「キックボクサーって引退した後、何やっているんだろう?」というファンの声。
ごく一般的な職業に就いているのが大半ですが、そんな第二の人生話を追って、数々の元選手のエピソードを大雑把に簡単ながら探ってみました。

警察官、カジノ経営、暴力団組員、タイ料理レストラン、偏屈ジャーナリスト!? 過去に実際にあったキックボクサーやムエタイボクサーのちょっと変わった再就職先です。

◆リングを去る日はすべての者にやってくる

志を持ってキックボクシングを始め、プロデビューしたキックボクサーたち、しかし志半ばで去っていく選手がほとんどで、いずれのどの選手もリングを去る日、現役を退く日がやってきます。

少なくとも現時点では、頂点に立ってもマニー・パッキャオのように億単位(円)を稼げる世界ではありませんから、さて引退後どうするのか。すでに考えている選手は多いでしょう。

「できればキック業界に残りたい」と思う選手はジムを開き、会長として運営に乗り出す選手もいます。しかし、すべての選手がジム運営に乗り出すことは業界が成り立ちません。ジム運営でなくとも、トレーナーとして後進の指導に当たりたい選手も多いと思います。そうなるとごく一般的な職業に就きつつ、副業としてトレーナーなどキックに携わる場合が多いかと思います。

逆にこの汚れた世界に嫌気をさし、もっと真っ当なビジネスで第二の人生で勝負する選手もいることでしょう。そういう様々な現状を顧みると、引退後、数々の生き方があって多方面に散らばっていったことが伺えます。

引退という時期は、長く現役を勤めて来た人ほどかなり年齢を重ねている人が多くなります。そこから大手企業就職や公務員になることは難しく、改めて何らかの技量もって社会で勝負しなければなりません。

アメリカンリーグのプロ野球選手はデビュー前に起業の準備をしていて怪我や成績不振で戦力外通告を受けるなどして引退を余儀なくされた後、その仕事に就業するという話を聞いたことありますが、デビュー10年後に現役で居られる可能性は10%未満という世界。すでにその準備が必要と言われている訳です。

それは日本プロ野球界の選手も同じ運命を背負っている訳ですが、プロボクサーやプロキックボクサーは、肉体にダメージを負う率がはるかに高いだけに同じように早めの対策が必要かもしれません。中小企業など就職先が見つかればそれでいいのかもしれませんが。

大和大地引退の日(2014年9月21日)──NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.大和大地(本名・杉下大地/大和)は初防衛後、祖父母の飲食店を受継ぐ為、家族の絆を選んだ第二の人生

◆地元名古屋で飲食店を継いだ大和大地選手

元々、キックボクサーだけで生計を立てたとしても引退後は定職に就かなければ、その蓄えだけではその後を補えません。結婚し家庭を築き一家を支えるならば尚更でしょう。

耳にする中で多いのは飲食店経営で、ムエタイ修行や観戦にタイを訪れ、タイ料理に魅せられた影響でその店を始める方も多いようです。いずれも開業資金調達と営業力、いざ始める決断力が必要となりますが、そこは一般社会人と同じこと。キックボクシングを経験した忍耐力が一般人より強く活かされることでしょう。

元・日本フェザー級チャンピオンの青山隆(小国=当時)は移動式クレープ屋やタイ・屋台ラーメン屋などいろいろな商売を頭脳プレーで展開。店を畳むのも早いが新展開もまた早い起業家でした。

NJKFスーパーフェザー級チャンピオンだった大和大地(大和)は、地元名古屋で祖父母が残してくれた飲食店を家族で守る為、一大決心してお店を継ぐことを決意し、2014年9月に引退しました。

◆撮られる側から撮る側へ──早田寛、西宗定の両選手はプロカメラマンへ転身

撮られる側から撮る側へ。元・MA日本フライ級チャンピオンの早田寛(花澤)はプロカメラマンとなり、タイを拠点にムエタイ以外にも、あらゆる分野でレポートするフォトジャーナリストとなって貪欲に大胆に走り回っています。彼の場合は中学生の頃からカメラを持って後楽園ホールに現れ、撮る側から選手になって撮られる側に回って、また撮る側にプロとして戻ってきたパターンでした。

日本フェザー級チャンピオンだった小野寺力(目黒)と対戦したこともある、西宗定(=佐久間立秋/伊原)もスポーツカメラマンとして活躍中。度々リングサイドで出逢います。

