この人は「聞き手」として、相当に秀逸な能力を発揮する。右であろうが、左であろうが、少々脱輪している人が対象であろうが、必ずその人の見るべき点や、他者にはない個性を見つけ出し、それを展開してゆきながら話を盛り上げる。「すごいなーと思ったんですよ」、この人のインタビューを読んで(聞いて)いると必ずこのセリフが何度かは発せられる。現在の彼を言い現すのであれば「稀代の名インタビュアー」となろうか。『紙の爆弾』に連載されている「ニッポン越境問答」でも毎号「インタビュー力」が発揮され、登場する人物の個性を際立たせる、「聞き手」の妙を毎号披露してくれている。

◆「何かの間違いじゃないか」……

鈴木邦男と松岡の付き合いは30年以上になるという。しかし「M君リンチ」事件をめぐり、加害者側に立ちリンチ事件隠蔽のリーリングリーダー「のりこえねっと」の共同代表である鈴木と「M君」支援を続ける松岡の間には亀裂が生じる。

ことの発端は『ヘイトと暴力の連鎖』に次ぎ出版された『反差別と暴力の正体』で著名人や関係者40名に「質問状」を送ったのであるが、その40名に「のりこえねっと」共同代表の鈴木が含まれていたことに起因する。松岡を筆頭とする取材班は、長年の付き合いもあり、松岡はじめ多くの取材班がその生きざまに敬意を払っていた鈴木からは、当然回答がもらえるもと考えていた。ところが締め切り期限を過ぎても鈴木からは何の連絡もない。

「何かの間違いじゃないか」……そう考えた鹿砦社の社員は、鈴木に最も親しい人物を通じて、回答の督促を試みようやく回答を得るが、松岡は「私は鈴木の著作を多数、原稿整理から最終校正までやってきたので、経験的にも、力を入れて書いているか、いやいやながら書いているかぐらいわかる」(『反差別と暴力の正体』)と表現する通り、惨憺たる内容であった。私も直接目にしたが、ミミズが情けなく這っているような文字に、強い意志はかけらも感じられなかった。

◆あなたたちの主張は安倍政権により現実化されているではないか

話はやや脱線するが松岡と鈴木の親交が始まったのは1980年代前半、まだ鈴木が「行動右翼」、「新右翼の若き理論家」として活動していた頃だ。多くの出版社からどんどん著作(共著も含め)を出せる今と違い、当時は鹿砦社(あるいは関係会社のエスエル出版会)以外に鈴木の著作を出す出版社はほとんどなかった。今でも鈴木の著作は累計で鹿砦社が最も多いという。機関紙『レコンキスタ』の縮刷版2巻(1号~200号)も出しているという。学生時代はバリバリの新左翼活動家だった松岡が、新右翼、行動右翼の著作を数多く出すほど松岡の思想的柔軟さ(松岡本人は「いい加減」だからだと言うが)だからだろうが、この松岡の気持ちを鈴木は思い知るべきだろう。

私は当時「一水会」を知ってはいたが、彼らの主張に惹かれる部分はほとんどなかった。後年米国がイラクに侵略を行う直前に「イラク戦争反対」を表明した時には「右翼にもなかなか腹の座った連中が居るものだ」と感心した記憶はあるけれど、元から右翼には散々な物理的、精神的被害を受けていた私としては「一水会」や鈴木邦男に関心を抱くことはなかった。

いや、正直に言えばむしろ逆だ。松岡と鈴木が出会った1980年代前半は、バブルの走りの時期であったと同時に、当時の首相中曽根が「臨調」を立ち上げ、国鉄解体、総評・社会党解体に本腰で乗り出した時期でもあった。あの時代にその行く末(つまり解釈改憲から秘密保護法、共謀罪が整うファシズム国家の再来、2017年の現実)を明確に予見できた人間は多くはなかっただろう。

 

 

だが、少なくとも当時私の目には日の丸を掲げ、天皇を過剰に崇拝し、靖国神社に参拝する「右翼」はそれが大日本愛国党であれ、一水会であれ「敵」以外の何物でもなかった。見よ! 彼らの主張は予想以上の成果で安倍により結実させられているではないか。戦後の民間右翼の主張をほぼ包含する形で、安倍政権はどんどん治安立法を成立させ、解釈改憲により集団的自衛権までを認めさせ、日本国憲法は実質的に「なきもの」にされた。残るは明文改憲だけだ。

鈴木はその後一水会の代表から離れ、テレビにも登場し、「頭と物わかりの良い」元右翼の論客として活動の幅を広げるが、私が問いたいのは鈴木が80年代に主張していた目標の大筋(対米従属以外)がほぼ言い値で実現された今日、鈴木は当時の主張をどう総括するのか、ということである。今では「リベラル」と称されることもある鈴木だが、あなたたちが80年代に主張していたことが現実化したのだ。そのことに対して鈴木はどう考えるのだろう。

この回答は鈴木本人の見解として聞きたくもあり、また「のりこえねっと」の共同代表としての立場からも是非開陳してもらいたいものだ。そもそも天皇制を崇め奉っていて「君が代は5千回くらい歌ったことがありますよ」という鈴木(今でも天皇制に対する鈴木の敬愛は基本的に変わらないだろう)のような人間が「差別」を扱う団体の呼びかけ人になることから、筋違いなのであり、そんな人間を共同代表に頂く「のりこえねっと」も発足から「勘違い」をしていたのだ。

◆「黒百人組」に乗っ取られた「のりこえねっと」

「のりこえねっと」発足当初の理念や目的に私は異論を感じない。しかし、刺青を入れた暴力集団「男組」を歓迎してしまったあたりから、「のりこえねっと」は反原連から脈々と続く「権力別動隊」(松岡言うところの「黒百人組」)に完全に乗っ取られてしまい、今では野間易通や安田浩一、香山リカらがもっぱら「幹部」ズラをしている。野間、安田の悪質さについてはこれ以上言及する必要もなかろうが、事実をご存知ない方のために敢えて彼らの行状の一部をご紹介しよう。

野間易通は長年ネット掲示板荒らしをしていたらしいが、3・11後どういうわけか、反原連の幹部として登場する。根が「ネット荒らし」で、これといった思想を持っているわけでもない野間だが、ネット上で集団を組織し、意にそぐわぬ人に対しては徹底攻撃を掛けることで悪評が高まる。悪評だけではなく、あまたの誹謗中傷でこれまでにツイッターを何度も凍結されており、それにとどまらず民事裁判でも2回敗訴している。

野間のツイッターを見れば人格を理解するのに5分とかからない。非常に高慢であり、傲慢であり、卑劣かつ下品な人間だ。その野間と鈴木は懇意なのだ。先の「質問状」に鈴木は「野間氏と『ヘイトと暴力』について対談して僕の疑問をみつけたいと思います。『紙の爆弾』でやれたらと思います。野間氏も承知しています」と書いて寄越している。松岡がこの「回答」を見てどれほど憤慨し、あるいは落胆したかは想像に難くないし、鈴木との長年の付き合いからして松岡の心中は察するにあまりある。いや、松岡だけではない。私も鈴木の「トボケぶり」に「とうとうここまで来たか」と末期症状を実感した。

◆鈴木邦男さん、あなたの言説は完全に正当性を失っている

再度昔の話に戻るが、私は松岡と違い右翼(新右翼)に関心を持った経験がない。彼らは常に目前の敵であり、私は何度か身体的に暴力も振るわれ、「M君」ほどではないにしても集団暴行を受けたこともある。一水会はそうではないかもしれないが、広く見れば右翼団体を出自とする鈴木が野間と仲良くなり「野間氏と『ヘイトと暴力』について対談して僕の疑問をみつけたいと思います」という。

鈴木よ、あなたには『ヘイトと暴力の連鎖』を献本しているだろう。読書家の鈴木のことだから、あんな薄い本くらい数十分で読めたはずだ。それでも「僕の疑問を見つけたい」? 疑問はこれから見つけるのか?そのために「M君リンチ事件二次加害者代表」の野間と『紙の爆弾』で対談させろだと?

