《NO NUKES voice》ふるさとを返せ 津島原発訴訟 ── 結審(中) 津島の地を汚した者・東京電力の責任を問う 民の声新聞 鈴木博喜

「私は30年間裁判官として全国を転々としたので、どこの歴史も文化も担っていません。日本中、どこに住んでも同じだと思っていたので、なぜそれほどまでして、こんな山奥に住みたいのだろうと、率直に言えば最初はそう思っていました」

大塚正之弁護士は東大経済学部を卒業後、裁判官として那覇地裁や東京地裁、大阪高裁や東京高裁など「全国を転々」。退官後に弁護士となった。弁護団に加わり、何度も津島を訪れ、原告の話を聴くにつれて、住民たちの想いが理解出来たという。

「中には、涙を流しながら『被曝しても良いから津島に戻りたい』とおっしゃる方もいました。津島が全てであり、大切な津島の『全て』を失った、あるいは失おうとしている。それを取り戻したいのだという事がはっきりと分かったので、津島を取り戻す訴訟をしなければならないと確信しました」

弁護団の共同代表を務める大塚正之弁護士。最終弁論で「 汚した環境を回復させる事は汚した者の責任」と語気を強めた

今月7日の法廷では7人の原告が最終弁論をしたが、異口同音に「ふるさとを返せ」、「津島に戻りたい」と述べた。

窪田たい子さんは「津島のほんの一部の除染が始まりましたが、全てをきれいにしてもらえなければ人は帰って来ません。全員が津島で元の生活が出来るように国と東電にはきちんと責任をとってもらわなければならないのです。お金の問題ではありません。私たちのふるさとを返してください」と訴えた。

「本人尋問の時、ふるさと津島に帰りますか?との質問に対して力強く『帰ります』と答えました。しかし、除染のロードマップも示されず、いまだにいつ帰れるのか全く不明の状況下にあります。今のままでは『廃村棄民』です」と語気を強めたのは佐々木茂さん。

武藤晴男さんは「私たちは、国や東電に対して文句ばかりを言っているわけではありません。早く前向きな気持ちで復興に向かいたいのです。そのための第一歩は今、朽ちていきそうな津島を、私たちが心から大好きだったあの津島へ戻す事です。そして、本当の津島を見る喜びを皆で揃って感じる事です」と求め、三瓶春江さんは、裁判官たちに「お願いします。津島を除染してください。義父を、亡くなった人たちを早く津島の土で眠らせてください。ふるさと津島の未来を消さないでください」と訴えた。

「私たち原告は、あの豊かな美しいふるさとを取り戻す、津島を汚れたままにはさせないとの希望を持ち続けています。現地を見てくださった裁判官に、その希望に最初の灯をともしていただきたいと心から願っています」と述べたのは石井ひろみさん。今野正悦さんの自宅は、昨年11月30日に解体工事が終わった。「先祖から受け継ぎ、大切にしてきたわが家を解体したいと思っている人はいないはずです。一生ここで暮らそうと思っていた自宅を突然、解体しなければならない。そんなつらい思いを、もう誰にも味わわせたくないです」と語った。

そして、原告団長の今野秀則さんが、次のような言葉で最終弁論を締めくくった。

「山林を含む津島地区全体が除染され元に戻らない限り、私たちの生活は取り戻せません。このままでは、地域の過去、現在、未来が全て奪われ、失われてしまいます。ふるさと津島を取り戻す事は、代替不可能な生きる場所を取り戻す事なのです」

大塚弁護士は原告たちの想いをさらに補うように、こう述べた。

「原告らはいま、津島において木々の間からこぼれ落ちる陽光を浴びる事が出来ない。あの津島の山々が作り出す新鮮な空気を吸う事が出来ない。それだけでは無い。美味しい津島の湧水を飲む事も、美しい小鳥のさえずりを聴くことも、マツタケ狩りをする事も、田畑を耕す事も、牛馬を育てる事も、幼なじみとの屈託の無いだんらんも、何もかもを奪われたのです。原告らはなぜ、津島の大地を汚した被告らから『出て行け、勝手に入るな』と言われないといけないのか。被告らに対し『津島にある全てのものを奪うな、元の美しい津島を戻せ』と言えないのか。被告らは、『津島を元に戻してくれ』という原告らに寄り添う事さえ出来ないのか」

東電は「最後の一人まで賠償貫徹」など「3つの誓い」を立てたが、法廷では「充分な賠償が済んでいる」、「避難先で家を購入したら避難終了」など、被害者を愚弄する言葉を並べている

原発事故の加害当事者である東電は「被害を受けられた方々に早期に生活再建の第一歩を踏み出していただくため」として「3つの誓い」(「最後の一人まで賠償貫徹」、「迅速かつきめ細やかな賠償の徹底」、「和解仲介案の尊重」)を立て、ホームページでも公開している。

だが、実際に代理人弁護士を通じて語られる東電の「本音」は、公表されている美辞麗句とは全くの真逆。最終弁論でも、棚村友博弁護士が「被害を軽視していない。最大限受け止めている」としながら、「原発事故後、賠償金を活用して住居を確保するなどして平穏な生活を取り戻した避難者」については避難生活を終了したとみなす」、「帰還困難区域住民への一律1450万円の賠償金など、既に支払った賠償金を上回る精神的損害は存在しない」などと言い放った。一方で、原告たちが強く求める「原状回復」についての言及は一切無し。「十分すぎるほどの賠償金を支払ったのだから、これ以上文句を言うな」と言わんばかりなのだ。

大塚弁護士の最終弁論は、そんな東電の姿勢を厳しく糾弾するものだった。

「この訴訟は、『金になるのであれば環境などどんどん破壊してかまわない』、『破壊した環境を元に戻すのにお金がかかるのなら戻さなくて良い』、『とにかく金が第一だ』という、これまでの間違った考え方に立ち続けるのか。それとも、汚した環境を回復させる事は汚した者の責任であるから元に戻す義務があるという、現代では当然と言うべき考え方に立つのか。どちらを選ぶのかを問いかけているのです」

「この訴訟で、何としても被告らに除染義務を認めさせ、放射性物質で地域を汚したら速やかに、住民が生きている間に、戻れるようにしなければならないという原則を確立する必要があります」

「津島の除染をしないという事は、歴史や文化を代々伝えて来た私たち人類の営みを踏みにじる言語道断の行為です。そんな事が許されるのなら地球環境に未来は無い」

地域を汚したら、汚した者の責任において元に戻す。そんな当たり前の事を認めさせるのに、被害者はどれだけ拳を振り上げ、声を張り上げないといけないのか。しかも、原告たちは差別や偏見との闘いまで強いられているのだった。(つづく)

◎ふるさとを返せ 津島原発訴訟
結審(上)「原状回復」への強い想い 
結審(中) 津島の地を汚した者・東京電力の責任を問う
結審(下)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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《書評》『紙の爆弾』2月号特集「日本のための7つの『正論』」を読み解く

本通信で発行元の媒体や書籍を評するのは、いわば自社広告に近いものとなるが、ただ目次と紹介文では読む方が物足りないであろう。ということで、『NO NUKES voice』前号の紹介から、批評的なものにシフトしたつもりだ。その反面、自分の好みで書いているので、全体の目配りに欠けるのはご容赦いただきたい。

 
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まず注目したのは、特集「日本のための7つの『正論』」というスタイルである。月刊誌という性格上、新聞や週刊誌よりはサイクルがはるかに長いとはいえ、時事的な報告記事が集中することを考えて、特集は全体の3分の1ほど深く掘り下げたものが欲しいところだ。

本誌においては、これまでも何度か特集の試みはあったが、なかなか焦点がしぼりきれない面があったやに感じる。個々のライターさんの問題意識、タイムリーなレポートが優先されるので、どうしても特集としてのボリュームに不満が残る。というのが、わたしの率直な感想である。暴露雑誌としての性格ゆえに、それもやむを得ざるところだが……。

今回は、いま強調されるべき「正論」を7つのテーマで落とし込む、その意味では編集部の「技」によるものだ。形式においても、こういう特集タイトルは「読む意欲」を掻き立てる。テーマを列記しておこう。

