波乱に波乱を重ねた大相撲の夏場所が終わった。大関稀勢の里(25=鳴戸)が、初優勝のチャンスを逃した。大関把瑠都(27=尾上)の上手投げに屈して4敗目を喫し「横綱を狙うには千載一遇の場所」を取り逃がした。いっぽうでトップの勝ち星で並んでいた平幕旭天鵬が豪栄道を下し、12勝。優勝決定戦でも栃煌山をはたきこんで初優勝を手繰り寄せた。

「横綱と6大関がそろう場所で、平幕どうしの優勝決定戦なんて場所はここ四十年なかった。本当に三役以上は稽古をしているのかね」(相撲ファン)
夏場所の当初の見どころは「鶴竜が新大関になり、6人そろった大関のだれが横綱の白大鵬に挑戦するのか」となっていた。
ところがフタを開けてみれば、白?は初日からつまずき、中日にも3連敗で10勝5敗、大関は11勝4敗の稀勢の里が最高というていたらくだ。

「琴欧洲にいたっては、大事な千秋楽に休場して、優勝争いをしている栃煌山に不戦勝を与え、場内はブーイングの嵐でした。千秋楽の最後の取り組みで、日馬富士が横綱に勝ちましたが、さして盛り上がりませんでしたね」(観戦した客)
大相撲は、大混戦で、皮肉にも連日、満員となった。千秋楽前日、千秋楽にも入りきれず外で立ち見が出るほど。

「三役以上は、もう全員、見るからに稽古不足。とくに把瑠都などはめったに稽古場で見ないがどういうことなのだろう。巡業中に、ほかの力士が稽古に明け暮れているのに、パチンコしているところを週刊誌に撮られていたが、あれが今の大関たちの状態を端的に表しているよな」(相撲ジャーナリスト)

上位に何が起こったのか。まず白鵬。初日の安美錦戦で左の指を骨折していたらしい。もはや連戦の疲れもあって精彩を欠いていた。左の上手がとれないなら、致命的だ。これは全治を期待しよう。新大関の鶴竜。新大関の場所は、パーティや挨拶まわりで稽古不足になりがちだ。まあ甘くみてあげて出直しを期待する。そのほかの大関は、期待するというのが無理というもの。相撲の基本がわかっていない。攻めにも研究のあとが見えない。はたかれたらすぐに落ちるし、ツッパリも迫力がない。

「あとは若手の妙義龍や隠岐の海に期待するしかないのですが、伸びてくるのに時間がかかるでしょうね。仮に横綱が元気がないなら、しばらくは平幕の優勝が続くのではないでしょうか」(スポーツ新聞のベテラン記者)
すると再び混戦となり、連日、満員となり、視聴率もはね上がる。皮肉なものだ。
「この夏場所は、平均視聴率が12%平均で推移している。それはそうだろう。プロの相撲評論家だって予測できないほどの混戦なんだから」(テレビ局関係者)

千秋楽の時は外出していて、電気量販店のテレビ売り場で千秋楽の優勝決定戦を見た。7、8人も集まっていたが、すべて七十歳くらいか、それ以上の老人である。これが今のファンの現実である。若い層に、まったく心が響かない力士たち。人間的な魅力もない。
「要するに、相撲文化の終わりの始まりが今年なのでしょう。横綱・大関が敗れれば視聴率があがるかもしれないが、大相撲の伝統はどうなるのか」(ファン)
大相撲はもはや説明不要なほどの日本の伝統行事である。弥生時代には『日本書紀』に人間としての力士同士の戦いの記録も見つかっている。

「力士の相撲に対する姿勢がなっていない。モンゴルからやってきて二十年も耐えしのいで優勝を手にした旭天鵬の爪の垢でも飲んだらいい」(スポーツジャーナリスト)
結論する。今の力士は、思想も、稽古も、相撲への姿勢も軽すぎる。その「軽さ」に本格的なファンは耐えられないのである。
本当の「大相撲」は、おそらく「ラスト・サムライ」であり、初日に白鵬を撃破した稀有の業師、安美錦の引退によって終わることを予言しておく。そんなにずれた予想でないはずだ。私はここ三十年、大相撲のすべての取り組みを見ているのだから。

(渋谷三七十)