小雨の中、裁判傍聴列に並びながら想う「清原和博の悲劇」

5月17日の朝9時すぎ、日比谷公園には、覚せい剤取締法違反で逮捕された元プロ野球選手、清原和博の裁判傍聴抽選にやってきた人たちで溢れかえっていた。
小雨が寒さを倍加させる。
「3列に並んでください」と整理スタッフが叫ぶ。

栃木から来たという51歳の会社員は語る。
「俺もPL学園高校のOBです。世代を代表するスターだから、ぜひ立ち直って俺等の先頭を走ってほしいです。でもこういう発言が清原のプレッシャーになったのかな、とは思いますけど」

◆清原を助けるリスク

清原を助けようとしている連中の何割かは真剣だろう。

だが何割かは、清原を利用しようといるのにすぎないのではないかと思う。

清原を救うのに、証言した野球評論家の佐々木主浩は「野球のことをやらせるのが一番更正にはいいと思う」として、「親友だから証言をすることは即決で決めた」とまで言う。

だが、記者なら誰もが知っている。
佐々木は、裁判寸前まで「清原の情状酌量のための出廷」はさんざんぱら悩んだことを。

清原と暴力団のつながりがまた囁かれたら、佐々木の野球解説や講演の仕事まで激減する。
そうしたリスクを清原は、常に背負う覚悟が本当にあるのだろうか。

清原はヤクザに憧れて刺青を入れたというが、いまどき、現役のヤクザだってそうそう刺青は入れない。
サウナに入れない、子供とプールに行けない、銭湯に入れないなど失うものが多すぎる。
キックボクシングや総合格闘技の世界だって「刺青はご遠慮下さい」という案内が興業主からやんわりと選手に伝わっている。

◆「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えた清原の悲劇

清原の悲劇は「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えたことだ。
周囲にヤクザが何十人いようが、実際、大きく見えることはない。

僕も清原と仲がいいヤクザと酒を飲んだことがあるが、そのヤクザは「清原は俺等を利用して、高いギャラをあちこちからとれるように演出しているだけ」と清原の狙いを見抜いていた。

清原は、いったい更正までにどれくらいの年数がかかるのか。
かつてKKコンビと言われた桑田真澄は「苦しくてもホームランを打って何度も助けてくれた彼のことですから、人生でも放物線を描いてくれると信じている」と語った。
今の段階で判決は出ていない。だが、いずれにしても同世代のスターの復活を祈りたいものだ。
    

         
▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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プロ野球の贅沢な楽しみ「スポーツ新聞」全比較

一度やってみたかったことをやろう。
球場で見たプロ野球の試合結果を報じる、すべてのスポーツ新聞をすべて読む。
評論家たちがどこを分析して、どのポイントを勝負の分岐点にしているか比較してみるという、少し「ぜいたくな」リサーチだ。

 

さて、球場で見た試合は4月22日の「巨人対DeNA」で先発は巨人が菅野、DeNAがルーキーの今永だ。まあ好投手どうしだけにロースコアが予想されるゲームだったが、結果から言うと延長12回までもつれこみ1-1でドロー。菅野は7回まで2安打と好投していたが、1-0のスコアのまま7回で降板した。

まずは「スポーツニッポン」だが、解説の中畑清がこんなことを書いている。
『いい投手戦だった。何もなきゃ菅野が勝っていたんだと思う。7回を2安打無四球と完璧に抑えながら、わずか89球で降板。試合後、由伸監督が「マメが…」と降板の理由を明かしてくれてすっきりした。球界には選手のケガについて隠したがる風潮がある。「軍の機密」というやつだ。でも、秘密主義はよくない。ファン目線に立って情報を公開すべき。菅野も公表してもらえばメディアにごまかすことなく治療し次の登板に向けて事情ができると思う。』と書き、続いて好投の今永が5回2死二塁でも小林誠と勝負したのはまちがっていないと断定した。敵を作らない中畑らしい評論だ。

 

さらに元DeNA監督らしく、ラミレス監督とチームは「最後まで諦めない野球ができた」とこれからの浮上を期待して筆を置いている。バランスのいい見方だ。なおかつ野球観も悪くない。この男を簡単に見切るところが球団として「DeNA」が伸び悩んでいる証左だろう。

続いて「東京中日スポーツ」だが慧眼を持つ谷沢健一が「7回の筒香の1ボールからの2球目にど真ん中にストライクを投げておかしいと感じた」と書いた。

僕もあの2球目はよくホームランにならなかったとしてドキリとして見ていた。筒香は見るからにスライダーの間合いでスイングしていたので、これは結果オーライだったのだ。谷沢の慧眼は衰えていない。おそらく中日の監督をやったら、少なくとも谷繁よりはいい仕事をするだろう。

 

もっとも「過去のある経緯」から中日は谷沢を受け入れにくいだろうが。「スポーツ報知」は報知新聞客員のミスターこと長嶋茂雄が小林誠のキャッチングを誉めて、高橋尚成が「菅野は実は指でボールにスピンをかけるトレーニングをしていて、その後遺症が出た」と事情通らしく解説している。もっともそんな内情をばらして後で高橋監督に大目玉を食らったようだが。

さて、一番注目すべきは「サンケイスポーツ」の野村克也が語る「ノムラの考え」のコラムで、【結果オーライの引き分けにみたDeNAの「最下位野球」】と辛辣なタイトルがついている。9回裏の土壇場でリリーフの切り札の沢村から同点ソロアーチをかけた代打・乙坂を野村はこきおろす。野村はボールが2球続いて3球目に打って出た乙坂について「なぜ待てないのか」と批判している。

