂剛『アントニオ猪木・最後の真実』【復刻新版】

特に1985年、板坂剛さんの『アントニオ猪木・最後の真実』(現在品切れ)を出版してから、どういう因縁かプロレス関係書をどんどん出版するようになりました。

遂には月刊『プロレス・ファン』を出すまでになりました。賞杯を出したりもしました。

しかし、その頃になるとプロレスは冬の時代に入り、猪木さん率いる新日本プロレスも経営が苦しくなり、全日本女子プロレスも倒産しました。

「吉本女子プロレス」なんて団体を吉本興業が作ったり、1冊写真集を出しましたが、全く売れませんでした。

というより、プロレス本自体が売れなくなり撤退を余儀なくされました。

『アントニオ猪木・最後の真実』は、序文を今は亡き岡留安則さん(いわずと知れた『噂の眞相』編集長)が書き、イラストは平口広美さんでした。一夜で、私が本文を入力し、初版は2000部、一日で売り切れすぐに増刷、ある書店からは600部の注文が入った記憶があります。ずいぶん売れました。

「元気があればなんでもできる」「苦しみの中から立ち上がれ」……慎んでご冥福をお祈りします。合掌。

(松岡利康)


◎[参考動画]アントニオ猪木 Antonio Inoki Tribute 2022-10-03 / Family secret story 家族秘話(めざまし8 2022-10-03 Fuji Tv )

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

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円楽(襲名前・楽太郎)さんが亡くなりました。

落語家としての世間の評価は高いようですが、私の関心は別の所にあります。

円楽さんは1968年に青山学院大学に入学、やはり時代かなあ、彼も学生運動の波に巻き込まれます。新左翼の主流派・ブント(共産主義者同盟)系の活動家の時期もあったとのことです。

 

六代目 三遊亭円楽(1950年2月8日-2022年9月30日)

青学と言えば、ブント系でも中央大学と共に、後に叛旗派となる勢力が強かったです。これは事実で、私の知人のTJ氏は青学の叛旗派の中心メンバーとして71年三里塚第二次強制収容阻止闘争で逮捕・起訴されました。罪状は凶器準備結集罪とともに、なんと「殺人」容疑! 機動隊が3名亡くなった激しい闘いでした。私もこの闘争には参加しましたが、この現場には居合わせませんでした。TJ氏はその後、別の大学に入り直し学究生活に転じ、のちに早稲田の教授となりました。早稲田の奥深さを感じさせる逸話ではあります。

今では考えられませんが、60年代後半から70年代にかけての時代は芸能人、あるいは芸能界に身を転じる人たちも積極的に学生運動や反戦運動に関わった時期でもありました。北野武(明治大学工学部)さんもそうですし、同じ明大で言えば、往年の女優・松原智恵子さんもブント系の活動家だったとは、同じ明大学生運動OBの横山茂彦さんの証言です。

『家政婦は見た』で有名な故・市原悦子さんは、1971年、中村敦夫さんや原田芳雄さんらと共に老舗の劇団・俳優座で叛乱を起こし、その後も反戦歌『フランシーヌの場合』で一世を風靡した歌手・新谷のりこさん(古い!)らと共に長く中核派系の「杉並革新連盟」の候補者の推薦人でした。『家政婦は見た』の市原さんからは想像もできません。けっこう過激な方だったようです。

さて、円楽さんですが、青学の主流派だった、のちに叛旗派に流れる系列とは違い、なんと「さらぎ派」シンパだったとの噂を聞きました。どなたかとの対談で話されているとのことです。「さらぎ派」は別名「蜂起派」ともいい、トップの「さらぎ徳二」さんは当時のブントの議長で、69年4・28沖縄闘争で破防法(破壊活動防止法)の被告人でもありました。69年7月6日には、赤軍派によってリンチされています(いわゆる「7・6事件」。この報復として叛旗系の人たちに赤軍系の同志社大学の先輩・望月上史さんが拉致・監禁され、のちに亡くなります。新左翼運動最初の内ゲバの犠牲者と言われ、盛り上がった学生運動に汚点を残しました)。

話がマニアックになった感がありますが、円楽さんは、本当にそんな系列(さらぎ派)にいたのでしょうか? 信じられませんが、当時は多くの学生・青年が学生運動や反戦運動の渦に飲み込まれた時代ですから、ありえない話でもありません。もう50年余りも経ったのですから、どなたか詳細をご存知ならば、ぜひご教示いただきたいものです。