・桜を見る会問題   横田一
・官邸のメディア選別 浅野健一
・日韓朝共同体    天木直人×木村三浩
・自公野合政権    大山友樹
・マイナンバー問題  足立昌勝
・熊本典道元裁判官  はじめすぐる
・弱者切り捨て問題  小林蓮実

今後、考えられる方法としては、二号ぐらい先の政治焦点を読んで、先行して特集を企画する。たとえばオリンピックの開催の可否が判明する前後を期して、開催となった場合の予定稿、中止となった場合の予定稿を準備するのも一案であろう。

その場合は、スポーツ団体や広告代理店の利権構造、政治家の動向や準備計画の問題点、スポーツ社会学の視点からのオリンピックのあり方、知られざるオリンピックの歴史、個々の代表選手の動向など、多岐にわたるジャンルからの論考という具合に、まとまったものを一冊で読みたいと思う。新たな読者も獲得できるのではないか。

ちなみに、1月6日(現地時間)の米ニューズウィークは、IOC幹部の「参加選手たちに優遇措置が与えられ、新型コロナワクチンの優先接種が認められなければ、東京オリンピックは中止になる可能性がある」との警告を伝えている。ということは、ワクチンの準備が予測される段階で、ほぼ決まりということになるわけだ。以上は、雑誌編集者としての立場からの意見である。

◆エリート裁判官の悔恨

さて、今回の特集から、興味を惹かれたものをピックアップしてみたい。

はじめすぐるの「熊本典道元裁判官の『不器用な正義』」に読み入った。こういう冤罪裁判にかかわった裁判官のその後、しかもエリート法律家の反省と悔悟にくれる実像へのアプローチは、日本のための「正論」として、読む者は癒される。

熊本は「袴田君に会いたい」と願い続け、それが成就したのちに身罷った。享年83。熊本が袴田と会うに至るまでには、姉のひで子さんの懸命な活動、それに触発されたジャーナリスト・青柳雄介の丹念な取材があったという。

◆安倍晋三の地元がゆらぐ?

横田一の「『桜を見る会』追及で“国政私物化”を清算する」は、安倍晋三の地元・下関市長選挙(3月14日投票)で、地殻変動が起きそうな地方政局をレポートしている。

下関の自民党は、安倍晋三の父親の代から、安倍派市長(現在は前田晋太郎)と林芳正(参院山口選挙区・元農水大臣)派がライバルとして争ってきた。今回、地元の選挙民を前夜パーティーに招待した桜を見る会問題(寄付行為による公職選挙法違反疑義)によって、自民党の動きが鈍くなっている。「ケチって手りゅう弾」という暴力団との関係が明らかになっても、微動だにしなかった下関安倍王国が、にわかに揺らいでいるのだ。

にもかかわらず、安部派のライバルである林派が市長選挙に出馬をしぶり、野党市議の田辺よしこが市長戦野党統一候補として立候補を明らかにした。水面下では、林派の自民党員も田辺候補を支援しているという。総選挙を占う注目の選挙になりそうだ。

◆ポンコツ総理はいつまでもつのか?

特集外から一本。

山田厚俊は自民政局「衆院解散めぐる自民党内の暗闘」、つまり麻生太郎や二階派を中心とした、ポンコツ菅総理おろしである。一元的な安倍一強のもとでは事務屋的な能力を発揮した菅「名官房長官」は、やはり「器ではなかった」(自民党関係者)のである。

その菅おろしの焦点は、いうまでもなく今秋までに行われる総選挙の時期である。山田によれば、5・6月は公明党が重視する都議選なので、予算案が通過する3月下旬か4月上旬あたりが濃厚だという。

そして山田によれば。ポスト菅の秘策として二階俊博幹事長の脳裡にあるのが、野田聖子であるという。無派閥の野田は「都合のいい人材」で、本人は何度も総裁選にチャレンジ(推薦人20人が集まらず)した意欲の持主である。史上初の女性宰相という売り物にもなる。二階裁定ということなら、これはこれで期待してみたい。アメリカに先立って、ガラスの天井を日本政界が破る?

◆「反差別チンピラ」の実態――問われる解放同盟の態度

「『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」の第4回は、「反差別運動と暴力」(松岡利康)である。

今回は、しばき隊リンチ事件の関係者による、第二次事件(と便宜的に呼びたい)発生をうけて、部落解放同盟がこれらのメンバーと袂を分かつよう提言している。

事件の概要は、この通信でも2度にわたって触れられてきた。すなわち、昨年11月24日の鹿砦社と李信恵の名誉棄損に係る反訴事件裁判の証人尋問のあと、李と伊藤大介らが飲み屋で泥酔したあげく、極右活動家を呼び出して暴力におよんだ、あたらしい事件である。先に伊藤が暴力をふるい(逮捕)、ナイフで反撃した極右活動家も逮捕(略式起訴)となったものだ。

事件それ自体としては、それほど驚くにあたいしない。なぜならば、M君事件をなかったものと支援者ともども隠蔽し、なんら反省をしなかったのだから。もはや「反差別チンピラ」(かれらの激しく攻撃された女性作家の命名)と呼ぶべきであろう。今回も反省がみられないかれらは、必ず三度目、四度目の暴力事件を起こすと断言しておこう。

それらを踏まえて、松岡はかれらと部落解放同盟の関係を質している。すなわち、関係者の著書を解放出版が刊行。李信恵の講演会を鹿砦社が妨害したとの事実の捏造を、解放同盟山口県連の書記長が、上記裁判に陳述書を提出したことだ。

これはおそらく、李信恵の捏造(もしくは勝手な被害者意識)を、そのまま信用して提出したものであろう。いずれにしても、事実に基づかない手続きに解放同盟の役員が加担したのは事実で、その点は当事者からの釈明があってしかるべきである。

併せて、野間易通(しばき隊リーダー)が差別発言をしてきたとされることも、当事者をまじえて検証されなければならない。解放同盟の反差別運動における「指導」が問われる局面だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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《NO NUKES voice》ふるさとを返せ 津島原発訴訟 ── 結審(上)「原状回復」への強い想い 民の声新聞 鈴木博喜

2011年3月の原発事故で帰還困難区域に指定され、今なお避難生活を強いられている福島県双葉郡浪江町の津島地区。643人の住民が国と東電を相手に起こした「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」(以下、津島訴訟)が今月7日、結審した。2015年9月29日の提訴から5年余。放射性物質の拡散でふるさとや住み慣れた自宅を奪われた住民たちは、何を求めて闘い続けて来たのか。共に歩んで来た弁護団は何を感じたのか。福島地裁郡山支部で行われた最終弁論を軸に、確認しておきたい。

「お金は要りません。国や東電が私たちの津島を元通りの地域社会にしてくれるであれば、原発事故前と同じような生活が出来る状態に戻してくれるのであれば、お金は要りません」

結審を翌日に控えた今月6日、郡山市役所内の記者クラブで開かれた記者会見。原告団長の今野秀則さんはきっぱりと言った。短い言葉の中に10年分の怒り、哀しみ、苦しみが凝縮されていた。「何としても自分たちの地域を取り戻す」という決意表明のようでもあった。

「地域社会が丸々ひとつ、地図から消されるような事は許されて良いのでしょうかね。私はとても納得など出来ません。私たち津島の住民は住めないような状況にさせられて、除染もされない。戻る事さえ叶わない。歴史が消えて無くなってしまう。納得出来ないでしょ? それを元に戻すために『原状回復』を求めているんです」

「津島訴訟」の原告たちが求めているのは原発事故前の美しい津島に戻す事

津島訴訟の闘いは、文字通り「原状回復」の闘いだった。訴状の「請求の趣旨」は次の2点だ。

〈1〉 被告は原告らに対し、津島地区全域について、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所の事故により放出された放射性物質による同地域の放射線量(以下、「本件原発事故由来の放射線量」)を毎時0.046マイクロシーベルトに至るまで低下させる義務があることを確認する。

