なかなか闇の深いムエタイの八百長問題 堀田春樹

◆問題発覚

タイ国に於いては、もうどれくらい長い間、八百長問題でムエタイ業界を騒がせているだろう。他国の問題ながら、日本が目指してきたムエタイ越えとしては軽視できない問題である。

コロナ禍の規制の中で、やっと無観客試合の形で再開することができたタイ国内のムエタイ興行。地域によっては規制も緩み、再開から1ヶ月も経たない10月8日に、ブリラム県で開催された興行で八百長問題発覚。

過去にも発覚する事案は幾らかあるが、闇は深いと言われる八百長問題。業界の自浄能力はどれぐらいあるだろうか︎。

今回の問題を起こした選手の業界内での噂は、過去には麻薬に手を出すなど、今までの行動にも問題が多かっただけに、今後の復帰への機会は難しいと言われています。

悪名高き存在となってしまったファーワンマイ・チョー・タイセー

◆当事者の供述

10月8日のライブ中継されていたミニフライ級の、ラーンヤーモー・ウォー・ワッタナvsファーワンマイ・チョー・タイセー戦で、ファーワンマイ優勢で第4ラウンドに入ると、ラーンヤーモーの右縦ヒジ打ちでファーワンマイが倒れTKO負け。ノックダウン後のアクションがオーバーだったことでギャンブラーが騒ぎ、八百長と疑われました。

ファーワンマイは試合直後は認めずも、後日の興行役員、関係者の追及に八百長だったことを認めました。ファーワンマイは63戦44勝17敗2分。ナコンサワン出身の19歳の選手。

「今までのキャリアの中で、今回の試合を含めて4回の八百長試合をしてきた」と言う。

ファーワンマイは後日、八百長を依頼してきたという元ムエタイジム会長を管轄の警察署に告発。スポーツ庁ムエスポーツ委員会からも呼び出しを受けて事情聴取を受けました。

10月13日にはタイ民放局3chの番組生放送に出演を促され、一連の流れを説明。

ファーワンマイの供述によると、個人で販売していたナムプリック(chilidip唐辛子)5kgを販売額より高い金額で買い取ってくれた客が居て、2回目の購入時、「近くに来たので発送費が勿体ないだろうから直接取りに行く」との連絡があり、直接手渡すことになったが、その際に次の試合の八百長案を持ちかけられてしまい、「自宅場所も分かったから口外したり八百長を受けなかったら危険な目に遭うぞ!」と脅され、50万バーツ(約170万円)を提示された内、前金として3万バーツを受け取った。

KO負けするラウンドまで指定されたとおりの、第4ラウンドでKO負けしたが、試合後に問題が表沙汰になると、その依頼者という元ムエタイジム会長とは連絡が取れなくなった模様(ファーワンマイ本人の供述の為、どこまで真実かは不透明)。

プロモーターのスィアボート氏

同席した興行の主催者であるペットインディープロモーション、プロモーターのスィアボート氏(先代スィアナオ・ペットインディー氏の子息)は、「いろいろ経歴に傷のある選手だが、将来有望だったのでチャンスを与えて助けてきたが、こんな形で裏切られてしまい、怒りと悲しみで残念だ。」と心情を話しました。

スィアボート氏の説明では、ファーワンマイは以前、ランシットスタジアムで観戦中、お金を持っていないのにギャンブラーらとの賭けに参加していたが、負けて賭け金が支払えず、スタジアム内でギャンブラーらに取り囲まれ騒動となって問題化されてしまった。

それに救いの手を出して、復活の手助けをしたのがスィアボート氏で、復帰からわずか4戦目での恩を仇で返す裏切り行為だった。

ムエタイに於いての八百長に対する罰則は、1999年に制定されたムエスポーツ法に明確に定められており、八百長依頼者、実行した選手共に5年以下の禁固刑または10万バーツ以下の罰金、もしくはその両方と定められています。

但し、今までに厳格に執行された例が少なく、”紙上だけの法律”と揶揄されてしまっていることから、スィアボート氏は番組の中で、「法律がありながら、厳格な刑の執行を実施していかないと同じことの繰り返しとなり、ムエタイ界が発展していかない。」と警鐘を鳴らし、ムエタイ界の更なるクリーン化を主張しました。

古い話だが、ランシットスタジアムでドーンライされた赤いトランクスの選手(真相は不明)(1989年1月23日)

◆闇の深さ

ムエタイではほぼ実力拮抗した者同士がマッチメイクされ、多彩な技と駆け引きの中、勝負の読めない展開から賭けが成立。しかし、真剣に激しく戦えばノックアウトも負傷も起こり、スタミナ切れしたり、薬を仕込まれていて失速する場合もあるといいます。

毎月定期的に試合が続く選手は、体調不良で戦えば劣勢を招くことは明確で、それを八百長の疑いを掛けられ、試合途中でドーンライ(追放)となって仮に6ヶ月間出場停止となったら大変な減収となる為、体調不良が理由の試合キャンセルはよくある回避手段でしょう。

しかしこれではプロモーターに迷惑をかけるのは確かなので、会長やトレーナーは選手の体調管理にはかなり気を遣うと言います。メインスタジアムに出る一流選手は常に、“強さ、上手さ、頑丈さ”を求められるので、弱気な素振りやスタミナ切れのアクションは見せられません。

過去には、八百長だったのに発覚していない場合もあれば、八百長ではないのに試合前に噂が広まって、動きがおかしいとギャンブラーたちが騒ぎ始めてドーンライを促されるケースがあり、これらはプロモーター、ジム会長、トレーナー等側近が複雑に関わってるケースもある中、ややこしい闇の深さがあります。

◆ムエタイのリーダーとして

これまで述べた八百長とは、一方の選手のみが実行する“片八百長”という意味になります。

ドーンライされるそのリング上では、厳密に言えば八百長と決めつけた裁定ではなく、“ム
エタイ戦士としての威信にそぐわない試合”という意味で、“マイソムサクシー”と呼ばれます。

両者がそれぞれ全く違う人物から片八百長を持ち掛けられ、自分だけと思って片八百長をやりながら、実際は両者がやっていたことは稀にでも有るようです。

互いが手を抜き始めてダラダラした試合は、傍から見ればドッキリ企画のような笑うに笑えない展開も、明らかに威信にそぐわない試合で、両選手ともドーンライとなるようです。

元々から賭博禁止であればこんな問題も起きなかったと考えられますが、ムエタイ公式スタジアムでは法的に賭博の認可を受けており、2階席から後方まで有料観客による賭けは許されています。

このギャンブラーが居なければ大半の集客が見込めないのも事実で、賭博禁止とは言い切れない業界の存続が掛かってきます(一部改革案も有り)。

しかしここでは個人間の賭けなので全て自己責任。「賭けただろ、賭けてない!」のトラブルから客席後方で喧嘩が起こることも珍しくはありません。

10月19日にはタイ国ムエスポーツ(プロムエタイ)協会主導で役員など50名程集められ、解決策などの会議も行われた模様で、世間からは「“改善策を議論してますよ”といったアピールだけだろ!」と揶揄されながらも、社会的問題になり、改善策が議論されるだけムエタイ業界の歴史、伝統が偉大であることの証でもあり、八百長がやり難い環境に努めて世間にアピールしていくことは重要でしょう。

世界に広まったタイ国技ムエタイとしてのリーダーシップを持って進んで欲しいところです。

殿堂旧・ルンピニースタジアム(通常)。ここでもドーンライとなった試合は少なくない(1990年7月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』12月号!

NJKF設立25周年! 来年へ繋ぐ注目の好カード! 堀田春樹

山浦俊一は昨年12月27日に葵拳士郎(マイウェイ)に判定勝利し王座奪取。今回、初防衛を果たし、次のステップに進みたいことを宣言。

波賀宙也は防衛戦に向けての前哨戦は引分けるも、タイ選手のテクニシャン対策にはなった試合。

ルイはS-1レディースジャパン王座獲得。段階的に言えば次はS-1ワールドトーナメント出場。

真吾YAMATOは4度目のNJKF王座挑戦で、暫定ながら王座獲得。

◎NJKF 2021.4th / 11月7日(日)後楽園ホール17:30~21:10
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF

◆第10試合 WBCムエタイ日本スーパーフェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.山浦俊一(新興ムエタイ/1995.10.5神奈川県出身/58.85kg)
      VS
1位.久井淳平(多田/1987.12.3大阪府出身/58.8kg) 
勝者:山浦俊一 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:多賀谷50-46. 少白竜50-47. 椎名50-47

山浦俊一の首相撲からの崩しで10回ほど久井淳平がひっくり返された。その試合は山浦が蹴りやパンチの的確さで主導権を奪っての展開。

手足長い久井の前蹴りや右ストレートは山浦のディフェンスに阻まれヒットし難い。地味な戦いだが、山浦の多彩な技で圧力掛け続け、大差判定勝利に繋がった。

山浦俊一は27戦15勝(3KO)10敗2分。久井淳平は34戦20勝(6KO)13敗1分。

山浦俊一の崩し技で久井淳平は何度も転ばされた
ジワジワ攻めて追い込んだ山浦俊一のハイキック

◆第9試合 57.0kg契約3回戦

波賀宙也(立川KBA/1989.11.20東京都出身/56.9kg)
     VS
クン・ナムイサン・ショウブカイ(1990.11.21タイ出身/56.8kg)
引分け 三者三様
主審:少白竜
副審:中山30-29. 多賀谷29-29. 宮本28-29

波賀宙也は2019年9月23日、IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座獲得。コロナ禍に於いて防衛戦が延期された1年半のブランクを経ての9月19日は大田拓真(新興ムエタイ)に判定負け。今回がやがて予定される防衛戦への前哨戦となる。

両者はパンチとローキックで様子見。柔軟な体幹を持つタイボクサーのクン・ナムイサンは慌てることなく、首相撲で勝負するなどベテランの余裕があるが、互いに攻勢を決定付ける強いヒットも無く終了。波賀はタイトル防衛戦に向けたムエタイ対策には役立った試合かもしれない。波賀宙也は42戦26勝(4KO)12敗4分。

攻略は出来なかったが、防衛戦に向けたムエタイ対策になった波賀宙也

◆第8試合 60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.梅沢武彦(東京町田金子/1993.8.12東京都出身/59.9kg)
     VS
JKIスーパーフェザー級チャンピオン.櫻井健(Hard worker/1981.2.20千葉県出身/59.45kg)
勝者:梅沢武彦 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜30-26. 多賀谷30-26. 宮本30-26