このところ私と同じ歳か、ちょっと上の世代がどんどん亡くなっています。訃報を聞くたびに、「明日は我が身」と思わざるをえません。特に私と同じ歳で言えば、忌野清志郎さん、大杉漣さんが亡くなった時にはショックでした。

(松岡利康)


[参考動画]【三遊亭円楽さん死去】「笑点」メンバーが追悼 好楽さん「早すぎるよ」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

煙草の副流煙をめぐる隣人トラブル。はからずもこの社会問題をクローズアップした横浜副流煙裁判を、若手の映画監督がドラマ化した。タイトルは、『窓』。主演は西村まさ彦。映画は12月から劇場公開される。

この映画は、本ウェブサイトでも報じてきた横浜副流煙裁判に材を取ったフィクションである。しかし、近年、深刻になっている新世代公害-化学物質過敏症が誘発する隣人トラブルを、ノンフィクション以上にリアルに描いている。それは、住民のだれもが巻き込まれかねない隣人トラブルの地獄絵にほかならない。

化学物質は形もなければ匂いもないが、刻々と自然環境や生活環境を蝕んでいる。浸食は静止することがない。米国のCAS(ケミカル・アブストラクト・サービス)が登録する新生化学物質の件数は、1日に優に1万件を超えるという。もちろんこれらの化学物質のすべてが有害とは限らないが、複合汚染を引き起こすことで、深刻な被害を与えることもある。副流煙に含まれる化学物資も、数ある汚染源のひとつである。身近な存在であるがゆえに、横浜副流煙裁判にも、注目が集まって来たのである。


◎[参考動画]映画 [窓] MADO 予告篇

麻王監督の父親である藤井将登さんは、横浜副流煙事件の法廷に立たされた当事者である。編曲や作曲をてがけるミュージシャンだ。2017年11月、自宅マンションの音楽室で吸っていた煙草が原因で、「受動喫煙症」(化学物質過敏症の一種)などに罹患したとして、隣人から4500万円を請求される裁判を起こされた。警察の取り調べも受けた。

しかし、喫煙本数は、日に2、3本程度。しかも、音楽室が防音構造になっているので煙は外部にもれない。念のために禁煙をしてみたが、それでも隣人から苦情を言われた。風向きも調査してみたが、原告宅が風上になることがほとんどだった。上階の斜め上にある原告宅に音楽室の副流煙が届くはずがなかった。だれが見ても「冤罪」だった。

麻王監督は、そのことに衝撃を受けて、父親が提訴された直後から、事件を映画化する構想を練り始めたのである。そしてそれまで勤務していた東北新社を退職して、映画作品の制作に着手した。

「私は実家から独り立ちしているため、裁判の当事者では無いながらも、事の経緯を程近い距離で見てきており、また化学物質過敏症についても独自に調べつつ、この問題と自分なりに向き合ってきました」

「果たして、自らの窓が開いているだろうか。相手が自ら窓を開けられるような環境があるだろうか。社会の窓が開かれていかれているだろうか。どこか他人事で、自身の窓を閉ざしていないだろうか」(麻王、「制作支援プロジェクトのウェブサイト」)

化学物質過敏症の診断は困難を極める。汚染源となる化学物質の種類があまりにも多く、原因物質の特定が難しいからだ。代表的なものとしては、イソシアネート があるが、日本ではほとんど規制の対象にはなっていない。米国などでは猛毒としての認識がすでに定着していて、厳しく規制されている。

化学物質過敏症の正体が不透明なために、診断も「問診」と患者の「自己申告」を重視する傾向が顕著になっている。原告は、みずからの体調不良の原因を藤井将登さんの副流煙と断定して、専門医に自己申告した。それを受けて、医師は藤井さんを「犯人」として事実摘示した診断書を交付した。それを根拠に原告は、弁護士を動かし、警察を動かし、あげくの果てに4500万円の金銭を請求したのである。

かりに医師が、現場へ足を運んで事実を確認していれば、この事件は起きなかった。禁煙撲滅運動の政策的な目的で、結論先にありきの診断書を交付した疑惑があるのだ。少なくとも横浜地裁は、そのような認定を下した。もちろん原告の訴えも退けた。

その意味では、問診や患者の「自己申告」を重視して、診断書を交付した医師に最大の責任がある。原告家族も、ある意味ではずさんな医療の被害者なのである。有害化学物質を厳しく規制するなど、科学的な視点で環境問題に対峙してこなかった行政にも問題がある。

