上野千鶴子とは何者だったのか?〈1〉80年代の売れっ子学者

 
『女は世界を救えるか』(1986年勁草書房)

この人と最初に言葉を交わしたのは、まだ大学生の頃だからもうかなり昔の話だ。

平安女学院短期大学(当時)の教員だった上野千鶴子先生はすでに売れっ子で、わたしの通う大学にも集中講義のような形で教えに来ていた。科目名は記憶にないが、大教室で行われる売れっ子上野先生は講義でどんなお話をされるのか。興味半分にその科目を履修登録はしていなかったけども、数人の友人と聴講に行った。

◆「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」

わたしたちが参加した講義は、既に数回の講義を経たあとだったようで、「家族」についての各論を上野先生は、細かく語っていた。滑らかな弁舌は自信に満ち、滞ることなく黒板にキーワードを書きながら、はっきりと聞き取りやすい語り口でその日の講義は終了し、質問を受け付ける時間となった。300人ほど入る半円形の教室の中で挙手したのは、わたし一人だった。質問をはじめると上野先生は「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」とわたしは教壇の上で質問を続けることを要求された。

講義では、「世代や国境を超えて男性に資産が引き継がれてゆく仕組みが、男性優位社会を形作っている」との解説があった。わたしの質問は「世界は広い。文化も多様だと思うが、世界中でどうして同一形態の男系資産相続が発生したのか。世界の男性どもは、どのようにその謀議を図ったのか」だった。世界各国に当時(現在も)母権主義(女系相続)社会があることを念頭に、その質問を上野先生にうかがった。

 
『女遊び』(1988年学陽書房)

◆「時間があったら研究室に遊びにおいでよ」

上野先生からは「なかなかいい着眼点ですね。なにかの本を読んだのかな?」と逆質問されたが「いいえ、お話をうかがって直感的に疑問に感じました」とわたしは答えた。講義終了時間が迫っていたからだろうか、上野先生は「この質問は議論が深まるので、来週の講義はこの問題から始めます。キミ、来週も来てくれるよね?」と出席を求められたのでわたしは「はい、参ります」と答え講義時間が終わった。

講義終了後「キミ、何の専攻なの?」、「平女(平安女学位短期大学)はバイクで山越えたらすぐだからさ、時間があったら研究室に遊びにおいでよ」と上野先生からのお心配りの言葉もいただいたが、わたしは別に上野先生のファンではなかった。むしろ彼女の発信にはいつも、どこかに曰く言い難い「ズレ」を感じていた。所詮は学部学生のわたしが、上野先生を「論破しよう」などと無茶なことは考えていなかった。彼女との直接のやり取りの中で自分が感じる「ズレ」の本質がなんであるのかを確認したいとは思っていた。

◆「意地悪だね、キミ」

翌週の講義開始時、わたしは教壇に再度呼ばれ、質問内容をもう一度詳しく語るように求められた。5分ほどかけて質問の主旨と、母権主義(女系相続)社会の存在をどう考えるかを聞いた。

 
wikipediaより

そのあと上野先生はわたしの質問に対して、誠実に解説をしてくださった。そう努力してくださったことは間違いない。しかし回答は、私の疑問を解く内容とはなっていない。立て板に水で、ときに難解な単語も織り交ぜながらの論説は、大枠で私の質問を包摂しながら総論を述べているようで、実は核心部分に触れるものではなかった。

わたしは、「お話しいただいた内容は理解しますが、わたしの疑問への直接の回答とはなっていないように理解します。もう少しわかりやすく教えて頂けないでしょうか」と再質問すると「意地悪だね、キミ」と冗談交じりに教室の笑いを誘い、「この問題も重要だけどまだ、話さないといけないことがたくさんあるから、もっと議論したかったら、平女に来てください」と、これまたちょっと笑顔を浮かべてわたしの質問への回答は打ち切られた。

なるほど売れっ子は「かわし方がうまいな」と感じた。一度だけ野次馬根性で覗いてみた上野先生の講義に、2度出ることになったが、「売れっ子見物」以上の興味を持っていなかったわたしにとって、それ以降彼女の名前に興味をもつことはなかった。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

天才中学生・藤井聡太五段と立憲民主・辻元清美議員を繋ぐ「名古屋大附属」

〈将棋の史上最年少棋士・中学3年生の藤井聡太四段(15)が1日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた順位戦C級2組9回戦で梶浦宏孝四段(22)に勝ち、9戦全勝としてC級1組への昇級を決めた。同時に、昇段規定を満たして同日付で史上初の「中学生五段」となった。17日に羽生善治竜王(47)と準決勝で直接対決する朝日杯将棋オープン戦で優勝を果たせば、一気に六段まで昇段する。〉(2018年2月1日付スポーツ報知)

◆藤井聡太五段の快挙で思い出した「名大附」受験

 
藤井聡太五段(日本将棋連盟HPより)

天才はやはり本当に居るものだと、藤井聡太君には感心させられる。15歳でも言葉の選び方は、知性を備えた大人のそれだし、人間的な落ち着き振りは、傑出した才能を伺わせるのに充分な重厚性を持っている。藤井君は現在名古屋大学教育学部附属中学校に在籍しているが、実は中学校ではないものの、私は名古屋大学教育学部附属高等学校を受験して、見事に不合格になったことがある。

地元では「名大附(めいだいふ)」と通称される、名古屋大学教育学部附属高等学校の入試は、ややユニークだった。1次試験は「抽選」だ。私の通っていた中学校から数10名が「抽選」を受けた(抽選はたしか郵送で願書を出して、高校側から本試験へ「当選」したか「ハズレ」たか連絡を受けるシステムだったと記憶する)。

 
名古屋大学教育学部附属中・高等学校(同校フェイスブックより)

私は幸運にも本試験受験を許可される「当選」の連絡があり、名古屋市内の同校で筆記試験を受験した。同校は名古屋大学教育学部附属ということで、偏差値的にはかなり優秀なのだけれども、「必ずしも成績優秀者だけが合格するのではなく、合格者は成績順ではなく選抜する」と言われていた。

私の学力では到底合格は難しいレベルの学校だが「成績上位者からだけではない合格」に可能性をかけた。筆記試験の出来は芳しくなかった。とてもではないが合格域に入れるような成績ではなかったろう。そして自分の敗戦感覚通り、不合格となった。

◆「名大附」出身・もう一人の猛者、辻元清美

これで名古屋大学附属高等学校との縁は切れるのだが、大学を卒業して企業に勤めてから、奇異な縁に引き戻される。当時私は某大企業のエリート新入社員だった(いまでは嘘のようだけれども事実だ)。その仕事で立ち寄り先に「ピースボート」のポスターが貼られたお宅にお邪魔することになった。ピースボートはどんな商法をしているのか知らないが、いまでは都会だけでなく、田舎でもあちこちにポスターを見かけるようになり、「経営」も安定しているように伺える(正直、少々やりすぎの感も否めないが)。でも当時はまだそれほどに目立った存在ではなかったが、チャンスがあれば乗ってみたい、と学生時代に関心を持っていた。

 
辻元清美衆議院議員(公式HPより)

