◆1988年のハンセン証言

1986年4月26日、史上最悪の原発事故、チェルノブイリ事故が起きた。事故で31人が死亡、13万5000人の住民が避難を余儀なくされた。この事故から2年後の1988年6月23日、アメリカ上院エネルギー委員会の公聴会において、NASA所属のジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と発言した。

同年アメリカは1930年代以来の大干ばつに見舞われ、熱波が各地を襲い、山火事が多発していた。ハンセンはこの異常気象の原因がCO2の人為排出だと示唆したのである。この証言を行ったハンセンは後に地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言を行い、以後も原発を積極的に支持する発言を続けている人物である。この公聴会の議長をつとめた上院議員のティモシー・ワースは過去の気象記録で最高気温が記録された日を開催日に選び、当日は委員会の冷房を切っていたという。

ワースは後に、「地球温暖化の問題に乗っかる必要がある。たとえ地球温暖化の理論が間違っていても経済.環境政策の点では我々は正しいことをしているのだ」と述べている。ともあれ、このハンセン証言を契機に雑誌やTV放送などのメディアを通して、地球温暖化についての認識が1気に広まった。

温暖化=「気候危機」論の広がり1989年3月、オランダのハーグで「環境サミット」が開かれ、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ「ハーグ宣言」が採択された。この会議は従来環境問題にはさほど熱心でなかったフランスが急遽オランダ、ノルウェーと共同で開催したものである。

フランスの独走が目立ったこの会議について、科学史家の米本正平氏は以下のように指摘している。

「フランスは政府主導で原発を進めてきた、欧州で唯一の国である。ところが86年のチェルノブイリ原発事故以降、ドイツなど他国の環境保護派から批判の矢面に立たされてきた。それをここで、電力供給の75%が原発という自国のエネルギー供給の状態を逆手にとり、二酸化炭素排出量が大きい、石炭火力発電を主力とする他欧州諸国をにらみつける形で、地球温暖化問題を軸に一気に新しい課題でヘゲモニーをとろうとした、と考えるのがいちばん妥当であろう。」(『地球環境問題とは何か』岩波書店、1994年)

日本原子力研究開発機構のHPは、このハーグでの会議は「地球温暖化防止対策に第1歩を踏み出す画期的な会議」だったと書いている。

イギリスのサッチャー首相は1989年11月にニューヨークで開かれた国連総会で、CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべきだとスピーチし、世界の首脳に先駆けて地球温暖化問題を国際社会でアピールした。当時サッチャー政権は炭鉱労働組合の弱体化を図るとともに石炭火力から原子力への切り替えを目論んでいた。サッチャーは退任後立場を変え、地球寒冷化の方が温暖化よりもはるかに害が大きく、科学が歪曲されていると著書で主張している。

一方、1988年6月に開催されたトロント.サミットで地球温暖化問題の重要性が指摘され、その声明に基づいて同年11月に国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立された。IPCCはこれまで6回報告書を出している。2022年4月に発表された第6次評価報告書第3作業部会報告書には「原子力は、低炭素エネルギーを大規模に供給することができる」と書かれており、発電時CO2を出さない原発が「気候危機」対策として有効であることが示唆されている。

◆結び

CO2の増加により地球が温暖化するという学説はすでに19世紀に発表されていた。しかしCO2温暖化説の提唱者アレニウスは地球温暖化を「危機」ではなく「恵み」と認識しており、宮沢賢治もそうした認識に基づく作品を書いていた。そして1970年代までは地球寒冷化説の方が優勢であり、地球温暖化が社会の主要関心事となることはなかった。

転機となったのは1979年の「チャーニー報告」である。スリーマイル島原発事故の起きたこの年、米政府は米国アカデミーに気候に対する人為起源CO2の影響について諮問を求め、同アカデミーはCO2の人為排出が地球の気温上昇を招き、それが気候に大幅な変化をもたらすとする報告書を出した。