『窓』は、新世代公害が引き起こした複雑な群像を描いている。

制作支援プロジェクトは、現在、クラウドファンディンで上映資金などを集めている。同プロジェクトのウェブサイトへは次のURLでアクセスできる。

※横浜副流煙裁判は、2020年10月に被告・藤井将登さんの勝訴で終了した。現在、藤井さん夫妻は、元原告と診断書を作成した医師に対して「反スラップ訴訟」を起こしている。事件は、横浜地裁で継続している。

映画 [窓] MADO 制作支援プロジェクト

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

先に8月6日について、もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

今回はその余話といいますか、またはウクライナ危機に触発されて思い出した反戦歌についての続きといいますか、思い出したことを書き記してみます。

8月6日広島の悲劇について次の3つの曲を思い出します。

〈1〉矢沢永吉 『Flash in Japan』

私はこの曲を聴いてショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『Flash in Japan』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛)。時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
治せるのか
俺たちは皆あの光を見たのか
雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
稜線を照らし 視界を消し去った
戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いのか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか
彼らに何と言えばよいのか
子供たちよ聞いてくれ
俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
君たちは再出発してくれ
朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
いくつか変わったこともある
いつも忘れないでいてほしい
戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いのか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか

〈2〉美空ひばり 『一本の鉛筆』

ガラッと変わって、次は昭和の歌の女王・美空ひばりの『一本の鉛筆』です。これはひばりが1974年、第1回広島平和音楽祭に招かれたのを機に作られ、そこで披露された記念すべき一曲です。意外と知られていません。作詞は映画監督の松山善三、作曲・佐藤勝。裏面は『八月五日の夜だった』。

ひばりが広島の原爆で被爆したわけではありませんが、父親が戦争に召集され母親が苦労していたのを見て育ち、みずからも空襲に遭い、彼女なりに戦争を嫌悪し思う所があったようです。

「あなたに 聞いてもらいたい」
「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」
「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと 私は書く」
「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く」

「ザラ紙」とは今では死語ですが、私たちの世代では、これを日々1000枚1包で買い「ガリ版」に「鉄筆」で「ロウ原紙」に原稿を書き「謄写版」で印刷しチラシを作ったものです。ザラ紙と共にガリ版も鉄筆もロウ原紙も謄写版も今はなく死語です。

ひばりは、主催者が用意した冷房付きの部屋を断り、「あの時、広島の人たちはもっと熱かったよね」と言って、ずっと猛暑下のステージ脇にいたとのエピソードがあります。この時の映像が残っていました。


◎[参考動画]美空ひばり ひとすじの道+一本の鉛筆

ひばりはこれから15年後の1988年の第15回同音楽祭に、一人で歩けないような病状で点滴を打ちながら駆けつけ、観客の前では笑顔を絶やさなかったそうです。翌1989年にひばりは亡くなりました。音楽祭自体も20回目の1993年で終了となりました。諸事情はあるでしょうが、ひばりの遺志を継いで続けて欲しかったところです。

最近この時期になると当時の映像が放映されたりクミコらがカバーして歌ったりしていますが、隠れた名曲です。

〈3〉吉田拓郎 『夏休み』

この歌には諸説あります。私はてっきり原爆投下→終戦後の広島の情況を表現したものとばかり思っていましたし、今もそう思っています。拓郎自身もそうテレビで言っていたのを観たという人の情報(ネット情報ですが)もあります。「火のないところに煙は立たない」といいますが、反戦歌(あるいは反戦の気持ちを歌った)といわれるのには、なんらかの根拠があるわけで、どうなんでしょうか。

ところが、拓郎自身が公式サイトでこれを否定し鹿児島で過ごした少年時代のことを表現したのだというのです。しかしこれは拓郎の“照れ隠し”だと思います(と勝手に解釈)。拓郎は広島に原爆が落とされた翌年(1946年)に鹿児島で生まれここで幼少期を過ごし、原爆投下・終戦から10年後の1955年に母親の故郷・広島に移住、市内の被爆の中心地からさほど離れていない所で育ちました。おそらく戦後の焼け跡の酷さを少年時代、青年時代に日々目にし空気を吸って育ったはずです。まだ傷痍軍人が街角にいた時代です。大学を卒業し1970年にプロ歌手を目指し上京するまで広島で過ごしています。そこで見知ったことが拓郎の素地になっているはずです。

ここでちょっと寄り道。拓郎は1970年(私が大学に入った年でもあります)、上智大学全共闘プロデュースでアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作(つまり自費出版のことやね)します。今からは考えられませんが、これをほそぼそと手売りしていたらしいです。当時の社会情況と共に拓郎の想いが醸しだされる凄いタイトルですが、この中から『イメージの詩』をシングルカットし、これがデビュー曲となります。「たたかい続ける人の気持ちを誰もがわかっているなら たたかい続ける人の心はあんなには燃えないだろう」──ここに拓郎の原点があると思いますが、本人はどう思っているのでしょうか?

