赤西仁に学ぶSMAPの未来──『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』〈増補新版〉

[増補新版]本当は怖いジャニーズ・スキャンダル

2013年刊行の『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』は、2008年から2012年までの5年間を中心にジャニーズスキャンダルをまとめたものである。今回刊行の増補新版は、ここに、最近のジャニーズの動向と今年1月に起こったSMAP解散騒動を加筆し、ジャニーズを多面的に見ることのできる一冊となっている。

◆KATU-TUN赤西仁の独立騒動の軌跡

本書に登場する多くのタレントたちの中から、この時期お騒がせの主役級だった赤西仁にスポットをあててみたい。赤西はジャニーズとのあつれきの末、ジャニーズ事務所を自らやめて独立した。今改めて彼の歩みをたどると、芸能人や芸能事務所のありようについて考えさせられるところも多く興味深い。

赤西は2006年3月、KATU-TUNの中心メンバーとしてCDデビューする。赤西、田中聖など、ジャニーズきってのヤンチャメンバーを擁するKATーTUNはデビュー前から人気が高かったが、素行不安が大きくなかなかデビューに踏み切れなかったといわれている。

待ちに待ったデビューでKAT-TUN人気は爆発、デビュー曲『Real Face』はミリオンセラーとなった。ところが次代のジャニーズを牽引するのはKAT-TUNで決まりかと思われた矢先の10月に、赤西はアメリカに留学のため活動休止し、KAT-TUNの人気はあえなく失速する。この唐突で不可思議な留学には、薬物捜査から逃れるためだったのではないかという疑念も持たれている。

2007年4月に帰国しKAT-TUNとしての活動に復帰するも、不協和音の噂は絶えず、デビュー時のKAT-TUNの勢いが戻ることはなかった。一方で盛んに夜の繁華街に繰り出すようになり、赤西を中心とした悪名高い夜遊びグループ「赤西軍団」が誕生する。ジャニーズでは山下智久、錦戸亮らが加わっていた。アイドルらしからぬ行状はもとより、赤西軍団の最大の問題は薬物疑惑がつきまとっていることだった。遊び仲間の一人のプロテニスプレイヤー宮尾祥慈は大麻使用で有罪判決を受けていた。赤西自身も捜査のターゲットとなり、2009年には逮捕されるとの情報が流れたものの、辛くも難を逃れている。少なくともこの時は限りなくクロに近い状況だったと考えられる。その後薬物疑惑のささやかれるクラブなどでの退廃的な夜遊びショットが多数流出した。薬物疑惑は現在に至るまでことあるごとに取りざたされて、赤西唯一の懸念材料になっている。

◆赤西のわがままさが功を奏す?

こんな騒動がありながらも、2010年7月にはKAT-TUNを脱退し念願のソロとなり、翌年にジャニーズのお膳立てで全米デビューを果たす。ところが、恩を仇で返すかのように、2012年2月、事務所に無断で黒木メイサとできちゃった結婚し、制裁としての謹慎に入った。その間、9月には長女が生まれ、赤西は育児にいそしみながら楽曲作りに励んでいたようだ。ジャニーズ、というよりジャニー喜多川はなおも赤西を見限らず、2013年6月に謹慎が解けると積極的に推して立て続けにCDリリースさせるのだが、赤西はその方針に不満を抱き、ついに2014年2月の契約満了を以ってジャニーズを退所するのである。赤西のわがままさばかりが目立つ顛末だった。
ジャニーズをやめたタレントは、バーニング系などに拾われない限り、大手メディアから排除されて辛酸をなめるのがそれまでの常だったので、その後の赤西の身の振り方に注目が集まった。赤西は同年7月14日の30歳の誕生日に自身のレーベルを立ち上げ独立。独立後最初にリリースしたCDは4万枚を売上げ、自主レーベルとしては上々の滑り出しを見せる。その後は大手メディアとは無縁にネットを活用しながら、市民会館クラスのハコを中心に全国ツアーを行うなど堅実な活動を続けた。さらに音楽フェスへの出演などを足掛かりに中国への進出を図ると、いつの間にか中国人気を獲得する。今後薬物問題でのつまづきさえなければ、ジャニーズ残留組よりはるかに大きな成功を勝ち取る可能性も出てきた。

◆韓流に先を越されたジャニーズの空白地帯〈中国〉

もともとジャニーズ事務所は中国進出を熱望していた。市場として有望だからなのは言うまでもないが、もう一つ、海外進出はジャニー喜多川にとって最後に残された夢、という事情もあった。赤西の強引なアメリカデビューもその海外への夢に後押しされたものだったがあまりうまくいかなかった。ならば中国ということで、ジャニーズは中国進出のためにさまざまな根回しを熱心に行った。しかしせっかく努力して中国コネクションを築いたのにもかかわらず、その後政治的に日中関係が冷え込んだことにより、中国進出は宙に浮いてしまっていた。

