5月10日、滋賀医大附属病院小線源講座岡本圭生特任教授が、同大学病院泌尿器科の河内明宏教授を相手取り「有印私文書偽造」の刑事告訴を大津市警察に行った。岡本医師は代理人を立て10日14時30分から16時頃まで大津市警察内で担当の係官に情況説明を行った。

2019年5月10日付ABCニュースより

※2019年5月10日付ABCニュース(動画あり)のURLへ

弁護団長の井戸弁護士(2019年4月9日)

同時に小線源治療講座患者であった5名が「FACT-P」(生活状態調査)の「私文書偽造」(改竄)を「被疑者不詳」で同時に大津市警察にやはり代理人を立て告発を行った。患者代理人の井戸謙一弁護士によると、「2件ともまだ正式な受理はされていないが、『上司、県警本部と相談して対応を検討する』という答えだった。2時間以上にわたり詳しく話を聞いてくれた」とのことである。

数々の問題が山積する滋賀医大附属病院問題は、いよいよ民事事件としてだけではなく、「刑事事件」としての歩みを前に進めそうだ。滋賀医大附属病院よ、その大半を占める良識に満ちた医療関係者の皆さん!もう「私は知らない」では許されない。滋賀医大附属病院の将来のために、患者のために、あなた方の奮起がいま求められている。

ちなみに岡本医師や「滋賀医大小線源患者会」には、さらなる追撃材料もあるとの情報もある。

岡本医師に今回の告訴についてのコメントを求めたところ「告訴については事実に基づいて弁護士の先生方にお願いしました。それだけです。私の使命は、目の前の患者さん、私の治療を希望される患者さんの治療を実現するだけだと思っています」とのことであった。


◎[参考動画]滋賀医大による癌治療の妨害 岡本医師の妨害阻止に向けた闘い(安江博2019/2/11)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

◆20年超に及ぶ就労目的留学大国・日本

東京福祉大学の留学生約700人が「失踪」して行方不明になったことが問題化している。700人はあまりにも多すぎるけれども、この手の話は大学にとって珍しいものではない。「失踪」は大学にとって由々しき問題であるが、4月から改正入管法で、単純労働者の受け入れが既に始まっている。

厳格にビザで外国人による労働を規制していた時代とは違うのであるから、この問題も入管法が根本的に変わったことを加味して論じられるのが妥当である。日本にお金を出して留学してくるひとの多くが実は「就労(金儲け)目的」であることは、どうやら20年前と変わってはいないようである。

20年前わたしは大学職員として、留学生とかかわる職務に従事していた。2000年を目標に「留学生10万人計画」という愚策が、中曽根総理によってぶち上げられたのは、日本がバブルの真っただ中で、対米輸出黒字がさんざん叩かれていた時代だった。「貿易収支のアンバランスを人の輸入で埋め合わせろ」というわけで、理屈よりも建前が先行して進められた乱暴かつ愚かな政策であったが、文部省(のちに文科省)は、大学の足元をみて留学生の受け入れを半ば強制した。


◎[参考動画]大勢の留学生“所在不明”受け大学に立ち入り調査(ANNnewsCH 2019/03/26公開)

◆「臨時定員(臨定)」という名の落とし穴

仕組みはこうだ。「臨時定員(臨定)」と呼ばれる、入学定員の割り増しが第二次ベビーブームを見越して、各大学に振り分け充てられていた。大学にとっては同じ施設、同じスタッフで割り増しの学生を受け入れることが許されるので「おいしい話」であった。だがその名の通り「臨時の定員」なので、18歳人口が増加から減少に転じるタイミングで各大学は「臨時定員」を文科省に返上しなければならなかった。ここに落とし穴があったのだ。大学はスケベ心を出さずに、さっさと「臨時定員」を返上して、元通りの定員に戻せばよかったものを、多くの大学は「臨定」のうまみが忘れられず、それを恒常的な定員化したいと考えた。

文科省は「臨定をそのまま維持したいのであれば定員の3割を留学生・帰国学生・社会人のいずれかで埋めなさい」と条件をだした。帰国学生(帰国子女)の数などごくわずかであるし、社会人が学生として大学で学ぶには、学費・入学時期・講義の開講時間など様々な障壁があり大量獲得は現実的ではない。そこで各大学がターゲットを絞ったのが留学生の獲得だった。

わたしの勤務していた大学もその波にのまれた。留学生の獲得のために日本国内の日本語学校や、アジア諸国を中心に学生募集に走り回った。そして今から考えれば身の丈にあわないほど多くの留学生を受け入れた。ただ、その大学は建学の理念に「国際主義」を掲げていたので、行政の強制による「留学生受け入れ」が強行される前から、地道に留学生を受け入れ、きめ細やかなケアーをしてきた蓄積があった。

先輩方からマニュアルとしてではなく実践でその実務を学びながら、わたしも留学生担当職員として数百人の留学生と接した。言い忘れたが、わたしが初めて留学生担当業務にかかわったのは、大量の留学生を受け入れる前のことだ。その頃は在籍する留学生全員の名前、年齢はもちろん、下宿やアルバイト先まで把握し、何か問題があれば徹底的に付き合っていた。警察や裁判所に出かけ社会勉強させてもらったのも、留学生のおかげである

◆一貫して、一貫していない入管行政に翻弄される

留学生に限らず、他国で暮らすのは刺激もあろうが、不便や不都合がついて回る。大学に入学できる日本語力を備えているので、日常生活に不自由することはないが、病気にかかったとき、交通事故にあったとき(これが非常に多かった)の対応などは、留学生本人だけで解決は難しく、われわれが手伝うことになる。そして留学生には「資格外活動」という呼称で上限を定めアルバイトが認められたが、風俗業(パチンコ、スナックなど)で働くことは許されていなかった。けれども数多くない留学生の中にも「夜の仕事」に従事し、割のいい収入を得ようとする者もいた。

当時、入国管理局(入管)に風俗営業で留学生が「資格外活動」をしている現場を押さえられたら、即強制送還だった。だから留学生が「夜の仕事」に就いていることがわかると、呼び出して「止めるように」説諭した。それでもとぼけて「そんなことやっていません」としらを切る留学生もいたが、わたしは、そのような場合留学生が働いている店に乗り込んで、現場を抑え就労を断念させた(そのために30分で4万円を自腹で支払ったこともあった)。

