トーナメントの本命が初戦早々に、わずか23秒で消え去るとは意外な結末でも、これが真剣勝負の怖さ。勝ち上がった4名は次なる準々決勝に期待が膨らむ盛り上がりを見せました。これで日本一を決めるには、まだ至らないメンバーと言えますが、今後、他団体で、各階級で、新たなメンバーで「KNOCK OUTイベント」以外でも出来るトーナメントが増えていくことでしょう。

◎出陣シリーズvol.2 / 4月13日(日)後楽園ホール17:15~20:50
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

相打ちのジャブで櫻木も踏ん張る

ムエタイ技が優った村田のヒザ蹴り

◆第13試合 59.0kg契約 5回戦

JKイノベーション・フェザー級1位.櫻木崇浩(前・C/武勇会/32歳/58.85kg)
   VS
NKBフェザー級2位.村田裕俊(元・C/八王子FSG/29歳/59.0kg)
勝者:村田裕俊 / 判定0-3 / 主審:前田仁
副審:鈴木47-50. 川上46-50. 佐藤友章46-50

5連敗中同士と言われる珍しいメインイベントはキックだから起こり得るマッチメイクだろう。パンチと蹴りの正攻法で出る櫻木に対し、長身の村田はやや離れた距離からの左ストレート、ミドルキックが効果的にヒット、距離が詰まればムエタイ技があり、首相撲に持ち込んでの崩しやヒザ蹴り。村田が主導権を握ったまま最終ラウンドにはパンチの連打でノックダウンを奪い、更に攻勢を続け判定勝利に導いた。

村田の迎え撃ちのヒザ蹴りがヒット、復活の手応え有りか

小原の左ヒジ打ちがヒットした直後

◆第12試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM-KOK/40歳/72.45kg)
   VS
J-NETWORKミドル級3位.小原俊之(キングムエ/34歳/72.3kg)
勝者:小原俊之 / KO 1R 0:23 / テンカウント / 主審:亀川明史

開始早々の探り合いに西村はパンチから入ろうとした瞬間、小原の左ヒジ打ちが西村のアゴに強烈にヒットし、西村はあっけなくノックダウン。

すぐ立ち上がろうとするもフラついて、マットに手を付きながら立ち上がって赤コーナーに帰って呼吸を整えるも、レフェリーに背を向けたまま。カウント8でファイティングポーズをとらないとカウントアウトされる可能性が高いが、西村はそんな意識は働かなかっただろうか。或いは目が虚ろだったか、亀川レフェリーはテンカウントを数える。

「まだ戦える」と抗議する西村だが、裁定が覆ることはなく、あっけない幕切れとなった。小原俊之は6月15日の準決勝で清水武と対戦。

西村が呆気なく倒れる

西村は「まだ戦える」とアピールするも叶わず

右ストレートでダウンを奪った今野

◆第11試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/35歳/72.35kg)
   VS
井原浩之(前・MA日本ミドル級C/ Studio-K/35歳/72.4kg)
勝者:今野顕彰 / 判定3-0 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-28. 前田30-28. 亀川29-28

距離を詰める井原と離れてボディブローを狙って打つ今野。第2ラウンドには今野がヒジ打ちで井原の額をカットすると距離が縮まり、井原が右ローキックに来たところに右ストレートでノックダウンを奪う。第3ラウンドは逆転を狙う猛攻の井原を凌ぎきった今野が判定勝利。

今野顕彰は6月15日、準決勝で田村聖と対戦。

離れた距離での今野のハイキック

◆第10試合 63.0kg契約3回戦
大月晴明(元・全日本ライト級C/マスクマンズ/45歳/62.6kg)
   VS
NKBライト級4位.野村怜央(TEAM-KOK/29歳/62.7kg)
勝者:大月晴明 / 判定3-0 / 主審:川上伸
副審:佐藤友章30-27. 亀川30-27. 佐藤彰彦30-28

KOを量産した爆腕をけん制する構えの大月。離れたところからでも打って出る大月のパンチに野村は蹴りの距離を保ち、蹴りからパンチでの応戦でヒットも見せる健闘ぶり。野村の踏ん張りに、爆腕での豪快ノックアウトは難しい展開となった大月はそれでも圧倒した展開で判定勝利を掴んだ。

大月の爆腕ようやくヒット

◆第9試合 62.0kg契約 3回戦
 
J-NETWORKライト級チャンピオン.まさきラジャサクレック(ラジャサクレック/33歳/62.0kg)
   VS
NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/31歳/61.75kg)
勝者:棚橋賢二郎 / 判定0-3 / 主審:馳大輔
副審:亀川28-29. 前田28-29. 鈴木28-29

棚橋も強打を武器とするスタイルだが、まさきのムエタイスタイルにヒットし難い展開となるも、第2ラウンド終盤に棚橋が軽いヒットながらパンチでダウンを奪った優勢点で何とか判定勝利に導いた。

棚橋の勝利を導く右フックがヒット

倒しに掛かる田村の右フックがヒット

◆第8試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/30歳/72.45kg)
   VS
J-NETWORKミドル級1位.吉野健太郎(前C/TEAM COMRADE/44歳/71.75kg)
勝者:田村聖 / KO 3R 2:27 / カウント中のタオル投入 / 主審:佐藤彰彦

田村はパンチの強さで圧倒する試合が増えたが、序盤は吉野との距離感が掴み難いのか、ヒットし難い展開となった。いきなり吉野のパンチを不用意に貰ったり、もたもたする流れだが、最終第3ラウンドには田村が組み合った中での蹴りからパンチ連打に繋ぎ、豪快なパンチがようやくヒットし、ノックアウト健在ぶりを発揮した。

ようやく豪快パンチがヒットし始めた田村聖

堪らず崩れ行く吉野

左ヒジ打ちに入る清水

◆第7試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

清水武(元・WPMF日本SW級C/sbm TVT KICK LAB/31歳/72.57kg)
   VS
郷野聡寛(元・全日本ヘビー級C/ GRABAKA/44歳/72.4kg)
勝者:清水武 / TKO 3R 0:53 / ヒジ打ちによる顔面をカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ / 主審:佐藤友章

距離をとり、ローキックと右ストレートでのボディー狙いの郷野。第2ラウンドに距離詰めた清水の左ヒジ打ちで郷野がダウン。第3ラウンドにもコーナーに詰めたところで左ヒジ打ちで郷野の額を切り、レフェリーストップに導く。

タイミングを掴んだ清水がラッシュを掛ける

パックリ切れた郷野の額、宅急便の仕事に響かなければいいが

当てさせない省エネスタイルだったか、相手のバランスを崩すテクニックの郷野の戦略は上手かったが、勝つには難しい攻めだった。

◆第6試合 ウェルター級3回戦 

笹谷淳(TEAM COMRADE/66.68kg)vs宮城寛克(赤雲會/66.55kg)
引分け0-1 / 主審:亀川明史
副審:佐藤彰彦29-30. 佐藤友章30-30. 川上伸29-29

◆第5試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館/53.3kg)vs志門(テツ/53.25kg)
勝者:海老原竜二 / 負傷判定2-0 / TD 3R 2:20 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-28. 川上28-28. 前田29-27

◆第4試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/53.52kg)vsノーマーシー・カズ(テツ/53.0kg)
勝者:古瀬翔 / KO 1R 2:45 / 3ノックダウン / 主審:佐藤彰彦

◆第3試合 63.5kg契約3回戦

洋介(渡邉/63.4kg)vs野崎元気(誠真/63.5kg)
勝者:野崎元気 / KO 1R 1:56 / 3ノックダウン / 主審:馳大輔

◆第2試合 58.5kg契約3回戦

山本太一(ケーアクティブ/58.5kg)vs将栄(Team ImmortaL/58.3kg)v
勝者:山本太一 / KO 2R 1:05 / テンカウント / 主審:佐藤友章

◆第1試合 ウェルター級3回戦

たいすけ(ケーアクティブ/65.95kg)vsDAIKI(渡邉/66.25kg)
勝者:DAIKI / KO 1R 2:00 / 3ノックダウン / 主審:前田仁

《取材戦記》

この日行なわれた第5試合で負傷判定が下されました。第1、第2ラウンドで海老原竜二のローキックで志門がローブロー(股間への打撃)を受け、そのダメージで中断されること2回目で注意勧告が海老原に与えられ、その後第3ラウンドに、海老原のローキックで志門がノックダウンと裁定されるその直後の3度目のローブローで、試合続行不可能となった為、海老原に減点1を与えて負傷判定へ。故意ではないとはいえ、3度のローブローが“偶然のヒット”と言えるかどうかも議題のひとつ。
この試合を観戦していた別団体のレフェリーと、翌日のTITANS興行で話し合ったところ、「私だったらこうします」とまた別の裁定手段(選択2)を述べられましたが、この試合の裁定に関し、3つの裁定が下される選択肢があると考えられました。