さて、拓郎の前の「フォークの神様」岡林信康の代表曲の一つ『友よ』は、牧師の息子で同志社大学神学部の岡林が賛美歌を元に作ったともいわれますが、「友よ、夜明け前の闇の中で 友よ、戦いの炎を燃やせ 夜明けは近い」というフレーズに私たちは感銘し、いろいろな集会で歌われました。この曲はそうではないんだと岡林自身が否定しているシーンを観たことがあります。つまるところ、歌は公にされることで作者の手を離れ社会性を持つということではないでしょうか。ちなみに、岡林は最近この曲を封印しているようです。『山谷ブルース』と共に岡林の代表作なのに残念ですが、名曲ですので、岡林の意とは別に(かつてほど頻繁ではないにしても)歌い継がれていくのではないか、と思います。

また、宮沢和史の『島唄』、宇崎竜童の『沖縄ベイ・ブルース』も、歌詞にはダイレクトに戦争や現在の米軍支配下の沖縄の情況を書いていませんし本人らもあれこれ説明するわけでもありませんが、戦争や現在の米軍支配下の沖縄の情況を表現していることは言うまでもありません。宮沢、宇崎のように黙っていれば値打ちがあるものを。

『夏休み』が反戦歌であるかないかは私にはわかりませんが、聴く者に原爆投下→終戦後の平和な、しかしいささか物悲しい情況を表現していることを感じさせることは確かなことです。初出は1971年に発売のアルバムに収められ、シングルカットは、ずっと先の1989年のことです。(松岡利康)


◎[参考動画]吉田拓郎『夏休み』

◎[リンク]松岡利康「今こそ反戦歌を!」 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

龍一郎・揮毫

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ危機が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう4カ月も続き、長期化する兆しです。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争もそうだったのでしょうか。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代には泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今年になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

PP&M(Peter, Paul & Mary)

 

忌野清志郎

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

今、ウクナイナでの戦火に触発さ加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツや、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年近く経ち、終わってからも50年近く経ちますが、ウクライナ危機に見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ危機のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われないようになることを心より祈ります。

『Where Have All the Flowers Gone?』
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


◎[参考動画]ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた

その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった

その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった 
小さなお墓に埋められた

小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた

その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた


◎[参考動画]花はどこへ行った~トランジスタラジオ 忌野清志郎

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年夏号(NO NUKES voice改題 通巻32号)

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、もうすぐ沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみたいと思います。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や戦後も続くアメリか支配が明らかになり、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録しています)。

宮沢和史さん

宇崎竜童さん

 

知名定男さん

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前回の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。
【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】

ネーネーズとHY

◆     ◆     ◆     ◆     ◆


◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 
この国が平和だとだれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 
夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

二 
この国が平和だと誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに
人として生きるのを何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります
愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

三 
御月前たり泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

ネーネーズ6代目メンバーと松岡

◎[リンク]今こそ反戦歌を! 
◎[リンク]琉球の風~島から島へ~

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

この興行でもコロナ感染や濃厚接触者発生で、2試合の中止が発生しました。

昨年10月予定からコロナ禍影響で延期となっていたNKBライト級タイトルマッチ、髙橋一眞は今回3度目の防衛戦を判定勝利で棚橋賢二郎を退け、東京での最後の試合を飾りました。次回、7月31日(日)の大阪176BOXで引退興行開催予定です。

過去2018年12月8日に髙橋が2度目の防衛戦で、棚橋の強打を貰わない上手い試合運びで3ラウンドKO勝利。今回もスリルある“倒すか倒されるか”の攻防に期待が掛かりましたが、打ち合い少ない展開に声援禁止にもかかわらず、鋭い怒りの野次が飛びました。

今回で引退を宣言している藤野伸哉はヒザ蹴りで野村玲央を最終ラウンドで仕留める有終の美。

笹谷淳は試合運びの上手さでJUN DA LIONを倒して1年ぶりの勝利。

◎喝采シリーズ 1st / 2月19日(土)後楽園ホール17:30~20:40
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第11試合 NKBライト級タイトルマッチ 5回戦

