れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第3回は、ホームレス状態で2人の子を出産し、ホームレス脱出後もつづいた苦難を経験したことから、「とことん話を聞いてくれる人、他人の話をとことん聞くこと」の重要性について訴える。(構成=林克明)

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆ホームレス脱出後の地獄

失踪という形で5年近くを過ごしたわけですが、家に帰ったらさらに地獄が待っていました。親は、私を騙して方々連れまわして、子供二人まで産ませた男を罰しなければならないと。

それから、しょうもない男の子供だからろくなもんじゃないということで、親からは家から出ていけとか死ねとか言われました。

親子心中から逃れてやっと自分が生まれ育った実家に戻れたのだから安息の場があると思いました。そこでシングルマザーとして再起を図ろうと思ったら、今度は、一番守ってほしい家族から刃のような言葉を突き付けられて、家の中にいることが針のムシロでした。

食べ物の味もわからなくなったし、夜も眠れませんでした。そういう中で家事をやり、仕事に行くようになりましたが、そこでやっぱりシングルマザーがいかに生きづらいかということを一番ひどい形で体験せざるを得ませんでした。そこで私は活動を始めたわけです。

その原点は、大学のときに活動したこと。当時はフェミニズムという言葉はまだ広まっていませんでしたが、女性が人間として尊重され生きやすくなるというポリシーが私を支えました。

誰も私を慰めることも励ますことも、どうしてあなたはそういう目に遭ったんだと聞いてくれる人も誰一人としていなかったです。

家族ですらそうだったのですから、そんなことを聞いてくれる人がいようはずもありません。でも私は子どもを育てなければいけない、生き延びなければならない。なぜなら、出産に至るまでの経緯は不本意であっても、生んだのは自分だから、私の責任において。

それから、私とは別の人格が二人いるのだったら、その人格を私がどうこうするのは傲慢なんだと思い、自殺をあきらめました。だから、高らかに誇らしく生きてきたわけじゃないですよ。死なないで生きてきているってことです。

でも人生一度だから、少しでも生きやすくしたいということで、いろいろな活動に係わってきました。その延長線で派遣労働やシングルマザーの問題があったわけです。

そこで、当事者が尊重されないという欺瞞に気づいてしまった。だからといって私は活動から離れはしませんでした。むしろ活動を通して、社会を変えると同時に、活動自体を変えようと思ったのです。そして当事者が大切なんだといろいろな形で述べてきたつもりです。

それを大事にしたいと考えているのが、れいわ新選組だったわけです。誘われたから私がれいわ新選組の考え方に合わせているわけではありません。こう言ってはおこがましいですが、私が考えたりやってきたことが、結果的にれいわ新選組とフィットしたということに他なりません。

◆とことん話を聞いてくれる人はいるか?

衆院選で3名当選し、参議院とあわせて合計5名の議員を抱える政党になりました。党勢拡大がこれ以降の大きな目的になりました。

初めての国政選挙だった2019年の参院選は、当事者性がメインになりました。今回は必ずしもそうではないという方向転換を余儀なくされた側面があります。別に山本太郎代表が政治的に変節をしたというようなことではなく、政党として成長するには逃れられない必然的な理由だと思います。

政党の方向性などは別として、私個人としては、当事者であることを貫いていこうと思っています。今日もこの会場に向かう前に支持者の方からお電話いただきました。

「てる子さん、あなたをどうしても国会におくりたい」と。「あなたは、私の、私たちの代表だから」と。「当事者が国会に行ける可能性を持つのは、あなたなんだ」と。「だから絶対に国会に行ってほしい」というお電話を直接いただきました。

これまでも多くの方から、そういうご支援をいただいてきました。昨日(2021年11月28日)は鎌倉に行きました。「てるちゃんを応援したいと言う方が集まっています」ということで講演させていただき、楽しく充実した時を過ごさせていただきました。

こんな凡庸な私でも、そこかしこに共感の輪、ご支援の輪が広がっています。身に余る光栄だと思っています。

そうした人々の期待で政治の場に立つ理由があるとすれば、ホームレスで食うや食わずどころか寝泊まりする場所すら定まらぬ究極状況の中で生き延びてきたからこそ、皆さんの不安とか苦しさ、つらさというものを少しは共感できるから、想像できるからではないかな、というふうに思います。

よく政治に無関心だ、投票率が低いと言われますけど、悲惨な状況を私に訴えてくる方々と接すると、政治以前なんですよ。まず自分がどうやって生き延びることができるか、人間として認められることができるのか、と皆さんは訴えているわけです。ぎりぎりで生きている人たち声に誰も耳を傾けてくれないんですよ。

今日この講演を聞きに来てくださる方いろいろいらっしゃいます。ご苦労を重ね、いろいろな経験を重ねている方もいますけれど、とことん自分の経験について他人に聞いてもらったことがある人は、いないのではないでしょうか。そういうことに気づくようになりました。

自分のことをしっかり聞いてくれる人に出会わなかったら、何が問題なのかわからないし、自分の感情を受け止めてくれる人もいないことに気づいたんですよね。

よく人とのつながりを持ちましょうと言われますが、「繋がり」ってあまりにもほあんとした言葉なので、なんとなくいい言葉だと思ってしまいます。でも、もう少し具体的に言うと、私としてはこういうところに行きつきました。

自分の感情を評価されることなく、ありのままに「あなたはつらいのね、不安なのね、頑張ってきたね、そうなんだ、そうなんだね」と言ってくれる人がいるかどうか。自分も相手に対して「そうか、あなたこんなに大変なめにあってきたんだね、つらかったんだね、そうか、ほんと大変だったですね。よかったですね、今こうしてお目にかかれて」と言える人がいるかどうか。

その両者があいまって「繋がり」ということが成立するのだな、とこの歳になってようやっと気づきました。それがないと、次の段階の政治をどうするかとか社会問題にどう向き合うかという段階に進めないんだと思います。そこを蔑ろにしているから、政治に向き合うことができないのだと思います。

そのために取っ払わなければならない最大の障害物は、「自己責任」という言葉ですね。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!