ジャニーズが手を出せない間に中国はすっかり韓流に席巻され、ジャニーズの空白地帯となっていた。そこに単身乗り込んだ赤西にとっては、中国は独占市場に等しいものだったかもしれない。もともと逸材でアメリカでの活動経験もある赤西には、十分に韓流と差別化できる魅力があり、自立した活動スタイルも自己主張の強い中国人気質と相性が良かった。

かくして、2015年には中国の「アジア人気アーティスト賞」「年度音楽大賞」を受賞、今年に入ってからは「アジアで最も影響力のある日本人アーティスト」に選ばれるなど、着々と中国での認知度を上げ、はからずもジャニーズをやめてからジャニー喜多川の夢を実現することになった。あまりにうまくいっているので、ジャニー喜多川が裏で個人的に支援しているのではないかという噂もあるほどだ。

この赤西の軌跡を、SMAP解散騒動を踏まえて見ると、めちゃくちゃに見えたジャニーズ時代のふるまいにも、理由があったのだろうかと思わせられる。赤西は、ジャニー喜多川にはかわいがられた一方、メリー・ジュリー母娘には疎まれていたといわれ、彼女らに不合理な前近代性を感じ取って孤独な戦いを続けていたのかもしれない。


◎赤西仁HP http://jinakanishi.com/

◆SMAPでさえ干される〈時代遅れ〉を越える戦略はある

ジャニーズ事務所とタレントの関係では断然タレントの方が弱い立場にあり、関係が良好でなければSMAPでさえ使い捨てにされるのだが、赤西は、独立してやっていくために必要な経験と実績をジャニーズで積み、うまくジャニーズを使い捨てている。SMAP騒動でジャニーズ側の横暴ぶりが明るみになった今から見ると、むしろあっぱれだったというべきだろう。赤西は、「ジャニーズを利用して知名度とスキルアップをはかり、脱退後はその政治力の及ばないネットや海外で活動する」という新たな道を切り開き、後輩たちにおおいに希望を与えることになりそうだ。

すでにその兆候は見えており、2011年に未成年喫煙問題で忽然と姿を消した、元Hey Say JUMPメンバーの森本龍太郎が、格闘技団体をバックにこの4月から独自に芸能活動を再開している。またSMAP騒動の前後から、二番手クラスの人気Jr.が相次いでジャニーズを去り、スターダストプロモーションから「地下アイドル」としてデビューして注目を集めている。そのタイミングや彼らが飯島三智の推しメンだったこと、また飯島がかねてよりスターダスト社長細野義朗と親しいことなどから、動きの背後に飯島がいるのではないかともささやかれている。

赤西、そして小林幸子の成功にも見るように、もう大手メディアや事務所の政治力に頼らなくても、工夫次第で芸能活動が成り立つ時代になりつつある。「干す」ことをちらつかせて恫喝し、タレントを支配するやり方は、遠からず通用しなくなるだろう。そしていずれは、ジャニーズのような強大な芸能事務所も時代遅れなものとなり、その存在意義を失っていくのではないだろうか。

(遠藤サト)

[増補新版]本当は怖いジャニーズ・スキャンダル
[増補新版]ジャニーズ50年史

AKB48はブロイラー? 「RIZAP」CMで急速ダイエットした峯岸みなみの宣伝効果

峯岸みなみがポコッと出たお腹のボディを鍛えた結果、アスリートばりに腹筋が浮き出るほどのセクシーなくびれを見せつける「RIZAP」のCMは「2ヶ月間に及ぶ肉体改造に成功」と報道されているが、「あらかじめ、RIZAPの指示で好きなだけ食べてあえて太った」という話が芸能界のみならずスポーツジム業界でささやかれている。

「それもそのはず。昨年の7月ごろは、『AKB48 41th シングル選抜総選挙』では19位とふるわず、『そろそろ過去のスキャンダルも忘れかけているし、勝負の年かも』と言って力んでいた割には結果とのギャップに落ち込み、ストレスからか焼き肉にふぐに、スゥイーツと暇さえあればガツガツと食べてしまい、同じ事務所の高橋みなみに『あんた、本当に服が着れないほどデブになるよ』と警告されていたほど。ですが今から考えると、『太ったシーンを撮影したい』というRIZAPの思惑にのって『爆食い』しまくったのです。一説にはこれらの飲食費をRIZAP側が負担したとも言われたほど、食が太くなりました。女の子としては、この爆食いの時間が一番幸せだったという見方もできます」(芸能ジャーナリスト)

ちなみに峯岸の場合、お腹がポコっと出やすいのはぜひとも「改善したい」体質だったようで、伝えられているのは、48.6キロから2ヶ月後に43.7キロになったものの、昨年の夏ごろは通常よりも4キロは増量という。

「峯岸は、トレーニング前は50キロを越えていたのではないでしょうか。ランニングなどの有酸素運動をいやがっていたので、背筋と腹筋を中心にプログラムを組んだはずです」(事情通)というが、鍛えていた昨年の秋から冬にかけては「午後6時以降は、水分しか摂取していないほどストイックに生活していたようです」(アイドルライター)というから、ダイエットへの執念は相当なものだろう。

