不思議でたまらない ── 政府はなぜ、前の震災から学ばないのか? 尾﨑美代子

不思議でたまらないことがある。

今から29年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災がおこった。私は大阪の黒門市場当たりにいて、時間があったので、3日目から被災地に入った。南港から船が出てたが、問い合わせたら満席だったので、電車で甲子園口まで行き、あとは凸凹道を皆さんと歩いた。

トボトボ数時間歩いて、当時テレビで良くでていた中学校へ。被災した住民の中でリーダーシップ取れる人が頭になって回ってたような避難所。

自衛隊が簡易風呂場を作ってくれ、被災した方々が3日ぶりに風呂に浸かって喜んでいた。ボランティア組織とかまだきちんとしてなくて、一人で行った私は、「あっ、食事がきたね。配るの手伝おうか」みたいに勝手に動いてた。

リーダーの方に「ボランティアの方、寝るのは○○の教室使って。本部に毛布取りにきて」といわれ、毛布と段ボール貰って指定の教室にはいり、被災した老夫婦の隣で寝た。翌日起きたら、近くに棺桶が置いてあった。

翌日は送られてきた支援物資の衣類の仕分け、今でこそ洗濯済のもの、とくに下着は新品を、が普通だが、当時は信じられない位何でも送られてきた。花嫁衣装やドレス、着古された制服、どこで着るねんという派手なスーツ……。

一番困ったのはトイレ。学校内のトイレが使えなかったのか、グランドにテント張って、中に長い溝が掘ってあり、衝立もなく、並んでそこでやった。私は流石にしにくいし、どっちみち数日で一旦戻り、また行くを繰り返してたから、余り食事を摂らないようにしていた。

あれから29年経ったし、その間、何度も地震を経験している。あの年がボランティア元年と言われたように、そのあとボランティアも組織的に行われるようになった。先に書いたように、支援物資のやり方など大幅に改善された面もある。

ただ、今回の能登地震の報道を見ると、29年前と同じではないかと思える光景や、被災者の声がある。冷たい木の床に段ボールやら布団を敷いている光景、「水が出ないんです」とトイレが流せないと訴える被災者、挙げ句「食べ物がありません」という声……。日本の政府はこの間何やってたねん?

「道路が寸断され、被災地に入れません」って言うけど、おらが故郷新潟県中越沖地震では、孤立した山古志村には、ヘリが物資を運び、空中から村に落としたやんか?

なぜ、前の震災から学ばないの? 全てとは言わないが、今回は特にそう感じる。

極寒の中、建物の下敷きや生き埋めになった家族に救出の手が届かず、おとんが「頑張れよ」と握っていた、家族の手が次々と冷たくなっていったんだと。どんな地獄だよ。

とりとめのないことをツラツラ書いてみたが、大勢の被災者が地獄見ている一方で、原発再確認について聞かれたにも関わらず、応えられず、ただニヤつく岸田や、こんな時に「万博の成功を!」とかいうてる吉村や松本人志や……。気色悪すぎる。涙しかない。簡易トイレや自家発電設備、そんなに高額か? 

これだけ地震が起こる日本の各自治体で、なぜ準備が出来ないのか?

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』


格闘群雄伝〈36〉ブルース京田 ── ノックアウト必至の目立ち屋さん、キックボクサーとの縁深い異色のプロボクサー! 堀田春樹

◆導かれた野口ジム

ブルース京田(本名=京田裕之/1960年6月30日、富山県富山市出身)は、プロボクシング日本スーパーフェザー級4位まで上昇。チャンピオンには届かなかったが、勝った試合はすべてノックアウトで、逆転も多いアグレッシブな展開で人気を得た。

 
現役時代のプログラムに載ったブルース京田のクローズアップ

リングネームはブルース・リーが好きだったことの影響が大きいが、観客から「お前、アレクシス・アルゲリョに似てるな!」と言われたことから「アレクシス京田」も考えたという。

「とにかく目立つ名前にしたかった。ブルースでいいかな!」と思い付いたネーミングだった(4回戦時代は本名)。

昭和の殺伐とした時代で口数少ない選手が多い中、ユニークな感性を持っていたブルース京田。小学校3年生の頃からプロレスを観てアントニオ猪木のファンになり、その頃のプロボクシングでは西城正三、大場政夫、ガッツ石松、輪島功一らの世界戦に感動したことや、キックボクシングでは富山県で沢村忠の試合も観戦し、控室まで忍び込んでも、快くサインをしてくれた感動から、将来はいずれかの競技を目指していた。

しかし、「プロレスはヘビー級中心だし、目指すなら小さい身体でも出来る階級制があって世界的に競技人口多いプロボクシングの世界チャンピオン」と決めた。

高校時代、富山ではボクシングジムは存在したが、野口ジムの元・プロボクサーだった地元の先輩に野口ジムを勧められていた為、高校卒業後、上京してジム入門する計画だった。その為、一年生から続けていた陸上競技で基礎体力を付け、1979年(昭和54年)3月、卒業するとすぐに上京、野口ジムに入門。

高校時代は具志堅用高が一世を風靡していた時代。その協栄ジムに行きたかったが、先輩に対し、そんな我儘は言えなかった。入門後、練習中の肩の大怪我で長期療養し、プロテストは少々遅れることとなったが、1982年(昭和57年)春、C級を難なく取得。スパーリング審査では右クロスカウンター一発、相手を1分ほどで倒してしまった。観ていた輪島功一氏には「お前凄いなあ!」と褒められたことが嬉しく、強烈に記憶に残っているという。

◆勝利への魔力

デビュー戦は同年7月6日、平野直昭(本多)に第1ラウンドにフラッシュ気味ながらノックダウン喫し、第3ラウンドで逆転ノックアウト勝利。スリルある展開はデビュー戦から見せていた。

東日本新人王スーパーバンタム級予選トーナメントは1983年9月2日、島袋朝実(帝拳)に3ラウンドノックアウトで敗れ予選落ち。当時、野口ジムでは萩野谷さんというトレーナーが居たが、重病を患い入院してしまい、萩野谷氏が不在となると練習生は誰も来なくなってしまった。

その後、退院した萩野谷氏が三鷹市にある楠ジムを任される立場になって移籍した為、ブルース京田も楠ジムに移籍することになった(後の楠三好ジム)。

新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は島袋朝実に敗退(1983.9.2)
島袋朝実にKO負けの直後(1983.9.2)

移籍第1戦目は1984年8月2日、2度目の挑戦となった東日本新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は、ランボー平良(京浜川崎)に第2ラウンドと第3ラウンドにノックダウン奪われた絶体絶命のピンチのインターバル中に野口ジム時代の先輩、龍反町さんがやって来て、「京田~!お前ふざけんじゃねえぞ、コラー!」とドスの利いたでっかい声で恫喝されたのが効いたか、第4ラウンドに逆転ノックアウト勝利。

楠ジムへ移籍第一戦目はランボー平良にKO勝ち(1984.8.2)

これで準決勝に進んで黒沢道生(鹿島灘)に敗れたが、ここまで7戦5勝(5KO)2敗。次戦は初6回戦だったが、スーパーバンタム級では減量がキツく、二階級上げてスーパーフェザー級でのB級6回戦スタートとなった。二階級上げるのはなかなか居ないが、フェザー級でもフラフラで、それだけキツかったという。

同年9月24日、初の8回戦でウルフ佐藤(日立/後のチャンピオン)と引分け。それまで4ラウンドを越えたことは無かったが、全然噛み合わない凡戦ながら初めて8ラウンド終了まで戦う貴重な経験をした。

同年12月5日、強打者・飯泉健二(草加有沢)に打ち合いで敗れた後、1986年7月14日は、これも強打者で、勝つも負けるもノックアウト決着の砲丸野口(川田)だった。この試合が決まる前、高校時代の友人だったテレビディレクターが企画した「今風ボクサーは目立ち屋さん」というテーマで、TBSのテレポート6での特集が組まれたが、いざ試合となった第1ラウンドに、二度ノックダウン奪われ、「テレビ企画どうなるんだろう?」とそちらに不安が向いてしまう試合だったという。

やがて砲丸野口が失速、第5ラウンドに逆転ノックダウン奪い、第6ラウンドに連打でノックアウト勝利して後日、友人プロデューサーから「番組の評判良くて電話が何本も入ってたよ!」と喜ばれたというこの勝利でランキング入りとなった。