『なぜ待てないのか。この局面で先頭打者がなすべきことは、出塁である。そして、このカウントでは四球での出塁チャンスが広がっている。何が何でも1点を奪いにいくという、姿勢が見えてこないのだ。さらに4球目がボールとなり、カウント3-1、またも乙坂は打って出た。これが同点本塁打になったのだが、私ならやはり「待て」のサインを出す。本塁打はそうそう打てるものではない。長丁場のシーズンで、こういう攻撃をしていては、確率的に負けが込むのは自明の理。だから結果オーライを言わざると得ないのだ。十二回の守りでは、今度は1点を防ぎに行く姿勢が見えなかった。先頭の片岡に四球を許し、巨人ベンチは3番の長野に代打・松本哲を送ってきた。みえみえのバント要員である。そして、走者を得点圏に進ませることは一打サヨナラ負けを意味する。この局面では、走者の二進を防ぐことが最重要課題となる。とkもろが初球、簡単にバントを許した。一塁のロペスはベースに張り付いたままで、三塁の飛雄馬もチャージしてこない。最後のクルーズの併殺打に助けられただけで、これも結果オーライと言わざるを得ない。』として、試合を通じて無策だったベンチを責めているのだ。

 

「弱者には弱者の戦術がある」と野村は書く。
やはり野村は見ている視点はほかとちがう。一般に、9回裏でボールが2つ続いた場合、先頭打者が待つ確率は9割を超えるだろう。高校野球を見ているとそのあたりはよくわかる。

野球に詳しいスポーツライターに聞いてみると、「ラミレス監督(DeNA)が戦術について吟味する時間があまりにも少ない。守りを固めるのに精一杯で、もうひとりの攻撃用の戦術コーチが必要だ」ということだ。捕手の戸柱がまだ経験が足りずに、配球をベンチで組み立てているようだが、そこにかなりラミレス監督の神経は集中している。あまり報じられていないが、ラミレスはかなり頭がいい。最初に会っただけで、記者の名前はフルネームで頭に入っている。そして打者時代から、投手の配球がほぼすべて頭に入っていた。高橋監督ですら、現役のときにラミレスのそうした緻密な頭脳をまのあたりにしていたから相当、戦術については警戒しているはずだ。

そして今は、ラミレス監督は敵のバッターについて緻密に掌握しているが、攻撃時のベンチワークまで頭がまわっていなのだろう。

さらに、東京ドームでは、「打たれない投球」というのが以前にもまして徹底していたと感じた。

この球場ではボール1つ、ローに投げろ、とコーチは徹底して投手に言う。
この試合はテレビ中継をしていたので録画してカウントしてみると、89球のうち、ストライクゾーンの半分から下に投げた球は菅野が37球、今永が101球投げて39球だった。

両先発とも、それだけ「ロー」に投げる神経を使っていたのだ。ただし菅野は高いウエストをときに効果的に使っていた。

ちなみに「夕刊フジ」は菅野の一番看板では巨人はもたない、そして「東京スポーツ」は11試合で3度同点に追いつかれてほかの投手の勝利を消した守護神、沢村を批判していた。「日刊スポーツ」「デイリースポーツ」もこの試合にはとくにタッチしていない。

というわけで、僕にとって本番で見た試合をつぎの日に「すべてのスポーツ新聞を見て全解説を吟味する」という贅沢な時間は終わった。諸兄も一度やってみるといい。1000円もかからない贅沢なのだから。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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ラウンドガール物語《後編》──咲き誇るリングの華の儚さは選手にも似て

小野寺力興行、NO KICK NO LIFEも年々パフォーマンス豪華に(2016.3.12)

誰にでも許される訳ではないラウンドガールの狭き門。ほとんどの場合がプロのファッションモデルなどの事務所から起用されるものと考えられます。それ相応の容姿端麗な若い女性が毎度起用されています。という条件ばかりでなく、たまには素人さんかと思われる女性も登場。リング上がった途端、足が震えている、そんな子もいました。

◆見た目は20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えないラウンドガールも

3年ほど前ですが、リングアナウンサーが資料のラウンドガールのプロフィールを見て「1976年生まれって、これ間違ってない?」と言って直接ラウンドガールに尋ねてみたら、「間違いではありません」ということで、見た目若くて20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えない。そんなラウンドガールもいたようです。

毎度の綺麗なラウンドガールがリングに上がればカメラマンも当然カメラを向けます。そこには次のラウンドが分かるように撮っておくことが一番の目的であり、また各方面での使用出来るよう撮っておく事情もあります。と言いつつも、水着の綺麗な女性が目の前にいては、エロい気持ちでシャッターを押すことも自然にあります。そんな私(堀田)は、ラウンドガールにいちばんカメラを向けている一人でしょう。それを否定はしませんが、そのリングに上がれる立場の人々が、そこに関わる時間を考えると撮らざるを得なくなっていきました。

新年は晴れ着で登場(2015.1.11)

◆命を懸けた試合のリング上はまさに戦場

まず、選手が現役生活で、公式試合としてリング上で戦って居られる時間はどのぐらいかを考えると、1ラウンド(=3分)×5回戦=15分として、96戦すると24時間になります。入退場・セレモニー・インターバルを加えてリング上に居られる時間を30分としても48戦。ノックアウトもあり、3回戦制もあり、実際はもっと短くなります。

素人目に見てですが、こんな命を懸けた試合のリング上はまさに戦場で、生きた心地のしない空間です。戦い慣れた選手はそうでもないでしょうが、少なくとも勝利の瞬間に至る前まではリラックス出来たものではない空間でしょう。「こんな非現実的な空間に居られる時間を撮っておいてやりたい」という想いでビジネスとしてですが、撮影をするようになりました。

◆選手と同様、短く儚いラウンドガールという華

こんな想いで選手を見ていると他のスタッフにも似たようなことが言えてくると考えました。リングアナウンサーがその任務でリングに立って居られるのは一生でどのぐらいの時間でしょうか。レフェリーも同様に。ラウンドガールの場合は世代交代は早く、若くしてそんな特殊な空間のリング上に立つ時間は限りなく少ないでしょう。「こんな華やかなリング上での瞬間も選手と同様に撮っておくべき」と偏見ながら思いました。

M-ONEムエタイ興行でも、ラウンドガール起用の采配(2016.3.21)

層が厚い本場ムエタイでのチャンピオンも、すぐ上がって来た若い奴に王座を奪われ、若い奴に敵わなくなっていく、そんな覇者の立場でもあり、ラウンドガールも花の命は短くて儚い瞬間であります。私自身もカメラマンで居られる時間も少ない、そんな最終ラウンドが迫ってきていることを考える日々も増えました。