このダイエット宣伝は、本人がローソンの「骨つきスモークチキンを食べていた」と話すと売り上げが急激に上がるなど、実に多角的な宣伝プランの「仕掛け」の臭いがふんだんに漂う。

RIZAPを経営している会社に「あえて峯岸を太らせてから、ダイエットのプログラムに入らせたのか」と聞いたが、期日までに回答はなかった。

ただし、このところまたリバウンドしてきているようで、「着替えをしているシーンを見たAKBのメンバーのひとりは『また小太りが始まっている』と仲がいい記者にリーク。ネットにはバーベルをあげたり、ベンチプレスで歯を食いしばる映像が流されているが、今もなお、誰か記者がこっそり「爆食い」している映像を狙っているという話だ。

それはさておき、「ブロイラーのごとく太らせてから一気に体重を落とす」やりかたは健康学的に無理がありそうだ。そのあたりの「反論」もぜひ医療学者たちに期待したいところだ。

さて、そんな峯岸の昨年の総選挙の順位は19位だ。 今年、「AKB48 45thシングル 選抜総選挙」は、6月18日に行われる。8回目のチャレンジで念願のトップ10に「ダイエット効果」に入るか、峯岸。注目したい。

(鈴木雅久)

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プロ野球の贅沢な楽しみ「スポーツ新聞」全比較

一度やってみたかったことをやろう。
球場で見たプロ野球の試合結果を報じる、すべてのスポーツ新聞をすべて読む。
評論家たちがどこを分析して、どのポイントを勝負の分岐点にしているか比較してみるという、少し「ぜいたくな」リサーチだ。

 

さて、球場で見た試合は4月22日の「巨人対DeNA」で先発は巨人が菅野、DeNAがルーキーの今永だ。まあ好投手どうしだけにロースコアが予想されるゲームだったが、結果から言うと延長12回までもつれこみ1-1でドロー。菅野は7回まで2安打と好投していたが、1-0のスコアのまま7回で降板した。

まずは「スポーツニッポン」だが、解説の中畑清がこんなことを書いている。
『いい投手戦だった。何もなきゃ菅野が勝っていたんだと思う。7回を2安打無四球と完璧に抑えながら、わずか89球で降板。試合後、由伸監督が「マメが…」と降板の理由を明かしてくれてすっきりした。球界には選手のケガについて隠したがる風潮がある。「軍の機密」というやつだ。でも、秘密主義はよくない。ファン目線に立って情報を公開すべき。菅野も公表してもらえばメディアにごまかすことなく治療し次の登板に向けて事情ができると思う。』と書き、続いて好投の今永が5回2死二塁でも小林誠と勝負したのはまちがっていないと断定した。敵を作らない中畑らしい評論だ。

 

さらに元DeNA監督らしく、ラミレス監督とチームは「最後まで諦めない野球ができた」とこれからの浮上を期待して筆を置いている。バランスのいい見方だ。なおかつ野球観も悪くない。この男を簡単に見切るところが球団として「DeNA」が伸び悩んでいる証左だろう。

続いて「東京中日スポーツ」だが慧眼を持つ谷沢健一が「7回の筒香の1ボールからの2球目にど真ん中にストライクを投げておかしいと感じた」と書いた。

僕もあの2球目はよくホームランにならなかったとしてドキリとして見ていた。筒香は見るからにスライダーの間合いでスイングしていたので、これは結果オーライだったのだ。谷沢の慧眼は衰えていない。おそらく中日の監督をやったら、少なくとも谷繁よりはいい仕事をするだろう。

 

もっとも「過去のある経緯」から中日は谷沢を受け入れにくいだろうが。「スポーツ報知」は報知新聞客員のミスターこと長嶋茂雄が小林誠のキャッチングを誉めて、高橋尚成が「菅野は実は指でボールにスピンをかけるトレーニングをしていて、その後遺症が出た」と事情通らしく解説している。もっともそんな内情をばらして後で高橋監督に大目玉を食らったようだが。

さて、一番注目すべきは「サンケイスポーツ」の野村克也が語る「ノムラの考え」のコラムで、【結果オーライの引き分けにみたDeNAの「最下位野球」】と辛辣なタイトルがついている。9回裏の土壇場でリリーフの切り札の沢村から同点ソロアーチをかけた代打・乙坂を野村はこきおろす。野村はボールが2球続いて3球目に打って出た乙坂について「なぜ待てないのか」と批判している。

『なぜ待てないのか。この局面で先頭打者がなすべきことは、出塁である。そして、このカウントでは四球での出塁チャンスが広がっている。何が何でも1点を奪いにいくという、姿勢が見えてこないのだ。さらに4球目がボールとなり、カウント3-1、またも乙坂は打って出た。これが同点本塁打になったのだが、私ならやはり「待て」のサインを出す。本塁打はそうそう打てるものではない。長丁場のシーズンで、こういう攻撃をしていては、確率的に負けが込むのは自明の理。だから結果オーライを言わざると得ないのだ。十二回の守りでは、今度は1点を防ぎに行く姿勢が見えなかった。先頭の片岡に四球を許し、巨人ベンチは3番の長野に代打・松本哲を送ってきた。みえみえのバント要員である。そして、走者を得点圏に進ませることは一打サヨナラ負けを意味する。この局面では、走者の二進を防ぐことが最重要課題となる。とkもろが初球、簡単にバントを許した。一塁のロペスはベースに張り付いたままで、三塁の飛雄馬もチャージしてこない。最後のクルーズの併殺打に助けられただけで、これも結果オーライと言わざるを得ない。』として、試合を通じて無策だったベンチを責めているのだ。