短期的には効率よく稼げるようでも、「夜の街」の仕事にはまると金銭感覚がマヒし、学業よりもアルバイトがメインになり大学へ姿を現さなくなる。最悪のケースは入管に踏み込まれ身柄を拘束され、強制送還だ。わたしの在職中にも数人強制送還された留学生がいた。そういった失点がつくと、他の留学生が入管でビザの延長をする際にも悪影響が出る。

入管のビザ申請手続きは、猫の目のようにころころ変わる。留学生への嫌がらせとしか思えないほど、煩雑で数多くの書類提出を求めていた時期があったかと思えば、突如「入学許可書と顔写真だけで」留学ビザが下りるように変更される。きのうまでのあの苦労はなんだったのかと思えるほど審査手順が頻繁に変更されるのが入管業務である(その延長線上に今回の単純労働者受け入れの「入管法改正」を考えれば、一貫して「一貫していない」入管行政の正体が理解されよう)。


◎[参考動画]東京福祉大学紹介(東京福祉大学入学課 2017/08/04公開)

◆中国人から見てもリーズナブルな旅行先となったインバウンド日本

中国だけでなくアジア各国、世界中からの旅行者が増加している。このことを冷静に考えよう。日本に来る旅行者の多くは「短期滞在」ビザを取得する。出発前に本国で取得しなても、日本空港に着いたらそこでビザが発給される国も増えてきた。そして20年まえにはまず認められることのなかった、中国からの個人旅行者へ簡単にビザが下りるようになった。日本訪問のビザ取得が簡易化されたことは、旅行者増加の一因ではある。加えて海外からの旅行者にとって、日本は比較的リーズナブルな旅行先となったことも重要な要因だ。バックパッカーが安宿に泊まって、ファーストフードで食事すれば1月滞在しても10数万円あれば充分生活可能だ。

つまり日本のデフレが観光客呼び込みの主要因であると、わたしは考えている。外国の貧乏学生でも日本を旅することは可能な時代になった。他方、それでもアジアを中心に、いまだに日本とは貨幣・経済格差の大きい国からは「金儲け」の場所として日本が見られていることも事実である。

すっかり聞かなくなったけど「おもてなし」は短期旅行者だけではなく、長期滞在者にこそ必要な配慮であり、冒頭上げた東京福祉大学の例をあげるまでもなく、日本全体の長期滞在外国人への接遇感覚は、単純労働者を受け入れられるとは到底いいがたいレベルに留まっており、この先「軽率な判断をした」と悔やみ、反省を迫られる日が必ずやってくる、とわたしは確信する。自国民もろくろく幸せにできない政権が、外国人労働者を手厚くもてなすはずなどない。これがわたしの推測の根拠である。


◎[参考動画]遠藤誉 東京福祉大学国際交流センター長(jnpc 2012/06/12公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

〈片岡さん・・・私は死ぬまで、ココを出られませんヨ(本当に。)よわりましたです・・・。〉

今年3月、小松武史(52)から届いた手紙には、そんな弱気な言葉が綴られていた。獄中生活も20年近くになるから、精神的に落ち込むこともあるようだ。

事件が起きたのは1999年の10月だった。桶川市の女子大生・猪野詩織さん(当時21)が元交際相手の風俗店経営者・小松和人(同27)や配下の男たちから凄絶なストーカー被害を受けたうえ、JR桶川駅前で和人の部下の久保田祥史(同34)に刺殺された。

警察捜査は後手後手に回り、首謀者と思われていた和人が逃亡先の北海道で自殺。その後、「主犯」として逮捕されたのが、和人の兄である武史だった。

武史は消防隊員として働きながら、副業で和人の風俗店経営を手伝っていたとされる。裁判では、「弟・和人の意向を受け、久保田に猪野さんの殺害を依頼した」と認定され、無期懲役判決を受けた。そして現在も千葉刑務所で服役中だ。

だが、実を言うと、武史は逮捕されて以来、一貫して冤罪を訴え続けており、実は現在も再審請求を準備中だ。私が6年前、武史と手紙のやりとりを始めたのも、冤罪主張の当否を検証するためだった。

小松武史が服役している千葉刑務所

◆「弟思い」とみられていたが・・・

〈私は、かくすような事は、何もないので、ザックバランに何でも書いて下さい。どのような事にも答えたいと思っております〉

最初に武史から届いた手紙には、そう綴られていたが、実際、武史は聞かれたことに何でもよく答えた。そして意外な真相を口にした。

〈私と弟の関係ですが(略)私は当時より(前妻も)弟が大嫌いですし、死んでも私の恨み憎さは、まだ半分あります!〉

武史は、弟思いゆえ、和人を振った猪野さんの殺害を久保田に依頼したと考えられてきた。しかし、実際は和人が嫌いだったというのだ。

◆怒りのエネルギーで生きてきた

武史によると、実行犯の久保田は、本当は武史ではなく和人の意向をうけ、猪野さんを襲ったという。だが、久保田は和人に良くしてもらっており、反対に武史を嫌っていたため、「殺害は武史の依頼だった」と虚偽を供述。そのせいで冤罪に貶められたというのだ。

武史は手紙で、その怨みも連綿と綴ってきたこと。

〈全てを失い、冤罪とかゆうレベルではないと思いましたし、怒りを通りこし、当然、当時は生きていたくないと毎日思っていましたが…不名誉なまま終れないと考え、怒りのエネルギーで、今日まで生きて来てます〉

今年10月で桶川ストーカー殺人事件が発生して20年になる。ずいぶん長い年月が過ぎたが、事件はまだ多くの人が記憶しているはずだ。武史が再審請求に動くようなら、その動向はまた当欄でお伝えしたい。

猪野さんが刺殺された桶川駅前の現場

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

天皇代替わりに覆われた10連休は、まさに皇室ウィークともいうべき報道に包まれた。そのいっぽうで、安倍政権はいよいよ「条件抜きの日朝首脳会談」の開催にむけて動き出している(5月2日付報道)。すなわち、従来の「日本人拉致問題の進展を前提条件に、日朝首脳会談にむけた外交交渉」を投げ捨て、会談実現の事実づくりに動き出したというのだ。

 