〈2〉 被告らは原告らに対し、津島地区全域について、本件原発事故由来の放射線量を平成32年3月12日までに毎時0.23マイクロシーベルトに至るまで低下させよ。

訴状には、原告の言葉も紹介されている。住民たちの想いが良く伝わってくる。

「東電と国の責任で元通りの津島を自分たちに返してもらいたいと心底思います。中ノ森山や広谷地の美しい自然を元通りにして欲しい。津島での元通りの毎日を返して欲しい。それ以上に望むものなど何もありません。津島での元の生活に戻る事が出来るならゼニなんか一銭も要りません。ゼニ金の問題じゃ無いのです」

これに対し、国や東電は2016年4月15日付の答弁書の中で、ともに「除染は現実的に不可能な事を強いるものであるから原告の請求は認められない」として棄却するよう求めている。

訴状でも「あくまでも津島地区の原状回復が、原告らが求めるものの主眼である」と綴られている

原発事故被害者による訴訟で、原状回復請求が認められた判決は無い。

2017年10月10日に言い渡された「『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟」(生業訴訟)の福島地裁判決では、「本件事故前の状態に戻してほしいとの原告らの切実な思いに基づく請求であって、心情的には理解できる」としながらも、「求める作為の内容が特定されていないものであって、不適法である」として棄却。

2020年9月30日の仙台高裁判決も、「作為の内容は強制執行が可能な程度に特定されなければならない」などとして「不適法であり、却下すべき」との判断を下した。

仙台高裁も被害者に寄り添う姿勢は見せている。

「本件事故によって放出された放射性物質について自分たちが受容し、その線量や影響を受忍しなければならないいわれはなく、何としてでも本件事故前の状態に戻してほしいとの切実な思いや、放射性物質を放出させるような事故を起こした原子力発電所を設置・運転してきた一審被告東電及び国民の平穏生活権の保障に責任をもって当たるべき一審被告国において、どのような手段をもってしても原状回復をすべきであるとの強い思いに基づく請求であることがうかがわれ、心情的には共感を禁じ得ない」

「心情的には共感」しているものの、国や東電に原発事故前の状態に戻すよう命じる事は無かった。

「原状回復」のハードルが高い事は、津島訴訟の弁護団も当然、理解している。これまでの弁論期日に行われた学習会でも「この訴訟では結果の目標だけを示していて、国や東電に具体的に何をしてもらいたいかを特定せずに請求しています。これを法律学的には『抽象的不作為請求』と言います。『空間線量を毎時0.23マイクロシーベルト以下に低下させる強制執行』を裁判所に求めた場合、じゃあ、どうやってやりますか?という部分が具体的に決まっていないと裁判所もやってくれません」などと、法的な難しさが弁護団から原告たちに説明されている。

それでも、津島の住民たちは「原状回復」を請求の主軸に据えた。ハードルが高くても、元に戻して欲しいという想いが上回ったからだ。

事故など絶対に起きないと言われ続けた原発が爆発した。五重の壁で覆われているはずの放射性物質が大量に拡散され、風に乗って津島地区に降り注いだ。放射能汚染は9年10カ月経った今も続き、ごく一部で除染が始まったが、『特定復興再生拠点区域』として整備されるのは、津島地区全体のわずか1.6%にすぎない。地区全体をいつまでに除染するのか、計画すら示されていない。避難指示がいつ解除され、いつになったらわが家に戻れるのか。見通しは全く立っていない。主を失った家が日に日に朽ちて行く中、一刻も早く事故前の状態に戻して欲しいと住民たちが考えるのも当然だ。

ある弁護士は「提訴を準備している段階で弁護士の間でも議論はありました。慰謝料請求だけに絞る方がいいのではないかという弁護士もいました。一方で『住民の皆さんの気持ちを考えると、原状回復請求も加えるべきだ』という意見もありました。議論を重ねた結果なのです。原告になろうと考えている方々が『ふるさとを返して欲しい』と強く口にしていた事も後押ししました。津島の皆さんの強い想いがあったのです」と話す。

7日の最終弁論では、時に語気を強めながら原告たちの想いを代弁した弁護士がいた。(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
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格闘群雄伝〈11〉伊達秀騎──本場ムエタイで開花、チャンピオン育てた日本戦士

◆ヤンガー秀樹時代

元・全日本ウェルター級2位.伊達秀騎(本名・鈴木秀樹/1970年5月、宮城県仙台市出身)はチャンピオンには届かなかったが、その叶わなかった夢をタイに向け、現地で正規のジムを構え、ムエタイ二大殿堂チャンピオンを誕生させたことは、タイ側から見た外国人初の快挙を成し遂げた。

フェアテックスジムでのミット蹴り(1991年7月)

鈴木秀樹は中学1年から器械体操を学んでいたが、通学中に「練習生募集中」の看板を見て興味本位に仙台青葉ジムを覗いた。

「丹下段平ジムみたいな掘っ立て小屋の窓から覗いてみたら、蹴ったら自分の脚を痛めそうなヘビーバッグが吊るしてあって、これは普段見る学校のクラブとは比べられない別世界と感じた」というキックボクシングという世界の最初の印象だった。

高校は体育科だったが新設校で、1年目はまだ体操部が無かったことや、兄がブルース・リーが好きだった影響で格闘技に興味があった鈴木秀樹は、運命に導かれるがまま仙台青葉ジムに足を運んだ。

器械体操で鍛えた体幹はバランス抜群の蹴りを備え、デビュー戦は高校2年になった1987年(昭和62年)6月25日、地元の宮城県スポーツセンターで高橋真(山木)に判定勝利。

ここで瀬戸幸一会長からジムの次期エースと期待できる選手に与える、歴代リングネーム“ヤンガー”を授けられた。初代はヤンガー石垣(後の轟勇作)、二代目はヤンガー舟木(後の船木鷹虎)に続く“ヤンガー秀樹”となった。しかし、素質は誰もが認めるも高校卒業時までに7戦2勝5敗。三代目ヤンガーを継承したが、連敗が続くことにプレッシャーを感じていたという。

◆伊達秀騎時代

「戦績も悪くなり、何か練習環境を変えなければと、東京でやろうと思ったのが切っ掛けです」という鈴木秀樹は、高校卒業後上京。親戚が居た板橋区に住むと、やがて近くにあった小国ジムを見つけ仮入門。当初はまだ仙台青葉ジム所属のまま試合出場して大村勝巳(SVG)にTKO勝利。特に難しい条件は無く、これで円満移籍した。

リングネームは自身で考えた、伊達秀騎に改名(以後文中、伊達秀騎)。出身地の英雄、伊達政宗から名前を肖った。

移籍初戦は勝山恭次(SVG)に判定負け。それまでにも判定に納得いかないことが多かった為、リスクを伴うが倒すスタイルに移行。2連続KO勝利するが、1992年(平成4年)10月、全日本ライト級挑戦者決定トーナメントで杉田健一(正心館)に顎を打ち抜かれKO負けしてしまう。

ダメージ回復の休養と自分を見つめ直す為にブランクを作るが、空手大会出場やパンチの技術を学ぶ為、プロボクシング転向を試み、沖ジムに入門を果たしていた。自分のパンチはどこまで通用するか、当初は真剣にプロボクシングデビューを志し、プロテストは無事合格を果たすが、キックボクシングへの情熱を拭いきれず、デビュー戦を前に、お世話になりながらも感謝の気持ちを持って沖ジムを後にした。
後のキックボクシング復帰は1994年6月、仙台興行で日本人キラーだったジャルワット・オーエンジャイ(タイ)にKO勝利して再起を飾る。

ここから全日本ウェルター級挑戦者決定トーナメント出場となるが、松浦信次(東京北星)にKO負けする大失態。大飛躍のチャンスを落としたことは周囲にとっても大きな落胆だった。

アナン会長のゲーオ・サムリットジムで調整(1993年9月)
ジャルワット・オーエンジャイ戦、仙台での復帰戦をKO勝利(1994年6月25日)
王座挑戦へのトーナメント、松浦信次戦は悔しい敗戦となる(1994年9月23日)

◆ムエタイ修行で人生転換

伊達秀騎が初めてタイ修行したのは1990年5月、バンコク・ドンムアン空港から発つ飛行機の真下で、騒音が酷い地域にある名門ムアンスリンジムだった。練習以外もキツい環境で、通気性の悪い倉庫のような選手の宿舎。初めてタイ修行に行く者にとって、文化や生活環境の違いは耐え難い状況だっただろう。