 

「弱者には弱者の戦術がある」と野村は書く。
やはり野村は見ている視点はほかとちがう。一般に、9回裏でボールが2つ続いた場合、先頭打者が待つ確率は9割を超えるだろう。高校野球を見ているとそのあたりはよくわかる。

野球に詳しいスポーツライターに聞いてみると、「ラミレス監督(DeNA)が戦術について吟味する時間があまりにも少ない。守りを固めるのに精一杯で、もうひとりの攻撃用の戦術コーチが必要だ」ということだ。捕手の戸柱がまだ経験が足りずに、配球をベンチで組み立てているようだが、そこにかなりラミレス監督の神経は集中している。あまり報じられていないが、ラミレスはかなり頭がいい。最初に会っただけで、記者の名前はフルネームで頭に入っている。そして打者時代から、投手の配球がほぼすべて頭に入っていた。高橋監督ですら、現役のときにラミレスのそうした緻密な頭脳をまのあたりにしていたから相当、戦術については警戒しているはずだ。

そして今は、ラミレス監督は敵のバッターについて緻密に掌握しているが、攻撃時のベンチワークまで頭がまわっていなのだろう。

さらに、東京ドームでは、「打たれない投球」というのが以前にもまして徹底していたと感じた。

この球場ではボール1つ、ローに投げろ、とコーチは徹底して投手に言う。
この試合はテレビ中継をしていたので録画してカウントしてみると、89球のうち、ストライクゾーンの半分から下に投げた球は菅野が37球、今永が101球投げて39球だった。

両先発とも、それだけ「ロー」に投げる神経を使っていたのだ。ただし菅野は高いウエストをときに効果的に使っていた。

ちなみに「夕刊フジ」は菅野の一番看板では巨人はもたない、そして「東京スポーツ」は11試合で3度同点に追いつかれてほかの投手の勝利を消した守護神、沢村を批判していた。「日刊スポーツ」「デイリースポーツ」もこの試合にはとくにタッチしていない。

というわけで、僕にとって本番で見た試合をつぎの日に「すべてのスポーツ新聞を見て全解説を吟味する」という贅沢な時間は終わった。諸兄も一度やってみるといい。1000円もかからない贅沢なのだから。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

ラウンドガール物語《後編》──咲き誇るリングの華の儚さは選手にも似て

小野寺力興行、NO KICK NO LIFEも年々パフォーマンス豪華に(2016.3.12)

誰にでも許される訳ではないラウンドガールの狭き門。ほとんどの場合がプロのファッションモデルなどの事務所から起用されるものと考えられます。それ相応の容姿端麗な若い女性が毎度起用されています。という条件ばかりでなく、たまには素人さんかと思われる女性も登場。リング上がった途端、足が震えている、そんな子もいました。

◆見た目は20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えないラウンドガールも

3年ほど前ですが、リングアナウンサーが資料のラウンドガールのプロフィールを見て「1976年生まれって、これ間違ってない?」と言って直接ラウンドガールに尋ねてみたら、「間違いではありません」ということで、見た目若くて20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えない。そんなラウンドガールもいたようです。

毎度の綺麗なラウンドガールがリングに上がればカメラマンも当然カメラを向けます。そこには次のラウンドが分かるように撮っておくことが一番の目的であり、また各方面での使用出来るよう撮っておく事情もあります。と言いつつも、水着の綺麗な女性が目の前にいては、エロい気持ちでシャッターを押すことも自然にあります。そんな私(堀田)は、ラウンドガールにいちばんカメラを向けている一人でしょう。それを否定はしませんが、そのリングに上がれる立場の人々が、そこに関わる時間を考えると撮らざるを得なくなっていきました。

新年は晴れ着で登場(2015.1.11)

◆命を懸けた試合のリング上はまさに戦場

まず、選手が現役生活で、公式試合としてリング上で戦って居られる時間はどのぐらいかを考えると、1ラウンド(=3分)×5回戦=15分として、96戦すると24時間になります。入退場・セレモニー・インターバルを加えてリング上に居られる時間を30分としても48戦。ノックアウトもあり、3回戦制もあり、実際はもっと短くなります。

素人目に見てですが、こんな命を懸けた試合のリング上はまさに戦場で、生きた心地のしない空間です。戦い慣れた選手はそうでもないでしょうが、少なくとも勝利の瞬間に至る前まではリラックス出来たものではない空間でしょう。「こんな非現実的な空間に居られる時間を撮っておいてやりたい」という想いでビジネスとしてですが、撮影をするようになりました。