NO KICK NO LIFE全9試合でラウンドガールが10人も登場(2016.3.12)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ラウンドガール物語《前編》──80年代に始まった華やかさの進化

「神聖なリングに、男の命懸けた戦場に、女が上がるんじゃねえ!」
「おっ、可愛いねえ、○○ちゃ~ん、こっち向いて!」
なんと勝手な男どもの非難や声援。

爽やかお姉さん。REBELS興行にて(2014.1.26)

いつからラウンドガールという華やかな存在が始まったのでしょう。TBSでやっていたキックボクシングでは観た覚えがありませんが、その後の日米大決戦と言われた全米プロ空手との絡みでは、アメリカ人ラウンドガールがラウンドボードを持ってリングを歩いていました。

◆地味で素っ気ない1981年から転機となった1987年

1981年(昭和56年)頃のラウンドガールは、柄のついたボードを持ってリングのロープの縁(へり)に沿って真っすぐ前を向いて歩いていました。赤・青コーナーは避けつつ、ニュートラルコーナーは直角に曲がり、笑顔も無くさっさと早歩きで一周し、20秒ほどでリングを降りてしまう素っ気ないウォーキングが多い感じでした。

3人登場でグローブ着用のパフォーマンス(2014.3.9)

1987年(昭和62年)7月15日の新生・全日本キックボクシング連盟初回興行に向けて前月、ミススコアガールコンテストが行われ、50名ほどの20歳前後の女性が連盟役員に水着審査されるイベントが開催されてました。名称は翌年「ミスラウンドガールコンテスト」に変えられましたが、4年ほど続いたと思われます。

毎年このコンテストから選ばれたミス、準ミス計3名のラウンドガールから、単に歩くだけのラウンドボード披露から、笑顔振りまいたり、観客に手を振ったり、ラウンドボードをしっかり観衆に見えるようにロープとほぼ平行気味に持ったり、リング中央に出て、その場でクルッともう一回転して下がるという工夫を凝らすようになっていきました。

ゲスト来場の仁科仁美さんも特別ラウンドガールとして登場(2014.11.16)

1分間のインターバルでリング上に立っていられる40秒ほどの時間を上手く使い、セコンドアウトのホイッスル(またはブザー)が鳴ったらラウンドガールも直ちにリングを降りなければいけません。別団体で、セコンドアウトの意味がわからないラウンドガールが、ゴング鳴るまでリング上に居たケースがありましたが、わずか2~3秒ながら、観衆からドッと驚きの笑いが起きていました。

その後は各団体でもウォーキングに工夫が増していきました。いっしょに2名のラウンドガール同時登場や、水着も派手になったり季節に合わせた特徴あるコスチュームになったり、観衆の眼を楽しませる方向に進化してきました。選手のトランクスやガウンのように、スポンサー名の入ったコスチュームやラウンドボードも登場。

◆1999年の衝撃──ラウンドボーイ、江頭2:50も登場!

ラウンドボードは放り出し、座禅は組んで飛び跳ね、ホイッスルが鳴って大慌て(1999.1.24)
主役を奪ってしまう人気の江頭2:50(1999.1.24 )

中でも予想外のインパクトを与えたのが、ラウンドボーイ江頭2:50の登場。その前のインターバルまで通常のラウンドガール登場の後、次のインターバルで江頭2:50が、例の黒タイツで登場。媚びるような笑顔を振りまき、単なるウォーキングから次第に調子に乗り出し、何度かの登場で飛び跳ねて転がったり、座禅組んで飛び上がったりのいつものネタを40秒で披露、観衆が大爆笑。

しかも、それが次のラウンドが始まってもその余韻が残る状態。真剣勝負のキックボクシングの公式試合中に、許された空間とはいえ、意外性を突いたことは見事な演出でしたが、江頭氏が有名過ぎと暴れ過ぎが試合よりインパクトを与えてしまったことに想定外の結果だったかもしれません。もうかなり古い話になりますが。

また10年ぐらい前のある時のプロボクシングでのラウンドガールで、Tシャツ短パン姿のとってもおデブさんが登場したことがありました。それはダイエットに関するエクササイズなどの、宣伝効果を狙ってのスタッフだったと思います。その内容のリングアナウンスはされていましたので、もちろん“誰でもいい”という選出ではありません。明るく笑顔で軽やかにウォーキングされた、とても爽やかなラウンド“おデブさん”ガールでした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ムエタイ殿堂と認定団体──それぞれの存在感!

日本のキックボクシングは統一ができないから、本場ムエタイの力を借りよう!──。皆がそう思っている訳ではありませんが、キックボクシングには団体がバラつき過ぎて、確固たる団体と王座が無く、原点となるムエタイに還り、その世界機構の傘下に入ろうという傾向が見られるようになったのは、ここ10年内のことでした。

日本、全日本、日本プロキック、日本ナックモエ、MA日本、日本ムエタイ、日本キック・イノベーションなど、日本のキックボクシングの歴史の中で、“日本”の国を象徴する名称の“王座”は、出尽くしたほど出て、その後は私的組織王座(国名、地域名ではないキャッチフレーズ的名称王座)で更に乱立していく中、本場ムエタイの傘下に入って権威付けに目を向けた手法にも乗り出しました。

古いルンピニースタジアム。トタン屋根の天井からぶら下げられたプロペラ式の扇風機などがなんともたまらない雰囲気

その傘下で作り出した最初の日本王座は、2009年に誕生したWBCムエタイ(母体はWBC)日本王座が各階級で誕生し、2010年にはWPMF(世界プロムエタイ協会/母体はタイ国ムエスポーツ協会)日本王座が各階級で誕生し、2015年にはムエタイ二大殿堂のひとつ、ルンピニースタジアム傘下の「ルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン」が発足しましたが、これは現在停滞中です。

そして今年3月1日、四つ目の国内ムエタイ組織が誕生。WMC(世界ムエタイ評議会)の日本支局が設立されました。WMC(当初はWMTC)は1995年にタイで幾つか存在した世界機構を統合した、当時では画期的団体でした。4月3日には第1回目のWMC日本支局認定試合が行われ、バンタム級とライト級の2階級で王座が決定しています。