1.海老原の失格で志門の反則勝ち。
2.再開できない志門はレフェリーストップ、海老原のTKO勝ち。
3.偶発的負傷として出された結果どおり海老原の負傷判定勝利。

賛否両論があって当然で、負けにされた方は怒り心頭でしょうが、これが試合成立したいずれかの結果となり、レフェリーによって裁定判断は変わると考えられるでしょう。

一昔前は団体によってはレフェリー養成が進んでおらず、収拾つけられず、“困った時のノーコンテスト”と見られる傾向がありましたが、何らかの裁定が下せるようになったのはこの競技の進化でしょう。

PRIMA GOLD杯トーナメントに限らず、試合はまたどんなアクシデントに襲われるか分かりません。今後のトーナメントも難しい裁定となっても対処が長引くことなく下されることでしょう。

次回興行は6月15日(土)に準決勝戦2試合を中心に行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」

◆野党共闘の枠組みから飛び出る

4月1日、山本太郎参議院議員(自由党共同代表)が新たな政治団体「れいわ新選組」を届け出、10日の記者会見で発表した。

最大のポイントは、アベノミクスに対抗して「反緊縮」の経済政策を前面に押し出したことにある。

その目玉は、消費税廃止。現職の国会議員を要する政治団体が初めて消費税の制度そのものを廃止する公約を掲げた。4月15日現在、消費税廃止を主張する政党は他にない。

いまのところ現職の国会議員の参加は山本議員ひとりであり、政党要件を満たしていないので「政治団体」だが、実質「新党」結成と表現していいだろう。

2015年夏の安保関連法制反対運動の挫折から、共産党からの呼びかけもあり安倍政権を打倒するために「野党共闘」が叫ばれてきた。

統一地方選前半戦の結果を見ても、野党共闘しても自民・公明に勝つのは難しいことを改めて示した。

たとえば、北海道知事選挙。自民・公明・大地から推薦を受けた鈴木直道氏が約162万票、立民・国民・共産・自由・社民から推薦を受けた石川知裕氏は約96万票。与党系候補が圧勝したのは象徴的だ。

山本太郎参議院議員

◆党名の裏にひそむ150年ぶりの政権交代の夢

「れいわ新選組」という党名が発表されてから、党名に対して賛否両論があり、違和感や疑問を呈する意見もインターネットなどに出ている。

筆者も、最初に党名を聴いたとき違和感を覚えた。しかも記者会見の前日4月9日のテレビ朝日の報道によれば、表記する文字が「新撰組」と表記されていた。

新選組は、江戸末期の江戸公儀(徳川政府)の武装警察組織として尊王攘夷派などを取り締まった。とりわけ尊王攘夷派の中心になった長州藩士らを弾圧した。

4月10日の記者会見で、新撰組は権力側についたのではないかとの質問に山本代表は、「新『選』組は、あたらしい令和という時代に選ばれれる人々。そして今の権力とは主権者・国民です」と答えている。

つまり、国民を守る意味だということだ。さらに、「党名にはアイロニーが込められており、解釈は各人の自由です」という趣旨の発言もしている。

アイロニーとは、表面の意味と逆の意味を込めた表現であり、、皮肉であり風刺でもある。新元号の令和を私物化するかのようにパフォーマンスを演じた安倍首相への痛烈な皮肉という見方もできる。

筆者の解釈はこうだ。

戊辰戦争の勝利により、尊王攘夷派が明治国家をつくった。間もなく尊王攘夷派内の長州が実権を握り、手を変え品を変えて、第二次大戦敗北後はおろか、現在まで”長州尊王攘夷派”的なレジーム(思想・政治・体制)が続いている。

現在の安倍政権は当然、長州の流れである。「新撰組」の最大の敵は長州尊王攘夷派だった。

つまり、新選組ならぬ「れいわ新選組」を結成したということは、1868年に長州らにお奪われた政権を、奪還すること。言い換えれば約150年ぶりの政権交代を実現しようという意味合いが党名に秘められているのではないか。

◆新政府八策とは?

旗上げ記者会見では、「政権を奪ったらすぐ実行します」と8つの政策を発表した。

(1)消費税廃止
(2)最低賃金全国一律1500円(政府が補償)
(3)奨学金徳政令(奨学金返済チャラ)
(4)公務員を増やす
(5)一次産業個別所得補償
(6)トンデモ法の一括見直し・廃止
(7)辺野古新基地建設中止
(8)原発即時禁止

「れいわ新選組」の公約「新政府八策」

ひとことで言って反緊縮財政の推進だ。前述したように、国会議員を擁する政治団体としては唯一消費税廃止を政策のトップにかかげている。

厚生労働省の国民生活基礎調査(2018年)で56.5%が「生活が苦しい」と答えている。また、一人暮らし女性の3人に1人が貧困であり、貧困と格差は拡大している。このような人々を救うための政策だ。

山本代表は、「国債を発行して財政を出動させる」と表明している。国の借金が増えて破綻するなどとありえないことを喧伝する一部の人がいるもが、自国通貨・円建ての借金だから破綻はしない。

破綻といえば、ギリシャを思い起こすかもしれないが、ユーロという”外国通貨”を借りて返せなくなったギリシャとは、まるで違うのだ。

消費税に代わる税収としては「とれるところから取る」(山本議員)という。消費税がなくても不公平税制を正せば38兆円の財源が生まれるとの試算もある。(「不公平な税制をただす会2018年度試算)。

◆10億円で衆参ダブル選、3億円で参議院10人候補者

今年夏の参院選挙、場合によっては衆参ダブル選挙もあり得る。当然、選挙資金が必要となるが、それは個人からの寄付に頼る。集まった金額によって戦略戦術を立てていくという。

〇衆参ダブル選で挑戦する場合、10億円が必要。

〇参院選で最大限の挑戦をする場合、5億円が必要。

〇参院選で10人の候補者を擁立する場合、3億円が必要。

無謀な挑戦にならないように、5月31日までに1億円集めることを第一目標にし、1億円集まらなければ、山本太郎議員のみが東京選挙区から立候補する。
 
◆消費税5%減税で窮地におちいるか?

ここ3年以上、野党共闘が叫ばれてきた中での新党結成になるが「別の角度からの野党共闘」(山本議員)という考えで、新党の旗を降ろす場合もありえることも明らかにした。

政策で野党が歩みよれば旗を降ろすというのだが、山本議員は、廃止までは行かなくとも消費税5%減税で野党がまとまったような場合だという。

もしそれを実行すれば、新党はおろか野党勢力・市民勢力が壊滅する可能性もある。

すでに、安倍総理は「消費減税」を訴えて衆院を解散し、衆参ダブル選挙を仕掛けてくる可能性があるという話も流れ始めているからだ。

そうなれば、5%減税などと主張していては、壊滅的な敗北になるだろう。仮に与党が消費税減税を主張しなくても、消費税存続か廃止かの二者択一を有権者にせまるほうが勝利の可能性は高まるだろう。

今回の新党結成はトレンド転換の起点となるか。5月末から6月初旬には、ある程度先が見えてくるかもしれない。

◎れいわ新選組ホームページ https://www.reiwa-shinsengumi.com/index.html


◎[参考動画]山本太郎参院議員、自由離党で新党結成へ 午後6時から記者会見(2019年4月10日)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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◆消費税は、差別する「凶器」

差別といえば、宗教や人種、性的マイノリティー差別のことが叫ばれるが、それだけではない。大金持ちと巨大企業を優遇し、貧乏人から搾り取る税制も差別そのものだ。

そのシンボルが消費税であり、これを廃止して公正な世の中にして日本を蘇らせようという講演会が、4月20日(土)午後2時から東京都豊島区の巣鴨地域文化創造館第1会議室で行なわれる。

