新聞社が販売店に課している新聞のノルマ部数(広義の「押し紙」の原因)は、半世紀近く水面下で社会問題になってきた。今年に入ってから、わたしは新しい調査方法を駆使して、実態調査を進めている。新しい方法とは、新聞のABC部数(日本ABC協会が定期的に公表している部数)の表示方法を調査目的で、変更することである。ABC部数を解析する祭の視点を変えたのだ。そこから意外な事実が輪郭を現わしてきた。

現在、日本ABC協会が採用している部数の公表方法のひとつは、区・市・郡単位の部数を半年ごとに表示するものである。4月と10月に『新聞発行社レポート』と題する冊子で公表する。しかし、この表示方法では時系列の部数の変化がビジュアルに確認できない。たとえば4月号を見れば、4月の区・市・郡単位の部数は、新聞社ごとに確認できるが、10月にそれがどう変化したかを知るためには、10月号に掲載されたデータを照合しなくてはならない。冊子の号をまたいだ照合になるので、厄介な作業になる。

そこでわたしは、各号に掲載された区・市・郡単位の部数を時系列で、エクセルに入力することで、長期間の部数変化をビジュアルに確認することにしたのである。

かりにある新聞のABC部数に1部の増減も起きていない区・市・郡があれば、それは区・市・郡単位で部数をロックしていることを意味する。ABC部数は新聞の仕入部数を反映したものであるから、その地区にある販売店に対して、ノルマ部数が課せられている可能性が高くなる。

新聞は「日替わり商品」なので、販売店には残紙を在庫にする発想はない。正常な商取引の下では、読者の増減に応じて、毎月、場合によっては日単位で注文部数を調節する。販売予定のない新聞を好んで仕入れる店主は、原則的には存在しない。

販売店に搬入される総部数のうち、何パーセントが「押し紙」になっているかはこの調査では判明しないが、ノルマ部数と「押し紙」を前提とした販売政策が敷かれているかどうかを見極めるひとつのデータになる。

従前は、販売店の内部資料が外部に暴露されるまでは、「押し紙」の実態は分からなかったが、この新手法で新聞社による「押し紙」政策の有無を地域ごとに判断できるようになる。

ちなみに「押し紙」は独禁法違反である。

朝日新聞販売店で撮影された残紙

◆香川県の市郡を対象とした調査

が、こんな説明をするよりも、実際に作成した表を紹介しよう。下記の表は、香川県の市・郡をモデルにして、朝日新聞を調査した結果である。同一色のマーカーは、ロック部数と期間を示している。

香川県ABC(朝日)

上の表から、たとえば丸亀市のABC部数の推移を検証してみよう。次に示すように、2016年4月から2018年10月の約3年の間、朝日新聞の部数(読者数)は一部も変動していない。常識的にはあり得ないことだ。

2016年4月:7500部
2016年10月:7500部
2017年4月:7500部
2017年10月:7500部
2018年4月:7500部
2018年10月:7500部

東かがわ市に至っては、3年間に渡って同じ部数がロックされている。また、高松市の場合は、ロックの期間こそ1年だが、5年間でロックが3度も行われている。しかも、その部数は、それぞれ2万2002部、1万8877部、1万3882部と大きなものになっている。

◆長崎県の市郡を対象とした調査

次に示すのは、長崎県の朝日新聞のケースである。香川県のようにすさまじい実態ではないが、西彼杵郡などで典型的なロック現象が確認できる。

長崎県ABC(朝日)

なお、2019年10月から翌年の4月にかけて、西彼杵郡の部数が一気に590部も増えている。その反面、長崎市の部数が一気に1913部減っている。(いずれも表中に赤文字で表示した。)不自然さをまぬがれない。

◆読売新聞との比較

モデルケースとして香川県と長崎県を選んだのは、「押し紙」裁判を取材する中で、これらの県で部数をロックしている可能性が浮上したからだ。 

さらにわたしは全国の都府県を抜き打ち調査した。その結果、東京都と大阪府を含む、多くの自治体でロックが行われていることが判明した。

香川県と長崎県における読売新聞社の部数ロックについては、9月7日付けの記事、「読売新聞の仕入部数「ロック」の実態、約5年にわたり3132部に固定、ノルマ部数の疑惑、「押し紙」裁判で明るみに」で紹介している。

◆名古屋市の17区を対象とした調査

名古屋市の各区における朝日新聞のロックについても、データを紹介しておこう。やはり部数のロックが確認できる。

名古屋市ABC(朝日)

わたしがこの調査結果を最初に公表したのは、ウェブサイト「弁護士ドッドコム」である。その際に朝日新聞社は、「本社は、ASA(黒薮注:朝日新聞販売店)からの部数注文の通りに新聞を届けています。 ASAは、配達部数の他に、営業上必要な部数を加えて注文しています」とコメントしている。

このような弁解がこれまで延々とまかり通ってきたのである。それが「押し紙」問題が解決しない原因だ。

一方、日本ABC協会は部数ロックの現象について、わたしが行った別の取材で次のように答えている。日経新聞の部数ロックを提示した際の見解であるが、一般論なので他の新聞社についても当てはまる内容だ。参考までに紹介しておこう。

「ABCの新聞部数は、発行社が規定に則り、それぞれのルートを通じて販売した部数報告を公開するものです。この部数については、2年に1度新聞発行社を訪問し、間違いがないかを確認しています。」