梅沢は蹴りとパンチの様子見から自分のリズム掴み、多彩に蹴って勢い増していく。ハイキックは何度か顔面をかすめる圧倒。

桜井も打って出て来た最終ラウンド終盤には、倒しに掛かる勢いで右ストレートでノックダウン奪い、最後の残り時間で飛びヒザ蹴り見せた梅沢。ノックアウトは出来なかったがインパクト与える余裕の判定勝利。

梅沢武彦は27戦17勝(8KO)7敗3分。櫻井健は32戦13勝(3KO)15敗4分。
 

技と駆引きで優った梅沢武彦のハイキック

◆第7試合 S-1レディースジャパン2021スーパーフライ級王座決定戦 5回戦(2分制)

ミネルヴァ・スーパーフライ級1位.ルイ(クラミツ/1991.2.19香港出身/52.15kg)
     VS
KOKOZ (=ココゼット/TRY HARD/2001.10.24神奈川県出身/51.9kg)
勝者:ルイ / 判定3-0
主審:宮本和俊
副審:中山48-47. 椎名48-47. 少白竜49-48

序盤はKOKOZのパンチと蹴りのリズムで距離感保ち、的確さで上回った。3ラウンドからルイが首相撲に持ち込みヒザ蹴りに入ると、KOKOZは持ち味を殺されたように動きが減ってしまう展開が続き、後半ポイントを失った形のKOKOZは惜しい敗戦。ルイは9戦8勝(3KO)1敗。KOKOZは10戦6勝4敗。

首相撲となればルイがヒザ蹴りで優って逆転に導いた
陣営に祝福されたルイ

◆第6試合 女子ミネルヴァ・ライトフライ級王座決定戦3回戦

1位.真美(team lmmortaL/1990.2.19神奈川県出身/48.85kg)
     VS
2位.ERIKO(ファイティングラボ高田馬場/1987.4.22千葉県出身/48.65kg)
勝者: 真美 / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:中山30-27. 椎名30-27. 宮本30-28

初回から蹴りから組み合えばヒザ蹴り、更にパンチの手数が増える展開で、ERIKOの勢いはあるが、組み合えばヒザ蹴りで優っていく真美が攻勢を保ち判定勝利。

真美は12戦8勝(2KO)4敗。ERIKOは10戦6勝(2KO)4敗。

真美も首相撲からヒザ蹴りで勝利を導いた
陣営に祝福された真美

◆第5試合 NJKFスーパーライト級暫定王座決定戦 5回戦

真吾YAMATOの徹底したヒジ打ちでマリモーを倒した

1位真吾YAMATO(大和/1996.1.3東京都出身/63.15kg)
     VS
3位.マリモー(キング/1985.3.8東京都出身/63.2kg)
勝者:真吾YAMATO / KO 1R 1:27 / テンカウント
主審:少白竜 

開始から長身の真吾がタイミング狙ってヒザ蹴りを入れ、マリモーをロープ際へ圧し、コーナーに追い込むと左ヒジ打ちでマリモーの右目瞼を斬り、更に左ヒジ打ちでアゴを捉えダメージを与えてのノックアウト。

マリモーのスタミナと根性でのしぶとさを発揮させずに仕留めた真吾。

真吾YAMATOは31戦22勝(11KO)7敗2分。マリモーは33戦13勝(6KO)19敗1分。

◆第4試合  NJKFバンタム級挑戦者決定戦3回戦

1位.志賀将大(エス/1993.2.20福島県出身/53.0kg)
     VS
2位.池上侑李(岩崎/2000.7.17東京都出身53.4kg)
勝者:志賀将大 / 判定3-0
主審:椎名利一        
副審:中山30-29. 少白竜30-28. 多賀谷30-29

蹴りの攻防は互角ながら、第2ラウンド半ばから池上のパンチで鼻血を流す志賀は息苦しさが感じられたが、首相撲でのヒザ蹴りで攻勢を保ち判定勝利。

志賀将大は15戦11勝(4KO)3敗1分。池上侑李は14戦8勝(2KO)6敗。

◆第3試合 65.0kg契約3回戦

NJKFウェルター級2位.野津良太(E.S.G/64.6kg)
     VS
NJKFスーパーライト級8位.ナカノ・ルークサラシット(エス/64.6kg)
勝者:野津良太 / 判定2-0
主審:宮本和俊
副審:椎名30-29. 少白竜30-29. 多賀谷29-29

しぶとさ発揮の野津良太が、差は付き難いが多彩な攻めで主導権奪って判定勝利。
野津良太は19戦11勝(3KO)7敗1分。ナカノ・ルークサラシットは62戦40勝(20KO)22敗。

◆第2試合 女子(ミネルヴァ) 56.0kg契約3回戦(2分制)

スーパーバンタム級2位.KAEDE(LEGEND/56.0kg)vs水野志保(名古屋JKF/55.9kg)
勝者:KAEDE / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:椎名30-27. 少白竜30-28. 宮本29-28

KAEDEは8戦6勝1敗1分。水野志保は37戦23勝12敗2分。

◆第1試合 フライ級3回戦

吏亜夢(ZERO/50.6kg)vs玉城海優(RKA糸満/49.9kg)
勝者:吏亜夢 / TKO 2R 0:33 / カウント中のレフェリーストップ
主審:多賀谷敏朗

吏亜夢は7戦4勝(3KO)2敗1分。玉城海優は12戦3勝(1KO)9敗。

暫定ながら王座獲得、真吾YAMATO

《取材戦記》

山浦俊一の次のステップに進む希望はインターナショナル王座か他のタイトルになるか。選択肢は多くあるが、希望通りのイベントや対戦相手に臨める訳ではないから、このままWBCムエタイ路線で行くのは一番可能性が高いでしょう。

NJKFスーパーライト級挑戦者決定戦は暫定王座決定戦に変更。安易にチャンピオン誕生は好ましくないが、早めの統一戦とタイトルマッチ活性化を期待したい。

「活性化を期待したい」といったような文言は、何度も記事の無難な纏め言葉に使ってきたが、なかなかそうは進んでくれないのが多くのタイトルの存在なのである。

ニュージャパンキックボクシング連盟は何気に25周年。正確なデータは分かりませんが、名古屋JKファクトリージムから、おそらく20年ぶりの選手出場。懐かしい小森二郎会長の姿がありました。

1996年設立から暫くは大和北ジム(後に名古屋JKFへ名称変更)から鈴木秀明や佐藤孝也が出場し、ニュージャパンキックボクシング連盟を支えたエース格の一角でした。

そんなNJKFの黎明期には仙台青葉の瀬戸幸一会長とSVGシンサック会長がリング上での口論も懐かしい対峙でした。脱退していった当時の古きジムも多かったものです。

2022年のNJKF本興行は後楽園ホールに於いての夜興行で、2月12日(土)、6月5日(日)、9月25日(日)、11月13日(日)の4回。他、大阪など地方興行も予定される様子です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』12月号!

チャンピオンベルトへのステップアップ! Dynamic Ultimate Exciting Live(DUEL)! 堀田春樹

2015年4月29日、新宿FACEから始まったNJKFから発祥のDUELシリーズ。当時、30代~40代の若手会長により結成されたNJKF若武者会が、新人戦からWBCムエタイ世界王座まで段階的にステップアップする機会を与える為の始動でした。そのDUELが第22回を迎えた10月31日、コロナ禍を引きずった時期で、二部制に於いて行われました(第一部と第二部は入れ替え制)。

◎DUEL.22 / 10月31日(日)ゴールドジムサウス東京ANNEX
主催:NJKF若武者会 / 認定:NJKF / 前日計量30日12:00

第一部(18:08~19:06)

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)アトム級3回戦(2分制)

左ミドルキックが冴えていた祥子。終始リズムを保った

アトム級3位.祥子JSK(治政館/1983.12.3埼玉県出身/46.4→46.25kg)
vs
久遠(=ひさえ/ZERO/1980.10.21栃木県出身/46.25kg)
勝者:祥子JSK / 判定3-0
主審:宮本和俊
副審:和田29-28. 中山30-28. 少白竜30-29

祥子はアマチュアで試合を重ね、2012年6月にプロデビュー。出産から約6年間のブランクを経て、2019年1月に再起。これまで国内王座挑戦経験も多い。

久遠(=ひさえ)は2002年4月にMMAでデビューし、シュートボクシングでRENAとの対戦や2016年迄にはキックボクシング戦を経て、以後出産育児のためリングを離れ、今回約5年ぶりの再起となった。

祥子は少しずつ前進しローキック、ミドルキックで様子見のけん制。久遠は下がり気味でロープ、コーナーに詰まり気味。レフェリーが一旦、攻めが少ない両者に積極的ファイトを促す。祥子は次第に前蹴り、左ミドルキックが冴えていく。下がり気味で手数が少ないままの久遠は徐々にパンチ連打で出るが流れを変えられない。組み合う場面も出てきたが祥子が優勢。第3ラウンドにはようやく前に出てきてパンチが増えた久遠。ラスト30秒からパンチで手数増やしてきたが祥子のリズムを崩すに至らず終わる。

祥子は「相手が前に出てこないのでどういう展開になるのかな、と思ってた。」と言い、戦歴豊富な久遠に気を抜けなかったが、落ち着いて徹底して左ミドルキック、前蹴りで主導権支配した祥子JSK。練習してきたと言うミドルキックの成果が表れていた。「応援してくれる人もたくさん居て、凄くお待たせしているので必ずチャンピオンになります」と応えた。

祥子JSKは19戦6勝12敗1分。久遠はキック系14戦9勝(2KO)4敗1NC。

手数少ない久遠に祥子のパンチも攻勢に導く

◆第3試合 女子(ミネルヴァ)スーパーフライ級3回戦(2分制)

スーパーフライ級2位.IMARI(LEGEND/51.75kg)vs 同級5位.NANA(エス/52.1kg)
引分け 三者三様
主審:竹村光一
副審:和田29-29. 中山29-30. 宮本30-29

パンチとローキック主体の互角の攻防が続くがヒットが軽く、パンチが顔面に入っても怯まず、互いに下がらない攻防は差が付き難い流れで終わる。

被弾しても下がらず打ち合ったIMARIとNANA

◆第2試合 58.0kg契約3回戦

パヤヤーム浜田(キング/57.7kg)vs 渡部瞬弥(エス/57.7kg)
勝者:パヤヤーム浜田 / KO 3R 1:25 / テンカウント
主審:少白竜

渡部瞬弥が蹴り中心に主導権を奪う試合運びも、浜田はパンチしか突破口が無い中、最終ラウンドに浜田がボディーブロー狙い、パンチが顔面にヒットしたか、連打からロープ際で首相撲となったところで渡部が崩れ落ちた。

勝率は低い浜田が逆転ノックアウトするインパクトある勝利を飾った。浜田はプログラム上は前戦まで1勝12敗。この日に2勝目を挙げたここからどこまで上昇気流に乗れるか注目である。