もう行きたくないと思っていたというタイだったが、1991年7月、「同門の高津さんに付き合う形で一緒に行きました」と言う、ジムで先輩から勧められていたフェアテックスジムに赴いた。トレーナーを務める伝説のチャンピオンと言われるアピデ・シッヒランさん宅にホームステイする形で修行し、1ヶ月ほど我が子のように慕って貰ったことから一転、タイとムエタイに惚れ込んでいき、後々の運命を変える人生の分岐点となる修行であった。

タイでの初試合は1993年9月のバンヤイシティースタジアム。それまでフェアテックスジムでの修行だったが、層の薄い重量級では試合は組まれ難いものの、逆に選手が足りない事態も起こり、後々深い縁となるゲーオサムリットジムのアナン・チャンティップ会長から声が掛かり試合出場した。

「逆転KO勝ちでしたが、試合が盛り上がると、インターバル中にもギャンブラーからチップをくれて、興行一座のドサ周りみたいな感じが面白くて、タイでの試合にハマりました」とムエタイ初試合の印象を語る。

1994年10月には、メコン河を挟んだラオスとの国境となる街、ノンカイでの試合はKOで敗れたが、タイ全土にテレビ生中継され、倒しに行く姿勢で相手を苦しめた試合内容を評価されたことで再戦が決まり、翌年1月、チェンマイでもタイ全土にテレビ生中継の中、敗れるが大激戦となり、アナン氏からより一層信頼される存在となっていた。

当時、日本で大事な試合に敗れ、更に団体は分裂を起こし、目指していた目標は消え、モチベーションも低下する中、タイで仕事をしながら現役を続けられるのではと考えた伊達秀騎は日本のリングを去った。

アナン会長が冗談を言いながらバンテージを巻くリラックスした試合前(1994年10月18日)
[左]ノンカイでの試合、タイ全土に放映されるサーティット戦(1994年10月18日)/[右]チェンマイで再戦、バックヒジ打ちでサーティットを苦しめる(1995年1月29日)

1996年10月、心機一転タイに移住し、人材紹介会社に就職した。

しかし、タイでも仕事を任せられれば徐々にジムに向かう時間が無くなるのは当然だった。それでもアナン氏から試合のオファーが来ると断らずに受けていた。まだ26?27才で、現役時代の厳しいトレーニングの貯金で動けていた身体だったが、移住1年程経った時期、ラジャダムナンスタジアムでの試合で3ラウンドTKO負けの頬骨陥没骨折。全身麻酔で手術を受けて8日間入院。今でも頬骨にボルトが入っているという。舐めてはいけない本場ムエタイの仕打ちだった。

怪我は癒えた後々、現役に悔いを残さない想いをもって挑んだラジャダムナンスタジアム・ミドル級1位の強豪にKO負け。これでリング上では全てをやり終えた伊達秀騎だった。

同スタジアム、激戦に持ち込む伊達秀騎(1995年6月)
サムローンスタジアムでワイクルー(戦いの舞い)を舞う伊達秀騎(1995年6月)

◆タイビジネスの恩人

その後、30歳を目前にして起業。ムエタイや撮影のコーディネート、ムエタイ日本語情報誌の発行などを興し、2002年2月、バンコク中心部スクムビット地区に目標としていたイングラムジムを設立した。

2004年にブアカーオ・ポー・プラムックを来日させると、K-1 MAX初出場で優勝。その後、サガッペット・イングラムジム(タイ)をルンピニースタジアム・ライト級、ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)は欧米人初のラジャダムナンスタジアム・ウェルター級の二大殿堂スタジアムでチャンピオンを輩出する日本人としては初の快挙を成し遂げた。

しかしムエタイ業界に限らず、どこも競争が激しい世界。ルンピニースタジアムのプロモーター傘下では、あらぬ嫌がらせも受けたという。そんなことはよくある業界内特有のしがらみで、ラジャダムナンスタジアムに移ることもあった。

しかし、ルンピニースタジアムに出場していた弟子のダーウサミン・イングラムジム(後のWPMF世界スーパーフライ級チャンピオン)が、前座ながら白熱した試合で、チャンピオンやランカーを差し置いて月間最優秀試合賞を獲得し、本気になって選手を輩出していれば外国人でも認めてくれるのだと、イングラムジムの名前が認められてきたと思ったという。

ここまで這い上がって来れたのは、アナン会長との縁で、試合オファーには出来る限り応じた為、ジム運営やビジネス面では多くのバックアップをしてくれた恩人だという。アナン氏自身も苦労人から這い上がり、多くの強豪選手を輩出し、タイ国ムエスポーツ協会監査役員になるなど実績高い人物だった。そのサクセスストーリーを間近で見てきた伊達秀騎の成功があるのだろう。

2020年初頭は、スポンサーだった日本企業のバックアップで、BTS(バンコク高架鉄道)エカマイ駅近くの800平米もの好物件を見つけジムを移転し、オープン当初は順調だったが、コロナ禍が直撃し3月には政府からタイ全土に営業禁止の通告が出され苦境に陥り、9月末を持ってジム閉鎖に至ってしまった。

その後、ムエタイ界の重鎮達からは、新たなジム開設を勧められているが、現在はどのような形で再開可能かをいろいろと模索している状況という。

2015年には結婚し、翌年長女が生まれて現在4歳。もう言葉が話せるのは当然として、日本語、英語もある程度話せるという。生き甲斐は我が妻と娘いう伊達秀騎。もうとっくの昔に“ビジネスマン鈴木秀樹”に戻っているが、2021年は新たなビジネス展開を見せてくれるだろう。

国家が絡むビッグイベント記者会見に並ぶ、前列左から伊達秀騎、アナン会長、ブンソン大佐(タイ国ムエスポーツ協会副総裁) (2017年3月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

天皇制はどこからやってきたのか〈番外編〉(下)昭和天皇の妹といわれた尼僧と三島由紀夫『豊饒の海』をめぐって

三島由紀夫の最後の長編『豊饒の海』第一部『春の雪』のモチーフのひとつには、正田美智子(上皇太后)との縁談があった。

聖心女子大からの推薦で、歌舞伎座で隣り合わせに座るかっこうで面会し、その後、料亭で歓談したという。そして三島は母倭重江とともに、正田美智子の卒業式を見学に行っている。

当時も今も、聖心女子大はハイソサエティー女子のメッカである。三島の作品では『お嬢さん』のヒロインが聖心の在学生という設定だ。

そして、明仁皇太子(平成上皇)と正田美智子の自由恋愛を装った縁組が、これを前後して行なわれている。旧華族の北白川肇子に決まりかけていたところ、小泉東宮参与、黒木東宮侍従らが水面下で正田美智子嬢を皇太子妃にしようと画策し、偶然をよそおった軽井沢テニスコートでの出会いが準備されたのだ。昭和天皇の「東宮の嫁は、民間から」という意向がはたらいたという説もある。

三島家はどうだったのだろうか。三島の祖母のなつが「商家の娘は(ダメ)」という反対派で、三島家から断ったとされているが、真相はよくわからない。いずれにしても、三島が「『春の雪』はフィクションというわけじゃないんだよ」と語ったのは、このことである。

◆三島の円照寺取材

『豊饒の海』の作品全体をつらぬくモチーフとして、阿頼耶識(大乗仏教)と唯識論、いいかえれば唯心論の中心には、綾倉聡子が出家する月修寺(円照寺)があった。

円照寺は臨済宗妙心寺派だが、作品中の月修寺は法相宗という設定である。法相宗の根本教義である唯識説の世界観を描こうとしたので、法相宗でなければならなかったのだ。

円照寺の縁起からも解説しておこう。円照寺は後水尾天皇の第一皇女・文智女王が開いた寺院(当時は草庵)である。

後水尾天皇による山荘(修学院離宮)の造営にともなって、圓照寺は移転を迫られた。明暦2年(1656年)、継母である中宮東福門院(徳川秀忠の娘)の助力により、大和国添上郡八嶋の地(奈良市八島町)に移り、八嶋御所と称す。さらに東福門院の申請により、幕府から200石の寄進を得て、寛文9年(1669)に八嶋の近くの山村(奈良市山町)の現在地に再度移転した。爾後、門跡寺院として皇女が入寺し、山村御所と呼ばれた。

