「暴露本出版社」の魂、いまだ死なず!「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」松岡の意地 鹿砦社特別取材班

 
M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』

『真実と暴力の隠蔽』――M君リンチ事件関連出版物第5弾にして、最大級の衝撃を巻き起こしたことは間違いないだろう。発売から1カ月を経るも、いまだに松岡や取材班への電話での問い合わせはひきも切らず、新たな“タレコミ”や“暴露”情報も相次いでいる。その中には『真実と暴力の隠蔽』で放った各種兵器の破壊力を凌駕する情報も含まれ、「取り扱い注意」情報がまたしても取材班に蓄積することになった。

そもそもM君リンチ事件関連の出版は、あくまで「事実解明」、「真実の追及」を目指し、手探りの中で始まった。出版物には掲載されなかった「空振り」や、思わぬ「落とし穴」、あるいは度重なる「背信行為」に取材班は相当数直面してきた。しかしそれらは、一時的に取材班を落胆させ、意欲の低下を招くことはあっても、根本的な動機の低下には繋がらなかった。なぜか? 今だから自己解析できるのだが、それはトップの松岡に漲(みなぎ)るエネルギーに起因していたのではないかと思われる。

松岡はM君リンチ事件について、原則的な立場からM君の支援を行うとともに、取材班全体の指揮を執っている。

「Aさん。岸政彦に突撃お願いします」

松岡の指示は必ずすべてが敬語だ。しかし敬語だからと言って内容が穏やかであるとは限らない。取材班は松岡から指示を受ければ「社長それはちょっと……」と断ることはできない。松岡の物言いが威圧的なのではない。逆に穏やかな物言いに知らず知らずのうちに現場へと足を向けるのであった。東京で、関西で、沖縄で……。直撃に当たった取材班は現場では松岡の本性に触れることになる。たとえば沖縄で取材班が香山リカと安田浩一の2ショットを抑えたとき、電話で松岡に報告を入れると、「野間もいるらしいじゃないですか。香山、安田、野間の3ショットもお願いします」とまたしても穏やかな敬語で、しかし厳しい指令が下る(この時はあいにく3ショットを収められなかった)。東京で数日にわたり有田芳生参議院議員に張り付き、失敗したときは、「なにやってるんだ!」と珍しくイラついた声が浴びせられた。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

まだ20世紀の最終盤、世間では「2000年問題」(1999年から2000年に年号が変わることにより、コンピューターが大規模な誤作動を起こさないか、という懸念)が、賑やかに語られるようになったころ、鹿砦社は天下に名の知れた「暴露本出版社」であった。ジャニーズ事務所、宝塚歌劇団など大きな相手に、たかが数人の出版社が、挑んでいた。背後にスポンサーや政治家の力があるわけでもなく、時代に逆行するかのように、ひたすら“突撃”あるのみで、巨大な勢力の闇にぶつかっていた。そこで生み出された手法が、鹿砦社の伝統となる「暴露」魂である。

ジャニーズ事務所に卑怯な手を取られたことに怒った松岡は、あろうことか「芸能人にプライバシーはない!」と豪語し、なんとジャニーズタレントのかなり多数の自宅を調べ上げ、その住所(町名まで)、自宅写真と自宅地図をまとめて『ジャニーズおっかけマップ』として出版し、世間を驚かせたことは有名な話だ。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

さらに3.11以降、東電幹部や原発信奉学者らに対しても同様なことをやっている。松岡という男は、見るからに好々爺然としているが、ここまでやる男だ。今でも時に松岡は「私はジャーナリストではありません。所詮“暴露本屋”の親父ですから」とみずからを自嘲気味に語ることがある。取材班の数名は、M君リンチ事件解明の取材にあたるなかで、当初この言葉にやや違和感を覚えていた。「暴露本ちゃうやろ。これはルポやで、少なくとも」そう仲間内で語る記者もいた。

『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)では福島第一原発事故当時の東電会長、勝俣恒久を直撃インタビュー!
『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)P.100より


『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』鹿砦社

たしかに「生き馬の目を抜く」といわれる芸能界や、警察癒着と闇世界が隣り合うパチンコ業界相手のかつての「全面戦争」に比べれば、清義明氏がくだんの座談会でいみじくも言うように「相手は小さい」かもしれない。しかし、時代が違う。取材班も痛感することとなる、マスメディアの凋落の激しさと、“隠蔽工作”に関わる弁護士、知識人、学者らの結託。これらを打ち破るには、今日常識的な取材や出版を行っていても、社会に訴求しないことを思い知らされた。つまり何らかの“爆弾”を搭載した出版でない限り、このような問題に、社会は興味を持たない時代であることを!