パヤヤーム浜田「渡部選手は蹴りが上手くて、自分の蹴りは逆に当たらなくて2ラウンドまでの採点で全部取られていて、やばいなと思ったけど、パンチが意外と当たる感じになったので、最後まで諦めずにやった結果だと思います。一戦一戦大事にして勝って行って、僕みたいな負けっぱなしの戦績の人間が偉そうに言えないですけど、チャンピオンベルト狙っていきたいと思います。」

逆転KOで感情溢れた“パヤヤーム”浜田。名の通り“努力”が実った

◆第1試合 スーパーフライ級3回戦

佐々木良樹(GRABS/52.1kg)vs 愛輝(ZERO/51.5kg)
勝者:愛輝 / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:少白竜28-30. 竹村28-30. 宮本28-30

愛輝は「緊張しちゃって思うように動けなかった。」という流れも、飛びバック蹴りを見せる積極的な攻勢が目立った。

愛輝「プロになって初めて勝てて嬉しいです。もっともっと練習して強くなりたいです。」

徐々にリズムを掴み、飛びバック蹴りをみせた愛輝

第二部(19:20~20:13)

ヒジ打ちで獠太郎を追い込む財辺恭輔

◆第4試合 フェザー級3回戦

獠太郎(DTS/1990.6.17生/57.1kg)
     vs
財辺恭輔(REON/2002.11.8生/56.95kg)
勝者:財辺恭輔 / 判定0-3
主審:竹村光一
副審:和田28-30. 中山28-30. 宮本28-29

獠太郎は過去、日下滉大(現NJKFスーパーバンタム級チャンピオン)には判定負けも、NJKFライト級王座挑戦経験のある吉田凛汰朗には判定勝利しているなど、上位陣との対戦経験で上回る。

獠太郎はパンチ蹴りの正攻法な攻め。経験値ある獠太郎の当て勘にやや圧される流れに対し、財辺恭輔はパンチで追う圧力と首相撲でのヒザ蹴り、ヒジ打ちでも圧していく多彩さで好印象を残して判定勝利。財辺にとってはまだ2勝目だが、獠太郎越えは上位陣との対戦に繋がるステップアップとなった。

財辺「相手がベテランだから第1ラウンドは様子見ようと思ってたけど、上手くいかなくて、久しぶりの試合、初めてのメイン、プレッシャーがあったけど、何とか勝ってよかった。もっと戦ってタイトル目指せるよう頑張りたいと思います」

獠太郎は14戦6勝8敗2分。財辺恭輔は4戦2勝1敗1分。

財辺恭輔が若い勢いで優っていった

◆第3試合 57.5kg契約3回戦

渋谷昂治(東京町田金子/57.0kg)vs 大稚YAMATO(大和/57.45kg)
勝者:大稚YAMATO / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:竹村28-30. 少白竜28-30. 中山27-30

大稚YAMATOが渋谷昂治をロープに詰めてボディーブロー、ヒザ蹴りで主導権を握り、徹底して手数で圧力かけて出る。終盤は勢いは弱まるも、打ち負けない根性で耐えきった。

大稚YAMATO「相手が気持ち強くて打たれ強くて疲れて体力消耗したけど、強い相手とやれてよかった。負けずに一戦一戦全力で勝っていきたい。」

前進と圧力で上回った大稚YAMATO

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

史門(東京町田金子/58.9kg)vs 細川裕人(VALLELY/58.7kg)
勝者:史門 / KO 2R 1:42 / 3ノックダウン
主審:和田良覚

パンチによる3ノックダウンで史門が勝利。最初のストレートパンチでノックダウン奪ってから一気に仕留めに掛かった史門。右ストレートで2度目、コーナーに詰め連打で3度目のダウンとなった。

史門「これで2戦2勝(2KO)、将来的にはチャンピオンベルト巻けるように頑張ります。」

圧力掛けた史門が細川裕人を追い詰めていく

◆第1試合 女子(ミネルヴァ)ピン級3回戦(2分制)

ピン級7位.斎藤千種(白山/45.3kg)vs 撫子(GRABS/44.7kg)
勝者:撫子 / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:和田27-30. 少白竜27-30. 宮本27-30

パンチとローキックの様子見から徐々に動きがスピーディーになり、撫子は鼻血を流しながらも、蹴って来た斎藤にタイミング合わせてストレートパンチでダウン奪う。終盤も撫子はアゴが上がるパンチを貰いながら怯まず攻防を制した。

撫子「相手がサウスポーでパンチの上手い選手で、試合決まった時から会長(佐藤友則)と対策してきて自分の良さも活かせたと思います。会長のもとで更に強くなってランカーと対戦してピン級のチャンピオン目指します。」

互いが被弾する中でのパンチによるノックダウンに繋げた撫子

《取材戦記》

世間からは注目され難い小規模興行。新人が経験を積むには必要な機会であるが、その中にもドラマってあるもの。そんな一つを拾ってみたDUEL興行でした。

第一部の最終試合、祥子JSKvs 久遠戦と第二部の最終試合、獠太郎vs 財辺恭輔戦は、過去の経歴の話題性で、祥子JSK vs 久遠戦の方が注目度は高いようでした。

スタッフによる試合後の全勝利者へのインタビューに於いて、将来的に「チャンピオンを目指す!」と言う発言が多かった中、世界王座とかムエタイ王座とか最高峰の名称が出てこなかった。「まずは目先の段階で、国内の複数ある中の王座から」というのが本音だろうか。或いは言いたいけど、おこがましくて言えなかっただろうか。言うだけなら遠慮なく、RIZINでもKNOCK OUTでもラジャダムナンスタジアムでも、その先の多くのメディアに登場できる上位を目指して頑張って貰いたい。

NJKF興行は11月7日が後楽園ホールで本興行年内最終興行。

他、11月21日(日)には岡山県倉敷市、マービーふれあいセンターに於いて「拳之会主催興行17th ~NJKF 2021 west 4th~」

12月5日(日)には京都KBSホールでの「NJKF 2021 west 京都〜ワイルドウエスト〜」が開催予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』12月号!

大トリは重森陽太、老舗のリングを彩るチャンピオン集結! 堀田春樹

今回のメインイベンター(大トリ)は重森陽太。蹴り技で優ってREITOの技を封じ、判定勝利で大役を果たす。

勝次は頑丈なNOBUに圧される展開に苦戦の引分け。次なるステージへのアピールは出来ず。

リカルド・ブラボは鮮やかに大技からヒザ蹴りを見せてTKO勝利。

泰史はWKBA JAPANの2度目の挑戦も倒しに掛かるパワー不足でタイトルを逃がす。

終了間際の数秒で圧力掛けた重森陽太のフルスイングのヒジ打ち

伊原信一代表は一箇月程前から体調不良の為入院。御自身で病院に向かった模様で、「重篤な状態ではありませんので、御心配には及びません。」という栗芝貴協会代表代行のリング上での発表。

◎TITANS NEOS.29 / 10月17日(日)後楽園ホール17:30~20:40
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆11 メインイベント 62.0kg契約3回戦

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/1995.6.11東京都出身/61.75kg)
      VS
KOSスーパーフェザー級チャンピオン.REITO BRAVELY(BRAVELY/2000.6.29大分県出身/61.75kg)

勝者:重森陽太 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:仲30-29. 宮沢30-27. 桜井30-28

序盤は距離を測るような蹴りの軽い応酬。REITOの右脚を何度かストッピングする重森陽太。ローキックでREITOの動きを鈍らせ、ミドルキックも蹴りの強さは重森が上回り、

盛り上がりには欠けるが、テクニックで優って危なげなく判定勝利を掴んだ重森陽太。倒す見せ場を作るには時間が足りなかった。

(KOS=KING OF STRIKERSは福岡発祥の格闘技イベントです。)

REITOの右脚をストッピングする重森陽太。細かい技も効果的に使う
互いに笑顔で健闘称え合う清々しい両者
今回も軽くだが、飛びヒザ蹴りを見せた勝次。倒したかった技だろう

◆10 64.0kg契約3回戦

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(藤本/1987.3.1兵庫県出身/63.95kg)
      VS
KOSスーパーライト級チャンピオン.NOBU BRAVELY
(BRAVELY/1982.10.16大分県出身/63.75kg)

引分け 0-1
主審:少白竜
副審:椎名29-29. 仲29-30. 桜井29-29

開始早々は勢いよく飛び気味の左回し蹴りの勝次。

パンチもローキックも勝次の勢いがあるが、NOBUは圧されずに蹴り返し、

効いていないかのような前進を続ける。

無理に打ち合わない勝次は下がりっぱなしで印象は悪い展開でも、軽く飛びヒザ蹴りを見せるなど劣勢を許さず辛うじて引分けた。

打ち合うのは危険だが、テクニックで圧し切るのも難しいNOBUの頑丈さだった。

NOBUの前進に圧された勝次

◆9 74.0kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.75kg)
     VS
NJKFスーパーウェルター級2位.佐野克海(拳之会/73.5kg)
引分け 0-1
主審:宮沢誠
副審:椎名29-29. 仲29-29. 少白竜29-30

序盤は佐野克海にパンチで打たれて下がるシーンをみせてしまう斗吾。打ち返しは勢い有る斗吾で、佐野も貰うと勢い弱まる見映え。どちらに形勢が傾くかは互いの有効打次第も、ヒットは無く倒すに至らないもどかしさが残る引分け。

重量級の打ち合いでの攻防、佐野克海と斗吾
蹴りで主導権奪ってから大技繰り出すリカルド・ブラボ。バックヒジ打ちを見せる

◆8 70.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン出身/69.85kg)
      VS
チャンスック・バーテックス(1997.10.5タイ出身/69.35kg)
勝者:リカルド・ブラボ / TKO 3R 2:11 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

チャンスックのヒジ打ちを警戒か、序盤は接近にはいかないリカルド・ブラボは蹴り中心の様子見。

徐々にハイキックを繰り出し、更にパンチの打ち合う距離へ縮まって次第にブラボが優位に立っていく。警戒したヒジ打ちも貰うことなく、ボディーブローからロープ際でヒザ蹴りでチャンスックを倒した。

◆7 63.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.高橋亨汰(伊原/63.4kg)
     VS
TENKAICHIスーパーライト級1位.剣夜(前・Champ/SHINE沖縄/63.0kg)
勝者:高橋亨汰 / TKO 2R 1:20 /
主審:仲俊光

連打で圧力かけてコーナーに追い詰め、蹴り、パンチ、ヒジで攻める高橋亨汰。しつこく接近して攻めていく中、ヒジで顔面カットし、流血がひどくなったところでドクターの勧告を受け、レフェリーストップとなった。