2019年5月2日付産経新聞

日朝首脳会談への新たな対応方針は以下のとおりだという。

〈1〉条件を付けずに金氏と会う。
〈2〉2002年の日朝平壌宣言に基づき国交正常化を目指す姿勢を強く打ち出す。
〈3〉北朝鮮が求めるあらゆる議題に関し、腹を割って話し合う、というものだ。

そもそも手詰まりの外交交渉に、打開のメドがあるのかどうかはともかくとして、朝鮮半島をめぐる各国の首脳外交に後れをとったばかりか、完全に孤立しつつあることへの危機感が観測気球を上げさせたとみるべきであろう。

昨年1月に朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の金正恩委員長が平昌(ピョンチャン)冬季五輪に参加表明すると同時に、南北首脳会談を提唱して以降、安倍政権は一貫して非核化抜きの和平交渉に反対してきた。ところが南北融和が進むとともに米朝首脳会談が二度まで開かれ、中朝および露朝首脳会談が開かれるにおよんだ。ここに至って、わが国の孤立は国際社会に明白となっていた。条件抜きでの日朝首脳会談とは、まさにこの危機感によるものにほかならない。

 

2019年5月2日付朝日新聞

◆またしても政治的ポーズか

だがこれだけならば、2002年の平城宣言に基づいた独自の日朝交渉として、昨年らい安倍政権が模索してきたことである。米朝首脳の対話に拉致問題を託しつつ、北朝鮮の歩み寄りを期待してきた安倍政権にとって、米朝会談の物別れは「完全非核化の原則を守った」という評価とは別に、拉致問題の凍結を意味するものだった。

拉致被害者家族会の内部からも、安倍政権は何もしていないとの批判が噴出しているという。事務局長を辞任した蓮池透氏の「安倍晋三による拉致事件の政治的利用」という批判が、いまや現実性をおびて感じられる空気になっているのだ。

安倍総理は3月6日に官邸で家族会と面会し、拉致問題の解決にむけて「つぎは私自身が金委員長と向き合わなければならない。あらゆるチャンスを逃さない」と語っている。だがそもそも、交渉の糸口はあるのだろか。外交筋では、米朝会談の行き詰まりによって、北朝鮮も日本を窓口にする可能性がある、としている。あくまでも「可能性」などの希望的観測にすぎないのだ。

米朝首脳会談において、トランプ大統領は「完全な非核化を実現すれば経済制裁は解くが、本格的な経済支援を受けたいならば日本と協議するしかない」と金氏に説明したと、日本の外交筋は明らかにしている。その上で「安倍首相は拉致問題を解決しない限り、支援には応じないだろう」と述べたとされる。

この説明を受けて、金委員長は、安倍首相との会談に前向きな姿勢を示したとされているが、これはどこまでが事実なのか。会談中に北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」という従来の見解は一度も示さなかったというが、それは本当なのか。アメリカとの交渉のなかで、あえて何も言わなかったという見方もできる。つまり、すべては伝聞の憶測にすぎないのだ。

◆日本は「永遠にひざまずけ」(北朝鮮宣伝サイト)

このかん、北朝鮮が韓国向け宣伝サイト(わが民族同士)に公表しているのは、慰安婦問題および徴用工問題への言及である。そしてそれは、真っ向からわが国を批判する内容なのだ。

すなわち、韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長の「日王(明仁天皇)が慰安婦に謝罪するべき」という発言に安倍総理や河野外相が強く反発していることに対して「虚偽と欺瞞(ぎまん)を体質化した島国の種族にのみ見るずうずうしさの極致にほかならない」「20万人の朝鮮女性を連れ回して性奴隷生活と生き地獄を強要し、840万人余りの朝鮮人を強制連行し、100万人余りを虐殺した」

「日本は永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇だ」
「全同胞は、過去の罪悪へのわずかの反省もなく、鉄面皮に振る舞う日本反動らの妄動を徹底的に粉砕してしまうべきだ」と、徹底的に批判しているのだ。

つまりこういうことだ。アメリカ(トランプ)が経済制裁を解いたあとは、日本はアメリカの代わりに経済援助をする。そして北朝鮮は「永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇」の日本に、永遠に無償の援助を行なわせる。なぜならば日本は戦犯国であり、アメリカの属国であるからだ。

◆対話は可能なのか?

すくなくともレーダー照射事件や慰安婦問題、徴用工問題で韓国と最悪の関係にあり、中国やアメリカ、ロシアとの関係においても主導的な外交関係にない日本を、北朝鮮が地域における主要なプレイヤーと位置付けているとは、とうてい思えない。アメリカとの交渉のあとに付いてくる、「賠償責任のある戦犯国」あるいは「援助国」にすぎないのだ。

すでに拉致問題は、2014年のストックホルム合意を受けての北朝鮮当局による調査は終わっている。その結果は「8名死亡およびその他は死亡」だった。日本政府は要員を送り込みながらも、この調査報告書を覆せなかった。その結果、調査報告は受け容れられないとして、日本の側からのみ「調査は中断されている」ことになったのだ。したがって、平壌宣言に立ち返ろうとも拉致問題は一歩も前進しない。したがって、今回の安倍政権による「条件抜きの首脳会談」はあらかじめ画餅であり、何もできないことを前提の政治的ポーズであると指摘しておこう。


◎[参考動画]トランプ大統領に総理明言「無条件で日朝首脳会談」(ANNnews 2019/5/7公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

これまで釜ヶ崎現地で食堂を営みながら労働者を支援している尾崎美代子さんからの報告をもとにお伝えしているように、先月から釜ヶ崎の動きが目まぐるしく転回しています。どういう経緯で知り合ったか思い出せませんが、尾崎さんとはもう20年余りの付き合いになり、誰がなんと言おうが、その人間性を信じています。彼女の報告にウソはないと思います。

彼女は、食堂を営みながら、冤罪や福島支援、女医変死事件などに積極的に奔走されています。

 

西成労働福祉センター

一部の関西マスコミも報道しているように、突然の西成労働福祉センター1Fの強制閉鎖で多くの労働者が雨宿りの場所を追われ排除されています。これに対し異を唱える労働者のみなさんが抵抗し、一時は閉鎖を阻止し占拠、自主管理していました。

しかし、それも強制力で排除され、労働者のみなさんは、外にテントを張ったりして過ごされています。今はしのぎやすい季節ですからまだいいとしても、これから来る酷暑は大変です。

