5月下旬から先月半ばにかけて、くだんのリンチ問題について私と公開議論を行い、それなりに有益な方向に行けば……と思った矢先、一方的に「終結」を宣言し、「逃亡」した感が否めない前田朗東京造形大学教授が、何を思ったか、「反差別運動における暴力(三)」を『救援』(603号。7月10日発行)紙上に発表されました。

前田朗教授「反差別における暴力(三)」(『救援』603号。2019年7月10日発行)

一読して、先の2つの論評の時ほどのインパクトはなく、むしろ違和感を覚えました。

だいいち、本通信6月4日号(「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される!~前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問~)に私が前田教授に行った質問に対しただの一つも答えずに、今回の論評を寄稿された神経が理解できません。

「炎上商法」と鹿砦社を揶揄したことを坊主懺悔して、実質的に議論の打ち切りを行ったのは前田教授です。坊主懺悔されたので、私も大人の分別で、それ以上の追及は控えましたが、この期に及んで『救援』に再び私論を展開するのはどういう神経でしょうか? 学者の「常識」は、私たちにとって「非常識」だと感じました。

私の知人や取材班、支援会などの者たちは、「そもそも松岡さんの質問から『逃亡』した前田教授には、この問題を論じる資格があるのか?」という意見が大勢でした。常識的に見れば、私もそうだろうと思います。

知人の中には、『救援』は、「『言論弾圧法』である『ヘイトスピーチ解消法』の成立に尽力し、その勢力の擁護者であり、かつリンチ事件について無責任な発表を続けてきた前田教授を連載から降ろすべきである」と言う人もいました。

前田教授の周囲には現在、「ヘイトスピーチ解消法」の強化、もしくはもっと厳しい罰則のある新法の制定を唱える人たちが多いようですが、これは、言い方を変えれば「もっと弾圧を厳しくせよ」というものです。今は対象がヘイトスピーチを行うネトウヨ/極右勢力に対するものですが、やがて対象が捻じ曲げられたり拡大解釈され自らにはね返ってきたり、想定していなかった人たちにも行使されるとの危惧は否めません。かつて暴力団を取り締まる目的で出来た凶器準備集合罪が、やがては新左翼を弾圧する根拠となったように。

また、「カウンター」側の人たちの口汚い暴言や罵詈雑言を見るに、これも「ヘイトスピーチ」ではないのかと思うことも往々にしてありますが、解釈を変えれば「カウンター」の言説を「ヘイトスピーチ」と捉えられる可能性は十分にあるのではないでしょうか。そういった基本的な「権力に対する警戒心」が希薄すぎるように思われてなりません。

そうこう考えると、前田教授の主張は、本来の救援連絡センターの活動趣旨に反するものだと思います。少なくともセンターが弾圧を助長するような法律を認めてはいけません。

◆今回の論評中の個々の問題点に対するコメント

それでは、幾つか気になった点を見てみましょう。──

加害者に謝罪を迫るのは当たり前ですが「Mにも非があったのだから」とはどういう意味でしょうか? 判決のどこにそのようなことが書いてあるのでしょうか?

前田教授は「双方が謙虚に謝罪し合うべきである」などと呆れた主張をされていますが、どうして一方的に集団リンチの被害にあった被害者M君が、加害者に謝罪する必要があるのでしょうか? ささいな喧嘩ではないのですよ。一方的に凄惨な集団暴行を受け半殺しの目にあった被害者に「謝罪しろ」などとの物言いは、さらに被害者を痛めつけるものです。そうではないですか? 

被害者M君が加害者に謝罪する必要や道理など、金輪際ないし、一方的被害者に不当な「謝罪」を要求している点で、前田教授の論は加害者に加担するものであることが明らかです。いわば“喧嘩両成敗”を勧め、一見まともに見えますが、問題の本質から外れています。前田教授は本当に事件の内実をご存知なのでしょうか?

M君や鹿砦社の代理人、大川真(ママ。「伸」が正しい)郎弁護士を「筆者が敬愛する弁護士」としていますが、東京在住の前田教授は、大阪弁護士会の大川弁護士の仕事の内容や業績を熟知されているのでしょうか? また大川弁護士と昵懇の仲なのでしょうか?(少なくともそんな話は聞いたことはありませんし、大川弁護士は、いわゆる「人権派」「左派」としての仕事を積極的になさるのではなく、基本的には左右を超えた実務肌の弁護士ではないでしょうか)。

「和解の障害となっているのは鹿砦社、松岡利康社長……李信恵および関係者の間の対立がますます激化していることである」(ん?)

