【My sentimental journey 望郷篇】熊本地震から3年 ―― 帰郷し、震災復興を祈り、40数年振りの旧友との再会を喜ぶ 鹿砦社代表 松岡利康

「風よ吹け吹け 雲よ飛べ 越すに越されぬ田原坂
仰げば光る天守閣 涙をためて ふりかえる ふりかえる ふるさとよ」(『火の国旅情』より)
https://www.youtube.com/watch?v=fP5zuOacZA0

 
熊本県人会総会にラストはみなで「火の国旅情」を歌う

この歌は、1970年代半ばのもので、一般的にはさほど流行らなかったが、関西の熊本県人会総会では最後に必ず出席者全員で歌うことになっているほど、熊本出身者にとっては大切な歌となっている。35番まである長い歌で、高橋ジョージらTHE虎舞竜の『ロード』のようだ。実際に歌われるのはそのうちの3番ほどだ。

ここに出てくる天守閣とは熊本城の天守閣のことだが、これは西南の役で焼き討ちされ消失、今のものは1960年に再建されたもので、いわばレプリカである。なので、消失を免れた江戸時代からある小さな宇土櫓や、「武者返し」といわれる石垣は文化財になっているが、天守閣はなってはいない。

しかし、熊本市民、県民にとっては象徴的な建物である。熊本市出身の私は少年期、城内には何度も何度も行き、天守閣にも幾度となく上った。18歳で故郷を離れてからは、帰郷する際には必ずといっていいほど熊本城に行き天守閣に上り市内を一望した。

3年前の4月14日と16日の2度にわたり震度7の熊本地震から3年を迎えた。天守閣や石垣が大きな被害を蒙ったことは大ショックだった。今は再建工事中で、城内には入れない。一日も早い復旧を願う。

再建工事中の熊本城

歳を取ると、なぜか望郷意識が高まるもので、若い頃は「こぎゃん(こんな)田舎は一日一刻も早く出たい」という気持ちが強かったが、今は故郷に帰り旧友と毎日楽しく飲み交わしたりして愉快に過ごしたいと思うようになった。実際には、会社の経営もあるので、それを放って故郷に引き揚げることはできないのだが……。

ということで、なにか用がないと戻れないが、このかんは1年に2度、つまり4月の高校の同窓会と9月の「琉球の風」に合わせて帰郷してきた。

その前後に、彼岸には帰郷できないので、お寺さんに行き挨拶と墓参りをすることにしていた。

◆まずは墓参り

熊本は城下町なので、下級侍の流れを汲む、わが松岡家の菩提寺も市内中心から少し離れた所にある。中学の同級生の有田正博君(後述)らが作った若者のファッション街「シャワー通り」と風俗街に隣接している。徳川時代からある、このお寺も、熊本地震では大きな被害を受け、本堂、山門、塀などが全壊した。境内にある墓も大半が倒壊していたが、その前年秋に従妹と費用を出し合って新しくした松岡家の墓は、石材店がしっかりした仕事をしてくれたお蔭で、びくともしなかった。

まずはお寺さんにご挨拶済ませ、お墓の掃除、ろうそくと線香を灯す。若い時には気づかなかったが、心が休まる。

 
9回目の「琉球の風~島から島へ~」(2017年9月24日熊本フードパル)

◆「琉球の風」のご苦労様会で一献傾ける

高校の同級生で沖縄与那国島にルーツを持つ東濱弘憲君(故人)が、まさにライフワークとして始めた島唄野外コンサート「琉球の風」に、私たち鹿砦社も途中から協賛企業として参画した。これには、東濱君の想いに応え、沖縄島唄の大御所・知名定男先生を総合プロデューサーとして、著名なミュージシャンが数多く参加してくれた。

宮沢和史(BOOM)さんはまだ得体のしれないイベントに第1回からレギュラーとしてほぼ全回参加していただき、宇崎竜童、BEGIN、ネーネーズ、かりゆし58、夏川りみ、南こうせつ……錚々たる方々が薄謝で集ってくださった。

東京、大阪などの大都会ならともかく、熊本のような地方都市では採算分岐点の2000人余りの観客を集めることは難しい。本来なら昨年が10回目だったが、残念ながら台風で中止となった。なんとしても10回はやるというのが東濱君との約束だったのだが自然の猛威には勝てない。

 
第10回「琉球の風」中止のため急遽ミニライブで歌うネーネーズ。もうすぐ2人が卒業

この季節(9月の最終日曜日)、いつも台風に悩まされ、しかし、9回までは運良く台風も避けてくれた。

これだけでも奇跡的なことだが、最後は、事前に沖縄から来ていたミュージシャン(知名先生、BEGINの島袋優さん、ネーネーズら)と夜が更けるまでミニライブと余興を行った。これはこれで楽しかったですがね。

その「ご苦労様会」として、今回の帰郷で一席設けさせていただいた。最大のスポンサーで女子サッカーを不遇の時代から支えてきたことで有名な黒糖ドーナツ棒を熊本を代表する人気商品に育て上げた「フジバンビ」の吉田高成会長も、仕事先の八代市からわざわざ駆けつけてくださった。

 
『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が「薔薇亭」に贈ってくれた筆画

委員長の山田高広さん、超ベストセラー『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が学生時代アルバイトしていて、海上レストラン「バラティエ」のモデルになったことでファンの間では有名な高級ステーキハウス「薔薇亭」店主で、私と高校3年間共に学んだ松藤春夫君、若者ファションの街「シャワー通り」を作り若者ブランド「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君らも来てくれた。Paul Smithさんがまだ有名になる前にニューヨークの展示会で知り合い意気投合、その場で30万円を投じ彼の商品を買い付けたことが最初とされる。

有田君は、中学3年の時に家庭の事情で八代市から転校してきたが、中学を卒業して以来ご無沙汰していたところ、「琉球の風」の第5回までの記録集『島唄よ、風になれ!』を製作中に、東濱君が作ったメンズショップで働いていたことが判り、元地元新聞記者の取り計らいで再会、実に40数年振りだった。爾来、帰郷するごとに一献傾ける機会を持つようにしている。

彼はPaul Smithの販売権を得たこと、そして何よりも彼自身の才覚で大ブレイクしたそうで、一時はビルを3つ持ち釣り三昧の日々を送ったというが、さすがに妻子に三行半を突き付けられ離婚、この際、ビル3つとPaul Smithの販売権を全て妻子に渡し、自分はゼロから再出発したという。何度も結婚―離婚を繰り返し、離婚するごとに全財産を妻に渡したという、往年の名時代劇俳優・嵐寛寿郎の現代版だ。

失礼な言い方だが、中学の時のイメージからすると、こんな剛毅な男とは思えない。今でも彼の熱烈なファンが多いらしく、自前のブランドを作り、妻子の店の斜向かいで店を構えている。

有田正博君の記事(2016年6月8日付熊本日日新聞)
「琉球の風」ご苦労様会。写真右から「フジバンビ」の吉田高成会長、筆者、ステーキハウス「薔薇亭」店主の松藤春夫君、「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君

◆高校の同窓会で旧友と再会した!