センターは、日本が高度成長で沸き、大阪万博があった1970年に竣工しています。階上には病院、公営住宅を持ち、しかしながら老朽化や耐震性などで問題があり建て替えは既定路線とのことです。さすがにこれだけの大きな建物をすぐに取り壊し建て替えはできませんから、これらあと2年ほどは移行期として閉鎖されずにやっていくそうです。

単純な疑問は、それなら、労働者の集まり場所になっている1階だけを突然閉鎖せず、労働者のみなさんの今後の行く末を面倒見ながら向こう2年間にわたってソフトランディング的に進めていけばよかったんじゃないんでしょうか(というのが外部の者の素朴な感想です)。

この連休も私のような中小企業経営者は、ゆっくり休めず休み明けの業務の準備に大わらわですが、1日割いて釜ヶ崎に陣中見舞いに行ってきました。

この通信でもお馴染みの「カウンター」リンチ事件被害者M君も同行してくれました。彼は東北地震の被災地にも陰ながらボランティアに駆けつけるような好青年です。

カップ麺50個、水、カンパなどをお渡しし、喜んでいただきました。東京から青年が支援に来ていました。後日また仲間を連れてくるそうです。まだこういう青年がいて頼もしい限りです。

例の「代替地」とされる場所も見ましたが、30人ほどが集まれるテントと長椅子、仮設トイレを設置しただけの簡素なものでした。もちろん雨もしのげません。

「代替地」。労働者をバカにするのもいい加減にしろ!

私たちは労働者の側に立ち、こういう強制力によるセンター閉鎖と労働者排除に対しては、断固抗議する労働者の方々を支援します。

尾崎さんらが労働者のみなさんと共に抗議の声を上げるのは当然で、おとなしくしているほうがおかしいです。もし足元で起きたことに黙っているのなら、「尾崎さん、どうしたの?」と疑問を投げつけるでしょう。

センター閉鎖・労働者排除を黙過した人たちもいたようですが、私としては、小異を捨てて大同につくの精神で一致して戦ってほしいと願います。

以前から釜を代表する人物のひとり稲垣始さんは、労働者の先頭に立って怒りの声を上げ抵抗されました。当然です。

釜ヶ崎には二つの組合があり、稲垣さんが委員長を務める「釜ヶ崎地域合同労働組合」(釜合労)と、「釜ヶ崎日雇労働組合」(釜日労)です。どちらも長い歴史を持ち、元は同じということです(釜日労の初代委員長が稲垣さん)。80年代はじめに分裂し、以後ずっと対立しているようです。「釜合労」が名誉毀損で「釜日労」を訴え勝訴したこともあるとされています。賠償金600万円余りで高額です。双方言い分もあるでしょうが、もうそろそろ矛を収めたらいかがでしょうか。

今回の閉鎖騒ぎでも、「釜合労」は所有するバスをセンターに入れシャッターが閉めれないようにしたり頑張っていました。

閉鎖に抵抗した釜合労のバス

 

排除された労働者の荷物とテント

ところが「釜日労」の姿が見えません。こちらの方々のほうが多数派で戦闘的だと聞いていましたので、こういう時には奮闘しているのかと思っていました。なにか逆のようで、正直ちょっとガッカリです。あとからいろいろ講釈を垂れるのは誰でもできます。

今回の事態については『人民新聞』も報じていましたが、これに対しても長文の批判文を委員長名で出しています。地元大阪のことですし、常に弱者の側に立つ『人民新聞』が報じるのは当然で、ちょっとみずからに都合が悪いとすれば不倶戴天の敵のように見なすのはいかがなものでしょうか?

また、1日には「釜日労」関係所有のテントが何者かに破られるという事態が起きています。由々しきことで、抗議文を出すのは当然です。犯人はまだ判っていませんが、なのに、「この街の事情をまだよく知らない新参者の仕業には間違いない。また、それを煽る連中の存在が一役買っているのも事実だろう!」と、まるで「釜合労」や尾崎さんらが犯人であるかのように仄めかすのはいかがなものでしょうか。大いに疑問です。私の知人の多くも「いいね!」したりコメントしたりしていますが、逆に「お前ら、労働者と共にセンター閉鎖に抗議しろ!」と叱咤激励していただきたいと思います。

さらに、尾崎さんや飛松五男さんらが尽力されながらも未解決の「女医変死事件」についても、「釜日労」は冷淡で、これを報じた『週刊金曜日』に強く抗議したそうです。今回の『人民新聞』への抗議に似ています。人民の側に立つことを公言するならば、逆に事件の真相究明のために力を貸していただきたいと思うところです。

尾崎さんと長い付き合いがあるからといって、尾崎さんが先のテントを破ったりしたのなら諌めますし、こうしたことが繰り返されたりするならば訣別します(同行してくれたM君リンチ事件で、その日和見主義的態度を取り、四半世紀以上の付き合いがあった鈴木邦男氏と義絶したように)。また、「釜合労」「釜日労」、どちらに与するわけでもなく、労働者の利益のために頑張っているほうを応援するのは言うまでもありません。

新潟出身で東京の大学に行き、在学中に新聞会の活動を通して山谷や釜ヶ崎の問題に関心を持ち、20数年前に釜ヶ崎に居を据え食堂を開いた尾崎さんの想いは素晴らしいと思います。私が尾崎さんの立場ならできません。

 

「はなまま」尾崎さんの2019年5月5日ツイッターより

女ひとりで食堂を営んでいますので、けっこう怖い場面もあるようで、刃渡り40センチぐらいののこぎりを持って食堂の前に居座られたりしたことも。こういう時には食堂のお客さんや仲間らが追い払ってくれるそうです。

尾崎さんは、時折冤罪や原発問題などで講演会を開いたりしますが、仲間らが手伝ってくれ、けっこう人数を集めます。来月には湖東病院冤罪事件被害者で先頃再審を勝ち取った西山美香さんと主任弁護人の井戸謙一弁護士(私たちが支援している滋賀医大問題の患者側の代理人でもあります)も来てくれるそうです。

一時は「一億総中流」などといわれた時代もありましたが、今はそんなことなど誰も信じません。ほんの一部の上流とほとんどの下流(嫌な言葉です)の格差が広がり、一所懸命働き年金も積み立ててきたのに年金さえもまともにもらえない(もらってもそれだけでは生活できない)社会になっています。一千万円単位の退職金をもらえるのは公務員とほんの一部の大企業ぐらいでしょう(ここでもほとんどの民間企業、特に中小企業との格差です)。