剣夜を翻弄していく高橋亨汰のハイキック

◆6 WKBA JAPAN(日本)バンタム級王座決定戦 5回戦

日本バンタム級1位.泰史(伊原/53.5kg)
     VS
WMC日本バンタム級6位.佐野佑馬(創心會/53.15kg)
勝者:佐野佑馬 / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:宮沢48-49. 桜井48-49. 仲47-48

蹴りの様子見から勢い増してきた佐野佑馬。スロースターターの泰史は圧され気味。徐々に積極的に攻める泰史は佐野をコーナーに詰めてパンチでラッシュするが倒すに至らない。第3ラウンド中盤から佐野が盛り返し、泰史を追う流れに変わる。泰史も結構打たれ、頬が腫れだす。コーナーには詰める泰史も失速し圧し続けられない。互いの強い決定打が無いまま僅差で負けた泰史はスーパーフライ級に続く二度目のWKBA JAPANタイトルも逃す結果となった。

攻勢にも劣勢にも立ちながら顔を腫らせて戦う泰史の踏ん張り(右)
チャンピオンベルトを巻いてリングを下りる佐野佑馬。陣営の前では感情溢れる姿

◆5 56.0kg契約2回戦

中村哲生(伊原/56歳/55.85kg) vs ケント(ツルザップ/23歳/55.2kg)
勝者:ケント / TKO 1R 2:16 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

昨年55歳デビューした中村哲生は毎度連打で倒されるも、打たれてから強い蹴りを返す展開に会場の拍手が響いた。打ち抜かれての3戦3敗ながら、踏ん張る力が付いた中村哲生。毎度元気に会場入りする度胸と根性持ったビジネスマンである。

◆4 フェザー級3回戦

瀬川琉(伊原/57.05kg) vs NJKFフェザー級5位.松永尚恭(東京町田金子/56.6kg)
勝者:瀬川琉 / 反則 2R 0:38 / 主審:宮沢誠

クリンチでレフェリーによるブレイク後に松永のヒジ打ちが瀬川のアゴにヒット。すでにヒジ打ちで目尻付近を斬っていた負傷と共にドクターがダメージを診ようとしたところで、足元おぼつかず崩れ落ちた瀬川琉は試合続行不可能。松永尚恭の失格負け。

◆3 59.0kg契約3回戦

ジョニー・オリベイラ(トーエル/58.9kg) vs 祐輝(OU-BU/58.7kg)
引分け 1-0
主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 少白竜29-29. 宮沢30-29

◆2 女子49.5kg契約3回戦(2分制)

オン・ドラム(伊原/49.4kg) vs YUKA(SHINE沖縄/49.1kg)
勝者:YUKA / 判定0-2
主審:椎名利一
副審:宮沢29-29. 仲29-30. 桜井29-30

◆1 ウェルター級2回戦

大場一翔(伊原/66.5kg) vs 悠YAMATO(大和/66.6kg)
勝者:悠YAMATO / TKO 2R 0:37 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

第1ラウンド、大場による股間ローブローにより、悠YAMATOが数分立ち上がれないダメージを負い、負傷裁定に移るかと思われたところがギリギリ続行可能へ移った。ダメージで劣勢に移るも第2ラウンドには一瞬の隙を突いたパンチ連打で逆転ノックアウトに成功した悠YAMATO。

《取材戦記》

前日計量では入院中の伊原信一代表から選手やジムスタッフに何度も電話が掛かって来て、計量を終えた選手全員にもスマホスピーカーから激励を送っていた。医師が許せば今回の興行にも現れるのではとさえ思えたほどだが来場までは許されなかった。来年3月に予定される興行まで時間は充分あるので静養されて元気に戻って来られるでしょう。

もっと蹴っていれば勝利も導いていたかもしれない勝次は、快勝していたらいつものマイクアピールで言いたいことはあったようだが、引分けではその立場を無くしてしまった。毎度のことながら、存在感を示すには今後も日本人相手に引分けを含め、取りこぼしは許されない。

2022年の新日本キックボクシング協会興行は、今年より1回増えて、3月13日(日)、5月15日(日)、7月24日(日)、10月23日(日)の4回が後楽園ホールに於いて開催が予定されています。

昨年は政府による新型コロナウィルス蔓延の防止策で、春から夏にかけて4度の興行中止に陥り、開催は3度のみ。今年はコロナの影響や、一昨年から続く脱退ジムによる影響もあって4月、6月、10月の3度のみ。

来年は新日本キックボクシング協会が、どういう存在感を示すか。他のビッグイベント出場を目指すのではなく、他団体やフリー関係が新日本キックボクシング協会出場を目指してくるよう威信を取り戻さねばならないだろう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

代打カードで他団体から出場、存在感示した内田雅之! 堀田春樹

NKBライト級タイトルマッチはチャンピオン、高橋一眞が新型コロナウィルスの影響で延期となり、代打カードとなったメインイベントの交流戦62.0kg契約5回戦はジャパンキックボクシング協会(JKA)から出場の内田雅之が、ベテランのテクニックで野村怜央を上回り判定勝利を飾った。

長らく空位だったNKBバンタム級王座は、2015年12月12日に高橋亮(真門)が王座決定戦で松永亮(拳心館)を下して以来の争奪戦となり、この日、準決勝を勝ち上がった海老原竜二(神武館)vs 龍太郎(真門)戦で12月11日興行にて行われます。

NKBバンタム級チャンピオンベルトを掲げる渡邉信久代表と王座争う4名の選手

◎NKB 2021 必勝シリーズ vol.6th / 10月16日(土)後楽園ホール 17:30~20:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第10試合 62.0kg契約 5回戦

JKAライト級2位.内田雅之(KickBox/1977.12.26神奈川県出身/61.85kg)
     vs
NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/1990.3.27東京都出身/62.0kg)
勝者:内田雅之 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:川上50-47. 仲50-45. 加賀美50-46

不意を突く内田雅之の前蹴りが野村怜央の顎にヒット

序盤の野村怜央の蹴りとパンチの前進に、内田雅之はやや下がり気味でも野村の出方を読んで慌てる様子は無い。様子見の後は、内田のローキック、右ロングフック、右バックヒジ打ち、顔面前蹴りなどインパクトあるヒットを繰り出し、主導権を奪った展開が続いていく。

内田が奥脚狙ったローキックで倒しに掛かれそうだが、野村はダメージを感じさせない蹴り返しを見せる。内田にややスタミナ切れも野村の巻き返しを許さず、第5ラウンドには

内田がヒザ蹴り連打で野村をロープ際に圧したところでレフェリーがスタンディングダウンを宣した。内田の余裕の展開ながら倒し切れないもどかしさが残る。

上下蹴り分けるフェイントから内田雅之のハイキックがヒット
二人のお子さんも大きくなった、勝利のスリーショットの内田雅之

◆第9試合 ウェルター級3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(team COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.68kg)
     vs
ACCELライト級チャンピオン.どん冷え貴哉(Maynish/1988.10.15滋賀県出身/66.4kg)
勝者:どん冷え貴哉 / 判定0-3
主審:仲俊光
副審:川上29-30. 鈴木29-30. 前田29-30

序盤から笹谷が積極的に先手を打って出るが、どん冷え貴哉の柔軟なパンチから蹴り返しで互角の展開。第2ラウンド後半には、どん冷えがややラッシュ気味にパンチ連打して、笹谷はロープ際からコーナーに詰められ、打たれるもサッと抜け出しピンチを切り抜けダメージは無さそうだが連打を受けた印象は悪い。

第3ラウンドも貴哉のペースは変わらずも笹谷も打って出る。ジャッジ三者の採点は第2ラウンドだけ、どん冷え貴哉に流れる僅差だが、内容的にはどん冷え貴哉が主導権奪った流れを印象付けて終了。笹谷淳はJ-NETWORKで二階級制覇した実績有り。

どん冷え貴哉が保持するACCELタイトルは、2004年に神戸で発祥の打撃系中心の格闘技イベントより制定された王座の様子。

笹谷淳にどん冷え貴哉のミドルキックがヒット、両者アグレッシブな攻防
柔軟さが優ったどん冷え貴哉のミドルキック炸裂

◆第8試合 NKBバンタム級王座決定4人トーナメント(準決勝)3回戦

1位.高嶺幸良(真門1973.12.4兵庫県出身/53.2kg)
     vs
2位.海老原竜二(神武館/1991.3.6埼玉県出身/53.2kg)
勝者:海老原竜二 / 判定0-3
主審:加賀美淳
副審:川上29-30. 前田28-30. 仲29-30

蹴りの攻防は海老原がやや上回り、リズム掴んだ海老原。高嶺は次第に手数が減る流れ。

海老原はパンチ、ローキックで連打を強め、高嶺はパンチしか逆転のチャンスが無い流れも逆転に導けず、海老原が僅差ながら順当な判定勝利。

海老原竜二のローキックが高嶺幸良にヒット
互いに「チャンピオンベルトを巻く!」と宣言した海老原竜二と龍太郎

◆第7試合 NKBバンタム級王座決定4人トーナメント(準決勝)3回戦

3位.則武知宏(テツ/1995.12.5岡山県出身/53.52kg)
     vs
5位.龍太郎(真門/2000.12.25大阪府出身/53.3kg)
勝者:龍太郎 / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:前田28-30. 加賀美28-30. 仲28-30

様子見の攻防から主導権争いへ強いパンチで打って出て、倒せなくてもノックダウンを奪って決定的な差を付けたい両者。龍太郎の前進増し、則武知宏は打ち遅れてリズムが狂っていく。龍太郎がボディーブローで好印象を残し、則武の疲れた様子も見受けられる中、龍太郎が大差を付けた流れで終わる。

龍太郎の右ボディーブローが則武知宏にヒット

◆第6試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級3位.谷津晴之(新興ムエタイ/50.5kg)vs 杉山空(HEAT/50.5kg)
引分け 0-1
主審:川上伸
副審:前田29-29. 加賀美29-30. 鈴木30-30

◆第5試合  63.0kg契約3回戦

NJKFライト級6位.梅津直輝(エス/62.8kg)vs YASU(NK/62.7kg)
勝者:梅津直輝 / TKO 1R 1:16 /
主審:仲俊光

梅津直輝のヒジ゙打ちによるYASUの額の裂傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆第4試合  フェザー級3回戦

半澤信也(トイカツ/57.15kg)vs 山本太一(ケーアクティブ/57.1kg)
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:加賀美30-29. 前田30-29. 仲30-28

採点は僅差だが、第1ラウンドは両者とも一度ずつのノックダウン有り。パンチを受けてバランスを崩したようなダメージは少なそうなその後の攻防は決め手無い展開が続く。

◆第3試合  フェザー級3回戦

矢吹翔太(team BRAVE FIST/57.0kg)vs 杉山茅尋(HEAT/57.0kg)
勝者:矢吹翔太 / 判定2-0
主審:川上伸
副審:仲30-28. 前田30-28. 鈴木29-29