そうして、次は高校の同窓会だ。今年は趣向を変えて、同級生が灯篭祭りで有名な山鹿市の温泉街で土産物屋をやっているということで、温泉旅館でやることになった。

われわれの母校は当時、熊本商科大学付属高校といって新設校だった。通称「商付(しょうふ)」で男子校だった。われわれが第9期、未だ歴史も浅い開校から一桁の時代だ。その後、熊本商科大学が学部を増やし熊本学園大学に名称を変更し熊本学園大学付属高校と名を変えている。通称「学付(がくふ)」、今は男女共学になっている。同窓会の名は「紫紺会」と言う。

当時は、公立校に落ちた者の受け皿として設立され、新設校ということでレベルも低かったが、今では東大・京大にも合格するようにまでレベルアップしているようだ。

一昨年、関西の同窓会を久しぶりにやったところ、読売新聞大阪本社社長として赴任してきたばかりの溝口烈君(先輩‐後輩の関係から「君」付けで呼ぶ、「さん」や「氏」では変ですよね?)も出席してくれた。前任は、東京本社専務である。読売の社長というから、どんなコワモテかと想像していたところ、予想に反し物腰の柔らかい男だった。私も外部からはコワモテと思われているようだが、実際は軟派な男で、これと同じだな(苦笑)。

読売の評価はともかく、われわれの母校も、読売の専務、大阪本社社長を生み出すほどにまでなったか、と正直感慨深いものがあった。

ところで、今回の同窓会で最も嬉しかったのはHM君と実に40数年ぶりに再会できたことだ。彼は台湾・中国大陸に渡り、一時は死亡説まで流れたので、私が生きている間には会えないだろうと思っていた。本人に言わせると台湾・大陸を駆け巡り約30年頑張ったという。1年半ほど前に熊本に帰ったそうだ。寡黙でニヒルなイメージがあったが、けっこう能弁な男に変わっていた。仕事がそう変えたのか、久しぶりに日本に帰ってきて話したいことが一杯あるのか――。

高校を卒業し、大学に向かうために、当時は寝台列車に乗って行った。HM君は他数人と見送りに熊本駅に来てくれた。その後、彼は東京のH大学に入り、もう言ってもいいだろうが、私同様、当時の学生の多くがそうだったように学生運動に走った。彼の性格と地方出身者ということから、ラジカルに闘ったと想像する。逮捕の噂も耳にした。現在のH大の総長も一時共に活動していたとのことだ。しばらくして首都圏では人気があったブント叛旗派という党派に入り、1971年秋、当時沖縄返還協定批准阻止闘争で私も東京で活動していたところ、H大学の学園祭でバッタリ遭遇した。「なんばしよっとね?」と、叛旗派が根城にしていた教室だったかボックスだったかに連れて行かれ、幹部と思しき人物にオルグられた。彼はこのことを忘れていた。

その後、卒業してから私は大阪市内に出て働き始めた。75~76年頃だったか、叛旗派が解体し、展望を失ったHM君は熊本に帰るということで、大阪に途中下車し、曽根崎のスナックで飲んだ。当時出始めたばかりのカラオケ(カセットの時代だったですね)で彼は『五番街のマリー』を歌った。そのことを言うと「よう覚えとるね」と言った。このことも忘れていた。そして一晩私のアパートに泊まり熊本に帰って行った――それ以来の再会だ。

有田君との再会といいHM君との再会といい、なにか不思議なものを感じる。私たちも先が見えている世代、これからどれだけ旧友らと再会できるか、若い時には同窓会というと小バカにしてきたが、機会があれば、できるだけ足を運びたい。8月には4年ぶりに中学の同窓会があるという。もちろん万難を排し出席する。航空券もホテルも予約済みだ。

熊本商科大学付属高校(現・熊本学園大学付属高校)「紫紺会」9期同窓会
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

キックのレジェンド、またも藤原敏男祭り!

 

◆昨年の古希祭りに続き、今年も藤原敏男祭りが開催!

普段は仲がいいはず?の二人 藤原敏男氏と増沢潔氏(右)

3月17日、格闘技マスコミのレジェンド、舟木昭太郎さん(元・月刊ゴング編集長)主催のトークショーにて、今回は当時の全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男を窮地に追い詰めた山田ジム勢とのトークショーを中心に開催されました。

メンバーが揃ったところで増沢潔さんが「元選手が煙草なんか吸いなさんな!」と藤原敏男さんが吸っていた煙草を取り上げて火を揉み消してしまう意地悪。

「“元選手”だから吸ってもいいんじゃないの?」と返す藤原さん。今日もやり合う雰囲気が漂うパフォーマンスの序章。

キックボクシング隆盛期に起きた山田ジムとの戦い。

古き仲間から、日本で最初のムエタイジムと言われる山田ジムは、当時、会長がタイ国大使館職員の山田正さん。1969年(昭和44年)にNETテレビ(現・テレビ朝日)で放映されていた、「ワールドキックボクシング」に加わり、勢力を伸ばていきました。この局での放送はわずか1年で打ち切られるも、すぐに全日本系に移り、二大勢力の目白ジム、協同ジムに迫る存在となりました。

1971年11月5日、全日本キックの初代王座決定戦で8階級のチャンピオンが誕生。そのうちの2階級で山田ジム勢が制し、ウェルター級で錦利弘(協同)を1ラウンドKOしたのが増沢潔氏でした。2度就いた王座は陥落したものの、1974年3月9日、全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男(目白)とのノンタイトル戦が実現。

初回に増沢が左ハイキックを決めるも、第2ラウンド以降は藤原がペースを握り、最終ラウンドに前蹴りと右アッパーでの2度のダウンを奪って判定勝利した藤原でしたが、増沢のハイキックで、前歯を折られた試合でした。

藤原敏男35歳、現役最後の姿

◆戦いの感想は笑いに包まれるジョーク絡み!

増沢潔 「作戦というのは全然無くて、勝つか負けるかというだけですから、自分の中では1ラウンドから倒すという意識を持って、“当たれば倒れる”って思って行きました。自分は67戦やったけれども、倒せるときに倒しに行っている試合ばかりで、1ラウンドKOが多かったので、パンチ以上に蹴りも強いと思っていたんだけど、足が短くて当たらなかった。それがいちばん親を恨みます(笑)!次やったら勝てると思いますが、どうでしょうか!?」

藤原敏男 「格闘技に“次やったら勝てる”という言葉は無いよ!、あと“1ラウンドあったら勝てた”とか言う奴居るけどさあ。増沢の蹴りは当たれば倒れたかもしれなかったけど、当てさせなかったから俺は。頭良いんだよね俺!酒飲まなかったから現役中は(周囲失笑)!、でもロープに詰まって反動で返ったときに、まさかそこで増沢のその短い足は届かないと思ったから、蹴りをアゴに貰って前歯全部10本折られたよ。差し歯は1本50万円で全部で500万円だね。まだ(お金)貰ってないんだよ(笑)!」と理不尽な請求。

昨年も周囲を笑わす舌戦やっていたが、戦いが縁を深めた本当に仲がいい二人である。

初代チャンピオン(1971年)となったパネルを持つ増沢潔(2018.10.7撮影)

◆藤原敏男vs佐藤正信戦!

1975年(昭和50年)5月31日、藤原敏男の全日本ライト級王座4度目の防衛戦となった佐藤正信との対戦。第2ラウンドに藤原のヒジ打ちが佐藤の左目上を切ると、焦った佐藤は猛然と藤原に襲い掛かったが、パンチと蹴りで出て来る佐藤を見切って藤原は自分の距離を保つ素早いスウェーとフットワークで佐藤にパンチを当てさせず判定勝利。

佐藤正信 「パンチが全く当たらなくて、試合終わった直後に悔しくてグローブはめたまま思いっきりマットを叩きましたよ、“クソーッ”って!」

敗れた佐藤は後にウェルター級に上げ、1976年7月9日、沢野正典(渡辺)を倒しチャンピオンとなるが、藤原敏男を倒せなかったから階級アップしたようなものと振り返る。

昨年の因縁の再戦はジャンケンで勝っていた藤原さん(2018.10.7撮影)
藤原敏男71歳、脚は悪くなったが、弟子達の試合には今も出向く

◆敗れ去った3名と移り行く時代!

その同日7月9日、藤原敏男の土谷亮(山田)との5度目の防衛戦は、今度は土谷のヒジ打ちで藤原が額を切られるも、これで怒りの猛攻でこの切られたヒジ打ち以外は当てさせず、土谷を第3ラウンド終了TKOに下す。これで隆盛期の全日本キックボクシング協会の時代に、打倒藤原敏男に立ち向かった山田ジム勢3名は善戦虚しく敗れ去ったのだった。

その後、佐藤正信は、タイで藤原敏男と激闘を展開して判定勝利したルンピニースタジアム・ライト級チャンピオン.シリモンコン・ルークシリパット(タイ)に1977年(昭和52年)元旦に面目躍如のKO勝利、周囲を驚かせる快挙を果たしました。
名チャンピオンが揃う時代でしたが、この1976年3月で日本テレビが放映を打ち切っており、次第に斜陽期に移っていったキックボクシング界。向上する選手の実力とは正反対に、競技運営のマンネリ化がキックブーム終焉を導き、1979年の東京12チャンネルに続き、翌1980年、日本系もTBSが放送打ち切りへ続き、キックボクシング氷河期へ突入する時代でした。

昭和の良き時代の名勝負を語らせればまだまだ出て来るレジェンド達の話題。次回の舟木昭太郎さんのトークショーは4月20日(日)に目黒ジム同窓会を開催予定。長らく行方不明(冗談!)だった元・東洋ウェルター級チャンピオン.富山勝治さん御来場。藤原敏男さんとの37年ぶりの対面なるか。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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佳境を迎えた滋賀医科大問題 ── 全国から「岡本医師の治療継続」を求める声

4月9日16時30分から大津地裁で患者さん4名が滋賀医大病院附属病院泌尿器科の河内・成田両医師を相手取り「説明義務違反」により損害賠償を請求した民事訴訟と、岡本圭生医師の治療を望む「待機患者」7名と岡本医師が滋賀医大を相手取り「治療妨害の禁止」を求めた仮処分の審尋が大津地裁で同じ日に連続して行われた。

この訴訟と仮処分の日に患者会のメンバーは12時半頃から滋賀医大附属病院前で抗議のスタンディングを行った。患者会は昨年末に「岡本医師の治療継続」を求める署名活動を全国で展開し、短期間に2万8千筆を超える署名が集まった。3月13日署名の現物をもって厚労省、国会議員に嘆願・陳情を行った。それと相前後して病院前での「スタンディング」による抗議活動が始まっていた。冷え込みが強い今年の冬、早朝病院前での「スタンディング」は患者さんにとって、体力的にも厳しいに違いないが、毎回20名を超える参加者が集まり「抗議活動」が続けられてきた。

この日はこれまで最大規模の約35名が病院前に集まり、晴天ながらやや寒い風が吹く中約2時間にわたり、静かに大規模な抗議が展開された。抗議行動に音を上げたのか、病院の事務室ガラス窓は、途中からブラインドが下ろされる。これまでにはなかった病院の狼狽ぶりが観察できた。

約35名が病院前で約2時間にわたり、静かに大規模な抗議を展開した
患者会アドバイザーでフリージャーナリストの山口正紀さん

15時30分からは裁判所にほど近い大津駅前で集会が開かれた。患者会代表の惠さんが「きょうも晴天です。患者会の活動はきっと幸運に見守られているのでしょう」と挨拶をして集会がはじまった。患者会アドバイザーでフリージャーナリスト山口正紀さんが最初のスピーチにたった。

「3月13日厚労省への申し入れも取材しましたが、課長は 『違法行為が確認できないと動けない』というので『違法行為が確認できなくとも、異常なことが起こっていることはわかるだろう』と発言しました。翌日(3月14日)には病院のHPで『新たな小線源治療をはじめる』との告知がありましたが、なんとそれを担当するのは、いま説明義務違反で被告になっている成田医師だそうです。まったく施術の経験がない成田医師。研修を受けた、見学をしたから大丈夫と病院はいっていますが、驚くべきことです。わたしもガンと闘っていますが皆さん共に頑張りましょう」

山口氏はこの日スタンディングから記者会見までの始終を取材されていた。

待機患者の鳥居さん

続いて待機患者の鳥居さんが「わたしには心強い仲間が居ました。ご自身の治療は終わっているのに、手弁当で全国から集まってこられる先輩方の存在です。先日病院前のスタンディングに参加していたら『君は待機患者だろう。体を大切にしなさい。私が変わろう』と言葉をかけて頂きました」と名も知らぬ患者同士の結びつきにより支えられている患者会の運動についての感想を語った。

待機患者の宮内さん

同様に待機患者の宮内さんは「裁判所は常識的に『治療継続』との判断をしてくれると信じています。しかし目的はそれだけではありません。未来の患者にわれわれ同様『岡本メソッド』を受けられるようにする必要があります。そのためには岡本先生が大学に残り、後進の医師を育ててもらう必要があります。皆さん!がんばりましょう!」と元気な訴えを行った。

そのあと、提訴原告の大河内さんと患者会代表幹事で、街頭活動のリーダーが挨拶をし、頑張ろう三唱で集会は結びとなった。到底傍聴席には入りきれない80余名の集会参加者は裁判所前に移動し開廷をまった。

患者会のメンバーが、傍聴できないひとを裁判後、記者会見が行われる教育会館に誘導する。16時20分、傍聴席の扉が開いた。法廷の最後尾にテレビカメラが準備されている。この日の裁判は「冒頭撮影」がおこなわれることがわかった。社会的に注目の高い裁判に限り、テレビ局が裁判所に申請をすれば、代表撮影が2分間許される。

傍聴席には入りきれない80余名の集会参加者が裁判所前に移動し開廷をまった

いよいよ滋賀医大附属病院、泌尿器科を発信源とする問題の数々への注目が、本格的に広がりだしたことを示す証だろう。そういえば、この日病院前のスタンディングから、従来より継続取材と放送を続けているMBS(毎日放送)に加えてABC(朝日放送)の取材陣も新たにカメラを持って現れていた。

16時30分から予定通り「説明義務違反」の裁判が始まり、原告被告双方が準備書面の弁論を行い、参加人である岡本医師の代理人も準備書面を提出した(弁論)。原告側からは、証人として、塩田浩平滋賀医大学長、松末吉隆病院長、原告の申請がおこなわれたが、裁判長は被告に対して、再度の釈明(反論)を求め、被告が5月17日までに書面の提出を行い、次回期日は6月11日13時30分からと決まった。

弁護団長の井戸弁護士

引き続いて仮処分の審尋がおこなわれた。仮処分は非公開なので、傍聴席を埋めた患者会のメンバー取材陣は、記者会見が行われる、教育会館に移動した。仮処分の審尋はせいぜい15分から、長くとも30分程度と考え、記者会見は17時30分開始の予定であったが、記者会見がはじまったのは18時15分であった。

弁護団長の井戸弁護士が会見の遅れた理由などを説明した。井戸弁護士によると仮処分の審尋についての話し合いが長引き、5月中の結論を出せと要請しているが、和解のための期日が4月19日に設けられたとの説明があった。ただし、和解についてはデリケートな内容であり、申立人との確認が必要であることから詳細な説明はなされなかった。仮処分は、早くも決定的な局面を迎えることになった。

岡本医師が会場に現れ参加者に挨拶

記者会見終了後、岡本医師が会場に現れ参加者に挨拶をした。

「本日はお忙しい中、遠方からもお集まりいただきい誠にありがとうございました。私は本日も3名の方の治療を終えて駆け付けた次第であります。私自身、唯一の願いはなんとか待機患者さんを救えるように、また、まだ私の受診すらできず待っておられる患者さんを救いたい。そのことに頑張りたいその一念であります。さて私たちは患者さんの人権や人命を守るために一緒に闘っているわけです。しかし私たちが初めて闘いをしたわけではないことを最近知ることになりました。(中略)私はこの事件を知りとても勇気づけられました。私や私の待機患者さんには既に治療を終わられ、ひたすら利他の気持ちで患者さんを救いたい。なんとかそれに行動したいという多くの方がおられることに大変ありがたく思って居ることと、本当に誇りに思っております。2015年に泌尿器科の不当行為から原告を含める20数名の患者さんを救い出した時から、私の気持ちは一切変わっていません。私はこれまで通り命を懸けて待機されている前立腺がん患者の皆様を救えるように、これからも頑張っていきたいと思いますので、引き続きどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします」

岡本医師の挨拶のあと、拍手が鳴りやまなかった。

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連記事》
◎田所敏夫-滋賀医大小線源患者会が同病院正面玄関で抗議活動を決行!(2019年3月28日)
◎黒薮哲哉-[特別寄稿]小線源治療患者会が国会議員と厚生労働省へ嘆願、2万8,189筆の命の署名を提出の命の署名を提出(2019年3月15日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

大阪維新の「都構想」に抗い対峙する共生・寛容の釜ケ崎 ── 自主管理で24時間開放された「西成あいりん総合センター」にみんな、来たらええねん!

3月31日18時に閉鎖予定だった大阪市西成区の「西成あいりん総合センター」(以下センター)の1階が現在も開いたまま、しかも24時間開放されている。当日は予想以上に大勢の人たちが集まったため全体が把握できなかったが、参加者らの情報を集約すると、先頭で抗議していたのは1月から続いていたセンターとの交渉に参加し、その後釜ヶ崎地域合同労組で労働相談を受けていた労働者や、仮移転先での募集業務に不満を持つ労働者など、比較的若い労働者が多かったようだ。

さらに遠巻きに応援してくれた人たちも多数いたこともわかった。「お上には文句言いにくいんや」という生活保護を受ける人、身体が弱いため抗議に参加出来ない人、シャッターの向こう側にいたが「良く止めてくれたな」という人たち。なかにはツイキャスを聞きかけつけた近所の若者、「俺らは引っ越すがセンターなくしたらあかん」という上の市営住宅の住民もいた。

予想外に多くの人たちが集まり、しかも誰かの指揮下ではなく、各々がそれぞれに抗議していたことなどが、結果として弾圧や排除を困難にしたのか。まさに数は力なり。しかし何と言っても流れを大きく変えたのは、降りかけたシャッターの真下に身体を横たえた労働者だ。シャッター下に集まる人が次々に増え、実質シャッターは降ろせなくなってしまった。「雨が降ったら野宿の人が困るやろ」と話す彼自身、長く野宿をしていたという。

いずれにしてもさまざまな形の抗議行動が、広いセンターのあちこちで展開され、結果シャッターが降ろせないまま時間が過ぎ、日付が変わり、大阪府がセンター管理者から外れた。

それ以降、センターでは自主管理状態が続く。なぜこのような事態になったのか?センター立て替えを前提とした「西成特区構想」とは、そもそも何を狙うのか、釜ケ崎から報告する。

「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」(4月8日撮影)

◆まさに今!「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」

4月1日午前0時にセンターの管理が大阪府から離れたことがわかったのは、2日の夕刻、西成労働センターに話し合いの申し入れをした時であった。管理者不在状態のなか、ゴミ回収やトイレ掃除など、当面の管理体制をどうするかが話し合われた。

ゴミに関しては、釜合労委員長の稲垣氏が、選挙中にも関わらず、大阪府に何度も問い合わせし続けた。
「センターから逃げた大阪府は、ゴミの処分に責任をとれ」(稲垣氏)
「不法占拠状態で怖いから(センターに)いけない」(大阪府)
「ならばこっちからゴミを大阪府庁に持って行く」(稲垣氏)
「不法投棄だ」(大阪府)を繰り返し、ようやくセンター1階は国の管轄になっていることを聞き出した。

4月5日(金)、国が管轄するあいりん職安(南海電鉄高架下)に「ごみを責任もって回収しろ」と要求したが、それは職安の仕事ではないと拒否されたため、責任もって国に伝えるよう要求、現在回答待ちである。テント村では毎日トイレ掃除と共にゴミ収集も欠かさず行い、センター内に集め管理している。

テントは24時間交代で仲間が待機し、各方面から届く支援物資の仕分けや管理をしたり、現地を訪ねてくる人たちに現状を説明するほか、医療、生活、労働相談も始まった。支援に来た人たちも立て看作ったり、食事をつくったり、ビラを書いたり……出来ることをやる。もちろんただ現場にいるだけでも力になる。

現在現場ではどのような支援が必要か、釜ケ崎医療連絡会議の大谷氏に聞いた。
「とにかく常時、センターにたくさんの人が集まっている状態を作っておくことが大事だと思います。現場の方からも、そのために様々な集会・報告会などイベントを企画し、センターで行っていきたいと考えています。次回は4月20日『センターの日』が13時から開催されます。ぜひ集まってください」。      

センターで寝床をつくり、寝ている人(4月4日撮影)

◆あの日、釜ケ崎の大きな屋根「センター」が閉まっていたら……

現在センター構内とその周辺には約90人の人たちが段ボールを囲いにしたりして野宿をしている。しかしセンターが開いていることを喜んでいるのは労働者だけではないようだ。センター内に車両を停め、募集業務を行う業者からも「助かったわ」と言われるそうだ。逆にあの日シャッターが閉まっていたら、現在センター周辺はどうなっていただろうか? 狭い道路は業者の車両と仕事を探す労働者、さらには「特掃」(特別清掃就労事業)の輪番の紹介を待つ労働者でごった返し、混乱が生じていたかもしれない。

センター建て替え、仮移転を考えた人たちは、そうした不測の事態を予測しなかったのか? あるいは昼間センターに入れず表に出された人たちがどうなるか? 人気のない場所で安心して野宿出来るのか? 雨の日、夕方シェルター開くのを待つ人たちは? 雨の日の炊き出しは? 労働相談の机だしは?釜ヶ崎の「大きな屋根」センターがなくなったらどんなことが起きるか、考えなかったのか?

◆大阪維新の「都構想」に反対する人はセンターに来たらええねん!

こうした現場の利用者や労働者の声を無視した「西成特区構想」が、何を狙っているのか? 4月7日のW選挙では残念なことにまたもや大阪維新を勝たせてしまったが、彼らの進める「都構想」とリンクする「西成特区構想」は、センターを閉鎖出来ず、事実上頓挫しているのだ。

その根本的な原因は「西成特区構想」が釜ケ崎の主人公である労働者をとことん無視して進められているからだ。さすが選挙で西成の「萩之茶屋」(はぎのちゃや)を「おぎのちゃや!おぎのちゃや!」と何度も連呼しまくる、現場を知らない元市長橋下氏のやることだ。すぐ近くの飛田遊郭では料理組合の顧問弁護士をやりがっぽり儲けたくせに。

センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」(4月5日撮影)

そんな労働者を無視した「西成特区構想」の実態は、センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」や「新萩の森予定地」を見ても明らかだ。労働者にとってセンターは、しばらく見てないツレを探しに行く場所、 スポーツ紙で皐月賞を予想する場所、夜勤開けにワンカップ飲む場所、夏場蒸し暑いドヤを出て風にあたる場所、激安スーパー玉出の半額弁当を食うところ……。彼らのような「椅子がある場所に閉じ込め管理すればいい」という発想からは、建て替え後のセンターがどのようなものになるかも容易に想像がつく。そこに労働者の居場所はない。

生活に困窮した者にとって最低限のライフラインを確保できる釜ケ崎のセンターには、かつてのような勢いのある労働者の流入は減ってはいるものの、精神疾患やさまざまな障害、ほかの地で行き辛さを抱える人たちがヘトヘトになりながらも辿り着いている。

どんな人をも寛容に受け入れる「日本一人情のある町」、それが釜ヶ崎だ。橋下氏同様、彼の手先となり釜ヶ崎に足を踏み入れ「荒んだ町だ」などと嘆いた鈴木亘学習院大学経済学部教授(元大阪市特別顧問。西成特区構想担当)らには、そんな釜ヶ崎の良さは死んでもわからんだろう。

センターでは様々な催しが開催されているが、9日(火)の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の16mm劇映画「月夜釜合戦」が上映された。映画にはセンターを大勢の仲間がデモするシーンも出てきた。

昨年秋、大阪、神戸、京都を皮切りに上映が始まり、その後フランス、ポーランドの国際映画祭にも参加、ポルトガルのポルト・ポスト・ドッグ国際映画祭では日本映画初のグランプリを獲得した。受賞理由は「社会の周縁へ追われる人々への共感。日本映画の体制批判の伝統を継承するその方法。この2つを理由に『月夜釜合戦』にグランプリを授与します。人々の厳しい生活の現実をもとにつくられた明朗喜劇であるこの作品は、共生そして寛容という共同体の他ならぬ意味を見出し、賛辞を送っている」とある。

「共生そして寛容」に溢れた釜ケ崎はいま、大阪維新の「都構想」を末端から食い止める場となっている。みんな、センターに来たらええねん!

センターでは様々な催しが開催されている。4月9日の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の劇映画「月夜釜合戦」が上映された(4月9日撮影)

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

統一地方選・地方の反乱 自民党ボス政治の衰退と大阪で維新大躍進の意味

分裂選挙がどんなものになるか、当事者たちにはわかっていたはずだ。それを承知で自民党同士の一騎打ちは行なわれた。そこには組織としての統制や政治判断はなく、ただひたすら恨みつらみ、感情に支配された迷走があった。

◆麻生財務大臣が「造反」と呼んだ福岡県知事選は「私怨」による分裂選挙

周知のとおり、島根と福岡の県知事選で、自民党は公認候補が敗北した。勝ったのは地元県議が支援する候補だった。このうち、福岡県知事選は完全に私怨による分裂選挙である。すなわち、8年前にみずからが担ぎ出した小川洋知事が、衆院選で「手駒」のように動かなかったことを恨みに思い、対立候補(竹内和久)を自民党本部に「公認」させたものだ。

このみっともない立ち居振る舞いをしたのはわが副総理、麻生太郎財務大臣その人である。本欄でもふれたとおり、麻生が推した竹内候補の集会では塚田一郎国土交通副大臣(当時)が下関北九州道路の推進を「忖度した」ことでケチがついた。当初、2倍から3倍の得票差で負けるだろうと思われていたところ、130万票(小川知事)にたいして35万票(竹内候補)、すなわち4倍以上という惨敗だった。

告示の過程で、麻生太郎は記者の質問に「分裂とは思いません、造反だと思います」と語っていた。造反した連中に惨敗したのである。造反したのは地元の県議・市議クラスばかりではない。古賀誠宏池会会長、山崎拓元副総理など、地元の大物も麻生副総理の振る舞いに反発して、小川知事を支援した。怒気の感情とメンツで突っ走った先が、求心力を低下させる惨敗だったのだ。

人間、加齢とともに経験を積み、その意味では洗練された政治感覚になるはずだと、わたしは人間の成長力を肯定的に考えている。もっとも、高齢化することで忍従やこらえ性がなくなり、思ったことを何でも言ってしまう傾向があるのも確かなことで、そのような老人を見るたびに反面教師として自重するよう努めてもいる。今回の麻生太郎の暴走は、まさしく感情を抑制できなかった「老害」であろう。

◆自民党ボス政治の衰退

いっぽう、島根県知事選挙も地元の県議・市議が推す丸山達也が初当選を果たし、県連が「推薦」自民党本部が「支持」した大庭誠司候補を破った。故竹下登元首相や「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄・元自民党参院議員会長を輩出し、「自民王国」と呼ばれた島根県に激震が走ったのだ。党本部が「指示」にとどめたのは、党議拘束することで組織の分裂につながるのを避けたからだ。今回の島根知事選挙で明らかになったのは、県連の執行部および中央の政治家の思惑だけでは地方は動かない、ということであろう。ほかにも県連推薦の候補が当選したとはいえ、福井県知事選、徳島県知事選でも、一部の県議が対立候補を支援した。

あるいは地方創生をうたいながら、官邸主導の政治で地方をコントロールし、地元の大物(じつは中央政治)を「忖度」したつもりで、利益誘導を公然と口にしてはばからない、実質のともなわないパフォーマンスを地方は拒否したのである。それは長らく自民党を支配してきた「ボス政治」の衰退にほかならない。ボス政治の衰退という意味では、今回の分裂選挙を官邸とともに「静観」してきた二階幹事長にも及んでいる。すなわち、二階幹事長の元秘書(中村裕一元県議)が共産党の候補に敗れるという事態が起きているのだ。

◆大阪維新の会の躍進が意味すること

中央に対する地方の反乱という意味では、大阪府知事選・市長選挙における維新の会の躍進、名古屋市議選挙における河村たかし市長の減税の躍進(14議席)が挙げられる。とくに大阪維新の会は、危ないといわれていた松井氏の当選をはじめ、府議選挙では過半数、市議選でも過半数にせまる勝利を達成した。全国的に議席を減らしているのに、大阪では大勝したのだ。

これは知事と市長が入れ替わるダブル選挙を「図に乗っている」(自民党幹部)と評され、中央およびマスコミに批判されたことが、かえって原動力になったと言われている。その通りであろう。維新の会は国政政党としてはイマイチでも、地方政党としての地歩を確かなものにした。こういう政治構造は、たとえば沖縄における社会大衆党などの先行例もあり、地元の利益を主張する独自性があって良いのだと思う。その政治スタンスはともかく、地方党が躍進するのは中央の「独裁」をけん制するうえで、必要なものではないだろうか。


◎[参考動画]【報ステ】統一地方選 大阪・福岡・北海道は(ANNnewsCH 2019/04/08公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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《殺人現場探訪22》セキュリティは万全でも防げず……江東区女性神隠し事件

殺人事件や性犯罪事件では、被害者への配慮から「原因究明」がおざなりにされがちだ。たとえば、強姦殺人事件の被害女性がミニスカートをはいていた場合、そのことに触れただけでも、「悪いのはミニスカートをはいていた被害者ではなく、犯人だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人も少なくない。

もちろん、悪いのはあくまで犯人だが、仮にミニスカートをはいている女性が強姦被害に遭いやすいという傾向が統計データに現れていたなら、それを公表しないのもまた問題だろう。犯罪被害の発生防止につながる情報を封印するに等しいからだ。

そんな考えの私は、殺人事件を取材する時、この事件はどうにかして回避できなかったかと常に考える。しかし、被害者側の立場からでは、回避しようがない事件もやはり少なくない。2008年に起きた江東区マンション神隠し事件がまさにそうだった。

◆「性奴隷」獲得目的の凶行

東京都江東区のマンションで暮らしていた女性会社員(当時23)が帰宅後、忽然と失踪したのは2008年4月のこと。女性宅の玄関には少量の血が残されていたが、防犯カメラに女性が外出した形跡がなく、「神隠し」事件として騒がれた。

現場マンション。被害女性らは918号室、犯人の男は2つ隣の916号室で暮らしていた

捜査の結果、殺人などの容疑で検挙されたのは、2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33)だった。男は「性奴隷」獲得目的で、女性を襲って自室に拉致。だが、警察の捜査が始まったため、犯行の発覚を恐れて女性の首を包丁で刺して殺害してしまったのだ。そして遺体は細かく切り刻み、トイレやゴミ捨て場に捨てて処分していた。

事件後、平然と取材に答えていた男の異常性も話題になったものである。

◆現場でわかる被害女性の「安全性重視」の物件選び

私がこの事件の現場を訪ねたのは、2015年の秋だった。被害女性と犯人の男が暮らしていたマンションは、JR潮見駅から徒歩で5分程度の場所だった。

駅からマンションに向かう道中、暗い場所やひとけのない場所など、物騒に思える場所はまったくない。女性が暮らしていたマンションも正面玄関にオートロックが備えられており、セキュリティは悪くなさそうだった。

現場マンションは正面玄関にオートロックが備えられている

一般的に女性は男性に比べ、部屋を借りる際には「綺麗さ」を重視する傾向があるため、家賃との兼ね合いで駅から遠い場所で暮らしているケースも少なくない。しかし、この事件の被害女性の場合、安全性を重視した物件選びをしていたように思われた。しかも、一緒に姉も暮らしていたというから、まさかこんな事件に遭うとは夢にも思わなかったろう。

被害女性とその姉は、事件の前月にこのマンションに引っ越してきたと報じられている。マスコミ報道を見る限り、犯人の男も見た目はどこにでもいそうな普通の人物だけに、「危険な人物」と見抜くことは不可能だったろう。

親御さんとしても、姉妹が一緒に暮らしていた状態には安心感があったはずだ。それにも関わらず、娘がこのような悲劇に遭ってしまった気持ちは、第三者が想像できる範囲を超えている。

最寄り駅からマンションまでの道もいかにも安全そう

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ついつい喋ってしまったがゆえに、詰め腹を斬らされた軽量級の政治家 塚田一郎元国土交通省副大臣の選挙演説の真相

「忖度」し、しかもそれが「ウソ」だったという閣僚が辞任に追い込まれた。

「わたくしは渡世の義理だけで生きている麻生派、根っからの麻生派であります」
渡世の義理で選挙の応援に来た閣僚は、こう口火を切ったのだった。

「みなさんよく考えてくださいよ。下関は誰の地盤ですか。安倍晋三総理ですよ。安倍晋三総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっている。……私、すごく物分かりがいいんです。すぐ忖度します。……今回の新年度の予算に国で直轄の調査計画に引き上げました」「吉田(参院)幹事長が大家(聡志)さんと一緒にやって来て『塚田、わかってるな。総理と副総理の地元なんだぞ』と言うんです。わたしは物分かりがいいんです。総理や副総理が自分では言えないから忖度します」(4月1日、福岡知事選挙応援の演説)

こう演説したのは、元国土交通省副大臣の塚田一郎だ。利益誘導を「忖度」する。総理と副総理の地元だから、停止している道路事業を再開させると喧伝し、国会でマスコミでおおいにその名を売った。辞任の顛末はともかく、事実関係をたどっておこう。

 
◎[参考資料]下関北九州道路の早期実現に係る要望(2018年3月28日)

4月1日(エイプリルフール)の発言だからか、この発言は「事実ではありませんでした」つまり「ウソ」だったとしている。だとしたら、公職選挙の運動の場において「ウソ」で集票しようとしたことになる。

この道路事業というのは、山口県下関市彦島から福岡県北九州市小倉北区に至る約6キロメートル(海上部の吊り橋約2キロ)の地域高規格道路である。かつて「第二関門橋」と呼ばれた30年来の計画で、安倍晋太郎の時代から熱烈な運動がくり広げられてきた。道路は全線が候補路線であり、建設を行うためには計画路線への格上げが必要となっていた。それを政権首脳に「忖度」して、国レベルの調査として、一気に計画路線にしてしまおうというのが、応援演説の真意である。

この「忖度」発言およびそれが虚偽だった件について、参議院決算委員会において、安倍総理は「過去にいくつかの要望事項のひとつとして、設置要望の大会に出たことはある」、麻生副総理は「記憶に定かではない」などとはぐらかして、自分たちの要望が「忖度」されたものではないかのように答弁した。

事実はそうではない。安倍総理は「関門会」なる政治団体の一員として、道路実現のための「要望書」に名を連ねている。総理官邸で大家聡志参院議員に推進のための「指示」もしているのだ。麻生太郎副総理は「下関北九州自動車道路の早期実現に係る要望書」(平成30年版)には整備促進期成同盟会の「顧問」として名を連ねているのだ。ちなみに、この要望書は毎年提出されているが、すくなくとも28年度以降、麻生は「顧問」となっている。

したがって、塚田元副大臣の発言はきわめて事実に近いのではないか。

◎[参考資料]下関北九州道路の早期実現に係る要望(2018年3月28日:PDF)

総理および副総理への「忖度」で政策をゆがめたのであれば、政治の私物化にほかならない。そして「忖度」をしたという演説が「ウソ」だったとしたら、虚偽の宣伝、選挙民への裏切りである。どちらにしても副大臣を辞任するしかないのが、塚田一郎国交副大臣の立場だった。そして、どうやら野党が「辞任」に向けて問責決議などの猛追をかけず、やんわりと話題にしつつ、おそらく参院選挙までこの話題を引っ張ろうとしていることに、自民党は気づいたのだった。そこで一転、更迭となったものだ。

すでにこの欄でもふれたとおり、新元号「令和」は法(令)による支配とそれに対する和(反抗しない)がもう一つの意味である。いわば規律を国民にもとめる政府が、身内の「利益誘導」や「ウソ」には寛大であるという、醜い姿をさらしてしまっていたのだ。

塚田元副大臣の「忖度」発言によって、下関北九州道路は「忖度道路」という印象を持たれてしまった。今後、国レベルでの調査・建設計画が進むにつれて、国民は「あれは忖度で進んでいる工事だ」「ゆがんだ利益誘導によって造られている橋」となってしまうであろう。それにしても、新たな橋が必要かどうかである。

私の実家は、対岸に彦島(下関市)を眺める門司区と小倉北区の境い目にあり、響灘と呼ばれる静かな海を遠望できる。母校(九州国際大学付属高校)の校歌に「♪遠く玄海荒れるとも 波静かなる響灘」とあるように、穏やかな風景のなかに馬島などの小島が見える。瀬戸内海の延長でもあるがごとき環境で、そこに巨大な橋を架けるのは無粋との反対意見もある。海底トンネル(自動車道)は老朽化による修理の頻発があるとはいえ、関門大橋はあと100年は使用可能だとされている。鉄道の海底トンネル(鹿児島本線)、新幹線の海底トンネルも健在である。

その意味では、地元の財界が数千億円といわれる建設費を見込んでの促進運動ともいえるのだ。今回の利益誘導の裏側にはしたがって、政財界の癒着という構造が見え隠れしている。そしてその中枢に、現役の総理大臣と副総理大臣が名を連ねているという由々しき事実だ。この案件から目が離せない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

いまこそタブーなきスキャンダリズムを!月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す『NO NUKES voice』19号

どうした! 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い! 鹿砦社特別取材班

2回にわたって香山リカ氏の欺瞞と虚言癖について述べてきた。今回で一応の打ち止めとするが、「知識人」として持て囃される同氏が、どのような人物であるのかを決定的にご理解いただこう。まずは2017年12月16日の書き込みだ。例によって「しばき隊」の尊師こと野間易通氏とのペアーである。

《「裁判を起こす→支援者からカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる」という小口のビジネスモデルに活路を見出したのであろうか。》

という疑問形を使った揶揄の対象は、鹿砦社に向けられてのものであることは言うまでもない。まかり間違っても李信恵氏に対する当てこすりではあるまい。劇的に失当なこの悪意に満ちた邪推は、しかしながら看過することのできない“攻撃”でもある。“攻撃”の主たる対象は鹿砦社のつもりであろうが、この文章からはリンチ被害者M君までもが“攻撃”の対象とされている。

1時間近く殴る蹴るの集団暴行を受け、半殺しにされた被害者が、損害賠償請求を提訴することの何が問題だと香山氏は言いたいのだろうか。李信恵氏は差別者に差別言辞を浴びせられ「精神的苦痛を受けた」と損害賠償請求を提訴した。李信恵氏は提訴段階から何度も記者会見が開かれ、その様子がマスメディアによって報じられた。約300万部を発行する朝日新聞に至っては社説にまで採り上げている。

一方リンチ被害者のM君は。提訴するも大阪司法記者クラブ(大阪地裁の中にある記者クラブ)に「記者会見拒否」をされ、けっしてこの事件がマスメディアで報道されることはなかった。判決はM君勝訴であった(当然だ)けれども、満足のゆく内容ではなかった。

昨今、記者クラブの問題が取り沙汰されているが、M君の記者会見拒否に至って、われわれも身をもってその弊害を実感した。また、われわれは事件の背後に“何者かの力”が働いていることを強く疑わざるを得なかった。「精神的苦痛」を負ったとされる李信恵氏に対する対応と、顔面骨折をはじめ肉体的重症を負った被害者M君に対するマスメディアの扱いが、あまりにも違いすぎるのだ。専門家によれば「法的な損失は物質よりも精神的なものが過大に評価される」のが今日の日本の司法だ、との指摘もあったが、そんなものは市民感覚から離れすぎているし、馬鹿げている。

集団暴行を受けたうえに、事件隠蔽に著名人らが数多く組織的に関わった。被害者M君は数少ない力なき者が支えるだけで、いまだに1円の治療費も受け取っていない。そんなリンチ被害者を支援することの、どこが問題だと香山氏は主張するのか。同氏や同氏の仲間らは、しきりに「マイノリティーの権利」を口にする。そうであれば政治家から弁護士、知識人がこぞって事件隠蔽にかかわり、孤立無援のリンチ被害者こそ、“究極のマイノリティー”ではないか。だから鹿砦社、取材班、弁護団、支援会は彼の救済と支援に動いたし、全国から多くの方々が顔も知らないにもかかわらずM君を支援してくれたのだ。

鹿砦社代表・松岡は、この事件を知るや被害者への同情と加害者らへの義憤にかられ損得を度外視して、この事件の真相究明と被害者支援に乗り出し、そんな松岡のピュアな想いにわれわれも「特別取材班」を結成し協力した。その行為をあたかも「儲けの手段」であるかのように見下す香山氏の内面に、われわれは、人間としての最低レベルの醜悪さと、究極の倒錯を見るほかない。「小口のビジネス」などと揶揄されたら、われわわれも「馬鹿言うな!」と大声のひとつも挙げたくなる。この事件に関して鹿砦社は5冊の出版物を書店に並べたが、そこまでの道のりは通常の出版物発行とは比較にならない困難さを伴った。資金も時間も労力も、これまで30年余りの出版活動で一番かかったと松岡は言う。

何度も述べるが、鹿砦社はM君が被った非道が許されないと考えて支援を買って出たのであり、それで金儲けをしようなどという魂胆など微塵もなかったし今もない。香山氏の着想には恐れ入るほど驚いたが、そういった発想が生まれてくる神経を分析するために、心理学を学んだスタッフにも取材班には参加してもらったのだ。専門家の分析は明確に出されているが、あえてここで香山氏の人格分析を明示するのは控える(われわれには「慎み」の感覚があるからである)。

「M君の裁判を支援する会」に寄せられたカンパ(浄財)は弁護士が管理し、不定期ながら1円単位まで収支報告がなされており、鹿砦社には1円たりとも流用されてはいないので、そうした香山氏の物言いに一番激怒したのは鹿砦社代表の松岡である。収支報告といえば、「李信恵さんの裁判を支援する会」には、M君支援会よりも遙かに多額のお金が集まったと推察されるが、この収支報告はどうなったのだろうか? 素朴な疑問だ。いわゆる「反ヘイトスピーチ裁判」は終結したのだから、最後のケツはきちんと拭け!

また、鹿砦社が本件リンチ事件の真相究明で資金的にもこれまでになく費やしたと前述したが、収支はかなりの赤字である。それでも、本件リンチ事件は、中途で放れなかったのである。さらに、支援会は経費を節減するために最低限の人数に抑えられている。弁護団にも無理をお願いしている。

はっきり言えばこの事件にかかわることで、商売上の「得」などは一つもない。副産物として鹿砦社代表の松岡が30数年来付き合いのあった鈴木邦男氏と、また取材班の田所敏夫が辛淑玉氏と義絶せざるを得ないという状況にも直面した。それでもわれわれは、事実に即して取材し判断したことが間違いだとは思っていないし、鈴木氏や辛氏の態度は到底容認できるものではなかったということだ。なあなあで済ませば、これらの人たちと義絶することもなかっただろうが、松岡にしろ田所にしろ、けじめをつけなければならない時にはけじめをつけるということだ。

そこまで腹を決めて、取材し判断のうえ出版しているのだ。研究室に取材に伺ったら逃げまくった挙句「この写真ネットとかに出さんといてくださいね」と情けない姿をさらした、リンチ事件隠蔽のA級戦犯の岸政彦教授らとは、覚悟が違うことを述べておく。

さて、前記の書き込みに続き下記の書き込みである。これらは鹿砦社という出版社に対する著しい名誉毀損である。

「勝手な想像と余計なお世話」で済ませられない事情がある。実はご存知の向きも多かろうが、ほかでもない香山氏らが徒党を組む「しばき隊」関係者に、少なくない数の「不適切書き込み」による失職者や実質的な失脚者、末は、見捨てられた挙句、若くして逝去する人までが出てきているからだ。「傷つく」どころではない。社会的地位のある者たちが、たかだかツイッターにのめり込み攻撃言辞を書き込み職を追われるのは、悲劇というしかないが、彼らの面倒を香山氏らはちゃんと見ているのか。他人事に首を突っ込む前にやることがあるではないか。

さて、立教大学教授にして精神科医、NHKのラジオ番組にレギュラー出演する「知識人」香山先生は、2017年6月7日下記の書き込みをした。香山先生にご要請(?)あるいはご誘導(?)をされたので、鹿砦社は正直に送り先を鹿砦社アカウントに書き込んだ。「頼まれたことには答えなさい」と子供のころから教育されていた通りに「要請」には「お答え」したのだ。すると翌日、神原元弁護士から文句がつけられた。削除の要請があり鹿砦社は「大人の対応」をした。なんなんだこの幼稚さは!中年版「ピンポンダッシュ」でもあるまいに。「ちょと書いてみては?」と言うから、言われた通りに書いたまでだが、答えが来たら「エーン神原先生ぇー」と弁護士に泣きつく。こんな幼児性は「知識人」と呼ぶに値しないどころか、一般常識を備えた社会人としても失格じゃないか。アホらしというか、笑えるというか、実はこの程度が香山先生の本質なのである。

そして最後は地味ながら、また持ち前の「虚言癖」と「決めつけ」の決定版をご覧いただこう。あれこれ御託を並べた挙句に、

《今日、高裁でそれが「リンチ」ですらなかったと確定した。鹿砦社の責任は重い。》

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

と断定している。しかし、M君の「対5人裁判」高裁判決文には、どこにも《「リンチ」ですらなかった》などという文言も、文章もない。これは香山氏による明確な“嘘”である。それどころか1審判決よりも被告に命じられたの賠償額が増額されている。なのにどうして「鹿砦社の責任は重い」のだ。説明してくれと頼んでも、われわれと違い香山先生は、まともな回答をよこしてくれたことがないので、もう期待しない。

ただし、われわれは知っている。香山リカという人物は皇室に媚び、時代を利用し、反差別を唱えながら平気で嘘をつき人を傷つける人物であることを。自己認識しているかどうかはわからないが、典型的な“21世紀型ファシズム”の牽引者であることを。要するに矛盾の塊なのだ。精神科医・香山氏を「困った人」と言ったのは、同じ精神科医で、この世界の重鎮・野田正彰氏だが(『カウンターと暴力の病理』参照)、「困った人」につける薬はあるのか!?