私はあなたに尊敬の念や崇拝の気持ちを持ったことがないので、それらの気持ちを持ち苦しんでいる人になりかわり、進言する。鈴木邦男さん、あなたの言説は完全に正当性を失っている。加害者に加担している事実にすら気が付かない。「のりこえねっと」はもはや「反差別」を標榜していても「リンチ事件」隠ぺいにかなりの力を注いでいる許しがたい団体だと私は断じる。そしてあなたはこの問題に関しては完全に「ボケている!」。

「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉は自身のフェースブックに民事訴訟が始まる前で裁判所が介在していないのに「裁判所が勧めた和解を被害者(M君)が拒否」したと、全く現実にあり得ないことを平然と書き込みリンチ被害者「M君」に筆舌に尽くしがたい攻撃を加えている。あなたはあなたで野間との対談を『紙の爆弾』でさせろという。
  
  

 

 

  
◆鈴木邦男という「幻想」──「物わかりがよいこと」と「無節操」は同義ではない

6月12日の鈴木のブログでは、あろうことか、被害者M君へのセカンドリンチを主導的に行っている金明秀の写真を、これみよがしに掲載している。これには松岡も被害者M君も驚きショックを受けた。金明秀がどのようなことをやってきたのかは、鈴木にも送ってある3冊の本を見れば判るだろうに何の配慮もないのか!? 自分たちが何を発言し、何をやっているのかわかっているのか。

鈴木邦男「幻想」など昔から「幻想」だったのであり、その「幻想」がいま、目の前でみすぼらしい醜態をさらしている。そんな加害者の肩を持つ人物に紙面を割いたり、付き合ったりする時間や恩義がどこにある。取材班の田所敏夫は昨年、この「デジタル鹿砦社通信」で「辛淑玉さんへの決別状」(『反差別と暴力の正体』に再録)を書いた。その後の辛の言動を見るにつけ、その判断は間違ってはいなかったと取材班一同感じている。

松岡は今でも逡巡している。それは鈴木との長く濃密な30年以上の付き合いがあるからだ。私に松岡の苦悶がすべて理解できるとは言わないが、この苦悶の理由を作り出した鈴木の変節(あるいは本質の発露)を満身の怒りで糾弾する。「物わかりがよく誰とでも話ができること」と「無節操」は同義ではない。現在の鈴木はことの正邪の基本もわからない「無節操」に成り下がっている。

鈴木邦男よ、言論界から引退せよ。あなたには多くの「信者」がいる。かつての吉本隆明がそうであったように、老醜の戯言は「信者」を落胆させるだけでなく、社会的にも害悪でしかない。野間の如き人間の本質を見抜けぬようでは、鈴木はすでにその域に達している。松岡の逡巡と苦悶はいつまで続くのか。松岡が〝重大な決断〟を下す時が来るのか……。

 

(鹿砦社特別取材班A生)

本日発売!『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

  
きょう6月19日は李信恵が在特会と元会長を訴えた裁判の控訴審判決が大阪高裁で言い渡される。訴訟の内容には詳しくないが、在特会は表現するのも憚られる滅茶苦茶な差別をやりたい放題行っていたのだから、おそらく高裁でも一審に引き続き李信恵の勝訴が予想される。それは結構なことなので、われわれもそのような判決に異存はない。

さらに22日には「保守速報」を訴えた裁判の弁論(本人尋問)が大阪地裁で開かれる。

◆李信恵は「M君リンチ事件」裁判の「被告」である

しかし、あらためて強調しておかなければならない。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]
この集団リンチの凄惨さはリンチ直後のM君の顔写真が象徴している。

2014年12月に起きたリンチ事件直後のM君の顔)

しかし鹿砦社以外のメディアはこの事実を報じない。メディアのみなさん、この写真を見て何も感じないのか!? そうであれば「ジャーナリスト」をやめたほうがいいだろう。われわれは陰謀論者では全くないが、先日このコラムでお伝えしたように「天下の朝日新聞」が社説で李信恵と、「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格で、「M君」が5名を訴えた裁判では被告側に証拠を提出している「コリアNGOセンター」を同時に取り上げた現象には、偶然以外の何かを感じずにはいられない。

◆李信恵は「差別と闘う」ヒロインなのか?

そればかりではない。『反差別と暴力の正体』に電話取材で登場した「コリアNGOセンター」事務局長の金光敏が最近頻繁に新聞紙上に登場している。

金光敏「コリアNGOセンター」事務局長のコメント(2017年6月15日付朝日新聞)

 

 

  
6月15日には朝日新聞に、6月17日には毎日新聞地方版にコラムを寄せている。

当の李信恵は東京新聞に共謀罪のコメントを寄せたと自満たっぷりにツイッターに書き込んでいる。

李信恵の6月16日付ツイッターより

李信恵の『鶴橋安寧』を出版した影書房はツイッターで同書をしきりに宣伝している。これは明らかなプロパガンダであり判決日への注目を喚起するための情報戦略なのだろう。

きょうの判決後の記者会見には多くの報道陣が集まることだろう。常識的に言えば勝訴だろうから李をはじめとして、弁護士の上瀧浩子や金光敏も記者会見に同席し、コメントを発するのだろう。李信恵は「差別と闘う」ヒロインとしてのみ賞賛を受け、記者から「ところでこの裁判ではありませんが、李さんは民事訴訟の被告になっています。その件はどうお考えになりますか?」などという質問は発せられることはないだろう。

◆産経や読売も報じないM君リンチ事件

もうここまで来たので、書かざるを得まい。李信恵を取り巻く周囲には密議があるのか、あるいは指示系統があるのか明確ではないが、あからさまな「同意」が成立している。それは新聞、テレビ、週刊誌からミニコミ新聞メディアまで含めてである。この奇異な現象はある種「民間の言論統制」といっても過言ではないほどの力を持っている。

相当な実力者が背後にいるのか、そうでなければマスコミ各社暗黙の「忖度」によるものか。李に対する批判は一切行わない、さらには彼女を「差別と闘うヒロイン」として持ち上げるとの同意スクラムが出来上がっている。

右左は関係ない。読売は言うに及ばず、普段腰をぬかすような差別原稿を載せる産経新聞ですらがリンチ事件を報じない。極めて異常な言論統制が幅を利かせている。その周辺にうろつく「工作員」の面々については取材班もほぼ概要を掴んだ。業界大物からの内々の情報提供もある。

◆「事実を変える」ことは絶対に不可能だ

しかしである。ここまでのっぴきならない「民間の言論統制」を目にすることはそうそうあることではない。芸能人のスキャンダルであれば、われ先に!と飛びつくマスコミが、「被害者M君」への情報探りには接近してくるものの、一切の報道を行わない。

きょうの夕刻のテレビニュースや明日の朝刊各紙では判決についてのニュースが山ほど流されるだろう。その濁流を目にして「M君リンチ事件」自体を無かったものにしよう、と企図する李をはじめとする、エセ「反差別者」や「しばき隊」は狂喜乱舞することだろう。

たぶんそのようにことは進んでいく。しかし、われわれは「歴史修正主義者」を断じて許さない。それは国と国との間であっても、民族間であっても、個人間であっても同様だ。些細な諍いなら目くじらを立てることはないけれども、鼻骨骨折をするほど殴る蹴るをされた「被害者M君」に対してのネット上の誹謗中傷と、マスコミにおける李の持ち上げられ方の不平等が目に余る。

