判決を含めて計5回の公判があった鹿嶋学の裁判員裁判。被害者・北口聡美さんの両親は検察官席から、犯人・鹿嶋学の両親は傍聴席から、全公判の審理を見届けたが、その初公判では、聡美さんの母親の供述調書を検察官が朗読し、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙を弁護人が朗読するという場面があった。

被害者と犯人、双方の母親がそれぞれ、どのような言葉を発したのか。ここで紹介したい。

◆「4年目にして授かった待望の子だった」(被害者の母)

まず、検察官が朗読した北口聡美さんの母の供述調書から紹介する。これは、鹿嶋が逮捕されてまもない時期に作成されたものである。

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聡美が犯人に殺されて約13年半が経ちました。私たち夫婦は結婚して子供に恵まれなかったのですが、やっと4年目にして授かった待望の子が聡美でした。聡美が生まれた時は、うれしくて、うれしくて、本当に待望の娘でした。

聡美は昔から元気で、勉強ができて、友だちに勉強を教えてあげたり、まじめで、よくニコニコと笑う子です。中学生の時だったでしょうか。その頃、小遣い制ではなかったので、聡美が必要な時にしか使うお金を渡していませんでした。

なのに、聡美は中学2年生の頃だったと思いますが、母の日に花を買ってきて、私と母のミチヨに1個ずつ渡してくれたのです。たぶん私が渡したお金を少しずつ貯めて買ったのでしょう。

また、母のミチヨが神経痛で、足がしびれるなどした時、聡美が一緒にお風呂に入り、ミチヨの身体を洗ってくれたことがあります。聡美は長女だったので、優しい気配りができる子でした。妹弟の面倒もよく見てくれ、私は聡美の優しさや気配りに本当に助けられていました。

そういう聡美のいいところ、聡美が私たち家族にしてくれた優しさが昨日のことのように思い出されます。涙が止まりません。

◆「今も玄関には聡美のスニーカーが置いてある」(被害者の母)

事件が未解決の頃、警察が作成したポスター。犯人の似顔絵は聡美さんの妹の証言をもとに描かれたものだった

犯人が逮捕されるまで、とても長い時間でした。苦しくて、悔しい日々でした。

犯人が逮捕されるまでは、テレビなどで聡美の事件を取り上げてもらって、みなさんから沢山の情報を頂き、大きな助けになっていました。ありがたかったです。

私は、事件のことが風化するのがとても怖かったです。私たち家族は普通に暮らしていたのです。仲良く暮らしていたのです。何がいけなかったのだろうと考え込んだりしたことがありました。

娘が殺されてからの生活の苦しみなんて、経験した人でないと絶対にわかりません。この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです。

聡美が殺されて以降、私は気分転換の意味も込めて、仕事を何度かやったことがありました。でも、事件の報道がされたりして、私が聡美の母親だと気づかれ、その職場に居づらくなったり、陰口や中傷もあったり、本当に苦しい日々でした。

聡美は生前、「家族をもって普通に暮らしたい」と話していました。聡美は勉強やアルバイトを頑張っていましたが、こんなにも早く亡くなるなら、もっと遊ばせてあげたり、行きたいところに連れて行ってあげたかったです。

私の中では、2004年10月5日から時が止まっている感覚です。今日まで一日たりとも聡美のこと、事件のことを忘れたことはありません。

犯人が逮捕されたことについては、本当にありがたいことだと思っています。でも、聡美は帰ってきません。これが悲しくて、悔しくて、たまりません。

家には、いまだに聡美の私物があり、離れも当時のままです。片付けようかと手をつけたことがありますが、涙が止まらなくて、とても片付けることができないままになっています。13年以上が経った今でも、聡美が帰ってくるんじゃないか、帰ってきて欲しいという思いがあって、玄関には聡美のスニーカーが置いてあります。

◆「犯人を絶対に許さない」(被害者の母)

犯人は、何の罪もない聡美を殺しました。とても酷い殺し方でした。

犯人の顔はテレビで観ました。感想は、「聡美の妹が見た犯人の顔は間違っていなかった」ということでした。聡美の妹は当時、小学生だったのに、一瞬で記憶して、大したものです。

聡美の妹は、これからも事件のことを一生背負って生きていかなくてはなりません。私はそれが心配です。

聡美は機転が利くところがあります。ですから、これは私の想像ですが、犯人からどうにかして逃げようとしたのではないでしょうか。気が小さいところがあったので、犯人には何も言えなかったかもしれません。

聡美が殺されたことは、私たち家族もそうですが、何より本人が一番悔しかったはずです。なんで殺されなきゃいけないのと、さぞかし聡美は無念だったでしょう。

私は、犯人を絶対に許しません。何の罪もない私たちの娘を、あんな酷い、惨い殺し方で生命を奪った犯人が憎いです。私は犯人に死刑を求めています。

なぜ、聡美だったのでしょうか。なぜ、聡美を殺したのか。犯人には、真実を話して欲しい。生命の重みをわかってもらいたいです。

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以上、聡美さんの母の供述だ。本人も「この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです」と語っているが、その悔しさ、苦しさは本当にその通りの、第三者の想像を絶するものだったのだろう。

◆「慚愧の念に苛まれ、夜も眠れない」(犯人の母)

続いて、弁護人が朗読した、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた手紙を紹介したい。これは裁判の前年に書かれたものだが、弁護人によると、遺族に受け取りを拒否されたとのことだった。

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前略

15年前に私どもの息子学が、北口様の大切に育てられました聡美さんの生命を無残にも奪ってしまったことに対しまして、年月は随分過ぎてしまいましたが、このたび学の母として心よりお詫び申し上げたいと思います。

本当に申し訳ございません。

慈しみ、育てられました聡美さんを突然あのような形で失われたご両親様の持って行き場のない悲痛な思い、そして喪失感を思いますと、同じ年頃の娘を持つ母親として、胸が締めつけられる思いでいっぱいになります。

どうして息子は取り返しのつかない残酷な罪を犯してしまったのだろうか。どのように受け入れ、どのようにお詫びをすれば良いのか。この1年余り、考えない日はありませんでした。慚愧の念に苛まれ、夜も眠れません。

せめて今の私にできることは、亡くなられた聡美さんの無念を思い、うかばれない魂の鎮魂なればと、早朝欠かさず30分のお悔やみとお参りに行っています。非力な私のささやかなお詫びのつもりです。

本当に申し訳ございませんでした。

息子に対する処分は、どうなるかわかりませんが、息子が心から悔い改め、私ども夫婦の生存中にもしも社会復帰することがありましたら、私どもの生命のある限り、監督していきたいと思っております。

このような事件を起こしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

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以上、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙だ。何を書けばいいのか答えが見つからず、迷いながら書いていることが伝わってくる文章ではないだろうか。

この連載の第1回で伝えた通り、鹿嶋の母親は夫と結婚した際、夫以外の子供を妊娠しており、それが鹿嶋だった。血のつながらない父親との複雑な関係は、鹿嶋の人間形成に大きな影響を与えたが、この母親も悩みが多い人生だったのではないか。ふとそう思わされた。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

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