Champ.髙橋一眞(真門/1994.9.7大阪府出身/61.2kg)     
VS
同級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/60.9kg)
勝者:髙橋一眞 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木50-48. 川上48-47. 佐藤49-48

打ち合いの距離では棚橋賢二郎の剛腕が怖い

髙橋一眞のローキック中心とした前進。棚橋はパンチは出さず、返しの軽いローキックで様子見の下がる一方。第2ラウンドに入って、高橋一眞は強めのローキックから高めの蹴りも見せるが棚橋は返してこない消極的戦法。高橋一眞が棚橋の強打を警戒しながら前進して誘いかけるが、棚橋が下がる展開は3ラウンドまで静かな流れが続いた。

第4ラウンド開始前には会場から「つまんねえんだよコノヤロー、サッサと倒せよコノヤロー!」と静かな会場に響く、周囲が緊張する語気強い野次が飛ぶ。“倒すか倒されるか”のキャッチフレーズを煽りながら、全く打ち合いに行かない想定外の展開にキレるのも分かる空気。ようやく棚橋が左ジャブを打ち、打撃の交錯が始まったが、高橋一眞はパンチの距離は避けたいところで、組み合ってヒザ蹴りに移り、棚橋はパンチを打ち込み難い展開も、やや手数増やし前進に転じた後半で判定に縺れ込んだ。

第4と5ラウンドを棚橋に付けたジャッジは一人。もう一人は第5ラウンドだけ棚橋へ。もう一人は互角だった。前半3ラウンドまでに手数少ないながらローキックで攻勢維持した高橋一眞のポイントを押さえたラウンドが勝利を導いた流れだった。

髙橋一眞のローキックは感度も効果的にヒットした

昔のテレビ放送席のような雰囲気でインタビューに応える高橋一眞

蹴りで攻勢を維持した藤野伸哉はヒザ蹴りで仕留めた

高橋一眞は26戦17勝(12KO)9敗。

棚橋賢二郎は18戦9勝(7KO)8敗1分。

◆第10試合 ライト級 5回戦

WMC日本スーパーフェザー級2位.藤野伸哉(RIKIX/1996.5.31東京都出身/61.15kg)
VS
NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/1990.3.27東京都出身/60.75kg)
勝者:藤野伸哉 / TKO 5R 1:37 /
主審:加賀美淳

両者は2018年6月16日に対戦、藤野がノックダウンを奪って3ラウンド判定勝利。

パンチで圧力掛ける野村。蹴りのテクニックでやや優っていった藤野は接近戦でヒザ蹴りもヒットさせスタミナを奪っていく流れ。

最終ラウンドには強烈なヒザ蹴りでスタンディングダウンを奪い、更に追い打ちのヒザ蹴りヒットさせたところで、苦しそうな野村は再びスタンディングダウンとなってレフェリーが試合ストップした。

藤野伸哉は23戦13勝(4KO)7敗3分。

野村玲央は20戦8勝(5KO)10敗2分。

藤野伸哉の応援団が引退の花道を飾る

◆第9試合 66.4kg契約3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.3kg)
     VS
NJKFウェルター級3位.JUN DA LION(E.S.G/1976.8.3埼玉県出身/65.8kg)
勝者:笹谷淳 / TKO 3R 0:45 /
主審:佐藤友章

第1ラウンド、蹴りの攻防は笹谷淳の蹴りから組み合っても圧し負けない展開が続いた。笹谷は左ストレートでプッシュ気味ながらノックダウンを奪う。

第2ラウンド以降も笹谷が組み合っての攻防の中、ヒジ打ちでJUNの額を切る。第3ラウンド、パンチから蹴りがボディーに入ると崩れ落ちたJUN。ダメージ見たレフェリーがノーカウントで試合を止めた。経験値が優った笹谷淳のTKO勝利。

笹谷淳が勢いを増した左ストレートでJUN DA LIONを追い詰める

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級5位.矢吹翔太(team BRAVE FIST/1986.8.2沖縄県出身/57.0kg)
     VS
半澤信也(トイカツ/1981.4.28長野県出身/57.1kg)
勝者:矢吹翔太
主審:川上伸
副審:加賀美30-29. 前田30-29. 佐藤30-28