「情報操作」や「印象操作」はいくらか可能かもしれないが、「事実を変える」ことは絶対に不可能なのだ。ネットについては取材班もかなりの情報収集メンバーを獲得している。一瞬の書き込みでそれを消去しても、ターゲットのツイッターやフェイスブックは24時間監視している。
  
  
  
  

 

 

  
◆「安寧通信」0号に登場した人物の名前を列挙してみてわかること

李信恵が在特会を訴えたことに反論はない。われわれは1ミリも在特会の差別言辞を支持しない。しかし同時に「M君リンチ事件」の取材を始めるやいなや、「どうしてこの事件に興味を持つのかわからない。運動に分断を持ち込むだけ」と電話口で語った安田浩一の意図がだんだんわかってきた。

取材班の手元には李信恵の裁判を支援する会が発行した「安寧通信」の0号から10号までがある。0号に登場する人物の名前を列挙すると実に興味深い事実が浮き上がる。「M君リンチ事件」で隠蔽のための「説明テンプレ」を作成したITOKENこと伊藤健一郎、「M君リンチ事件」の被告(反訴原告)であり、大阪地裁でM君に「お前メンチ切ってんじゃねーよ」とチンピラ口調で絡んできた伊藤大介、前述の金光敏。

金明秀関西学院大学教授の2016年5月19日付ツイッターより

こういう書き込みをして、いまだにM君に謝罪すらしない金明秀、野間易通、「M君リンチ事件」で罰金刑を受けた凡、上瀧浩子、岸政彦、安田浩一、西岡研介、辛淑玉、高橋直輝こと添田充啓らだ。このほか数人が寄稿しているが、上記の寄稿者に「リンチ事件」の直接加害者と、二次加害に積極的に加担した者、また隠蔽に奔走した中心人物が見事に揃っている。脇役だが写真は秋山理央でイラストは岸政彦の配偶者、齋藤直子だ。

「安寧通信」0号は2014年10月7日発行だが、その時点で後に人の道を外れた行動に奔走する連中が見事に名前を連ねていることが証明される。その後8号には香山リカが「利己的な私の自分勝手な闘い」、9号には参議院議員有田芳生が「高貴な激情」を寄せている。いずれも彼ら彼女らの行動を知る者からすると読むに堪えないが、この件については後日あらためてコメントする

◆李信恵は嘘つきだ

李信恵は嘘つきだ。再度その証拠を提示する。本来あなたは公的な場所に立ってはならない人だと自分で宣言している。もう一度自分の書いた文章を見直してみることだ。屁理屈は通らない。事実を事実のまま見る。そのことを放棄するものは報道の世界にいる資格のない者だ。

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

 

 

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

 

 

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。

AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

タートゥトーン寺の本堂。タイ街並みで必ず見れるお寺の佇まい

スクンビット通りの朝の露店。御飯のオカズとなる惣菜がビニール袋に入れられて売られています

エカマイ地区路地の露店。ぶっ掛け御飯のオカズとなる惣菜

エカマイ地区路地の露店。串焼き

BTS電車の車体、外からは中が見えない構造。プラットホームで写真を撮影していたら警官に怒られました

14年ぶりのタイ。17年ぶりのラジャダムナン・スタジアム。22年前に自分が出家したお寺を再訪し、ラオスへも足を延ばす旅──。ある旅行社関係から依頼があり、この5月、久々にタイへ出かけました。

ムエタイの試合とジムの様子、僧侶とお寺、歓楽街と売春婦、トゥクトゥク(サムロー)のボッタクリ、市場の賑わい、屋台の飯、市内バスと渋滞と排気ガス、買い物の値切り、チャオプラヤー河やメコン河の優雅な風景、街の野良犬野良猫、歩道橋の乞食……。タイを訪れるにあたり、思い出される景色には枚挙の暇がありません。

◆1993年、「オモロイ坊主」藤川清弘僧侶との出会い

1993年のことでした。ある偶然の導きから藤川清弘氏というタイ仏教の僧侶に出会いました。藤川氏はもともと京都で地上げ屋をやっていて、その後タイで事業を営み、51歳の時にタイで出家したという「オモロイ」経歴の持ち主でした。

私は、当時一時僧経験者だった藤川清弘氏と出会い、その後、タイ仏教のもと、ペッブリー県で再出家に至った藤川氏にお願いして、私自身も短期間出家したことがありました。その頃のお話は、いまから10年以上前に藤川氏のホームページ「オモロイ坊主を囲む会」で一度レポートしたこともありました。

藤川氏は2008年以降、胃癌を患い(それと直接的ではないようですが)、2010年2月に脳内出血で倒れ、永眠されています。

私の先導でタイ、ラオスを訪問するという今回の旅程を打診された時、当初それを受けるか否か躊躇しました。しかし、「悩んどらんと行ってみんかい!」と、藤川氏ならば、そう言うであろう言葉に背中を押されるかのように、14年ぶりのタイ行きを決心しました。その意味で今回の旅は、かつて私を指導してくれた藤川清弘氏と一緒に歩いた街並みを再び歩く旅でもありました(※藤川清弘氏との思い出は今後、別の機会に詳しく書かせていただきます)。

とはいえ、行きたくて指折り数えていた訳ではありません。夢にまで見たのとはむしろ逆でちょっと憂鬱。期待と不安がないまぜとなったままでの旅立ちでした。

◆エカマイ駅南側地区市場──早朝、市場に僧侶の托鉢姿を見に行くも……

タイでの滞在期間、ちょうどラジャダムナンスタジアムチャンピオンのT-98(=今村卓也)のムエタイ王座防衛戦も重なりました。試合は前回お伝えした通り、残念ながらT-98(今村卓也)は判定負けでムエタイ王座から陥落しましたが、それを取材することができました。

T-98取材当日の早朝、宿泊先のホテルから二つ先の駅、スクンビット通り“ソイ42”のBTS(高架鉄道)エカマイ駅南側地区にある市場に行きました。「僧侶が大勢、托鉢をする姿が見られる」といった同行者の誘いで行ってみたのですが、寝坊してしまい市場に着いたのは朝8時。すでに僧侶の托鉢時間は過ぎており、朝のラッシュの姿に変わっていました。

とはいえ、市場にはまだ賑わいが残っていて、旅行者が楽しめる風景が目白押しです。ソイと言われる路地には車が通る中、露店が連なります。衣料品も日用品も装飾品も並び、犬も寝転がる呑気さ。ぶっ掛け飯屋もあり、注文するがまま、御飯にオカズをのせてくれます。

エカマイ地区路地の露店。焼き鳥と焼きおにぎりでしょうか

エカマイ地区の路地の露店。ここで御飯に掛けて奥のテーブルで食べることもできます

次に訪れたのはエカマイ駅北側にあるタートゥトーン寺。ここはかつて藤川僧とバンコクに出た際、一泊だけさせて頂いた寺でした。しかし、その寺の面影の記憶が少なく、新築・増築された真新しい光景が目に入りました。かなり広い寺で22年前もどう歩き、どの辺りのクティ(僧宿舎)で泊まったかも全くわからなくなっていました。

タートゥトーン寺の本堂。読経の際は僧侶が壇上に座ります。一般人は低い後方の地べたに座ります

タートゥトーン寺側から見た至近距離にあるエカマイ駅。寺の門に迫る門より高い高架鉄道の駅、こんな時代となりました

◆言い値で乗ったトゥクトゥクもマイペンライ(大丈夫)