◆選手と同様、短く儚いラウンドガールという華

こんな想いで選手を見ていると他のスタッフにも似たようなことが言えてくると考えました。リングアナウンサーがその任務でリングに立って居られるのは一生でどのぐらいの時間でしょうか。レフェリーも同様に。ラウンドガールの場合は世代交代は早く、若くしてそんな特殊な空間のリング上に立つ時間は限りなく少ないでしょう。「こんな華やかなリング上での瞬間も選手と同様に撮っておくべき」と偏見ながら思いました。

M-ONEムエタイ興行でも、ラウンドガール起用の采配(2016.3.21)

層が厚い本場ムエタイでのチャンピオンも、すぐ上がって来た若い奴に王座を奪われ、若い奴に敵わなくなっていく、そんな覇者の立場でもあり、ラウンドガールも花の命は短くて儚い瞬間であります。私自身もカメラマンで居られる時間も少ない、そんな最終ラウンドが迫ってきていることを考える日々も増えました。

NO KICK NO LIFE全9試合でラウンドガールが10人も登場(2016.3.12)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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池袋サンシャイン噴水広場で見た「Crystal Kay」

 

5月3日、僕は「池袋サンシャイン噴水広場リニューアルイベント」に来ていた。ここでは、17時から「Crystal Kay」(以下、ケイ)が新曲を発表する。とはいっても、すでに3月23日に発売されている作品で、「サクラ」というタイトルだ。

あまりにも実力がずば抜けているという点で、この歌手はさまざまな羨望と嫉妬をかき集めた。そして安室奈美恵とコラボした「レボリューション」(https://www.youtube.com/watch?v=k0eaOuwA1mc)ですら、「事務所の力で強引にコラボを申し入れた」と囁かれた。

しかし現実に目の前で歌い、踊るケイは、情熱をたたきつけるようにして、初夏で熱気がこもりがちな噴水広場でめいっぱい、観客を惹きつけた。

 

サンシャイン噴水広場は、実はリニューアルして、大きなスクリーンがお目見えしている。だからコンサート会場にいるような迫力があるのだが、いかんせん音響には工夫がない。ものすごくシンプルに言うなら、「リバーブ」がかかり、カラオケボックスの中にいるように音がまわる。
「しかたないね。ライブ会場としては、まだまだ未成熟ですから」と音楽ライターは言う。

そして、驚くべきことにCDは見ていれば十数枚しか売れなかった。音楽が不遇の時代だ。しかし、それでも、と僕は思う。「伝える力のある音楽は残る」と。

 

そして「伝わらない音楽」は、歴史から消えていく。これは当たり前のことだ。実力とはまたちがう、「人の心に残る歌」を持っているミュージシャンは幸福だ。そしてどのような事情であれ、消えていった音楽家には哀悼の意を表したい。

来年の今日と【今年の5月3日】では、音楽シーンをリードする顔ぶれはまったくちがうだろう。だがそれでいいのだ。それでいて「新陳代謝」がなされる。大塚家具の老人社長のごとく、古い音楽家は去り、また今年も「アイドルの聖地」であるここ、池袋・サンシャイン噴水広場に新しい顔ぶれの音楽家や歌手がやってくる。

(伊東北斗)

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ラウンドガール物語《前編》──80年代に始まった華やかさの進化

「神聖なリングに、男の命懸けた戦場に、女が上がるんじゃねえ!」
「おっ、可愛いねえ、○○ちゃ~ん、こっち向いて!」
なんと勝手な男どもの非難や声援。

爽やかお姉さん。REBELS興行にて(2014.1.26)

いつからラウンドガールという華やかな存在が始まったのでしょう。TBSでやっていたキックボクシングでは観た覚えがありませんが、その後の日米大決戦と言われた全米プロ空手との絡みでは、アメリカ人ラウンドガールがラウンドボードを持ってリングを歩いていました。

◆地味で素っ気ない1981年から転機となった1987年

1981年(昭和56年)頃のラウンドガールは、柄のついたボードを持ってリングのロープの縁(へり)に沿って真っすぐ前を向いて歩いていました。赤・青コーナーは避けつつ、ニュートラルコーナーは直角に曲がり、笑顔も無くさっさと早歩きで一周し、20秒ほどでリングを降りてしまう素っ気ないウォーキングが多い感じでした。

3人登場でグローブ着用のパフォーマンス(2014.3.9)

1987年(昭和62年)7月15日の新生・全日本キックボクシング連盟初回興行に向けて前月、ミススコアガールコンテストが行われ、50名ほどの20歳前後の女性が連盟役員に水着審査されるイベントが開催されてました。名称は翌年「ミスラウンドガールコンテスト」に変えられましたが、4年ほど続いたと思われます。

毎年このコンテストから選ばれたミス、準ミス計3名のラウンドガールから、単に歩くだけのラウンドボード披露から、笑顔振りまいたり、観客に手を振ったり、ラウンドボードをしっかり観衆に見えるようにロープとほぼ平行気味に持ったり、リング中央に出て、その場でクルッともう一回転して下がるという工夫を凝らすようになっていきました。