釜ヶ崎や山谷には、そうした格差や貧困問題が凝縮されていると思います。時代や社会が変わり、街が小奇麗になっていくのは、ある意味で致し方ないとしても、たった一人の労働者も弱者も切り捨てることなく都市計画を進めていただきたいと、あらためて感じました。

これからも情況は激しく転回していくと思われますが、釜への注目をお願いいたします。

 

『NO NUKES voice』18号 「はなまま」尾崎美代子さんによるフォークシンガー中川五郎さんインタビューを収録

『NO NUKES voice』19号「はなまま」尾崎美代子さんによる報告「美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?」を収録

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

◆会社のサイトやパンフレットは「嘘のオンパレード」

さて「就活」にあたっては、会社のサイトを閲覧したり会社説明会に参加するというのが通例だが、そこで得られる情報など嘘ばかりである。サイトの会社紹介は嘘のオンパレードであり、いかに良く見せようとばかり考えている。会社説明会でも悪いところ(会社の真の姿)はまず言わない。実際入社してみると、給与や勤務時間などで言われていたのとは違ったという話は多い。

自殺した男性の遺族の記者会見

例えばニュースになったが、JAXAの人工衛星「いぶき」の管制業務を請け負っていた男性(当時31歳)が2016年10月に自宅で自殺したという事件があった。

※参照『JAXA管制業務の31歳男性が過労自殺 労災を認定』

男性は管制業務に就いてから、16時間半に及ぶ夜間勤務を月に約7回こなし、月の残業が70時間を超えることもあった。さらに管制業務に加えてソフトウェア開発まで命じられていた。仕事のことで、同僚の前で上司に厳しく叱責されることもあったという。土浦労基署は長時間労働やパワハラが自殺の原因だと判断し、労災と認めた。

男性が勤めていたソフトウェア開発の「株式エスシーシー(SCC)」(東京都 中野区)のサイト(https://www.scc-kk.co.jp/edcgroup/index.html)によると「従業員満足の実現」とは

・明るく健全な職場環境を維持し、働きやすい環境を維持しています。
・会社を支える社員を人財として大切にします。
・社員は常に誠実、真摯に業務に取り組み、自己向上に努め、会社に誇りと自信を持って行動しています。

だという。まったく皮肉である。実態は過剰労働やろくでなしの上司のパワハラで徹底的に搾取されていたのである。

もう一つの事例をあげよう。

私の友人の話によると、品川の西五反田にある会社で「ダイバーシティ(多様性)を重んじる」という会社・C社を受けた。C社は主に証券や金融システムを作っていて、AIやブロックチェーン(仮想通貨などに使われる最新技術)の研究にも取り組み、「働き方改革」に熱心であるとサイトでPRするなど一見「進歩的な」IT会社であった。友人はいざ受けたが、あっさり落とされたという。

私は友人が落とされた理由で思い当たる節があった。友人は吃音であった。その会社はプログラミング未経験の文系出身の学生も採用しているので、情報系の学科にいる友人は能力的に問題ない。また彼は自身のブログで制作した作品を公開しており、プログラミング能力や文章力も十分あることを第三者から判断できるようにしている。また友人は小さなIT企業でアルバイトをしていることも会社に伝えていた。となると、やはり吃音が影響したと考えざるを得ないのである。

「多様性を重んじる」というなら吃音者も受け入れることもダイバーシティだと思うが、結局C社はハンディキャップのある人間を排除した(つまり差別した)のである。

以上のように会社のサイトに書いてあることがいかに偽善や嘘で塗り固められたものであるかがよくわかる事例である。

「就活で多くの会社を見れていい」という意見もあるが、「就活」で会社が本当の姿を見せることはまずない。会社説明会や選考に参加した程度で、得られる情報量など知れている。また、何社受けようと入社するのは1社である。こんなばかばかしい活動に時間やカネをかけている暇はない。どうせ本当のことがわからないのなら、会社のパンフレットやサイトを見れば十分であろう。

◆「就活」現象の活性化によって得をした就活情報会社の犯罪

就活情報会社といえば、マイナビやリクルートが有名である。今の「就活」で得をするのはこれらの就活情報会社であろう。新卒ですぐに会社を辞めた者はまた、「マイナビ」や「リクナビ」などのサイトで「就活」を始めなければならない。会社としても人材を探すために再度、これらのサイトに登録料を支払う必要がある。

多くの会社と学生が「出会える」機会を提供しているのかもしれないが、その結果1つの会社に多くの学生が殺到し面接は「いかに落とすか」になっていく。その結果、2、3時間程度の面接で「判断」しなければならなくなる。学生としてはいい加減な「判断」で自分を「評価」され、そして否定される。これが内定をもらえない限り延々と続くのである。最悪の場合は自殺するケースもある。

就活情報会社はこれらの現実をどう考えているのだろうか?

◆様々な働き方

日本では就職=就社となっている。大学などの学生に対して、会社勤めを前提に就職活動をするように迫る。簡単ではないが、フリーランスや起業も考えてもいいのではないか?「働き方改革」と謳うが、会社勤めが前提なのは変わっていない。

また、会社勤めは安定しているようにみえるが実は不安定要素が多い。リーマンショックのような不況が起これば、普段まじめに勤務していても容赦なく解雇される。せっかく入社できても職場にあわなければやめ、別の会社を探す必要がある。また、会社がブラック企業なら徹底的にこき使われ人生の貴重な時間をうばわれる。最悪の場合はうつ病になるか過労死である。

どれだけ自分の仕事に愛着があっても、このような状況では集中して取り組むのは難しい。社会全体で、会社勤め以外の多様な働き方を考える必要がある。

日本はもはや社畜絶望社会である

◆お先真っ暗の「令和」

最後になるが、「令和」という時代は「平成」以上に悪い時代になると思う。「令和」という時代はより一層「平成」の時代に形成された矛盾(貧困・ひきもり人口の増加や原発事件、外国人労働者の搾取などの問題)が大きくなっていくことだろう。

会社などに振り回される人生ではあってほしくない。私もアフィリエイトやクラウドソーシングでのWebアプリ開発、発明などで会社に振り回されない、自立した生活を送りたいとつくづく思う。(完)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