◆独禁法の新聞特殊指定に抵触

独禁法の新聞特殊指定は、新聞社が販売店に対して「正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること」を禁止している。

(1)販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)

(2)販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

部数ロックは、(2)に抵触する可能性が高い。しかも、業界ぐるみで部数ロックの販売政策を敷いている疑惑がある。

公正取引委員会は調査に着手する必要があるのではないか。さもなければ、日本の権力構造の歯車だとみなされかねない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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新聞の没落現象を読み解く指標のひとつにABC部数の増減がある。これは日本ABC協会が定期的に発表している新聞の「公称部数」である。多くの新聞研究者は、ABC部数の増減を指標にして、新聞社経営が好転したとか悪化したとかを論じる。

最近、そのABC部数が全く信用するに値しないものであることを示す証拠が明らかになってきた。その引き金となったのが、読売新聞西部本社を被告とするある「押し紙」裁判である。

◆「押し紙」と「積み紙」

「押し紙」裁判とは、「押し紙(販売店に対するノルマ部数)」によって販売店が受けた損害の賠償を求める裁判である。販売店サイドからの新聞の押し売りに対する法的措置である。

とはいえ新聞社も簡単に請求に応じるわけではない。販売店主が「押し紙」だと主張する残紙は、店主が自主的に注文した部数であるから損害賠償の対象にはならないと抗弁する。「押し紙」の存在を絶対に認めず、店舗に余った残紙をあえて「積み紙」と呼んでいる。

つまり「押し紙」裁判では、残紙の性質が「押し紙」なのか、「積み紙」なのかが争点になる。下の写真は、東京都江戸川区にある読売新聞販売店で撮影された残紙である。「押し紙」なのか、「積み紙」なのかは不明だが、膨大な残紙が確認できる。

東京都江戸川区にある読売新聞販売店で撮影された残紙

同上

◆1億2500万円の損害賠償

ABC部数の嘘を暴く糸口になったこの裁判は、佐世保市の元販売店主が約1億2500万円の損害賠償を求めて、今年2月に起こしたものである。裁判の中で、新聞販売店へ搬入される朝刊の部数が長期に渡ってロックされていた事実が判明した。

通常、新聞の購読者数は日々変動する。新聞は、「日替わり商品」であるから、在庫として保存しても意味がない。従って、少なくとも月に1度は新聞の仕入部数を調整するのが常識だ。さもなければ販売店は、配達予定がない新聞を購入することになる。

販売店が希望して配達予定のない新聞を仕入れる例があるとすれば、搬入部数を増やすことで、それに連動した補助金や折込広告収入の増収を企てる場合である。しかし、わたしがこれまで取材した限りでは、そのようなケースはあまりない。発覚した場合、販売店が廃業に追い込まれるからだ。

◆仕入部数を約5年間にわたり「ロック」

現在、福岡地裁で審理されている「押し紙」裁判も、残紙が「押し紙」なのか、「積み紙」なのかが争点になっているが、別の着目点も浮上している。それは、販売店に搬入される仕入れ部数が、「ロック」されていた事実である。「ロック」が、販売店に対するノルマ部数を課す販売政策の現れではないかとの疑惑があるのだ。

以下、ロックの実態を紹介しよう。

・2011年3月~2016年2月(5年):3132部
・2016年3月~2017年3月(1年1カ月):2932部
・2017年4月~2019年1月(1年10カ月):1500部
・2019年2月(1カ月):1482部
・2019年3月~2020年2月(1年):1434部

この間、搬入部数に対して残紙が占める割合は、約10%から30%で推移していた。

◆長崎県の市・郡における「ロック」

この販売店で行われていた「ロック」が他の販売店でも行われているとすれば、区・市・郡のABC部数にも、それが反映されているのではないか?と、いうのもABC部数は、販売店による新聞の仕入れ部数の記録でもあるからだ。

そこでわたしは、この点を調査することにした。調査方法は、年に2回(4月と10月)、区・市・郡の単位で公表されているABC部数を、時系列で並べてみることである。そうすれば区・市・郡ごとのABC部数がどう変化しているかが判明する。

まず、最初の対象地区は、「押し紙」裁判を起こした販売店がある長崎県の市・郡別のABC部数(読売)である。下表のマーカーの部分が「ロック」部数と期間である。かなり頻繁に確認できる。

長崎ABC(読売)

◆香川県の市・郡における「ロック」

他の都府県についても、抜き打ち調査をした。その結果、次々と「ロック」の実態が輪郭を現わしてきた。典型的な例として、香川県のケースを紹介しよう。下表のマーカーの部分が「ロック」部数と期間である。

香川ABC(読売)

若干解説しておこう。高松市の読売新聞の部数は、2016年4月から2019年10月まで、ロック状態になっていた。高松市における読売新聞の購読者数が、3年以上に渡ってまったく変化しなかったとは、およそ考えにくい。まずありえない。

新聞の搬入部数がそのまま日本ABC協会へ報告されるわけだから、ABC部数は実際の読者数を反映していないことになる。信用できないデータということになる。

なお、「ロック」について、読売新聞東京本社の広報部に問い合わせたが回答はなかった。部数の「ロック」は、他の中央紙でも確認できる。詳細については、順を追って報じる予定だ。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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菅が政権を放り投げ、皇室のどなたかが結婚をするという。たぶんテレビは大いに取り上げ、知ったかぶりの出たがりに、いいたい放題いわせているのだろう。自称評論家やタレント、コメンテーターからどうでもいい人までが、なにか一大事でも起きたように大騒ぎしている姿が目に浮かぶ。