ゲスト来場の仁科仁美さんも特別ラウンドガールとして登場(2014.11.16)

1分間のインターバルでリング上に立っていられる40秒ほどの時間を上手く使い、セコンドアウトのホイッスル(またはブザー)が鳴ったらラウンドガールも直ちにリングを降りなければいけません。別団体で、セコンドアウトの意味がわからないラウンドガールが、ゴング鳴るまでリング上に居たケースがありましたが、わずか2~3秒ながら、観衆からドッと驚きの笑いが起きていました。

その後は各団体でもウォーキングに工夫が増していきました。いっしょに2名のラウンドガール同時登場や、水着も派手になったり季節に合わせた特徴あるコスチュームになったり、観衆の眼を楽しませる方向に進化してきました。選手のトランクスやガウンのように、スポンサー名の入ったコスチュームやラウンドボードも登場。

◆1999年の衝撃──ラウンドボーイ、江頭2:50も登場!

ラウンドボードは放り出し、座禅は組んで飛び跳ね、ホイッスルが鳴って大慌て(1999.1.24)
主役を奪ってしまう人気の江頭2:50(1999.1.24 )

中でも予想外のインパクトを与えたのが、ラウンドボーイ江頭2:50の登場。その前のインターバルまで通常のラウンドガール登場の後、次のインターバルで江頭2:50が、例の黒タイツで登場。媚びるような笑顔を振りまき、単なるウォーキングから次第に調子に乗り出し、何度かの登場で飛び跳ねて転がったり、座禅組んで飛び上がったりのいつものネタを40秒で披露、観衆が大爆笑。

しかも、それが次のラウンドが始まってもその余韻が残る状態。真剣勝負のキックボクシングの公式試合中に、許された空間とはいえ、意外性を突いたことは見事な演出でしたが、江頭氏が有名過ぎと暴れ過ぎが試合よりインパクトを与えてしまったことに想定外の結果だったかもしれません。もうかなり古い話になりますが。

また10年ぐらい前のある時のプロボクシングでのラウンドガールで、Tシャツ短パン姿のとってもおデブさんが登場したことがありました。それはダイエットに関するエクササイズなどの、宣伝効果を狙ってのスタッフだったと思います。その内容のリングアナウンスはされていましたので、もちろん“誰でもいい”という選出ではありません。明るく笑顔で軽やかにウォーキングされた、とても爽やかなラウンド“おデブさん”ガールでした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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芸能界の勢力図を塗り替えろ。「欅坂46」デビュー

秋元康が乾坤一擲の力を注ぎこむ「欅坂46」がいよいよ「サイレントマジョリティー」というデビューシングルで登場した。
https://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8

シングル発売は、4月6日で、22日にはすでに「ミュージックステーション」に登場、プロモーションに秋元サイドが力を入れているのがわかる。個人的には、「櫻坂よ、売れろ」と思う。「櫻坂46」はたとえば前田敦子に象徴されるような素人集団「AKB48」とはもっとも遠い地点にある。たとえば洗練されたダンスと、ボーカルたちには実力がある。現在、センターを担当している指原莉乃がかつて語った「AKBに入ろうとおもったら、ダンスの練習はしなくてもいいです。素人っぽいほうが受けるので」というふざけたコンセプトからも距離を置いているプロ集団だ。AKBのコンサートでチケットが3割も売れ残っているという今の状況下で、幸いにも大衆たちは「本物」を求め始めたのだ。

まず特徴のひとつは、とにかくセンターの平手友梨奈の評判がいいことだ。応募総数2万2509名からセンターに選ばれた14歳の平手は、CMやドラマに引っ張りだことなるだろう。もしかして宝塚にでも入れたのではないかと思うほどの妖艶さを持つ平手を売り出すためのチームが「欅坂」だという声もあるが、この際、そんな斜めからの視点は無視しよう。

2つめの特徴は、「櫻坂」が明らかに6月8日の「45THシングル総選挙」へのアドバルーンとして「使われている」ということだ。もう「AKB48」そのものに新しさはない。もしかして「おばさん」となった「48」を集客でひっくり返すかもしれないのだ。

3つめの特徴は、「欅坂」は特定の劇場にこだわらず、全国規模で展開する存在だということ。もはや「箱」を捨てて「電波」を選んだ彼女らの死に場所にして、生きる場所はメディアという四角い画面である。これが吉と出るか、凶と出るか。

いずれにしてもこのシングルはわずか3日間で約25万1000枚を売上げ、もはや100万枚突破は堅いところだろうと指摘されている。芸能界を席捲するのか、それとも「ダダ滑る」のか。「欅坂」よ、売れろ。芸能界に本物志向を呼びもどせ。個人的には、実力ある「欅坂」を応援したいが、様子を見てみよう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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[増補新版]ジャニーズ50年史
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映画「ヤクザと憲法」に「古きヤクザ」の終焉を感じて涙


