メコン河に佇む藤川さん

◆旅の関門、宿泊地と飯確保

ノンカイ駅に到着後、新たな展開が待ち受けるワット(寺)・ミーチャイ・トゥンに向かいました。

庭に居た若い比丘に尋ねると和尚さんは留守で、駅前で聞こえていたニーモン(比丘を招く寄進)先に行っている様子でした。

そしてこの若い比丘がクティの御自分の部屋に招いてくれて、コーヒーを入れてくれました。どこから来たか、これからどこへ向かうか旅の目的を話していると、この比丘の部屋はキレイに整理整頓が行き届いており、突然の来客があっても恥ずかしくない部屋で、勉強した後のような雰囲気に気が付きます。昔の私の実家の部屋のような、新品の辞書の上に埃が被っているようなことのない、読んだ本が積んであっても日々活かされている匂いがありました。

着いたばかりの我々に出されたコーヒーに癒される寛ぎ。インスタントコーヒーでも、こんなに落ち着かせてくれるものかと初めて思う味わい。

このノンカイは以前、藤川さんが巡礼の旅で立ち寄った際のこと、「三輪タクシーの運ちゃんに“この辺でいちばん修行が楽な寺はどこや?”って聞いたら連れて来られたのがこの寺やった」と言う。

訪れたワット・ミーチャイ・トゥンの比丘と早速のスナップショット

若い比丘ばかり、デックワットも素直そう

やがてその和尚さんが帰って来た様子。早速、藤川さんと和尚さんの別棟クティに行き、三拝して自己紹介と旅の目的を言い「泊めてください」とお願いをします。我が寺の和尚より年上と見えるこの寺の和尚さんは、良いも悪いも無く、すぐに2階の結構広くキレイな部屋へ入れてくれました。

以前、藤川さんが「タイで一旦出家すれば格式高い修行寺でも基本的には泊まれる。タイの中ならどこへ旅行しても寺で泊まるのと食費はタダ。交通費も飛行機を使わない限りは殆どタダ。女と酒さえ我慢すればこれほど良いものは無い。坊主三日やったら止められへん!」と冗談含めた笑い話を聞いているが、真面目な話、本当に泊まれるのである。

クティ2階から見た庭の風景

大通りから路地に入るところの案内板

この日、朝飯は摂れず、ここで昼飯食えなかったらかなり苦しい。11時回って藤川さんが「飯無いのかな」と外へ様子を見に行くと、「あるみたいやからスプーンとフォーク持って行こ!」と戻って言われて一緒にサーラーに向かうと、テーブル3つほどあり、12~13僧が居る中、その一つに招かれました。

貧困のイサーン(東北)地方と言われる割には、カオニィアオ(もち米)と惣菜も充分にあり、普通の白米もありました。藤川さんが遠慮なく食べるから、私も腹減っていてガツガツ食ってしまう。他の比丘は静かに少しずつ食べているのに、我々が卑しい感じで恥ずかしい。

昼飯後の読経はタムケーウ寺と同じだが、イントネーションが違う。読経にも地方訛りや指導の違いがあるのだろう。

◆早速、ノンカイを歩く

昼飯後、クティに戻り、とりあえず今日は安泰と思ってゆっくり休んでいると、
「今日のこの寺の行事は無さそうやから、外出しよう」と言う藤川さん。旅に出たら何でも見ておこうという探究心旺盛な人らしい言葉。

それで午後2時過ぎになって外出します。藤川さんは「ラオスで泊まる寺を紹介してくれる、寺の和尚に会いに行くんや」と言う。それは藤川さんが「ここも過去に訪れた」と言う、道路を挟んだ向かい側にあるワット・ミーチャイ・ターでした。行ってみると大きなメコン河が見える。この寺のミーチャイター寺の和尚さんは留守で「“ローングリアンプラ”(比丘の学校)に行っている」という若い比丘。