知る人は知っているがピースボートを始めたのは辻元清美を中心とする若者たちだった。いまではもう50歳を超えて、議員歴も長くなった辻元清美とともに、ピースボートを立ち上げた人が、私の訪問先の居住者だった。仕事の話もそこそこにして、初対面なのに、私からはピースボートについてあれこれ質問し、その後その方とはしばらく情報を交換することになる。そして当時から「辻元清美はいずれ社会党の全国区から選挙に出る予定」と教えてくれたのもその方だった。

その情報通りに、後年辻元は社会党が改名した社民党から国会議員に当選し、逮捕されるなど波乱に満ちた経験をへながらもしぶとく議員の椅子を確保し続けている。その辻元は名古屋大学教育学部附属高等学校の卒業生でもあるのだ。関西弁でまくしたてる話し方を聞いていると、関西生れの関西育ちのように勘違いしがちだが、辻元は高校時代を名古屋で過ごしていたのだ(辻元は、その気になれば名古屋弁をしゃべることができるのか、ちょっと興味のあるところではある)。

◆辻元清美はどんな高校生だったのだろうか

入学試験の際に一度しか訪れたことはないけれども、歴史を感じさせる校舎からは、自由な校風の香りがした。もし仮に私が同校に合格していたら、確実にその後の人生は変わったものになっていただろう(それは大学入試にも言えることだが)。そんな学校に通う天才棋士の藤井聡太君は史上最速で五段に達したという。元気はつらつ、スポーツに打ち込む若者を見ていていると気持ち良いけども、知性に溢れ、控えめな態度の若者には、また別の可能性や期待感を感じる。同じ学校に通っていた辻元はどんな高校生だったのだろうか。ちょっと興味がわく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点
2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

大阪「髪染め強要」訴訟 ほとんど報じられない学校側の主張を伝える【後編】

大阪府立懐風館高校の女生徒A子が学校の指導を不服として起こした「髪染め強要訴訟」では、マスコミがこぞってA子の応援団と化し、学校側に対する批判的な報道を繰り広げてきた。その一方、ほとんど報じられてこなかった学校側の主張も決して信ぴょう性がないわけではない。前編に引き続き、被告の大阪府が大阪地裁に提出した2015年12月11日付け準備書面に基づき、学校側の主張を紹介しよう。

◆入学当初は学校側の頭髪指導に従っていたA子

 
懐風館高校のホームページ。掲載された学校生活の写真では、髪が茶色っぽい生徒も散見される

まず、前編のおさらいをしておく。

A子はこの訴訟で「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」と主張しているが、前編で紹介した学校側の主張によると、A子の髪の地毛の色は「黒」であり、学校側はA子に対し、髪を地毛の色である黒に染めるように指導していたとのことだった。

また、前編で紹介した学校側の主張によると、懐風館高校でA子と同学年の生徒の中には、地毛が茶色であるなどと入学時に申し出た生徒が約40人いて、学校側はこの生徒たちに対しては、「頭髪を黒色に染めるように」という指導は行っていないとのことだった。この主張が事実なら、懐風館高校では、頭髪の地毛が本当に茶色であれば、髪を黒く染めるような指導は行っていないことを裏づける生徒が約40人存在する――ということになる。

そしてA子は入学早々、3人の教師による頭髪検査で「地毛の色は黒なのに、髪の色を明るく染めていた」と認められ、頭髪を地毛の色である黒に染めるように指導されて一度は従ったとのことだった。以上が前編のおさらいで、以下は今回新たにお伝えすることだ。

学校側の主張によると、A子に対し、髪の毛を黒く染めるように指導した2回目は入学した年(2015年)の5月17日のことだという。その前々日の体育の時間中、担当教師がA子の髪の色について、「明らかに黒ではない」と認めたことから、2人の教師が放課後、A子の頭髪を検査した。すると、A子の髪の毛は根元が黒色なのに、毛先に向かって色が異なっている状態だったという。

A子はこの際、「4月に黒色に染めたが、色落ちした」と説明したそうだが、2人の教師は「A子の頭髪の色は、地毛の色と著しく異なっている」などと判断し、再度、髪の毛を黒く染めるように指導したという。

この時、A子の母親から学校に電話があり、「娘の地毛は茶色なのに、中学の時、そのままだと高校に合格しないと言われて、黒く染めた」などと言ってきた。ただ、母親はこの時、A子の髪の地毛の色のことより、「同じクラスには、化粧をしている子がいるのに、それを認めていいのか」などと言っていたという。そして結果、A子は学校側の指導に従い、5月20日には髪を黒く染めて登校していたという。

だが、学校側の主張によると、この後、学校側とA子の間では、髪の毛の色をめぐる攻防が繰り返されるのだ。

◆学校とA子の頭髪の色をめぐる攻防

前出の準備書面をもとにまとめると、学校側がA子に対して行った頭髪指導の3回目以降の内容、それに対するA子の対応は次の通りだ。

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●2015年7月17日
1学期の終業式があったこの日の頭髪検査により、A子はまた髪の毛の根元の色が黒く、毛先に向かって異なる色になっていた。そこで担当教師2人は「2学期が始まる前に黒く染めるように」と指導した。この時、再びA子の母親から学校に電話があったが、母親は髪の色については、とくにこだわっていなかった。

●同8月24日
2学期の始業式があったこの日、A子は上記の教師たちの指導に従い、髪の毛を黒く染めて登校してきた。

●同12月24日
2学期の終業式があったこの日、A子の頭髪はまた根元が黒く、毛先にかけて色が異なっているという状態になっていた。そこでまた担当教師が「3学期までに黒く染めてくるように」と指導した。

●2016年1月8日
3学期の始業式があったこの日、A子は上記の指導を受けたにも関わらず、髪が黒くなっていなかった。そこで担当教師2人は「4日以内に黒く染めてくるように」と指導した。すると夕方、A子の母親が電話してきて、「同じクラスに化粧をしている生徒がいるのに、頭髪はダメなのか」「弁護士と一緒に学校に行き、校長と話がしたい」などと述べた。対応した担当教師の1人が「化粧についても指導している」などと説明したところ、母親は「黒く染めるから、もういい」と電話を切ってしまった。

●同1月12日
A子は髪を黒く染めて、登校してきた。

●同3月15日
3学期の終業式があったこの日、A子の髪はまた根元が黒く、毛先に向かって色が異なっている状態になっていた。そこで担当教師らは「4月11日の新学期までに黒くしてくるように」と指導した。

●同4月11日
1学期の始業式があったこの日、2年生に進級したA子は上記の指導に従い、髪を黒くして登校した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、こうして学校側の主張を時系列に沿って見ていくと、A子は終業式のたびに髪の毛が地毛と異なる色になっており、地毛の色である黒に染めるように指導されていたことになる。あくまで学校側の言い分だが、頭髪検査の際にはいつも「A子の髪の根元の色が黒く、毛先に向かって色が異なっていた」という主張は無下に否定できない内容ではあるだろう。

◆次第に指導に従わなくなったA子

このように学校側の主張によると、A子は髪を何度も明るい色に染め、教師たちに指導されるたびに地毛の黒に染め直すということを繰り返していたが、だんだん指導に従わなくなっていったという。その経緯を見てみよう。