◆すべて限りなく希薄で非本質的な言説である

そういう雰囲気に水をかけるようで申し訳ないが、わたしは自民党の総裁が誰であろうがまったく、皆目、関心はない。天皇制に「無条件」で反対するわたしは、皇室内の出来事にも興味はない。結婚でも離婚でも好きになさればよい。好きになさればよいが、何をなさってもわたしは制度としての天皇制には賛成できないので、興味はない。差別に反対する立場から、天皇制は廃止されるべきだと考える。

この二つの出来事において象徴的なように、ほとんどのニュースは非本質的であり、報道することで非報道当事者が属する組織や制度が補完される作用を持つ、これが今日メディアの特性ではないかと思う。

だからわたしは、従前から開催に反対してきた、東京五輪がはじまる前に「東京五輪については一切発信しない」と自分としてはごく自然に判断し、実際東京五輪をまったく目にもしなかった。だから感想もない。あんな馬鹿げたことは、大会期間中にどんなドラマが生まれようが、誰がメダルを取ろうが、やるべきではなかったのだ。それについて、あれこれ枝葉末節な議論があるようだが、それらはすべて限りなく希薄で非本質的な言説である。

◆東京五輪強行開催という罪深い所業

東京だけではなく全国に広まった「自宅療養」と言い換えられた「医療から見捨てられた」ひとびとの惨状はどうだ。この地獄図絵は決して医療関係者の判断ミスや、非協力によって引き起こされた事態ではない。逆だ。政府が片一方では「学校の運動会の自粛」を求めながら、「世界的大運動会を開く」という、大矛盾を演じた結果に他ならない。「県をまたぐ移動の自粛」を求めながら海外から10万ともいわれる数のひとびとがやってきた。

日本初の「ラムダ株」が持ち込まれたのは海外からやってきた五輪関係者によってであったが、それが報道されたのは東京五輪終了後のことだ。実に罪深い所業ではないか。

こういった事態が発生することは、容易に想像ができた。たとえば他府県の警察からの警備要員として東京に派遣された警察官の中では、複数のクラスターが発生した。偶然にもわたしが目にした兵庫県警の機動隊車両に乗車して東京に向かった兵庫県警の警察官の中でもクラスターがあったようだ。

こういう馬鹿なことを強行した責任者である日本政府ならびにその最高権者である首相は、どう考えても、ただ批判の対象であり、それ以上でも以下でもない。

◆災害、貧困、コロナ禍という生活に密着した課題をどうするか

自民党の総裁選の前にはいつだって「派閥がどうの」、「誰々が引っ付いた」、「誰かが切られた」と各メディアは競い合って報じる。でも自民党総裁選挙は、自民党員以外には選挙権がないのだから、ほとんどの国民には関係ない。

あたかも国民に選挙権があるかのごとき、まったく失当な情報流布が昔からなされてきたし、いまも続いているのだろう。国政選挙で政党を選ぶための情報提供であれば、各種の細かな情報にも有権者のために意義はあるのかもしれないが、自民党の代表は、わたしたちが投票で選ぶものではないじゃないか。

そして、こういう物言いをすると「そんなこと言ってると政治が好き勝手するよ」と言われるかもしれないが、自民党総裁など、誰がやっても同じなのだと最近は切に感じる。違いがあるとすれば菅のように裏では相当ひどいことができても、人前では一人前に主語述語がかみ合った演説をすることができるかできないか(演技力)と、自民党内の力学をうまく調整する力があるかないか程度(党内政治力学)の違いだろう。

演技がうまいと国民は騙されやすい。今世紀に入ってからでは、小泉純一郎がその筆頭だろう。党内力学に長けていた官房長官時代の菅は、自民党全国の選挙資金を握り、選挙の際、安倍以上に自民党議員の操作には力を持っていたそうだ。

そんなことわたしたちの生活に関係あるだろうか。毎年襲ってくる水害への備えや、生理用品も買えないほどの貧困問題、そして命にかかわるコロナ対策をはじめとした医療問題こそわたしたちが直面していて、注視すべき生活密着の課題ではないだろうか。いずれも皇室の方々とは無縁なはなしばかりであるが。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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不倫の厳罰化が著しい今日この頃。週刊誌などで不倫を報じられた芸能人やスポーツ選手は社会的非難を浴び、仕事を失いかねないほど追い込まれることも珍しくない。

そんな光景を見やりながら、筆者が思い出さずにいられないのが、35年前に起きたビートたけし(74)のフライデー襲撃事件だ。

写真週刊誌フライデーがたけしの不倫相手の存在を報じたことをきっかけに勃発したこの事件。同誌の報道や取材、事後的な対応に激怒したたけしは1986年12月9日未明、たけし軍団とたけし軍団セピアの計11人を引き連れて同誌編集部に乗り込み、編集次長やデスクら5人に暴行し、1週間から1カ月のケガを負わせた。そして現行犯逮捕され、裁判では懲役6月・執行猶予2年の判決を受けたのだが…。