その円照寺門跡、山本静山尼が提唱天皇のご落胤、もしくは三笠宮親王との双子で、したがって昭和天皇の妹であるという説については、前回解説したとおりだ。
三島由紀夫が河原敏明説(1979年発表)を知らないのは言うまでもないが、取材を思い立ったのは、いったい何の機縁であろうか。何かが導いたとしか思えない偶然である。三島由紀夫と正田美智子、そして山本静山尼。

作品(春の雪)から解説しよう。物語の結末を暗喩する、唯心論のくだりである。
松枝家の築山の滝に、死んだ犬が落ちていた。来訪していた月修寺の門跡がこれを供養する。

そのとき月修寺門跡(先代)がした講話は「元暁の髑髏水」であった。「心を生ずれば則ち種々の法を生じ、心を滅すれば則ち髑髏不二なり」。

ようするに、元暁という僧侶が暗闇のなかで見つけて、ありがたく飲んだ水が、髑髏の中に入っていた(思わず吐き出してしまう)という顛末である。心しだいで水は美味であり、吐き出したくもなるという寓話だ。

そのとき、作品中の狂言回しである本多繁邦は、主人公の松枝清顕にこう語りかける。

「純潔な青年は純潔な恋を味わう」しかし「相手がとんだあばずれだと知ったのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋を味わうことができるだろうか?」「できたら素晴らしい」と。要するに、唯心論なのである。

三島は円照寺を二度おとずれ、二度目の訪問で門跡山本静山に会っている。三島はその印象を、「この世のものとも思えないほどの気品で、ただ絶世の一語につきる」と語っている。自身の創作物である綾倉聡子が、そこに現出したのであろうか。そして月修寺(円照寺)は、物語を反転させる場になる。

◆『豊饒の海』謎の結末の解釈

従来『豊饒の海』の結末の謎は、さまざまに解釈されてきた。悟りの末の「空(何もないところ)」に色即是空を当てはめてみたり、禅宗的に「無」の風景をそこに想定する。哲学的なイデアで解釈する。世界の崩壊をそこにアナロジーするなど、恣意的な解釈であることに変わりはない。文学論とはそもそも、評者の勝手な読み込みにモチーフがあるのだから。

しかし、三島作品をそれほど読んでいない批評家の作品論には、わたしのように全作品、全評論を通読してきた者には違和感がある。夭折にあこがれ、英雄的な死にふさわしい肉体を耕し(『太陽と鉄』)、憂国という舞台建てのなかで切腹死したことと、この作品の結末は無縁ではない。

作品の文章から引用しよう。長く美しい文体がわざわいして、この作品は読者に通読を許さない難解さがある。その例証として、わたしが久住純の筆名で書いた『情況』(2020年秋号「芸術としての政治の完成」)からである。

道のべの羊歯(しだ)、藪柑子(やぶこうじ)の赤い実、風にさやぐ松の葉末、幹は青く照りながら葉は黄ばんだ竹林、夥(おびただ)しい芒、そのあいだを氷った轍(わだち)のある白い道が、ゆくての杉木立の闇へ紛れ入っていた。この、全くの静けさの裡(うら)の、隅々まで明瞭な、そして云わん方ない悲愁を帯びた純潔な世界の中心に、その奥の奥の奥に、まぎれもなく聡子の存在が、小さな金無垢の像のように息をひそめていた。しかし、これほど澄み渡った、馴染(なじみ)のない世界は、果たしてこれが住み慣れた「この世」であろうか。

どうです? 禅宗寺院の門前の風景、一気に読みくだせましたか? 松枝清顕が出家した綾倉聡子との叶わぬ逢瀬のために通う、六回目の月修寺訪問のシーンである。そこが何もない場所である物語の結末への暗喩が、長文の末尾にほのみえている。

『豊饒の海』の結末とは、月修寺の門跡となった綾倉聡子が、松枝清顕の存在を否定することで、物語全体を否定することになる。いわば夢オチである。

推理小説において、主人公(探偵や刑事)が真犯人であるのは規則違反とされる。夢オチも禁じ手とされている。いずれも魅力的な手法だが、それをやってしまうとストーリーが破綻するからである。

『豊饒の海』の結末は、じつにこれなのだ。三島は月修寺の門跡(綾倉聡子)に、禁断の恋の相手である松枝清顕の存在を否定させることで、この禁じ手をみごとにやってのける。飯沼勲の転生であるタイの王女ジン・ジャンが、子供のころの記憶(前世が勲であった証言)を「何もおぼえていません」と言うのとはわけがちがう。

門跡(聡子)の言葉が真実であれば、主人公の本多すらも存在しなかったことになるのだ。門跡が言う「それも心々」とは、唯心論の真骨頂である。市ヶ谷蹶起の秘密は、じつはここに隠されている。

市ヶ谷蹶起の日に、担当編集者に最終原稿を渡した意味もここにある。それは、すべてを「なかったこと」にする企みだったのである。原稿2000枚、創作ノート23冊におよぶ大作を、夢オチで何もなかったことにする。すべては作りごとにすぎないというものだ。

どうだ、すべてお釈迦にしてやった、お前らに出来るものならやってみろ、である。この地点からは、到彼岸で高笑いしている作家の相貌が浮かぶ。三島の創作活動のすべては虚構に過ぎず、現実にあるものは割腹死だというものだ。それも、三島由紀夫であった亡骸(生首)にすぎない。作品の完結とともに、作家も居なくなってしまったのだ。われわれを置き去りにしたまま、世紀の天才はレジェンドになった。

※三島の市ヶ谷蹶起の真相については、『紙の爆弾』(2020年12月号)の「三島の標的は昭和天皇だった」を参照されたい。

※円照寺は観覧不可だが、奈良交通が年に3回、日帰りのツアーを実施しているという。↓
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298198-d8149900-r352575521-Enshoji_Temple-Nara_Nara_Prefecture_Kinki.html

「じゃらん」の案内 https://www.jalan.net/kankou/spt_29201ag2130015879/

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

伊藤詩織氏VS山口敬之氏訴訟 見過ごされている「最大のBLACK BOX」

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件に関し、私は当欄で2018年3月1日、以下のような記事を発表した。

◎伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

この件はこの頃から様々なメディアで大々的に報道されていたが、その大半は訴訟記録の閲覧という初歩的な取材すらされていないものだった。そのことを明るみに出したこの記事は、SNSなどで大きな反響を呼んだ。

訴訟はその後、東京地裁が2019年12月、伊藤氏の訴えを認め、山口氏に330万円の賠償を命じる判決を出したが、山口氏がこれを不服として控訴し、現在は東京高裁で控訴審が行なわれている。この間、私の上記記事に触発されたのか、様々な人が裁判所でこの訴訟の記録を閲覧し、インターネット上では、裁判で明らかになった事実に基づいた議論が活発になされるようになった。

もっとも、この件に関しては、まだ見過ごされている重要なことが1つある。それは、伊藤氏と山口氏の性行為がレイプにあたろうがあたるまいが、この事件には複数の被害者が存在することだ。

この事件の現場となった寿司屋とホテル、そして2人のことをホテルまで乗せたタクシーの運転手である。

◆まぎれもない被害者なのに、沈黙する人たち

まず、寿司屋。伊藤氏は「レイプドラッグを飲まされたと思っている」と公言しているが、それが事実か否かはともかく、伊藤氏が山口氏と共に店で飲食中、前後不覚の状態に陥ってトイレで寝込んでしまったことや、一緒にいた山口氏がそのような事態になるのを防げなかったことは確かだ。店が迷惑を被ったことは間違いない。

また、ホテルも事件の現場にされたばかりか、訴訟の証拠として特別に提供した防犯カメラの映像がインターネット上に流出させられる被害に遭っている。ホテルは伊藤氏と山口氏の双方に対し、「映像の使用は裁判手続きの場に限る」との誓約書を提出させていたにもかかわらず、いずれかがその誓約を破ったのである。

そして2人をホテルまで乗せたタクシーの運転手は、前後不覚になっていた伊藤氏が乗車中にシートに嘔吐し、一緒にいた山口氏がそれを防げなかったため、その日はそれ以後、営業できなかったのだという。タクシーの業務ではたまに起こることだとはいえ、運転手は当然腹が立っただろう。