同4月27日、和歌山方面での校外学習の際、またしてもA子の頭髪は茶色になっており、それを見つけた教師は黒く染めるように指導したという。だが、A子はこの指導に従わず、髪の毛が茶色いままで登校し続けた。そして同5月17日、ようやく髪を黒くしてきたが、同6月20日には再び髪を茶色くしていたという。

この時、担当教師は「同6月24日までに髪を黒くしてくるように」と指導したが、A子は「やらへん」と言った。そして同6月24日には、一応、髪を黒くして登校してきたが、染め方が不十分だったという。

そんな経緯を経て、1学期の終業式があった同7月20日、A子はまたも髪の毛を地毛の黒と異なる色に染めていた。そこで担当教師は黒く染めるように指導したが、夏休みに入った同7月27日、A子は逆に極端に茶色く髪を染めていたのを教師らに発見される。しかしA子は「夏休みなのに、なんであかんの」などと言ったという。

そして翌28日、A子の母親から学校側へ不穏な連絡が入る。「昨日、娘が過呼吸で救急搬送された」というのだ。

だが、そんなことがあったにも関わらず、夏休みが終わって2学期が始まると、A子は今度はピアスをつけて登校してきたという。頭髪の色はまだら状態だったが、教師に対しては「黒いやん」「直してるやん」とからかうように言った。そしてその後、A子は頭髪の色に関する学校の指導に従わなくなってしまったという。

◆「先生、訴えるで」「えらい目に遭わしたる」

そんな状態が続く中、同9月8日、ついにA子と学校側の間で決定的なことが起こる。担当教師らに指導を受ける中、A子が薄ら笑いを浮かべながら、「先生、訴えるで」と言い、さらに教師たちに対し、こんな言葉を投げかけてきたというのだ。

「次の手を考えている。教育委員会に言ってもダメだったので」

「T(教師の名前)をえらい目に遭わしたる」

「おかあさんに『Y(教師の名前)は文化祭、一生懸命やってるからおとなしいしといたれ』って言うたけど、もうええ」

この日を最後に、A子は学校に登校してこなくなった。そして1年余りの月日が過ぎた2017年(昨年)10月、今回の訴訟を起こしたというわけだ。

以上は学校側の主張に基づいてまとめたものだ。従って、A子側の反論を聞くことなく、鵜呑みにするわけにはいかない。

ただ、これまでマスコミでは、A子側の主張が大々的に報じられる一方で、学校側の主張を伝える報道はあまりに少なかった。それゆえにあえて、ここでは学校側の主張を詳しく伝えた。

訴訟はまだ始まったばかりで、予断を許さない。私は今後もこの訴訟を取材していくので、適時、新しい情報をお伝えしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

大阪「髪染め強要」訴訟 ほとんど報じられない学校側の主張を伝える【前編】

「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市にある府立懐風館高校の女生徒がそう訴えて昨年10月、大阪府に損害賠償など約226万円の支払いを求めて起こした「髪染め強要」訴訟。ここまではマスコミがこぞって女生徒の応援団と化している印象だ。

報道を1つ1つ紹介していたらきりがないが、いかにマスコミが女生徒側に一方的に肩入れした報道を繰り広げてきたかは、以下のようにインターネット上で配信された記事の見出しを並べただけでもわかるだろう。

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教室の席なくされ、進学の夢は遠のき 髪黒染め指導訴訟(朝日新聞デジタル同11月10日)

(社説)黒髪指導 生徒の尊厳を損なう(朝日新聞デジタル同11月6日)

社説 学校の頭髪黒染め指導 理不尽な強要ではないか(毎日新聞ホームページ同11月19日)

地毛茶髪、黒染めで頭皮ボロボロ…アレルギー無視「生徒への暴力だ」(産経WEST同12月19日)

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こうした報道をうけ、脳科学者の茂木健一郎氏や教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏ら著名人たちも次々に学校側を批判するコメントを発表。さらには、この騒動は海外メディアでも次々に報じられ、日本の学校では生徒の身だしなみについて、厳格なルールを定めているように伝えられた。

一方、こうした騒動の中、学校側は女生徒について、「髪の毛の色は明るかったが、地毛は黒色だと判断し、黒く染めるように指導していた」と主張しているのだが、そのことはほとんど報道されていない。そのため、学校側が悪いというイメージが世間に強烈に印象づけられている。

そこで私は、訴訟が行われている大阪地裁を訪ねて訴訟記録を閲覧し、現時点での女生徒側、学校側双方の主張を確認した。その結果、女生徒側の主張を鵜呑みにし、学校側が悪いと決めつけるのは危険だという思いを抱いた。ついては、ほとんど報道されてこなかった学校側の主張をここで紹介したい。

訴訟が行われている大阪地裁

◆懐風館高校は学校運営の方針として生活指導に重点

この訴訟の原告は女生徒で、被告は大阪府だ。府が提出した同12月11日付け準備書面をもとに学校側の主張を見ていこう。なお、便宜上、これから先は原告の女生徒をA子と呼ぶことにする。

懐風館高校は、羽曳野高校と西浦高校という2つの府立高校が統合されて2009年4月に開学した。設立当初、生徒たちの生活などに乱れがあり、問題行動をする生徒が多かったことから、学校運営の方針として、生徒の生活指導に重点を置き、とくに頭髪や服装、遅刻に対する指導に力を入れるようになったという。それにより、生徒たちの興味や関心を勉学やスポーツに向けさせようとしたわけだ。

では、生徒の頭髪に関する校則は具体的にどのように定められているのかというと――。

〈頭髪は清潔な印象を与えるように心がけること。ジェルなどの使用やツーブロックなどの特異な髪型、パーマ、染髪、脱色、エクステは禁止する。また、ドライヤーなどによる変色も禁止する。カチューシャ、ヘアバンドなども禁止する〉

このような校則がある懐風館高校では、夏休みや冬休み、春休みという長期の休み入る前には生徒の頭髪検査を行っている。その際、髪の色を染めているなどの校則違反をしている生徒がいれば、次回の登校日までに地毛の色に染めるように指導しているとのことだ。また、日常の学校生活においても、頭髪を染色するなどの校則違反をしている生徒がいれば、4日以内に改善するように指導しているという。

これを見る限り、懐風館高校の頭髪に関する校則は厳しく、かつ、学校側は生徒たちに対し、この校則を厳しく守らせている印象だ。

もっとも、A子の髪の色が本人の主張するように生まれつき「茶色」であるならば、校則に引っかかることはない。それにも関わらず、学校側がA子に対し、髪を黒く染めるように強要していたとすれば、重大な人権侵害というほかないだろう。

一方、逆に学校側が主張するようにA子の髪の地毛の色が本当は「黒」であるにも関わらず、A子が黒以外の色に染めていたならば、A子は校則違反をしていたばかりか、髪の色を偽って訴訟を起こしていたことになる。こちらが真実である場合、A子の主張はもはや全面的に信用性を失うと言っても過言ではないだろう。

◆地毛が茶色で、髪を黒く染めさせていない生徒が約40人存在

では、学校側はA子の髪の毛の色について、事実関係をどのように主張しているのか。おおよそ次の通りだ。

A子が懐風館高校に入学した2015年の3月23日、学校側は2015年度の新入生を対象とする説明会を開いている。そして教育内容、年間行事、部活動などについて説明を行ったほか、生徒指導主事の教師が校則について説明を行った。

