大阪・ミナミ通り魔殺人控訴審「死刑破棄」をまったく予想できなかった理由

2012年6月に大阪・ミナミの路上で2人の男女が殺害された通り魔殺人事件で、殺人罪などに問われた礒飛京三被告(41)の控訴審判決公判が9日、大阪高裁で開かれ、中川博之裁判長は「計画性は低く、精神障害の影響を否定できない」などと述べ、一審・大阪地裁で裁判員らが下した死刑判決を棄却し、無期懲役を宣告した。この結果は私にとって、大変意外なものだった。前回公判を傍聴した際、死刑が回避されそうな雰囲気は微塵も感じられなかったからである。

礒飛被告が凶器の包丁を購入した現場近くの百貨店

◆「地裁の判決に従ってもらいたい!」

「今からでも遅くはありません。すみやかに控訴を取り下げ、地裁の判決に従ってもらいたい!」

昨年12月22日、大阪高裁の第201号法廷。被害者参加制度を利用し、公判に出席した被害者遺族の男性は証言台から被告人と弁護人に対し、怒鳴りつけるようにそう言った。被告人席の礒飛被告は表情こそポーカーフェイスだったものの、メモをとる手がとまって身をすくめ、遺族の怒りの意見陳述に気圧されているような雰囲気が窺えた。

覚せい剤取締法違反で2度の服役歴がある礒飛被告が事件を起こしたのは、2度目の服役を終え、出所した翌月だった。生まれ育った栃木で仕事が見つからず、刑務所内で知り合った男から「仕事を紹介してやる」と言われて大阪へ。しかし、紹介された仕事は詐欺や覚せい剤の密売人だったため失望。そして翌朝、覚せい剤精神病による「刺せ。刺せ」という幻聴に促され、ミナミの路上で音楽プロデューサーの南野信吾さん(当時42)と飲食店経営の佐々木トシさん(同66)の2人を包丁でめった刺しにして殺害したのだ。

◆遺族の陳述により死刑維持の雰囲気が出来上がっていたが……

一審・大阪地裁の裁判員裁判は責任能力の有無が争点になったが、判決は犯行時の礒飛被告に完全責任能力が認め、死刑を選択した。この地裁の死刑判決に従うように法廷で礒飛に求めた冒頭の男性は、南野さんの実父Aさんだ。近年、心臓と大腸ガンの手術を相次いでうけ、「今ここに立っているのが奇跡に近い状態」というAさんが気力を振り絞って繰り広げた20分余りの意見陳述は怒りと悲しみに満ち溢れ、凄まじい迫力だった。

「生命の代償は、生命しかありえない!」と礒飛に強く訴えたかと思えば、亡き息子になりきり、「これからという時になぜ、俺を刺す? なぜ、君は音楽に救いを求めなかったのか?」と礒飛に語りかけたAさん。礒飛被告にとって、遺族から浴びる怒りや憎しみの言葉は検察官の死刑求刑などよりはるかに重く感じられたことだろう。

その後、佐々木さんの長男や南野さんの妻も意見陳述したが、「一審の判決後、弁護士を通じて謝罪文を渡したいと言ってきましたが、控訴しておいて何を謝罪するんですか」(佐々木さんの長男)、「夫は還ってこないのに、なぜ礒飛は生きているのでしょうか」(南野さんの妻)などとそれぞれ被害者遺族ならではの鎮痛な思いを吐露。この時も法廷は終始、緊迫したムードだった。遺族の意見陳述が終わった後、礒飛被告が被告人質問で「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と反省の言葉を述べたが、裁判官たちが心を動かされたような様子は微塵も感じられなかった。この公判を傍聴していて、死刑判決が破棄されることを予想できた者はおそらくいなかったろう。

2008年12月に被害者参加制度が始まって以来、同制度を利用して刑事裁判に参加した犯罪被害者や遺族が被告人に質問したり、求刑意見を述べるケースは年々増えている。この件に関し、裁判官や裁判員が犯罪被害者や遺族の意見に影響され、厳罰化が進むのではないかと指摘する声は一部にあるが、私もその指摘は当たっているのではないかと思っていた。しかし、この裁判の控訴審は遺族の意見から完全に独立したものだった。裁判とは、本当に先が読めないと私は再認識させられたのだった。

礒飛被告が南野さんと佐々木さんを刺殺したミナミの路上

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン