まだ陽が昇らぬ朝、寺を出る藤川さん

◆市場の中を列車が通るメークロンでの托鉢

ワット・ポムケーウを訪れた翌朝、藤川さんを待っていると、6時過ぎにその姿が現れた。

托鉢に付いて行く先はメークロン市場。ここは世界中から注目されている市場だと聞かされていたが、そこはテントが張られた中の、野菜や果物や魚が並べられたごく普通の市場だった。

足下を見れば線路が敷かれており、野菜などの食材は線路まではみ出て並べられ、すぐ先には国鉄メークロン駅が見え、やがて列車が通るとはとても思えないほどの市場の中で人が行き交っていた。

市場の中を歩く足下は線路

線路上でサイバーツを受ける藤川さん

市場の中の線路を歩く

他の寺の比丘も後ろに付く街中の托鉢

藤川さんは市場内を托鉢し、朝の静寂な道を歩いた過去と違いやや賑やかな、また信者さんが藤川さんに笑顔で話しかける光景もある市場らしい雰囲気も重なっていた。

市場の外まで廻りきると「もうすぐ列車が発車して、この辺ガラッと変わるから見ときぃ!」と言って私を残して先に寺に帰られた。

やがて駅の方からアナウンスが聴こえてくると、線路まで置かれていた野菜などの売り物は瞬く間に線路脇まで下げられ、突き出していたテント屋根は折り畳まれて引っ込められた。

列車は汽笛を上げながら迫って来る。

当然ながらスピードを上げられる区域では無く、人が速歩きする程度のスピードで、幅の狭い位置で通過を待つ人は身を屈めるように体勢を作るが、手を伸ばせば列車に触れるほどの距離。

出発間際の列車

この列車が倒れ掛かって来たら身体はペシャンコだなと分かる重量感。日本では許されない至近距離である。

2両編成の列車は汽笛を上げながら市場をギリギリ擦り抜けるように通過して行った。

通り過ぎた途端、テント屋根は引っ張り出され、せり出した屋根がまた重なり合うゴチャゴチャした市場に30秒足らずで何事も無かったかのように元に戻ってしまった。

舞台劇の場面入れ替えのような素早い光景だった。

このメークロン市場は見学ツアーも組まれている観光地でもあるようだ。

汽笛を上げながらゆっくり進んで来る列車

通過を待つ人はギリギリの位置

我に返ったように藤川さんを追って寺に戻ると、他の比丘達も帰って来る様子が伺え、托鉢でサイバーツ(お鉢に入れる寄進)された品々はサーラー(葬儀場・講堂)に運ばれ、白飯は一旦タライに集められ、頭陀袋に入れられた惣菜も一箇所に集められるのはどの寺も同じ。

日本で普通にビジネスに追われた生活を送って再びタイで托鉢に遭遇すると、「懐かしいなあ、俺もこんな風に托鉢に行って、寺でバーツを空けていたんだなあ!」と眠っていた脳が蘇えるように鮮明に思い出した。

この寺も4~5名のグループに分かれて短い読経の後、朝食となった。皆、無口に静まり返って食事が進む。時折、“カチン、コン、ススーッ”とあちこちで皿とスプーンが当たる音、惣菜が入れられたタライや容器が床に触れたり擦ったりする音が広いサーラーに響く。こんな些細な現象が妙に懐かしい。意識していなかったことも覚えているもんだなと思う。

食事が終わると短めの読経があり比丘達はその場を去る。そこでデックワット(寺小僧)に呼ばれて私も一緒に食事させて頂いた。

市場の外を歩く

読経して食事に入る比丘たち

◆イタズラの効果

朝食後、しばらくして本堂に移って30分ほどの読経があり、今日も覗かせて貰った。朝は葬式やニーモンなど無い限りは読経の時間となるようだ。後は自由な時間に入り、泊めて貰った倉庫の縁側で藤川さんとまたのんびり雑談に入ったり、昼寝をさせて貰った。

私が出家した年以降、毎年ねだられる古風ある日本の風景カレンダーは、主に春原さんが送ってくれていたが、今回はタイに来る前、1本だけ私がイタズラで7枚綴り(表紙と2ヶ月単位)のあるカレンダーを送っていた。それがある日の夕方、藤川さんが夕涼みをする境内のベンチで若い比丘らと雑談していたら、デックワットが筒状の郵便物を持って来たという。

静かな食事、食器などのわずかな音が響く

「カレンダーやとすぐ分かったから、“日本の風景でも見せたろ”と思うて皆の前で開けて見たら“ヘアヌード”やないか。慌てて『これはヤバイ、見たらアカン!』言うて丸めて部屋に持って帰ったけど、若い比丘らは一斉に静まり返って目がテンになっとったわ。そしたら夜遅くになって若い奴の一人がワシの部屋ノックしよった。

『何や?』言うたら、『すんません、あのカレンダー、貰えませんか?』と。

『ワシが持っておっても仕方無いからやってもええが、こんなモン見てどうするんや?』って言うても“ニヤッ・・・!”と笑うだけやった。あれ貰いに来るの勇気要ったやろうな!」

私の藤川さんへの恥かかせ狙いはあまり効果は無かったが、トンだ波紋が広がったようだ。奴らも修行の足りない未熟な連中だこと。

寺に帰れば犬が出迎えるのは日常のこと

和尚さん(手前)を先頭に読経が始まる

定位置は無く、徐々に集まる比丘たち

◆シルクロードへ向けて

ただ藤川さんの様子を伺いに来ただけの訪問だったのに、またこの雑談で興味深い話を持ち出された。

「来年4月頃に、四国御遍路八十八箇所の旅に出ようかと思うとるんや、旅に出るのにいろいろ準備せないかんモンがあるんやけど、お前、携帯電話準備してくれへんか?」

なんやかんやと言い包められて「OK~!」と言ってしまって後悔したのは帰りのバスの中だった。

“俺って悪徳商法に丸め込まれるタイプだなあ。人の優しさに付け込んで来るからタチが悪い。まあ、藤川クソジジィの為に、今回限りで言うこと聴いてやろう!”ってもう何回目だろう。

その寺から帰る際は、門まで見送ってくれて、「じゃあまた4月にな、頼むで!」と言うこと言えば“気が変わらん内に!”と言わんばかりに、早々に引き上げて行かれた。あのジジィめ。

この藤川さんの野望は、
「いずれは御釈迦様が歩いたシルクロードの道をワシも歩いてみたいんや。その予行演習として足腰を鍛える為に、四国八十八箇所の霊場を歩くことにしたんや。道中は乗り物を一切使わず、宿泊は寺か巡礼宿、民家、野宿で通して、食事も托鉢か仏心ある人から供養で賄おうと思って居る。一日でも二日でも一緒に歩いてくれる人があればと思うて、何時でも連絡取れるように携帯電話を持って歩きたいんや!」と言う。

雑談に入る藤川さんの野望ある眼力

そして私にも「一日でも付き合って写真撮ってくれたら有難いし、道中、テーラワーダ仏教の仏教の布教を兼ねて仏陀の教え、真の仏教を伝えながら歩こうと思う!」と計画しているという。

とにかく一箇所に留まるのが嫌いで新しいことにチャレンジしたがる藤川さん。歳を重ねてその勢いがより一層増してきた感じがする。私が四国まで付いて歩くのは難しいが。

◆伊達秀騎の次なる挑戦!

残りのバンコク滞在で幾つか用事を済ませ、最終日に泊めて貰ったのは伊達秀騎が住む高層マンション。3年前にタイに移り住み就職し、この頃は個人で事業を立ち上げていた。一階にガラス張りの伊達くんの事務所があり、4~5年前のキックボクサーとしての姿はすでに無く、ビジネスマンの風格抜群の姿があった。これからムエタイジムを始める計画があると言う。日本人がムエタイの本場で始めるムエタイジムは果たして上手くいくだろうか。チャンピオンには届かなかった伊達秀騎のタイでの難しい挑戦である。

私の周りには野望持った奴多いなあ。藤川さんと伊達くん。二人の挑戦は私にも刺激を与えてくれる存在である。

今回の旅は慌しく終わってみれば楽しい旅だった。また来たい。御世話になった寺やジムなど、まだ行かねばならないところもある。次はいつ来られるだろうか。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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