不公平な税制をただす会の荒川俊之事務局長による「成功体験に学ぶ消費税廃止
~法人税・所得税・住民税の大改革を提言~」という講演会だ。

1989年に消費税が日本に導入されてから、3%、5%、8%と増税したのに、30年間も税収は変わらない。

それは、巨大企業と大資産家・超高所得者を大幅減税し、その穴埋めに庶民が支払った消費税を、そっくりそのまま充当しているからである。

その一方で、「日本の法人税は高い」というデマがはびこるが、実際は中小零細企業より巨大企業の税金は安い。所得が1億円を超えると税が安くなる驚くべき事実もある。

まさに「消費税は差別のための凶器」なのだが、この消費税を廃止する公約を第一に掲げた新党「れいわ新選組」(山本太郎代表)が生まれた意義は大きい。

◆日本転落の元凶=消費税
 
消費税が私たちの暮らしに決定的なマイナスをもたらしたのは、1997年4月1日に3%から5%に増税したことだ。

このときからデフレが起き、実質賃金が下がり始め、生活水準がじわり、じわりと下がり、中小零細行差の困窮が始まった。まさに日本転落が始まったのである。
 
まずしい人も大金持ちも同じ比率で支払う消費税は、所得の低い人ほど負担が重くなる逆進性の最たるものだ。このような“年貢”の取り立てに対し、納税者一揆が起きてもおかしくない。

◆輸出戻し税、受取配当利益不算入など大企業優遇のオンパレード

優遇されているのは二つ。大企業と大資産家・超高額所得者だ。まず、法人税法のほかに、本来なら時限立法として企業への「租税特別措置」を大量につくり、それが恒久法化しているのだ。

そのひとつが輸出還付金(輸出戻し税)で、輸出大企業は消費税を税務署に納めないどころか、巨額の還付金をもらい続けている。

そのため、トヨタのお膝元、愛知県の豊田税務署は大赤字。ほかの中小企業などが納めた税金が、輸出還付金としてトヨタに渡されている信じがた状況である。。

『消費税を上げずに社会保障財源38兆円を生む税制』(不公平な税制をただす会=編/2018年1月大月書店)

今回の講演者である荒川俊之氏が事務局長を務める「不公平な税制をただす会」編集による『消費税を上げずに社会保障財源38兆円を生む税制』(大月書店)は、納税者必読本だろう。

この本には、具体的な数字や事実、改革した場合のシミュレーションが豊富に掲載されている。

たとえば、いま例を挙げた輸出戻し税は、トヨタ自動車一社だけで税務署からもらう還付金は3,231億円。以下、日産自動車、マツダなど輸出が多い自動車メーカーが続く。その合計は8,311億円。

自分が納めた税金の全額もしくは一部を還付してもらうのではなく、下請けや仕入れ先が税務署に納めた税金から還付される。

その結果、管内に輸出大企業を抱える8つの税務署が赤字というマンガのような事態になっている。

ワーストスリーは、豊田税務署3,043億円(トヨタ)、神奈川税務署788億円(日産)、広島・海田税務署533億円(マツダ)。数字は赤字額。

これはほんの一例だが、このような企業優遇税制がまかり通っている。

◆大企業はまともに税金をはらっていない

にもかかわらず、「日本の法人税は高い」などというデマもしくは”都市伝説”がはびこり、消費税が必要かのように喧伝されている。

日本の法人税は、零細企業から超巨大企業まで一律に23.2%なのだ。(あくまでも特例措置として零細企業の法人税をを低くする措置はある)。これだけでも驚くべき差別だが、その約23%の税金さえ支払っていない有名大企業がずらりとならぶ。

トヨタ自動車は、08年度から5年間、トヨタは法人税を1円も払っていなかった。零細事業者や低所得の派遣労働者らが血税を払っているのに、である。

消費税を上げろと主張する人たちが「日本の法人税は高い」と言っているのを耳にしたことがあるだろう。実は、明らかなデマであり、騙しのテクニックが存在する。

報道における「法人税率」とは「法人実効税率」のこと。「実効」というと実際に支払うことのように感じるが、法人税・法人事業税・法人住民税の合計を指す。

実際は大企業が優遇されて、法人実効税率32.11%だった11年から5年間、トヨタは21.0%、日産自動車7.6%、伊藤忠商事3.0%、三菱電機1.0%などが実際の負担率だった。

資本主義の権化アメリカでさえ、法人税は、15%、25%、34%、38%、39%の6段階の累進課税である(16年度)。

日本の法人税を5%、15%、25%、35%、45%の5段階の累進性にすると、約19兆円の増収になり、これだけで消費税はいらなくなる。

◆大企業優遇をやめると23兆円の税収アップ

受取配当金益金不算入もある。企業が持つ他社の株の受取配当金を利益に組み入れなくてもいい制度、国内の子会社や関連会社の株配当金は100%除外できる。

それ以外の企業の株配当も、50%を利益に入れなくていい。さらに、あれだけ稼いでいるトヨタの税金支払いが極少額なのは、海外からの配当のうち95%が非課税だから。

海外からの配当が100万円とすると95万円非課税で、5万円分だけ法人税をかけるのと同じことである。

「ただす会」によると、大企業に対する減税は総額23兆円を超えており、企業優遇税制を変えるだけで、その分がまるまる税収増になり、消費税などまったく必要ない。

そして「ただす会」の18年度の試算では、不公平税制をただすと、国税と地方税あわせて37兆3104億円の財源が生まれる。

高額所得者や大資産家への課税も必要だ。所得約1億円を超えると税負担率がどんどん下がっていくありえない事実もある。

高額所得者ほど株譲渡や配当金の占める割合が高くなり、金融所得は5,000万円でも3億円でも100億円でも、税率は一律に20.42%のまま。

給与や事業と分けて計算する分離課税だ。入ってくるものをすべて合計して税率を計算する総合課税にすべきだろう。あるいは、金融所得に累進性を採用してもいい。

当日は、あきれた差別税制の実態と、どこをどう改善すればよくなるか具体的に指摘される予定だ。

消費税廃止を第一公約にかかげる新党「れいわ新選組」も結成されたし、消費税廃止の是非は、国政選挙の最大の争点になるかもしれない

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《講演情報》
第114回 草の実アカデミー
過去の成功体験に学ぶ消費税廃止
~法人税・所得税・住民税の大改革を提言~

講師:荒川俊之氏(税理士・不公平な税制をただす会事務局長)
期日:2019年4月20日(土)13:30開場、14:00開始、16:45終了
場所:巣鴨地域文化創造館第1会議室(東京都豊島区巣鴨4丁目15)

交通:JR山手線・都営三田線 巣鴨駅徒歩15分 巣鴨商店街
資料代:500円
主催:草の実アカデミー
http://kusanomi.cocolog-nifty.com/blog/
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▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

死刑は怖いですか──。私が過去、死刑判決を受けた殺人犯に面会した際にしばしば試みた質問だ。そんな中、もっとも変わった答えをしたのが、小泉毅(57)だった。

「死刑がまったく怖くないと言えば、嘘になります。しかし、私は生まれ変われると思っているんですよ」

2013年の春、東京拘置所の面会室でのことだ。そう語る小泉の穏やかな笑顔が今も忘れられない。

◆殺人動機は「愛犬のかたき討ち」

小泉は2008年11月、埼玉と東京で旧厚生省の事務次官経験者の自宅2軒を相次いで襲撃し、2人を刺殺、1人に重傷を負わせた。そしてほどなく警察に自首すると、「子供の頃に保健所で殺処分にされたチロ(飼い犬)のかたき討ちだった」と意外過ぎる犯行動機を告白し、世間を驚かせた。

私が面会に通うようになった頃、小泉は最高裁に上告中だったが、すでに一、二審共に死刑判決を受けていた。報道では、小泉は坊主頭で、無精ひげを生やし、武骨そうな男に思えたが、実際の小泉は小柄で、色白のおとなしそうな男だった。

事件が起きた当時、「なぜ、愛犬のかたき討ちで旧厚生省の事務次官経験者を狙ったのか」と訝る声もあったが、小泉は「保健所を管轄するのが厚生省(現・厚生労働省)だから、そのトップを狙ったんです」と理路整然と説明した。精神障害の疑いは無さそうだった。

そんな小泉は、裁判でも「私が殺したのは、人間ではなくマモノです」と述べて無罪を主張するなど、死刑を本気で回避しようとする様子は皆無。その理由が、「生まれ変われる」と思っているからだったのだ。

◆生まれ変われると思う根拠は「超ひも理論」

では、生まれ変われると思う根拠とは?