その中では、(1)懐風館高校は、頭髪指導に力を入れていること、(2)頭髪規制に関する校則の内容、(3)頭髪を染髪などした場合は地毛の色に染色するように指導していること、(4)地毛の色に染色してもそれが色落ちしてきた時には再度、染色してもらうことがあること――などが説明されたという。

そして学校側の主張によると、この説明会では、学年主任の教師が新入生たちに対し、「学校生活を送るうえで、配慮が必要な者は保健室へ来て、申告するように」と伝えた。しかし、頭髪に関し、学校側に配慮を求めてきた新入生はいなかったという。

さらに学校側は念押しするようにこう主張する。

〈なお、入学後のオリエンテーションにおいて、頭髪の地毛が茶色であるなどと申し出てきた約40人の生徒がいるが、これらの生徒に対しては、当然のことながら、頭髪を黒色に染色するようにとの指導などは行っていない〉

この部分は換言すると、こういうことになる。懐風館高校では、頭髪が生まれつき茶色である生徒に対し、頭髪を黒色に染めるような指導はそもそも行っておらず、そのことを裏づける生徒が約40人存在する――。学校側がこの訴訟において、この約40人の生徒が実在することを何らかの形で証明できれば、大きなアドバンテージなりそうだ。

◆入学当初に染髪をしていると認められていた原告の女生徒

では、A子に対し、学校側が髪の色に関する指導を行ったのはいつ頃からのことなのか。

学校側の主張によると、最初は同3月30日、新入生の生徒証に貼付する写真の撮影を行った時だったという。この際、3人の教師が生徒たちの頭髪検査を行ったところ、A子の頭髪の色は著しく明るい状況だった。ただ、髪の毛の根元部分(1センチくらい)が黒く、そこから毛先に行くに従って光っているような明るい色になっており、過去に染髪をしていることが認められたという。

A子はこの時、「中学校で、高校入試のために髪を黒色に染めるように言われた」と答えたそうだ。これをうけ、教師たちは「A子の頭髪は、地毛が黒色なのに、異なる色に染色していたので、出身中学が高校入試で不利にならないように地毛の黒色に染めるように指導したのだ」と理解した。そこでA子に対し、校則や指導方針を説明し、4月2日の登校日までに黒く染めるように伝えたという。

ちなみにこの時、学校側はA子以外にも16人の生徒に対し、髪を地毛の色に染めるように伝えたとのことだ。そしてA子も他の16人の生徒も4月2日の登校日には、髪を黒く染めてきたというのだが――。

学校側の主張によると、これ以降、A子は何度も髪を黒以外の色に染め、学校側の指導を受けて地毛の色である黒に染め直すが、また黒以外の色に染める――ということを繰り返すようになったという。こうした学校側とA子の具体的なやりとりについても、前出の準備書面には詳細に綴られている。

それはあくまで学校側の主張だが、信ぴょう性をまったく感じられない内容ではない。後編では、学校側の主張をさらに詳しく紹介していこう。(つづく)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

京都大学立て看規制から見える社会の終焉

11月25日付けの朝日新聞によれば、京都市は京都大学に対して同大吉田キャンパスの立て看板が「京都市の景観を守る条例」に違反する旨の行政指導を行っているという。

11月25日付け朝日新聞

◆京大もいよいよ来るところまで来た

「京都市の景観を守る条例」を使うとは、また姑息な言い訳を探し出したものだ。「自由な学風」と言われた京都大学も「大学総右傾化」に漏れず、いよいよ学生自治の最終的破壊に取り掛かり始めた。

京大では昨年半日だけの「バリケードストライキ」が行われたが、それに関わった京大生は、まず無期停学になり、次いで「退学処分」になった。京大生、学外者を含めて、京大には氏名を明示して「京都大学敷地内への立ち入りを禁止の通告」と仰々しい貼り紙がある。この手の氏名まで特定しての「立ち入り禁止」のお触れは、明治大学で目にしたことがあるが、たった半日の「バリケードストライキ」で退学プラス敷地内立ち入り禁止処分を出すとは、京大もいよいよ来るところまで来たと言えよう。

現在の京大山極壽一総長は霊長類の研究者として知られており、総長就任の直前に元京大教授だった方にうかがったら「山極は本物のゴリラですわ」と好意的に評価されていた。どちらかといえば政治とはあまり縁がなく、純粋な研究者との印象が強かったようだ。

京大だけでなく、全国の大学で大学自治の喪失、「産学共同」の名のもとに大企業の学内侵入(あるいは招聘)はもう当たり前のように進行しているので、学生に「自治」や「権利」などと話をしてみても反応するのは100人に1人いるかいないか、というのが今日の状況だ。純粋な表情で無垢そうな体の細い若者たちは、全体におとなしく、声が小さく、選挙権を得ると自民党に投票する傾向がある。

そこにもってきて「京都市の景観を守る条例」を引き合いに出すとは、京大当局と京都市の連携がなに恥じることなく愚かな方向に邁進していることのあかしだ。京大当局の本音は「学生自治を完全に破壊しつくして、学外からの研究費獲得のためのより良い環境づくりを進めたい。そこで京都市さん、一肌脱いでもらえまへんやろうか」だ。京都市は「簡単なことどす。任しておくんなはれ」と「景観を守る条例」を引き合いに「京大はん、ちょっと立て看なんとなんとかなりまへんやろか?」と京都伝統のうち最も悪い部分を丸出しに「芝居」を打つ。

見え見えだ。京都に暫く住んでみれば行政と地域や市議会と企業などの関係で、京大―京都市で繰り広げられる「芝居」のようなことがしょっちゅう起こっていることは勘の鋭い人ならすぐにわかる。

◆IT化で進行する「本来の大学のありようの放棄」

京都は狭い盆地の中に多くの大学が集中し「大学のまち」と呼ばれることがあるほど学生が多い。近年観光旅行客の増加で影が薄くはなったが、京都市内の大学生人口比率は相当高く、学生が居ることを前提に成り立っている商売(主として賃貸マンション)も少なくない。一時は大学の郊外志向時代があり同志社大学や立命館大学などの私立大学は京都市外に広いキャンパスを求めたが、東京でも都心回帰が起こっているように、同志社は文系学部をすべて元の(今出川)キャンパスに戻したり、京都学園大学(名前は京都学園だが所在地は亀岡市だった)が念願の京都市入りを果たしたり市内への流入を目論む大学も少なくない。

それにしても大学の「景観」や美しさとは、立て看板一つない、貼り紙一つない、学生活動も低調で、入学したらすぐに「キャリア」という間違った英単語で指導される「就職活動に目が向けられる様子にあるのだろうか。新しく建てられた大学の教室にはLANケーブルの端子とコンセントが標準装備された机を目にする。当然パソコンの利用を前提としてのことだ。わたしにはあの設計が、「本来の大学のありようの放棄」に思えて仕方がない。講義中にパソコンを開かせる大学教員の神経がわからない。