改元と来月の天皇代替わりを見越して発刊されたと思われる『皇室女子』。どのタイミングで本人は積極的な広報に出るか。来月1日の天皇の代替わりには、多くの便乗商法が待ち受けている。10連休の間「天皇代替わり祭」の雰囲気を盛り上げ続けなければいけないのだから、マスコミの準備も万端だろう。その中で必ず香山氏も天皇称揚の役割を演じるであろうことを予想しておく。

香山リカ氏は、いわゆる「リベラル」と自称し、右派からもそういわれているようだが、「リベラル」も地に堕ちたものだ。「リベラル」を地に落とした香山リカ氏の「責任は重い」と断ぜざるをえない。香山氏よ、反論があれば堂々と受けて立つぞ!(完)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

タブーなきスキャンダルマガジン!月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

どうした! 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる 鹿砦社特別取材班

前回は香山リカ氏の近著『皇室女子』にみる、同氏の矛盾した主張と、破綻している論理を批判した。

『皇室女子』に関連して、あらためて香山氏がわれわれに対して行ってきた誹謗中傷ツイートを一瞥したが、その社会的立場のある人間、世間では「知識人」として見られている人物が行ったものとは、にわかには思えないほどひどいものである。

これからご覧いただくのは、そのように「上品」な話ではない。香山リカ氏が“嘘つき”であり、鹿砦社や取材班に対して充分「名誉毀損」が成立する書き込みを、せっせと行ってきた様子について、証拠をも元に読者の皆様にご紹介する。まずは2016年8月25日の明確な〈嘘〉である。

「しばき隊」尊師こと野間易通氏の頓珍漢な書き込みに呼応する香山氏のこの書き込みは、明確な〈嘘〉である。取材班は電話取材の際にすべて録音しながら取材を行っている。この会話の様子は『人権と暴力の真相』に収録してある通りであり、ガチャ切りなどはしていない。事実を確認なさりたい読者はぜひ『人権と暴力の真相』をお読みいただきたい。

しかし、多数のフォロワーを持つ香山氏がこのように書けば、それが事実ではなくとも広く拡散される。実体的に鹿砦社や取材班への社会的評価の低下が誘引される。非常に問題の大きい書き込みである。

「私怨」ではない。上記のようにまったくの虚偽を書き込むので、その経緯を出版物にまとめたことを、“しっかり書いている”と強調しているのである。「祈ります」は主語や対象をぼかしているが、侮蔑的なイメージが包含されているとわれわれは感じる。また、以下のような下品な言葉でわれわれを“馬鹿にする記述”もある。

さらには、座視できないのが下記の書き込みである。

「鹿砦社のデマ本」なる表現は、鹿砦社が香山氏を相手に損害賠償請求を提起すれば、ほぼ間違いなく勝てるであろう。その証拠に香山氏らはこのようにツイッターなどで、断片的に、われわれを誹謗をすることはあっても、まとまった書籍や反論本、文章、論文などで、取材班や鹿砦社への批判を一切展開していないことがあげられる。

われわれは、伝える事実が衝撃的なものであろうと、取材に関しては慎重を期し、裏取りのできた(事実と確認ができた)もののみを出版している。上記「なにがかなしゅうて鹿砦社のデマ本の取材班に」への回答は、「社会的に著名でありながら、嘘を発信してもなんの痛痒も感じない精神科医の精神を分析記述するため」である。

いかがであろうか。読者諸氏にはWikipediaなどで、香山リカ氏の著作や、職歴の検索をして頂くことをお勧めする。同氏には膨大な数の著書があり、現職は立教大学教授である。精神科医としての立場から、広く社会での出来事に関心をお持ちで、発言は多岐の分野にわたっている。その人物が、上記ご紹介したような書き込みを実際に行っている。

果たして、この人の発言や発信が信用できるであろうか。判断は読者に委ねるも、事実は曲げられない。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか? 鹿砦社特別取材班

「カウンター」/「しばき隊」による「大学院生M君リンチ事件」の取材に取り掛かって以来、取材班はさまざまな人々から情報を得て、その膨大な情報から整理した事実を元に5冊の出版物にまとめ、世に問うてきた。「事件」は隠蔽された〈集団リンチ〉である。基本的な事件像はつかめたが、関係者への取材は一筋縄ではいかなかった。事件に関係が深ければ深いほど、関係者の口は重くかつ取材開始直後から取材班・鹿砦社そして被害者M君への攻撃は熾烈を極めた。

M君は〈集団リンチ〉の被害者であるにもかかわらず、ネット上ではさらなる人格攻撃や虚偽の誹謗にさらされた。たまりかねたM君は「しばき隊」の頭目・野間易通氏を名誉毀損で提訴し、当然勝訴した。それでも彼らの攻撃はやむことはない。これが「リベラル」だの「反差別」だの美辞麗句を用いながら、原理原則などなく「自らが気に入るかどうか」だけで、擁護するか攻撃するかの対象を決めて、結果として「権力の別動隊」として機能している「しばき隊」の本性である。

そしてその周辺には「知識人」と呼ばれるニセモノも多数寄生している(「知識人」・「しばき隊」は相互依存の関係というべきかもしれない)。国会議員では有田芳生参議院議員は確信犯であり、弁護士では「M君リンチ事件」の報を金展克氏から知らされるも、あろうことか「M君に非あり」と加害者擁護・加害者加担の見解を金展克氏にメールで表明した師岡康子氏。「M君リンチ事件」の加害者弁護人でもあった、上瀧浩子弁護士、そして神原元弁護士。……

名前を挙げればきりがないが、師岡氏を除き、上記の人々はいずれも、ツイッターなどで取材班や鹿砦社を誹謗してきた人物でもある。その詳細は、われわれが地を這うがごとき取材でまとめた5冊の本に詳しいので是非まだお読みではない読者の方々は、現物を確認されたい。

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

◆『皇室女子』と「反差別」

「知識人」や大学教員も多数がリンチ事件の隠蔽活動に狂奔し、事件取材を進める取材班に対して、言いがかりをつけてきた。なかでも香山リカ氏はその代表格である。同氏の展開する言説は「リベラル」や「反差別」に近いか、あるいは関係があるとの誤解があるが。それが全くの見当違いであることを、同氏は近著『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)ではっきりと示している。

本書は1月刊行であるが、なぜかあまり宣伝しないこともあるのか、われわれも出版を知らず、出版されていたのを知ったのは、出版から2か月ほど経ってからである。『皇室女子』の書名と、帯の「最も“日本的”なる女性たち プリンセス雅子からいよいよ皇后雅子へ」を見た知人が「香山リカはついにどうかしたのか?」と知らせてきたが、同氏は以前から皇室や天皇制について批判の目を持たず、出自によって乳児でも「さま」と敬語が使われる、単純な差別構造が理解できなかった人物である。

《最も“日本的”なる女性たち》などという物言いは、個性や出自、生活のありさまがさまざまな日本の女性たちを乱暴に“日本的”などという言葉でくくっている。フェミニストでなくとも、このような決めつけの枠に閉じ込められたら、不快に感じる女性は少なくないであろう。

香山リカ氏

『皇室女子』のあとがきは、

《新元号のもとで始まる時代が、平和で国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なものとなることを願って》

と、お偉い立場のお方が、現世を見下ろすかのように結ばれている。

でもこんな短い文章の中にも徹底的な矛盾がある。中学生程度の読解力がある方であればすぐにお気づきになるであろう。まずは「皇室・天皇制護持」の立場はけっして「反差別」とは相いれないということである。生まれたとたんに「さま」と呼ばれる制度が存置されていることは、生まれたとたんに「差別」される赤ちゃんも同時に捨て置かれる、制度への賛同と共感をあらわすものだ。

香山リカ氏

だから「新元号のもとで」なる前提では、いかなる「反差別」も論じようはない。「差別」は「不自由」であるから「国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なもの」などはありようがない。

本当に国民の自由を、差別の廃絶を願うのであれば、「出生により差別を生じさせる」天皇制廃絶への論考が少なくともなければ、現実には何の力も持ちえないばかりではなく、現存する差別の温存につながる。現実の変革は「願って」いるばかりでは訪れない。与えられた権利はいとも簡単に奪われる(あるいは手放してしまう)ことを、われわれは、20世紀終盤から今日に至るまで目の当たりにし、経験してきたではないか。権利は闘い獲得するものである。

香山氏の意図する「平和」や「自由」とはいったい何なのか。曖昧を通り越して想像すらできない。『皇室女子』はその論証として価値はあろう(手に取ることを読者にお薦めしているわけではない。念のため)。(つづく)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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