伊藤氏と山口氏の2人は法廷の内外で「自分こそが被害者だ」と声高に主張し合い、お互いを批判し合っているが、2人の主張はいずれも事実関係に様々な争いがある。事実関係を検証するまでもなく、まぎれもない被害者である寿司屋、ホテル、タクシーの運転手はこの間、伊藤氏や山口の言動やそれを伝える報道をどんな思いで見つめているのだろうか。

沈黙し、何も語らない彼らの心中こそがこの事件の「最大のBLACK BOX」だと私は思う。

伊藤氏と山口氏の訴訟は現在、東京高裁で行われている

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。創業した一人出版社リミアンドテッドから新刊『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史)を発行。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

冤罪を生まないために──冤罪被害者・西山美香さんが国と滋賀県を提訴した理由〈後編〉西山さんと井戸弁護士による質疑応答 尾崎美代子

12月25日、2003年滋賀県近江市(旧湖東町)で、病院で死亡した男性患者に対する殺人罪で服役、その後再審請求裁判で無罪判決を受けた西山美香さん(40)が、国と県を相手取り、損害賠償請求を求める裁判を提訴した。提訴後、弁護士会館で開かれた記者会見で、井戸謙一弁護士より提訴の内容の概略が説明され、その後質疑応答が行われた。その会見内容を2回にわけて紹介する。前編に続き、後編の今回では記者会見での質疑応答を紹介する。なお、質問は複数の記者によるものだが、本稿では各社の名は記さない。(取材・構成=尾崎美代子)

── 国賠を闘おうと決意した理由は?

提訴後、弁護士会館で行われた記者会見

西山さん 再審で無罪判決を受けてからすぐに判断したのではなく、皆さんと協議して決めました。今でも滋賀県警は冤罪をつくるような捜査をしていて、一番偉い本部長が「捜査の違法性はない」とはっきり言えることが、私にとってはおかしくて仕方ない。そんなことで警察官をやっていたら、どんどん冤罪ができていくと思ったからです。それと12月28日は、37年冤罪で闘っておられる滋賀県の日野町事件が起きた日ですが、大阪高裁はまだ再審開始の決定をだしていません。一刻も早く決定をだし、私のように無罪判決を貰えたらと思い、私も闘う決意をしました。そして私たちのために動いてくれる獄友の桜井昌司さん、青木恵子さんらに励まされてきたので、お二人が国賠を闘っているので、私も一緒に闘っていけたらと思ったからです。

── 警察に望むことは?

西山さん 取り調べをしっかりして欲しい。脅迫したり、犯人と決めつけるのではなく、どういういきさつでどうなったかをきちんと話を聞いて捜査してほしい。逮捕したら「こいつは犯人だ」と決めつけないで欲しいということが一番です。

── 滋賀県警が謝罪しないことについては?

西山さん 滋賀県警は間違いをおかしたなら謝るべきです。だからこそ私が国賠をする意味があると思います。国賠することで、裁判所でいろんなことを明らかにしていきたいと思っています。

── 国賠を決断されたのはいつごろか?きっかけは何かを教えてください。

西山さん 日野町事件で、今年(2020年)か年度内に再審開始の決定が出ると思ったが、裁判長が変わったりしてなかなか難しいとなったので、私も裁判をして一緒に闘っていきたいと思うようになりました。秋くらいに決意しました。

── 12月25日に提訴しようと思ったのは?

西山さん 私の再審開始の決定(2017年12月20日)が大阪高裁で出て、喜びが大きかった矢先の12月25日に、検察が特別抗告したのですが、特別抗告されたら、家族がどれだけ苦しいかをわかってもらいたいと思い、25日にしたいと弁護団に言いました。

── 西山さんは、最初は静かに暮らしたいと考えていたそうですが?

西山さん 静かに生活したい、今の生活を大事にしたい思いはあります。でも私が国賠をすることで、勇気づけられる人も沢山いると思います。これまでいろんな手紙をもらいました。障害をもっている方からは「私がもし事件にまきこまれていたら、どうなったかわからない。西山さんのように訴えることはできなかったかもしれない」という手紙をもらいました。ほかに励ましの声も沢山あるので、これは国賠を闘う意義があるのではないかと思い、決断しました。

── 国賠を提訴することを、ご家族にはいつ頃はなされたのですか?

西山さん 両親は、私が(刑務所の)中にいるとき、支援を色々やってくれ、国賠をするものだと思っていたようです。私に「しなさい」と言いましたが、私は(裁判が)長くかかるし、精神的に持つかわからないからできないと言っていたので、両親は最初から国賠するつもりでした。

── 国賠では警察、検察を追求しますが、間違った判決を書いた裁判官にいいたいことは?

西山さん 私の確定審で判決を書いた裁判官は、日野町事件でも悪いことをしています。そういう裁判官をこの世の中からなくしていきたいと思っているので、その点も国賠で強く主張していきたいです。

── この訴訟は賠償請求が目的ですが、さきほどのお話では、お金を目的に訴訟をしようと思ったのではないように聞こえましたが。改めてお金の部分とそうでない部分とどちらのほうが重要とお考えでしょうか?

西山さん お金の問題ではないんです。勝つことが大事なんです。布川事件の桜井さんは国賠で勝ったでしょう。それで勇気づけられた人がいっぱいいるんです。それで裁判所も考えなければいけないと思います。大西裁判長は別の裁判では悪い判決を出しましたが、私の裁判では、真っ白い無罪判決をいただき、その上「説諭」までいただいた。「この事件を教訓に変えていかないといけない」と言ってくださいました。そこを変えるには、裁判をおこさないと変えていけない。滋賀県警はさんざん悪いことをしてきたので、国賠する意義かあると思います。

── 井戸弁護士にお聞きします。供述弱者への取り調べなどが問題になっていると話されていましたが、どういう点を裁判で明らかにしていく予定でしょうか?

井戸弁護士 捜査段階では美香さんの障害は明らかになっていなかった。その点は考慮すべきだが、ただ美香さんが、非常に性格的に弱い、自分の防御能力が弱い、そういう性格の持ち主であることと、しかも取り調べ刑事に対して恋心を抱いていることは、滋賀県警は十二分にわかっていながら、取り調べを続けていた。そういう環境が虚偽自白の温床であるということは、滋賀県警はわからないはずはない。虚偽自白を防がなくてはならないという意識があれば、まず取り調えば、こんなに好都合な環境はない。そこは警察の取り調べに対する意識の持ち方だが、たくさんいる供述弱者の方々は、ある意味警察の追っ手にかかったら、赤子の手をひねるような形で簡単に自白させてしまう。そうであってはならないという問題意識を警察も持たなくてはならないし、社会全体でそうした意識を高めていかなければならない。この訴訟がそういう契機になればと願っています。

大西裁判長の説諭は、全国の刑事司法担当者にボールを投げされたものと思っています。私自身もそのひとりですので、投げ返されたボールをそれぞれの立場で、それぞれの人間がそれをどう発展させるかを考えなくてはならない。私の立場では、この国賠訴訟で問題点を明らかにして、社会に還元していくという作業をすることが、私自身のそのボールの活かし方と思っています。

捜査機関が非を認めて謝罪してくれるのがベストですが、そこまでいかなくても、今度は民事の裁判所がその点をはっきり認定して、「こういう捜査は違法」という判断がでれば、それは今後の全国の捜査に与える影響は非常に大きいと思います。

共に国賠を闘う桜井昌司さん、青木恵子さんが、翌日の美香さんの誕生日を祝って花束を

◎冤罪を生まないために──冤罪被害者・西山美香さんが国と滋賀県を提訴した理由
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=37654
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=37660

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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冤罪を生まないために──冤罪被害者・西山美香さんが国と滋賀県を提訴した理由〈前編〉井戸謙一弁護士が語る提訴の概略 尾崎美代子