夕方にはT-98の試合のため、ラジャダムナンスタジアムへ向かいました。しかし、、フアランポーン駅前でしつこいトゥクトゥク(サムロー=三輪タクシー)に言い寄られながら「行くにはトゥクトゥクが楽だな」と同行者と決心し交渉。

「100バーツで行ってやるがどうだ?」と言う運転手に、「100でも高いだろうな、昔なら50バーツかな」と一瞬思いました。とはいえ、現在の相場もよくわからない。なので、運転手の言い値でトゥクトゥクに乗り込みました。

というのも、他の運転手は「200バーツ!」と言って来た。これはさすがに高い。私が選んだトゥクトゥクの運転手も「いや、100でいいよ」と笑っていたほどです。「旅行者が値を吊り上げている」と言う現地滞在者の話も聞きますが、私は根っから交渉下手。「ちょっとぐらい許して」と思って、そのトゥクトゥクに乗りました。

運転は思った通りの昔ながらの暴走モード。慣れればそんなに荒れた運転ではないのですが、滅多に乗らないとやはりそう感じます。多少ボッタくられたかもしれませんが、笑顔で人のいい感じの運転手さんでした。

フアランポーン駅に陣取るトゥクトゥクの群れ。旅の気分を味わうにはこの乗り物が最高

ただし、かなりスピードを出す奴もいます

◆大らかなタイ時間のおかげで出会えた懐かしい友

ラジャダムナンスタジアムのチケット売場。観光客は案内係りに導かれることでしょう

ラジャダムナンスタジアムでは、タイの知人カメラマンの来るのが遅い、さすがおおらかタイ人。リングサイドには知らないカメラマンが一人。日本の早田寛カメラマンも現れ、協力的な雑談。

タイ知人のカメラマンがやってきたところで打ち合わせをしていると、先に居た知らないカメラマンから声が掛かりました。実はそのカメラマン、知らないどころか懐かしい友人カメラマンでした。気付かなかったのはお互いが歳を取ったからで、昔一緒にムエタイの写真を撮っていた仲間でした。懐かしいあまりいろいろ話しかけてくれ、いざリングサイドに入る頃はカメラマン皆が「大丈夫だ、ハルキはここに居ろ」と補助してくれる有難さ。

こんな形でT-98撮影は無事終わりました。やれやれ、ひとつの目的は達成。これで帰国してもいいと思ったところ、同行者である友人は当然ながら“本番はこれから”と「明日から宜しく!」と気合充分でした。(つづく)

ラジャダムナンスタジアム最終試合の背景。なかなか観易い構造のスタジアム

指で賭けを誘う賭け屋の迫力はいつも凄い。観光客には分かり難いです

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号【特集】アベ改憲策動の全貌

6月10日(土)、国会議事堂を取り囲むようにして大勢の人々が集まった。これは“共謀罪”の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に反対する集会で、約1万8千人(主催者発表)が参加した。

参加者は老若男女問わず、カラフルな幟の数々を見ていただければ団体の種類も様々であることが分かるだろう。個人の参加者も多く、また反原発の集会に比べると若年層参加者の割合が大きいようだ。若い人たちは、肩を張らない自然な態度でここへ来ているように思われ、シニア層のそれとは断絶があるものの、そこに一種のリアルを感じることができる。

さて、現場の様子はヴィジュアルから感じ取ってもらうこととして、たまには所感を述べてみようと思う。

このような現場に何度も足を運んでいると、反対運動の“コード”のようなものを否が応でも感じることになり、僕はそこに違和感がある。例えば、定められたエリアでのみ活動しているということ。法的根拠すら持たないそのエリアから出ることのできない者が、国家権力に対抗できるのか。

例えば、登壇者のスピーチはここにいる皆の意見を代表しているのだ、ということの了解を求めてくるパノプティコン的空気感。組織犯罪処罰法改正案に反対するという立場が同じであっても、その根拠やニュアンスは様々だ。そうした多様性は小数点以下とみなして留保し、とりあえず整数で共闘しよう!というのはある程度合理的でまた分かりやすい話なのだが、ニュアンスを殺しすぎている。

どうしても納得ができないのであれば、「ふざけんな!」だとか「いい加減にしろ!」と叫んでしまうこともあるだろうし、こらえきれなくなって相手を殴りつけてしまうこともあるだろう。褒められたことではないが、“どうしても納得ができない”のだから仕方がない。そうした噴出が現れず、また現れそうな気配もない。安心安全に設定された反対運動のコードに、皆が礼儀正しく従っているのだから当然だ。

小学校の時に感じた「前ならえ」への違和感は、どこへ消えてしまったのだろうか。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

6月15日早朝、「現代の治安維持法」といわれる「共謀罪」が成立した。絶望感に襲われる。2015年の「安保法」に引き続き、この国は確実にファシズムへの道を突き進んでいる。

◆1960年「6・15」国会前 ── 警官隊に轢殺された樺美智子さん

「共謀罪」の具体的内容や危険性の分析については法律学者らに任せるとして、私が咄嗟に思い浮かんだのは、遙か57年前の1960年6月15日に安保反対の抗議行動で轢殺された東大生・樺(かんば)美智子さんのことだ。最近の若い世代はほとんど知らないだろうが、われわれの世代にとって樺美智子という名は伝説的だった。当時若かった学生も今や老境に入ったが、気持ちは今でもそうだろう。

樺美智子遺稿集『人しれず微笑えまん』表紙(三一新書版)

このかんの国会前の反対運動と1960年の国会前の抗議行動では雲泥の差がある。国会に押し掛けた人の数も違う。60年には実力で国会に突入、議場占拠し、国会審議を止め安保条約を粉砕するという意志があったことは確実だ。巨万の労働者、学生、市民、大衆が国会周辺を席巻した。これを、「暴力で…」とか言う前に、労働者、学生、市民、大衆一人ひとりの、「安保を潰そう!」という必死な意志が、自然発生的にあれほどの国民的闘争になったことを思い知るべきだろう。今はどうだろうか? 私は学生先駆性論を今でも信奉する者だが、若いんだから、たった一人になっても国会に突入して審議を止めんかい、と思うし、そんな学生や若者がいないのが残念だ。

60年安保は、今以上に大きな国民的運動だったにもかかわらず敗北(つまり国会通過→成立)し、10年後の1970年の改訂に向けて、60年代後半から、ベトナム反戦や沖縄「返還」問題も絡んでふたたび盛り上がったことは周知の通りだ。これもまた敗北、しかし、その〈二つの安保闘争〉で培われた抵抗の精神と運動は連綿と引き継がれてきた。これが、改憲への蠢動を抑え込んできたと私は考えている。

話が逸れるが、先月、30数年前に私が独立する際に仕事場として借り(当時新築)、ここ数年は資料や一部在庫置き場にしていた部屋が建て替えられるというので数日かけて整理し立ち退いた。この際、かつての(つまり60年代、70年代の)資料や奇観本が出てきた。ガリ版刷りのチラシやパンフレットなどもあり、当時の雰囲気が伝わってくるようだ。その多くを、当時の資料を収集・整理している「リベラシオン社」のIさんが持ち帰ったが、その中に、奇しくも樺美智子さんの名著『人しれず微笑えまん』(三一新書版)があった。初版は60年10月1日、先輩に勧められ私がそれを買ったのは、大学に入った1970年のことだ。少なくとも10年間は版を重ね多くの人たちに読まれていた。以降は、徐々に忘れられていったのだろうか。