キックボクシング50年の歴史は分裂の繰り返しでもありました。なぜ分裂は起こるのか、政治と同じような派閥組織の永遠のテーマであります。

21世紀に入り、新たに始まったのが団体に属さないフリーの興行プロモーターの多発。更に興行とは別の認定団体誕生。2013年にはMA日本キックボクシング連盟から脱退したジャパンキックボクシングイノベーションが誕生。

JKAロゴ

そして平成最後の年にまた分裂で令和元年初日に新しい団体が誕生。新日本キックボクシング協会から脱退したのが“ジャパンキックボクシング協会”という名の団体発足となりました。かつての日本キックボクシング協会の復興ではありません。本当はそうしたかっただろうとは推測できますが、そこには“老舗”を名乗れない事情があります。

キックボクシングの原点は1966年1月に設立された日本キックボクシング協会で、TBSの全国ネットによる隆盛、斜陽から氷河期を経て1984年11月に統合団体に吸収された後、1996年3月に、後のMA日本キックボクシング連盟から脱退し、日本キックボクシング協会が復興した原点回帰から始まるのが新日本キックボクシング協会とそこから分かれたジャパンキックボクシング協会のふたつの団体です。

新団体の代表となった長江國正氏は現役時代、藤原敏男や島三男、ビラチャート・ソンデン、ベニー・ユキーデといった名のある世界的トップと戦った元・全日本フェザー級チャンピオンで、WKA世界ライト級王座にも就きました。1984年に引退後、治政館を開設して2001年1月には武田幸三をタイ国ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオンまで育て上げています。初めての団体代表となる長江國正氏が率いるジャパンキックボクシング協会の今後の活動は順風満帆か波乱万丈か、しっかり見ていきたいところです。

ジャパンキックボクシング協会代表となった長江國正氏

以下は、ジャパンキックボクシング協会広報部より発表されましたリリースです(4月16日配信)。

———————————————————————-

「このたび所属しておりました新日本キックボクシング協会と今後の方向性などの話し合いの結果、円満に退会することとなり新団体を発足する運びとなりました。
令和元年5月1日より『ジャパンキックボクシング協会』を設立し、同じく前団体から退会した有志のジムと新たに加盟するジムで団結し、5月12日(日)後楽園ホール大会でのプレ旗揚げ戦より活動をスタートしていきます。

日頃の皆様のお引き立てに心から感謝するとともに、何卒倍旧のご支援お引き立てを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

ジャパンキックボクシング協会  
代表・長江國正  

 

5月12日開催KICK ORIGIN興行ポスター

団体名:ジャパンキックボクシング協会
(JAPAN KICKBOXING ASSOCIATION)
設立日:令和元年5月1日

執行部
代表・長江國正(治政館ジム会長)
副代表/統括本部長:小泉猛(市原ジム会長)
興行本部長:八木沼広政(ビクトリージム会長)
事務局長:鴇稔之(KICK BOX会長)

ジャパンキックボクシング協会事務局
〒144-0052 東京都大田区蒲田5-12-2バリアビルB1F

前団体で現役王者であり所属団体移籍の為、ベルトを返上した下記の両選手につきましては当協会におきましても初代王者に認定することが決定しました。

ジャパンキックボクシング協会フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
ジャパンキックボクシング協会フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー)

またジャパンキックボクシング協会旗揚げ戦は8月4日(日)後楽園ホールに於いて、年内興行は11月(後日発表)を予定しております。

KICK-Origin / 5月12日(日)後楽園ホール17:00~
主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

石川直樹。王座は2016年10月23日、4R・TKO勝利で泰史(伊原)から奪取したのが原点

《予定カード》

第11試合 52.5kg契約 5回戦
JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
VS
儀部快斗(タイ国RAM100スタジアム114pondチャンピオン/エクシンディコンJAPAN)
第10試合 タイ国チェンマイスタジアム認定バンタム級タイトルマッチ 5回戦
チャンピオン.馬渡亮太(治政館)
VS
挑戦者同級1位.ペットモンコン・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ)

第9試合 フェザー級3回戦
瀧澤博人(元・日本バンタム級チャンピオン/ビクトリー)
VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(チェンマイスタジアム・フェザー級C/タイ)

第8試合 58.0kg契約3回戦
JKAフェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX)
VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイ/タイ)

第7試合 63.0kg契約3回戦
JKAライト級5位.興之介(治政館)vs MA日本ライト級2位.翼(菅原)

第6試合 54.0kg契約3回戦
JKAバンタム級3位.幸太(ビクトリー)vs NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館)

第5試合 フェザー級3回戦
JKAフェザー級2位.櫓木淳平(ビクトリー)vs 同級3位.渡辺航己(JMN)

第4試合 バンタム級3回戦
JKAバンタム級5位.田中亮平(市原)vs 同級6位翼(ビクトリー)

第3試合 ライト級3回戦
JKAライト級4位.林瑞紀(治政館)vsHARUKA(JMN)

第2試合 ウェルター級3回戦
モトヤスック(治政館)vs山本大地(誠真)

第1試合 フェザー級2回戦
又吉淳哉(市原)vs花塚ノリオ(E.D.O)

———————————————————————-

石原將伍。2017年10月22日、王座決定戦で高橋亨汰(伊原)にKO勝利したのが原点

《取材戦記》

チェンマイスタジアムタイトルマッチはどれほどの価値があるのでしょう。スタジアム毎に王座認定されていたらどれぐらいの数になるだろうかと思います。タイでもやたらチャンピオンが増えてきた印象を受けます。

新日本キックボクシング協会での日本フライ級チャンピオン、石川直樹と日本フェザー級チャンピオン、石原將伍は新団体に移っても初代チャンピオンに認定されるという。「選手に罪は無く、団体の都合だから」という解釈でしょうが、脱退において王座は返上されているので、本来は新団体で改めて王座決定戦を行なうべきものであるが、この解釈は理解されないでしょうね。ならば「初代チャンピオンは認定チャンピオン」で終わることなく、新日本キックで王座獲得した試合まで遡って経歴を残して認定して貰いたいものです。「誰と戦って王座獲得したのか」を言えなければなりません。

ジャパンキックボクシング協会はこれまでの団体とどんな違いを見せられるのか。この団体とは部外者の業界関係者の予想では、「おそらく加盟ジムが今迄以上に増えるだろう」と言うもの。そういう新団体への信頼も期待が掛かっているのでしょう。しかしすでに6団体が存在する中、大所帯となることは考え難いので、イベント盛り上げ重視ばかりに集中しないよう競技性を確立した一番の団体を目指して貰いたいところです。