さらにチェルノブイリ原発事故の2年後、1988年のハンセン証言を契機に地球温暖化が社会的な関心を集め、各種機関による地球温暖化対策が本格的に進められるに至った。「気候危機」論を世界に広める上で大きな役割を果たしたのが、原発大国フランスと、サッチャー政権のもとで炭坑労組潰しと石炭火力から原発への転換を進めていたイギリスである。2011年の福島原発事故後、いくつかの国が脱原発を決め、他の国々も原発推進に慎重姿勢を取った。しかし、グレタ・トゥーンベリが気候ストライキを始め気候運動が世界的な盛り上がりを見せる中、EUはタクソノミーに原発を含めることを決定し、韓国は脱原発を撤回、フランス、日本が相次いで原発の積極推進に回帰した。

このように、「気候危機」論は原発推進を目論む勢力によって提唱され、以後一貫して原発を推進する役割を果たしてきたのである。

「気候危機」論のもう1つの大きな推進力は、金融商品としてのCO2により利潤を得る国際金融資本であることは本誌2023年夏号の拙稿「『気候危機』論についての一考察」で述べた。

いずれにせよ、「気候危機」論はその生い立ちからして原発推進と不可分の関係にある。したがって、私たち市民は「気候危機」論の動向について常に警戒感をもって注視していかなければならない。(終わり)

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▼「気候危機」関連年表

1760年代  イギリスで産業革命起こる
1896年   スヴァンテ・アレニウス、CO2の地球温暖化効果を指摘する論文を発表
1906年   アレニウス『宇宙の成立』を発表、CO2の地球温暖化効果を一般向けに解説
1932年   宮澤賢治『グスコーブドリの伝記』発表
1979年 3月 スリーマイル島原発事故
1979年 7月 米国アカデミー「21世紀半ばに二酸化炭素(CO2)濃度は倍になり、
      気温は3±1.5℃(1.5-4.5℃)上昇する」とする「チャーニー報告」を公表
1986年 4月 チェルノブイリ原発事故
1988年 6月 アメリカ上院公聴会にてジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、
      とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と証言
1988年 6月 トロント・サミット開催
1988年 11月 国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)発足
1989年 3月 ハーグで環境サミット開催、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ
      「ハーグ宣言」を採択
   11月 英サッチャー首相、国連総会で
      「CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべき」とスピーチ
1991年   ソ連崩壊
1992年 6月 ブラジルで地球サミット開催、「気候変動枠組条約」採択
1995年   第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP1)開催
1997年   COP3開催、「京都議定書」採択、排出量取引制度創設
2001年   IPCC第3次評価報告書を発表、マイケル.マン作成のホッケースティック曲線を採用
2002年   サッチャー元首相、地球温暖化を否定する著書『Statecraft』を発表
2005年   EU、世界で初めて「排出量取引制度(EU-ETS)」を開始
2006年   アル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』公開
      (ゴアは翌年ノーベル平和賞を受賞)
2007年   英国裁判所で『不都合な真実』には誇張があるため
      学校内での上映に際しては注釈を付すよう命じる判決
2008年   ハンセン、地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言
2009年11月 クライメートゲート事件(マンのホッケースティック曲線は捏造であるとの疑惑が浮上
      英国下院は「問題なし」とする調査結果を公表)
2011年 3月 福島原発事故
2011年 7月 ドイツ、脱原発を決定
2015年   COP21開催、「パリ協定」締結
2017年   韓国、脱原発を決定
2018年   グレタ・トゥーンベリ、気候ストライキを開始
2021年 8月 IPCC第6次評価報告書を発表、
      人間の活動により温暖化が起きていることは「疑う余地がない」と断定
2021年11月 仏マクロン大統領、原発新設再開を宣言
2022年   EU、タクソノミーに原発を含めることを決定
2022年   韓国、脱原発を撤回し原発推進に回帰
2023年 5月 日本、国会でGX推進法を可決、成立

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本稿は『季節』2023年冬号掲載(2023年12月11日発売号)掲載の「『気候危機』論の起源を検証する」を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎原田弘三 「気候危機」論の起源を検証する[全3回]
〈1〉CO2増加による気温上昇は、本当に「地球の危機」なのか
〈2〉転機となった「チャーニー報告」
〈3〉「気候危機」論はその生い立ちからして原発推進と不可分の関係にある

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

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