◆第2試合 58.0kg契約3回戦 デビュー戦

田中佑樹(TEAM TMT/57.5kg)vs 合田努(TOKYO KICK WORKS/57.8kg)
勝者:田中佑樹 / 判定2-1 (30-29. 29-30. 30-29)

◆第1試合  バンタム級3回戦 デビュー戦

明夢(新興ムエタイ/52.7kg)vs 蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/53.2kg)
勝者:蒔田亮 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

《取材戦記》

内田雅之が日本キックボクシング連盟興行に出場とは、本来予定されたメインカードに劣らぬ存在感を示した。そのネームバリューは元・日本フェザー級チャンピオンという肩書だけではない多くの名のある対戦者との戦歴が物語っていた。

交流戦は珍しくはなくなった時代だが、今後の時代に於いては、徐々に各団体の垣根も無くなっていくのかもしれない。そんな分裂などの昭和から引きずった柵(しがらみ)など知らない世代に移りつつある現在である。

内田雅之は野村怜央のカーフキックを受け、効くほどではないが「ちょっと貰うのイヤだなあ」といった心理的にイヤな感じだったと言う。内田のローキックで野村の左太腿も腫れていたが、強い蹴りに耐えた両者である。

本来のメインイベンターだった高橋一眞とのツーショットには対戦の期待高まる両雄となった(たまたま控室での対面。今のところ対戦予定はありません!)。

緊急事態宣言は解除されたものの、全てが元に戻ったと勘違いする人も居て、酒類持ち込み客が注意を受け、ビールの空き缶が幾つか集められていました。イベントの規制はまだ完全には緩まず、酒類の販売は無く酒類持ち込みも禁止。客席使用は50パーセントのままでした。

キックボクシング関係者の過去の新型コロナ感染者も、ある程度は名の知れた人らがそこそこ居て、軽症でも罹ってみて初めて解る苦しさを味わった人も居たようです。また無症状の人でも自宅待機の必要が生じて不便な思いもあったようで、予防接種は受けておいた方が良いという意見は多いのは当然でしょう。「俺は接種しない」と拒否派も存在しますが、格闘家でも一般人でも罹る時は罹るので予防接種は受けた方がいいでしょう。

日本キックボクシング連盟興行「必勝シリーズvol.7」は12月11日(土)に後楽園ホールに於いて17:30より開催予定です。

本来のメインイベンター高橋一眞と内田雅之のツーショット、二人が戦う日は来るか!?

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

格闘群雄伝〈24〉小林利典 ── 特攻精神持った癒し系キックボクサー 堀田春樹

◆立嶋篤史の側近

小林利典(1967年3月、千葉県船橋市出身)は、目立った戦歴は無いが、スロースターターで、圧倒的に押されながら巻き返し、粘り強さで逆転KOに導いた試合もある、長丁場で実力を発揮するタイプのフライ級からバンタム級で戦ったキックボクサーだった。

立嶋篤史のセコンドに着く小林利典(右)(1991年10月26日)

また立嶋篤史のセコンドとして静かな注目を浴び、引退後はレフェリーを長く務めている。

習志野ジムで小林利典の後輩だった立嶋篤史は1990年代のカリスマで、余暇と試合に向けたトレーニングに入った時のメリハリが強く、部外者が接することはなかなか難しい空気が漂った。控室などは特にそんな空気が凍り付く場である。そこに常に居たのが小林利典やタイから来たトレーナーのアルンサック達だった。

ビザ期限が迫った際のアルンサックからは「俺が居ないときはお前がアツシを支えろよ!」と言われていたという小林利典はプレッシャーもあっただろう。

しかしその反面、立嶋篤史が、「セコンドの小林さんの方がモテて、ファンレターとか来るんですよ!」と言うようなホッコリする話題も多い。

◆目立たぬ新人時代

小林利典は1983年(昭和58年)秋、習志野ジム入門。閑散とした選手層の薄い時代に、このジムに居たのはベテランの弾正勝、葛城昇。他、記憶に残るほどの練習生は居なかったという。

デビュー戦は早く1984年3月31日、千葉公園体育館で村田史郎(千葉)に判定負け。

同年8月19日には、全日本マーシャルアーツ連盟興行でのプロ空手ルールで佐伯一馬(AKI)に判定負け。現在の活気ある時代とは事情が違うが、ややルールの違う競技に赴いてでも試合の機会を増やしたい時代であった。

閑散とした時代のデビュー戦同士は判定負け(1984年3月31日)

やがてキックボクシング界は最低迷期を脱し、定期興行が安定する時代に移ったが、それでも試合出場チャンスは少なく、先輩のチャンピオン、葛城昇氏から「タイは若いうちに行け!」と言われたことは、多くの選手が言われた“本場修行の勧め”であった。

1989年(平成元年)4月、初のタイ修行に向かった先は、日本と馴染み深いチャイバダンジム。日本人にとって比較的過ごし易いジムだが、日本では味わえない雑魚寝の宿舎では度々争いごとにも遭遇。でも競技人口多いタイでは試合はすぐに組まれ、日々の練習と共に不便な環境でも充実した経験に繋がっていた。

タイで最初の試合はランシットスタジアムで判定負け(1989年4月 提供:小林利典)

◆大抜擢は貴重な経験

周囲から見て小林利典の戦歴で印象的なのは1994年10月18日、東北部のメコン河に近いノンカイで行われた国際的ビッグマッチ。日本からは伊達秀騎(格闘群雄伝No.11)と、小林利典が出場。前夜にバンコクからバスでノンカイに向かい、朝9時に到着したホテルのレストランでは隣のテーブルに対戦相手のソムデート・M16が居た。小林は小声で「殺さないでね!」とは冗談で笑わせていたが、内心は本音でもあっただろう。

この経緯は、我々と馴染み深いゲオサムリットジムのアナン会長が試合10日程前に、当時はジッティージムで練習していた小林利典を訪ね、ビッグマッチ出場を依頼。日本vsタイ戦として予定していた日本選手が出られなくなり、どうしても日本人が必要で、断り切れずに受けて立った小林利典。後々アナン氏のジムに居たソムチャーイ高津(格闘群雄伝No.7)から、相手がソムデートだと知ることになる。

当時、ルンピニースタジアム・フライ級2位で、倒しに掛かる強さだけでなく、派手なパフォーマンスで賑わせていた人気者だった。実質、日本の3回戦vsムエタイランカーの試合。

小林利典が対戦相手を知ったことを察したアナン氏は「逃げないでね!」と念を押すが、小林は“やってやろう”という特攻精神が強く働き、置かれた日本代表の立場から逃げる気など全く無かった。

ソムデートに終始攻められたが、貴重な経験となった(1994年10月18日)
国歌斉唱は選手二人で歌った異例の事態(1994年10月18日)

しかし、戦ってみれば全く格の違いを見せつけられた展開。ソムデートはアグレッシブな態勢で蹴り合えばスピードも違った。脇を広げ、ワザと蹴らせる余裕も見せたソムデート。インターバルでは「オーレー・オレオレオレ~♪」と観客に向かって歌い出す余裕のパフォーマンス。

完全に翻弄され続けるも、アナン氏は心折れない小林を、第3ラウンドも「よし行け!」と尻を叩いて行かせた。結果はパンチで防戦一方となったところでレフェリーストップ。惨敗ではあったが持つ技全て出し切り勇敢に戦い、多くの観衆が小林を拍手で称えていた。

「ソムデートはローキックが重く、絶対的な差を感じました。試合で怖いと思ったことはなかったですが、ソムデート戦は初めて怖いと思いました!」という感想。
この試合はタイ全土に生中継された一つで、IMF世界タイトルマッチだったが、それを知らされないままノンカイに向かう途中のバスの中で、日本国歌独唱を命ぜられてしまい、伊達秀騎と二人で斉唱となった。「小林さんの歌の上手さに驚きました!」という伊達秀騎。

小林は「高校の頃、校訓に“国を愛し、郷土を愛し、親を敬う”とあった為、国歌と校歌はしっかり歌わされてたので緊張はなかったです!」と、ソムデート戦を前に群衆の前で歌うことなど全く苦ではなかっただろう。

翌日のビエンチャン観光、ソムデートとツーショット(1994年10月19日)
タイでの試合も風格が増してきた小林利典(1995年3月24日)

◆キックからは離れられない人生

小林利典はタイでは10戦程経験し、1995年5月18日、タイ・ローイエット県での試合をしぶとさ発揮で判定勝利し現役引退したが、その後トレーナーとなることはなかった。

性格的に優しく、強い言葉で檄を飛ばすタイプではないが、選手に掛けるアドバイスは情熱が厚い。そこに信頼関係が生まれることは他のジムの選手に対しても多かっただろう。

日本では他所のジム同士であっても、タイではチームとなって行動することが多かった国際戦シリーズ。

「一緒に出場した戦友のような感じ、小林さんは漢気ある人です!」と言う伊達秀騎。

同時期にタイでも活躍した、ソムチャーイ高津にとっては小林さんによって選手生命を延ばしてくれた恩人だという。

自身がヒジ打ちを貰い大流血した試合で、同じ箇所に肘打ちを貰ったら命が危ないと直感し棄権TKO負け。セコンドに着いて貰った小林さんに、引退することを話したところが、

「俺はまだまだ、高津くんの試合を観たいと思ってるよ。まだまだこれからの選手だから高津くんは成長すると思うよ!」と励まされ、「この言葉を掛けられなければ、タイで勝つことも、この先の充実した現役生活も無かったと思う!」と語る。

バイヨークタワー脇の路地での興行だが、プロモーターは金持ちです(1995年3月24日)
ローキックで仕留めた、タイでの鮮やかKO勝利(1995年3月24日)

引退した翌年、MA日本キックボクシング連盟で審判員が人手不足となり、小林は先輩方に依頼されて、ジャッジ担当で一度だけの協力をしたつもりが、毎度声を掛けられてしまう。そして断り切れずに続けるうち経験値が増してベテラン域に達した。レフェリーとして25年経過。これまでの多くの経験値から、消え去るのは勿体無いと、キックボクシング界に携わるよう導びかれたような因果応報である。

プロボクシングではレフェリーは立場上、ジム関係者と親密になれない厳しさが常識的だが、コミッションの無いキックボクシング界は、昔から緩やかな傾向がある。それでも試合裁定に影響がないようにジム側と接触を避ける必要も生じ、自然と疎遠となる関係者も居たという。ソムチャーイ高津もその一人で、引退後OGUNIジムのトレーナーとなったが、現在はトレーナー業を離れて長い年月を経た高津氏。現在は小林氏とは度々親しく飲み会に誘うとか。

私(堀田)もタイで高熱を出して入院した時もたまたま小林氏が近くに居て、大阪から来た選手がタイの田舎でデビュー戦を行なう時もセコンドを買って出て、小林氏の声が耳に残るほど何かと手助けを受けたり、他の選手へのその姿を見る縁は深い。良い腐れ縁が続くのもこの業界の傾向。多くの古き関係者も、小林利典氏とは現役時代を語ること多き晩年となるだろう。

ベテランレフェリーとなって試合を裁く小林利典(2016年7月23日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

キックボクシングの国内タイトルは、なぜ複雑な名称なのか? 堀田春樹

◆頭字語タイトル

最近のキックボクサーの肩書きに付くタイトル(王座)やランキングには、リリースされる対戦カードを見る度、長い名称や頭字語が付くタイトルが多くなったと感じます。

プロボクシングでは存在しない、キックボクシングでの聞き慣れないタイトル全てを、一般の方々から見た場合、どう捉えるでしょうか。そんな選手の経歴はどんな位置付けにあるものか、今後も出て来る選手の所属する団体やタイトルを少々解説しておきたいところです。

キックボクシング雑論を書き始めの最初が2015年10月31日掲載の「群雄割拠? 大同小異? 日本のキックボクシング系競技に『王座』が乱立した理由」でしたが、早いものでやがて満6年となります。団体やタイトルに関わる似た文言は何度も出てきた部分もあるかと思いますが、再度振り返りと今回はタイトル名称の在り方で進めたいと思います。

ISKAに日本タイトルは無いが、存在感は大きい

◆古くからの団体制

プロボクサーなら日本○○級チャンピオン、東洋太平洋〇〇級チャンピオン、WBA世界○○級チャンピオンと形式上は段階的に上がり、世界は主要4団体となってアジアエリアも変化がありましたが、昔からの存在に於いてはその地位や価値が分かり易い。

キックボクサーの場合、国内に於いては、日本○○級チャンピオン、全日本○○級チャンピオン。そして10位までのランキング。2団体制の時代までは分かり易かったところ、新団体設立毎に“日本”に複合的な名称が付いたり、“日本”は出尽くして、“ジャパン”と名の付く団体や、フリーのプロモーターが主催する興行コンセプトといった名称のタイトルが増え、一つ一つの王座の価値が曖昧な存在となってしまった現在です。

新日本キックボクシング協会での選手の肩書きには“新日本”ではなく、日本○○級チャンピオンや、日本○○級1位といった“日本”を名乗る、その老舗からの由来がありました。

ジャパンキックボクシング協会は2019年3月に設立。ジャパンキック○○級チャンピオンという表記が多いが、もうひとつジャパンキックボクシングイノベーションという団体が存在するので、頭字語は“JKA”とも表記されています。

[写真左]UMAは2019年12月にルンピニージャパン・ウェルター級王座獲得(2019年12月1日)、[写真右]馬渡亮太は2019年8月、JKAバンタム級王座獲得。後に上位目指し返上(2019年8月4日)

ニュージャパンキックボクシング連盟は1996年8月の設立当初は“新日本”を名乗っていましたが、先に新日本キックボクシング協会(当時は休会)が存在していた経緯があり、“ニュージャパン”に変更も、文字数が長くなるので頭字語を中心にNJKFに落ち着いた流れで、“NJKF○○級チャンピオン” のような表記になります。

J-NETWORKは1997年の設立団体で、そのまんまJ-NETWORKと表記。

その1年後にキックボクシングユニオンが設立しましたが、習志野ジムの樫村謙次会長がK-1に倣って名付けたと言われ、当初からK-Uと簡略化されています。

古き時代のアジアモエジップン連盟は1983年設立。日本とタイの懸け橋と謡った設立も、1年後にはアジア太平洋キックボクシング連盟に改名。頭字語はAMFからAPF、時代を経てAPKFに移っています。

10月16日に3度目の防衛戦を行なうNKBライト級チャンピオン高橋一眞(2017年12月16日)

毎度登場の日本キックボクシング連盟は1984年(昭和59年)11月に統合団体として設立。後の2000年頃、NJKF、K-U、APKFと共に団体統合はせず、4団体でNKBを発足して統一王座トーナメントを経て2002年に各階級で王座決定戦開催。現在は日本キックボクシング連盟とK-Uだけで継続されています。NKBは“日本キックボクシング”から来る頭字語です。NKBライト級チャンピオン.髙橋一眞といった表記になっています。

マーシャルアーツ(MA)日本キックボクシング連盟は当初の日本キックボクシング連盟と枝分かれした団体で、呼び名を “マーシャルアーツ”と単独で呼んで、競技名のややこしさを残しましたが、肩書きはMA日本○○級チャンピオンという有るがままの呼び方になっていきました。

ジャパンキックボクシング・イノベーションは2013年に設立。通常はイノベーションと呼ばれること多く、INNOVATION○○級といった表記。団体名頭字語はJKI。ここまではジムが加盟して出来た協会や連盟といった団体図式です。

◆フリーの存在

昔は既存の団体の縛りが厳しく、どこにも所属しないで興行開催など考えられなかったところ、1992年にK-1の出現以降、団体の縛りの無いフリーのジムやプロモーターが徐々に増え出し、単独興行が成り立つ時代となりました。そしてそのイベント単位でタイトル(王座認定)化したものが多くなりました。

その中ではテレビを通じて世間一般に浸透したK-1や、PRIDEが原点のRIZIN は現在も存在感は大きい。2016年発祥のKNOCK OUTは代表者が代わり、方針も変わりながらビッグマッチを行なうイベントとしては有名です。10年続いたREBELSは今年3月より、KNOCKOUTに吸収される形で統合されました。

NJKFで興行を開催されてきたムエタイオープン興行は2014年に独立後、独自の興行名をタイトル化し、ブランド効果高いルンピニー・ボクシング・スタジアム・ジャパンタイトルも立ち上げました。頭字語はLBSJとなるところが、一般的にはルンピニージャパンと簡略して呼ばれ、LPNJと表記されています。

本場タイにある世界プロムエタイ連盟(WPMF)の日本タイトルは主にM-One興行で開催されていましたが、日本支局消滅により現在は休眠状態。他にも1995年にタイ発祥のWMC(世界ムエタイ評議会)の日本タイトルがあり、主にBOM(=Battle of MuayThai)興行で開催。WBCムエタイはプロボクシングのWBC(世界ボクシング評議会)が活動を広めた世界機構で、下部にインターナショナル、日本タイトルが存在し、主にNJKFとJKイノベーション興行で開催されています。

[写真左]2016年6月にWBCムエタイ日本王座制し、NJKFと二つの獲得となった白神武央(2016年6月)、[写真右]翔センチャイは2017年8月にWMC日本ライト級王座獲得(2017年8月11日)
小野瀬邦英の引退式で贈られたチャンピオンベルトは古き時代のもの(2002年12月14日)

◆ローカルタイトルの役割

国内で発祥のRISE、蹴拳、Krush、DEEP☆KICK、ビッグバン、聖域、KOS(=King of Strikers)、沖縄発祥のTENKAICHI、神戸発祥のACCEL等(他、地方発祥在り)もタイトル制定があり、これらの団体や興行のタイトルはプロボクシングの一国一コミッションが基の唯一の日本タイトルではなく、いつまでも続く保証は無い私的団体だが、乱立細分化はマイナス要因ばかりではなく、選手にとっては最初の目標となるステータスとなって競技人口が増えている現象もあります。

キックボクシングの真の日本統一タイトルは存在しないものの、パンフレット、対戦カード等に聞き慣れない選手の肩書きがあったら、その地位は低くとも、チャンピオンロードの始まりの世界最高峰への第一歩として、何となくでも理解して頂ければと思う次第です。

以下は従来どおりタイトル名や出場選手の肩書きが付いている、10月16日(土)後楽園ホールにて開催予定の「NKB 2021 必勝シリーズ 6th」の主要6試合の対戦カードです。(主催:日本キックボクシング連盟 / 認定;NKB実行委員会)

NKBライト級タイトルマッチ 5回戦
NKBライト級チャンピオン.髙橋一眞(真門)vs 挑戦者同級1位.棚橋賢二郎(拳心館)

ウェルター級ノンタイトル3回戦
NKBウェルター級3位.笹谷淳(team COMRADE)
     vs
ACCELライト級チャンピオン.どん冷え貴哉(Maynish)

第9代NKBバンタム級王座決定4人トーナメント(準決勝)3回戦2試合
出場4名によるトーナメントは抽選による対戦カード決定。決勝戦は12月11日。
1位.高嶺幸良(真門)
2位.海老原竜二(神武館)
3位.則武知宏(テツ)
5位.龍太郎(真門)

フライ級3回戦
NJKFフライ級3位.谷津晴之(新興ムエタイ)vs 杉山空(HEAT)

63.0kg契約3回戦
NJKFライト級6位.梅津直輝(エス)vs YASU(NK)

他の他団体興行スケジュールも発表されていますが、ここでは一例を掲載致しました。

——————————————————————————————————-
※高橋一眞(真門)vs棚橋賢二郎(拳心館)のNKBライト級タイトルマッチは高橋一眞の欠場により、メインイベントは以下に変更になりました。

ジャパンキックボクシング協会ライト級2位.内田雅之(KickBox)
     VS
NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK)
——————————————————————————————————-

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

コロナに侵蝕されたムエタイの試練! 堀田春樹

◆クラスター発生

タイでの新型コロナウィルス感染問題の始まりは、すでに大雑把には述べてきましたが、昨年(2020年)3月6日にムエタイの殿堂、ルンピニースタジアムで開催されたビッグイベント後に、進行リングアナウンサーを務めたタイの有名俳優マティウ・ディーン氏のコロナ感染が発覚すると同時に、同スタジアムで賭けに昂じていたギャンブラーら100名以上の感染者、スタジアムを管理・運営するタイ陸軍のスタジアム支配人(当時)までもが感染するクラスターが発生し、大きなニュースになってからでした。

タイで大規模なクラスターが発生したのは、このルンピニースタジアムが初であり、多くのタイ国民に「ムエタイスタジアム=コロナのクラスター」というイメージを植え付けてしまい、ムエタイ業界は長期に渡り興行開催禁止に至りました。

現ルンピニースタジアムのコロナ前のビッグマッチ興行風景
旧ルンピニースタジアムのギャンブラーたち。今見れば恐ろしいほどの密集である
いつもは渋滞、夜間外出禁止令中のスクンビット通り(許可された緊急移動中)(2021年8月5日)