いい加減にしてください! 基本的な事実認識が間違っています。鹿砦社は李信恵氏に散々ツイッターで罵詈雑言、誹謗中傷をされ、「通告書」などで「品性なく事実に反する言いがかりを控えるよう」要請しましたが、一向に収まらず、さらに仲間らも付和雷同しエスカレートする兆しもありましたので、仕方なく出版社としての業務防衛のために提訴せざるを得なかったのであって、好き好んでお金と手間暇を使い訴訟を起こしているわけではありませんよ。この訴訟は一審で鹿砦社が勝訴しましたが(控訴審判決は7月26日)、提訴以降、李信恵氏本人や仲間らも鹿砦社への誹謗中傷を自重しつつあるようです。

一方、李信恵氏はその訴訟の中でほぼ争点が出尽くし、間もなく結審か、というタイミングになり急に「反訴したい」と言い出しました。裁判所は李信恵氏の反訴を認めなかったため、李信恵氏は別の訴訟を起こしました。前田教授の言い分では、あたかも双方が同じレベルで「喧嘩」をしているかのような印象を読者に与えますが、上記のような事情が全く無視されています。意図的にか前田教授の無知かはわかりませんが、このくだりも虚偽を述べている点で非常に悪質でさえあり責任も重いでしょう。

その他、鹿砦社に対して批判する権利を前田教授は有しないと思います。なぜならば冒頭に述べた通り前田教授は私との公開の議論から一方的に「逃亡」しているからです。前田教授が一方的に「逃亡」した事実は、少なからずの人たちが知り、いわば“公知の事実”になっており、先の2つの論評に感激した人たちを落胆させました。前田教授はまず6月4日付けの本通信において投げかけられた質問事項に真摯に答えるべきではないでしょうか? 「今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向き合うべきである」(反差別運動における暴力一)と前田教授自身が述べておられるではないですか。

 

リンチ直後に出された李信恵氏の「謝罪文」(1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

さらに前田教授は「裁判所の判決に従え」と繰り返し述べておられます。これは、原発訴訟や行政訴訟などで不当判決が下された場合でも、それに従えというようなもので、住民や市民が、心ある弁護士や学者らの力を借りながら不当判決に抗していくことを前田教授はどうお考えなのでしょうか?(とりわけ『救援』紙上でこのような主張は妥当でしょうか?)「弾圧されて、不当判決を出されても従え」──“前田論法”では刑事事件においてはこのような行為を推奨することになります。そんなバカな話はないでしょう。

ア・プリオリに「判決に従え」を繰り返す前田教授の意見には同意しかねますが、仮にその論を認めるとして、裁判所の判決が被告によって「履行」されなければ、どうしろというのでしょうか? 現に加害者の一人、金良平氏は、裁判によって確定した賠償金の支払いを渋っており、金良平氏によるM君の被害は全く回復されていません。この事実に「判決至上主義」の前田教授はどう申し開きなさるのでしょうか? 「判決至上主義」は、明確に破綻していることが示された事実です。

ちなみに、私見を申し上げれば、このリンチ事件は、前田教授もおっしゃるように全員に「道義的責任」があり、リンチの現場に同座した5人全員に連帯責任があると考えますので、和解の前提としては、まずは賠償金を5人全員で負担すべきではないでしょうか? なにしろ「エル金は友だち」だったわけですから──。

リンチ直後に出された金良平(エル金)氏[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

 

辛淑玉氏による2015年1月27日付け文書「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」(1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

今から思い返せば、前田教授は「本書(注;鹿砦社出版のリンチ関連本)が批判する野間易通、辛淑玉、有田芳生、中沢けい、上瀧浩子とは面識があり、いずれも敬愛する運動仲間である」(「反差別運動における暴力」一)と述べておられました。あの論評の論旨は立派ではありましたが、結局全員が何らかの形でM君に対する〈加害者〉となったわけで、そんな連中への「敬愛」を表明していた前田教授。あの時に前田教授が、連中と根本は同根であることを見抜けなかったのは、私(たち)にとって不徳の致すところでした。それどころか、「前田教授の姿にこそ、腹を据えて持論を展開することのできる真の言論人の矜持を見る」(『カウンターと暴力の病理』P82)などと過大評価(誤認?)していました。少なからずの方もそうだったと思うと、前田教授の責任は決して軽くはないのではないでしょうか?