◎『ヤクザと憲法』劇場予告編

映画「ヤクザと憲法」を元「週刊実話」の編集長と、手伝いにいっている編集プロダクションのデスク氏とで鑑賞した。このドキュメンタリーは東海テレビが制作し、すでに放映されたものだがヤクザの日常をレポートした内容ゆえに、当然、全国放映は不可能。そこで映画でしか観れないしろものとなった。本当は「憲法」とつく映画のタイトルゆえ「5月3日」に観たかったが、やはり混んでいると予測し、この日にしたのだ。

渋谷は、ゴールデンウィークのまっさい中だというのに、ガラガラだ。池袋は歩けないほど人ばかり(外国人の旅行者も含めて)ができているってのに、渋谷には「怖い」というイメージがあるのだろうか。

はてさて今、レビューを急いで書いているのには理由がある。ヤクザとつるむタイプのジャーナリストである俺は、警察に追われて近く、高飛びするからだ(なんていうのは嘘)。

そう、ヤクザは危険な生き物の代名詞だ。なのに、この映画に出てくる人はみな、ヤクザとはいえ等身大の「人間」だ。

この映画は、大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」に100日にわたってカメラが入った稀少なドキュメントである。

今、ヤクザは人権がないかのごとく司法上は扱われる。銀行の口座を持てない。家をもてない、ゴルフはできない、宅急便は扱いを拒絶される。だが日本国憲法第4条は定めている。

『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』と書いてある。

作家・宮崎学は、この条文の後ろに『ただし、ヤクザを除く』と書いてあるとよく解説する。

僕もそのとおりだと思う。この映画は、確かにヤクザの日常をカメラで切り取っているという点で画期的だし、未来永劫、記録と記憶に残すべきしろものだと思う。

部屋住みの青年が言う。

「嫌いな者どうしでも一緒におれるというのがいい社会とちがいますやろか」

ヤクザはもともと、賭け事の仕切りと祭りの露天商を稼業としてきた。それが、覚せい剤の密売など犯罪行為へと傾斜していった。昭和40年代になると組どうしの抗争はエスカレートしていき、拳銃の大量所持や、抗争で一般人が犠牲となることが問題化してきた。

そうした中、平成3年に「暴力団対策法」が制定され、前科のある組員の割合などが一定を超えると「指定暴力団」として警察の強い監視下に置かれることになる。

こうなるとみかじめ料や用心棒代を要求しただけで「中止命令」が出る。これはいわゆる「イエローカード」で、無視すれば「逮捕」となる。お目こぼしは一回しかないというわけだ。

さて、このヤクザをとりあげた映画が「人権を守る」最後の砦として未来では扱われないことを切に願う。そして、この映画をよく作ってくれたと思う。感謝すらしている自分がいる。

「銀行口座が作れないと悩むヤクザ」「金を手持ちすると親がヤクザだとばれる」というきついご時世では、「自動車保険の交渉がこじれた」段階ですぐに詐欺や恐喝で逮捕される。

同時に、この映画では、山口組の顧問弁護士だった山之内幸夫弁護士が、恐喝で立件されて実刑10月の処分を地裁に言い渡されて弁護士資格を失った瞬間をもカメラはとらえている。このとき、「ああ、古きヤクザの時代が終わっていくのだ」と僕は映画館の最前列で滂沱の涙を流した。そう、古いヤクザの時代は、音を立てて終焉に向かっているのだ。

◎『ヤクザと憲法』HP http://www.893-kenpou.com/

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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ジャニーズ転機のマイルストーン 『ジャニーズ50年史〈増補新版〉』

[増補新版]ジャニーズ50年史

本書は、2014年初版の『ジャニーズ50年史』に、今年1月に起きたSMAP解散・脱退騒動の流れを加筆した増補版である。

ジャニーズ事務所は2013年に50周年を迎えている。『ジャニーズ50年史』は50年間のジャニーズにまつわるできごとを、時系列で並べてまとめた、ジャニーズの歴史を俯瞰するのには最適な書だ。ここでのジャニーズの歩みは、途中の浮き沈みはあるものの、大筋では逆境を乗り越えての発展・拡大の軌跡となっている。

◆年明け早々のお家騒動がジャニーズ衰退への大きなトリガーに

2015年までのジャニーズは、男性アイドルという市場にあって、ぶっちぎりの強さを誇っていた。行き着くところまで行ったという頭打ち感は徐々に出ていたが、まだまだ当面その覇権状態は安泰に見えた。ところが2016年の年明け早々、SMAP解散・脱退騒動が、ジャニーズ帝国の根幹を大きく揺るがした。このお家騒動は、ジャニーズを予想外に早く衰退に向かわせる大きなトリガーになった可能性がある。

SMAP育ての親、ジャニーズ中興の立役者だった飯島三智は1月でジャニーズを去り、この4月からメリー・ジュリー母娘の一本化された新体制に本格的に入った。飯島が最後に残していった置き土産のような仕事もなくなり、いよいよ次期社長ジュリーの真価が問われることになる。  

