最後に撮ったスパープくん、勉強熱心な比丘だった

◆還俗式に臨む

静まり返ったクティで、9時を回わると和尚さんがホーム・サンカティを纏って現れた。私が自分の部屋から様子を伺っていると、「オーイ、こっち来い!」と笑顔で手招きしている。すぐ和尚さんの前に座り三拝するが、儀式っぽい雰囲気も無く還俗式は始まった。

和尚さんが短いお経を唱え、「私に続いて復唱しろ」と言う。いつまで経っても読経出来ない私だったから最後まで手取り足取りの口移しによる読経となった。

ここから還俗者が一人で願い出る経文で、「シッカン・パンチャッカーミ・キヒティ・マン・タレタ……」と続くが、ここだけは暗記したはずも途中で飛んでしまった。

そして「これで仏門との縁を切るぞ、比丘には戻れないぞ、いいな?」の問いに、「ハイ、いいです!」と応えると、和尚さんは私の肩に掛かっていたサンカティを肩から二の腕側に落とした。

先に捧げた白ワイシャツと腰巻(前もって渡しておいた着る物一式)を授けられ、「よし、着替えて来い!」と指示され、10メートル程ある自分の部屋に戻る。ここで黄衣を解けばもう比丘ではなくなる。まだ黄衣を纏っている今を噛み締めるように我が姿を振り返った。

そして一つずつサンカティを、上衣を下衣を内衣を脱いだ。窓は閉めたが、本来はここで腰巻が必要なのだろう。スッポンポンからパンツを穿いた。白ワイシャツを着た。ズボンを穿いた。ベルトを通した。夢から醒めたようなこの感触。物心ついた頃から30年あまり同じ動作をして来たのだ。忘れる訳は無いが、意外とすんなり手が動く。その手触りが妙に懐かしい。長期入院していたり刑務所に入っていたり、退院や出所の時、私服に着替える時もこんな感じかと思う。着替え終えると再び和尚さんのもとへ向かう。

「今度はこっちに座れ!」と一段低い方を指される。もう俗人側なのだ。和尚さんと同じ立ち位置ではない。

「今後も仏教徒として精進し、仏教発展の為に活動しなさい」という忠告を受け、聖水を掛けられ終了。寺ではカメラを持って歩き回り、比丘として間違った行為だったであろうことも謝った。和尚さんも「マイペンライ(気にするな)!」を繰り返し、相当不信感を持っただろうに最後は優しい和尚さんだった。

最後にペンダント型の仏陀像(お守り)を2個授かり、

「またいつでも遊びに来て泊まっていきなさい!」と言う言葉には涙が出そうになる。

「さあ、行っていいぞ!」と肩を軽くポンポンと叩いて笑顔で送り出してくださった。着替えも含め12~13分。あっけなく終わるのが還俗式である。

最近撮った寺の写真と春原さんから送られていた、特別に和尚さん用にとっておいたカレンダーをプレゼントし、この席を後にした。

手前はネーン(少年僧)で彼も比丘の輪には加われない

◆生まれ変わり

これで自由な身となった。すでに成人しているから新社会人ではないが、男として一人前となっての社会再デビューとなる。

比丘ではなくなった今、予定どおりバンコクに帰らねばならない。前日から持って帰る荷物を纏めていたが、やはりカメラ機材とフィルムが嵩む。更に黄衣もバーツも、ノンカイで使った蚊帳と傘も持って帰るつもりだった。その為、もうひとつカバンが必要だ。さて買いに行こう。靴下を穿き、クティ門で靴を履いて外に出た。靴の履き心地が懐かしい。風を切る心地良さが黄衣とは違って感じる。やっぱり清々しい気分だった。

バイクタクシーを拾って銀座に向かい、雑貨屋入ってカバンを選んでいると、店のオバサンがやたら親切に接客してくれた。白ワイシャツを着ているし、ほんのさっきまで比丘だったことを察したようだ。こういう還俗直後の、新たに社会に旅立つ者に接客できるのは、目出度いものに肖れて嬉しいものらしい。