プロボクシングのようにコミッションが機能すれば否応にも分裂など出来ないものですが、名前だけでないその機能するコミッションを確立できなかったのは「昭和の隆盛期に先を見据えなかった老舗の怠慢」という関係者もいます。分裂しまくった平成の時代を終えて、これから30年ほど続くと思われる令和時代の内に統一と国家ライセンスの下、運営が成立する業界となることを願いたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年)。遠藤ミチロウ自身が監督・主演の映像作品を先月偶然目にしていた。本人は昨年膵臓がんであることを発表していたらしいが、わたしは知らなかった。ただ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていた生徒の中でカリスマ的な人気のあった、あのミチロウが「自分語りを始めたのか」と、正直なところ驚きと落胆を感じさせられる作品だった。

元スターリンの遠藤ミチロウが逝った。享年68歳。合掌。


◎[参考動画]お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』でミチロウは、「自分語り」に終始していた。故郷を訪れ、幼少時代に遊んだ場所を歩き、生誕した家のある場所を眺める。あるいは各地の知人を訪れ、昔話やライブの様子を短く挟む。メークなしに、若い女性の詩人だか誰かと、「人生」について語る。ベットに寝ころびながら映像を見ていたわたしは、予想外の進行に半ば耐えられなくなり「もうやめてくれよ。ミチロウ、あんたもう最期が近いのかい」とひとり口ごもった。

ミチロウが「自分語り」をするのは、もちろん自由だ。でも往時のファンとしては「人生観」だの「生き方」だのを話で表現せずに、生き様だけで表現してほしかった、との勝手な思い込みと期待を持つことだって許されるはずだ。

わたしがあの時、直観的に思い出したのは晩年の高倉健のことだった。無口で私生活をさらさなかった高倉健。亡くなる2年ほど前から朝食の様子や、毎日通う散髪屋、果ては珍しくもない人生観を語りだし、興ざめした記憶がよみがえった。平気で軽い涙を流すこともあった。高倉健はおそらくあの時期最期を予期していたと思う。医師からも余命宣告を受けていただろう。映画の中で充分すぎるほど存在感を示した高倉健にしたところで、最後は語ってしまいたくなるものなのであろうか。


◎[参考動画]★THE STALIN ★ 爆裂都市☆メシ喰わせろ

この10連休の乱痴気騒ぎに、生きていればミチロウは何らかの反応を期待されたことだろう。「もうそれは勘弁してくれ」、「あんたらの期待にはもう応えただろう」とはいわないだろうけども、この時期にミチロウが逝ったのは実に劇的なタイミングだ。映画にはがっかりさせられたけども、さすが、旅立ちのタイミングはミチロウらしい。

だいたい奇抜なメークをしていたり、舞台で破壊的なパフォーマンスを演じるひとには、常識人が多く、直接話すとあっけにとらわれるほど善人が少なくない。忌野清志郎はそうだったし、ミチロウもそうだ。メークをしないミチロウは恥ずかしがり屋の常識人で、どうして自分がメークをするのか、豚の頭を掲げたり、臓物を観客に振りまいたりといったパフォーマンスをするのかを、実冷静に分析的に語る。


◎[参考動画]ザ・スターリン246 – 虫 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!(2011/8/15)

「中途半端」がミチロウにとっては気になることであったらしい。だから、日本と琉球の中間、奄美への興味が高まったのだろうか。「奄美には瓦屋根がないんですよ。琉球には古い文化伝統がある。でも奄美は貧乏だからトタン屋根なんです。薩摩と琉球に挟まれて中途半端なんですよ」細部は確かではないがこんな言葉でミチロウは奄美を紹介していた(この解説が事実かどうかは定かではない)。

また、「自分は家族を持たず子供がいなかったので、いつまでたっても子供のまま」といった内容の発言もあった。そうか。ミチロウはぶっ飛んでいたのではなくて「中途半端」をいつも意識して(あるいは悩んで)いたのか。散々がっかりしたと酷評したけれども、ミチロウが「中途半端」にここまでのこだわりを持っていたことは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を見なければ知ることはできなかった。やはり作品には意味があるのだ。

ミチロウを長年注視し、聴いていたわけではない。ただ35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていたころ、スターリンのレコードは、誰だったか忘れたけれども必ず録音して聴かせてくれる友人がいた。「先天性労働者」、「STOP JAP」は今こそ、大音響で街に響かせたい名曲だ。

また懐かしさと、悔しさのかけらが旅立った。


◎[参考動画]STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『あたらしい憲法のはなし』は日本国憲法の成立を受けて、文部省が1947年に作成し、一時は教科書として、のちに副教材として義務教育でつかわれていたものである。この教科書(副読本)は改憲策動が勢いを増しだした2000年以降、多くの作家やジャーナリストに引用されている。

引用が最も多いのが、「六 戰爭の放棄」の項で下記の文章である。

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

《みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。》

いわずと知れた憲法9条についての解説である。辺見庸もこの部分を引いているし、護憲集会などではこの部分を読み上げるシーンを目にしたこともある。ある風見鶏女優が悦に入って朗読している姿を動画で目にして、「こいつが言うか」と苦々しい思いをしたこともあった。

ここで解説されている内容は、まことに明快で格調高く、到達目的の崇高さは、世界にも誇ることができよう。わたしも初めてこの文章を目にしたとき「日本にもこんな良識があったんだ」と多少感傷的にもなった。優れた文章だし、感動的ですらある(それは2019年の「現実」との絶望的乖離を物語る証左でもある)。

だが、文章というものは、一部だけを読んで皆がわかったつもりになってはならない。『あたらしい憲法のはなし』には「五 天皇陛下」の項に以下の記載もある

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とう/\戰爭になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。》(注:太字著者)