更に1986年12月9日、前年度西日本ライト級新人王の久保田陽介(尼崎)も第6ラウンドで倒したが、1987年3月23日、元・日本スーパーフェザー級チャンピオンの安里佳満(ジャパンスポーツ)に第3ラウンド、ノーカウントのレフェリーストップ負け。安里は元・協栄ジムで名が売れた選手。メッチャ強く上手かったという。

安里佳満にノーカウントのレフェリーストップ負け(1987.3.23)
 
最後の勝利となった佐久間孝夫戦(1987.8.25)

◆ノックアウト必至の陰り

1987年、ランキング4位まで上がるも、同年10月22日、後に日本スーパーフェザー級チャンピオンとなる赤城武幸(新日本木村)に第5ラウンドのノックアウト負け。

ここから引退まで6連敗を喫してしまう。強打者とのハードな試合が続いたのは、マッチメイカーが持って来る依頼を断ったりすると試合が組まれなくなるから、三好渥好会長が全て受けてしまっていたようだ。

もう自分が描く動きが出来なくなっていた中のラストファイトは、1989年(平成元年)10月16日、高橋剛(協栄)に第1ラウンドのノックアウト負け。これで正式に引退を決意した。生涯戦績:20戦9勝(9KO)10敗1分。

「チャンピオンに届かなかったら1位も10位も全部負け組!」と語っていたブルース京田。引退後も汗を流すことが信条で、そんな青春の忘れ物を取り戻すかのように練習を続け、楠三好ジムと古巣の野口ジムには頻繁に足を運んでいた。

◆トレーナーとして開花

ブルース京田はデビュー前からキックボクサーと交流は深かった。その縁は、まだデビュー前の1981年7月当時、権之助坂にあったキックボクシングの目黒ジムが立ち退きになる危機があった。そこから路地を下った目黒雅叙園側にある野口ジムと合併になり、キックボクサーとの合同練習の毎日となった。当時は現役バリバリの伊原信一氏にはアドバイスを受けたり、食事に連れて行って貰ったりとお世話になったという。キックボクシングを勧められたのも言うまでもない。

引退間近、我孫子稔戦(1989.5.8)

野口ジムの他の練習生らはキックボクシングに興味は無かった様子だが、ブルース京田は元からプロレスファンだったり、小学生の頃、沢村忠さんに優しく接して貰った感動からキックボクシングに理解も深かった。後にはチャンピオンと成る鴇稔之や飛鳥信也らとは頻繁に食事に行ったり、キックボクシングの技を教わって練習したりと、彼らとの交流は長く続いていた。

そんな引退後の日々、目黒ジム野口和子代表から「力ちゃん(小野寺)を視てやって!」と指示を受け、パンチの指導が始まったことは新たな展開となった。他の選手も視ているうちトレーナーとして存在感が強まると、自分の練習時間は無くなり、指導一本の時間が増えていった。

選手らは皆礼儀正しく練習熱心だが、当時の新人の北沢勝は自ら「御指導お願いします!」と名乗り出て来て、教えたことをしっかり復唱して繰り返し、また疑問を問いかけて来る。この熱心さには、チャンピオンを獲らせてやりたくなる存在だったというブルース京田。実際に北沢勝が2002年1月に日本ウェルター級チャンピオンと成った時は自分のことのように嬉しかったという。

そうして選手を育てる達成感も積み重なってくると、声が掛かるのは目黒ジムだけではない、他のジムからも引っ張りダコ。トレーナーとして忙しくなる日々へ、ブルース京田の第二の人生は大きく移り変わっていくのであった。

トレーナーとして小野寺力を指導、目黒ジムで多くのキックボクサーを指導した(1995.12.2)

※写真はブルース京田氏提供

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

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《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から〈2〉青法協問題と日本会議 井戸謙一(弁護士・元裁判官)

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆戦前と人的な切断ができてない ── 青法協問題と日本会議

もうひとつは、戦前と人的な切断ができてないという事です、戦前の「おいコラ警察」。天皇の下、人々を弾圧していた警察官がそのまま戦後も警察の幹部になっていった。特高警察の一部は公職追放されましたけど、しばらくしたらまた戻ってきたので人的に切れてない。

そして裁判所は一切、戦争責任を取らなかった。だから戦前その天皇の名の下に裁判をして、治安維持法に基づいて人々を処罰していた裁判官がそのまま戦後も裁判官になって、中で要職に就いていく。するとそういう権力的な裁判官の発想というものが次の世代にも引き継がれていくと事が現にありました。

1970年頃、司法反動という大問題があって、ご存じの方もおられるかもしれませんが、当時その新憲法下に基づいて憲法に基づく裁判をしようという事で、がんばっていた青年法律家協会(青法協)の中に裁判官部会というのがあって約300人の裁判官がいました(協会自体は学者とか弁護士も含んでいるのですけれど)。ここに「脱会しろ」という裁判所からの圧力がかかり、民主的な裁判官が再任拒否という事で首を切られたりして大問題になりました。

これを推進したのが、石田和外(いしだ・かずと)という最高裁長官。この人は戦前からの裁判官で司法省の人事課長までやった人ですが、この人が最高裁裁判官を辞めた後に何をしたかというと、元号法制化(実現)国民会議初代議長でした。この元号法制化国民会議が、そのまま名前を変えたのが今の日本会議です(1997年に「日本を守る会」と合同し「日本会議」となった)。完全に右翼団体なんですね。ここの初代議長をしたのがその石田和外元最高裁長官なのです。こういう人が戦後の裁判所でずっと実権を握ってきて民主的な裁判官をずっと排除し、弾圧してきたという事が、今の裁判官の世界にも大きな影響を与えているという歴史的な背景があるという事も知っていただければと思います。

◆なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか

では、こういう冤罪を出してしまう裁判官の責任ですけれども、もう少し分析的に考えると、なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか? 検事の言い分をそのまま採用してしまうのか? 

ひとつは、裁判官は両方の当事者から全く等距離で公平でなければいけないのですけれども、心理的にはどうしても検察官と近くなるという事があります。ひとつの刑事部のひとつの係の立ち合い検事は固定されているので、どの事件も同じ検事がします。だから裁判官と検事はまったく同じ人間がその係の事件を全部やる。

一方で、弁護人は事件ごとに違います。そういう意味で、検事と弁護人では、裁判官との接触の時間がまったく違う。弁護人はそうそう簡単に裁判官室に行けませんよね、裁判官室に行こうと思ったら、「裁判官と面会したい」と書記官に声をかけてから、裁判官室に迎え入れられる事もあるし、裁判官が書記官室まで出てくる事もあります。

一方、検事は多くの場合、平気で裁判官室の中へ入っていきます。毎日一緒に仕事をしているから、書記官とも顔見知りです。それだけ物理的時間的にも多くの時間を共有している。

それからやはり裁判官と検事は役割は違うけれども、協力して治安維持を担っているという意識が、刑事裁判官の中にだんだん作られてくる。裁判をすると、否認して「私はやってません」という事件は一定の割合でありますし、その多くの事件は、本当はやってるけれどもやってないという人もいる。否認事件の中でも、そういう事件が多い。

しかし、中には本当にやってない人がいるわけです。だから否認事件の中で本当にやってない事件を見極めなくてはいけないのです。けれども、多くは否認していても有罪で決着するので、裁判官は「検事が起訴した事件はまず間違いないだろう」という意識を持ってしまう。刑事裁判官の経験が長ければ長いほど、そういう意識を持ってしまう。そうすると否認している被告人がいた時に、「こいつ、本当はやってんのにやってないと言うてるだけじゃないか」と、最初から色眼鏡で見てしまうという傾向になります。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 
 

 


2024年こそ止めたい湯崎県知事暴走 住民からの疑問や不安、深まる県病院統廃合問題 さとうしゅういち

広島県の湯崎英彦知事は県立広島病院(県病院)やJR広島病院、中電病院、市立舟入病院の小児救急などを統廃合し、広島駅新幹線口近くに1000床規模の巨大病院を設置する計画を進めています。

2023年9月定例議会では、JR西日本から土地を買い取る(債務負担行為)案を提出し、一部保守系会派や共産党が反対したものの、可決されてしまいました。

しかし、本当にこの計画は大丈夫なのか?様々な角度から県民の不安や疑問は解消するばかりか高まる一方です。2025年度には湯崎英彦知事が県病院を独立行政法人化してしまおうともくろんでいます。こうした中で、2024年は知事の暴走を止めるための正念場になります。

こうした中、「県病院問題を考える会」第二回学習会が2023年12月16日、広島市東区民文化センターで開催されました。第一回は、県病院がある南区での開催、今回は移転先となる東区での開催となりました。