そして次第に、取材班は“隠蔽”との闘いがすなわち“暴露”でしかありえないことを体感することとなった。偽善、欺瞞に満ちた唾棄すべき“隠蔽”工作関係者に事実を突きつけて「あんたはどうなんだ?」と問い質す。この手法を「踏み絵を踏ますようだ」と批判された方がいる。そうだ。その通りである。明らかな事件隠蔽の事実を示して「どう思うか」は人間としての良心があるのかないのか、“隠蔽”に加担しているのか、していないのかを確かめる行為に他ならない。

注視されるべきは、そこまで事実を突きつけても、「知らない」、「なんとも思わない」とシラを切り続ける冷血漢が少なくないことである。否、われわれの取材に真摯な回答を返して下さった方は、例外的少数でしかない。その例外的少数の中に木下ちがや氏も含まれるはずであった。しかしどうしたことであろうか。松岡が隠密裏に実行した清義明氏との座談会では、あれほど多弁で(『真実と暴力の隠蔽』に掲載したのは全座談会の3分の1にも満たない。木下氏は終始一貫同様の内容を語っている)あったにもかかわらず、「査問」を受けたのか、脅されたのか?今日木下氏は掌を返し、あたかも鹿砦社が、悪徳出版社であるかのような断定をしている。いいかげんにせんとあかんわ。木下氏は、事前ゲラチェックを求められなかったとはいえ、自分の発言には責任を持たないといけない。まだ間に合う。もういちど掌を返し直していただきたい。

「なめたらあかんぞ!」と木下氏には再度忠告しておくが、それでも取材に応じてくださった恩義もある。今回取材班は木下氏を斬らない。しかし、松岡が木下氏、清氏との座談会を終え、帰社した時点で木下氏の運命は決していたということであろうか。断っておくが松岡は一切誘導質問や無理やり論旨を曲げてはいない。木下氏は誰に促されることもなく、みずから能弁に語り、みずからの論を展開しているだけである。しかし、その発言は編集段階から木下氏の今日の運命を、予想させるに十分であった。

われわれは木下氏の発言を1文字も曲げずに出版した。われわれが木下氏を批判、糾弾するはずがない。しかし”連中“は、黙ってはいないであろう。M君が金銭疑惑を語った行為への返答が「半殺しの報い」であれば、木下氏へも相当な攻撃が行われるであろうことは、“連中”の行動を観察していれば、予想できた。それは、木下氏自身が最もよく知っているだろう。そして内々からのリアクションの厳しさも――。真の<知識人>とは、それでも自らの意見を貫く人のことをいうのではないのか!?

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

「鹿砦社は木下氏に冷たくないか?」との疑問が聞こえてきそうだ。違う。木下氏は嘘も張ったりも語っていない。木下氏が考える視点は極めて示唆に富み的を射ている。その着眼点は、取材班のものではなく、木下氏のものだ。そしてなにより、木下氏の主張は「真っ当」なのだ。こういう意見を汲まないと問題は解決しない。木下氏の意見に、「やっこさんもやるじゃないか」――われわれは本件リンチ事件解決への光明を見たと言っても過言ではない。だが、木下氏が掌を返し屈したことで問題解決への途からまた後退した。

真っ当な主張をして、その意見が踏みつぶされ、口を封じられるのであれば、それはどんな社会だろうか。学者として木下氏にはその「現実」に直目したとき、「屈する」道を選んだ。松岡には悪いが、実は木下氏のこれまでの主張からすれば、そうなるであろうことも取材班には予感があった。残念ながら予感は的中した。声を荒げるでも、激論を交わすでもなく、「好々爺」松岡(合田夏樹氏の評)が、これまで培った感性で実現した座談会。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(元鹿砦社社員藤井正美の評)は、真実を追おうとする中で、図らずも木下氏が持論を展開した。結果的にはそれが重大事実の“暴露”となったのが皮肉な帰結である。歴史はアイロニカルで時に非情である。

鹿砦社代表・松岡利康

鹿砦社特別取材班

 

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す