この事件が異例だったのは、加害者であるたけしより被害者であるフライデーが社会の批判を浴びたことだ。

フライデーの記者は事件前、たけしの不倫相手だった女性A子さんに強引な取材をし、けがをさせたうえ、売春婦呼ばわりまでしていた。さらに同誌はたけしの妻が4歳の娘に幼稚園入園の面接試験を受けさせる様子を隠し撮りし、その写真と記事を掲載していた。たけしがフライデー編集部を襲撃した背景にそんな出来事があったとわかったうえ、当時は写真週刊誌の過激報道が社会問題化していたこともあり、たけしに同情が集まったのだ。

そしてその後、たけしは謹慎期間を経て芸能活動を再開し、お笑い界のトップに返り咲くと共に、映画監督として世界的な名声を集めるようになった――。

とまあ、このようなコトの顛末は、多くの方がご存知だろう。だが、この事件をめぐっては、当時見過ごされた問題がある。

◆報道された当時は20歳だった不倫相手のA子さんだが…

それは、たけしの不倫相手A子さんの年齢だ。そのことを説明するうえでまず、フライデーがA子さんの存在を報じた1986年9月5日号の記事の見出しを見て頂こう。

〈ビートたけしの別宅へ通う「美女」あり 19歳の年齢差越え5年間続いたフシギ交際〉

5年間交際が続いたとのことだが、一方で本文を見ると、A子さんについて〈某国立大学の1年生としてデザインの勉強をしているこのA子さん(20)〉と書かれている。となると、A子さんがたけしと交際を始めた当初の年齢が気になるところだろう。

たけしの不倫を報じたフライデー1986年9月5日号。A子さん(黒いシャツの女性)の顔の修正は筆者(片岡健)による

そこで本文を見ていくと、末尾にこう書かれている。

〈15歳のときからの5年間は、A子さんにとって「大ファンのたけしさん」の身辺の世話をしてこれた“幸福な日々”だったのかも知れない〉

見ておわかりの通り、要するにフライデーの記事は、たけしの不倫を報じたというより、淫行疑惑を報じたような内容だったのだ。

この報道があった当時は不倫に対する社会の目が今ほど厳しくなかったのと同様に、淫行に対する社会の目も今ほどは厳しくなかった。だからこそ、まったく問題にならなかったのだろうが、当時も淫行が犯罪だったことに変わりはない。

記事では、たけしとA子さんの間に「不貞行為」があったとは書かれていないが、〈A子さん(20)がたけしの部屋に通う姿は、この夏休みの間、毎日のように目撃された〉と書かれており、2人の間に不貞行為があったと報じられているのも同然だ。仮に令和の今、有名芸能人に関してこのような記事が出れば、不倫問題というより淫行問題として騒がれ、その有名芸能人は当面、仕事ができなくなるだろう。

一方、仮に今、有名芸能人に関してこのような報道が出て、報道内容が事実ではなかった場合、芸能人側は名誉棄損訴訟を起こす可能性が高い。そして報じた側は巨額の賠償金を支払う羽目になるだろう。今はマスコミ報道に対する司法判断も当時よりずっと厳しくなっているからだ。

こうしてみると、たけしのフライデー襲撃事件とその原因になったフライデーの報道は、今ほどコンプライアンスにうるさくない昭和の時代らしい事件であり、報道だったと言えるだろう。

〈追記〉
たけしに下された東京地裁の判決文によると、A子さんは国立大学ではなく専門学校に通っていたとされている。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

小さな息子を餓死させた母親は事件前、一緒に逮捕された「ママ友」に洗脳され、離婚に追い込まれたり、多額の金をだまし取られたりしていたという。福岡県篠栗町で起きた5歳児餓死事件について、テレビでは先日来、そんな禍々しい事件内容が大々的に報道されてきた。

[左]『週刊新潮』2021年3月18日号(一部修正)/[右]『女性セブン』2021年3月25日号

一方、大手週刊誌の報道状況を調べたところ、現時点でこの事件を報じたことが確認できたのは週刊文春、週刊新潮、女性セブン、女性自身、週刊女性の5誌にとどまった。週刊現代、週刊ポスト、サンデー毎日、週刊朝日、FRIDAY、FLASHについては、この事件を伝える記事の掲載を確認できなかった。

ひと昔前であれば、大手週刊誌がどこも現地に記者を送り込み、派手な取材合戦を繰り広げたことは確実な事件だが、今回そうなっていない事情は明白だ。本の売れないご時世、大手週刊誌といえども、記者を地方取材に行かせる予算を捻出しづらくなっているのだ。

ただ、大局的に見ると、こうした出版業界の窮状は事件報道を悪くない形に変えつつある。

『女性自身』2021年3月23・30日号(一部修正)

◆地方取材が減った一方、増えてきた面会取材と裁判取材

というのも、ひと昔前であれば、どんな大事件でもメディアが騒ぐのは事件発生当初や被疑者の逮捕当初だけで、裁判段階には報道量が激減するのが一般的だった。とくに週刊誌はその傾向が顕著だった。しかし、現在の週刊誌は地方の大事件を発生当初から現地で取材することが減ったぶん、被告人本人に面会したり、裁判を傍聴して書かれる記事が増えているのだ。

たとえば、最近だと、相模原大量殺傷事件と座間9人殺害事件では、植松聖、白石隆浩の犯人両名と面会したり、裁判を傍聴したりした報道が多く見られた。とくに「金を払わないと取材は受けない」というスタンスだった白石については、新聞、テレビが二の足を踏む中、殺人犯に取材謝礼を払うことをいとわない週刊誌が面会取材でリードしていた。