そもそも、飯島に若手タレントを任せたのはジャニー喜多川の意向だったといわれる。タレントが増え、ジュリー・メリー母娘のキャパシティーを超えてきていたので、長年別働隊だった飯島の能力を活用するのは理にかなったことだった。飯島は、人気の如何にかかわらず、律義に新たな仕事を作り傘下のタレントに振りあてて、SMAP以外のマネージメントでも敏腕ぶりを発揮した。ジュリー・飯島の二頭体制はうまくいき、2011年から2015年の間に、ジャニーズの業界内領土は最大版図を獲得するに至った。それをわざわざぶち壊したのだから、経営者としてはクレイジーというよりほかはない。普通に考えれば、飯島をバックアップし十分に働かせその成果を享受する方が、どれほどおいしいことか。

新体制では、すでに子飼いタレント同士で仕事を奪い合うような状況が生じており、この先旧飯島派タレントが合流した大所帯を捌き切れるようにはとても見えない。
 
◆ジャニーズ事務所はもう「国民的アイドル」を生み出すこともできない?

事務所のイメージも悪くなる一方だ。4月から、テレビでSMAPを見かけることが露骨に減っており、1月の「公開処刑」に続き、SMAPが干されるように陰湿に仕向けていることが容易に推測される。夢を売るはずのジャニーズ事務所は、夢の代わりに、SMAPを通じていじめの雛型を日本中に示し続け、多くの人々を嫌な気分にさせている。これでは子供のいじめがなくなるはずもなく、ジャニーズがしばしば口にしてきた「子供たちへの影響を考えて云々」というキレイ事はすべて嘘だったことがよくわかる。そしてこれだけイメージに傷がついたジャニーズ事務所には、もう万人に愛される「国民的アイドル」を新たに生み出すこともできないだろう。

やることなすことがあえて自滅の道に向かっているようにしか見えないのだが、一体この母娘はどういうつもりなのだろうか。実はもう、芸能事務所の経営などどうでもいいのかもしれない。すでに孫子の代まで何もしなくても悠々自適に暮らせるくらいの資産は十分にあり、貸しビル業でも営んだ方がよほど楽で儲かるはずなのだ。だからソニーにおける電機事業のように、芸能業務はアイデンティティと趣味の部分で残していけばよい。そうであるなら、目障りで気に入らないものを叩きつぶし、自分たちの好みの色に染め上げることが再優先になるのもわからなくはない。気の毒なのはそれに付き合わされるタレントたちだ。若手たちは、中高年の先輩タレントたちのような将来があるとは思わない方がいいかもしれない。

しかしファンでもない立場から眺める分には、今後予想されるジャニーズの縮小・衰退フェーズも、味わい深く面白いものになるのではないか。ぜひジャニーズの大きな曲がり角に建てられたマイルストーン『ジャニーズ50年史 増補新版』を傍らに、巨大芸能事務所盛衰の歴史を鑑賞してみて欲しい。
 
(遠藤サト)

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333年前から続く湯治場──那須塩原温泉への旅

4月28日、29日と那須塩原温泉にいた。
ゴールデンウィークの入り口、寸前なので28日はまだ旅館が通常料金に近い。なんといっても行くなら本格的な硫黄温泉に入りたい。というわけであるが、縁もゆかりもないが、評判がやたらといい「湯荘白樺」に宿泊した。

 

肌寒い。まるで感覚としては冬で空気は澄んでいた。西那須野から。バスで40分ほど走ると塩原温泉バスターミルに着く。そこに旅館の車で迎えにきてもらった。山中、970メートルの山を登っていくと山桜がようやく咲き始めたのが見える。ゆっくりとだが、確実に少し私たちより遅れて春が「山」に来ているようだ。

天和2年(1683年)からすでにこの温泉はすでに湯治場として知られ、神経痛か肩こりリウマチ、胃腸の疾患に効くそうだ。

 

布団を敷きにきてくれた旅館店員は言う。
「泥パックを塗るといいですね。温泉に備え付けてあります。湯の中に入って、毛穴を開かせて10分間、塗っておいてパックすると白く乾きます。そうしたら洗い流す。私など1年間入ったら、腰痛がすっかり治りました」

那須町への観光者数は微増していて、平成27年度は 480万2,208人 (前年470万7,029人)前年比 102.02% 9万5,179人増)だからうまくいっているほうなのだと思う。実際、那須塩原は修学旅行地のメッカとしても知られ、小学校のときに宿泊したあまりにも有名な「ホテルニュー塩原」を38年振りに見たときは思わずため息が漏れた(何年経営しとんねん)。

 

あ、肝心の腰痛、ヘルニアだが実際問題、誇張ではなくて軽くなった。1日でかなり軽くなるということはやはり温泉は治癒効果があるのだな、と思う。まあ年をとったらこのあたりに住むのもいいかもしれないな、と思う。

いっぽうで、大分の湯布院温泉などは、熊本地震の影響でキャンセルが相次いでいるという。これは九州全体の旅館が打撃を受けており、2、3割値段を下げて必死に集客をしているようだ。機会があれば、熊本や大分にも赴こうと思う。それが震災地が元気になる最もてっとり早い手段だと信じるのみである。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7