パンチで攻めたい半澤信也に対し、矢吹翔太は組み合っての攻防でスタミナを奪う流れ。決定打は無い流れも攻勢を維持した矢吹が判定勝利を掴む。

矢吹翔太が半澤信也の勢いを封じる展開で勝利を導く

◆第7試合 ミドル級3回戦

NKBミドル4位.釼田昌弘(テツ/1989.10.31鹿児島県出身/72.55kg)
     VS
スーパー・アンジ(KUNISNIPE旭/1999.10.28千葉県出身/72.1kg)
勝者:スーパー・アンジ / KO 2R 2:58 /
主審:鈴木義和

アンジはパワフルな圧力でパンチも蹴りも剱田昌弘を上回った。第2ラウンドに豪快な左ロングフックヒットでノックダウンを奪うと更にパンチの圧倒で2度目のダウンを奪い、更にパンチで圧倒したところで剱田がフラフラとなってレフェリーがストップし、3ノックダウンを奪う結果となった。

スーパー・アンジがパワフルに剱田昌弘を圧倒していく

◆第6試合 フェザー級3回戦

松山和弘(ReBORN経堂/2000.3.15宮崎県出身/58.15→57.6kg/+450g)
     VS
七海貴哉(G-1 TEAM TAKAGI/1997.4.17東京都出身/56.9kg)
勝者:七海貴哉 / KO 1R 2:43 / 2ノックダウン制によるストップ
主審:加賀美淳

松山和弘はウェイトオーバーにより減点1が課せられた。

パンチとローキックの攻防から七海のリズムが優っていく中、右ストレートでノックダウンを奪う。更にパンチで攻める中、松山は弱気な表情に変わる。七海がパンチで攻め続けた中、松山2度目のノックダウンとなって崩れ落ちた。

七海貴哉がパンチで圧倒していくと松山和弘は戦意喪失気味

◆第5試合 バンタム級3回戦(新人)

中島隆徳(GET OVER/2005.4.8愛知県/52.95kg)
     VS
安河内秀哉(RIKIX/2003.10.7東京都/53.4kg)
勝者:中島隆徳 / KO 2R 1:23 / カウント中のタオル投入による棄権
主審:佐藤友章

第1ラウンド開始早々に左ストレートでノックダウンを奪う中島が主導権を奪った展開で安河内は蹴りでやや持ち直したが、第2ラウンドに仕留められてしまった。

スピード感が優った中島隆徳は飛びヒザ蹴りも見せる勢い優る展開

◆第4試合 56.0kg契約3回戦(新人) 笠原秋澄欠場で翼出場

蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/2000.6.23千葉県/55.6kg)
     VS
翼スリーツリー(ダイケンスリーツリー/1997.7.2山梨県/55.8kg)
勝者:蒔田亮 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田30-25. 川上30-25. 加賀美30-25

◆第3試合 女子57.0kg契約3回戦(2分制/新人)

寺西美緒(GET OVER/1995.11.27愛知県/56.8kg)
     VS
田中美宇(TESSAY/1994.7.30新潟県/56.2kg)
勝者:寺西美緒 / 判定2-0 (30-28. 30-28. 29-29)

◆第2試合 63.0kg契約3回戦(新人)

哲太(Team S.A.C/1997.11.26千葉県/62.5kg)
     VS
折戸アトム(PHOENIX/1982.3.1新潟県/62.95kg)
勝者:折戸アトム / 判定0-3 (28-30. 29-30. 28-30)

◆第1試合 59.0kg契約3回戦(新人)

合田努(TOKYO KICK WORKS/1989.5.18愛媛県/58.75kg)
     VS
古木誠也(G-1 TEAM TAKAGI/1996.11.10神奈川県/58.2kg)
勝者:古木誠也 / 判定0-3 (27-30. 28-30. 26-30)

《取材戦記》

髙橋一眞の引退理由は「デビューして10年。満足いくまで戦えたからです。デビューから6連勝(6KO)で天狗だった頃、初めての敗戦の悔しさ、フェザー級のベルトを獲り損ねた悔しさ、連敗から抜け出せず諦めそうになったこと。チャンピオンになり一つの夢が叶ったこと、三兄弟で三階級を制覇したこと。KNOCK OUTに参戦出来た嬉しさ。世界最高峰王者、ヨードレックペットと戦えたこと。思い返せばいろんな思い出が蘇って来ます。ほんとに幸せな10年間でした。残る試合を自分らしい試合をして燃え尽きたいと思います(主催者発表インタビュー、一部引用)」。