昨年12月25日、2003年滋賀県近江市(旧湖東町)で、病院で死亡した男性患者に対する殺人罪で服役、その後再審請求裁判で無罪判決を受けた西山美香さん(40)が、国と県を相手取り、損害賠償請求を求める裁判を提訴した。提訴後、弁護士会館で開かれた記者会見で、井戸謙一弁護士より提訴の内容の概略が説明され、その後質疑応答が行われた。その会見内容を2回にわけて紹介する。前編の本稿は以下、井戸弁護士が語る提訴の概略だ。(取材・構成=尾崎美代子)

滋賀県大津裁判所に入る西山美香さん(写真左から2人目)、井戸謙一弁護士ら(写真左先頭)弁護団

◆滋賀県警による違法行為

つい今しがた、西山美香さんは、国と滋賀県を相手に国家賠償請求を提訴し、書類が受理されました。その件でご報告させていただきます。何を問題にしているか、県と国のどういう行為を違法行為としているかについて申し上げます。

滋賀県の公務員である滋賀県警の警察官に対しては、大きくいうと2つの違法を主張しています。被疑者取り調べの違法が1つ目、2つ目は被疑者に有利な証拠の隠蔽です。

被疑者取り調べの違法については、

[1]取り調べを担当した山本誠刑事が、供述弱者である西山美香さんを一種のマインドコントロール下におき、思い通りの供述調書を作成した。

[2]美香さん自身は供述を否認したり、認めたりをくり返していたが、否認調書を作成せず、自白を内容とする供述の調書だけをつくって、裁判所に供述過程の理解を誤らせた。

[3]起訴後は原則として取り調べをしてはいけないのに、自白を維持させる目的で、頻繁に起訴後の取り調べを続けた。

[4]
弁護人を美香さんが信頼するのを妨害する目的で、弁護人に対する誹謗中傷などを美香さんにつげ、美香さんが弁護人を信頼できないようにしたことです。

2つ目の証拠の隠匿の違法については、

[1]平成16年3月2日付けの捜査報告書には、滋賀医大西教授自身が、「亡くなった方が痰詰まりで酸素供給が低下し、死亡した可能性が十分にある」と説明したということが書かれていたのに、これを検察官に送らなかった。それにより、検察官の適正な起訴・不起訴の判断を誤らせた。

[2]西教授が、確定審の1審で、証人として供述するにあたり、西教授に対して、この痰詰まりの可能性を否定するように働きかけた可能性があることです。

◆検察官による違法行為

検察官の違法については、大きく2つあります。

1つ目は、捜査段階での違法であり、具体的には1つ目は、起訴・不起訴を決定する権限を適切に行使しなかったことです。検察官の取り調べにおいて、美香さんの犯人性に疑うにたりる十分な事情があることを把握していながら、起訴の判断をしたということ。2つ目は、滋賀県警がさきほど申し上げたような違法な取り調べを続けていたが、そのことは検察官も十分認識していたのに、これを是正させなかったことです。

検察官の違法の2つ目の大きなくくりは、再審開始決定に対して違法に特別抗告をしたことです。なぜかというと、特別抗告をするには特別抗告理由が必要です。検察官の主張内容のうち、判例違反の主張は、明らかに不合理でした。

また、事実誤認は、高裁段階までで提出した証拠に基づいて主張しなければいけないのに、それができないから、検察官は最高裁に新たに証拠の取り調べ請求をしたのです。しかし、最高裁が新たに証拠を取り調べる可能性がないから、事実誤認の主張が通る可能性もなかった。

◆警察、検察の違法行為を具体的に明らかにするために

共に国賠を闘う桜井昌司さん、青木恵子さんが、翌日の美香さんの誕生日を祝って花束を

検察官は、最高裁が特別抗告を受け入れ、再審開始決定を取り消す具体的な見通しがないのに、特別抗告をし、これによって美香さんの雪冤を無意味に1年3ケ月遅らせたのです。本訴においては、これらの警察官、検察官の違法行為によって、美香さんが被った損害を算定した金額から、先般受け取った6,000万円弱の刑事補償金を控除した残金として4,306万3,809円を請求するということになります。

美香さんも含めて我々は、再審無罪が確定してから、国賠を提訴するか否か、ずっと検討してきました。最終的に提訴することにしたのは美香さんの決断ですが、我々弁護団としては、再審公判で警察、検察の違法行為を具体的に明らかにするということが十分にはできなかったので、この国賠によってこれを明らかにしたい。具体的な経緯、理由などを可能な限り明らかにすることによって、大西裁判長が「説諭」で言っておられたように、この刑事事件を契機にして、日本の刑事司法を良くしていく、改善していく力になりたいという思いです。

一昨日(2020年12月23日)、袴田事件で最高裁が原決定を取り消しましたが、あのなかで最高裁の裁判官5人が一致して、みそ樽の中からでてきた衣類は、発見の直前に入れられた可能性があるという認識をしました。要するに証拠の捏造です。誰がしたかというと、静岡県警しかありえない。ということは警察という組織は、自分たちがした行為の正当性を取り繕うためには、証拠の捏造までしてしまう、そういう組織であるという認識を最高裁がしたという点が重要です。

そういう体質が日本の警察に色濃く残っているのであれば、今後も冤罪事件は決してなくならない。やはりそれを変えていかなくてはならないので、そのための力に、この国賠訴訟がなることを目指し、それを願って、今後この裁判に取り組んでいきたいと思います。以上です。(後編につづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
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国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた法相・上川陽子氏に再び法務大臣職を委ねた菅内閣の思惑を考える 片岡 健

昨年は死刑執行が1件もなかったが、今年はそうはいかないだろう。私がそう予想する最大の理由は、昨年9月に発足した菅義偉内閣で上川陽子氏が法務大臣に再任されていることだ。

安倍内閣でも法務大臣の経験がある上川氏がこれまでに死刑執行を命じた人数は計16人。これは、法務省が死刑執行の公表を始めた1998年11月以降の法務大臣では最多記録だ。今回の在任中も「やる気満々」であるのは間違いない。

さらに言えば、上川氏が委ねられた「菅政権で最初の死刑執行」は、国民ウケするインパクトのあるものになるだろう。上川氏の死刑執行の実績を見ると、実際にそういう観点から執行する死刑囚を選んできたことは明らかだからだ。

死刑執行の最多記録を持つ上川陽子法務大臣(法務省HPより)

◆国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた上川氏

2015年6月、上川氏が法務大臣として初めて死刑執行を命じたのは、闇サイト殺人事件の神田司死刑囚(44)だった。この事件では、被害女性の母親が犯人たちの死刑を求める署名活動を行い、実に30万人超の署名を集めて話題になっていた。つまり上川氏は、こうした大勢の国民の期待に応える形で死刑を執行したわけだ。

上川氏が次に死刑執行を命じたのは2017年12月だが、この時に対象とした関光彦死刑囚(44)、松井喜代司死刑囚(69)はいずれも「再審請求中」だった。しかも、関死刑囚は1992年に千葉県市川市で会社員一家4人を殺害した犯行時、まだ19歳の「少年」だった。

「再審請求をしていようが、死刑は執行する」「犯行時に少年だろうが例外ではない」

そのようなメッセージが込められた死刑執行の人選も、死刑制度容認派が8割を超える日本国民の意向に沿ったものだろう。

そして上川氏の真骨頂がオウム死刑囚13人の大量執行だ。それは、2018年7月16日と同26日、2度に分けて行われた。戦後を代表する大事件の最終決算ともいうべきこの死刑執行により、それを法務大臣として担当した上川氏の名前も歴史に残ることになった。

このように国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた上川氏。それだけに「菅政権で最初の死刑執行」も国民ウケするインパクトのあるものになるだろうと私は思うのだ。

◆上川氏ならやりそうな「スピード執行」

では、上川氏が具体的にどんな死刑執行を考えているかというと……。

私は、死刑確定から1年前後の死刑囚の「スピード執行」ではないかとにらんでいる。

というのも、死刑執行については、法で「判決確定から6カ月以内にしなければならない」と定められているのに、実際はそれよりはるかに長い年月を要することが多く、「死刑執行が遅すぎる」と批判する声は多い。となると、国民ウケするインパクトのある死刑執行を行ってきた上川氏としては、速さで評価される「スピード執行」はぜひやってみたいところだろう。

かつて大教大池田小事件の宅間守元死刑囚が判決確定から約1年と異例の速さで死刑執行された際、それを肯定的に評価する声は多かった。そのことも上川氏は当然知っているはずだ。

