珠洲市で原発建設の反対運動を続けてきた元石川県議・元珠洲市議の北野進さんに会ってきた 尾﨑美代子

連休の5月3、4日、石川県の能登半島に行ってきました。ボランティアでなくて申し訳ないが、石川県の珠洲市(すずし)で30年もの間、住民の皆さんと原発建設の反対運動を闘い、2003年ついに計画を凍結に追い込んだ(凍結が解凍出来ないから結果中止)元石川県議・元珠洲市議で現在「志賀原発を廃炉へ!訴訟」の原告団長・北野進さんにお話を聞くためにです。北野さんからお聞きしたお話などはまたなにかの機会に紹介出来ればと思います。

 
『季節』2024年春号 表紙は関西電力が珠洲原発の立地可能性調査を予定していた区域にある高屋漁港の状況。1月1日の地震後、2メートルほどの隆起を指し示す北野進さん

もうひとつの目的は、珠洲市で原発建設が予定されていた高屋(たかや)と寺家(じげ)地区が地震でどのような被害を受けたか、さらには鹿砦社発行の反原発季刊雑誌『季節』39号(2024年3月発売号)の表紙及びグラビアで北野さんが指し示していた珠洲原発建設予定地の海底の隆起状況などを、この目で確認したかったからです。

現地に住んでいない私にとって「海底が隆起した」と言われても(凄いなとは思うものの)見た目ではなかなかわかりにくかったのですが、実際の現場で、「尾崎さん、ココは以前は海だったんですよ。それが今は隆起して海面からでてるんですよ」と説明され、自分でもそこを普通に歩いていると、「ここは海底なんだ」と不思議な気持ちになりました。

もともと能登半島の歴史を調べると、地震などで隆起、隆起を繰り返し、今の半島が形成されています。それでも今いる住民は海底が隆起したのを見るのは初めてで、住民は最初見たとき、潮が引いて海底が見えていると考えたそうです。そして「では、大きな津波が来るのか」と心配していたところ、それが海底の地盤の隆起とわかったそうです。光にあたるとどんどん白くなるそうです。

珠洲の狼煙から輪島方面にかけて150キロもの長い間隆起し、幸運なことに志賀源波の少し手前で止まっていたといいます。一番高いところでは4メートルも隆起したそうです(ちなみに福井県では過去に5メートル隆起した箇所があるそうです)。周辺の人々は一晩にして目の前の光景がかわったことになります。それだけ激しく強く力が働いたということです。恐ろしいことです。珠洲に原発が建設されていたら……元旦の大地震で珠洲市、能登半島、石川県どころか関西一園が壊滅していたでしょう。

珠洲市寺家地区で原発の建設予定地にカメラを向ける北野さん。先端の白い建物は「ランプの宿」
北野さんが指差す岩近くまで海だった。元旦の地震で海底の地盤が歩けるようになった
北野さんが指差すあたりまで隆起した

本当に本当に珠洲市の皆さん始め、周辺の原発反対を訴える方々の闘いのお陰です。ということで、珠洲の皆さんの闘いを知ろうと北野さんに連絡しました。正直、私は珠洲という地域で昔、原発建設を止めた人たちがいるらしい程度の知識しか持ち合わせていませんでした。多忙な北野さんにあわせて急遽珠洲行きがきまったので、慌てて関連記事、資料などを読み込んでいきました。

2日間に渡ったのは、前日金沢まで入らないと取材は無理とわかったからです。珠洲市には国鉄高速バスが通ってますが、震災前3往復あったものが現在は1往復のみ。朝7時15分に金沢駅を出発し、珠洲市役所、終点未知の駅「すずなり館」に着くのが11時過ぎ。帰りは3時ジャストがあり、それに乗ると金沢から大阪に戻れるということで、3日は扇町公園の憲法集会でチラシまきをして、すぐに金沢へ向かいました。

7時15分金沢駅発のバスに乗ると、隣に座った70代の女性も珠洲へ行くとのことで、いろんなお話を伺いました。女性の家は海岸から100メートル位のところにあり、津波被害にあいました。女性はちょうど輪島の親戚宅にいて津波の難は逃れました。近くで亡くなった方もいたそうです。

能登半島では昨年も一昨年も震度5弱、6弱の地震がおこり、女性の家でもあちこち損傷したため、少しづつ直し、最後に床を直してもらう業者に予約をいれていたところだそうです。しかし、今回の地震で津波被害に遭い、家はぐしゃぐしゃになったそうです。震災後、女性は富山の親戚宅に住みながら、ときおり珠洲に用事に来るそうです。

「今日は家に荷物を取りにいくのですか?」とお聞きしたところ、「違うの。役所で家を解体してもらう手続きですよ。もう住めない。荷物も取り出せない。荷物というのは入れる家があって持ちだせる。持ってきたいものはあるけどね。家に帰っても目をつむって置いてくるの」。

目をつむって置いてくる……辛すぎます。(5日の夕方のニュースで珠洲市での家の公費解体の受付のようすを放送していました。先月30日時点で申請数は1万279棟、うち解体が完了した家は全体の1%の129棟だそうです。朝会った女性には帰りのバスでもお会いしましたが、なかなか手続きが進まないと嘆いておりました)。
 

珠洲市内、原発建設予定地近くで多くの家屋が倒壊、半壊していた。連休で片付け作業に来る方々の姿もチラホラ

北野さんの家で2時間ほどお話をお聞きし、そのあと原発建設予定地だった寺家地区と高屋地区を案内してもらいました。2つの地域は近くだと思っていましたが、ずいぶん離れています。もし原発が出来ていたら「柏崎刈羽原発」のように「高屋寺家原発」と呼ばれていたかもしれません。

また道路も陥没したり、マンホールが隆起していたり、崖くずれの大きな石がどーんとあったりして移動に時間を取られ、ゆっくり回ってみるには時間が足りませんでした。それでもどのようにして珠洲の皆さんが闘い、原発の建設をやめさせてきたかの貴重なお話はたっぷり聞いてまいりました。記事を楽しみにお待ちください。

北野進さんと著書『珠洲原発・阻止へのあゆみ―選挙を闘いぬいて』(七つ森書館 2005年)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『季節』2024年春号 表紙は関西電力が珠洲原発の立地可能性調査を予定していた区域にある高屋漁港の状況。1月1日の地震後、2メートルほどの隆起を指し示す北野進さん

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