あえて教科書的に言えば、事件報道の最大の意義は「権力監視」なので、権力と対峙した被疑者(被告人)本人の言い分を聞ける面会取材や裁判取材は本来、事件報道のクライマックスとなるべきものだ。従来の事件報道はそうならず、捜査機関の情報に依拠せざるをえない事件発生当初や被疑者の逮捕当初の報道が中心だったのだが、皮肉にも出版業界の窮状により教科書的な事件報道が増えてきているわけである。

『週刊女性』2021年3月30日号(一部修正)

私が先日、当欄で記事(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38283)を配信した講談社元編集長の「妻殺害」事件にしても、週刊誌のネット版が裁判の控訴審の情報を伝えた記事も参考にしている。これほど注目度の高い事件でも、ひと昔前であれば週刊誌が裁判を控訴審までフォローしたとは思いがたく、私があの記事を書けたのも出版業界の窮状のおかげかもしれない。

私自身、取材では常に経費のことが悩ましい問題だが、取材経費が乏しいからこそ新しい取材手法を思いつくこともある。本が売れないのは仕方のないことで、以前のように本が売れる時代はもう戻ってこないだろうが、それは変革のチャンスでもあるのだろうと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08XCFBVGY/

「安倍政権の敵=すべて正義」という思考回路になっているのだろうか。いま話題の国会議員夫妻、河井克行氏(57)と案里氏(46)の公選法違反(買収)事件に関し、普段は「反権力」をウリにする識者たちが繰り広げる発言を見ていると、そう思わざるをえない。

これまでの報道などを見る限り、河井夫妻が地元広島で大勢の地方政治家たちに金を渡していたことや、昨年7月の参院選の際に官邸から河井陣営に1億5000万円の資金が渡っていたことは事実で間違いないだろう。ただ、河合夫妻は「買収」目的で金を渡したことは否定し、無罪を主張している。であれば、無罪推定の原則に従い、夫妻の主張の信ぴょう性も慎重に検討されるべきだろう。

しかし、「反権力」がウリの識者たちのメディアやSNSでの発言を見ていると、河井夫妻を有罪と決めつけたうえ、検察の捜査が政権中枢に及ぶことを期待する意見に終始しており、「検察の応援団」と化している趣だ。しかも、彼らの発言内容を見ていると、自分で独自に取材などはしておらず、報道の情報に依拠して発言しているのは明白だ。

彼らは普段、「権力は暴走する」だとか、「権力は監視しないといけない」だとか、「現場に足を運ぶのが取材の鉄則だ」などと言っておきながら、自己矛盾を感じないのだろうか。

筆者自身、安倍首相のことは好きではないし、無罪推定の原則を絶対視しているわけでもない。しかし、普段は「反権力」をウリにする識者らがこの事件に関し、事実関係をないがしろにし、「検察の応援団」となって盛り上がっている様子には、正直げんなりしてしまう。

有罪視報道を繰り広げるマスコミ

◆事実を見極める目を曇らせるものとは……

検察捜査への疑念を表明した橋下氏と堀江氏のツイッターでのやりとり

この事件に関する著名人の発言をチェックしてみると、普段は「反権力」などと声高に言わない人たちのほうが、むしろ「権力監視」や「無罪推定」といった原理原則に沿った発言をしていることがわかる。たとえば、元大阪府知事の橋下徹氏だったり、実業家の堀江貴文氏だったりだ。

スポーツ報知の記事(http://ur2.link/UqHa)によると、橋下氏は報道番組に出演した際、金を受け取った政治家たちが河井夫妻側の意図について「選挙買収目的でした」と検察の有罪立証に資する証言をし、立件されずに済んでいることを問題視。堀江氏もこのスポーツ報知の(グノシーで配信された)記事に、ツイッターで反応し、橋下氏とやりとりする中で、「正式に司法取引してないんですか、、普通にすればいいのに」(http://ur2.link/oZWJ)などとツイートしている。要するに2人は、暗に検察が違法な司法取引をやっている疑いを指摘しているわけだ。

そして橋下氏は結論的に、金を受け取った地元広島の地方政治家たちの証言の信用性に疑問を投げかけたうえ、「有罪心証報道が先行し過ぎ」(http://ur2.link/THKi)と述べている。刑事事件や事件報道の見方として、きわめて的確な意見で、まったくケチのつけようがない。

翻ってみると、橋下氏や堀江氏は普段、「反権力」をウリにする識者たちから批判的されることが多い人たちだ。そういう人たちがこの事件の検察捜査への疑念を表明する一方で、普段は「反権力」をウリにする識者たちが報道の情報に依拠して「検察の応援団」に化している現実を目の当たりにすると、「歪んだ党派性」は事実を見極める目を曇らせるのだということを再認識させられる。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年7月号【特集第3弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆そもそも「自公政権による、よりましな内閣」などありえるか?

内閣が代わるごとに大手報道機関は、野党党首に新内閣についての感想をもとめる「新鮮味がない」、「この内閣でわが国が直面している問題を解決できるとは到底思えない」、「順送り論功勲章内閣」。いつも野党が批判をすることばの調子には大きな変わりはない。それはそうだろう。主義主張が違うから政党を構成しているわけであって、自民党と公明党の与党を野党が褒めていたら、八百長がばれてしまう。

まず、こういった紋切り型の質問をルーティンワークとして、なんの疑問もなく記事化するマスメディアの思考停止が前提ではあるが、このような意味のない質疑や報道があろうがなかろうが、「自公政権による、よりましな内閣」などありえるだろうか。岸田や石破が入閣すれば、なんらかの望ましい変化が起こるだろうか。わたしはほぼ100%に近く、そんな可能性はないと考える。誰が入閣しようが、自公政権の内閣に期待できる理由があったら、おしえてほしい。

◆野党にだって、期待できる勢力があるか?