前田教授は論評の中で李信恵氏に対し「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」(「反差別と~」二)と喝破されましたが、これは今でもそうお考えでしょうか? リンチ被害者M君の人権を顧みず、村八分にし隠蔽に走り闇に葬ろうとした「カウンター」周辺の者らこそ「唾棄すべき低劣」な人種だと断言しますが、そういう人間に「人権」などという崇高な言葉を使って欲しくはありません。

◆「和解」への途はあるのか?

これまで本稿では前田教授に対して厳しい意見を申し述べてきましたが、今回の論評に前田教授の認識と一致するところがないわけでもありません。末尾に、「本件が反差別・反ヘイト運動にもたらしたダメージは計り知れない」から「これ以上、反差別・反ヘイト運動を貶めないように自戒してもらいたいものだ」と記されています。

これには異議がありませんが、「デマだ」「でっち上げだ」「リンチはなかった」「リンチではない」などと異口同音に言うだけで、「自戒」や反省などどこへやら、リンチ事件と真正面から取り組まず隠蔽活動に走った人たち、とりわけ前田教授が共同代表を務める「のりこえねっと」の辛淑玉氏ら他の共同代表の方々に対して、もっと強くおっしゃってほしいものです。

さらに前田教授は、今回殊更に「和解」を勧めておられます。

「和解の条件を整える努力を続けるべきである」
「確定判決を前提に和解の席につくべきである」
「今後の和解に向けた冷静かつ真摯な対応を期待したい」等々

私は従前から自らを和解論者と自認してきました。これまでに出版した5冊の本の端々にもそう記しています。特に第5弾本の木下ちがや・清義明氏との座談会で、木下氏が予想外に物分かりの良い様子だったこともあり、そう申し述べ、賛意を得ました。しかし、「和解」実現のためには、まずは李信恵氏らが一方的に反故にした「謝罪文」に立ち返ることが最低必要条件でしょう。そうではありませんか?

そうして、前田教授が、頑なにM君や私たちを攻撃し続ける加害者らに仲介の労を取られる覚悟があるのであれば、私(たち)も意を決して「和解の席につく」こともやぶさかではありませんし、それが反差別・反ヘイト運動の近未来にとって有益な方向に向かうのならそうします。李信恵氏ら加害者側の人たちはいかがでしょうか?

しかし、前田教授に、「カウンター/しばき隊」周辺からの厳しいバッシングと対峙して「和解」への仲介の労を取る覚悟がないのであれば、簡単に「和解」という言葉を口にしてほしくはありません。

例えは悪いですが、ヤクザの抗争でもどこかで“手打ち”が行われます。ここでも、第三者的立場の大物ヤクザが仲介する場合があります。仲介に立つ大物ヤクザにとって失敗したらヤクザの世界で生きていけなくなったり威信が下がりますし、場合によれば殺されかねませんから命がけです。前田教授は勿論ヤクザではありませんが、それなりに大物ですし発言力は大きいわけですから、“手打ち”の仲介人になっていただければ、このかん荒れに荒れてきた反差別運動界隈に平和が戻ることでしょう。「敬愛」する前田教授へ──。

*【付記】6月7日に前田教授を招いて反ヘイト・反弾圧の「大学習会」を主催した戸田ひさよし前大阪門真市議から「弾劾質問状」が届き、これに期限の6月30日に回答し(7月1日付け本通信参照)、この際、戸田氏に逆質問を行い、この期限を、戸田氏からの質問状の期限と同じ3週間後の7月21日に設定させていただきましたが、戸田氏から「当方で種々の用件が重なってしまっているため、そのご希望にそえず、『できるだけ8月上旬までの見解表明』、『最も遅くとも8月下旬までの見解表明』とさせていただきます」との連絡がありましたので、とりあえずお知らせしておきます。
  

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541