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう」と悦に入っているけれども、わたしにはまったく意味がわからない。冒頭「こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」とさっきまで読んでいた憲法解説と同じ文章か、と勘違いするほどトーンが違う。天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」だって?なにいってるんだ!「ごくろう」したのは大日本帝国の侵略を受けたアジア諸国の被害者や、戦争に駆り出された国民だろうが!そして「みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません」といきなり押し付けるような語調でに変わって以降の文章は、「無茶苦茶」である。「日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう」と書いているが「日の丸」は日本国憲法公布後、法的には国旗ではなかった。まず「日の丸の國旗」という言葉の使い方そのものが大いなる誤りである。そのあとに記章が学校ををあらわす例などを挙げて、必死で「象徴」の本質的な意味の歪曲化がなされている。「つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます」、「私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです」、「天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです」、「このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです」と続く解説には、《六 戰爭の放棄に見られたような哲学性も論理もまったく見当たらない。

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

『あたらしい憲法のはなし』は「一 憲法」から「十五 最高法規」までで構成されている。数十分もあれば全文が読めるであろうから、読者諸氏にもご一読をお勧めする。なかなか味わい深くもあり、半ば口語調なので時代の違いは感じるものの、読み物としても一興だ。

『あたらしい憲法のはなし』はやはり、「五 天皇陛下」と「六 戰爭の放棄」がエッセンスであろう。憲法の条文に照らせば1条から8条までが天皇にかんする言及であり、9条が戦争放棄にあたる。すでに指摘した通り、天皇についての解説は支離滅裂の極みである。論理的整合性は完全に破綻している。感情論と抽象論が繰り返し展開されるばかりだ。

でも考えてみると、日本国憲法は前文と1条から8条のあいだに決定的な齟齬がある。そしてそれに次ぐのが9条だ。前文で民主主義の理念を述べたたのであれば、1条では国民の権利義務に言及せねば繋がらないものを、どういうわけかいきなり天皇を持ってきてしまっている。この記述は実に巧みに日本の統治思想「国家無答責」を示すものだと、知人の法哲学研究家は指摘する。なるほど、噛み砕いて解説してくれている『あたらしい憲法のはなし』ではその矛盾があらわに顕在化せざるを得ない。

天皇の規定の次に「戦争放棄」を持ってきたのは「国体を守るためだった」との説がある。なるほど非武装・戦争放棄と、一見革命的に先進的な平和主義に目が行きがちだけれども、日本国憲法の要諦は「国体の護持」であったとの考え方は、皮肉なことに『あたらしい憲法のはなし』を読むと現実感をもって理解できる(それでも自民党などが画策する改憲案よりは現日本国憲法のほうがマシである)。

10連休という「有事」ではなく「慶事」の最中に、この国の成り立ちや憲法に思いをいたす方は少なかろう。けれども、わたしたちの暮らす国の憲法の精神分析をしてみるのに『あたらしい憲法のはなし』は絶好のテキストだろう。

※『あたらしい憲法のはなし』は昨年鹿砦社が発行した山田悦子ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』に日本国憲法、大日本帝国憲法、軍人勅諭などと共に再録されています。

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

書籍URL https://www.amazon.co.jp/dp/4846312682/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「令和」になり、新天皇が即位した。マスコミも世間も「お祝い」モード一色である。しかし、現実は極めて厳しく「お祝い」とは全く無縁である。この島国はもはや「格差社会」から「階級社会」へと移行しつつある。その証左の一つとしてひきこもり人口の100万越えという現象がある。

※参照『「就職氷河期世代」の集中支援 高齢期の生活保護入りを阻止する考え』

※参照『40歳代が最多、中高年「引きこもり」層が53%に 島根県調査が浮き彫りにした日本の向かう未来』

◆人々を「ひきこもり」へ追い込んだ「就活」の犯罪

ひきこもり多い氷河期世代…「生活保護入り」阻止へ早期対応(2019年4月11日付産経新聞)

現在、「ひきこもり」と定義される人たちは約110万人いるという。100万都市である仙台市の人口よりも多い数がひきこもっているのは非常に衝撃的であった。仕事で失敗して嫌になりひきこもったなどがあるが、いわゆる「就活」での失敗でひきこもったという事実も決して軽視できない。ひきこもりは40~64歳の人が全国で61万3千人もいて、10代・20代のひきこもり人口もよりも多い。彼らは1993~2004年の就職氷河期の新卒時に「就活」に失敗し、その後ひきこもったという。

一度「就活」を経験した者ならわかるが、たかだか2、3時間の面接やペーパーテストで自分を「判断」されご丁寧な「お祈りメール」で「お前なんてうちはいらない」と決めつけられることはたとえ1回でも精神的にきつい。これが何十回も続くうちに、自分自身が嫌になり、やがてひきこもりたくなるのは当然だ。今でも「就活自殺」というものがあるくらい、「就活」による害悪は大きい。「就活くたばれ」デモなるものが行われるのも当然である。

※参照 https://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html?p=all

「就活くたばれデモ」東京でも開催(2010年1月24日付J-castニュース)

今の採用制度は、たいてい面接官のフィーリングによったものであり最近は性格テストなどが導入されたとはいえ、極めて非科学的である。そもそも根本的に2、3時間の面接で人間の能力や将来性を「評価」すること自体がおかしいのではないだろうか? 付き合いが何年もある知り合いさえ、知らないことはたくさんある。自分の両親であっても知らないことはあるのだ。20数年にわたる人生の長さに比べれば、面接時間の2、3時間などあまりにも短すぎる。

口下手な者は専門技術などがあっても、面接が下手ならそこで「お前はダメ人間だ」と決めつけられて終わりである。一方、口達者な者は面接の時だけ「優秀な人間」を演じればそれでOKである。ましてや今やネットや本で面接のヒントは数多くあり、マニュアル化している。今の採用システムでは人材を正しく評価できない。芸能人のマツコデラックスも今の採用制度に疑問を投げかけている。

※参照『マツコ、候補者の長所を聞く採用面接に不信感「世の面接をしている人たちは本質を見抜けない」』

このようないい加減な採用の結果、ミスマッチによって入社3年以内でやめる者が多いも当然だ。企業にとっては選考に費やした費用・時間が無駄になるし、学生にとっても再び「就活」をはじめなければならない。まったくばかばかしい限りである

一層のこと、関係者からの推薦や縁故採用、アルバイトで判断してからの採用にした方がよいのではないだろうかと思う。こちらの方がミスマッチはかなり減らせるし、会社からしてみれば無駄に多くの人間を面接して「落とすため」の選考をする必要性は減る。学生としても、受ける会社は少なくなるが正しく評価されやすくすることで、何十回も「お前はいらない」と人間否定されることはなくなる(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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