講義中のパソコン使用は、工学や電子工学など一部の理系講義を除けば、わからない意味をインターネットで調べる「カンニング」の推奨であり、「考えること」、「調べること」を放棄させているのではないか。もっともパソコンを使わせなくても大教室でのマスプロ講義は昔から真剣な学問の対象とはなりえなかったけれども。そして「景観条例」は企業の宣伝を規制するために作られた条例ではなかったのか。

◆大学の主人公は「学生」から「カネ」へ

大学の主人公は「学生」であるはずだ。それがいつのころからか、学生の体だけは確かに学内にあるけれども、本質は「カネ」が主人公の位置を奪いとった。京大だけでなく、若者が手なずけられやすくなった時代を歓迎し、安堵している向きも経済界や与党を中心に多かろう。しかし、彼らは必ず高いツケを払わされる運命にある。いやこの社会全体が間もなくとてつもない負債の返済を迫られる。

未来があるはずの若者ならば、どんな状況であろうが「不満」や「不条理」を感じ取るのがヒト種の動物的な生理反応だ。そんなものに国境はない。若者が現状に安堵し、肯定し始めるのは、とりもなおさず社会の後退と終焉への思考なき暴走を意味するのではないか。それを期待し喜んでいる大学当局。例によって私の「考えすぎ」悪癖にすぎないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

夏休みは8月31日までじゃなかったのか? 文科省「夏休み短縮化」の愚策

8月25日にラジオを聴いていると、「きょうから京都市内の小中学校は2学期が始まり……」というニュースの声が聞こえてきた。あれ、夏休みは8月31日まで(私の頭の中では児童・生徒の揺るぎない「権利」として)あったんじゃないか、と思いながら続きのアナウンスを聞いていると、「ゆとり教育解消による、授業時間確保のため、また、教師の業務負担軽減などを狙い」と夏休み短縮の理由が説明されている。

小中学生が大人には太刀打ちできないとわかっていて、こどもの「権利」たる夏休みを10日も奪ってしまうのは、ひどい仕打ちじゃないか!学校嫌いだった自分が児童や生徒の頃にこの「夏休み10日強奪」が行われたら、生徒会に呼び掛けて全学ストライキを打つか(子供にそんなことは現実的ではないですね)、あるいは泣き出していたかもしれない。

産経新聞2017年6月22日付記事

それで驚いてはいけない。2017年6月、静岡県の吉田町は「小学校の夏休みを16日間程度に短縮することを検討している」と発表した。(産経新聞2017年6月22日付記事)やはり理由は京都市の小中学校と同じようらしいが、「16日間の夏休み」は極端にもほどがある。

そもそも「ゆとり教育解消による授業時間確保のため」は現実的な課題ではあろうが、納得のできる理由ではない。なぜならば「ゆとり教育」が導入される前に夏休みは、寒冷地などを除き、おおよそ7月20日から8月31日までの40日が標準だったからである。「ゆとり教育」導入と週休2日制(土曜日も休み)により、授業時間が一時減ったことは間違いない。しかし、週休2日制は学校に限らず、多くの企業、役所ではすでに定着した勤務形態であり、週40時間労働の原則からすれば当然導かれる休日数だ。「ゆとり教育」が見直されたからといって、そのつけを「夏休み短縮」に持ってこられたのでは児童・生徒はたまったものではない。

小中学校の教師だって「労働者」だ。こう言うと「いや、教師は聖職者だ!」と昔から噛みつく人がいるが、それは職務が子供を教育する、という極めて人間形成に深くかかわる重大性を拡大解釈しているだけのことであって、教師を聖職者だと決めつけ、だから基準労働時間以上も無償奉仕に献身的に当たるべきだという論は無茶が過ぎる。さすがに、近年の教師の激務ぶりを見た人の中からそのような声は上がらなくなったけれども、実は教師に過剰労働を強いているのは外ならぬ、文科省や教育委員会である。

私の記憶にある限り、戦後史の中で旧文部省、文科省が担ってきた役割は、戦後10年ほどを除き、ほとんど「害悪」でしかない。小学校から大学に通うお子さんや親戚、お知り合いのいる方であれば分かりだろうけれども、学校の先生の忙しさは尋常ではない。「ゆとり教育」が導入されるときだって、カリキュラムの大きな変更と同時に文部省(当時)から押し付けられる、授業とは直接関係のない雑務の増加により、先生たちの業務量は増加の一途だった。そしてこの国のお役所十八番の「朝令暮改」を地で行く「ゆとり教育」廃止により、振り子は元よりもさらに大きな振幅をはじめ、児童・生徒、教師へかかる負担はさらに荷重になる。

つまり、初等教育(否、中高等教育も)における「教育理念」がこの島国にはないのだ。いつでも行き当たりばかり。世界でも例を見ないほど英語教育に時間をかけていても、大学生のほとんどが英会話を苦手にしている現状。嘘か本当か分からない大昔の歴史(そこで教えられる内容だってコロコロ変わる)には必要以上に時間を割くくせに、近現代史を軽視する歴史教育。論理立てて考え、議論する、批判的に物事を見る科学的姿勢を軽視して、ひたすら「暗記」を前提としたカリキュラム。知識が身につくことはあっても知恵や生き抜く力を支える力が身につくことのない陳腐な教育。一言で言ってしまえばこの島国は戦後の一時期を除き、また、一部の特色のある学校や私立学校を除き、一貫してそのような哲学の「貧しい」教育に終始してきたのである。

そして、その最大の犯人は現文科省、旧文部省だ。連中は現場の教師がどれだけ忙しいか熟知している。ほとんどの公立学校で授業後のクラブ活動の指導にあたる教師は残業手当をもらっておらず、無償奉仕をするという現象は当たり前のようになっているし、夏休み短縮の原因とされる教師の業務過多は、あれこれと押し付けられる「報告書」や「調査」の類の作成に、膨大な時間を割かれるためだ。こういった「報告書」や「調査」の類が教育現場や教育内容の改善につながった例は、私の知る限り「皆無」であり、役所特有の「本来は不要」な本質的(学校であれば「授業」)業務になんら有意義ではない、「無駄な業務」が学校に強いられている結果だ。

そして、学校を企業のように妄想し「学校運営」を「学校経営」とまで言い換えているのが文科省だ。義務教育は営利目的ではないだろうが。違うか。

教師の業務負担軽減は、不要な事務作業を徹底して現場から排除すること。これまでの英語教育の非効率性が証明されているのに、小学校でも英語教育を行うという愚策を止めること。ITCだのなんだのといって、小中学校でもパソコン関係の教育を益々進めようとしているが、パソコンの操作方法などこの時代子供は勝手に覚える。教えるべきは、主としてインターネットという電子世界を扱い、参加するにあたっての危険性や留意事項と有益な使用方法などであろう。

小中学校では「朝礼」があるが、文科省にはそれに加え「暮改」必ず付随する。何の一貫した思想も将来像もない。

「夏休みの短縮」といった愚策は、その象徴であり、矛盾を解決するものでは全くない。考えてみよう。毎年猛暑日が続くこの時期に、近年はエアコンが整備されているとはいえ、小中学校で授業を増やしたら、どうして教師の業務負担軽減になるというのか。子供たちだけではなく、先生にも正当な夏休みを!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