小泉は「物理学の『超ひも理論』に基づく考えなんですよ」と言い、後日、手紙でこう解説してくれた。

小泉から届いた2013年5月5日消印の手紙

〈我々1人1人の存在、分子1つ1つの存在、原子1コ1コの存在、クォークやレプトン1コ1コの存在は、我々の住む宇宙よりもはるかに大きなもの、即ち、我々の宇宙が漂っている無限に広がる次元という大きな海の中のどこかに常に記録されていると、私は考えています。だから、この記録されているものを我々の宇宙にダウンロードすれば、私は生まれ変わることができるのです!〉(2013年5月5日消印の手紙より)

学生時代に理科が苦手だった私には理解不能だったが、小泉は国立の佐賀大学理学部で学んだ秀才だ。それなりの科学的根拠がある話なのだろう。

「死刑になっても生まれ変わり、またマモノを殺します」と語っていた小泉は、その後、死刑が確定したが、今も死刑執行されず、東京拘置所に収容されている。

小泉が収容されている東京拘置所

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

国会議員の中で「リベラル」から支持を得ていた(得ている)山本太郎参議院議員(現自由党共同代表)が、同氏のブログの中で、

 

山本太郎議員HPより

《山本太郎は、自由党を離党、新党を結成します。ただし、離党は4月の後半。国民民主党と自由党の合流の可否が出たのちその結果にかかわらず離党します。》

と自由党を離党する意向を明らかにしている。

新しく設立される党の名前は「れいわ新選組」だ。

ここから山本太郎氏についての私見を述べるが、「れいわ新選組」との絶望的な命名を決めた山本太郎氏に、

「あなたには最終的に絶望した」と、まずは一切の遠慮なく本心を述べておく。

◆れいわ新選組──これ以上深い私を絶望へと導いてくれる名前はない

山本太郎氏は才能豊かな俳優であり、2011年3月11日後には、NHKなどメジャーな地上波放送局で数多くのドラマに出演したり、ナレーターをつとめていたにもかかわらず「反原発」を明言するなど「社会派俳優」として、マスコミから無視されるなか、少なくない人々から期待を寄せられていた。全国各地を飛び回りデモに参加したり、自主避難をしている福島からの原発事故被害者に寄り添う姿勢は、「知識人俳優」が絶えて久しい芸能界の中では光り輝いていた。

 

山本太郎議員HPより

山本太郎氏は2013年の参議院選挙で、東京選挙区から立候補し見事当選を果たした。当時は「新党ひとりひとり」を名乗り、実質無所属の議員だった。その後自由党の共同代表に就任し、このほど自由党と国民民主党の合流(あるいは両党の合流は成就しないかもしれないが)議論に向き合う過程で「れいわ新選組」なる政党の立ち上げを宣言した。

「れいわ新選組」。この時期に立ち上げる政党の名前として、これ以上わたしをさらに深い絶望へと導いてくれる名前はない。

◆挙げられた政策の順番が違うのではないか?

 

山本太郎議員HPより

同党の政策には、

《れいわ新選組は、ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!》との前文のもとに、

・消費税は廃止
・安い家賃の住まい敷金・礼金などの初期費用や家賃、高くないですか?
・奨学金チャラ
・全国一律!最低賃金1500円「政府が補償」
・公務員を増やします
保育、介護、障害者介助、事故原発作業員など公務員化
・一次産業戸別所得補償
・災害に備える
・コンクリートも人も~本当の国土強靭化、ニューデイールを~
・お金配ります~デフレ脱却給付金・デフレ時のみ時期をみて~
・財源はどうするの?~デフレ期にしかできない・財政金融政策~
・真の独立国家を目指します~地位協定の改定を~
・「トンデモ法」一括見直し・廃止
・原発即時禁止・被曝させない ~エネルギーの主力は火力~
・DV問題
 被害者支援と加害者対策、防止教育を基本とし、DV・虐待のない社会の実現へ。
・児童相談所問題
・動物愛護

が紹介した順番に挙げられている。

全体としての問題意識に大きな反論はないが、「順番が違うだろう」と指摘させていただかねければならない。

◆「天皇制にまで切り込め」とまでは要求はしない。だが、しかし……

山本氏は芸能界に入る前から、同世代のなかでは例外的といってよいほど社会問題に対する意識を「隠し持った」人物であった(山本氏に直接インタビューをする中でその知識と感性は幾度も感じさせらた)。今般「俳優」や「役者」はもっぱら顔かたちが整うか、あるいは姿に個性があるか、表層の演技力の有無だけで銀幕やテレビドラマの出演機会が決定されるようだ。

つまり「俳優」、「役者」は「知識人」とまったく同等ではないし、多くの観覧者も「俳優」・「役者」に「知識人」の役割を期待してはいない。演じるものも、観るものも頭のなかには、刹那の感情の揺れ程度の短射程しか期待していないし、関心はないのだ。しかし、わたしはベテランの「俳優」・「役者」から、直接この惨状についての嘆きや、諦めをいくつか聞いたことがある(往年の銀幕スターの多くは、おそらくいまの「役者」の10-100倍の読書経験があろう)。

そのような趨勢にあり、2011年3月11日以降、山本氏の言動には刮目すべきものがあったことは確かである。この通信の発信元鹿砦社が出版する書籍や雑誌のなかでも山本氏には幾たびもご登場いただいた。

山本氏に「天皇制にまで切り込め」とまでは、要求はしない。だがしかし「差別の元凶=天皇制」になんら批判なく党名を「れいわ新選組」などと、日の丸を立てた街宣車を走らせる右翼団体かと勘違いするような、命名をしてしまった愚は取り返しがつかない。これは山本氏の限界を示した象徴的かつ決定的な選択(新選組ではない)として、わたしと近い考えのひとびとには受け止められても仕方がないであろう。

◆「れいわ新選組」は「維新」を下回る「最低最悪」の党名だ!

どうして、右を向いても、左を向いても皇室称賛、改元翼賛が、行政から民間までを巻き込み荒れ狂うるこの時期に、ありとあらゆる機会に「ありがとう平成」などという主語のない、極限の思考停止のフレーズが街にあふれる「異常事態」のタイミングで、敢えて「れいわ新選組」などという、一縷の期待(わたしの期待ではない)をも踏みつぶす名称をあえて選んだのだ。なんとなく少しソフトで若者を引き寄せられたら、次の選挙で票の上積みができるとでも考えたのだろうか。若者はそんなに賢くもないし、政治なんかに興味はありはしない。

山本太郎氏よ、あなたには「政治家」としての資質がある。ときに直接、ほとんど距離を置き、あなたを当選前から眺め、なんども話を聞いたわたしには、あなたが小沢一郎を利用したことは意外ではなかった。なんせ当選が決まった直後の選挙事務所で、あなたはこう発言していたのだから。

「政権を取るまで頑張りましょう!」

あの発言に支援者からは拍手があふれたけれども、わたしは別のことを感じていた。そしてそれは「れいわ新選組」という「維新」を下回る「最低最悪」の党名を選んだあなたの行為によって証明されてしまった。

◆「原発即時禁止・被曝させない」がなぜ、政策の13番目に後退しているのか?

どうして「原発即時禁止・被曝させない ~エネルギーの主力は火力~原発」が16項目ある政策の中で、13番目にもってこられているのだ。ほかの政策が悪いといっているのではない。山本氏、あなたが主張しなければほかのどの国会議員も「筆頭公約」としては掲げない、「原発即時禁止・被曝させない ~エネルギーの主力は火力~」が13番目に後退していることに、あなたの「政治家」としての資質を、わたしは再確認するのである。

もとより、一部を除き「決定的に取り巻きが悪い」という状態が6年続いて、まだ上記の政策を維持できているのは、むしろ「現実的」には評価すべきなのかもしれない。けれども、6年前、山本氏に投票したひとの多くは「現実的」という名の「妥協」をに満足せず、「闘い」や「当たり前でありながらドラステックな変革」を求めていたのではないだろうか。

6年間であなたは「政治家」としては見事に成長した。しかし、あなたは決して取り戻せない貴重な数々を失った。もう「絶望の中にしか希望はない」との思いで投票所であなたの名前を書いたひとびとへの言い訳は、百万語を費やしても成立はしないだろう。


◎[参考動画]山本太郎参院議員、自由離党で新党結成へ 午後6時から記者会見(2019年4月10日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

新宿駅西口の地下。高層ビルの立ち並ぶ新都心方面へ向かう通路の手前に、新宿にしては広々とした空間が広がっている。4月12日金曜日の午後6時。ロータリーから見える円形の、色味を深めて夜景になりつつある空を背に、本日の主役がマイクを握った。

漫才コンビ〈おしどり〉のマコさんは、本年7月21日の投開票が有力視されている参議院議員選挙へ、立憲民主党の議員〈おしどりマコ〉として出馬を予定している。『ガチ街宣』と銘打った今日のステージは、約3時間の長丁場となった。

ふと立ち止まり、いつにまにか中央にまで進んで話を聞き続けるサラリーマン。通行の邪魔だと言わんばかりの顔つきで、わざわざ参加者のあいだを通り抜けようとする者。「やば、これテレビ映ってるんじゃね? キャハハ」という(マンガに登場するギャルのように典型的な)明るい声を残して去る、綺麗な女の子2人組。自分からこちらへ歩いてきた女子高生もいる。ひっきりなしに流れる人混みのなか、だんだんと輪が広がり、20時頃には50人ほどの参加者が集まっていた。

