「今、お墓のあった場所を公開しているのは警察関係の方と報道関係の方だけで、一般の方には公開していないんですよ。ご両親は今もお参りに来られているんで、いやな思いをされたらいけませんからね」

2014年3月12日、東京都荒川区南千住の円通寺。私は、住職の男性の言葉に驚いた。失礼ながら、あの「吉展ちゃん」のご両親がまだご存命だとは思っていなかったからだ。

円通寺。吉展ちゃんの遺体が遺棄された寺として非常に有名

◆半世紀以上も現場で息子を悼み続けた両親

 

当時の指名手配書(夢野銀次さん2014年10月24日付「銀次のブログ」より)

1963年3月31日、台東区入谷で暮らす工務店経営者一家の長男・村越吉展ちゃん(当時4歳)が身代金目的で誘拐され、その後殺害された「吉展ちゃん事件」は当時、「戦後最大の誘拐事件」と呼ばれた。

捜査は難航したが、警視庁は1965年7月4日、別件の窃盗事件で服役中の小原保(同32歳)を営利誘拐などの容疑で検挙。小原の自白により、円通寺にあった「池田家」の墓の下から吉展ちゃんの遺体が発見された話は有名だ。

しかし、私が円通寺を訪ねた日は事件から半世紀を超す年月が過ぎていた。まさかご両親が今もお参りに来ているとは――。

「お二人とも今は80代だと思います。でも、つい先日もいらっしゃったんですよ」

円通寺境内には「よしのぶ地蔵」も設置されおり、こちらは一般の人も拝むことができる

◆現場を非公開にした理由──迷惑な陰謀論者たち

 

毎日新聞1965年7月5日付一面(岩垂弘さん「もの書きを目指す人びとへ――わが体験的マスコミ論」第46回より)

住職の話を聞きながら、私は高齢のご両親が息子の死を悼み続けた年月に思いを馳せ、柄にもなく少し胸が熱くなった。が、住職はそんな私の感傷的な気分を打ち消すような、こんな話も聞かせてくれた。

「物見遊山で墓を見に来られる一般の方の中には、陰謀論的な冤罪説を主張される人たちもいるんです。『小原は洗脳されて自分を犯人と言っているだけだ』とか『小原は足が不自由だったから差別されたのだ』とか言ってくるのですが、われわれとしては『勝手にやってください』と言うしかありません。小原の供述により、うちのお墓からご遺体まで見つかっているのですからね」

たしかにこういう変な人たちがいれば、寺としても遺体が見つかった墓のあった場所を一般公開するわけにはいかないだろう。

私は報道目的なので、遺体が隠された墓を見せてもらえたが、住職によると、すでに「池田家の墓」そのものは他の場所に移設されたという。その墓があった場所では、代わりに吉展ちゃんを供養するための小さな地蔵が祀られていたが、手入れが行き届いており、親族がよくお参りに来ていることが窺えた。

吉展ちゃんには安らかに眠ってもらいたい。

吉展ちゃんの遺体が見つかった墓があった場所。小さな地蔵が祀られているが、一般には非公開

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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