◆災害危険度、広島駅も現在地もさほど変わらず

まず、今回は目玉として、地質学者の早坂康隆先生(広島大学大学院)の講演「瀬戸内・広島の自然災害と安全問題 日本列島の成り立ちから~」が行われました。

早坂先生は、伊方原発広島裁判でも原告側証人としてご活躍いただいております。

 

以下はお話しの概要です。

日本列島は、プレートの運動により、大陸から別れたが、比較的若い岩石が多い。その中で、広島の地質は白亜紀の花崗岩が多い。ただし、広島土砂災害2014で崩れたのはジュラ紀付加体というものだった。そもそも、降水量が限度を超えると斜面があれば地質と無関係にどこでも崩れる。

また、地震はM7.3クラスならどこでも起きえるというのが最新の研究である。

火山災害については、鹿児島の姶良カルデラの大噴火で広島でもかつて45cmくらいは火山灰が積もったことがある。そして、2mmも火山灰が積もれば停電する。

津波については、山口県の周防大島では16mという津波が近世の記録に残っている。ただ、周防大島などの島々にブロックされて、津波は広島ではさほどではなく、1854年の安政南海地震でも鞆の浦で1mという記録がある程度だ。

以上の内容から、広島県病院がある現在地も、県が「より災害危険度が少ない」と主張する移転先の東区新幹線口周辺も、災害危険度としてはそう変わらないことが理解できました。

◆独法化に疑問を呈する住民に当局は「有識者の検討会が進めた」の一点張り

その後、参加者と広島県健康福祉局政策監の石村康宏様と課長の渡部滋様という県庁の幹部職員お二人との意見交換会が行われました。

住民の間では「独立行政法人化で県が県民の健康をまもる責任を放棄するのではないか」という懸念が高まっています。これに対して、県側は「有識者の検討会で、県直営(公営企業法全部適用)、独立行政法人、指定管理者制度のうち、独立行政法人が優れているという結果になった」から、の一点張りでした。

しかし、広島県とほぼおなじ面積で、地理条件も似ている兵庫県では、阪神淡路大震災の教訓から、行政が命令できる直営病院を8か所つくっています。また、広島市では先に市民病院を独法化してしまいました。そのために、コロナ禍では、コロナ専用病床を迅速に確保できずに苦労したそうです。

中長期の計画については、確かに独立行政法人でも県知事や議会が関与することはできますが、危機管理という意味では直営が優れているから、兵庫県はそうしているのです。

◆島しょ部住民切り捨て、移転先の渋滞……疑問続出で時間切れ

「中区(中電病院の地元)や南区(県病院の地元)の急性期医療を切り捨てようとしているのではないか?」という懸念に対して県側は「区によっては病院がなくなるところはあるが、県全体で医療体制を維持していきたい」との回答でした。

これに対して、子どもが島しょ部に在住の市民からは「島しょ部の人にとっては、船で広島港から県病院に行くのが便利。島しょ部の出産を控えた女性にとって、県病院が今の位置に無くなるのは困る」と反論がありました。

また、新巨大病院が計画されている東区の広島駅新幹線口から筆者の自宅周辺は慢性的に渋滞が深刻です。これに対して県側は「現時点では新幹線口西側の交差点は渋滞が発生しやすいが、他の交差点は大丈夫」と回答しました。

しかし、広島駅には、今後も巨大な駅ビルが建設中です。これが完成すれば広島駅周辺の渋滞が悪化する恐れがあります。

孫が舟入市民病院にかかっているという佐伯区内在住の女性は、「舟入病院の小児救急も新病院に行く予定だ。その場合、救急車が渋滞で病院に入れなかったらどうする?救急車の通行と渋滞のシミュレーションを早くすべき。それをしないで計画を進めるべきではない」という怒りの声を上げました。

また、この女性は「そもそも、県知事は高度医療をこの新巨大病院でやるというが、それは国の仕事ではないのか?知事は県立安芸津病院の耐震化を先送りすると議会で答弁しているが、この耐震化こそ先にやるべきではないか?」とたたみかけました。

県当局は「この病院のもう一つの狙いは東京などに遍在する若手医師を広島県内に引き寄せることだ。」と答弁しましたが、「医師の偏在の解消も国の仕事ではないのか?」とこの女性は食い下がりました。

そうこうするうちに、制限時間いっぱいになってしまいました。

◆疑問点山積のまま事業強行は許されぬ

この他にも、広島駅近くに住む50代の男性は「巨大な駅ビルができれば、新病院へのドクターヘリの着陸が困難になるが大丈夫か?」ということを質問したかった、と言っておられました。

筆者も「また、本当に足りないのは、地域医療のしんどいところを担う医師。豪華な機械があるところに引き寄せられるような若手医師の人物像と、しんどいところを担う医師の人物像はたぶん重ならないだろう。地域医療のしんどいところを担う医師など医療従事者、介護従事者の労働環境、安全対策をしないと難しいのではないか?」「そもそも、医師でなくても、広島からどんどん若者は出て行く。そこを何とかしないと難しいのではないか?」ということをお伺いしたかったのですが、残念ながら時間切れとなってしまいました。

これだけの疑問が噴出し、県議会でも最終的には議案に賛成してしまう議員の中からも疑問が噴出する中でこの新病院計画を暴走するのはもってのほかではないでしょうか? そのことを痛感しました。

幸い、広島県当局の幹部職員の方は、次回は平日に意見交換にお越しいただけるそうです。ぜひ、しっかり、県民の意見を聴いて、それこそ、計画を場合によってはゼロベースで戻すことも検討いただくよう、知事に進言いただきたい。

そして、広島県民の皆様には、
〈2024年こそ、暴走する湯崎知事から、広島を取り戻そう。〉
〈広島県民の命、健康を守るため、ひとりひとりが知事になめられない県民になろう。〉

こうした、「ヒロシマ庶民革命」を改めて呼びかけさせていただく次第です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から〈1〉80年代、刑事裁判の変質 井戸謙一(弁護士・元裁判官)

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

◆裁判官の立場から冤罪問題を考える

こんにちは、紹介いただきました井戸謙一です。色んな集会でお話させていただく機会がありますけど、今日のこの雰囲気はもう独特ですね(会場から笑い)。庶民のパワーというか、ごめんなさい、失礼な言い方かも知れないけれど、普段は「市民の方々」という風に声かけるんですけど、ここはなんか庶民のパワーが満ち溢れているという感じで、さすが大阪南部という風に思いました。私自身も堺の出身ですので非常に懐かしい思いをしてます。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

今日のこの集まりは、尾﨑さんから「出版の記念パーティをするから12月24日空いてますか?」と言われたので、「ハイハイ、空いてますよ」と言っただけで、行くとも何も言ってなかったと思うんですが(会場から笑い)、その後お出会いしたらチラシを渡されて、「こういう予定でやります」と見たら「井戸謙一弁護士の講演」となってまして、さすが、尾﨑さんのこの強引さがですね、やっぱこの本にも結実したのではないかなという風に思いました。

30分時間をいただいているので、何のお話をしようかと思ったのですが、冤罪問題について(本日)お話しされる方はおられると思うんですけど、やはり私でないと話せない事、すなわち裁判官の立場からどう見るかという事をお話します。

昨日もNHKで深夜、良い番組をやっていましたけれど、警察や検察の問題ももちろんあります。しかしやっぱり最後は裁判官の問題だと思うんですね。では、私の経験も踏まえて、裁判官の立場からどういう風に考えるかという事をちょっとお話させて頂ければという風に思いました。

◆無罪だと思っていながら有罪判決を書いたこと

私は、1979年に神戸地裁に任官し、神戸地裁からスタートして裁判官を32年間しました。ほとんどは民事事件だったんですけれど、若い頃は刑事事件もやっていました。神戸で2年、山梨県の甲府で2年、刑事事件をやっていますので、関西と関東の刑事事件の両方を経験しています。

無罪判決は2件書きました、1件は、皆さん覚えておられるかもしれませんが、「神戸祭り事件」という、暴走族が神戸祭りの時に新聞記者を車で轢いて殺したという殺人事件で、これは無罪判決で確定しました。

もうひとつは、当時、部落解放同盟が窓口一本化ということでずっと行政と間で揉めていた中で、公務員に怪我をさせたという事件で、無罪判決を下したこともあります。

一方で、無罪だと思っていながら有罪判決を書いたという事があります。袴田事件の一審の熊本裁判官が、自分は無罪だと思ったけれども、あとの2人に反対されて死刑判決を書いてしまった、それを亡くなられるまで一生悔やんでおられました。

◆大阪と東京の差異 ── 1980年代の刑事裁判の変質

私の事件は、公職選挙法違反、選挙の時の買収の事件でした。私は、この人の言っている事をどうしても嘘だと思えなくて、無罪を主張しました。しかし、あとの2人が有罪だという意見だったので、やむをえず有罪判決を書いたという、そういう苦い思い出があります。

若い判事補が、最初に刑事事件などに関わるかと言うと、逮捕状や勾留状といった令状なんですね。私は、大阪と東京と両方経験してますが、大阪は、裁判官の仕事というのは、捜査を抑制する事だと言われ、10件の勾留請求があったら1件は勾留却下する。それぐらいの割合で却下しないと裁判官の役割を果たしたことにならないと、そういう風に先輩から言われて、それを実行しようと思ってそれなりに努力してました。

ところが東京に行くと全く違うんですね。東京で若い判事補は全国に配属されるのですけれど、1年目に4カ月間東京地裁で研修しろと言われて東京地裁に行くと、もちろん令状も担当します。勾留請求10日間の身柄を拘束しますという勾留請求が来る。直接指導する先輩裁判官から「どうするの? 勾留するのか、却下するのか?」と聞かれる。

「この事件は却下しようと思います」と言うと、その部の一番偉い部総括判事の所へ連れていかれるんですね。部総括判事は「君、この事件を勾留却下すると聞いたけれどほんまか?」、「ほんま?」かて関西弁では言いませんけど(会場から笑い)、聞かれるわけです。

そして「どうしてだ?」と。「これこれこういう事で勾留要件はないと思います」というと「いや、こんなものはこういう風に考えるのが当たり前だ」という事で押さえつけられる。

もちろん、決めるのは担当裁判官ですから、(部総括判事の意見を)はねのけて勾留却下する事も可能ですが、若いぺーぺーの判事補には、大ベテランの部総括判事の意見を押し切って勾留却下するのは非常に難しい。そういう事で、検事が請求してきた勾留を裁判官はその通り認めるのが当たり前だという感覚を身につけさせられるんですね。

一方で当時、大阪は違っていたのですけれど、そういう東京式のやり方が1980年代にどんどん全国を席巻していきます。1989年に平野龍一という刑事訴訟法の大学者が、その時点で「日本の刑事裁判はもう絶望的だ」ということを言われた。刑事裁判というのはもう、裁判官が有罪か無罪かを決める場では無くなっている。検事が起訴してきたことにお墨付きを与える場になってしまっているという事を言われていました。

その後かなり時間が経過して、裁判員裁判なども始まって少しは変わってきたかも知れないけれども、基本的に変化はないのではないかと私は思っています。

◆日本の刑事司法の構造的問題 ──「当事者主義」の問題点

では、「日本の刑事司法の構造的問題はどこからきているのか?」という話をします。戦前の古い話になりますけど、第二次世界大戦前はドイツの法律に則って「職権主義」で裁判官が刑事裁判を自分の職権、権限でどんどん進めるというやり方でした。

警察や検事が集めてきた証拠は全部裁判所に引き取る。裁判官は全部の記録を見て、裁判を自分の職権で進める。そういう職権主義のもとに治安維持法違反だという事で、社会主義者だけではなくて、民主主義者や政府に抵抗するような人間をどんどんしょっ引いて治安維持法違反で処罰をした。裁判官がそういう事をしたわけです。

で、戦後はそれが見直されて、もっと民主的な刑事裁判にしなきゃいけないという事で、アメリカ式のやり方が導入された。それが「当事者主義」です。当事者主義というのは、裁判官は先入観を持ってはいけない。法廷で出された証拠だけで判断しなければいけない。検事は有罪だと主張する、弁護人は無罪だと主張する、それぞれが主張を裏付ける証拠を裁判に提出する。裁判官はその証拠だけを見て判断する、それが当事者主義なんですね。

「起訴状一本主義」とも言って、裁判官は裁判が始まるまでは起訴状しか見てはいけない。それ以外は一切、何も見てはいけないという仕組みです。今の日本の刑事裁判でもそうです、これは一見、公平で確かに真実を究明するのに良さそうな手続きのようにみえるのですけれど、致命的な誤りがあった。というのは、訴訟法上は、検事側と弁護人側は対等なのですが、実際の力には圧倒的な差があるわけです。まず警察が捜査して、色んな証拠は捜索差押えでごっそりと持っていく。何十人という捜査員をひとつの事件に担当させる事もできるし、膨大な予算をかけることもできる。

一方、弁護人は、そのあとで被疑者から依頼をされて、その事件の事を調べだすわけですが、重要な証拠は全部警察に持っていかれているし、人的にもたいていは弁護士が1人か2人でやるわけです。お金もない、貧しい人の場合は弁護料も払えない事もいくらでもあるわけで、力に圧倒的な差がある。

ほとんどの証拠は検事側が持っているのに、検事は有罪だと考え、それを裏付ける証拠だけ裁判所に提出すればいい。検事が持っている証拠の中には、被告人を無罪だと裏付ける証拠はいっぱいあるかも知れない。おそらくそういう事が多いと思うのだけれど、それらを提出する義務がない。圧倒的に検事が有利なんですね。

だから当事者主義というのを形式だけ持ってきたのです。裁判所に証拠を提出することを「証拠開示」といいますが、弁護側が検事側に検事の手持ち証拠を見せろと言う権利を認めるべきだと、これが今の再審法改正の大きなテーマなのですが、弁護側に証拠開示の権利を規定しなかった。検事は法律で義務付けられていないようなものをしませんという主義で、弁護人が手持ち証拠を見せろと言っても検事は見せないわけです。裁判官もそんな事は法律に書かれてないから検事にも命じない。その圧倒的な力の差がそのまま刑事裁判で是正されることなく、ほぼ今日まできてるわけです。

一般の刑事裁判は、それでも証拠開示の権利っていうのが裁判員制度が入った時に少し作られたんですけど、再審についてはそれがまったく無い。だから今でも検事の手元に無罪を裏付けるような証拠があってもそれは容易なことで出てこない、そういう不正義が今でもまかり通っている、これが戦後の刑事訴訟法を作った時の大きな問題で、それが未だに後を引いてる、問題解決できていないという事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 


《再録》東京のサル真似しかできない大阪万博ファシズムと笑えない吉本芸人たちの無様 ──「ダウンタウン」松本人志の芸能活動休止発表をうけて 田所敏夫

以下は2018年11月にわたしが書いた原稿である。お笑いタレント(わたしは一度も面白いと思ったことはないけども)「ダウンタウン」への私見である。

このほど「ダウンタウン」の松本人志が芸能活動の休止を発表した。松本は「関西万博アンバサダー」であったが「アンバサダー」降板の可能性も高いといわれている。

いずれにしても、「まったく面白くないお笑いタレント」の頂上に君臨している感のある松本の芸能活動休止は、それにとどまらない意味を持つだろう。 

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 
東京のサル真似しかできない大阪万博ファシズムと笑えない吉本芸人たちの無様
(2018年11月27日掲載)
 
◆ダウンタウン・吉本のお家芸「行政の太鼓持ち」

11月23日深夜、新たな「税金の無駄遣い」の決定をうけ、「ダウンタウン」の2人が下記のようにコメントしたそうだ。

〈ダウンタウンの浜田雅功(55)、松本人志(55)は2017年から大阪万博誘致アンバサダーを務めている。大阪・御堂筋で開催される大イベント「御堂筋ランウェイ」に2年連続で出演するなど、万博誘致を懸命にPR。今回の開催地決定で、2年間の努力が実を結んだ。2人はこの日、所属事務所を通じてコメント。

松本「素晴らしい! 皆さまの地道な努力の結果だと思います。ダウンタウンは何もしておりません 特に浜田(笑)」
浜田「素晴らしい! 皆さまの地道な努力の結果だと思います。ダウンタウンは何もしておりません 特に松本(笑)」〉(2018年11月24日付けサンケイスポーツ)

行政のお先棒を担ぐような役回りを平然とこなす神経は、実によくわかる。「ダウンタウン」にはデビュー以来一度として「笑い」をもらったことがない。彼らの芸は、誰かを貶める、あるいは威張るか迎合する。パターンはいつも同じだ。生前横山やすしに「漫才師やから何をしゃべってもいいねんけれども、笑いの中に『良質な笑い』と『悪質な笑い』があるわけだ。あんたら二人は『悪質な笑い』やねん。テレビ出るような漫才とちゃうやんか。お父さんけなしたり、自分らは新しいネタやと思うてるかもしれんけど、正味こんなんイモのネタやんか」と看破された本質は、1982年からなんらかわっていない。


◎[参考動画]1982年末の『ザ・テレビ演芸』(制作=テレビ朝日)

明石家さんま、北野武、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンなど「全然おもしろくないお笑いタレント」が師匠ズラをして、より小物のひな壇芸人しか育たない。岡八郎や花木京、人生行路が生きていたら、かれらもおそらく「大阪万博」に乗っかるだろう。でもダウンタウンほどの破廉恥さは見せないに違いない。横山やすしが、言いえて妙なダウンタウンの本質を突いている。岡八郎や花木京は腹巻をして吉本新喜劇の舞台に登場して、誰を見下げるわけでなく「え?なに」の一言で観客から笑いが取れた。所詮芸人としてのレベルが違いすぎるのだろう。

西川きよしは大阪万博を決定を喜ぶコメントを発している。国会議員もそつなくこなし、順風満帆の西川きよしらしい態度だ。ここが西川きよしと横山やすしのまったく違うところだろう。横山やすしのような人格は、仮にトラブルやアルコール依存症がなかったとしても、今日のような「管理社会」では受け入れられるキャラクターではなかっただろう。

漫才ブームまで、関西の漫才が全国区で放送されることはそうあることではなく、吉本興業が東京に進出しても、当初は苦戦を強いられていた。大阪のどぎつい笑いは東京では受け入れらにくかったのだ。しかし、マーケットは広げたい。吉本興業を中心とするお笑い芸人が選択したのは、笑い質の転換である。東京を中心とする全国で通じる、視聴者に迎合した笑い。そこに彼らはターゲットを合わせてゆく。

◆古臭い集権政治の再現でしかない大阪地域ファシズム

地方分権だなんかといいながら、政治の世界で起こっていることも同様だ。石原慎太郎や、神奈川で先に火が付いた地域ファシズムを、大阪は橋下徹によって後追いする。何も新しくない。橋下が主張したのは「ヒト・モノ・カネを大阪に集め」との古臭い、集権政治の再現に過ぎない。その延長線上に愚の骨頂もいいところの「大阪万博」などを発想し、「東京五輪」の5年後に開催するなど、半世紀前の利権構造を同じようにたどっているだけだ。

こういう、的外れで体たらくな行政を許しているから、大阪の文化的地盤沈下には際限がないのだ。大阪と東京にはかつて、対立意識や概念が存在した。しかし今やそんなものはどこにもない。大阪人の計算高さを東京の企業も内面化し、東京人の「ええかっこっしい」を大阪人も恥じることなく真似ている。笑わせてくれる芸人の出現を求めるのが無理な文化状況は、そうやって形成されているのだ。

なにが「万国博覧会」だ。馬鹿もたいがいにしろ! まだ海外旅行が夢の世界で、「外国」が庶民にとっては、実際の距離以上に遠かった1970年と、ネットに向かえば瞬時に世界と対話できる、LCCを利用すれば数万円で地球の裏側に行ける時代の違いくらいは、誰にでもわかるだろう。

いや違った。その違いすら分からないから、きょうもダウンタウンが偉そうに、面白くもない姿をさらしているのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

裁判所が役割を完全に放棄、民事調停を受理拒否、丸森町の楽天基地局の設置をめぐる事件で 黒薮哲哉

携帯電話基地の設置をめぐる町長と住民のトラブルで、宮城県の簡易裁判所が前代未聞の暴挙に走った。発端は、今年の6月である。筆者のもとに、宮城県丸森町のAさん(男性)から、自宅の直近10数メートルの地点に楽天モバイルと丸森町が、町有地に基地局を設置したので相談に乗ってほしいと連絡があった。

 
携帯電話基地局

基地局からは、高周波のマイクロ波が途切れることなく放射され、近隣住民に健康上の被害を及ぼすリスクがある。とりわけマイクロ波の遺伝子毒性が指摘されていて、たとえばIARC(国際がん研究機構)は、2011年にマイクロ波に発がん性がある可能性を認定している。

ドイツやブラジルで実施された基地局と発がんの関係を調べる疫学調査によると、基地局周辺では癌の発症率が相対的に高い(3倍程度)ことが判明している。

Aさんは、町当局や弁護士に相談するなど孤軍奮闘していたが、結局、有効な解決策はみつからなかった。そこで裁判所に民事調停を申し立て、メディアで事件を公にする決心をしたのだ。民事調停の「相手方」は、楽天モバイルの矢澤俊介社長か丸森町の保科郷雄町長ということになる。

そこでAさんは、より身近な人物である保科郷雄町長を「相手方」として、10月2日に民事調停申立書を大河原簡易裁判所(管轄は仙台地裁)に提出した。

保科郷雄町長(出典:丸森町のウエブサイト)

通常、民事調停申立書が提出されると裁判所は調停の日程を決めて、「申立人」と「相手方」の双方へ通知する。ところがいつまでたっても、Aさんのもとには通知が届かない。

10月30日になってAさんのもとに、大河原簡易裁判所の山本久美子書記官から、照合書と題する書面が届いた。そこには3つの問い合わせ事項が記されていた。

1. 本件はいかなる法的根拠に基づく請求なのか
2.(基地局)を設置したのは楽天なのに、何故、土地を賃借した自治体(首町個人)を相手方とするのか。
3. 相手方について、住所は役場住所を記しておきながら、相手方を自治体ではなく自治体の首長個人としている理由

「1」の質問はともかくとして、「2」「3」の質問は、司法関係者とは思えないばかげた質問である。会社を提訴する場合に、社長名を明記するのと同じ原理である。

「1」についてAさんは、日本政府も署名しているリオ宣言などで明記されている予防原則に基づいた民事調停であると回答した。

【予防原則】予防原則(よぼうげんそく)とは、化学物質や遺伝子組換えなどの新技術などに対して、環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす仮説上の恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を可能にする制度や考え方のこと。1990年頃から欧米を中心に取り入れられてきた概念であるが、「疑わしいものはすべて禁止」といった極論に理解される場合もあり、行政機関などはこの言葉の使用に慎重である。(ウィキペディア)

Aさんが大河原簡易裁判所に回答してからひと月になる11月29日、Aさんの宅に「事件終了通知」と題する書面が届いた。山本久美子書記官名で「頭書の事件は、令和5年11月29日、調停しないものとして、終了しました」と記されていた。印紙も返還された。

Aさんに送付された事件終了通知

民事調停や訴訟を受理しない場合、通常は不備がある箇所を書記官が指摘したうえで、受理する方向で指導する。しかし、Aさんのケースでは、そのプロセスが踏まれていない。調停のテーマが裁判所が毛嫌いしているタブーであるから、却下したとしか思えない。

◎却下された申立書の全文
 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2024/01/Rakumaru.pdf

12月末に筆者は、電話で山本書記官に却下の理由を問い合わせた。しかし、自分で回答する代わりに、仙台地裁の総務担当者に問い合わせるように指示してきた。そこでわたしは、仙台地裁の総務に問い合わせた。総務の回答は、「お答えできない」とのことだった。しかし、繰り返し回答を求めると、大河原簡易裁判所の山本書記官に問い合わせるように指示した。

筆者からの2度目の問い合わせを受けて、山本書記官も「回答しない」と繰り返した。

「上司の指示か?」
「裁判官はだれだ?」
「自分の意思で、却下を決めたのか?」

山本書記官は、当事者以外には回答できないと答えた。そして一方的に電話を切った。その後、Aさんが山本書記官に電話で問い合わせたところ、民事調停法13条を根拠にした却下であることが分かった。

【民事調停法】調停委員会は、事件が性質上調停をするのに適当でないと認めるとき、又は当事者が不当な目的でみだりに調停の申立てをしたと認めるときは、調停をしないものとして、事件を終了させることができる。

しかし、具体的に何を根拠として調停委員会がAさんの調停申立を却下したのかは分からない。裁判所が司法の役割を完全に放棄したとしか言いようがない 。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

2024年 広島の課題 岸田総理・湯崎知事・松井市長の〈米国忖度の枢軸〉による「平和都市・ヒロシマ」の変質にどう対抗するか? さとうしゅういち

昨年2023年はロシアとウクライナの戦争の終結の見込みも立たない中、「10.7」(ガザ・ハマス政権によるこれまでのイスラエルによる侵略への反撃)を契機にガザ地区におけるイスラエルによる大虐殺が始まってしまいました。イスラエルの閣僚が、ガザ地区への核使用を辞さないと発言。肝を冷やしました。

一方で、広島県選出の岸田総理率いる日本政府は、11月の核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加すらしませんでした。

こうした中で、平和都市としての広島の役目はますます重要になる「はず」です。もちろん、行政であるがゆえに限界はあります。それでも、戦後、平和都市として再出発して以降、〈建前〉ではあっても、世界最初の戦争被爆都市として、広島市は日本政府とは一線を画したスタンス、すなわち、「もう、誰にもあのような思いをさせたくない」というスタンスを取り、平和行政を展開してきました。そして、基本的にはすべての国に8月6日の平和記念式典への参加を呼び掛けてきたはずでした。

ところが、その「平和都市ヒロシマ」が、G7広島サミットの開催が決まった2022年5月23日以降、岸田総理、そして湯崎英彦知事と松井一実市長により、急速に「米国忖度都市 HIROSHIMA」に変質をしているように、筆者も1人の広島市民・広島県民としてひしひしと感じます。具体的には以下のような事象が挙げられます。

◆2022年8・6平和記念式典からロシア「だけ」除外

広島市は2022年8月6日の平和記念式典ではロシア政府を招待しませんでした。ウクライナ侵攻を受けてのことです。しかし、広島市はそもそも、広島に原爆を投下し、その反省が全くない米国はもちろん、核実験やミサイル発射を繰り返す朝鮮(金正日・金正恩政府)も招待していますし、パレスチナ人への侵略や虐殺を75年間続けてきたイスラエルももちろん招待していました。なぜ、ロシアだけ招待しなかったのか。冷静に考えると疑問です。今にして思えば、このころから、平和都市から米国忖度都市への広島の変質が露骨になってきました。

◆平和教材から「はだしのゲン」「第五福竜丸」削除

そして、市長の教育への権限が法改正で強まる中、広島市教委は2023年度の広島市の小学校の平和教材から「はだしのゲン」を、中学校の教材からは「第五福竜丸」を削除しています。「第五福竜丸」を知らずに世界的な核兵器禁止運動を語るなど、徳川家康を知らないで江戸幕府の歴史を語るのと同じナンセンスなことです。タイミング的には明らかに、「サミットで来広されるバイデン大統領のお目を汚さぬよう、邪魔なものは隠す」ということが見え見えです。

◆原爆投下の反省無き米国政府との姉妹協定

さらに、追い打ちをかけるように、松井市長は2023年6月末、原爆投下を反省していない米国政府(エマニュエル駐日大使)を相手方に「平和公園とパールハーバーの姉妹協定」を締結してしまいました。ホノルル市との交流を強めるのはホノルル市が自治体であり、核兵器禁止条約を推進する平和首長会議のメンバーですからもちろん大賛成です。しかし、いまだに原爆投下を反省していない米国政府との関係は慎重になるべきです。

松井市長はしかも、5月のサミット期間中に米側から打診を受けながら、市議会や市民に相談もなく、一方的に話を進めてしまいました。そして、11月末にはパールハーバーを訪問し、既成事実化を進めています。

◆「広島ビジョン」、ゼレンスキー「乱入」、法的根拠なき「戒厳令」……「黒歴史」のG7サミット

そして、2023年5月に開催されたG7広島サミットです

 
広島駅前に現れた栃木県警の警察労働者の皆様)

広島ビジョンはご承知の通り、ロシアの核威嚇は非難しつつ、西側の核は正当化するダブルスタンダードでした。さらに、途中からはウクライナのゼレンスキー大統領が「乱入」し、ゼレンスキーへの軍事支援一色になってしまいました。

また、このサミットでは中国包囲網も目的となっていました。しかし、米国は、この地域で戦争になっても、最悪、米軍を後方へ逃がすことができますが、日本列島を逃がすことはできない。広島は過去、中国侵略の拠点の軍都「廣島」でしたが、今度は米国に忖度して対中関係を緊張させる場としての「HIROSHIMA」になってしまったわけです。

さらに、サミットに来た米英仏独伊加は、「10・7」直後に、イスラエルを全面支持してしまいました。ゼレンスキーもロシアによる侵略被害国なのにパレスチナへの侵略者・イスラエルを全面支持してしまいました。まさに結果論ですが「ガザ大虐殺応援団サミット」になってしまいました。

そして、サミット期間中は、大量の警察労働者が全国から動員され、戒厳令さながらの有様になりました。

しかし、例えば宮島への入島規制などは、実際には「お願い」にすぎず、法的根拠は全くなかったのです。中国非難の論拠となっている「法の支配」などどこ吹く風です。

さらに、影響は8.6の平和記念式典にも及びました。サミットの「戒厳令」状態がまだ継続しているような錯覚に襲われました。

◆恥ずかしすぎる湯崎英彦県知事による「サミット記念常設展示施設」

湯崎英彦・広島県知事が会長のサミット県民会議は平和公園内にサミットを記念する常設の展示施設をつくろうとしています

しかし、上記の通り、イスラエル応援団サミットと化してしまったサミットをわざわざ記念するような施設をつくるのは、恥ずかしいのでやめていただきたいものです。12月現在、折からの人手不足で、入札不調ということです。このままやめてほしいものです。

◆「ガザ停戦要求」で全国に後れをとるどころか、「市長教育勅語騒動」で醜態

ガザ大虐殺については、12月19日、県議会はイスラエル・パレスチナの武力闘争の平和的解決を求める決議停戦を求める決議を出しました

広島市は、しかし、松井市長も市議会も、明確な停戦を求めるメッセージを出していません。目の前の虐殺を止めろと言わないで何のための平和都市なのでしょうか?

全国的には、長野県や新潟市、静岡市、京都市、北九州市など、少なくない県や政令市の議会がガザ即時停戦を求める決議や意見書を可決しています。しかし、平和都市広島市の議会や首長の動きは鈍い。爆心地から遠い県北部の三次市議会と東部の福山市議会で停戦を求める決議が可決されただけです。(https://twitter.com/miraisyakai/status/1737798320024920399/photo/1

それどころか、〈広島市長が現行憲法の主権在民を否定する教育勅語で新人職員に研修〉〈今後も使用し続ける〉という恥ずかしいニュースでお騒がせした始末です

◆原爆資料館〈めでたさも中くらいなり超満員〉

G7広島サミット以降、原爆資料館入館者は増えています。あまりにも増えすぎて待ち時間が長くなっており、ネット予約など、システムの改善を進めているところです。サミットでとくに海外の方の広島への注目は高まっています。それは結構なことだし、これを機会に原爆資料館で勉強していただくのは素晴らしいことです。
しかしながら、上記にご紹介したような「平和都市ヒロシマ」が変質していく中で素直には喜べません。

もちろん、現場労働者への負担も増加。松井市長が5月に突然、開館時間延長を決めた時はてんてこ舞いだったと、筆者が役員を務める労働組合の組合員である原爆資料館労働者からご報告をいただいております。

きちんとしたメッセージを出していかないと、段々には世界からも失望されるのではないでしょうか?

◆「お上に逆らわぬ」広島政治が「変質」の根底に

支持率が低下してもなかなか倒れない広島1区選出の岸田総理。その国政における暴走・迷走を止めることはもちろん必要です。しかし、他方で、今となっては、中央の国政のことや世界のことをあれこれ言っても、広島の政治が上記のような惨状であることを放置していては、全く、説得力がありません。

広島は、日清戦争で、(明治帝・伊藤博文総理・帝国議会が所在する)臨時首都となって以降、軍都廣島となりました。大日本帝国政府により中枢性を与えられました。しかし、そのことを背景に世界で最初の戦争被爆都市となりました。(広島が軍都だからと言って、多数の文民を巻き込む原爆投下は許されませんが。)

戦後は日本国憲法の下、平和都市として再出発する一方で、屈指の自民党王国でもありました。池田勇人ら宏池会を中心とする自民党政権の下での高度経済成長で筆者が誕生した1975年には一人当たり県民所得ベスト3に入り、同年には広島カープも初優勝。

これら、過去のある種の〈成功体験〉から、「お上のやること」に逆らわない気風が強くある。それこそ、〈はだしのゲン〉に出てくる政治家・鮫島伝次郎のように、その時々の〈お上の方針〉に手のひら返しのように従うという体質が強いのが広島の政治です。それが現在の広島の「変質」の背景にあると、筆者は実感しています。

正直、筆者も他の都道府県の選挙などの応援にかけつけることも多くありますが、広島に帰ってくるたびに、地元のデモクラシーの不在ぶり、言い換えれば権威主義的な風土に嘆息してきました。

それでも、これまでは、被爆者が一定数おられたこと、戦後、〈自民推薦で中央官僚〉以外の人物が広島市長だったことで一定のバランスを保っていました。市議選や県議選、衆院比例では自民系に投票しても、市長選挙では非自民・非官僚系に投票する方々が一定数おられたのです。だが、2011年に〈自民推薦の中央官僚〉松井市長が誕生以降、そのバランスは急激に崩れてしまいました。

◆ヒロシマ庶民革命で市民の手に政治を取り戻すのが平和都市再生の第一歩

しかし、もうそろそろ、広島市民・県民が自分たちの手に政治を、広島を取り戻す動きをつくっていくべき時ではないでしょうか?筆者と広島瀬戸内新聞が「あなたの手に広島を取り戻し、広島とあなたを守るヒロシマ庶民革命」を呼び掛けるゆえんです。引き続き、広島から「我こそは庶民派政治家」にという方からのご連絡をお待ちしております。

連絡先 hiroseto2004@yahoo.co.jp  090-3171-4437

◆一市民が立ち上がり「ガザ即時停戦を求める決議」を要望

こうした中、現実に政治に対してたとえ個人でも動いている若手市民もおられます。12月7日付で、筆者の若手支持者の方が、1人の市民として、(別に筆者の指示とかそういうこともなく、あくまで自発的に)イスラエルによるガザ市民のジェノサイドを止めさせ、即時停戦を求める決議を求める要望書を広島市議会に提出しました。

筆者は、ご本人から「会期中にどうやったら議員に届くようにできるのですか?」と伺ったので「各会派用のポストが市議会棟の一階にありますよ」ということを申し上げただけです。このことを筆者が「広島瀬戸内新聞」(写真)で地域の皆様にご紹介したところ、自民党支持者の方も含めて「そうですね!」と同意してくださいました。

以下はその要望書です。

広島市議会議員の皆様、どうか、平和都市の議会としての仕事をしてください。

広島市議会議員のみなさんへ

こんにちは。私は広島市在住の市民です。

広島市議会議員の皆さん、イスラエルによるガザ市民のジェノサイドを止めさせ、イスラエルに即時停戦を求める決議を出してください。

広島市はこの夏、G7サミット開催都市としてG7各国の首脳を受け入れ世界に平和のメッセージを発信しました。

しかし今また平和が損なわれイスラエル政府により罪のないパレスチナの人たちが虐殺されています。イスラエル政府へアメリカ政府がミサイルなどの武器を供与し140億ドルもの支援をしています。またイギリス、フランス、ドイツ、イタリアもアメリカと共にイスラエルへの結束した支持を表明しました

こうしたG7各国のイスラエル支持のもと、毎日多くの乳児、幼児、こどもを含むガザの人たちが無差別に殺され、住宅や病院、学校でさえも爆撃対象となり多くの被害がもたらされています。これは戦争と呼べるものでさえなく、無差別で人道を無視した「大量虐殺」です。

日本政府はイスラエル支持の共同声明には加わっていないものの、10月16日の国連安全保障理事会で、ロシアが提出した停戦決議案には反対に回りました

G7議長国として平和のメッセージを発信したはずの日本は広島はいったい何をしているのでしょう?

私は大変失望しています。

皆さん平和都市広島の政治家は、今すぐガザのジェノサイドを止めさせ、イスラエルに即時停戦を求める決議書、日本政府に停戦に向け具体的なリーダーシップをとるよう求める意見書を出すべきです。

今目の前で起こっているこの大量虐殺を止めるための声を上げずに、どうして「平和都市」を名乗ることができるのでしょうか?

この令和5年第6回12月定例会の会期中にぜひ決議書と意見書を出してください。
よろしくお願いいたします。

ご参考までに東京都清瀬市、北海道旭川市、静岡市、静岡県焼津市、横浜市、茨城県かすみがうら市、神奈川県座間市ではすでに停戦を求める決議や意見書が出されています。

12月7日
広島市東区民 ○○○

広島瀬戸内新聞

◆はだしのゲン上映会も相次ぐ

また、この間、広島市教委が平和教材から削除した「はだしのゲン」の実写版ビデオの上映会が、危機感を抱いた市民により頻繁に開催されるようになりました。「はだしのゲン」ビデオは広島市の映像文化ライブラリーで借りることができます

こうした上映会も今後、筆者らでも検討していきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

キックボクシング 2023年の回顧と2024年の展望 堀田春樹

昨年もキックボクシング界の出来事は細かく見れば沢山ありました。しかし世間一般の方々に心響かせるニュースは、毎年のことながら少なかったと言えるでしょう。

そんな一年間、キックボクシング業界関係者、ファンの中では比較的インパクトあった話題をここだけの独断と偏見で纏めてみました。

◆重森陽太、本場ラジャダムナン王座初挑戦も奪取成らず

今年2月19日に、ラジャダムナンスタジアム・ライト級王座挑戦した重森陽太(伊原稲城=当時)、チャンピオンのジョーム・パランチャイに判定負けで王座奪取成らず。ポイントは僅差であっても、相手に優る駆引きの差は大きいムエタイの壁でした。

その翌月、新日本キックボクシング協会から伊原稲城ジムの脱退があり、重森陽太は脱退した稲城ジムからの離脱で、個人でもフリーとなりました。その後は主に「KNOCK OUT」に出場しており、今後の彼自身のビッグイベントに注目されます。

殿堂ムエタイ王座奪取成らなかった重森陽太(2023.2.19)

◆吉成名高はラジャダムナン王座二階級制覇と現地で初防衛

 
7月に殿堂王座二階級制覇した吉成名高(2023.11.26)

吉成名高が11月26日に1年ぶり2度目のジャパンキックボクシング協会KICK Insist出場。1年前と比べ、新たな実績が上積みされていました。

2018年12月9日のラジャダムナンスタジアム・ミニフライ級に続き、2019年4月14日にルンピニースタジアム同級王座をも奪取には、二大スタジアム同時制覇は初と言われた当時の快挙の後、昨年は7月9日にラジャダムナンスタジアム・フライ級王座奪取し、殿堂王座の二階級制覇は外国人として初快挙。

8月12日には本場スタジアムでKO初防衛と更なる快挙を達成。2001年1月8日生まれの吉成名高の今後は三階級制覇や日本でのムエタイの浸透、メジャー化を目指しています。その表れが今年の防衛戦や井上尚弥並みの複数階級への挑戦でしょう(“名高エイワスポーツジム”がリングネームですが、世間一般に伝わり易いように、ここでは本名にしてあります)。

◆武田幸三の新天地

昨年1月29日はジャパンキックボクシング協会の興行で、いつもの武田幸三氏の気合いが入るYashioジム主催の「CHALLENGER」興行でしたが、5月14日に予定されていた「CHALLENGER」興行は中止となっていました。

しかし、9月10日にはNJKFアマチュア部門の「EXPLOSION.38」に於いて、武田幸三氏が登場。ベストファイトに送られる「武田幸三賞」が復活していました。すでに察する情報はありましたが、10月に入って武田幸三氏はニュージャパンキックボクシング連盟にTAKEDAジムとして移籍加盟。その存在感は健在。

11月12日のニュージャパンキックボクシング連盟興行「NJKF 2023.5th」は「CHALLENGER」興行復活となって武田幸三氏にNJKFが乗っ取られたような興行の変わりようでした。2024年は2月11日から「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏主催の興行が続きます。

新天地で活動開始した武田幸三氏(2023.11.12)

◆“新団体”全日本キックボクシング協会誕生

2月19日の重森陽太が挑戦したラジャダムナン王座の興行後、伊原稲城ジムが脱退したことはすでに述べたとおりですが、「新団体を立ち上げる!」と言っていた栗芝貴会長。当初はフリーのプロモーターとしての活動かと思いましたが、実際に団体として8月に全日本キックボクシング協会を設立されました。

12月17日には稲城ジムでアマチュア大会を開催。すでに稲城、SQUARE-UP、JTクラブ、バンゲリングベイ、ウィラサクレック、MONKEY-MAGICといった知名度有るジムを含めた20軒のジム加盟が発表されていて、3月16日(日)には後楽園ホールで設立記念興行が開催されます。