◆厳戒態勢に入ったタイ国

そこからはムエタイ業界のみではなく、タイ政府の感染拡大防止策で、人の生活に不可欠なスーパーマーケットなどの食料品店や、飲食店、薬局、病院、運搬業などを除いて殆どの業種が市場を停止された状況下に置かれ、時間帯や年齢、条件を設けた外出禁止令と在宅ワークの推奨で感染拡大を阻止する対策を行なってきました。

こういう緊急事態には統制がとれるタイ国、その軍事的厳戒態勢で感染者激減はしたものの、クラスターの口火を切ってしまったムエタイ業界に優遇処置は取られませんでした。

そこでタイ国ムエスポーツ協会やプロモーターらは、このままムエタイ興行を開催しなければ各ジムや選手たちが廃業に追い込まれる現状をスポーツ省大臣に訴え、興行再開を陳情。

クラスター発生から4ヶ月程経過した、7月4日には無観客試合で一時的に開催許可され、オムノーイスタジアム、7月15日からはラジャダムナンスタジアムに於いて以前より開催日数と試合数を縮小し、興行が再開(クラスター発生地、ルンピニースタジアムは不可)。

その後も感染者低水準が続き、平常に戻りつつあったタイでしたが、これで気が緩んだか、12月20日頃にはサムットサコーン県の海産物市場でのクラスター発生からコロナ感染者数急拡大。ミャンマーからの出稼ぎ労働者が大半と言われ、近隣国からの入国は起こるべくして起こった事態に、政府は再び厳戒態勢を敷き、ムエタイ興行も当然の開催禁止に至りました。

県境を封鎖してもタイ国内は変異株の蔓延もあって以前のような減少には至らず、厳戒体制が延々続きました。ムエタイジム、スポーツ施設も一般の経営店舗と同様の扱いでトレーニングが出来ない日々が続き、試合が無ければファイトマネーを得られない選手やジム経営者らはどんどん追い込まれる一方。選手らは田舎に帰り、家業の農業を手伝ったり、全く違う一般職種への転職が増えました。

ムエタイ界は何とか興行再開を目論み、まだ規制の緩い地方都市での開催など苦肉の策を講じるものの、先の見えない状況下で直前になって興行中止など事態は好転しないまま長期化に至りました。

◆ルンピニースタジアムなんとか再開

ルンピニースタジアム屋外特設会場(2021年9月15日)(C)MUAYSIAM

今年(2021年)8月中旬にはタイ国内で一日23000人を超える最多のコロナ感染拡大と死亡率急増した中でも、夜間外出禁止令等の感染拡大防止策の成果と、抗ワクチン接種の効果も表れ始め、感染急拡大が下降に転じ峠を越したとみられたことから、9月1日からのタイ政府の規制緩和では、屋外のスポーツ施設を一部開放(公園や競技場等)されました。

「規制緩和は早過ぎるのでは?」という声もありながら歓迎の声も多く、ルンピニースタジアムや、テレビ局のチャンネル7などでは屋外の駐車場スペースで無観客試合としての興行開催を発表。

9月15日にはルンピニースタジアムは、屋外駐車場棟特設会場での開催で再開初日を迎えることが出来ました。当然ながら選手の他、入場関係者全員に3日前と当日のPCR検査を実施するなど徹底した感染対策を取った上での開催を実施。

ルンピニースタジアム後方駐車場棟の最上階での開催となった(2021年9月15日)

しかしこの日、思いもよらない事態が発生。17時開始の全6試合の内、セミファイナルとメインイベントを残したまま時間切れにより急遽中止。ライブ配信のシステムで不具合が発生して進行が遅れ、出場するはずだった選手らはグローブを装着し、リングに向かえる状態で試合中止を通達されてしまった模様。

夜間外出禁止令(21:00~4:00)が発令された状況下での開催であり、各店舗や会社の営業時間は20時まで。従業員などは20時から21時の間に極力帰宅しなければなりません(交通網の遅れはやや容認)。このイベントも同様で、早く撤収しなければなりませんでした。

急遽試合が無くなった2試合の4選手は翌週以降に延期や、対戦相手を変更された形で開催予定(メインイベント出場予定だった、サオエーク・シットシェフブンタムは、2019年11月に日本で小笠原瑛作にKO勝利)。

興行再開初日にトラブル発生は、今後のムエタイの先行きが思いやられる出来事でしたが、主催者と興行関係者は出来得る限りの努力をしていたことでしょう。

ルンピニースタジアム屋外特設会場での試合(2021年9月15日)(C)MUAYSIAM

◆今後の期待

9月18日にはチョンブリ県のフォンチャーンチョンブリスタジアムから昼興行でのテレビ放映(TV3ch)と、ルンピニースタジアムでは初となる、女子選手の出場試合(WBCムエタイ女子世界ミニフライ級王座決定戦)があり、9月25日にもルンピニースタジアム屋外会場で興行開催。その他のスタジアムも徐々に興行再開を目論み、再びコロナ感染者数が拡大しなければ10月以降も各地で興行再開し、ルンピニースタジアムも本来のメイン会場での開催と、現在は情勢を伺っているラジャダムナンスタジアムと共に、ムエタイ業界も徐々に活気が戻って来ることでしょう。

日本で試合が予定されたタイ選手はビザが下りず中止となったカードも多く、「渡航解禁は11月から」というタイの政府発表は、そのまま信じる訳にはいかない中でも、可能性を信じて待機するプロモータや選手も多いようです。

世界的なコロナ感染のすぐの終息は難しくとも、重症化しない為のワクチン接種効果からの感染激減を祈る多くの国や人々でしょう。

タイのTV7chもスタジオ横の屋外駐車場で特設リングを組んで開催準備中(2021年9月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

健太、100戦目を判定勝利! 101戦目の国崇はTKO負け! 堀田春樹

コロナウィルス感染者との濃厚接触者、またはその疑いがある者と該当する選手の欠場で、3試合が中止となりました。陽性者でも負傷欠場でもないだけに勿体無い事態も、止むを得ないコロナ禍の社会情勢です。

それでも実力拮抗の戦いが続いたNJKF興行。かつてNJKFのスーパーウェルター級(-69.85kg)王座獲得した健太と、スーパーフェザー級(-58.97kg)王座獲得した鈴木翔也が今回ライト級で対戦。WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン、永澤サムエル聖光への挑戦権を懸けた試合で勝利した健太は次回、ウェルターに続く階級を落としてのWBCムエタイ日本2階級制覇を狙うことになりました。

IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級チャンピオン、波賀宙也は2019年9月23日の王座決定戦での戴冠以来、コロナ禍の影響もあって防衛戦は目処が立たない中、ノンタイトル戦も儘ならず、1年半のブランクを経て10歳若い大田拓真と対戦。

国崇vs前田浩喜戦は過去、2007年11月23日は前田が勝利しNJKFバンタム級王座戴冠、2009年9月23日は国崇が勝利しWBCムエタイ日本スーパーバンタム級王座を戴冠(いずれも王座決定戦)。ここで12年の時を経て行われる第3戦となりました。

攻めて出る松本龍斗にパンチからヒジ打ちを振るった直後の安本晴翔
側頭部を斬られた松本龍斗、髪が長ければ深くなかったかも

◎NJKF 2021.3rd / 9月19日(日)後楽園ホール17:30~20:35
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF
(戦績はプログラムを参照)

◆第8試合 第8代WBCムエタイ日本フェザー級王座決定戦 5回戦

1位.松本龍斗(京都野口/2000.2.3京都府出身/57.1kg)
     VS
安本晴翔(WPMF世界フェザー級C/橋本/2000.5.27東京都出身/56.85kg) 

勝者:安本晴翔 / TKO 3R 0:46 / 主審:多賀谷敏朗

安本晴翔の先手から当て勘の良さが目立つハイキックでの顔面狙い。距離感を掴み、詰め方が速いパンチヒット。

松本龍斗の右目尻は早くも腫れ上がる。

松本の動きは悪くないが、やや出遅れる印象。

第3ラウンドには誘い込んだロープ際で右ヒジ打ちを振るうと松本の側頭部が切れてドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

安本晴翔は24戦21勝(12KO)1敗2分。松本龍斗は20戦15勝(6KO)5敗となった。

安本晴翔は国内王座三つ目のベルト、左は橋本敏彦会長、右は白幡裕星

◆第7試合 WBCムエタイ日本ライト級次期挑戦者決定戦3回戦

鈴木翔也のヒジ打ちをブロックする健太

2位.鈴木翔也(NJKF同級C/OGUNI/1987.7.22宮城県出身/61.15kg)
     VS
1位.健太(=山田健太/E.S.G/1987.6.26群馬県出身/61.0kg) 
勝者:健太 / 判定0-3
主審:竹村光一
副審:多賀谷29-30. 少白竜29-30. 中山29-30

両者のパンチ、ヒジ、蹴りの下がらぬ攻防。軽いヒットはあるが、ダメージを与えるには至らない序盤。

第2ラウンドに入ると組み合ってのヒザ蹴りも加わる攻防は動きを止めない両者。

第3ラウンドも、勝利を導きたい両者はノックダウンを奪うか、ヒジで斬りたい接近した攻防が続く。

差が付き難い展開は第2ラウンドだけジャッジ三者とも健太に10-9が付いた形の3-0判定。健太は100戦62勝(18KO)31敗7分。鈴木翔也は44戦23勝(8KO)20敗1分となった。

鈴木翔也vs健太。どちらもベテラン、100戦目の健太の右ストレートが44戦目の鈴木翔也にヒット

◆第6試合 57.0kg契約3回戦

IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/1989.11.20東京都出身/57.0kg) 
     VS
WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.大田拓真(新興ムエタイ/1999.6.21神奈川県出身/56.9kg)
勝者:大田拓真 / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:多賀谷29-30. 竹村29-30. 中山29-30

序盤から蹴りパンチの目まぐるしい動きが続く中、若い大田拓真が柔軟な動きも10歳差を感じさせない波賀宙也の動きも悪くない。第2ラウンドに入ると蹴りで圧力かけてきた波賀。応戦する大田も多彩に攻め攻防互角。

ジャッジが付けたラウンドも第2ラウンドに一人、第3ラウンドに二人が10-9を大田に付ける僅差3-0判定となった。大田拓真は27戦20勝(5KO)6敗1分。波賀宙也は41戦26勝(4KO)12敗3分となった。

波賀宙也の蹴りに合わせた大田拓真の左フック、攻防は激しかった
相打ち覚悟の攻防続いた大田拓真と波賀宙也

◆第5試合 57.0kg契約3回戦

ISKAムエタイ世界フェザー級チャンピオン.国崇(=藤原国崇/拳之会/1980.5.30岡山県出身/57.0kg)
     VS
WBCムエタイ日本スーパーバンタム級2位.前田浩喜(CORE/1981.3.21東京都出身/57.0kg)
勝者:前田浩喜 / TKO 3R 2:58 /
主審:少白竜