そして(またこのようなことを書くと嫌われるのは承知の上である)、野党にだって、期待できる勢力があるだろうか。個々の問題で活躍している議員や、政治家がいることは否定はしない。しかし、立憲民主だか国民民主だか知らないけれども、一度は京都の「ここぞというときに必ず失敗する」前原の口車に乗せられ、あろうことか、小池百合子との合流を模索した連中。そして今日の惨憺たる悪政の基礎(総評解体、国鉄分割民営化、小選挙区制導入、諸規制の撤廃)の基礎を80年代に築いた、小沢一郎にどういうわけか惹かれるひとびと。

山本太郎がつくった新党だって同様だ(繰り返すがこの政党の名称は、あまりに反動的過ぎるので記すことを拒否する)。山本太郎自身が少し前まで、自由党の共同代表として、小沢と同じ船に乗っていたじゃないか。

山本太郎がつくった新党は「消費税の廃止」を公約に掲げた。結構。これについてはまったく異論はない。しかし、報道では一向に消費税率上昇の問題が報じられないじゃないか。あるのは軽減税率(この言葉もごまかしだ。「軽減」されるのではなく8%に据え置かれるだけじゃないか)と、増税の分かりにくさや混乱が取り上げられるのみで、「消費税率10%へ上昇」の根本的な問題は、一向に取り上げられない。

◆権力とマスメディアとの見え見えの構図

なぜだろうか。そこにはあまりにもわかりきった、見え見えの構図がある。新聞協会は(古い話になるが)民主党菅直人政権時代に、「次回の消費税アップの際は、据え置きを」と協会として申し入れをおこない、内諾を得ていた。民主党であろうが自民党であろうが、霞が関であろうが、既に「権力のチェック機能」を失ったマスメディアは、いわば、民間の広報官の役割を果たしてくれている。

「ウムウム、そちの働きぶりを勘案すれば、それも考えんわけにわいかんわのう」
「ありがたきご高配で」
「ハハハ、そちもワルじゃのう」
「なにをおっしゃります。お代官様ほどではござりませぬ」

の現代版を新聞協会と政権はやったわけだ。だから批判しない。なにしているんだ! 新聞社各社は! しかし、しっぺ返しは部数減で明確に表れている。いまのところ大新聞内の記者たちの待遇に変化はないようだ。しかし、急激な部数減は近い将来必ず経営を圧迫する。そのときに一挙に現場労働者の待遇が悪化し、消滅する全国紙も出てくるだろう(その筆頭は産経新聞であろうと予想している)。

◆昔、橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある

だいぶ昔に橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある。あったこともないし、それほど気にしたこともない橋本聖子。冬季五輪スケートで全種目に出場するだけではものたらず、自転車競技で夏季五輪にも出場、あれが気に入らなかった。選考はフェアーに行われたのだろうけど、自転車競技専門の選手がかわいそうじゃないか、というのが、わたしの直感だった。

夢の中でわたしは橋本聖子をっ叱っていた「力を過信して、力が通じればなんでもしていいと考えるのは間違いだ。それでは政治家とおなじじゃないか」と。

とうとう橋本聖子は入閣してしまった。もっと叱っておくべきだったと反省している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆史料の焼き直しである

NHKはいまごろになって、何を言っているのかという印象だ。NHKが鳴り物入りで「第一級史料」としている元宮内庁長官・田島道治「天皇拝謁録」である。昭和天皇の戦争への反省を強調して、その思いが吉田茂(国民に選ばれた宰相)の輔弼によって遮られた。それゆえに昭和天皇の戦争責任および「反省」は、言葉にされないままになった、というものだ。

これが事実ではあっても、ことさら目新しいものではない。じつは先行する書籍が何冊もあるのだ。しかもそれらは、ほかならぬ「拝謁録」の記録者・田島道治の日記をもとにしている。

したがって「拝謁録」は、『昭和天皇と美智子妃 その危機に――「田島道治日記」を読む』(加藤恭子・田島恭二、文春新書、2010年)の原資料と考えてよい。その元本は『昭和天皇と田島道治と吉田茂――初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』(加藤恭子、人文書館、2006年)および『田島道治――昭和に奉公した生涯』(加藤恭子、阪急コミュニケーションズ、2002年)である。

不案内な人たちのために解説しておくと、「拝謁録」にある東条英機への「信頼」と「見込み違い」は、そのまま戦犯批判として「A級戦犯合祀問題」に顕われている。この東条英機に関するくだりは、ほんらいは戦犯訴追される身であった昭和天皇が、東条らA級戦犯を批判することで戦後象徴天皇としての地歩を占めてきたことにあるのだ。

◆靖国神社不参拝は、戦争責任からの逃亡である

すなわち『昭和天皇語録』にも収録されている「富田メモ」(元宮内庁長官)の「私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、、白取(白鳥)までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか 、易々と松平は、平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と、靖国参拝を拒否することで戦犯と一線を画し、戦争責任を逃れたのである。