関係者情報では、昨年初頭にはルンピニージャパンの発足計画は進んでおり、また古くには「ラジャダムナンスタジアム日本支局長にならないか」という打診が日本人関係者に伝えられていた話もあり、日本でビジネス戦略が成り立つなら、幾つでも本場ムエタイブランドを利用した日本組織が作れてしまう状況でもあります。

ラジャダムナンスタジアム。擂り鉢状の造りは観易く広く、歓声の響きは不気味なほど凄く反響します。2~3Fは立って歩き回る賭け屋が多いのでコンクリートの段差に座るのはキツイ

WBC含め、本場ムエタイ組織傘下として、キック系日本国内トップを目指しつつ、厳しく言えば、乱立している中の個々でしかない現状で、一般世間から見ればキック系競技は「訳わからん構造」であることに変わりありません。

過去、キックやムエタイやその他の競技に於いても、いくつもの認定組織が出てきては消滅したり弱体化した一例としては、その代表者が亡くなられたり、無責任に辞任されたりした後、しっかり継ぐ者がいなければ、急速に勢力が弱まる傾向がありました。王座があっても組織の存在が曖昧であれば、そこに人は集まりません。

国王生誕記念興行、王妃生誕記念興行、1774年にビルマとの戦争で捕らわれの身となった戦いで10名のビルマ軍兵士を相手にムエタイ技で勝利を納め生還し、タイに自由を取り戻した英雄としてナーイ・カノムトムの栄誉を称えられる記念興行など、国家イベントには盛大に記者会見も行われます

そういう形が残らない曖昧な組織に対し、タイ国の陸軍系ルンピニースタジアムや王室系ラジャダムナンスタジアムが最高峰の地位を築き上げて来た経緯には、終戦前後に建設され興行が行われてきたという、まだ競技場黎明期から伝統と権威を自然と築き上げてきました。

その土地・建物はそこから移動しないし無くならないという不動産であり、ムエタイとボクシング興行を行なう専門の競技場であるがため、大物プロモーターがそこで興行を打ち、選手が試合をして、そこで強者が就く王座が与えられれば、そこを目指して地方で有望なムエタイボクサーがバンコクに集まり競い合い、ファンや賭け屋が注目し、この業界皆が個々の思惑はあるものの、人の集まりが関わりあって、これらのスタジアムを世界的に有名なムエタイ最高峰へ育て上げた結果でしょう。

二大殿堂となったスタジアムの支配人が交代しても習慣化した日々のスタジアム風景が変わることなく続き、スタジアム自体が無くなることは、よほどムエタイ競技が衰退しない限り、人は集まり興行は続くでしょう。

新ルンピニースタジアムの初回興行は2014年2月11日。新しいスタジアムは冷房完備、リング上に四面スクリーンを設置するなど最新式の設備で約4,000名収容可能な新たな聖地としての再スタートを切りました

2年前、ルンピニースタジアムの老朽化による移転はありましたが、古きスタジアムの物質的消滅はあっても新ルンピニースタジアムそのものの価値と活気は変わっていません。

後発のスタジアムでは二大殿堂には敵わず、他の認定組織では所有するスタジアムは無く、形が残る価値としては、WPMFはタイ国で国家的イベントに起用され、国王生誕記念興行や王妃生誕記念興行、ナーイ・カノムトム興行などがバンコクの王宮前広場やアユタヤ県などで年間3回ほどありますが、そこではWPMF世界戦が3試合以上起用され、世界チャンピオンの防衛戦や挑戦者としての出場、傘下の日本チャンピオンとしてのビッグマッチ出場で、世界に名を売るチャンスがあり、WPMF傘下に居る特典とも言えるでしょう。

WBCはプロボクシングで広まった世界のネットワークがあり、ムエタイそのものの認知度は低いでしょう。しかし、元・WBCムエタイ世界スーパーライト級チャンピオン.大和哲也(大和)がロサンゼルスやラスベガスでの試合に頻繁に出場したように、アメリカ本土に渡って、まだ世間の小さな注目でも、ボクシングのメッカとなる聖地で試合出場することは今後重要な意味合いを持っていくでしょう。

新日本キックボクシング協会もタイ・ラジャダムナンスタジアム興行(Fight to MuayThai)を年1回実施した時期がありました。チャンピオンになれば与えられるチャンスをまた団体の価値としても重要で復活して欲しいところです。

日本の代表的格闘技のメッカ、後楽園ホール54年の歴史。プロレス、ボクシング、キックボクシング、プロダンス、笑点、欽ちゃんの仮装大賞などのイベントがメインでした。それぞれのイベントで会場の造りが大きく変化します

過去、スタジアムの利点を考え、日本でも昭和の時代に「後楽園スタジアムランキング」で王座を含む意味合いで作ろうと暫定ランキングを一部団体で作られたことがありますが、対抗団体としての意地もあり、どこからも賛同されず実現に至りませんでした。今の時代に“後楽園スタジアム認定ライト級チャンピオン”なんてあったら、後楽園ホールが格闘技のメッカと言われる歴史の価値から業界関係者・ファンは魅力的でしょうが、この実現には各方面で利害が絡み、難しいでしょう。

日本でキックボクシング系団体やプロモーション単位の王座で「必要無いだろう」と考え得る多くの組織誕生の中で、それらが今後幾つ生き残るのか不透明な現状ながら、皮肉にも乱立した王座があるからこそ、選手層が厚く、興行が増えている逆現象があります。

そんな経験を積める環境から、梅野源治のような突出した日本の多くのチャレンジャーたちがサバイバルマッチを勝ち上がって歴史に残って語り継がれる、そんな“形ある最高峰”を勝ち獲り、その世代が日本でのスタジアム理想論も実現する時代が来て、世間の「訳わからん構造」を分からせる構造に世直したら、我々、昭和の経済高度成長期経験世代が生きているうちに訪れたら、楽しみな物語になることでしょう。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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江幡睦、腐れ縁ともなる因縁のライバルに勝ち越し!