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

◆1971年「11・14」沖縄返還協定批准阻止闘争 ── 機動隊に撲殺された永田典子さん

またまた話が逸れる。先に1971年の沖縄返還協定批准阻止の闘いで「機動隊員殺害」の容疑で逮捕されたO氏(まだ容疑とされている事件の真偽が確定していないので、あえてO氏とする)に因んで、ここでも機動隊に撲殺された若い女性教師・永田典子さんのことを思い出した。私は中核派でもなんでもないが、立場は違え当時沖縄闘争に必死で闘っていた者として一言記しておきたい。当時の政府の判断の誤りが、今の沖縄の現状に繋がっていることで、立場は違え当時必死に闘っていたことは間違いではなかったと今でも思っている。

「機動隊員殺害」を言うのであれば、樺さんと違い無名だが、機動隊による、この若い女性教師惨殺のことも公平に報じるべきだろう。この女性教師も樺さんの『人しれず微笑えまん』を読んでいたという……。樺さんも永田さんも、どのような想いで闘いに参加し、殺される間際、何を思ったのだろうか。なんとも言えない気持ちになる。

『救援』1971年12月10日号

『救援』1971年12月10日号

◆ラップ調のコールはもう飽きた ── 骨抜きにされた抵抗の志

昨夜からの国会前の様子が報じられる。ラップ調のコールはもう飽きた。彼ら彼女らに樺さんや永田さんらのような必死さは感じられない。異様に明るい。おそらく挫折感や敗北感もないだろう。辺見庸に「国会前で、ひとりふたり死にもせで、なにが共謀罪反対ですか、白菖蒲。」と揶揄されるのもむべなるかなだ。

1960年6月15日は、日本が敗戦から立ち直りながらも、アメリカとの同盟の下、アメリカのアジア侵略戦争擁護と支援(具体的には沖縄の侵略前線基地化)、ファシズムへの第一歩を記したメモリアル・デーだった。一女子学生を犠牲にしつつ(傷ついた人たちは数知れず)……。

時を越えて2017年6月15日は、多くの国民の犠牲と抵抗の中で70年間死守されてきた憲法の精神が殺されたメモリアル・デーといえよう。抵抗の志を骨抜きにされた「左派」や「リベラル」を自称他称する者も巻き込みながらファシズムの足音が響いてきた。次は何か? 言うまでもないだろう。

毎年この日、国会前では樺さんへの慰霊の集まりがなされているが、今年は行われたであろうか。樺さんは、黄泉の向こうで何を思うのか……。

最後に、私の先輩の作家Sさんが、若い頃に書いた短編小説の巻頭に記した一句を挙げておきたい。……

「しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま」

鹿砦社代表 松岡利康

6月15日発売『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

 

 

6月15日発売開始『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

◆繰り返される被曝事故と再稼働強行の最中で

6月6日、日本原子力研究開発機構(JAEA)「大洗研究開発センター」で核燃料の貯蔵容器を点検しようとしたところ、中にあった袋が破裂しプルトニウムを含む放射性物質の粉末が飛散し。作業員5人のうち4人が放射性物質を体内に取り込んで被曝。1人の肺からは2万2000ベクレルの放射性物質(プルトニウムと推測される)が検出される大事故が発生した。

2005年12月25日佐賀県主催のプルサーマル公開討論会で、東京大学工学系研究科システム創成学専攻教授の大橋弘忠(元東京電力社員)が「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と発言していたが、それに対して京都大学原子炉実験所助教(当時)の小出裕章さんが、「毒物は取り入れ方により毒性が変わります。プルトニウムの場合怖いのは鼻から呼吸で吸入する場合です」と指摘したうえで、具体的な数字をあげ、肺がん発生のリスクを説明している。

この映像は今回の事故に遭われた作業員の方には、充分に配慮して知って頂く必要がある。肺の中に呼吸により吸い込んでしまった2万2000ベクレルのプルトニウムが意味するところを、私はこれ以上明確に書くことができない。

これに先立つ5月17日関西電力は高浜原発の4号機を再稼働、「プルトニウム拡散事故」と同日には高浜原発3号機を再稼動した。1機の原発あたり過酷事故が起こる可能性は「2万年に一回」と主張していた推進派の定説からすれば、54機の原発を抱えるこの国での過酷事故確率は1/20000を54回足した割合であるはずだが、その数字は完全に机上の空論であることが、数々の事故という事実で証明されてしまった。

原発の過酷事故は多くの人の生活を奪う。わかった。しかし、原発で過酷事故が起こらなくても、核関連施設で少しの「手順間違い」があっただけで、現場の人々は生命の危険にさらされる。これが核の高毒性を示す明快な証拠だ。

◆特集は「暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪」

このように、またしても事故が繰り返されるなか、そして国会で「共謀罪」が強行採決されようとしている本日6月15日『NO NUKES voice』12号が発売となる。特集は「暗い時代の脱原発」だ。高浜原発再稼働の危機は、編集段階で視野に入っていたが、JAEAの事故など編集部が予想できるはずはない。特集では非常に厳しく冷徹な目前の現状を、多角的な視点から直視している。そこに希望はあるのか、打開策はあるのか。答えは本号をお読み頂き読者にご判断いただこう。

巻頭にご登場は、作家、編集者にして社会運動家でもある森まゆみさんだ。「私の《陣地戦》クロニクル」では、東京下町の魅力発掘から、日本中へ足を延ばし、さらには世界を広く「森まゆみ」の目から見てきたお話が繰り広げられる。シンプルにして実証的。そして現実に立脚した刺激に満ちている。

森まゆみさんが千駄木「記憶の蔵」で語る「私の《陣地戦》クロニクル」

 

 

  
◆泉田裕彦=前新潟県知事ロングインタビューと二人の元知事が語る対談「福島×新潟〈知事抹殺〉の真実」

森まゆみさんが、繰り出していただいた先制のジャブに連なるフックは前新潟県知事の泉田裕彦さんだ。新聞やテレビ画面の短い切り取りでは、決して伝わらない泉田さんの明晰さと穏やかなお人柄を余すところなくお伝えするインタビュー「日本はなぜ、事故検証と情報公開が徹底できないのか?」はもちろんだが、元福島県知事佐藤栄佐久さんとの対談「福島×新潟〈知事抹殺〉の真実」も極めて内容が濃密だ。短いセンテンスでは穏やかだが、総体で泉田さんの語ろうとしていることの真っ当でありながら、大胆な着眼点に読者は目を奪われるだろう。

本間龍さんの連載「原発プロパガンダとはなにか」、今号では「佐藤栄佐久知事と東電トラブル隠し」で元福島県知事佐藤さんを追い落とした広告戦略を解析する。

東電〈再稼働圧力〉を拒否し続けた泉田裕彦=前新潟県知事本誌独占インタビュー! 佐藤栄佐久=元福島県知事との公開対談「福島×新潟〈知事抹殺〉の真実」も同時掲載

◆「フェイクニュースでジャーナリズムは死んだのか?」(北村肇=『週刊金曜日』発行人)

次いで登場は『週刊金曜日』発行人の北村肇さんだ。左ストレートが炸裂する。論争盛んで右派からは叩かれることの多い『週刊金曜日』。多様な言論を目指し、異論を排さない点で鹿砦社や『NO NUKES voice』 と共通する方向性を持った雑誌発行にまつわる思想と、北村氏の現状認識に切り込んだインタビューは、闇の中に光のありかをさし示しているだろうか。

「フェイクニュースの時代は3.11を契機に到来した」(北村肇=『週刊金曜日』発行人)

 

 

  
◆山城博治さんに聞く、共謀罪を先取りする沖縄『見せしめ』弾圧

次いで浅野健一さんが不当長期勾留からようやく保釈された沖縄平和運動センター議長山城博治さんへのインタビューを中心に敵のパンチをかわし、クロスカウンターを見舞う。題して「保釈された沖縄の闘士、山城博治さんに聞く共謀罪を先取りする沖縄『見せしめ』弾圧」だ。本誌では10号でも逮捕前の山城さんへのインタビューを掲載したが、その後の弾圧について山城さんの厳しい指弾と警鐘を浅野さんが伝えている。