そして昨年中に判決が確定したばかりの死刑囚たちの顔ぶれを見ると、宅間元死刑囚と同じく、法廷で無反省の言葉を連ね、自ら一審だけで裁判を終わらせた死刑囚が複数いる。そのことも私が上川氏が「スピード執行」を狙っているだろうと思う理由だ。

というより、私には、そもそも、菅政権で上川氏が最初の法務大臣に選ばれたのは、そういう特定の死刑囚の死刑を執行させたい思惑があったのではないかと思えてならない。言うまでもないことだが、ここで私が念頭に置いている「特定の死刑囚」とは、昨年3月に判決が確定した相模原障害者施設殺傷事件の植松聖死刑囚のことである。

法務省。死刑執行の手続きの多くはここで行われる

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第15話では、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二死刑囚を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

内閣官房コロナ対策室に直撃電話インタビュー 困り果てる内閣府職員の本音

「Go To」一時停止を発表した足で、宴会に向かった菅。多くの国民はあきれ果てたが、側近ともいうべき内閣官房はどのように考えているのだろうか。2020年の師走、直接電話で取材した。(取材・構成=佐野宇)

内閣官房 お電話代わりました。コロナ対策室の○○○○と申します。
佐野   恐れ入ります。お尋ねしたいのですけれども、いま大臣あるいは各省庁、都道府県知事がいろんな形でコロナについてはこういうふうにしてくれと発信していらっしゃるのですが、国としては私たち国民はどのような態度を取ればいいということを要請なさっているのか、教えていただけますでしょうか。
内閣官房 まず、10月23日に分科会が開かれまして、そこでの提言として『感染リスクが高まる5つの場面』というのが出されているんですね。その5つの場面の中に、例えば飲酒を伴う懇親会だとか、大人数で長時間におよぶ飲食とか、マスクなしの会話とか、そういったことが示されていて、政府としてもそれについて注意を呼び掛けているところです。


◎[参考動画]感染リスクが高まる「5つの場面」(内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室 2020年11月17日)

佐野   以上ですか。
内閣官房 他にどのようなことがお知りになりたいのでしょうか。
佐野   だとすると、総理大臣がそのようなことを守ってないでしょ。
内閣官房 5人以上で会食をされたということですよね。
佐野   5人以上じゃなくたって、今おっしゃった中に5人以上っていう数は入ってなかったでしょ。
内閣官房 その具体的な数については……。
佐野   5人以上ってなんか科学的に根拠があるんですか?
内閣官房 5人以上というのは、特に根拠がなくて……。
佐野   ないでしょ。飲食を控えるってことを10月何日に決まったって、おっしゃいましたよね。
内閣官房 はい。
佐野   総理大臣守ってないじゃないですか。ねえ。
内閣官房 はい。
佐野   これは内閣府の方に申し上げてもしょうがないんですけれども、総理大臣が守ってなかったら困りますよね。
内閣官房 はい。
佐野   「なんだ!」っていう話になりますよね。
内閣官房 そうですね。感染防止策についてはどのような方でも守っていただきたいと思っておりますので。
佐野   昨日、一昨日も首相の動静を見たら、夕方複数の方と飲食されてますもんね。
内閣官房 はい。
佐野   これ、国民聞かないでしょう、こんなんじゃ。むちゃくちゃパンデミック広がってるでしょ。どういうふうに収束させるおつもりなんですか、政府は。
内閣官房 引き続き感染リスクが高まる場所につきましては、こちらとしてもいろいろな場面を捉えて、呼びかけていきたいと思っております。


◎[参考動画]菅総理“マスク会食”を「徹底したい」も実践せず(ANN 2020年12月18日)

佐野   呼びかけたって、総理大臣が守らなかったら、総理大臣だけじゃなくて自民党の各派閥も昨日忘年会予定してて、急遽取りやめてるってそんな状態でしょ。政府とか国会議員の人が守る気なかったら、市民は聞きませんよ。それをどう正したらいいと思われますか。
内閣官房 それは、こちらの呼びかけが足りないということについては……
佐野   そうではないと思いますよ。一生懸命なさってると思いますよ、内閣府の方は。内閣府の方がなさっても、政治家とか大臣がそれを遵守しないということじゃないんですか。
内閣官房 はい。
佐野   とても大変な板挟み状態にいらっしゃるということではないでしょうか。今お電話に出ていただいてる方たちは。
内閣官房 個別の個人に対してここで指導するということは……。
佐野   いやいや、総理大臣は公人じゃないですか。個人じゃなくて公人だから。どこぞのおじさんがとか民間の人だったらこういうことは言いませんよ。この国権の最高権力者でしょ。その人が皆さんが言ってることを守っていなければ、それより下の人が守るわけないじゃない。簡単な理屈で。
内閣官房 はい。
佐野   それはどうお考えになりますか。
内閣官房 それは先ほど申し上げたように、こちらの呼びかけが足りない部分もあると思いますので。
佐野   われわれは聞いてますよ。国民は、そういう呼びかけがあることは聞いてますよ。だからなるべく外で食事しないように心掛けてますよ。だけど、それを発信してる上の統括者の総理大臣が、そんなことほっといて、「Go Toやめます」と言った後に宴会に行っているわけでしょ。皆さんとしてもたまらないんじゃないですか、こんなの。
内閣官房 はい。それは私が謝る立場にあるのかわからないですけれど
佐野   いえいえ違います。今お電話いただいている方に謝罪を求めているわけではないんですよ。そうではなくて、おかしいと思われませんかと聞いているだけです。
内閣官房 はい。感染リスクを高めるようなことについては控えていただきたいと思っております。
佐野   わかりました、じゃあ、内閣官房も困り果ててるというお答えでよろしいですか。
内閣官房 ……感染防止策については、実施していただきたいと思っております。
佐野   いや、菅氏の行動については、呼びかけをしているにもかかわらず、それを遵守しないので、内閣官房としては困り果ててるという答えでよろしいでしょうか。
内閣官房 すみません、私はそのようなお答はしていなかったと思うのですけれども。ただ、どのような方でも感染防止策は実施していただきたいと思っております。
佐野   彼は協力しないわけでしょ。
内閣官房 はい。
佐野   実施しないわけでしょ。
内閣官房 はい。
佐野   だったら困りませんか。
内閣官房 そうですね。
佐野   呼びかけが足らないんじゃなくて。私たちは届いていますよ、下々のものには。
内閣官房 ありがとうございます。
佐野   聞かないのは、総理大臣とかそういう人たちだけですよ。
内閣官房 はい。
佐野   それはお困りになりませんか。お困りというのは、別に憎いとかそういうことじゃなくて、お仕事上お困りにはなりませんか、そういう人が遵守してくれないのは。
内閣官房 そうですね、もし感染防止策を実施していただけないような人がいれば、していただきたいと思っております。
佐野   実施してないじゃない。10月23日の会議のことからご説明いただいたけれども、10月23日よりはるかにあとの12月の、東京都でも600人700人感染が増えている時にね、宴会に行っているわけですから。
内閣官房 はい。
佐野   それは困った人でしょ。
内閣官房 はい。ただ申し訳ございません、私個人的な意見については
佐野   個人的にお伺いしているのではなくて、内閣府として呼びかけていることに従ってくれない人ですよね。
内閣官房 そうですね、それは。
佐野   どんな職業であろうがなかろうが。
内閣官房 それは、はいその通りです。
佐野   その通りですね。はい、ありがとうございました。失礼いたします。
内閣官房 よろしくお願いいたします。

昨年12月18日加藤官房長官は「夜の会食について、感染防止策に留意しつつ継続する方向だと説明した。『感染対策と同時に、いろいろな皆さんから話を聞くのは首相にとって大切だ。批判も考慮しながら進められるだろう』」と述べた。みのもんたや王貞治と会うのが、感染対策とどういう関係があったのだろうか。またいろいろな意見を聞くのは大切であろうが、それなら公務としてなぜ昼間に会わないのか。どうして食事をしながらでなければ「意見」が聞けないのか。まったく不思議な御仁である。

▼佐野 宇(さの・さかい) http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=34

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他