自宅で仕事をしていると、鹿砦社の編集者から「塩見さんが亡くなりましたので、往時の写真をお送りします」とのメールが入ってきた。送信いただいた方の名前も書かずに「え!うそでしょ!」とだけ書いて瞬時に返信してしまった。

◆塩見さんと鹿砦社『革命バカ一代 駐車場日記』

私は格別塩見さんと親しかったわけではない。お会いしたのは数回だったろう。初めてお会いしたとき、書籍や映画の中でしか知らなかった塩見さんは既に老境の域に入ってはいたが、相変わらず「革命」というべきか「社会変革」と表現すべきか、ともかく「何か」を指向する情熱は衰えていなかった。

ある宴席で「おい田所、タバコ1本くれよ」と言われ、一本進呈し、私がマッチで塩見さんのタバコに火をつけている写真が残っている。残念ながら読者諸氏には個人的(身体障害)理由で拙顔をご覧頂きたくないので、その写真掲載できないが、代わりに(と言っては失礼に過ぎるが)鹿砦社社長・松岡氏との写真をご覧頂こう。

塩見孝也さんと松岡利康(鹿砦社社長)

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

鹿砦社は塩見さんの著書『革命バカ一代 駐車場日記』を出版している。長期の服役後労働の現場を初めて経験した塩見さんの穏やかな日記帳のような現状報告だ。

◆まだ時代は若者が夢を見ることを許していた

ご本人にお会いする前、私にとっての塩見孝也のイメージは『宿命』(新潮社、高沢皓司)に登場する赤軍(派)議長としての「塩見孝也」であった。『宿命』は明らかに公安筋からの情報提供が多数含まれるなど、内容に数々の問題が指摘される作品であるが、『宿命』の冒頭でのちに「よど号ハイジャック」として世界を震撼せしめた計画を議論する、都内のある喫茶店での塩見さんの描写には、多くの先輩から聞いていた塩見さんの人物像が重なった。

また若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』に登場する塩見さんのイメージ(この映画の塩見さんや田宮高麿氏の配役はかなりミスキャストではあるが)も彼の人柄や思想を想像させる材料となっていた。

砂漠のように干からびた80年代に大学生としての時間を過ごしたものとしては、塩見さんに限らず、名のある闘士や活動家だけではなく、市井の若者が煮えたぎる思いを行動と直結することのできた「時代」が心底羨ましかった。『宿命』のなかには、

「まだ時代は若者が夢を見ることを許していた」

と、その後の時代を冷徹に突き放したフレーズがある。砂を噛みしめるような思いで過ごした80年代の不毛を見事に言い当てている。あのとき砂を噛んでいた私感と共振する。

以下は1969年8月に結成された赤軍(派)が同年9月3日に発した「世界革命戦争宣言」である。

ブルジョアジー諸君!
我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、
ここに公然と宣戦を布告するものである。
君たちの歴史的罪状は、もうわかりすぎているのだ。
君たちの歴史は血塗られた歴史である。
君たち同士の間での世界的強盗戦争のために、
我々の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、
あげくの果ては、がっぽりともうけているのだ。
我々はもう、そそのかされ、だまされはしない。
君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、
我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺害し
ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、
我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ドゴールを殺し、
ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君たちの家々を 爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、
我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある。
  
君たちの時代は終りなのだ。
我々は地球上から階級戦争をなくすための最後の戦争のために、
即ち世界革命戦争の勝利のために、
君たちをこの世から抹殺するために、最後まで戦い抜く。
我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。
君たちは殺されるのがいやなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、後ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔する奴は、
誰でも容赦なく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
世界革命戦争宣言をここに発する

塩見孝也『赤軍派始末記―元議長が語る40年』(彩流社2009年)

「まあ、なんと過激な」とそっけない反応が返ってくることは百も承知だ。「過渡期世界論」や上記の「世界革命戦争宣言」だって「世界」を知らないが故に「暴走」できた理論的には穴だらけのマニフェストと言われても仕方あるまい。それはわかる。

それでも「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」、「君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある」は法外な宣言であろうか?

このマニフェストを書いたのは塩見さんではないが、私は上記の引用は根源的には今日でも有効性を失なっていないと思う。

「やられたらやり返せ」との対等の関係ではない。巨大権力や国家が弱小国家に「戦争」を仕向けるとき、弱小国家は「問題は話し合いで解決しましょう」などという「正しい」論理で地域紛争や、侵略は公平・公正に解決されたのか? ベトナム戦争に米国が敗北したのは、とりもなおさず「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」が実践されたからではないのか。

◆ロシア革命から100年の年に「日本のレーニン」逝く

私は赤軍派でもなければ、どの党派に所属したこともない。学校で強制されるクラブ活動にすら嫌悪観を抱く人間だから、到底「綱領」のある組織などには所属できない。

しかし、塩見さんの生きざまには多くの苦渋や、過ち、辛酸もあろうが、獲得すべき目的を確信し行動した、清々しさを感じる。塩見さんと親しかった先輩は大勢の中では自己の運動について全くと言っていいほど語らなかった。それほどの「負債」があったのだろう。

戦果を派手に宣伝するのは本当の「闘士」ではない。「闘士」は必ず人には語り得ぬ「重荷」を背負っている。これは経験的に確信できる。その点塩見さんは突き抜けていたのかもしれない。なにせ「日本のレーニン」だったのだから。ロシア革命から100年の年に逝去された塩見さん、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)