今日はとても寒く、気温は9度。運営の方が「使い捨てカイロを持ってきたんですけど、配れません! 公職選挙法でダメなんですね。30円で売ってますのでよろしければ」とアナウンスしていた。

「3.11のすぐあとから、サポートというか、マコさんのツイキャスをずっと見ていて、いろんなことを教えてもらっています。政治のなかでタブー視されてしまっている原発とか被曝とか、そういうところを深く切り込んで追求してもらいたいし、あと、隠されてることも沢山あるので、そういうのをキチンと国民に知らせることができるような議員さんになってほしいな、と思っています」と語るのは、通行人に声をかけパンフレットを配るモリモトさん。

「ホットスポットとか、廃棄物、ああいうものがこのままの状態で忘れ去られるというか、みんな諦めてどこかに埋められてしまうとか、そういうことにすごく危機感を覚えています。将来わたしたちが死んだあと、次の世代、次の次の世代の人たちが苦しむことがないように、今のときにできることをやりたいなと思っています」

講演の内容についてはここに記さない(気になる方はYouTube等でご覧いただくとよいだろう。そして可能であれば、是非現場へ足を運んでおしどりマコさんのお話にどっぷり浸かっていただきたい)が、2日前に『れいわ新選組』を結成した山本太郎氏についてのみ、新鮮な話として載せておくことにする。

「太郎くんがいたからこそ、国会議員ってどういうものなのか、どういう動きがあるのか、どういうことができるのか、知ることができたんですね。で、私が選挙に出るのであれば〈2人目の山本太郎〉みたいな動きをするのではなく、もっと違う、中に入り込んで、中から連携して動かしていくっていうことをやろうと思ってます。太郎くんがまたひとり飛び出して、いろいろ新しい動きをしていくっていうのは、私のやりかたとは全然違うんですけど、すごく面白いし、楽しいことになってきたなと思ってます」

「今日、なんかめっちゃマニアックな話ばっかりしました。マニア増えたらいいなと思って!」と言うマコさんだが、そのマニアックな内容を、長時間飽きさせずに話し伝えることができるのだからスゴい(実際、20人以上が最初から最後まで聴き続けていた)。

◎おしどりマコさん Facebook https://www.facebook.com/oshidorimako
イベント・街宣予定 https://www.oshidorimako.page/home


◎[参考動画]NNNドキュメント:お笑い芸人 vs 原発事故 おしどりマコ・ケン

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

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タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

「風よ吹け吹け 雲よ飛べ 越すに越されぬ田原坂
仰げば光る天守閣 涙をためて ふりかえる ふりかえる ふるさとよ」(『火の国旅情』より)
https://www.youtube.com/watch?v=fP5zuOacZA0

 

熊本県人会総会にラストはみなで「火の国旅情」を歌う

この歌は、1970年代半ばのもので、一般的にはさほど流行らなかったが、関西の熊本県人会総会では最後に必ず出席者全員で歌うことになっているほど、熊本出身者にとっては大切な歌となっている。35番まである長い歌で、高橋ジョージらTHE虎舞竜の『ロード』のようだ。実際に歌われるのはそのうちの3番ほどだ。

ここに出てくる天守閣とは熊本城の天守閣のことだが、これは西南の役で焼き討ちされ消失、今のものは1960年に再建されたもので、いわばレプリカである。なので、消失を免れた江戸時代からある小さな宇土櫓や、「武者返し」といわれる石垣は文化財になっているが、天守閣はなってはいない。

しかし、熊本市民、県民にとっては象徴的な建物である。熊本市出身の私は少年期、城内には何度も何度も行き、天守閣にも幾度となく上った。18歳で故郷を離れてからは、帰郷する際には必ずといっていいほど熊本城に行き天守閣に上り市内を一望した。

3年前の4月14日と16日の2度にわたり震度7の熊本地震から3年を迎えた。天守閣や石垣が大きな被害を蒙ったことは大ショックだった。今は再建工事中で、城内には入れない。一日も早い復旧を願う。

再建工事中の熊本城

歳を取ると、なぜか望郷意識が高まるもので、若い頃は「こぎゃん(こんな)田舎は一日一刻も早く出たい」という気持ちが強かったが、今は故郷に帰り旧友と毎日楽しく飲み交わしたりして愉快に過ごしたいと思うようになった。実際には、会社の経営もあるので、それを放って故郷に引き揚げることはできないのだが……。

ということで、なにか用がないと戻れないが、このかんは1年に2度、つまり4月の高校の同窓会と9月の「琉球の風」に合わせて帰郷してきた。

その前後に、彼岸には帰郷できないので、お寺さんに行き挨拶と墓参りをすることにしていた。

◆まずは墓参り

熊本は城下町なので、下級侍の流れを汲む、わが松岡家の菩提寺も市内中心から少し離れた所にある。中学の同級生の有田正博君(後述)らが作った若者のファッション街「シャワー通り」と風俗街に隣接している。徳川時代からある、このお寺も、熊本地震では大きな被害を受け、本堂、山門、塀などが全壊した。境内にある墓も大半が倒壊していたが、その前年秋に従妹と費用を出し合って新しくした松岡家の墓は、石材店がしっかりした仕事をしてくれたお蔭で、びくともしなかった。

まずはお寺さんにご挨拶済ませ、お墓の掃除、ろうそくと線香を灯す。若い時には気づかなかったが、心が休まる。

 

9回目の「琉球の風~島から島へ~」(2017年9月24日熊本フードパル)

◆「琉球の風」のご苦労様会で一献傾ける

高校の同級生で沖縄与那国島にルーツを持つ東濱弘憲君(故人)が、まさにライフワークとして始めた島唄野外コンサート「琉球の風」に、私たち鹿砦社も途中から協賛企業として参画した。これには、東濱君の想いに応え、沖縄島唄の大御所・知名定男先生を総合プロデューサーとして、著名なミュージシャンが数多く参加してくれた。

宮沢和史(BOOM)さんはまだ得体のしれないイベントに第1回からレギュラーとしてほぼ全回参加していただき、宇崎竜童、BEGIN、ネーネーズ、かりゆし58、夏川りみ、南こうせつ……錚々たる方々が薄謝で集ってくださった。

東京、大阪などの大都会ならともかく、熊本のような地方都市では採算分岐点の2000人余りの観客を集めることは難しい。本来なら昨年が10回目だったが、残念ながら台風で中止となった。なんとしても10回はやるというのが東濱君との約束だったのだが自然の猛威には勝てない。

 

第10回「琉球の風」中止のため急遽ミニライブで歌うネーネーズ。もうすぐ2人が卒業

この季節(9月の最終日曜日)、いつも台風に悩まされ、しかし、9回までは運良く台風も避けてくれた。

これだけでも奇跡的なことだが、最後は、事前に沖縄から来ていたミュージシャン(知名先生、BEGINの島袋優さん、ネーネーズら)と夜が更けるまでミニライブと余興を行った。これはこれで楽しかったですがね。

その「ご苦労様会」として、今回の帰郷で一席設けさせていただいた。最大のスポンサーで女子サッカーを不遇の時代から支えてきたことで有名な黒糖ドーナツ棒を熊本を代表する人気商品に育て上げた「フジバンビ」の吉田高成会長も、仕事先の八代市からわざわざ駆けつけてくださった。

 

『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が「薔薇亭」に贈ってくれた筆画

委員長の山田高広さん、超ベストセラー『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が学生時代アルバイトしていて、海上レストラン「バラティエ」のモデルになったことでファンの間では有名な高級ステーキハウス「薔薇亭」店主で、私と高校3年間共に学んだ松藤春夫君、若者ファションの街「シャワー通り」を作り若者ブランド「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君らも来てくれた。Paul Smithさんがまだ有名になる前にニューヨークの展示会で知り合い意気投合、その場で30万円を投じ彼の商品を買い付けたことが最初とされる。

有田君は、中学3年の時に家庭の事情で八代市から転校してきたが、中学を卒業して以来ご無沙汰していたところ、「琉球の風」の第5回までの記録集『島唄よ、風になれ!』を製作中に、東濱君が作ったメンズショップで働いていたことが判り、元地元新聞記者の取り計らいで再会、実に40数年振りだった。爾来、帰郷するごとに一献傾ける機会を持つようにしている。

彼はPaul Smithの販売権を得たこと、そして何よりも彼自身の才覚で大ブレイクしたそうで、一時はビルを3つ持ち釣り三昧の日々を送ったというが、さすがに妻子に三行半を突き付けられ離婚、この際、ビル3つとPaul Smithの販売権を全て妻子に渡し、自分はゼロから再出発したという。何度も結婚―離婚を繰り返し、離婚するごとに全財産を妻に渡したという、往年の名時代劇俳優・嵐寛寿郎の現代版だ。

失礼な言い方だが、中学の時のイメージからすると、こんな剛毅な男とは思えない。今でも彼の熱烈なファンが多いらしく、自前のブランドを作り、妻子の店の斜向かいで店を構えている。

有田正博君の記事(2016年6月8日付熊本日日新聞)

「琉球の風」ご苦労様会。写真右から「フジバンビ」の吉田高成会長、筆者、ステーキハウス「薔薇亭」店主の松藤春夫君、「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君

◆高校の同窓会で旧友と再会した!