《大学異論47》「無償化で改憲」は寝言 大学は80年代の環境に戻せばよし

教育無償化実現に向け、自民党内の議論が活発化してきた。財源に関しては、使途を教育に限定する「教育国債」発行案に加え、社会保険料率を上乗せし無償化に充てる「こども保険」創設案が浮上。無償化の対象をどうするかも課題となるが、憲法改正に向けた思惑も絡み、意見集約は見通せない。

◆屁理屈と思惑ばかりの「大学無償化」議論

「教育国債」は安倍晋三首相(党総裁)に近い下村博文幹事長代行や馳浩前文部科学相が発案。総裁直属機関の下に「恒久的な教育財源確保に関する特命チーム」を設立、導入を検討している。

国債に頼ることで現役世代の負担増を回避できる一方、将来世代に借金を先送りすることにつながる。無償化の範囲については、大学などの高等教育に重心を置くが、それだけで数兆円単位の財源が必要とされる。

一方、「こども保険」は、小泉進次郎農林部会長らによる「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発案。働き盛りの若い夫婦らへの支援を念頭に、保育・幼児教育を無償化する内容で、想定する対象が下村氏らと異なる。

◎教育無償化、議論活発に=「こども保険」も浮上-財源や対象が課題・自民(時事通信2017年4月2日)

よくここまで屁理屈を考え出すな、と感嘆する。でも、そうでありながらあまりにも見え透いていて、本音が丸出しの浅知恵だなぁと、罵声の一つも飛ばしたくなる。最近急に沸き起こっている「大学無償化」議論についての感想だ。

今さら何を朝令暮改の妄言を自民党が語りだしたのか。それはあまりにも切実かつ、急を要する大学学費の高騰による、社会的弊害の広がりと、学費支弁者(基本的には親)の悲鳴を無視できなくなったことが、表面上の理由だ。しかし、一部議員の本音はそこにはない。下村元文科大臣や、民進党の細田豪志が言うように「改憲後の憲法にそれを書き込みたい」とう、馬鹿もたいがいにしろ、としか言いようのない、罵倒するにも形容詞や語彙が見つからないほどの薄汚い思惑も包含されている。

◆学費値上げで不要だった「改憲」がなぜ、値下げで必要なのか?

たしかに、日本の大学学費は高い。所得に比しても異常に高い。これは大問題であり私はなんらかの手段で公立、私立共々の学費を低減すべきだと考えてきた。しかし、現在奴らが語っている「大学無償化」は私の主張と似ているようで、その実まったく趣旨が異なる。自民党内では「こども保険」という名の新税を設けるか、「教育国債」を発行して無償化を図ろうとする議論があり、これに維新で院政を敷く橋本への同意を求めている。さらに下村らは「憲法にそれを書き込んで政策実施を早めたい」と、腰を抜かすようなコメントをしている。細田も同様だ。

何度考えても私の貧弱な語彙から、こやつらを罵倒する適切な言葉が思い浮かばないが、あえて言えば「寝言は寝てから言え」となろうか。どうして大学の授業料を無償化する如きの「政策」で憲法改正が必要なのか。なら、なぜかつてはほとんど無償に近かった国立大学の学費を年額60万円近くまで値上げするのに「憲法改正」は不要だったのか。単純化すれば連中の主張は、値下げには改憲が必要で、値上げに改憲は不要となる。そんなものどちらも「改憲」とは全然関係ない。読者諸氏はまだご記憶だろうが、民主党が政権を取った際、公立高校の無償化を実施した。あの時に「改憲」が話題になっただろうか。「改憲」など全く話題にならず公立高校授業料の無償化は実施されたじゃないか。

◆簡単な解決策は「独立法人化」を廃止し、昔の国公立大学に戻すこと

憲法は国のありようや、目指す国家の姿を描くもので、同時に国家権力の暴走を防ぐための最高法規だ。そこへ一政権が政策レベルで実行可能な施策を書き込んでいたら、毎年「改憲」をしていても追いつかないだろう。「こども保険」や「教育国債」などを導入しなくとも、まずは国公立大学(法人)の学費を低減できる簡単な施策がある。

その第一は現在導入されている「独立法人化」を廃止し、昔の国立大学に戻すのだ。今の国公立大学には「理事会」に経済人が山ほど乗り込んで、「商人」の計算で大学が運営されるようになってしまった。また学長の権限が不当に拡大され、教授会自治もなきものにされている。「学生自治」などはすでに歴史の教科書の中にしか存在しない。「独立法人化」を文科省はまず撤回しろ。そして1980年代以来進めてきた国公立大学への各種締め付け政策をすべて、元に戻して1980年当初の授業料に戻すのだ。

当時と現在で消費物価の大きな違いはないが、国公立大学の授業料は現在の半額以下だ。これでも国立大学としては高額だが、まずは30年前に戻せば少しは経費支弁者の負担も軽減する。

▼[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

◆いまの大学の惨状はこれまでの「改革」が引き起こしたにすぎない

この惨状は、ひたすら米国式の教育システムを参考に文科省が進めてきた、大学管理と学生虐めが導いた結果である。国立大学を独立法人化しなければならない理由など、庶民の側からは皆無だったのに「改革」と謳い文句をつければ、なにかしら新しい価値のある政策だと勘違してくれるだろうという、役人根性丸出しの間抜けな文科官僚どもが暴走した付けに過ぎない。付言すれば「独立法人化」にとどまらず、実質国が親元の奨学金の運営団体であった「日本育英会」をはじめとする5団体を「日本学生支援機構」に統合したのも愚作の極みといえよう。「日本学生支援機構」発足前から「日本育英会」が無利子の奨学金だけでなく、「2種」と呼ばれる有利子奨学金を導入した「罪」も強く弾劾されなければならない。

文科省は「学びたい学生がいかに学べるが」などを模索するといった発想は微塵もなく、大学を自由競争に放り込み、いらぬ口出しはするくせに金は出さないという、性悪根性の政策しか立案しない。無駄もいいところ、「グローバル化」と時代遅れも甚だしく巨額の補助金をちらつかせながら大学に競争を強いり、まったく不毛な金をばらまいている。

◆究極の教育無償化策は「出向・天下り天国」文科省の解体

文科省官僚の「狼藉」も目に余る。現役官僚のうち241名、実に現役職員の10%以上が国公立大学法人に「出向」している。途中退職して私立大学の職員にひき抜かれるものもいるから、文科省の役人は「出向・天下り天国」だ。

中学校の先生の大半が過労死ラインを超える残業を毎月強いられているという。先生たちは昔からあんなに忙しかっただろうか。そんなことはない。定年近い中学校教諭に聞いたところ「21世紀に入ってからですね。雑用が増えましたよ。雑用です。生徒の教育と直接関係ない資料作りが一番の負担です」と言われていた。

いかがだろうか。このように見てくると、文科省という役所が、何ひとつ国民に有益な政策や施策を行う能力がない人間の集まりであることが判明する。究極の教育無償化策は、まず「文科省解体」からだろう。

▼河野太郎「文科省国立大「現役出向」241人リスト#1 問題は天下りだけではない。これが“植民地化”の実態だ」(2017年5月6日=文藝春秋2017年4月号)