経産省前テント広場の三上治さんの「『いやな感じ』が増す日々の中で」と、本誌発行人、松岡利康の「ファシズムの足音が聞こえる」は、いずれも「もうあとがない」ロープを背にした体制からの起死回生を狙うアッパーカットだ。

時に怒り、時に踊る──山城博治=沖縄平和運動センター議長の抗い

◆原発社会を終わらせる──全編が全身全霊パンチの連打

後半戦は堅実なパンチを敵のボディーに集中する。山崎久隆さんの「朝鮮半島緊張と日米同盟 この道はいつか来た道 核施設を並べて戦争をするつもりか」、森山拓也さんの「改憲決定後も原発を拒否するトルコ・シノッブの人々」、中村順さんの「福島の土壌汚染を可視化する」、拙稿「4・27関電包囲全国集会と5・7高浜原発現地集会に参加して」、木村結さんは「反自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)がスタート」、納谷正基さんは「再考……『学校は、誰のために、何のために存在するのか?』着々と堅実なパンチで敵に反撃を浴びせ劣勢を挽回する。

ここで板坂剛さんが例によって変則パンチを試みる「Xジャンプが脱洗脳の合図に見える」は敵のあごにヒットするか?

日本ではほとんど報じられていないトルコ・シノッブでの反原発運動を気鋭のトルコ研究者、森山拓也さんが報告

 

 

  
脱原発・反原発は長期の闘いだが、『NO NUKES voice』 は毎号が勝負だ。判定などに持ち込めば負ける。KOしか狙わない。後半戦では秘策、書家の龍一郎さんに「希望の花―『黒檄展二〇一七』を終えて」でリングへ上がっていただく。日ごろ鹿砦社のロゴなどを手掛けている龍一郎さんは、知る人ぞ知る「ゲルニカ裁判」を闘った闘士でもあり、普段の優しい揮毫とは別人のように「非合法」スレスレのアンダーグラウンドパンチで敵の虚をつく。

伝説の書家、龍一郎さんによる「希望の花」と「黒檄展」

再び登場、松岡は「『季節』をめぐる奇妙な再会」で、『NO NUKES voice』発行後、何十年も通信がなかった人との再邂逅を紹介し、ゲリラ的連帯パンチを繰り出す。最後は全国からの運動報告で、ひとりひとりがメインイベンターになれるような有名どころが、入れ替わりリングに上がり、足を止めて敵に間隙を置かず小刻みなパンチを上下に散らしたところで、レフェリーが試合を止めた。

現実でわれわれは「勝利」できているとはいい難い。しかし本号にご登場、ご協力頂いたすべての方々のご尽力で『NO NUKES voice』12号は、言論においてはKO勝ちできたと編集部は振り返っている。決して慢心はせずに。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

6月15日発売開始『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

関電高浜原発ゲート前(2017年6月6日撮影=大宮浩平)

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

 

 

『NO NUKES voice』vol.12発行にあたって

ファシズムの足音が聞こえる! ―― 先月5月は、3日の憲法記念日に安倍首相の「新憲法2020年施行」発言に始まり、「現代の治安維持法」といわれる「共謀罪」衆議院通過→参議院審議開始、そして軌を一にするかのような高浜原発4号機再稼働と、安倍政権は一気に攻めてきました。

ご承知のように、安倍政権をめぐっては、当の安倍夫妻はじめスキャンダルがどんどん噴出しています。にもかかわらず、私たちの側は有効な反撃をできないでいます。

これだけ多くの問題が出てくれば、(昔はよかったなどとは言いませんが)かつてなら国会を取り巻く人たちの数は一桁違ったでしょうし、たちまち内閣総辞職でしょう。

思い返せば、この国は1960年、70年という〈二つの安保〉をめぐり国論が二分され反対派が敗北しつつも、底流として根強い抵抗意識と運動があり、これが日本国憲法を70年も守り権力の横暴を食い止めてきました。改憲のみならず原発についても、3・11以降数年間原発稼働なしの状態にしてきました。

しかし、あれだけの甚大な被害を起こし故郷を廃墟にしながら、ふたたび原発再稼働をするという愚が繰り返されつつあります。そうして「共謀罪」、改憲へとファシズムの足音が聞こえてきています。

世界に誇るべき日本国憲法70年――いわゆる「リベラル」とか「左派」といわれる人たちの中でも、うまく(ずるく)なしくずし的に改憲に方向転換しつつあります。情けない限りです。

私たちは、みずからの持ち場持ち場で、原発再稼働阻止、改憲阻止の闘いを頑固に持続していこうではありませんか!

ささやかながら本誌はそのための〈拠点〉としてあり続けます!

2017年6月『NO NUKES voice』編集委員会

6月15日発売開始『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

 

 

  
毎日のように本コラム、並びにデジタル鹿砦社通信のツイッターアカウントをご覧頂いただいている読者の皆さんは数日前に、このアカウントが不思議な挙動をしていることにお気づきになっただろうか。

実はこのアカウントは一時的にツイッター社から凍結されていたのだ。

 

◆一時凍結された理由は明らかだ

何が原因で一時的とはいえ、凍結されるはめになったのか。理由は明らかだろう。6月8日に本コラムで掲載した「鹿砦社特別取材班は孤軍奮闘する香山リカに敬意を払う!」に対して香山が「私の自宅ってどこ? 本宅とか別宅とか海外拠点とか色々あるのでねー。どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」と送付先を書き込むことを求めてきたので、それに応じて書籍の送付先を書き込んだまでである。

ここは再度強調しておくが、香山は著名な精神科医であり、立教大学教授。そして昨今はネットのみならず各種メディアに頻繁に登場する「言論人」である。つまり香山は公人とまでは言えずとも準公人であることは間違いない。その香山から「どこに送付したのか、ちょっと書いてみては?」と依頼を受け、それに誠実に答えたことが、「Twitterルール違反」だったというのだ。

常々われわれ取材班は「SNSを主戦場にしない」、「Twitterは私企業に過ぎないからその判断を過剰に信じることは危険である」ことを認識して発信を行ってきた。よって今回の一時凍結劇にも、さほどの驚きはない。

◆「おとり捜査」かのような展開

しかし、である。「書いてみては?」と求められて「書いたら」それが凍結の原因とされるのは「おとり捜査」か「罠(わな)」のような展開だ。軽挙妄動の過ぎる香山であるので、最低限の「対応」をしたまでである。しかし、その後メールをよこした香山の代理人である神原元弁護士の対応は見事に素早かった。ここに再度、神原と松岡のやり取りをご覧いただこう。

 

 

 

神原は「氏名、住所、電話番号及び(中略)これが開示されると、当該個人に心理的な負担や不安を覚えさせるなどのため、みだりに開示されることを欲しないであろう情報」(東京高裁平成14年1月16日判決)の判例に依拠し「当該ツイートを直ちに削除されるようお願いします」と依頼しているが、この判例では「みだりに開示されることを欲しない」との前提が明示されている。

香山はどうであろうか。「どこに送付したのか、ちょっと書いてみては?」この表現は、むしろ「開示を求める意思の表明」と解釈されるのが通常の言語感覚ではないだろうか。われわれの日本語感覚はおかしいだろうか?