そうして、次は高校の同窓会だ。今年は趣向を変えて、同級生が灯篭祭りで有名な山鹿市の温泉街で土産物屋をやっているということで、温泉旅館でやることになった。

われわれの母校は当時、熊本商科大学付属高校といって新設校だった。通称「商付(しょうふ)」で男子校だった。われわれが第9期、未だ歴史も浅い開校から一桁の時代だ。その後、熊本商科大学が学部を増やし熊本学園大学に名称を変更し熊本学園大学付属高校と名を変えている。通称「学付(がくふ)」、今は男女共学になっている。同窓会の名は「紫紺会」と言う。

当時は、公立校に落ちた者の受け皿として設立され、新設校ということでレベルも低かったが、今では東大・京大にも合格するようにまでレベルアップしているようだ。

一昨年、関西の同窓会を久しぶりにやったところ、読売新聞大阪本社社長として赴任してきたばかりの溝口烈君(先輩‐後輩の関係から「君」付けで呼ぶ、「さん」や「氏」では変ですよね?)も出席してくれた。前任は、東京本社専務である。読売の社長というから、どんなコワモテかと想像していたところ、予想に反し物腰の柔らかい男だった。私も外部からはコワモテと思われているようだが、実際は軟派な男で、これと同じだな(苦笑)。

読売の評価はともかく、われわれの母校も、読売の専務、大阪本社社長を生み出すほどにまでなったか、と正直感慨深いものがあった。

ところで、今回の同窓会で最も嬉しかったのはHM君と実に40数年ぶりに再会できたことだ。彼は台湾・中国大陸に渡り、一時は死亡説まで流れたので、私が生きている間には会えないだろうと思っていた。本人に言わせると台湾・大陸を駆け巡り約30年頑張ったという。1年半ほど前に熊本に帰ったそうだ。寡黙でニヒルなイメージがあったが、けっこう能弁な男に変わっていた。仕事がそう変えたのか、久しぶりに日本に帰ってきて話したいことが一杯あるのか――。

高校を卒業し、大学に向かうために、当時は寝台列車に乗って行った。HM君は他数人と見送りに熊本駅に来てくれた。その後、彼は東京のH大学に入り、もう言ってもいいだろうが、私同様、当時の学生の多くがそうだったように学生運動に走った。彼の性格と地方出身者ということから、ラジカルに闘ったと想像する。逮捕の噂も耳にした。現在のH大の総長も一時共に活動していたとのことだ。しばらくして首都圏では人気があったブント叛旗派という党派に入り、1971年秋、当時沖縄返還協定批准阻止闘争で私も東京で活動していたところ、H大学の学園祭でバッタリ遭遇した。「なんばしよっとね?」と、叛旗派が根城にしていた教室だったかボックスだったかに連れて行かれ、幹部と思しき人物にオルグられた。彼はこのことを忘れていた。

その後、卒業してから私は大阪市内に出て働き始めた。75~76年頃だったか、叛旗派が解体し、展望を失ったHM君は熊本に帰るということで、大阪に途中下車し、曽根崎のスナックで飲んだ。当時出始めたばかりのカラオケ(カセットの時代だったですね)で彼は『五番街のマリー』を歌った。そのことを言うと「よう覚えとるね」と言った。このことも忘れていた。そして一晩私のアパートに泊まり熊本に帰って行った――それ以来の再会だ。

有田君との再会といいHM君との再会といい、なにか不思議なものを感じる。私たちも先が見えている世代、これからどれだけ旧友らと再会できるか、若い時には同窓会というと小バカにしてきたが、機会があれば、できるだけ足を運びたい。8月には4年ぶりに中学の同窓会があるという。もちろん万難を排し出席する。航空券もホテルも予約済みだ。

熊本商科大学付属高校(現・熊本学園大学付属高校)「紫紺会」9期同窓会

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

 

◆昨年の古希祭りに続き、今年も藤原敏男祭りが開催!

普段は仲がいいはず?の二人 藤原敏男氏と増沢潔氏(右)

3月17日、格闘技マスコミのレジェンド、舟木昭太郎さん(元・月刊ゴング編集長)主催のトークショーにて、今回は当時の全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男を窮地に追い詰めた山田ジム勢とのトークショーを中心に開催されました。

メンバーが揃ったところで増沢潔さんが「元選手が煙草なんか吸いなさんな!」と藤原敏男さんが吸っていた煙草を取り上げて火を揉み消してしまう意地悪。

「“元選手”だから吸ってもいいんじゃないの?」と返す藤原さん。今日もやり合う雰囲気が漂うパフォーマンスの序章。

キックボクシング隆盛期に起きた山田ジムとの戦い。

古き仲間から、日本で最初のムエタイジムと言われる山田ジムは、当時、会長がタイ国大使館職員の山田正さん。1969年(昭和44年)にNETテレビ(現・テレビ朝日)で放映されていた、「ワールドキックボクシング」に加わり、勢力を伸ばていきました。この局での放送はわずか1年で打ち切られるも、すぐに全日本系に移り、二大勢力の目白ジム、協同ジムに迫る存在となりました。

1971年11月5日、全日本キックの初代王座決定戦で8階級のチャンピオンが誕生。そのうちの2階級で山田ジム勢が制し、ウェルター級で錦利弘(協同)を1ラウンドKOしたのが増沢潔氏でした。2度就いた王座は陥落したものの、1974年3月9日、全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男(目白)とのノンタイトル戦が実現。

初回に増沢が左ハイキックを決めるも、第2ラウンド以降は藤原がペースを握り、最終ラウンドに前蹴りと右アッパーでの2度のダウンを奪って判定勝利した藤原でしたが、増沢のハイキックで、前歯を折られた試合でした。

藤原敏男35歳、現役最後の姿

◆戦いの感想は笑いに包まれるジョーク絡み!

増沢潔 「作戦というのは全然無くて、勝つか負けるかというだけですから、自分の中では1ラウンドから倒すという意識を持って、“当たれば倒れる”って思って行きました。自分は67戦やったけれども、倒せるときに倒しに行っている試合ばかりで、1ラウンドKOが多かったので、パンチ以上に蹴りも強いと思っていたんだけど、足が短くて当たらなかった。それがいちばん親を恨みます(笑)!次やったら勝てると思いますが、どうでしょうか!?」

藤原敏男 「格闘技に“次やったら勝てる”という言葉は無いよ!、あと“1ラウンドあったら勝てた”とか言う奴居るけどさあ。増沢の蹴りは当たれば倒れたかもしれなかったけど、当てさせなかったから俺は。頭良いんだよね俺!酒飲まなかったから現役中は(周囲失笑)!、でもロープに詰まって反動で返ったときに、まさかそこで増沢のその短い足は届かないと思ったから、蹴りをアゴに貰って前歯全部10本折られたよ。差し歯は1本50万円で全部で500万円だね。まだ(お金)貰ってないんだよ(笑)!」と理不尽な請求。

昨年も周囲を笑わす舌戦やっていたが、戦いが縁を深めた本当に仲がいい二人である。

初代チャンピオン(1971年)となったパネルを持つ増沢潔(2018.10.7撮影)

◆藤原敏男vs佐藤正信戦!

1975年(昭和50年)5月31日、藤原敏男の全日本ライト級王座4度目の防衛戦となった佐藤正信との対戦。第2ラウンドに藤原のヒジ打ちが佐藤の左目上を切ると、焦った佐藤は猛然と藤原に襲い掛かったが、パンチと蹴りで出て来る佐藤を見切って藤原は自分の距離を保つ素早いスウェーとフットワークで佐藤にパンチを当てさせず判定勝利。

佐藤正信 「パンチが全く当たらなくて、試合終わった直後に悔しくてグローブはめたまま思いっきりマットを叩きましたよ、“クソーッ”って!」

敗れた佐藤は後にウェルター級に上げ、1976年7月9日、沢野正典(渡辺)を倒しチャンピオンとなるが、藤原敏男を倒せなかったから階級アップしたようなものと振り返る。

昨年の因縁の再戦はジャンケンで勝っていた藤原さん(2018.10.7撮影)

藤原敏男71歳、脚は悪くなったが、弟子達の試合には今も出向く

◆敗れ去った3名と移り行く時代!