試合直後のマイクアピールでは「棚橋選手はパワーあるしパンチ強いしビビったあ~!」と本音を漏らした髙橋一眞。

試合展開については緊張のあまりか、前半の手数少ない戦略や攻防も、野次が飛んだことも覚えていないと言う。健闘を称えに控室を訪れた高橋一眞は、ローキックの攻防について打ち明けていた両者。高橋は引退を宣言しているが「まだ3度目の対戦も有り得るから効いたところはバラすなよ」と言いたいところだった。

デビューから6連勝したこ頃は確かに太々しさが表れていた高橋一眞。3連敗から立ち直った頃がメインイベンターとした風格が感じられたものである。引退まであと一試合、“倒すか倒されるか”に全力で挑んで貰いたい。

セミファイナル出場の藤野伸哉も今回が引退最終試合。

引退試合に際し、NO KICK NO LIFEがホームリングでRIKIXジム所属である藤野伸哉に対し、しっかり5回戦が設定。5回戦だから展開出来たテクニックでのTKO勝利は感動的でもありました。

藤野伸哉は公認会計士講座講師として将来設計あっての引退となる模様です。

「日本キック連盟でのテンカウントゴングに送られるのか」と意外な感じもしたところで、記念贈呈品も無い、シンプルな引退テンカウントゴングが打ち鳴らされました。

若くしての引退は復帰したくなる気持ちが高くなる可能性もあるだけに、高橋一眞と藤野伸哉には、数年経った頃に徐々に復帰を誘いかけたら面白いかもしれません。

次回、日本キックボクシング連盟興行「喝采シリーズvol.2」は4月23日(土)に後楽園ホールにて開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

広告を挟めば無料から楽しめる『YouTube』、テレビ的に観ることが可能な『AbemaTV』など、インターネット上で鑑賞できる動画には多種存在する。筆者もTV自体はかなり昔に処分して以来、持っていないが、映画、報道、K-POPや韓流ドラマ、DIYを扱ったものなど、さまざまに楽しんでいる。

そのようななか、断続的に利用しているのが『Netflix(ネットフリックス)』だ。今回、最近、話題の2作品について触れてみたい。

◆貧困の問題にまっすぐに向き合ったヒリヒリするような人間ドラマ『イカゲーム』

まず、2021年9月より配信されている、韓国発「サバイバルドラマ」が『イカゲーム(오징어 게임)』。多重債務者や貧困にあえぐ456人が人生を逆転するため、命がけでだるまさんが転んだや型抜き、綱引きや綱渡り、ビー玉や飛び石といった子どもの遊びがモチーフとなっているゲームに参加する。最後まで勝ち残った1人には456億ウォンの賞金が支払われるが、1つひとつのゲームに負ければその場で死ぬことになるのだ。


◎[参考動画]『イカゲーム』予告編 – Netflix

監督・演出・脚本はファン・ドンヒョク。出演はイ・ジョンジェ、パク・ヘス、ウィ・ハジュン、カン・セビョクほか。複数の媒体で監督は背景を説明しているようだが、エンタメ業界紙『The Hollywood Reporter(THR)』の記事(https://hollywoodreporter.jp/interviews/1234/)を引用しておく。「脚本を手に資金集めをしていた時に、全く上手くいかず、漫画喫茶でひたすら過ごしている時期がありあました。そこで、『LIAR GAME』『賭博黙示録カイジ』『バトル・ロワイアル』などのサバイバル系のものや、自分自身も経済的に困窮していた為、借金を抱える主人公が生死を賭けた戦いに挑む様な作品に夢中になりました。本当にそんなゲームがあれば絶対参加して、今の状況から抜け出して大金を手にしたいと考えて没頭していたんです。そんな時にふと思ったんです。『監督なんだからそんな映画を作ってしまえばいいんじゃないか』と」。本作が全世界で公開されると、11月、94か国でランキング1位を獲得。シーズン2の制作も明らかになっている。

わたしが感じたことは、貧困の問題に対し、ある種まっすぐに向き合っているということだ。国内でもおそらく韓国でも、差別的な視線やバッシングはあるだろう。しかし本作では、きれいごとではすまされない現状と、そのいっぽうで人間性や1人ひとりの人間ドラマが描かれている。グロ映像が苦手な人には向かないが、10?20年前くらいには国内でもこのようなヒリヒリするドラマ映画が多数あり、個人的によく観ていた。このような作品が世界で鑑賞されたのは、やはり格差が拡大し、正直者がバカをみるような世界となり、資本主義の限界が露呈し始めたからではないかと考えている。ちなみに、脱北者の女性も登場し、ゲームのなかで特殊な友情を育む。思い入れが強くなった登場人物がゲームに負けたりして命を落とすシーンでは、涙も流してしまうだろう。