鹿砦社は過去幾多の訴訟を経験している。原告、被告双方の立場から民事事件は数えきれないほどの裁判を闘ってきた。名誉毀損で松岡は被告人にされ192日も勾留されたこともある。それらの経験から、われわれには、みすみす敗訴するような名誉毀損などは避ける本能が身についている(しかし、許すことのできない社会的大罪者の場合はこの限りではない)。当該の香山には申し訳ないが、香山リカは鹿砦社がそこまでのリスクを冒すほどの「大物」ではない。

コラムを書けば「ああだの、こうだの」とツイッターで揶揄してくるので、それに応じた対処をしただけのことだ。重ねて断言するが香山が求めなければ、献本の送付先を公開する予定など全くなかった。1日ツイッターが凍結されたことはいい迷惑ではあったが、上記画像にある「無量光」という人物をはじめ、多くのしばき隊コマンドが、ツイッター社に一方的な通報を行ったのであろう。

◆予期せぬ副産物──神原元弁護士には感謝する

おかげで、予期せぬ副産物をわれわれは入手することができた。それは神原弁護士が松岡に寄せたメール文章の中に鍵がある。この判例を援用すれば「氏名」も「みだりに開示されることを欲しない情報」だという。これはツイッター社のルールではなく法律の解釈だ。ならばリンチ被害者「M君」が猛烈な個人情報さらしにあった件にも同様にこの判例は適用されるだろう。詳細は法廷闘争の方針上述べないが、神原元弁護士には貴重な情報を提供してくれたことを感謝する。

最後に。鹿砦社並びに、取材班はツールとしてツイッターを利用しているが、それに寄りかかっているわけではない。ツイッターが生まれるはるか昔から鹿砦社は出版活動を行っていたのであって、1日中スマートフォンやパソコンに向かっていないと「不安」を感じる精神状態とわれわれは無縁だ。

議論は正々堂々と交そうではないか。われわれは引き続き原則的に闘うことを再度宣言する。

(鹿砦社特別取材班)

本日発売!『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。

AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

 

 
朝日新聞が6月5日、「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」という社説 を掲載した。この社説に鹿砦社特別取材班は「総論反対」「各論もほぼ反対」であるので、以下、逐語的に徹底反論を試みる。

◆「ヘイトスピーチ対策法」は国会内の質疑に適用されるのか?

まず指摘するのは、前提となっている「ヘイトスピーチ対策法」を何の警戒心もなく、肯定的に捉えている報道機関としての呆け振りである。

ヘイトスピーチが減少していることは好ましい。それに異議はない。しかし「ヘイトスピーチ対策法」は、足音が近づく「共謀罪」と合わせれば、恐るべき「言論弾圧法」への「地獄の扉」に変容することは明らかだ。その観点が全くない。

『人権と暴力の深層』のインタビューの中で、作家の中沢けいが語っているように、言論の内容を判断の対象としている法律は「わいせつ罪」と「ヘイトスピーチ対策法」だ。それから中沢は言及していないけれども「破壊活動防止法」(破防法)の個人適用の際にも言論内容が根拠とされたことがある。

これらの法律が適用されるのはほぼすべての国土であるが、「ヘイトスピーチ対策法」は国会内の質疑に適用されるだろうか。ここのところ熱心な差別売り物議員は、与党席に座っているのでおとなしいが、西田昌司をはじめとする「確信的差別主義者」だ。彼らは野党時代、どれほど聞くに堪えない民族差別を怒鳴りまくっていたことか。

その西田昌司が「ヘイトスピーチ対策法」立法化に向け有田芳生と握手をした、あの光景の背後に「言論弾圧」の文字が漂っているのを見抜けないようでは、社会観察者としては失格である。

◆「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」は国ぐるみのヘイトではないのか?

また、この国は毎年、毎年12月10日から16日まで「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」なる、「国ぐるみで特定の国を指弾(差別)」する啓発を行っている。政府が旗振りをするこのような特定国への執拗ともいえるレッテル張りが、在日朝鮮国籍の方々への偏見を助長することはないのか(付言すれば差別者には北も南も関係なく朝鮮民族全体を差別の対象とするものがほとんどであるので、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」は政府による「差別助長行為」だ)。

「人権問題啓発」というなら世界中の人権問題を平等に扱わなければ、国家としては不平等じゃないか。ロシアの「チェチェン共和国イジメ」や、イラン、イラク、トルコの「クルド人イジメ」。そして米国によるアフガニスタン、イラクへの一方的侵略。国が国を、民族を抑圧して、殺している姿は何年もわれわれの世界にあるじゃないか。

距離が近い、遠いの問題ではない。「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」はこの国による明らかな「ヘイト」じゃないのか。なぜ誰も「政府官製差別」を問題にしないのだ。否、腹黒い奴らは、「問題にしないことにより矮小化された小情況の中での差別を温存したい」と考えているのかもしれない。

拉致被害者を取り戻す気など、さらさらないのに胸に青バッチをつけている連中は、全員付和雷同の「国家的差別賛同者」とみなしてよいだろう。

前置きが長くなったが本論だ。以下、朝日の記事に沿って反論を試みよう。

--------------------------------

◆本当に「ヘイトスピーチ対策法」の成果なのか?

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

そうだろうか。まかり間違っても私は「ヘイトスピーチ」に賛同しないが、裁判所が仮処分の決定を出した人物は、かなりの「確信犯」のようだ。理念法ができたから裁判所で仮処分が出たのだろうか。

むしろこれまで警察や裁判所が「確信的差別常連者」を放置してきたことの裏返しではないのか。現行法でも乱暴な差別行為は「脅迫」でいくらでも検挙できたじゃないか。

◆なぜ、民団や総連でなく「コリアNGOセンター」なのか?

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

どうしてここで唐突に「大阪のNPO法人・コリアNGOセンター」が登場するのだろうか。在日コリアンのコミュニティーの団体としては「民団」や「総連」がある。嫌がらせの数だって「コリアNGOセンター」の比ではないだろう。

民間にある在日コリアの団体の代表として取り上げているつもりであるならば、朝日社説の執筆者は、「コリアNGOセンター」が「M君リンチ事件」の隠ぺい工作に深く関与し、M君が李信恵をはじめ5名を訴えている裁判に「被告側」から証拠を提出している団体であることにも言及せねば不平等である。

「コリアNGOセンター」は民族文化・教育をする団体であると同時に、リンチ事件隠ぺいに組織ぐるみで関与し、現在も被告の側を支援している団体である。

◆なぜ、ここで「フリーライターの李信恵(リシネ)さん」なのか?

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

またしても、どうして李信恵なのだ! なにも差別について語っている在日コリアンは李信恵ひとりではあるまい。李信恵の語る「差別論」や彼女の行動、あるいは人格が破格に秀でていると朝日新聞は評価するのか? 

さらに李信恵の言動に「在日コリアン」を代表されるかのごとき報道は迷惑だ、と断言する在日コリアンをわれわれはたくさん知っている。それはそうだろう。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この耐えがたき矛盾。
[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]

「コリアNGOセンター」と李信恵という「M君リンチ事件」に関しては最悪のコンビを登場させ、「ヘイトスピーチ対策法」成立を語らせることは、まじめに生きる在日コリアンの方々に対する侮辱ではないか。

◆朝日がすべきことは権力拡大を求めることではないはずだ

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

右翼からは「左翼」扱いされる朝日新聞が、ここまで無防備に国家権力や地方行政権力の拡大を積極的に求めるのだ。「法」や「制度」、「政策」で差別が根絶できると思っているのなら、朝日新聞はまず「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」について論評や批判キャンペーンをしてみろ。

◆大阪市のヘイトスピーチ抑止条例は先行事例か?