前田浩喜の左ハイキックが冴える。国崇はパンチ中心の攻め。第3ラウンド、ロープ際に詰めた形の国崇が前田の右フックでノックダウンを喫する。最後は再びロープ際で前田の左フックを食らって倒れた国崇、レフェリーが即座にストップした。前田浩喜は45戦28勝(12KO)14敗3分。国崇は101戦56勝(37KO)42敗3分となった。

国崇vs前田浩喜。前田の左ハイキックが冴えたヒットを見せる

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)47.5kg契約3回戦(2分制)

アトム級(-46.266kg)チャンピオン.erika(SHINE沖縄/1990.2.6沖縄県出身/47.45kg)
     VS
ピン級(-45.359kg)チャンピオン.Ayaka(健心塾/2001.5.29大阪府出身/47.2kg)
勝者:erika / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:少白竜30-28. 竹村30-28. 宮本30-28

ウェイトでは大差は無いが、体格的な圧力があるerikaの攻勢。Ayakaがバックハンドブローで形勢逆転を狙うが、クリーンヒットに至らずerikaが判定勝利。erikaは10戦9勝(2KO)1敗。Ayakaは15戦10勝(2KO)5敗となった。

◆第3試合 フライ級3回戦

吏亜夢(ZERO/2004.12.3栃木県出身/50.6kg)vs嵐(キング/2005.4.26東京都出身/50.75kg)
引分け 1-0
主審:中山宏美
副審:多賀谷29-29. 竹村29-29. 宮本30-28

両者ともアマチュア・キッズ時代からキャリアを積んだ者同士。年寄りから見れば2005年生まれなんて、ほんの最近じゃないかと思えるが、嵐は3戦2勝1分。吏亜夢は6戦3勝(2KO)2敗1分となった。

◆第2試合 S-1レディースジャパン・スーパーフライ級トーナメント準決勝3回戦(2分制)

梅尾メイ(B9/1987.7.15/愛知県出身/51.45kg)
     VS
KOKOZ(TRY HARD/2001.10.24神奈川県出身/52.1kg)
勝者:KOKOZ / 判定1-2
主審:宮本和俊
副審:多賀谷30-28. 少白竜29-30. 中山29-30

6月27日にIMARI(LEGEND)に判定勝利しているルイ(クラミツ)とKOKOZで11月7日に決勝戦が予定されます。梅尾メイは21戦10勝10敗1分。KOKOZは9戦6勝3敗となった。

梅尾メイvsKOKOZ。しぶとく攻めたKOKOZのパンチが優る。決勝戦進出を決める

◆第1試合 アマチュア女子45.0kg契約2回戦(90秒制)

堀田優月(闘神塾)vs池田想夏(MIYABI)
勝者:堀田優月 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

安本晴翔の左ハイキックが松本龍斗にヒット、鮮やかさが目立った

《取材戦記》

安本晴翔の評判がいい。蹴り、パンチ、ヒジ打ちなどの高い確率のKOに繋げる技を持ち、2019年4月からこれで11連勝となる。今後もいろいろなルールの興行、試合に出場となるだろうが、これから各メディアへ登場も増えるだろう。「5回戦ヒジ打ち有効の純キックボクシング」として成長して貰いたいものである。

国崇の試合前のインタビューで「3回戦だとドンドン自分から行かないと、ミスをした場合に巻き返す時間はない。5回戦の時は1ラウンド取られても“どこかで倒せるかな”みたいなつもりでやっていくんですけど……(一部抜粋)。」といった内容を語っていたが、ベテランやチャンピオンクラスが好ファイトを繰り広げながら、力を持て余して3ラウンドで終了するのは試合の重みも軽減され勿体無く思う。

波賀宙也vs大田拓真の試合では「3ラウンドじゃ足らん!」と溢した関係者の一人。技の上手さやスピード、パワーだけではない総合力を見るには長丁場が必要。5回戦時代を知る者から見れば同意見は多いだろう。

波賀宙也は11月にIBFムエタイ世界Jrフェザー級王座防衛戦が予定されますが、緊急事態宣言など規制が緩和されれば、相手国の規制も鑑みながらも、挑戦者や立会人の無難な来日を祈りたいものです。

NJKF次回興行は11月7日(日)に後楽園ホールにて開催予定。コロナによる規制が徐々に解かれる見込みも出てきた現在、諸々の国際戦も復活に繋がるでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

チャンピオンたちの引退と復帰、引き際の迷走 堀田春樹

◆捨て切れない情熱

諸々角界を賑わせたが功績大きい朝青龍氏と具志堅用高氏はV13を果たした人(2009年10月20日)

近年、引退する選手も居れば、ブランクを経て再起する選手も居て、負け続けてランクが下がっても戦い続ける選手が居たり、50歳を超えてデビューしたり、何度も復帰したり、昔から見れば考えられないような選手層が存在するプロのキックボクシング競技である。

昔のプロボクシングやキックボクシングでは、頂点を極め、年齢も30歳を超えた上で王座陥落すると、引退濃厚となる場合がほとんどだった。

そこで引退を宣言していなくても、ある程度ブランクを作れば引退同様とした空気が流れる。しかしそこから再起する場合、「俺はまだ終わっていない!」「まだ若い者には負けない!」といったそんな想いは叶わず、無残に散っていくベテランは多かった。

二度奇跡の奪還で日本中に感動を呼んだ輪島功一氏とキックの伝説の人、藤本勲氏(2009年10月20日)

◆待ち構える現実

プロボクシングでは頂点を極めた選手が、ランクがどんどん下がっても延々と戦える競技ではないが、今も現役を貫く辰吉丈一郎がいる。2008年には最終試合から5年経過。規定によりJBCに引退扱いとされて以降、自身にとっての日本での輝かしい世界奪還は叶わぬ夢となった。

すでに30歳を超えてから世界王座陥落し、奇跡と言われた返り咲きを2度果たし、陥落の度に引退を勧められながら勝機ある自身を信じ、再起した輪島功一。思うように動けなかったのが最後の挑戦でのエディ・ガソ戦で、最後は無様な姿を晒すことになった。栄光のチャンピオンの多くが経験した最後に迎える厳しい現実だった。

復帰戦で若い嵯峨収に苦戦した松本聖氏(右)だが、伝統目黒の強くて上手いチャンピオンだった(1985年9月21日)
タイでも名声を轟かせる功績を残した藤原敏男氏、現在も有名(1983年6月17日)

キックボクシングが低迷期から再び軌道に乗り出した1985年、元・東洋フェザー級チャンピオンだった松本聖が再起に乗り出し2年ぶりのリングに上がると、かつての名チャンピオンのオーラは衰えぬも、若いランカーに苦戦の引分けに終わった。たかが2年でも、それまでと違った業界の上向きで選手が活気を増した時代に差し掛かった時期だった。

元・ムエタイ殿堂チャンピオンの藤原敏男も引退から4年半経った頃、かつての後輩のじれったい試合を見て、リング上で復帰宣言したことがあった。業界を後押ししたい想いがあったのだろう。実現しなかったが、すでにテンカウントゴングに送られた立場、周囲の意向があったと思われる。

自分たちの時代に無かったK-1やRIZIN、KNOCK OUTなどの地上波全国ネット放送される場合もある大舞台で、「俺も戦いたかった!」と思う元・キックボクサーは当然ながら多く存在する。

WBCムエタイで、インターナショナル王座まで駆け上がったテヨン(=中川勝志/キング)は、2016年7月の試合を最後に眼疾患の影響で現役を退いたが、治療の成果で回復し、かつて自身が倒した相手が「KNOCK OUT」に出場している姿を見て、「俺もあのリングで戦いたい!」と復帰が頭を過ぎったという。

選手としての気持ちは捨てきれない当時24歳という若さがあったが、仕事や妻子ある家庭のこと、任されているジム運営を考え、後も一般社会人として全うすることに専念している様子。テヨンの場合は自ら心のブレーキを掛けるというパターンであった。

◆強制執行

テヨンの最後の試合となったインターナショナル王座獲得も返上、これも運命の選択肢(2016年7月23日)

大相撲は言うまでもないが、現在の規定では引退(廃業含む)したら復帰はできない。

プロボクシングは引退後の復帰は可能だが、規定のライセンス取得と、プロモーターに必要とされる存在でなければ試合を組んで貰えない厳しさがある。

過去に幾つかあった、引退テンカウントゴングに送られた元・選手が数年後に復帰した例があるが、観衆の前でテンカウントゴングに送られてからの復帰は疑問視され易いだろう。

ならば引退テンカウントゴングはやらなければ復帰は問題無いとなってしまうが、辰吉丈一郎と同様に、年齢制限と最終試合から5年経過で引退扱いとする区切りは必要だろう。

しかしそれは確立したプロボクシングだからこそ出来るJBCルールであり、団体乱立の上、制約の無いフリーのプロモーションでやっていく方が楽とも言えるキックボクシングでは徹底は難しい。

ある元・チャンピオンの言葉だが、「引退式は結婚式に共通する部分、それはどちらも新たな人生の出発点である!」という。

「結婚式に高い御祝儀出したのに1年足らずで離婚とは何事だ!」と招待客が嘆く有名芸能人の離婚と、キックボクサーの復帰は比較にならないが、盛大に引退セレモニーが行われる名選手の後援会等から贈られる御祝儀はそこそこ高額になるようで、「復帰してもう一回引退式やりたいな!」と冗談を言われたが、引退テンカウントゴングは常識的には一度のみだろう(勇退や追悼は別物)。

◆花の命は短くて

かつての隆盛を極めた1990年代までのムエタイは「花の命は短くて」と言われるほどチャンピオンの座に居られる時間は短かった。それは地方から次々と若い素質有る選手がバンコクへ押し寄せ、選りすぐりの中から勝ち上がった者が挑んでくる勢いが延々止まないことで、若くしてのベテランはどんどん第一線級から脱落していった。

日本はそんな勢力は無い競技人口の中、現役を退いた選手の中にも「復帰する気は無いが、しようと思えば出来るなあ!」と、現役時代より体調がいいと思ったという選手も多い。

だがそれは、「強かった頃の己だけの時間が止まっている錯覚だ!」という声も聞かれた。現役の引き際は納得いく形でカッコよく去ることは難しい。飛鳥信也氏のように、その時対戦可能な最強の相手にブッ倒されての完全燃焼がいちばんカッコいいかもしれない。

6月19日、引退試合を勝利で締め括った後、引退テンカウントゴングに送られたばかりの北川ハチマキ和裕(2021年6月19日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』10月号! 唯一の脱原発マガジン『NO NUKES voice』vol.29! 今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!