[図表2a]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2b]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2c]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2d]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2e]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球、タブーなし!『紙の爆弾』
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

《大学異論45》国立大学「独立法人化」で国からの干渉が強化された矛盾

◆教育に対する国家の態度──欧州諸国と米国は雲泥の差

「欧米」、と容易に西洋諸国をくくってしまうことがあるが、こと社会保障・福祉にかんして、欧州の多くの国と米国には雲泥の差がある。当然欧州の中でもEUに所属していようが、いまいが国ごとにその差があることは言うまでもない。その中でわかりやすい違いは教育への国家の態度だ。教育とりわけ、高等教育に関して英国と米国は比較的政策が近い。そして、この両国を真似ているのが日本であり、韓国であり、台湾、つまり東南アジア諸国である(近年はその中に中国も含まれるようになってきた)。

国立大学法人運営費交付金の推移(2004-2014年度)(wikipedia「国立大学法人」の項より)

なにが似通っているかと言えば、米国、英国やこの島国を含めた東南アジア諸国では、高等教育にかかる授業料が個人負担であり、それもかなりの高額であるという点である。それに対してフランスやドイツなどで、欧州でも一定程度以上の社会福祉が築かれている国々では「義務教育から大学院まで学費は無料」が常識だ。学費が無料の国ほど「金も出すから口も出す」と、教育内容に国家の介入が強いかと思いきや、どうやらかならずしもそういった構図は成立しないようで、むしろ「金は出さないが口は出す」という図々しい態度のほうが、国家を超えて教育行政には蔓延している。それはこの島国と韓国でまことに顕著だ。台湾も追従傾向がある。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆国立大学が「国立大学法人化」されて

たとえばかつて、「国立大学」と呼ばれた大学は、正確に言えばもう既にこの島国には存在しない。すべての国立大学は「国立大学法人」化されている。だから東京大学でも、東北大学でも名古屋大学でも正式名称には「国立大学法人」が頭につく。この「独立法人化」により、大学の運営の理事会に外部の人間が入るようになり、各地の経済界の人間が大学の間接支配に手を染めることが容易になった。そして今話題の文科省官僚の理事会入りは日常茶飯事である。「国立大学法人」としては理事会に文科省の人間を置いておけば、なにかと便宜も図ってもらえ、情報の入手も容易になるであろうと、スケベ根性を出し大学運営(あえて経営ということばは使わない)の座に文科省の人間を据えているのだ。

それでなにか得策があるのか、といえば「皆無」である。交付の根拠が定められている文科省からの補助金は、融通を利かすことが出来はしないし、時々のトレンドに合わせ、「時限立法的」に設けられる補助金の獲得は、「どれだけ国策に従順か」の競争である。億単位の補助金は、大学にとって魅力的でないはずはないから「パン食い競争」のように、補助金を得ようと大学は必死になり、中身の空疎なプログラム作成や、カリキュラム新設に汗を流す。

情けないことこの上ないありさまだが、国立大学法人においては年々補助金が減額され、首根っこを押さえられている状態では、研究費を得る為にはなりふり構っていられないという事情もある。だから本論からは逸れるけれども、防衛省が研究費を支給(実質的な軍事研究に加担)する、とアナウンスすると、これ幸いと多数の大学が手を挙げたのだ。金の前には「科学の果たすべき目的」や「大学の役割」といった、根源的な問題は全く考慮されることがなかった、と言っていいだろう(多少の内面的逡巡はあったのかもしれないが、そんなものは言い訳にならない)。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆「独立法人化」で国からの干渉が強まる矛盾

「独立法人化」したということは、「国立大学」時代に比して、国からの干渉が減らなければおかしいが、事態は逆を向いている。これは私立大学においても同様だ。文科省が突きつける、「要らぬお世話」は年々増すばかりで、私立大学の教職員は講義や研究という本務と無関係なところで、雑務の激増を強いられている。

しかも「大学の自治」や「国家からの大学の自由」などということばは、哲学書の中にでも封じ込められた状態だから、大学側から文科省への異議申し立てや抵抗はなきに等しい。ろくな餌ももらっていないのに、なぜそこまで卑屈にならなければいけないか。

日常業務多忙の中で私立大学内部において「大学の自治」や「国家からの大学の自由」が、本気で語られることはない。テレビに出てしおらしく「リベラル面」をしている田中優子が学長の座にある法政大学などは、その悪例中の悪例だろう。学生の自治活動を年中弾圧し、常時学内に多数の警備員を学生の自治活動排除の為に配備し、公安警察の学内徘徊も歓迎する。こんな大学はもはや大学を名乗る資格はない。

「独立大学法人」化した国立大学、私立大学の内実は惨憺たるものである。終焉を迎えることが確実な「資本主義」の競争原理を、教育・研究の場に導入すれば成果が上がる、と考えるのはカネの勘定しかしたことの無い、商人(あきんど)の発想で、学問とは相いれない。すでに各種の国際的大学のランキングで東大や京大の凋落が明示されている。現在の延長線上に高等教育機関を位置づけ続けるのであれば、その傾向にはますます拍車がかかるであろう。

もはや、この島国の大学には「大学生」と呼ぶにふさわしくない学徒が半数近くを占めている。その深刻さこそ直視されるべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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『紙の爆弾』タブーなし!の愚直なスキャンダルマガジン

森友学園・塚本幼稚園の尋常でない表彰歴が意味するものは何か?

塚本幼稚園twitter(2013年2月18日)より
塚本幼稚園HPより

文部科学省初等中等教育企画課によると、塚本幼稚園ならびに籠井理事長が運営していた幼稚園関係者3名が文部科学大臣優秀教員に表彰されていたことが判明した。

そもそも文部科学大臣優秀教員表彰は2006年第一次安倍政権時代に発足した制度である。2006年は教育基本法が大幅に改悪された年でもあり、それに付随して導入された教育現場へのアメとムチともいえる。この表彰に当たっては文科省から全国の都道府県に推薦枠の割り当てがあり、国公立、私立学校(幼稚園から高等学校)別に人口比により推薦枠が割り当てられるという。私立学校については各県最低1名から大阪府では10名程度、東京都ではその倍程度の推薦枠が与えられているという。

塚本幼稚園HPより

森友学園(塚本幼稚園)の被表彰者は2008年と2012年に各1名、2008年には学校法人は違うものの籠井氏が理事長を務めていた「南港さくら幼稚園」(当時の名称)からも表彰を受けた人物がおり、実質的にこの問題にかかわった幼稚園教諭から3名が表彰されていたことになる。

文科省初等中等教育企画課によると、前述の通り私立学校への推薦枠は各都道府県1名から10数名とのことであるが、実際に推薦された人数は制度発足以来年ごとに、おおよそ40名前後であったそうだ。そうすると2006年の表彰制度発足から昨年までおおよそ400名の表彰候補者がいたという計算が成り立ち、その中から3名の「森友学園」関係表彰者が選ばれていたことになる。ちなみに受賞者のうち2名は2008年(自民党麻生政権時代)の表彰であり、残り1名は2012年(民主党野田政権から安倍政権へ移行した年)の表彰である。