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

 

 

 
その大阪で抑止条例を作ったのは誰だ? 橋下を中心とする維新が中心にいたんじゃないのか。大阪人はイマジネーションがわかないか? 今年の秋久々に阪神が優勝して道頓堀に酔狂が何人も飛び込む乱痴気騒ぎもいいけれども、維新勢力によりどんどん進められる「浪速の管理強化」に。

連中は住民投票で否決された「大阪都構想」をまだあきらめず、粘土をこねくり回すようにあれこれ言い訳をしながら、駄々っ子のようにまだあきらめていない。そういう連中の「目くらまし」、「点数稼ぎ」にやすやすと騙されてどうする!

◆結語がそうであれば、朝日新聞は「M君リンチ事件」も報じるべきだ

朝日新聞 社説「ヘイト対策 根絶へさらに歩みを」(2017年6月5日)より

結語としてはめ込められた内容と方向性、さらには確信を全く感じることができない「当たり障り」のない文章=無意味である。あえて言えば「一人ひとりが、M君のようなリンチにあったらどう感じるか」と換言すれば多少の問題提起にはなろう。

--------------------------------

◆「M君リンチ事件」に関わった李信恵とコリアNGOセンターを「被害者」として社説で取り上げたのは偶然なのか?

この社説を、敢えて表現するならば「言論における道義上犯罪」である。実売部数数百万部の新聞が、国による言論弾圧強化を歓迎し、その話の余談として「M君リンチ事件」に直接かかわった李信恵と「コリアNGOセンター」を「被害者」として取り上げる。偶然ではあるまい。ここにあるのは無知か、あるいは相当高度な政治判断のいずれだろうと考えざるを得ない。

だからなのだろうか。これほど大事件の被害者が大メディアではまったく扱われず、鹿砦社しか扱わない。「背後に大きな闇を感じる」は言い過ぎか。

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。

AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

賭け屋の怒号が飛び交うバンコク・ラジャダムナンスタジアム2階席

ワイクルーを踊るT-98

5月25日(木)、タイ・バンコクのラジャダムナンスタジアムでスーパーウェルター級王座2度目の防衛戦に臨んだT-98(=今村卓也)は戦略通じず大差判定負け。

◆タイ国ラジャダムナンスタジアム・スーパーウェルター級タイトルマッチ(154LBS) 5回戦

チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺/69.85kg)
VS
同級9位.シップムーン・シットチェフブンタム(タイ/69.85kg)
勝者:シップムーン・シットチェフブンタム
判定:0-3 (47-50. 47-50. 47-50)

3R。シップムーンの左ミドルキックは最も脅威

3R。シップムーンは攻めさせておいて強烈な左ミドルキックを放つ

3R。動きを止めたいT98、前回のようにいかないもどかしさ。

◆厳しい洗礼のラジャダムナン王座

T-98は昨年6月1日、REBELS興行でチャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に判定勝ちし王座奪取。同年10月9日、現地ラジャダムナンスタジアムにて初防衛戦を行ない、プーム・アンスクンビットを3R・TKOで倒し、初防衛に成功しています。

今回の挑戦者、シップムーンは昨年10月の新日本キックボクシング協会MAGNUM興行で、緑川創(藤本)と対戦し引分けている選手で、実力は測れている選手でしたが、本場のリングに上がれば相手の本気度が違ってきます。

T-98は初防衛戦のように1ラウンドからプレッシャーをかけ前進。ロープ際に詰めれば右ローキック、右ストレートとダメージを与えていく戦法も、シップムーンは自分の距離感を掴んで巧みにかわし、T-98は大きなダメージを与えられない流れが続き、重要なポイントとなる3ラウンド以降はT-98が追う形は変わらずも、シップムーンはロープ際に詰まりながらも的確に返す左ミドルキックが有効的に決まる。T-98のローキックも単発でシップムーンのペースを崩せず大差が付いてしまいました。

先日の梅野源治に続いてT-98も大差を付けられる敗戦。賭けの対象となる接戦の展開が多いムエタイで、チャンピオンが大差を付けられる展開は、厳しい本場ムエタイの洗礼を受けた防衛戦となりました。

2010年以降、本場ムエタイ最高峰の外国人の王座奪取が増えた感じでしたが、王座を獲ることは出来ても防衛を重ねることの難しい展開が続いています。

今回、久しぶりに現地撮影を行ない、現場の雰囲気や関係者の話で感じたことは、半年以内の防衛義務を果たしつつ、1年以上の王座保持はより難しいと思えたことでした。単に「強豪揃いの中では、連続防衛は難しい」というだけでなく、興行の裏側にはプロモーターのサジ加減が在り、1年も経った頃、「そろそろ王座を返して貰うよ」と言わんばかりのちょっと厄介なテクニシャンを当ててくる。そんな厳しい印象を受けました。

3R。パンチで攻めるT-98

3R。ブロックの上からでも蹴ってくる

4R。蹴っても次に繋がらない

4R。ブロックしても蹴られ続けては腕も殺されてしまう

ムエタイ最高峰に挑戦するだけでも大変な道程ですが、王座奪取したとしてもそれが日本で獲っただけではファンが認めない第三者の厳しい目があるのも事実で、現地の賭け屋の群集の厳しい目で見られ、支持を受けてこそ本物と言われる難問は、更に高いレベルにあることを感じたラジャダムナンスタジアムでした。

休む間も少ないT-98は6月17日に「KNOCK OUT」興行出場があり、71.0㎏契約5回戦で、ISKA世界ライトミドル級チャンピオン.廣虎(ワイルドシーサー群馬)との試合が組まれています。

梅野源治とともに、二人ともモチベーションは落ちることなく、再起を誓っている現在、再びラジャダムナンスタジアムのリングにチャンピオンとして立つことへのファンの期待も大きいところでしょう。

5R。T-98が蹴りで反撃ももう時間が無い第5ラウンド

5R。終了間際の右ストレート、時間が足りなかった

《取材戦記》

2000年の新日本キックボクシング協会が敢行した「Fight to MuayThai」以来のラジャダムナンスタジアムを訪れました。外観は特に変化はありませんが、館内は映像で見たことあるとおり、リング上の照明設備が以前の白熱灯からLED照明へ明るく変わり、高感度フィルムでもキツかった頃から比べ、デジタルカメラの性能向上もあり、高感度撮影でも楽に綺麗に撮れる撮影となりました。

リング周りも幅広すぎるプラットホーム(エプロン上、ロープから縁)に昔は足まで乗っかり、うつ伏せに這いつくばって撮っていましたが、今はプラットホームは昔ほどではない幅で、私のように足が短いと苦しいですが、背丈170センチもある人なら乗り出して何とか撮れる範囲。

しかし撮影場所の範囲が狭いようで、私が撮影に入れない場合は現地の知人カメラマンに頼むつもりも、その人と、現地で在住する早田寛カメラマンや昔知っていたカメラマンも私に気付いてくれて、互いに老けて気が付くのに時間が掛かったが「大丈夫だ、ここに居ろ」とみんなで指示してくれる有難さ。

賭け屋は昔と変わらない怒号のような歓声が場内を盛り上げていましたが、T-98の試合はメインイベント後の試合となる第8試合で、この日の観衆は結構残っていました。通常は観衆も帰りつつある中で、これがタイトルマッチであっても層の薄いクラスの無名選手の立場でもありました(5月17日の梅野源治の初防衛戦は第7試合のメインイベントでした)。

今後またラジャダムナンスタジアムに行けることがあれば、日本人絡みのメインイベントのタイトルマッチに出会いたいものです。

相手ペースにはまったキツかった試合、悔しさより苦しさが滲み出た表情

ラジャダムナンスタジアム外観。ビッグマッチの日は人で車道が占領されるほど

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

« 次の記事を読む前の記事を読む »