その同日7月9日、藤原敏男の土谷亮(山田)との5度目の防衛戦は、今度は土谷のヒジ打ちで藤原が額を切られるも、これで怒りの猛攻でこの切られたヒジ打ち以外は当てさせず、土谷を第3ラウンド終了TKOに下す。これで隆盛期の全日本キックボクシング協会の時代に、打倒藤原敏男に立ち向かった山田ジム勢3名は善戦虚しく敗れ去ったのだった。

その後、佐藤正信は、タイで藤原敏男と激闘を展開して判定勝利したルンピニースタジアム・ライト級チャンピオン.シリモンコン・ルークシリパット(タイ)に1977年(昭和52年)元旦に面目躍如のKO勝利、周囲を驚かせる快挙を果たしました。
名チャンピオンが揃う時代でしたが、この1976年3月で日本テレビが放映を打ち切っており、次第に斜陽期に移っていったキックボクシング界。向上する選手の実力とは正反対に、競技運営のマンネリ化がキックブーム終焉を導き、1979年の東京12チャンネルに続き、翌1980年、日本系もTBSが放送打ち切りへ続き、キックボクシング氷河期へ突入する時代でした。

昭和の良き時代の名勝負を語らせればまだまだ出て来るレジェンド達の話題。次回の舟木昭太郎さんのトークショーは4月20日(日)に目黒ジム同窓会を開催予定。長らく行方不明(冗談!)だった元・東洋ウェルター級チャンピオン.富山勝治さん御来場。藤原敏男さんとの37年ぶりの対面なるか。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」

4月9日16時30分から大津地裁で患者さん4名が滋賀医大病院附属病院泌尿器科の河内・成田両医師を相手取り「説明義務違反」により損害賠償を請求した民事訴訟と、岡本圭生医師の治療を望む「待機患者」7名と岡本医師が滋賀医大を相手取り「治療妨害の禁止」を求めた仮処分の審尋が大津地裁で同じ日に連続して行われた。

この訴訟と仮処分の日に患者会のメンバーは12時半頃から滋賀医大附属病院前で抗議のスタンディングを行った。患者会は昨年末に「岡本医師の治療継続」を求める署名活動を全国で展開し、短期間に2万8千筆を超える署名が集まった。3月13日署名の現物をもって厚労省、国会議員に嘆願・陳情を行った。それと相前後して病院前での「スタンディング」による抗議活動が始まっていた。冷え込みが強い今年の冬、早朝病院前での「スタンディング」は患者さんにとって、体力的にも厳しいに違いないが、毎回20名を超える参加者が集まり「抗議活動」が続けられてきた。

この日はこれまで最大規模の約35名が病院前に集まり、晴天ながらやや寒い風が吹く中約2時間にわたり、静かに大規模な抗議が展開された。抗議行動に音を上げたのか、病院の事務室ガラス窓は、途中からブラインドが下ろされる。これまでにはなかった病院の狼狽ぶりが観察できた。

約35名が病院前で約2時間にわたり、静かに大規模な抗議を展開した

患者会アドバイザーでフリージャーナリストの山口正紀さん

15時30分からは裁判所にほど近い大津駅前で集会が開かれた。患者会代表の惠さんが「きょうも晴天です。患者会の活動はきっと幸運に見守られているのでしょう」と挨拶をして集会がはじまった。患者会アドバイザーでフリージャーナリスト山口正紀さんが最初のスピーチにたった。

「3月13日厚労省への申し入れも取材しましたが、課長は 『違法行為が確認できないと動けない』というので『違法行為が確認できなくとも、異常なことが起こっていることはわかるだろう』と発言しました。翌日(3月14日)には病院のHPで『新たな小線源治療をはじめる』との告知がありましたが、なんとそれを担当するのは、いま説明義務違反で被告になっている成田医師だそうです。まったく施術の経験がない成田医師。研修を受けた、見学をしたから大丈夫と病院はいっていますが、驚くべきことです。わたしもガンと闘っていますが皆さん共に頑張りましょう」

山口氏はこの日スタンディングから記者会見までの始終を取材されていた。

待機患者の鳥居さん

続いて待機患者の鳥居さんが「わたしには心強い仲間が居ました。ご自身の治療は終わっているのに、手弁当で全国から集まってこられる先輩方の存在です。先日病院前のスタンディングに参加していたら『君は待機患者だろう。体を大切にしなさい。私が変わろう』と言葉をかけて頂きました」と名も知らぬ患者同士の結びつきにより支えられている患者会の運動についての感想を語った。

待機患者の宮内さん

同様に待機患者の宮内さんは「裁判所は常識的に『治療継続』との判断をしてくれると信じています。しかし目的はそれだけではありません。未来の患者にわれわれ同様『岡本メソッド』を受けられるようにする必要があります。そのためには岡本先生が大学に残り、後進の医師を育ててもらう必要があります。皆さん!がんばりましょう!」と元気な訴えを行った。

そのあと、提訴原告の大河内さんと患者会代表幹事で、街頭活動のリーダーが挨拶をし、頑張ろう三唱で集会は結びとなった。到底傍聴席には入りきれない80余名の集会参加者は裁判所前に移動し開廷をまった。

患者会のメンバーが、傍聴できないひとを裁判後、記者会見が行われる教育会館に誘導する。16時20分、傍聴席の扉が開いた。法廷の最後尾にテレビカメラが準備されている。この日の裁判は「冒頭撮影」がおこなわれることがわかった。社会的に注目の高い裁判に限り、テレビ局が裁判所に申請をすれば、代表撮影が2分間許される。

傍聴席には入りきれない80余名の集会参加者が裁判所前に移動し開廷をまった

いよいよ滋賀医大附属病院、泌尿器科を発信源とする問題の数々への注目が、本格的に広がりだしたことを示す証だろう。そういえば、この日病院前のスタンディングから、従来より継続取材と放送を続けているMBS(毎日放送)に加えてABC(朝日放送)の取材陣も新たにカメラを持って現れていた。

16時30分から予定通り「説明義務違反」の裁判が始まり、原告被告双方が準備書面の弁論を行い、参加人である岡本医師の代理人も準備書面を提出した(弁論)。原告側からは、証人として、塩田浩平滋賀医大学長、松末吉隆病院長、原告の申請がおこなわれたが、裁判長は被告に対して、再度の釈明(反論)を求め、被告が5月17日までに書面の提出を行い、次回期日は6月11日13時30分からと決まった。

弁護団長の井戸弁護士

引き続いて仮処分の審尋がおこなわれた。仮処分は非公開なので、傍聴席を埋めた患者会のメンバー取材陣は、記者会見が行われる、教育会館に移動した。仮処分の審尋はせいぜい15分から、長くとも30分程度と考え、記者会見は17時30分開始の予定であったが、記者会見がはじまったのは18時15分であった。

弁護団長の井戸弁護士が会見の遅れた理由などを説明した。井戸弁護士によると仮処分の審尋についての話し合いが長引き、5月中の結論を出せと要請しているが、和解のための期日が4月19日に設けられたとの説明があった。ただし、和解についてはデリケートな内容であり、申立人との確認が必要であることから詳細な説明はなされなかった。仮処分は、早くも決定的な局面を迎えることになった。

岡本医師が会場に現れ参加者に挨拶

記者会見終了後、岡本医師が会場に現れ参加者に挨拶をした。

「本日はお忙しい中、遠方からもお集まりいただきい誠にありがとうございました。私は本日も3名の方の治療を終えて駆け付けた次第であります。私自身、唯一の願いはなんとか待機患者さんを救えるように、また、まだ私の受診すらできず待っておられる患者さんを救いたい。そのことに頑張りたいその一念であります。さて私たちは患者さんの人権や人命を守るために一緒に闘っているわけです。しかし私たちが初めて闘いをしたわけではないことを最近知ることになりました。(中略)私はこの事件を知りとても勇気づけられました。私や私の待機患者さんには既に治療を終わられ、ひたすら利他の気持ちで患者さんを救いたい。なんとかそれに行動したいという多くの方がおられることに大変ありがたく思って居ることと、本当に誇りに思っております。2015年に泌尿器科の不当行為から原告を含める20数名の患者さんを救い出した時から、私の気持ちは一切変わっていません。私はこれまで通り命を懸けて待機されている前立腺がん患者の皆様を救えるように、これからも頑張っていきたいと思いますので、引き続きどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします」

