中森明菜が自殺未遂事件を起こしてから、所属する芸能事務所、研音から独立に至るまでには、その背後で大人たちが綱引きを繰り広げていた。

◆メリー喜多川の意向で進んだ明菜の移籍先

中森明菜『LIAR』 (1989年4月ワーナー・パイオニア)

1989年7月11日、近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂事件を起こした明菜は、しばらく病院に入院した。そして、退院3日前の8月2日、都内某所で関係者が集まって会談をした。出席者は、研音の花見赫(あきら)社長、ワーナーパイオニアの山本徳源社長、ジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長、それにメリーが連れてきたMMGレコードの小杉理宇造社長、音楽評論家の安倍寧の5人。

その席上、メリーは機先を制するように言った。

「あなた方、明菜の自殺の原因が何だか知っているんですか。山本さんの会社の社員のことをいっては何ですが、おたくの寺林さんが明菜を独立させようと画策したからなんですよ。寺林さんは事務所(研音)やスタイリストなどの悪口を明菜に吹き込み、人間不信になった明菜が自殺したんです」

会談はメリーのペースで進み、翌日、小杉社長が明菜を預かることが決まったという。

ワーナーパイオニアの制作本部長、寺林晁は確かに明菜と親しく、明菜の独立に向けた活動を進めていたらしい。自殺事件の2日前にも明菜と六本木で食事をし、「どうして私のマネージャーはくるくる辞めてしまうのか」「事務所に搾取されてしまうのではないか」といった相談に応じていたという。

研音は明菜が入院中、担当医に診断書を要求したが、明菜がそれを拒絶したというし、警察が明菜に事情聴取をした後で花見社長に対し「おたくの事務所はひどいらしいですね」と言ったという。

また、明菜の母親が「マネージャーにお金を騙し取られたのよ。億単位の金だったから、自殺するのは当たり前じゃない」と明かしていたという話もある。

同年12月31日に行われた「中森明菜復帰緊急記者会見」で明菜は、「自殺の原因は?」と聞かれ、「私が仕事をしていて、一番信頼していた人が、信頼できなくなったことです」と答えていた。

◆明菜に隠れて金を受け取っていた家族との決別

明菜は自殺未遂事件の後で家族と関係が悪化したが、その理由も研音に関わることだった。明菜が事件を起こして病院に運ばれたとき、駆けつけた父親が「事務所やレコード会社に謝れ!」と叱った。実は明菜の家族は、毎月100万円から200万円を研音から給料のような形でもらっていたが、明菜はそれを知らなかった。

「私に隠れてお金をもらって、それなのに死のうとまでした私を罵倒するなんて、私は絶対に親を許さない!」と言って明菜は怒り、家族と絶縁した。

確かに自殺未遂事件の前から明菜は研音に対する不信感を持っていたようだ。そして、それはメリーの思惑とも合致していた。当時、明菜は近藤と結婚したいという希望を持っており、その近藤をエサにすることでメリーは明菜をコントロールできる立場にあった。

近藤は翌年にデビュー10周年を控え、大事な時期だった。メリーとしては明菜の自殺未遂事件の原因を研音のせいにして、近藤は無関係ということにしたかった。メリーが「マッチの立場も考えてあげて」と言えば、明菜は何でも言うことを聞いた。

そして、メリーは明菜を研音から独立させ、自分の子飼いである小杉の事務所に所属させようと画策した。メリーにとっては、明菜が研音に預けているよりも、自分の周辺にいる方がコントロールしやすく都合がいい。また、自分とは別に明菜に接触し、独立をそそのかしていた寺林は邪魔な存在だったから、先の5者会談で「自殺の原因」として糾弾し、明菜利権から排除しようとしたのである。

メリーが連れてきた小杉は明菜にとっても、信用の置ける人間だった。小杉はかつてRCAレコードの社員として近藤のプロデュースをしたことがあった。明菜は近藤に熱を上げるあまり、近藤と接点があるというだけで人を信用する傾向があった。

大晦日の記者会見で明菜は「すてきなスタッフが一緒だったら、つらいことも耐えていけると思って頑張ります」と語っていたが、「すてきなスタッフ」というのは、小杉のことを指している。

◆移籍金で拗れ、人間不信に陥った明菜の孤独

だが、年末の記者会見の段階では確定していた、明菜が研音から独立し、小杉が預かるという路線は暗礁に乗り上げた。

まず、移籍金問題が明菜復帰を阻んでいるという報道があった。研音としては明菜を待っていても戻ってこないとあきらめたが、それでも明菜は「金のなる木」だ。「明菜が独立するなら、10億円を支払え」と研音側が小杉側に主張したという。その額は10億円とも言われ、レコード会社がこれを立て替えるという案も浮上した。

次いで出てきたのが、明菜の身元引受人だった小杉が明菜に手を焼いているという話だった。完全主義者で自己主張の強い明菜には小杉ももてあまし、「自分はもう手を引くから、研音でもう1度、明菜を引き取ってくれ。研音が明菜を引き取らないなら、4億円の移籍料で明菜を独立させたいが、どうだろうか」と打診したという。

こうしたトラブルも解消されたのか、90年2月23日、明菜のための新事務所である株式会社コレクションが登記された。ワーナー・パイオニアが9割を出資し、代表取締役は小杉の片腕とされる中山益孝社長で、明菜も取締役に名を連ねた。

だが、コレクションと明菜はうまくゆかず、91年、明菜は新しい事務所、コンティニューに移籍することとなった。当時、明菜と親しかった、フリーの番組ディレクター、木村恵子の暴露本『中森明菜 哀しい性』(講談社)によれば、コンティニューは運営資金を明菜の移籍に際してビクターから支払われた3億5000万円に頼っていたが、経営陣は高級外車を何台も購入したり、必要以上に豪華な事務所を借りるなどして短期間のうちにそれをすべて使い果たし、明菜に支払われなければならない1億円のアーティスト料も支払わなかったという。結局、明菜はコンティニューとも喧嘩別れして、93年からMCAビクターがマネジメントの窓口も担うことになった。その後も明菜はレコード会社と芸能事務所を転々と渡り歩いた。

明菜が歌えば、CDが売れ、コンサートに大勢のファンが集まる。「金のなる木」である明菜には、様々な人間が群がり、たびたび騙した。次第に人間不信に陥った明菜は、人を寄せ付けなくなっていった。

そうした中で、明菜の芸能活動は低迷を続けた。2010年10月以降は、体調不良を理由に芸能活動を休止し、公の場に姿を現していない。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。
好評連載!星野陽平の《脱法芸能》
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