江幡睦は過去、フォンペートとは4戦してキックルールで2勝。ムエタイのラジャダムナンタイトルマッチで2敗となった因縁の対戦。この日の決着戦となる5戦目ではキックルールで江幡睦の判定勝利で3勝2敗と勝ち越しました。また互いにラジャダムナン王座を争う立場になればわかりませんが、おそらくこれ以上再戦することは無いでしょう。

KOへの切っ掛けを探りたい江幡睦、フォンペートも倒されない自信を持つ攻め

フォンペートが江幡睦の手を上げる姿を見て、そんな安堵感ある表情に見えました。もし第6戦目があっても、たぶんこの二人が引退後、歳取って再会し、酒を酌み交わす日が来るでしょう。そんな腐れ縁ともなる忘れ得ぬ因縁を引きずったような気がします。

先日の市原臨海体育館で行われた蘇我英樹の引退興行で、大月晴明と2度戦い2度とも激戦を経て敗れた蘇我も、大月とは忘れ得ぬライバルとなり、この二人は何年経っても忘れ得ぬ想い出を語り合うことでしょう。

「腐れ縁ともなる忘れ得ぬ因縁を引きずった年月」は激戦を繰り返したり、不可解な判定やアクシデントに見舞われたり、敗れてもしつこく挑戦を繰り返す対戦で、これが最後の再戦となる試合の後は因縁を忘れ、本音の笑顔で握手する、そんな微笑ましいシーンは多く見られます。過去、有馬敏(大拳)VS須田康徳(市原)や、飛鳥信也(目黒)VS山崎道明(東金)など、好ファイトでしたが判定では因縁を引きずりました。

TITANS NEOS 19 / 2016.4.17後楽園ホール(17:05~20:55)
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆54.5kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.5kg)
       VS
フォンペート・ チューワタナ(元ラジャダムナン系バンタム級C/タイ/54.4kg)
勝者:江幡睦 / 2-1 (49-48. 48-49. 50-47)

江幡は勝手知ったる相手にKOに結び付けたいところ、速く鋭く積極的に強く蹴り攻め続けるも、フォンペートもカマセのつもりで来てはいない。しなやかな左右のミドルキックは鋭く重く、江幡睦を苦しめました。また組み合えば得意のヒザ蹴りがボディ周りを襲う。キックルールだけにその組合いは短め。打ち合い激しく5ラウンドを戦い抜き、また観る側からすれば好ファイトとなった展開に拍手が湧きました。

これで再度、ムエタイラジャダムナン王座に手を掛けるかと言えば疑問符が付く内容ながら、フォンペートとの5戦で学んだ、特にこのムエタイ王座絡みの3年間での成長は大きい。新たなチャンピオンが君臨するラジャダムナン・バンタム級王座に挑戦する日も近いかもしれません。チャンスが来れば今度は負けられない崖っぷちでもあります。

政斗が攻めれば渡辺健司も応戦。キャリアの差が出た試合

◆日本ウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/66.0kg)VS 2位.政斗(治政館/66.2kg)
勝者:渡辺健司 / 3-0 (50-48. 50.48. 49-48)
政斗の積極性が圧力となって、しぶとい渡辺健司もいつもより激しく応戦し、手数多い好ファイトとなった試合。渡辺は初防衛に成功。

対戦相手、練習相手が不足するヘビー級だが、柴田春樹には日本を代表する自覚を持って踏ん張って欲しい

◆日本ヘビー級王座決定戦 5回戦

1位.柴田春樹(ビクトリー/94.0kg)VS 2位.嚴士鎔(伊原/94.0kg)
勝者:柴田春樹 / TKO 3R 0:37 / ヒジによる頭部カットでドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

昨年、松本哉朗(藤本)が引退し、日本ヘビー級王座決定戦となった試合。ランカーが4人しかいない中、柴田春樹(ビクトリー)が第3代チャンピオンとなりました(新日本キック制定)。頻度は低くてもヘビー級を存続して来たのが、元々の創生期からの日本キックボクシング協会からでした。古くは、ジミー・ジョンソン(横須賀中央)や斉藤天心(目黒)、池野興信(目黒)、渡貢二(東京)らがいました。他団体にも国内ヘビー級チャンピオンは存在しますが、ブランクがあまり空かないのは新日本キックだけでしょう。

終盤に入り、攻めに威力が増した勝次が勝利を導く

◆63.0㎏契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.勝次(藤本/63.0kg)VS加藤剛士(前WPMF日本スーパーライト級C/WSR・F)
勝者:勝次 / 3-0 (30-29. 30-29. 30-28)

互いに負けられない立場であるせいか、レフェリーから注意を受けるほど打ち合いが少ない展開。

◆63.6㎏契約3回戦

ジョニー(左)の積極果敢な攻めも、ゴンナパー(右)は冷静に隙を狙う眼

WPMF 世界スーパーライト級チャンピオン.ゴンナパー・ウィラサクレック(タイ/63.6kg)
            VS
日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/ブラジル/62.8kg)
勝者:ゴンナパー・ウィラサクレック / TKO 3R 1:05 / 右フックでカウント中のレフェリーストップ

石井達也(藤本)が負傷により出場辞退し、代打出場に誰も手を挙げない中、ジョニー・オリベイラが「軽くOKした」というのは噂の便り。この情報は勿論正確ではありませんが、「相手が誰か訳わからない中でもジョニーならOKしてくれるだろう」的な流れで、異色のカードが実現しました。

ブラジルから日本に来日し、12年のキャリアを持つジョニーも負けが込む中堅クラスながら、でも「ジョニーならゴンナパーを慌てさせる展開に持っていくかも」という期待がありました。ゴンナパーは日本人相手に10連勝。先月の健太(ESG)には初黒星を付けられましたが、経験値から試合運びの上手く蹴りも強いチャンピオン。それに挑むジョニーは臆することない、いつも以上の積極性。ゴンナパーが慌てることはないものの、打ち合いの展開はジョニーに応援の声も多く、2Rにゴンナパーのボディブローでダウンし、最後は3Rに右フックのカウンターで倒されましたが、力を出し切り、また声援を多く受けた試合でした。