ター・サデット市場を歩く藤川さん

河沿いで1kmほど先の対岸を眺め、やがて向かうラオスを想った後、そのローングリアンプラで講師を務めているらしい和尚さんに会いに、三輪タクシーで中心街となる方向へ向かいます。2ヶ月前、ムエタイが行なわれたサッカー競技場の前を通ると、ここで伊達秀騎が試合したのかと想うと、あの頃が懐かしいやら切ないやら。その後、メコン河沿いのラオスに渡る船着場に着いて周囲を散策。新世界紀行で出家した由井太さんと加山至さんがノンカイで還俗し、ラオスに渡ったのは、このイミグレーションを経て船に乗ったのだろうか。或いは全く別の場所だろうかと想いに耽けます。

この後、結構賑やかなター・サデット市場を覗きました。日用雑貨でも何でも売っている市場に、日本の有名なお菓子も売っていて「どこから仕入れて来るんやろう」という視点の藤川さん。

また更に歩いてローングリアンプラに着くと、校庭を掃き掃除していた学生比丘(高校生ほどの少年僧)はさっきの寺に居た奴だったが、「和尚さんはもう帰りました」と言う返答。寄り道しているから擦れ違いとなったようだ。

街の佇まいをゆっくり歩いて見ようということになって三輪タクシーには乗らず、河沿いのワット・ミーチャイ・ターへ戻ります。その途中、夕陽を浴びながらまた藤川節で、
「人はそれぞれ太陽の上るところ、沈むところを見ながら育ったいろいろな環境あるから皆、そこから人のものの考え方が育って来たんじゃないか。これ調べたら面白いぞ。統計取ったら何か分かることあるはずや」と言う。なるほどなあと思う。次から次と発想力が凄い藤川さん。

船着場のイミグレーション前にて

◆ノンカイで二つ目の寺の和尚さんに会う!

先ほど寄ったワット・ミーチャイ・ターに着く頃にはもう薄暗くなっていました。若い比丘やネーン(少年僧)もいっぱい居て、ここの和尚さんの部屋へ案内してくれました。会ってみると結構若い30代の和尚さん。

挨拶した後、藤川さんが、泊めて貰えるラオスの寺への紹介状を書いて貰う為、旅の目的を言い、私が比丘手帳も見せると和尚さんから名刺を頂きました。お名前はプラマート和尚。旅の補助にラオスのお金少々手渡ししてくれる配慮もやはり嬉しい。こちらも居心地良さそうな寺で「明日の昼こっちの寺に来てここに泊まるぞ」という浮気心発揮の藤川さん。

もうすっかり暗くなって夜7時頃、駅側のワット・ミーチャイ・トゥンに戻ると、“トゥン”和尚さんクティには鍵が掛かっている。藤川さんは私に「鍵貰って来い」と言うが、サーラーではスワットモン(読経)が始まっている。仕方なく静かに参加するつもりも、私を見つけた1僧の比丘が気を利かせて和尚さんから鍵貰って来てくれました。我々は参加せず遊んで来たみたいな存在で、読経中のトゥン和尚さんには申し訳ない思い。

部屋で私が旅日記を書いていると、隣に座っていた藤川さんの動きが全く無いことに気付く。一人でいつの間にか瞑想に入って居やがる。こんな旅に出てまでと思うが、どこに行こうと修行の身、当たり前だなと思い直す。

30分ほどの瞑想を終えると藤川さんが「あっちの寺のプラマート和尚、ちょっと変わった人やろ?」と言う。

以前から聞いていたことだが、確かに何やら優しい眼差しで喋るプラマート和尚さんではあった。まあ旅疲れしている我々に対して優しければ好都合である。何か変な近寄り方でもされたらプロレス技でも掛けてやればいい。

ター・サデット市場の一部、奥はもっと密集した店が並ぶ

寺に繋がるケーウ・ウォラワット通りの風景

◆ノンカイでの托鉢は集団で

明日はこのノンカイでの托鉢に向かいます。藤川さんの経験話では、ここは独自に向かうのではなく、皆で一列縦隊で歩き、しかも歩くのが速いらしい。皆のペースに着いて行かねばならない。大丈夫だろうか。と托鉢ぐらいで気にしていられない。

夜8時30分過ぎでかなり早いが、藤川さんと久々の同部屋でに就寝。いびきはもう気にしない。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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