2006年7月21日付け日本経済新聞より

鎮魂の旅を重視した平成天皇、その意思を継承する令和天皇はともかく、大元帥だった昭和天皇は、軍人・軍属への「責任」と「謝罪」のために、靖国神社に参拝するのが道義的な責任ではなかったか? その意味では、戦争責任を「下剋上だった」とすることで、戦犯たちに押し付けた脈絡のなかに、昭和天皇「拝謁録」はあるのだ。三島由紀夫が昭和天皇を「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と、磯部浅一に呪詛させた(『英霊の聲』)のは、この変わり身のゆえである。

とはいえ、軍部の「下剋上」のなかで、天皇が何もなしえなかった「悔恨」は事実であろう。今回の「拝謁録」に、ことさら虚偽が書かれているわけではない。「終戦というかたちではなく和平のため」にとある。これは「どこかで一度、有利な戦いをやって」「和平に持ち込めないものか」という発言として『昭和天皇語録』ほかにも収録されている。真珠湾攻撃の成功いらい、「戦果がはやく上がりすぎるよ」「ニューギニア戦線に陸軍機は使えないか?」「(特攻作戦は)そこまでやらねばならなかったか」など、第一線の情勢をめぐる大本営陸海軍部の代表への「御下問」も有名な話だ。昭和天皇はまぎれもなく、陸海軍を統括する最高司令官・大元帥だったのだ。

そして「反省」「悔恨」として「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り(昭和27年2月20日)、「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」というのも事実であろう。

これにたいして、吉田茂が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対したのも事実であろう。それゆえに昭和天皇は、在位50年にさいして「(戦争責任という)文学的なことには不案内である」としてきたのだ。

◆「戦争への反省」を継承した令和天皇

ひるがえってみるに、平成天皇の「さきの大戦への深い反省」は、昭和天皇の薫陶であったのだろうか。あるいは「退位論」におびえつつも、天皇家においては戦争への「痛苦な反省」が語られていたのだろうか。わたしは本欄で何度か、皇室の民主化こそ、天皇制の骨抜き・政治権力との分離につながると提起してきた。

元号や天皇制、あるいは天皇・皇室という存在そのものを批判、あるいは「廃絶」「打倒」などを唱えるのも悪くはないが、そこから国民的な議論は起きない。国民的な議論を経ない「天皇制廃絶」はしたがって、暴力革命や議会によらないプロレタリア革命などが展望できないかぎり、ほとんど空語であろう。コミンテルンとパルタイが30年代テーゼで天皇制廃絶を打ち出してから1世紀ちかく、新左翼が反差別闘争と反天皇制運動を結合させてから半世紀ほど。

いま、昭和天皇が「戦争を反省」していたと、国民的に知られることになった。そこから先に必要な議論は、その「反省」をもって戦争に向かう政治勢力への批に結びつけることにほかならない。8.15の追悼式で「戦争への反省」を継承した令和天皇をして、天皇という伝統的な朝廷文化と安倍軍閥政権が相いれないことを、認識させることこそ戦争回避の道ではないか。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

2019年7月6日付け共同通信

「共同通信社は第25回参院選について4、5両日、全国の有権者3万人以上を対象に電話世論調査を実施し、公示直後の序盤情勢を探った。取材も加味すると、自民、公明両党は改選124議席の過半数63を超え、改選前の77議席前後に上る勢い。安倍政権下での憲法改正に前向きな「改憲勢力」は、国会発議に必要な3分の2以上の議席維持をうかがう。野党は立憲民主党が改選9議席からの倍増を視野に入れるものの、全体では伸び悩む。」(2019年7月6日付け共同通信)

「21日投開票の参院選について、朝日新聞社は4、5の両日、全国の有権者を対象にした電話による情勢調査を実施した。取材で得た情報を合わせて分析すると、自民、公明の与党は改選議席(124)の半数を大きく上回る勢い。自民、公明と憲法改正に前向きな日本維新の会などの「改憲勢力」が非改選議席を合わせて、憲法改正の国会発議に必要な3分の2の議席を維持するかは微妙な情勢だ。」(2019年7月5日付け朝日新聞)

このような、選挙告示直後に大新聞や、通信社が「与党有利」の情報を流布する問題は、ここ数年「公平な選挙」を阻害する要因として問題が指摘されている。

◆誰が「思想調査」とたがわない、電話での世論調査に応じるのか?

2019年7月5日付け朝日新聞

誰が「思想調査」とたがわない、電話での世論調査に応じるのか、と思っていたら、ここ数年、コンピューター音声の「世論調査」が拙宅にも何度もかかってくるようになった。あれは固定電話だけに向け、かけているのであろうか。携帯電話も対象か。正直なところこういった社会的なメディアに文章を書くのであれば、それくらいは自力で調べてからご報告すべきである。と読者諸氏に申し訳ない気持ちに満たされながらも、「馬鹿げた芝居」の裏側まで調べる気力がわかない。

正直な方には失礼だが、電話での「世論調査」に本気で答える人など、いるのだろうか? あんな気持ち悪い、かつ一方的な「思想調査」はない。一方的な質問。しかもコンピューター音声による「取り調べ」まがいの調査に、答える義務など当然ない。わたしは無機質なコンピューター音声の質問がはじまると、受話器を電話に叩き付ける。

でも、穏やかな方々はそうはしないのだろう。「あなたの支持政党をお答えください。自民党は1、立件民主党は2、国民民主党は3……」あれを押し間違えたらどうなるのか知らないけれども、新聞に毎月掲載される「世論調査」と名乗った「世論誘導」は非常に巧妙に、世論誘導を行う悪しきく習慣だ。あんなものに信憑性はまったくない。

◆告示直後のこの時期に、どうして投票行動をかなり断言調の見出しで記事にできるのか?