若い渡辺涼介(右)に押されていく山本ノボル、しかしリングの感触は心地良さそう

◆その他8試合

他8試合の中、ライト級3回戦で渡邉涼介(4戦4勝/昨年1月デビュー/伊原新潟)VS山本ノボル(元MA日本バンタム級チャンピオン)のカードもあり、山本ノボルも平成初期にデビューしチャンピオンになった選手。引退することなくブランクを作りながら、長く現役を続けていますが、今回はさすがにスタミナ切れの苦しい表情を浮かべつつ判定で敗れました。

先日の市原興行でも15年前までバンタム級とフェザー級で王座挑戦経験を持つ、真鍋英治(市原)がライト級でカムバック。KO負けしましたが、明るい表情で戦い終えました。40歳を過ぎても現役だったり、カムバックしたり、第二の人生を歩みながらちょっとカムバックする、太らずそんな体格も維持して頑張る中年選手は多そうです。

実力を認める勝者への敬意、ムエタイでは負けないプライドもあるフォンペート

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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猪木vsアリ格闘技世界一決定戦40周年大イベントが6月26日マカオで開催!

IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション 株式会社)がぶちあげた「国際的展開」への第一弾、「マカオ大会」は、マスコミ約50人を集めて4月4日に大々的に発表された。
http://www.rokusaisha.com/wp/wp-content/uploads/2016/04/01-DSC02490.jpg

これは、6月26日 (日)中国・マカオにて、『アントニオ猪木vsモハメド・アリ格闘技世界一決定戦40周年イベント』と銘うって「INOKI・ALI BOM-BA-YE in Macau」が開催される予定。アリ氏は体調不良のため、娘さんで元プロボクサーのレイラ・アリら家族の招聘を交渉中だという。レイラの妹の夫がMMA(総 合格闘技)ファイターであるため、今大会への出場を希望しているというが、これは「ちょっと小粒」の声も聞かれる。

「会場のパイとしては7000人なんで、なんとかして埋まりそうです。だがいかんせん、マカオでも人気のアントニオ猪木がこの7月に行われる予定の参議院選挙の準備で駆けつけるのが難しそうなんです。ヘリコプターでとんぼ帰りするという荒技も考えたのですが、そんなに金を使えるわけもないし、困ったものです」(IGF関係者)

主催したIGF側の発表によると 「プレ大会を5月29日に大阪府立体育館でやるので、ここで活躍した選手がマカオ大会に出る」ということだ。タイトルは『アントニオ猪木vsモハメド・アリ格闘技世界一決定戦40周年記念プレ大会 GENOME36』となる。

「しかしどうだろうね。アリVS猪 木戦を記念するのは意味あることだけど、MMA(総合格闘技)をやるのかキックをやるのか、プロレスをやるのか決め兼ねているようだが、アリVS猪木戦とはいかないまでも、インパクトがある異種格闘技戦をカードとして組んだりして、創意工夫しないと話題が集まらないだろうな」(格闘技ライター)

それにしても、小川直也やザ・グレート・サスケなどはマカオに馳せ参じるのだろうか。サイモン・ケリー・猪木取締役は「IGFでの世界大会。アントニオ猪木vsモハメド・アリ。世界最初の異種格闘技戦。MMAでの試合から40年の記念のイヤーに、凄い、でもあの(1976年6月26日)試合を超える試合はほぼ不可能と思いますが、それに少しでも近づけるような試合、大会をこのマカオでの試合で見せていければと思います。マカオでのスポーツビジネス、ギャンブルの街のイメージはありますが、エンターテインメントの街でもありますし、そのマカオでこのような格闘技、プロレスのイベントを成功させていきたいと思っています」と語る。

いずれにせよ、マカオ大会は「マカオTV」(MASTV=Macau Asian Satellite Television)が放送を開始しているが、これに続いて、世界に同時発信するのがIGFの「成功形」のようだ。

「アリvs猪木戦」の燃える遺伝子をもつ選手がどくらいいるかは不明だが、奇しくも、この日に呼ばれていた市会議員の格闘家、澤田 敦士が「IGFは一寸先は闇。何が起こるかわからない」とつぶやいた 台詞が不気味に会場に響いていたように奇抜な新顔が登場するのを期待したい。

(伊東北斗)

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新スター作りの難しさ、高橋三兄弟、長男は王座奪取成らず!

スターを作りだすのは難しいものだ。人気・実力が伴わなければならない。マイナーと言われるキック競技で人材は集まり難く、有望な選手が出現しても順調に成長するとは限らないサバイバルマッチの世界。その底辺から育成して、ようやく数年に一人の逸材が生まれてくるのでしょう。

ムエタイ仕込みの蹴りに苦戦ではないだろうが、村田のペースにはまる高橋一眞

今や那須川天心を先頭に、身体の成長期にムエタイを習った十代の逸材が幾らか存在しますが、30歳を超えてデビューして開花する選手も少々ながら存在します。格闘技の経験が無くても十代から何かスポーツを続けていて、それで何かひとつでも技を持っていれば、活かせる要素を持ったのがキックボクシングかもしれません。勝ち上がれるとは限りませんが。

過去2戦になかった村田の威圧感

注目の次代を担う高橋三兄弟、大阪の真門ジムで元NKBミドル級チャンピオンの若生浩次会長の下、鍛え上げられた三兄弟の次男・亮は昨年12月に先に王座奪取しましたが、長男・一眞は亮に続けず、昨年6月の夜魔神戦から試練の戦いが続いています。

パンチ連打でラッシュが得意の高橋が逆に打たれる

期待を掛けすぎるとプレッシャーがキツくなるかもしれませんが、高橋三兄弟はそういう期待と運命を背負って走り出しました。キック業界にはいろいろなタイプの選手がいるだけに交流していくことも大事でしょう。閉鎖的と言われたこの難しい団体が変わりつつある現状で、世代交代を担ってもらいたいところです。

◆武士シリーズ vol.2 / 4月16日(土) 後楽園ホール17:30~21:10
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

