本日発売!板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

『思い出そう!一九六八年を!!』の表紙には心が躍った。どこの党派間のゲバルトかは判然としないけれども、キリン部隊衝突の写真は、時代の空気を伝えようと意図されたものであろう。あの時代こんな風景は東京や大阪ならどこにでも見られた。民青(共産党系の学生青年組織)相手のゲバルトや、逆に民青からのゲバルトも熾烈を極めた。

と、あたかもそこにいて、経験したように、いっちょ前の感想をビール片手に書いているが、小生1968年には満三歳。ある地方都市で元市長の官舎に使われていた、敷地が狭くない庭で、祖母と草木に戯れていた。あれ以来50年。小生が覚えた草木の名称の7割以上は、祖母から3歳時までに教えてもらったものだ。

だから「一九六八」の記憶などに、心躍らせること自体がフェイクであり、ナンセンスの誹りをを逃れようがないのだが、この感情は嘘じゃないんだから、仕方ないではないか。たとえば10・8羽田、あるは国際反戦デー、騒乱の渋谷、新宿。佐世保エンプラ寄港阻止闘争。三里塚強制収容から管制塔占拠。

どれもこれも、自分はその場にいたわけでもないのに、Youtubeなどで映像にヒットすると「オッ」と思わず前のめりになる。「超法規措置での収監者解放」、「人の命は地球より重い」と総理に言わしめたハイジャック闘争など、映画を見るより鳥肌が立つ(そのお陰で搭乗手続きが煩雑になり、迷惑もこうむっているけども…)。社会や時代を動かす力を、若者は持っていたし、なかには人の迷惑顧みず、命がけでたたかう学生だって少なくなかった。

真逆の時代に何十年も砂を噛むよう思いをさせられ続けた「割を食った」世代としては、その時代のややこしさや、負の側面など関係ない。単純に熱い時代への憧憬しかないのだ。

◆板坂剛らの手になる山本義隆、秋田明大の実像

そのただなかにいて、山本義隆、秋田明大という二人を直接知る、板坂剛の手になる『思い出そう!一九六八年を!!』は、1968年から50周年企画や出版が様々なされる中で、確実に一番「おもしろい」書籍であると確信する。板坂の秋田明大への親近感と山本義隆へのちょっと冷めた視線が「おもしろい」。山本義隆への人物評を「調整役」としたのには驚いたし、秋田明大が岡本おさみ【注】、加藤登紀子作曲で「あほう鳥」なるレコードを出していた(ってことは日大全共闘議長秋田明大は「歌手」でもあったのか! 知らんぞ! 秋田明大は運動から離れたあとは町工場で過去を語らずに生きていたイメージがぶっ飛んだ)ことも事情を知らぬ人たちには驚きだろう(その代わり、本書でも触れられていない秋田明大の私生活の秘密を知ってるけど、それは内緒!)。

小熊英二が『1968』を書いている。あれは学術書だからだろうか。さっぱり「おもしろくない」。なにより小熊自身が1968になんの共振、共感も抱いていないことが明白で、事実の羅列、年表としか感じなかった。

小熊などと板坂を比べたら、板坂からどんな仕打ちをされるか分かったものではない(小生は板坂との初対面の際、しこたま酔った板坂に筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け「噂通り、やっかいなおっさんだ」との確信を強めた。が、後日昼間にしらふの板坂に再会した際、挨拶すると「どちらさまでしたっけ」と板坂は全く覚えていなかった。板坂とはそういう「まじめ」な男である)。しかし、それほど『思い出そう!一九六八年を!!』は全共闘の中で自らが望まずとも、表出せざるを得なかった、山本義隆、秋田明大二人の人物像と個性を知る板坂が(これも強調しなければならないが)、極めて上質な文体と分析から描く「生もの」である。

「1968」をどう評価するか、関心を持つかはおのずから各人の自由であるが、あの年の肌触りを実感し、ここまで再現できる人物はそうはいないはずだ。板坂と春日(この人物についての知識はない)に感服する。

【注】「あほう鳥」の作曲者の加藤登紀子はご存知の通りで注釈を省くが、作詞者の岡本おさみは、レコード大賞を受賞した森進一の『襟裳岬』、吉田拓郎の『旅の宿』、ネーネーズの『黄金(こがね)の花』などのヒット曲がある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売開始!
板坂剛と日大芸術学部OBの会=編
『思い出そう! 一九六八年を!!
山本義隆と秋田明大の今と昔……』
(紙の爆弾2018年12月号増刊)
1968年、全共闘は
国家権力と対峙していた。
戦後資本主義支配構造に対する
「怒れる若者たち」
当時の若者には、
いやなことをいやだと
言える気概があった。
その気概を表現する
行動力があった。
権力に拮抗した
彼らの想いを知り、
差別と排除の論理が横行する
現代を撃て!!