告示直後のこの時期に、どうして投票行動をかなり断言調の見出しで記事にできるのだ。してもいいと勘違いしているのか! わたしは選挙に対して興味はない。しかしこの島国の住民がどのように「騙され」、「誘導されていくのか」は嫌というほど見てきた。その様子が気持ち悪い。

言いにくいけれども、自民党はもちろん、どの政党に投票しようがこの国の未来は2030年に果てるだろうというのがわたしの見立てである。その点、国政に興味のない者、関心を失ったものは、選挙についてあれこれ発言するのはいかがかと思う気持ちもないではない。しかし「もう少しフェアーにやれよ」と感じずにはいられない。選挙に熱心な方々は余計にそうだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「BLACK BOX」(伊藤詩織著・文藝春秋)がふたたびスポットライトを浴びている。ほかならぬ「加害者」とされている山口敬之元TBS記者が、1億3000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたからだ。これに対して、伊藤詩織の支援者は「オープン・ザ・ブラックボックス」というサイトを立ち上げて、支援団体(伊藤詩織さんの民事裁判を支える会)を発足させた。

以下は本稿〈前編〉に続き、山口敬之の反訴で新段階をむかえた「レイプ裁判」の〈後編〉だ。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

「私の意識が戻ったことがわかり、『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった」「何度も言い続けていたら、『痛いの?』と言って動きを止めた。しかし、体を離そうとはしなかった。体を動かそうとしても、のしかかられた状態で身動きが取れなかった。押しのけようと必死であったが、力では敵わなかった。私が『トイレに行きたい』と言うと、山口氏はようやく体を起こした。その時、避妊具もつけていない陰茎が目に入った」

しかし、それでもなお、山口の「行為」は終わらなかったようだ。

「抵抗できないほどの強い力で体と頭をベッドに押さえつけられ、再び犯されそうになった」「体と頭は押さえつけられ、覆い被さられていた状態だったため、息ができなくなり、窒息しそうになった私は、この瞬間、『殺される』と思った」

いわばセカンドレイプを覚悟で、血を吐くような思いで書かれたから『BLACK BOX』の記述が正しいわけではない。「下腹部に感じた裂けるような痛み」「再び犯されそうになった」と、具体的なこ事実関係を書いているから、信ぴょう性が感じられるのだ。したがって、山口がとくにおもんぱかる必要もない。

◆なぜ不起訴になったのか

上記のとおり、両者の言い分をふまえて、その後の司法手続きをたどってみよう。
2015年4月9日に伊藤は警視庁に相談し、所轄の高輪警察署が4月末に準強姦容疑で告訴状を受理した。6月初めに逮捕状が発行された。逮捕状が警察の要請にしたがい、裁判所の責任で発行されたのは言うまでもない。しかるに、山口の身柄はアメリカにあった。執行は翌2016年、山口が帰国する6月8日に、成田空港で行なわれるはずだった。

 

BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

ところが逮捕する直前に、警視庁刑事部長の中村格が執行停止を命じたのだ(「週刊新潮」)。7月22日に、検察が不起訴処分とした。嫌疑不十分がその理由である。のちに伊藤詩織は出勤途中の中村格を直撃取材したが、中村は全速力で逃走。何らの説明もしていないという。その後、検察審査会で審議されたが、9月21日に不起訴相当となった。

安倍晋三の意を受けた警察官僚が暗躍したと、週刊誌は警察・検察の不可解な動きを批判する。だがいまや、この国の社会および司法の仕組み自体に問題があると、わたしは思う。というのも、レイプされた女には「隙がある」「性ビジネスである」などと、男性のみならず女性(たとえば杉田水脈議員)からも批判が浴びせられるジェンダーの硬い障壁があるからだ。とりわけ、性暴力をめぐる司法判断に疑問の声がひろがっている。

4月11日の夜、東京駅付近に400人以上が集まって「MeToo」「裁判官に人権教育と性教育を!」などのプラカードが並んだという(朝日新聞4月17日夕刊)。娘の同意なく性交をした父親に無罪判決が出されるなど、強姦事件の無罪判決が続いているというのだ。そもそも実の娘と「同意」があっても、やってはいけない行為ではないのか。

いや、そうではない。日本では1873年に制定された改定律例には親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止されているのだ。刑法に盛り込まれなかった理由は、日本近代民法の父と言われるボアソナード博士が、近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためだとされている。

強姦罪もきわめて緩い。日本の刑法は「同意のない性交」だけでは罰則がなく、「暴行または脅迫」が加わった場合の性交に「強制性交罪」が成立するのだ。今回、実の娘を強姦した男は、娘が「抵抗が著しく困難ではなかった」ことで、無罪とされたのだ。そして酔って抵抗できない場合にも、同意があったとされる可能性があるというのだ。伊藤詩織事件にも、これが検察の判断となった可能性がある。裁判官の資質だけではないようだ。なんと、日本は法的にも強姦天国だったのだ――。

◎「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30267
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30272


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

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