大心vs洋介。「皆さん、僕負けると思ったでしょ、僕がいちばん負けると思いました」。不利な状況から逆転に結び付く前

一眞は長引くとスタミナ切れの欠点は変わらず。村田裕俊はタイ修行した成果を活かせるか注目の中、蹴りの技術よりはその修行の経験値で距離感や蹴りのタイミングが活かされ、後半に入ると首相撲でも組負けない村田。

最後の勇姿。チャンピオンには成れなかったが

3ラウンドには村田のローキックでダウンを取られた一眞、バランスを崩しただけのダメージは無さそうだが印象の悪い倒れ方。劣勢に陥った選手が少ない時間で逆転するにはパンチしかないパターンで一眞は再びラッシュするも村田の主導権を奪った流れは崩せず、村田の戦略勝ちで、2~3ポイント差で村田が雪辱し、王座奪取しました。

大心はラストファイトと宣言しての登場。動きもいいとは言えない中、2ラウンドには洋介の右フックでダウンした大心。ところが第3ウンドには大心が逆に連打の中、右フック一発で逆転KO、驚きの逆転の結末でした。

◆第13代NKBフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.高橋ー眞(真門/57.1kg)vs 3位.村田裕俊(八王子FSG/57.05kg)
勝者:村田裕俊
0-3 (主審 前田仁 / 川上 46-49. 佐藤友章 47-50. 鈴木 47-49)

◆ライト級5回戦

NKBライト級3位.大心(SQUARE-UP/61.2kg)vs 同級8位.洋介(渡辺/61.05kg)
勝者:大心 / TKO 3R 0:42 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 馳大輔

◆ウェルター級3回戦

NKBウェルター級4位.稲葉裕哉(大塚/66.55kg) vs 6位.SEIITSU(八王子FSG/66.45kg)
引分け / 0-0 (主審 川上伸 / 馳、前田、佐藤友章とも30-30)

◆68.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.野口大輔(テツ/67.6kg)vs 9位.塚野真一(拳心館/67.75kg)
勝者:塚野真一 / TKO 1R 2:14 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 鈴木義和

◆フェザー級3回戦

NKBフェザー級8位.坂本秀樹(大塚/56.7kg)vs 9位.安田浩昭(SQUARE-UP/57.1kg)
勝者:安田浩昭 / KO 3R 1:52 / テンカウント

次回、武士シリーズ興行は6月19日(日)後楽園ホールで、メインイベントは2月にゴンナパー・ウィラサクレック(タイ)に敗れた大和知也(SQUARE-UP)。再び大和魂を見せるため与えられた試練に、翔センチャイジム(センチャイ)と対戦。翔はムエタイオープン・ライト級チャンピオンで、4月3日にWMC日本ライト級チャンピオンになったばかりの選手。乱立する中でまた出来たばかりの国内王座ですが、センチャイジム所属の選手はセンチャイ会長の下、当然ながらムエタイ志向のしぶとい技術を持った選手ばかり。大和知也にとってNKBの面目に懸けて負けられない試合となります。

連盟マスコットガールの折原陽子さん(右から3番目)が所属するグループ「リーブルエール」の仲間に囲まれた村田新チャンピオン

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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蘇我英樹が引退──満身創痍の壮絶ラストファイト!

蘇我英樹が引退を決意し、ラストファイトの相手に選んだのは、昨年5月に激闘の末、判定で蘇我を破った大月晴明。最強で最も噛合う相手として、またリベンジも含め最高の相手となりました。

懸命の反撃、蘇我英樹

この日は蘇我の現役中で最も壮絶な打ち合いとなった試合。第1ラウンドに大月の右ヒジが蘇我の眉間辺りをカットし流血。これが精神的に焦ったか距離感が狂ったか、微妙に歯車を狂わせたかもしれない流れで、捨身の打ち合いでダメージを負った蘇我は2ラウンド半ばで脚にきたようなフラつき。懸命に打ち合いの姿勢で蘇我が出れば大月も応戦。

燃え尽きる前の捨て身のローキック

僅差で大月がリードしつつ、蘇我のダメージは深くなる一方。少しでも長く戦わせてやろうと意志が働いたかもしれないレフェリーの動きも、これ以上は無理といった感じでレフェリーが割って入ったところで精根尽き果てたかのように蘇我は崩れ落ち、3分ほど立ち上がれませんでした。

大月の爆腕の連打を浴び、立っているのが精一杯

公式戦の後、即引退式というパターンは過去にもありましたが、こんな壮絶な試合の後の引退式は過去になかったでしょう。引退式は一旦は中止かと思われる中、蘇我は落ち着きを取り戻し立ち上がって引退セレモニーに臨みました。

レフェリーが止めた途端、崩れ落ちる蘇我英樹

チャンピオンベルトの返上、役員各位より御祝儀授与、そして蘇我英樹の挨拶、「鼓膜が破れて頭の中の反響が凄いです」という状態でも周囲の仲間や役員に感謝の言葉を、やや呂律があやしい部分もありつつ、しっかり述べてテンカウントゴングを聴きました。雪辱は果たせぬも大月を褒め、感謝を述べた蘇我、すべてが激闘だったキック人生に悔いはなく、今後の天職となる転職はすでに決まっているようです。

蘇我の健闘を称え、見舞う大月晴明

スーパーキック / 4月10日(日)市原臨海体育館16:00~19:20
主催:市原ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆62.0kg契約3回戦
WKBA世界スーパーフェザー級チャンピオン.蘇我英樹(市原/61.9kg)
VS
大月晴明(元・全日本ライト級C/キックマスターズマスクマン/61.5kg)
勝者:大月晴明 / TKO 3R 2:39 / レフェリーストップ / 主審 椎名利一

インパクトある引退式となったテンカウントゴング。恩師の市原ジム小泉猛会長、蘇我、伊原代表

◆ミドル級3回戦 
日本ミドル級1位.今野明(市原/72.2kg) vs 徳王(伊原/72.1kg)
勝者:今野明 / KO 2R 2:53 / 3ノックダウン / 主審 桜井一秀
強い今野が観られた試合。バッテイングによるカットでレフェリーの曖昧なタイムストップ後、怒涛のラッシュでパンチによる2ノックダウンの後、最後はボディブローでKO