寺に帰る前、バイクタクシーに乗ってやって来たデーンくんと擦れ違った。「オッ、還俗したんだ!」といった笑顔だった。寺に帰っても何かと残り物を物色しに来る仲間達。

自分が使った毛布や枕なども記念に持って帰りたかったが、さすがに嵩張り過ぎる。これを当てにしている奴も居るから、この辺りはケチらずコップくんやサンくんにあげよう。

コップくんは「これからのカメラマンとしての活躍を願っているよ!」と和尚さんがくれたものと同じタイプの仏陀像をひとつ授けてくれた。

還俗して撮った食事シーン、もうこの輪には加われない

◆最後の御奉仕

昼食時は俗人となった私から仲間達へプラケーン(食事を捧げる)をして、もう身分は彼らより下に戻ったのだと実感する。比丘達のこの輪にはもう加われない寂しさもこみ上げて来た。そして後片付けを手伝って、以前から「仏陀像と写真撮りたい」と言っていた数名の比丘らに声掛けたが、「和尚さんが見てるから」と避ける者が多い。

やっぱり皆から見れば、和尚さんの前で行儀悪いことはしたくないんだなと感じるところだった。でも時間をズラし、和尚さんが席を外した隙を狙って何とか数名を撮ってあげた。

やがて寺を出る頃、私の隣の部屋だったアムヌアイさんにはお別れの挨拶をしておく。

「今迄ありがとうございました。最初に剃髪してくれたことは忘れません。いろいろ御指導ありがとうございました!」と言葉を掛けると、アムヌアイさんも送る側の顔となって、「日本に帰るのか?この寺のこと忘れんなよ、俺もハルキを忘れないからな!」と言葉を掛けてくれて送り出してくれた。学園ドラマのような、門の前に全員が並んで泣きながら手を振るといったシーンは無い。寝て居る者、外の作業に掛かって居る者、「じゃあな!」とだけ言う者。寺とはそんなモンである。

得度式の後、授かった得度証明書

◆寺を後にする

寺を出ればもう俗人というより完全なる一般日本人。重い荷物を抱え、トゥクトゥクを拾おうとするも、バイクタクシー兄ちゃんが「乗れ!」と言う。

「いや、荷物多いから」と言っても「大丈夫だ、乗れ!」で、バランス悪い中、バイクに跨った。ゆっくり走ってくれて、今朝まで托鉢で歩いた道を通り、エアコンバスターミナルへ到着。もうタンブンを受ける身ではないが、タダにしてくれた兄ちゃんに感謝。

着いた途端、出発寸前のバスの扉を開け、バスの若いキレイな女性車掌さんが、
「お兄さん、バンコク行くの?早く乗って!」と叫ぶ。

トランクに荷物を預ける間も無いまま、乗り口の高い段に居た車掌さんが、私の荷物を引っ張る。そのしゃがみ気味のミニスカートから見える太モモが至近距離で目に入ると、私の脳内は爆発寸前。「ウォオオオー!」と妄想が膨らみ、ムクムク股間も膨らみそうになる。

車内で買ったバス券も、サービスのコーラもパー・プラケーンを介する受け渡しも無く車掌さんと直接手が触れ合う。3ヶ月ぶりだなあ女性の肌。渡されたコーラの美味しいこと。開放感の中での爽やかさ。この味は一生忘れられない。

出発直前に乗って左側最前席に座らされたが、右側最前席には品のいい比丘2名が座っていた。年輩の比丘と若い後輩比丘のようだった。私も藤川さんとこのような感じに見えただろうか。私らは低俗な比丘だったが。

バンコクのサイタイマイバスターミナルに向かう中、車窓を眺めながら、「ナコーン・キーリーの女の子に会いに行くの忘れてた」と思い出す。でも還俗直後だし、開放感から羽目を外し過ぎないよう気を付けなければならないと思う。藤川さんから教わった幾多の説教と笑い話は忘れないように活かそうと思うところだった。

朝まではこの仲間と一緒だったが、もう今は違う立場

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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