◆意味が深い作品だからこそ真摯に対応して手本を示してほしい『新聞記者』の問題

次に注目されたのが、『新聞記者』。19年公開の映画も話題になったが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による同名の著作(角川書店)を原案に、財務省の公文書改ざん事件をモチーフにした社会派ドラマだ。Netflixでシリーズ化され、映画と同様に藤井道人(なおひと)監督が手がけ、やはり全世界で配信された。キャスティングがなかなか絶妙で、米倉涼子さん、綾野剛さん、吉岡秀隆さん、寺島しのぶさん、吹越満さん、田口トモロヲさん、大倉孝二さん、萩原聖人さん、ユースケ・サンタマリアさん、佐野史郎さんなどが名を連ねる。


◎[参考動画]『新聞記者』 予告編 – Netflix

1月18日に『日刊ゲンダイ』(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079)は、「Netflix『新聞記者』海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”』と題し、「海外でも上位に食い込み、香港と台湾の『今日の~』で9位にランクイン(17日時点)。英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した」と記す。実際に、安倍夫妻が真っ青になったという事実をつかんだという話ではないようだが。

しかし、1月26日付の『文春オンライン』(https://bunshun.jp/articles/-/51663)によれば、プロデューサーの河村光庸氏が2021年末、森友事件の遺族に謝罪していたことが『週刊文春』の記事によって判明。「公文書改ざんを強いられた末に自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんと面会し、謝罪していた」という。また、「赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否」とのことだ。さらに、「2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に、赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。『夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか』 河村氏はこう返すのが精一杯だった。『望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と』」とも記されている。

そのうえ、遺族から借りた遺書を含む資料を返していないという疑惑も持ち上がった。このような状況に対し、『はてなブックマーク』には、「メディアにとって仮パクは当然のことよ。得ダネ関係は他所に資料が渡らないように積極的に仮パクするよ。俺も業界関係の取材受けたとき渡した資料未だに戻ってこないから 探してると返答あってからもう6年経つ」というような反応も寄せられた。

2月8日、望月衣塑子記者はTwitterで、「週刊誌報道について取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。」とつぶやいた。しかし、これに対しても、「文春報道から2週間かけてこの回答。借用書がなかったのなら「返したことにするしかない」と決めたとしか思えないね。あれだけ森友に粘着してて、それで押し切るんだな。東京新聞も含め。」というようなコメントが人気を集めていた。

私は取材・執筆をする側が、勇気をふるって行動する被害者を応援しないどころか邪魔をするようなことをおこなうことは誤りだと考えている。新聞などの報道の現場に携わるわけでもないため、批判でなく支援になればとの思いがある場合、原稿内容が妨げとならないか、力となるかを確認してもらっている。そのうえで、問題提起として強い個所が削除になったり、わかりづらい内容になったとしても、当事者の思いを優先するよう心がけているつもりだ。

個人的には、望月記者を信じたい気持ちもある。また、ドラマだからこそ、わかりやすく、広く問題が伝わるという面ももちろんあるだろう。エンターテインメントの力というものも信じている。だが、本作はフィクションであるとうたってはいても、明らかに事実をとりあげているのだ。そして、会社の意向、ドラマ化に携わる側の意向、金のからみなどによって、真実がゆがめられることはよくある。私自身も取材を受け、意をくみ取ってくれて感心したこともあったが、おもしろおかしくされて怒りに震え、びっしりと赤字を入れて原稿を戻したこともある。

いずれにせよ、事実を正直に公開し、関係者は遺族に対して心からの謝罪をしたうえで今後の対応に関する希望を聞き、疑惑を残さずに、この問題を解決してほしい。東京新聞のことも監督のことも信じたい。問題を追及する側だからこそ、真摯に対応し、手本を示してほしいのだ。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年2月号に「北海道新幹線延伸に伴う掘削土 生活も水も汚染する有害重金属」、3月号に「北海道新幹線トンネル有害残土問題 汚染される北斗の自然・水・生活」寄稿。読者のリクエストに応じ、札幌まで足を伸ばしたものなので、ご一読いただけたらうれしい。全国の環境破壊や地域搾取について調べ続けていると、共通の仕組がわかってくる。

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