◆バンタム級3回戦 
日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/53.2kg) vs 田中亮平(市原/53.1kg)
勝者:阿部泰彦 / 2-0 (29-29. 30-29. 29-28)
今年に入って3連勝の阿部。38歳になって調子が上向き気味。再度、王座を狙いたいところ。

◆59.0kg契約3回戦 
チュ・キフン(韓国/58.3kg)vs日本フェザー級4位.拳士浪(治政館/58.7kg)
勝者:拳士浪 / 0-3 (29-30. 28-30. 28-29)

◆エキシビジョンマッチ2試合

マネージャーの安奈さん、西島洋介、鈴木一成

鈴木一成(市原)vs西島洋介(元・東洋太平洋クルーザー級チャンピオン)
花澤一成(市原/12歳)vs蒲田拓真(治政館/12歳)

プロボクシング引退後、総合格闘技などに出場して世間を賑わせた西島洋介が42歳となって昔と変わらぬ風貌で登場。JBC管轄下では西島洋介山というリングネームでした。

エキシビジョンマッチは2回戦(2分制)で行われ、西島洋介はボクシングシューズを履きパンチのみの攻め、鈴木一成(47歳/市原)はスネ当てを着用でローキック、ヒザ蹴りも当てる中、西島は効いた様子はなく余裕で的確なパンチを当て軽いスパーリングをこなした表情。

蘇我英樹が引退した現在、来年の市原興行のメインイベントは誰でしょうか。今野明がこの日の弾みで再度、日本ミドル級チャンピオンの斗吾(伊原)に挑戦する道を開けば市原ジムのエースとして話題は明るくなるでしょう。

大月晴明は先月のNO KICK NO LIFE以来の試合、といっても1ヶ月弱で、1ヶ月ペースで試合をこなす選手はこのところ増えている感じです。連続で毎月試合は難しいでしょうが、ボクシングのように頭部にダメージを負わなければ安静期間も短く済み体調管理が上手くいくでしょうし、キックボクシングの創生期は試合で蹴られ殴られ、全身打撲で歩くのも困難なダメージを引きずって月2回以上試合をやっていた時代もありました。

時代の変化の中でも派閥や団体の壁は相変わらずですが、フリーのジムも幅広く興行が増えて緩やかに出場可能になったことや、科学的トレーニングやムエタイ修行、栄養学も加えて体調万全で頻繁に試合が出来る環境へ、大きく改善されてきたことが要因でしょう。

新日本キックボクシング協会の興行予定は4月17日(日)にTITANS NEOS,19、5月15日(日)はWINNERS 2016 2ndがそれぞれ後楽園ホールで17:00より行われます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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那須川天心、村越優汰、有松朝──群雄割拠の「RISE」バンタム級

◆バンタム級(-55㎏)次期挑戦者決定トーナメント準決勝 3回戦(延長1R)

村越優汰(湘南格闘クラブ/前RISEバンタム級王者)vs 有松朝(リアルディール/RISEバンタム級3位)
勝者:村越優汰 KO 3R 1分37秒 ※左三日月蹴り

村越優汰(左)vs 有松朝(右)

3月26日、土曜日。後楽園ホールにて行われた「RISE110」(RISEクリエーション主催)は、17歳の天才高校生、那須川天心(TARGET所属)がISKA世界王者に挑む vs フレッド“The Joker”コルデイロ(ポルトガル)戦ばかりが注目された印象だ。しかし、その那須川が保持する「RISEバンタム級王者」への挑戦権をかけた準決勝は、迫力満点だった。

村越優汰

村越は、サウスポーで、もし勝ち上がれば同じサウスポーの那須川と激突するはずだ。

その意味で注目されている21歳の村越は、オーソドックスながら距離のとりかたが抜群にうまい有松相手がどんどん前に出てきてパンチの乱れ打ち合いになる。右フックで有松の出鼻をくじき、ダウンを奪うが、全体として序盤からやや押され気味となる。しかしコツコツと左フックやミドルを当てていき、有松に主導権を渡さない。

那須川天心

3R、ブレイク後に様子を見たような間を有松があけたのを見逃さず、村越はオーバースイングぎみに右フックを放つと、たまらず有松はダウンした。

村越は、銀髪を汗に染めつつ、あがった息で「来ていただいてありがとうございます。KOで勝てましたが情けない試合をして、今回は倒すのが遅くなってしまいました。決勝の相手が確定していませんが、強い選手が出てくると思うのでこんな試合をしていたら勝てないと思います。次は誰が来ても強いところを見せたいです」と反省しきり。

◆苦戦ながらも世界王者の座を守り切った那須川天心

さて、その那須川は、応援に駆けつけた漫画家・板垣恵介の目の前ながらも大苦戦。バッティングで2度も眼球あたりを痛めたが、2Rに左キックでダウンを奪うなどして判定勝ちし、みごとに世界王者となった。

「二重にものが見えるし、吐き気がする」として、試合終了後、精密検査のため病院に運ばれた。結果は、一時的な脳しんとうのようだ。

那須川天心

また、空手の清水賢吾(極真会館/第3代RISEヘビー級王者、SB日本ヘビー級王者)が、ルイス・モライス(ポルトガル/ボスジム ポルトガル/ストライカーズリーグ90kg級王者)に第7試合(-95kg契約 3分3R延長1R)で鼻血を流しつつも、思いキックと得意の左キックを当てて判定勝勝ち。モラリスは長いリーチからアッパーはミドルを繰り出すが、いかんせん3Rにはスタミナが切れ、これが判定に響いた印象だ。いずれにせよ、5月29日にもビッグマッチがある。

RISEスーパーフェザー級王者・野辺広大(1-siam gym)の対戦相手がJ-NETWORKライト級王者・前口太尊(PHOENIX)に決定。もはや伝説となりつつあるベテランのハードパンチャー、大月晴明を3月12日の「NO KICK NO LIFE」で倒して波にのる前口と、俊英の野辺がクレバーな戦いを繰り広げるのか、それても序盤から意地の張り合いで殴り合うのか。いずれにしても目が離せない!

※RISEクリエーション株式会社 http://www.rise-rc.com

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』5月号!
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