◆人事問題で「変化」はあったのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長が橋本聖子に決まり、鬱陶しかった森喜朗支配は形の上では過ぎ去った。とはいえ、その橋本聖子自身が森を「政治の父親」と呼び、森もまた橋本を「娘」と呼ぶ関係であることから、人事による組織の「変化」は鈍いものにしか感じられない。

選考過程がまたしても「密室」であったところに、組織体質の旧態然たるものを感じさせた。いま必要な「国民の共感」をえる求心力は、少なくとも獲得できなかった印象がのこる。

さらには橋本聖子にかんして、ソチ大会でのセクハラ・パワハラ事件にたいする批判がやまない(「週刊文春」最新号)。女性からのセクハラであれば、何となく酒が入ってエッチになる程度の官能小説めいた逸話で終わりそうだが、これを男性がやった場合には世論は沸騰して批判し、その当事者を追放するであろう。ひるがえって男女平等という立場に立てば、橋本聖子の過去の行為もとうてい受け入れられるものではないのだ。本人の厳しい自戒を期待したい。

ただし、マスメディアはいっさい報じないことだが、オリンピアクラスのアスリートの下半身事情は、じつはかなり放縦なものである。これは実際に冬季五輪系の競技者(チーム競技の現役)に訊いた事情である。

ながい期間、若い男女が同じ施設内(いちおう、部屋やフロアの区別はある)で監禁にちかい生活を強いられるのである。男女併設の施設であれば、そこにはおのずと「××部屋」と呼ばれる一角ができて、若い性欲を満たす。いや、食べることとそれ以外には、何も愉しみがないのだから、これはやむを得ないところなのだろう。

近年、味の素ナショナルトレーニングセンターなど、管理の行き届くトップアスリート向けの施設が完備されたのも、体育会的な野放図な男女関係を解決する策でもあるのだ。その意味で橋本聖子の世代は、スポーツ選手の性が乱れた環境にあったといえよう。

◆開催の現実性

ところで、それでは本当に東京五輪は開けるのだろうか、ということになる。

7月21日開催(開会式は23日)だとして、Goサインは3月25日の国内聖火リレー開始(福島)となる。Stopサインも同じである。

世論調査では、開催するべき・延期すべき・中止すべき、がそれぞれ30%前後と鼎立だが、再度の延期という選択肢はない。そしてIOCも大会組織委員会、そして日本政府、東京都も「絶対に開催」という方向で動かざるを得ないことから、開催を前提に「通常開催」と「無観客」が選択肢としてあるのだろう。

筆者は本来のオリンピックが個人参加(古代・近代五輪の基本精神)であり、国別参加のナショナリズム的なあり方に反対する立場だが、念仏のように「開催反対」を唱えるだけで議論が足りるとは考えない。そこで、現実的な開催条件を考えてみよう。

無観客の場合の損失は、2兆4133億円にのぼるとされている(関西大学宮本勝浩教授)。ちなみに中止の場合の経済的な損失は、4.5兆円とも7兆円ともいわれている。振れ幅があるのは、最大の出資者であるアメリカ3大放送ネットワークとそのスポンサー、および世界のメディアスポンサーの撤退ということになるからだ。つまり最大の収益源である放映権料がなければ、オリンピックは成り立たないのである。

その意味では、中止という選択肢は大会関係者にはないと断言できる。このうえ開催中止があるとしたら、日本でデイリーの感染者が数千人規模で推移し、とてもイベントを開催できるものではない。という判断があった場合だろう。たとえば、NHKで特番まで組んでもらっておきながら、チーム内のクラスター発生で開幕が延期になったラグビートップリーグのように、チームが成立しなければ開催してくても出来ない。

◆縮小大会の可能性

いっぽう、海外からの声としては、セバスチャン・コー卿が1月22日にBBCの取材に対して「大会が予定通り開催されると確信している」「騒がしくて情熱的な観客に参加してほしいが、開催できる唯一の方法が無観客ならば、全員それを受け入れるだろう」と語っている。

果たして「全員それを受け入れる」だろうか。IOCや大会組織委員会が「受け入れ」ても、参加するのは各国のNOCであり、チームや選手なのである。観客を入れなくても、選手が参加しないのであれば大会は成り立たない。日本人だけの大会では、もはやオリンピックとは言えないだろう。

もうひとつ考えられるのは、IOCおよび大会組織委員会が中止を決定できない以上、各IF(競技の国際団体)に参加か不参加を決めてもらい、全体として競技数を減らして縮小大会にする可能性だ(IOC事情に詳しい競技団体幹部)。

現在、ロックダウン下で開催中のテニスの全豪オープンをみると、選手は2週間前にPCR検査陰性のうえで入国し、入国後は毎日検査、1日の外出時間は5時間という、過酷な制限のなかでの開催となっている。これを全競技に当てはめるのは無理だから、人気のある競技、開催能力のある競技団体のみの開催で、上述の放映権料を確保するという狙いである。

◆始まった開催拒否の流れ

関係者の苦肉の策、選手たちの努力にもかかわらず、中止への流れはできてしまった。森発言を受けての大会ボランティアの参加辞退、そして聖火ランナーたちの不参加表明。あるいは島根県の丸山知事による、条件付きの聖火リレー中止発言である。

丸山知事の発言の正当性は、テレビ報道でも国民の賛意を得つつある。すなわち、濃厚接触者の追跡調査もしない東京都に、大会を開催する資格はないのではないかというものだ。全国でも感染者を最低限に抑えてきた島根県には、そう指弾する資格はあるだろう。小池東京都知事は、緊急事態宣言のさなか(1月下旬)にもかかわらず、再三にわたって千代田区長選挙の応援演説に出かけるという身勝手を行なっていたのだ。

島根県は県民の努力で感染を低減させ、緊急事態を宣言しなくても済んでいる。そのいっぽうで、感染者を膨大に出している自治体には、手厚い保証がなされている「不公平」感には同情せざるをえない。そして本来は県民の救済資金である7000万円もの税金を、島根県は聖火リレーに供出しなければならないのである。

この丸山知事の発言に、県内で対立派閥に属する竹下亘(竹下総理の異母弟)が噛みつく。大会推進派のいわば「反対する者は非国民」的な批判があからさまに行なわれ、これに世論が反発するという流れが出てきたのである。この流れに注目せざるをえない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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