岡本医師の挨拶のあと、拍手が鳴りやまなかった。

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連記事》
◎田所敏夫-滋賀医大小線源患者会が同病院正面玄関で抗議活動を決行!(2019年3月28日)
◎黒薮哲哉-[特別寄稿]小線源治療患者会が国会議員と厚生労働省へ嘆願、2万8,189筆の命の署名を提出の命の署名を提出(2019年3月15日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

3月31日18時に閉鎖予定だった大阪市西成区の「西成あいりん総合センター」(以下センター)の1階が現在も開いたまま、しかも24時間開放されている。当日は予想以上に大勢の人たちが集まったため全体が把握できなかったが、参加者らの情報を集約すると、先頭で抗議していたのは1月から続いていたセンターとの交渉に参加し、その後釜ヶ崎地域合同労組で労働相談を受けていた労働者や、仮移転先での募集業務に不満を持つ労働者など、比較的若い労働者が多かったようだ。

さらに遠巻きに応援してくれた人たちも多数いたこともわかった。「お上には文句言いにくいんや」という生活保護を受ける人、身体が弱いため抗議に参加出来ない人、シャッターの向こう側にいたが「良く止めてくれたな」という人たち。なかにはツイキャスを聞きかけつけた近所の若者、「俺らは引っ越すがセンターなくしたらあかん」という上の市営住宅の住民もいた。

予想外に多くの人たちが集まり、しかも誰かの指揮下ではなく、各々がそれぞれに抗議していたことなどが、結果として弾圧や排除を困難にしたのか。まさに数は力なり。しかし何と言っても流れを大きく変えたのは、降りかけたシャッターの真下に身体を横たえた労働者だ。シャッター下に集まる人が次々に増え、実質シャッターは降ろせなくなってしまった。「雨が降ったら野宿の人が困るやろ」と話す彼自身、長く野宿をしていたという。

いずれにしてもさまざまな形の抗議行動が、広いセンターのあちこちで展開され、結果シャッターが降ろせないまま時間が過ぎ、日付が変わり、大阪府がセンター管理者から外れた。

それ以降、センターでは自主管理状態が続く。なぜこのような事態になったのか?センター立て替えを前提とした「西成特区構想」とは、そもそも何を狙うのか、釜ケ崎から報告する。

「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」(4月8日撮影)

◆まさに今!「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」

4月1日午前0時にセンターの管理が大阪府から離れたことがわかったのは、2日の夕刻、西成労働センターに話し合いの申し入れをした時であった。管理者不在状態のなか、ゴミ回収やトイレ掃除など、当面の管理体制をどうするかが話し合われた。

ゴミに関しては、釜合労委員長の稲垣氏が、選挙中にも関わらず、大阪府に何度も問い合わせし続けた。
「センターから逃げた大阪府は、ゴミの処分に責任をとれ」(稲垣氏)
「不法占拠状態で怖いから(センターに)いけない」(大阪府)
「ならばこっちからゴミを大阪府庁に持って行く」(稲垣氏)
「不法投棄だ」(大阪府)を繰り返し、ようやくセンター1階は国の管轄になっていることを聞き出した。

4月5日(金)、国が管轄するあいりん職安(南海電鉄高架下)に「ごみを責任もって回収しろ」と要求したが、それは職安の仕事ではないと拒否されたため、責任もって国に伝えるよう要求、現在回答待ちである。テント村では毎日トイレ掃除と共にゴミ収集も欠かさず行い、センター内に集め管理している。

テントは24時間交代で仲間が待機し、各方面から届く支援物資の仕分けや管理をしたり、現地を訪ねてくる人たちに現状を説明するほか、医療、生活、労働相談も始まった。支援に来た人たちも立て看作ったり、食事をつくったり、ビラを書いたり……出来ることをやる。もちろんただ現場にいるだけでも力になる。

現在現場ではどのような支援が必要か、釜ケ崎医療連絡会議の大谷氏に聞いた。
「とにかく常時、センターにたくさんの人が集まっている状態を作っておくことが大事だと思います。現場の方からも、そのために様々な集会・報告会などイベントを企画し、センターで行っていきたいと考えています。次回は4月20日『センターの日』が13時から開催されます。ぜひ集まってください」。      

センターで寝床をつくり、寝ている人(4月4日撮影)

◆あの日、釜ケ崎の大きな屋根「センター」が閉まっていたら……

現在センター構内とその周辺には約90人の人たちが段ボールを囲いにしたりして野宿をしている。しかしセンターが開いていることを喜んでいるのは労働者だけではないようだ。センター内に車両を停め、募集業務を行う業者からも「助かったわ」と言われるそうだ。逆にあの日シャッターが閉まっていたら、現在センター周辺はどうなっていただろうか? 狭い道路は業者の車両と仕事を探す労働者、さらには「特掃」(特別清掃就労事業)の輪番の紹介を待つ労働者でごった返し、混乱が生じていたかもしれない。

センター建て替え、仮移転を考えた人たちは、そうした不測の事態を予測しなかったのか? あるいは昼間センターに入れず表に出された人たちがどうなるか? 人気のない場所で安心して野宿出来るのか? 雨の日、夕方シェルター開くのを待つ人たちは? 雨の日の炊き出しは? 労働相談の机だしは?釜ヶ崎の「大きな屋根」センターがなくなったらどんなことが起きるか、考えなかったのか?

◆大阪維新の「都構想」に反対する人はセンターに来たらええねん!

こうした現場の利用者や労働者の声を無視した「西成特区構想」が、何を狙っているのか? 4月7日のW選挙では残念なことにまたもや大阪維新を勝たせてしまったが、彼らの進める「都構想」とリンクする「西成特区構想」は、センターを閉鎖出来ず、事実上頓挫しているのだ。

その根本的な原因は「西成特区構想」が釜ケ崎の主人公である労働者をとことん無視して進められているからだ。さすが選挙で西成の「萩之茶屋」(はぎのちゃや)を「おぎのちゃや!おぎのちゃや!」と何度も連呼しまくる、現場を知らない元市長橋下氏のやることだ。すぐ近くの飛田遊郭では料理組合の顧問弁護士をやりがっぽり儲けたくせに。

センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」(4月5日撮影)

そんな労働者を無視した「西成特区構想」の実態は、センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」や「新萩の森予定地」を見ても明らかだ。労働者にとってセンターは、しばらく見てないツレを探しに行く場所、 スポーツ紙で皐月賞を予想する場所、夜勤開けにワンカップ飲む場所、夏場蒸し暑いドヤを出て風にあたる場所、激安スーパー玉出の半額弁当を食うところ……。彼らのような「椅子がある場所に閉じ込め管理すればいい」という発想からは、建て替え後のセンターがどのようなものになるかも容易に想像がつく。そこに労働者の居場所はない。

生活に困窮した者にとって最低限のライフラインを確保できる釜ケ崎のセンターには、かつてのような勢いのある労働者の流入は減ってはいるものの、精神疾患やさまざまな障害、ほかの地で行き辛さを抱える人たちがヘトヘトになりながらも辿り着いている。

どんな人をも寛容に受け入れる「日本一人情のある町」、それが釜ヶ崎だ。橋下氏同様、彼の手先となり釜ヶ崎に足を踏み入れ「荒んだ町だ」などと嘆いた鈴木亘学習院大学経済学部教授(元大阪市特別顧問。西成特区構想担当)らには、そんな釜ヶ崎の良さは死んでもわからんだろう。

センターでは様々な催しが開催されているが、9日(火)の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の16mm劇映画「月夜釜合戦」が上映された。映画にはセンターを大勢の仲間がデモするシーンも出てきた。

昨年秋、大阪、神戸、京都を皮切りに上映が始まり、その後フランス、ポーランドの国際映画祭にも参加、ポルトガルのポルト・ポスト・ドッグ国際映画祭では日本映画初のグランプリを獲得した。受賞理由は「社会の周縁へ追われる人々への共感。日本映画の体制批判の伝統を継承するその方法。この2つを理由に『月夜釜合戦』にグランプリを授与します。人々の厳しい生活の現実をもとにつくられた明朗喜劇であるこの作品は、共生そして寛容という共同体の他ならぬ意味を見出し、賛辞を送っている」とある。

「共生そして寛容」に溢れた釜ケ崎はいま、大阪維新の「都構想」を末端から食い止める場となっている。みんな、センターに来たらええねん!

センターでは様々な催しが開催されている。4月9日の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の劇映画「月夜釜合戦」が上映された(4月9日撮影)

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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