この団体名は昭和40年代の創生期に、老舗の日本キックボクシング協会(TBS系)に対抗する形で存在した全日本キックボクシング協会(日本テレビ系、東京12チャンネル系)や、1987年(昭和62年)に復興する形で始まった全日本キックボクシング連盟とも直接的な関係は無い新団体となります。この名称、使えるのかなと思いましたが、引き継いだ人物がいないことや商標登録されていなければ問題無いと考えられます。

比較的歴史の浅いジムが多いことから新時代の展開が見られると考えられますが、どんな歴史を作り上げるか、設立興行から今後の運命が掛かるでしょう。

新生全日本キックボクシング協会発動

◆老舗を継承する新日本キックボクシング協会の今後

 
江幡塁が復活宣言(2023.10.15)

2019年の分裂とコロナ禍明けに稲城ジムが脱退し、5月に日本ライト級チャンピオン、髙橋亨汰(伊原)がジムと協会脱退。勝次(藤本)は先に発表済ながら10月15日の試合を最後に脱退しTEPPENジムに移籍。メインイベンタークラスが次々脱退が続く中、フリーとなった重森陽太が7月に新日本キックボクシング協会のリングで御挨拶に立ちました。

「今後の進路を迷っていた時に、伊原会長から『お前はキックボクシングを続けなさい。今迄頑張って来たのだから、お前の好きなようにやりなさい。』と激励の言葉を頂き、背中を押されました。」と語っていましたが、伊原信一代表の“去る者は追わず”、激励の言葉を掛けて送り出す姿には粋な計らいの印象が浮かびます。髙橋亨汰や勝次、栗芝貴氏にも同じ計らいだったと言えるでしょう。

ただ、これで新日本キックボクシング協会が、散々噂された崩壊へ繋がるとは思えません。立て直しへの兆しが10月15日興行で復活宣言した江幡塁の存在で、「僕は今後、新日本キックボクシング協会代表のもとで、選手育成を行なっていきたいと思っています。」

「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」という言葉から読めて来るものが今年の興行に表れて来るでしょう。

◆東京町田金子ジム閉鎖とこの年引退した選手

前身は1972年(昭和47年)に創設された萩原ジムで、後にジムを引き継いだ金子修会長でしたが、その後は1987年の全日本キック復興の頃からチャンピオンが育ち、存在感も増していったかと思います。一昨年の千葉ジム閉鎖に続く、歴史あるジムの閉鎖は時代の流れ、世代交代を強く感じます。

東京町田金子ジムが閉鎖、金子修会長に花束贈呈(2023.4.16)

更にこの年、引退テンカウントゴングを聴いたのは2月11日の「NO KICK NO LIFE」興行で森井洋介、喜入衆、緑川創、4月15日のNKBでの笹谷淳、10月8日のジャパンキックボクシング協会での内田雅之がいました(確認出来る範囲まで)。

皆、長らくの現役に完全燃焼した姿。緑川創は目黒イズムを継承するかのように、その時戦える最強の相手、海人と対戦。完膚なきまで打たれ続け散った緑川創でした。内田雅之も体調の影響でラストファイトは王座決定戦での睦雅戦となりましたが、ボロボロになるまで5回戦を戦い抜いての完全燃焼でした。

完膚なきまで倒された緑川創に内山高志氏より労いの花束贈呈(2023.2.11)
森井洋介の引退テンカウントゴング、身体の故障でセレモニーのみだったが完全燃焼の現役生活だった(2023.2.11)

◆プロに繋がるアマチュアの存在感

アマチュアではWBCムエタイジュニアリーグ全国大会の存在も将来に繋がり、世界大会は2年に一度の開催として第2回が今年2月2日~5日、タイ・バンコクのルンピニースタジアムでの開催予定で、これがプロに繋がるステップとして注目が集まるでしょう。まずは2月の世界大会に注目です。

WBCムエタイジュニアリーグ全国大会から世界大会へ舞台は整った(2023.11.5)

◆ガルーダ・テツ東京進出のその後

テツジムが目標だった6人目チャンピオン誕生には繋がっていませんが、NKBでのタイトルマッチが停滞している中では無理があったでしょう。12月16日に棚橋賢二郎を破ったばかりの勇志は今年、フェザー級王座争奪トーナメントに出場予定でチャンピオン有力候補。一昨年から続く、日本列島テツジム計画は着々と進行中でしょう。

思い付くままの回顧録でしたが、今年も幾つも新たな展開が見られるでしょう。それが世間一般の人に少しでもインパクトを与えるなら、吉成名高が目指す日本でのムエタイメジャー化、武田幸三氏の言う「自己主張がしっかり出来る人間、目標が明確な人間、本気でキックボクシングに命を懸けている人間が勝ち残るリングへ」という意識向上へ、キックボクサーを大舞台に立たせる計画へ繋がることでしょう。

また今年の一年を振り返った際、業界の前進・飛躍が見られることに期待致します。

日本列島テツジム計画中のガルーダ・テツ会長とデビュー戦を終えた期待の新星・中山航輔(2023.12.16)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

『紙の爆弾』2024年2月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

昨年末に勃発した自民党の裏金疑獄は、安倍晋三内閣の閣議決定で定年延長された黒川弘務・東京高検検事長が検事総長に就いていれば、東京地検は動けなかったものと思われます。それを阻止したのは文春砲の“賭け麻雀”でした。

安倍元首相は国会で「私は何度も告発されたが立件されることは一度もなかった」と豪語。その自信の裏には“根拠”があったことがわかります。だとすれば、安倍独裁のさらなる検証の必要性も、あらためて浮かび上がってくるところです。さらにいえば、元NHK記者の岩田明子氏による「安倍元首相が派閥会長当時に対応を指示していた」との“スクープ”も、自民党・検察・メディアの関係から読み解くべきです。

安倍元首相暗殺事件はすでに一昨年。これをきっかけに旧統一教会と自民党の癒着が「マスメディアの沈黙」から解き放たれたなかで、自民党と公明党の連立にも大きな影響をもたらしたことを、本誌記事で明かしています。この暗殺事件から、裏金疑獄による安倍派、ひいては自民党の“崩壊”が、一連の“流れ”の上にあることは間違いありません。

「大阪・関西万博」をてこに導入に向け加速する「ライドシェア」。十年前、安倍晋三首相も乗り気だった米ウーバー参入が「規制の壁」により失敗したのはよく知られるところ。当時と今で何が違うのかは不明で、むしろ「ウーバーイーツ」でさまざまな問題が顕在化してきました。

本誌記事でも述べられているとおり、ライドシェアで考えるべきは利便性ではなく労働環境全体にもたらす影響です。当たり前に働き、当たり前に生きるというのが、すでに困難な社会。一攫千金を狙うホストが女性たちを搾取、そのホストたちも搾取されている、という状況の背景にあるのはそれではないか、うわべだけ規制しても無意味では、との思いはぬぐえません。だとすれば、「失われた三十年」は「奪われた三十年」といえるかもしれません。

一方で、それまで地道に積み重ねてきた議論を無視し、欧米から借りてきた価値観を日本社会に塗り込めるようなことが、あちらこちらで行なわれています。それに対抗するものが「多様な言論」であるはずですが、出版予定の翻訳本を発売中止としたKADOKAWAの判断には、疑問を呈さざるをえません。同書に投げかけられた批判の内容こそ、重要な議論の対象であったことは、論を俟ちません。言論・出版そのものの現代的意義こそが問われているのだといえます。

さらに、今月号で特に注目すべき記事が「イスラエル閣僚が語ったパレスチナ侵攻の目的と思想」。イスラエルの財務大臣兼国防省内大臣が、パレスチナ差別を堂々と語るその内容を、レポートしています。昨年12月号では、イスラエルによる侵攻が宗教戦争ではないこと、1月号ではその裏にある利権の存在を指摘しました。それらとともに、イスラエルがパレスチナで何をしようとしているのかを、明らかにするものです。

ほか、「ゲノム編集食品」の危険性に関する専門家による解説や、宝塚歌劇団の闇など今月号ももりだくさんの内容をお届けします。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

『紙の爆弾』2024年2月号

すでにバイデンを見限った習近平「米中対立」の真実と真相
岸田総裁は党解散届を総務相に今すぐ出せ!
自民党裏金疑獄事件でも「マスメディアの沈黙」
“裏金総辞職”で麻生太郎が復権財務省が主導するポスト岸田シナリオ
KADOKAWA出版中止事件の背景 少女たちの乳房切除を止められるのか?
米オスプレイ墜落で再び見えた「日本の屈辱」
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