単純計算で100倍以上の競争率をかいくぐり表彰を得ているのが「森友学園」の幼稚園教諭だということである。文科省初等中等教育企画課は「あくまで全国から推薦された先生を文部科学大臣が選考するものです」と回答してくれたが、文科省の方の口調は「森友学園」については突き放している印象を受けた。

瑞穂の國記念小學院HPより

どう考えても異常な割合だ。否、「異常な制度だから、当たり前」という人がいるかもしれないが、それにしても文科省をも包み込んだ1幼稚園(実質2幼稚園だが経営者は同じ)の受賞劇としては、あまりにも極端な数字にすぎるのではないだろうか。

2月28日森友学園に電話取材を行い「4月から瑞穂の國記念小學院は発足されるのでしょうか」と尋ねたところ「はい、認可を得ているので間違いありません」と電話口に出た女性は答えた。

認可は下りてはいない。現場で働く方のご苦労を考えながらも「安倍首相がんばれ! 安倍首相がんばれ!」と園児に洗脳教育を行っていた教育機関としては、当の安倍首相とともにしかるべき「責任」をとっていただきたいものだ。


◎[参考動画]福島伸享(民進)の質疑(2017年2月27日衆院・予算委員会)

▼田所敏夫(たどころ としお)
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ともに思想家で武道家でもある内田樹と鈴木邦男が、己の頭脳と身体で語り尽くした超「対談」待望の第二弾!!『慨世の遠吠え2』
残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

安倍辞任への状況証拠が出揃った──「森友学園」スキャンダルの行方

◆産経新聞「安倍日誌」の決定的情報

次々と安倍首相が「森友学園」不正払い下げに関与した疑いを補強する事実が明らかになってきているが、決定的な情報が明らかになった。全国紙は首相の動静を報じるが、2015年9月3日の安倍首相の動静を翌4日付産経新聞が実に緻密に報じていた。

産経新聞2015年9月04日付「安倍日誌」
2017年2月17日衆院・予算委員会
2017年2月17日衆院・予算委員会
2017年2月17日衆院・予算委員会

[以下同記事引用]
【午前】8時47分、公邸発。48分、官邸着。52分から9時33分、世耕弘成官房副長官。54分、官邸発。56分、国会着。57分、参院第43委員会室入る。10時、参院厚生労働委員会開会。
【午後】0時2分、参院厚労委休憩。同室出る。3分、国会発。6分、官邸着。2時2分から12分、内閣府の松山健士事務次官、黒羽亮輔賞勲局長。17分から27分、財務省の岡本薫明官房長、迫田英典理財局長。3時から21分、佐田玄一郎自民党道州制推進本部長。礒崎陽輔首相補佐官同席。22分から45分、斎木昭隆外務事務次官。4時1分から34分、伊原純一外務省アジア大洋州局長。37分から55分、二階俊博自民党総務会長らによる小笠原諸島の振興に関する申し入れ。5時4分から32分、北村滋内閣情報官。6時23分、官邸発。32分、東京・芝公園の東京プリンスホテル着。宴会場「サンフラワーホール」で自民党の政策グループ「きさらぎ会」の懇親会に出席し、あいさつ。7時19分、同所発。27分、公邸着。[引用了]

ご注目頂きたいのは「(午後2時)17分から27分、財務省の岡本薫明官房長、迫田英典理財局長」である。今話題沸騰の「森友学園」への不正売却疑惑を管轄しているのは近畿財務局だが、財務省はその上位官庁であり、しかも官房長、理財局長は極めて責務と権限の大きい役職である。

この日の動静には他にも多数の人物が登場するが、実は翌9月4日に安倍首相は国会開会中にもかかわらず、大阪へ出向いている。このことと併せ考えると、近畿財務局への指示や伝達の調整が首相と財務省の間で行われた可能性が疑われる。未だに近畿財務局が「非公開」としている森友学園への「借地」が始まったのは2015年だった。そして5日には森友学園の名誉校長に安倍昭恵夫人が就任している。この見事なまでの流れは偶然だろうか。

東京新聞2017年2月25日付

◆なぜ森友学園の売却額だけ「非公表」だったのか?

怪しい事実は更に明らかになってくる。2014年から2016年の間で財務省が国有地の売却額を非公表にしたのは693件の内、「森友学園」の1件だけであることが判明した。

以下は東京新聞(2017年2月25日付)の報道だ。

[以下同記事引用]
大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友(もりとも)学園」(大阪市淀川区、籠池(かごいけ)泰典理事長)に評価額の14%の値段で売却された問題で、財務省が国有地の売却額を非公表にしたのは2014~16年度の693件のうち森友学園の事例1件だけだったことが分かった。政府は取引を透明化するために金額を原則公開しているが、異例の扱いをしていた。 

問題になっている国有地は、小学校用地として当初の評価額9億5600万円から8億円余りも安い1億3400万円で売却された。国有地の売却結果は、1999年の大蔵省(現財務省)の通達で原則公表することになっている。

近畿財務局(大阪府など二府四県を管轄)が実施した森友学園への売却は、適当な相手と考えられたり特殊な技術が必要な場合に行われる随意契約。財務省によると、近畿財務局は過去3年間に随意契約で国有地を36件売却したが、非公表は森友学園との取引一件だけだった。同時期に近畿財務局以外で行われた売却はすべて公表していた。

近畿財務局は非公表にした理由について昨年6月の契約の際、森友学園からの要請があったためとしている。財務省は「取引相手が公表に同意しない場合は公表していない」と説明している。

だが、この取引の不透明さが報道され、同財務局が今月(2月)10日に金額を公表した。一転して価格を公表したことについて財務省は「非公表のままだと、森友学園が国有地を不当に安く取得したという誤解を受けると判断し、公表に同意した」と話している。[引用了]

◆2015年9月名誉校長就任記念講演での安倍夫人が語ったこと

2015年9月5日付安倍昭恵氏Facebookより

さらに、安倍首相は「安倍晋三記念小学校」としての寄付集めを、「止めるように要請していた」と国会で答弁していたが、2015年9月に行われた「森友学園」名誉校長就任記念講演で安倍夫人は、

「こちらの教育方針は大変主人もすばらしいという風に思っていて、(学園理事長の籠池泰典)先生からは、安倍晋三記念小学校という名前にしたいという風に当初は言っていただいていたんですけれども、主人が、総理大臣というのはいつもいつもいいわけではなくて、時には、批判にさらされる時もある」

「もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたいということで……」

と語っていたことも明らかになった。

2017年2月17日衆院・予算委員会

◆パズルのピースは寸分たがいなく埋め込まれた……

全然断っていないじゃないか。「もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたいということで…」とは、断りではなく「総理大臣を辞めた後には『安倍晋三記念小学校』にしてね」と懇願していると理解するのが一般的な感覚だろう。

再度繰り返すが「この件に私や妻が関わっていたら私は、総理も国会議員も辞めます」と明言したのは安倍本人だ。ここまでの事実を前にどのように弁明するんだ。パズルのピースは寸分たがいなく「安倍は虚偽を述べている」事実を示している。もはや次のなる関心は安倍の辞任時期が何時かに移ったといっても急ぎ過ぎではあるまい。


◎[参考動画]2017年2月17日衆院・予算委員会

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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