◆「上に行くほど頭を下げなさい」と教えられ、プロモーターとなった小野寺力RIKIXジム会長

RIKIX大岡山ジムに続き、百合ヶ丘支部開設した日の
披露パーティーでミット蹴りを受ける小野寺力会長。No Kick No Life興行も企画展開して、本業として軌道に乗る頃(2011年6月19日)

その小野寺力は今、注目されるプロモーターとなってNO KICK NO LIFE興行を主催するRIKIXジム会長ですが、彼は現役時代に所属した目黒ジム代表に、「上に行くほど頭を下げなさい」と、出世の基本となる謙虚な心を現役生活の中で教えられた選手でした。今のイベント成功を鑑みると、その小野寺氏を慕って集まる人々の多さに納得がいきます。

◆会社とジム運営を両立させている向山鉄也ニュージャパンキックボクシング連盟副理事

向山鉄也ニュージャパンキックボクシング連盟副理事(左)、ニモ選手(中央)、斉藤京二代表理事(右) 。かつての歴史に残る名チャンピオンが現在はNJKFを支えるコンビ。(2014年4月13日)

元・全日本ライト級~ウェルター級トップランカーのヤンガー秀樹(=鈴木秀樹/3代目ヤンガー/仙台青葉)は伊達秀騎(小国)として打撃の激しさで活躍しつつも、タイトル争奪戦で次々と倒され、王座挑戦権を得るには至らずも、タイに渡り、一般企業勤めを経て、ムエタイジムを開業。日本で勝ち獲れなかった野望を更に倍返しにして、日本人として初の、ムエタイ殿堂チャンピオンを二人輩出する偉業を達成しました。

ジム経営は順調に経営しつつ、元々目指していた職業を資格を持って続ける元選手もいます。

キングジム会長の元・日本ウェルター級チャンピオン、向山鉄也(目黒→ニシカワ)氏はデビュー前に専門学校に通い、現役時代から電気工事のアルバイトを続け、引退後も会社を設立してジム運営との両立と、ニュージャパンキックボクシング連盟副理事の立場も果たしています。

日本キック連盟ライト級チャンピオンだった小野瀬邦英(渡辺)氏は現役時から柔道整復師・鍼灸師・マッサージ師として「まんぼう鍼灸整骨院」を経営。院長として順調に経営しつつ、SQUARE-UPジムをも運営と、今は連盟主催興行担当も受け持つハードな日々です。

元・東洋太平洋スーパーミドル級チャンピオン.西澤ヨシノリ(ヨネクラ)は日本、東洋、世界と何度負けても諦めない挑戦を繰り返した努力の人。マイナー団体ながら世界も獲って47歳まで頑張った。諦めない挑戦の語り部となる今後の人生 (2016年3月12日)

プロボクサーの例ですが、元・東洋太平洋スーパーミドル級チャンピオンの西澤ヨシノリ(ヨネクラ)氏は現在、トレーナーを続けつつ、講演会に呼ばれ演説もすること多いようです。

カリスマキックボクサー、元・全日本フェザー級チャンピオンの立嶋篤史(ASSHI-PROJECT)はキックボクサーであり続けることが本業とばかりに44歳の今も現役。自らジムも運営し、選手兼オーナーを継続中。これでプロモーターも兼ねれば現役時代の伊原信一氏以来ということになりますが、そこまでは無いでしょうか。

昔、選手だったある現レフェリーに聞くと、「昔は○○組の構成員になったとか、○○組長の用心棒になったとかいう話も多かったよ」と聞き、昭和40年代から50年代は、そんな時代だったんだなと想像できますが、現在はそんな話はほとんど聞きません。現在は平和で多様化した職業があって幸せな時代と感じます。

◆生き抜く知恵と踏ん張る力

日本では難しいと思われる、タイでのムエタイボクサーの就職先も変わったものがありました。昔、日本(TBS)系に来日し、トップクラスと対戦、テレビでも放送された、日本ウェルター級チャンピオンの稲毛忠治(千葉)に壮絶なヒジ打ちのカウンターで倒されたロイロム・ソーパッシン氏は、タイでカジノを経営し成功した人。タイではカジノは禁止されていますが、暗黙のカジノは多く存在するようです。

かつて新日本キックボクシング協会に来日した元ルンピニー系ジュニアフライ級チャンピオンのグルークチャイ・ゲオサムリットは引退後、大物プロモーターの導きで警察官となって今は中佐(15の地位中、上から6番目)として勤めているといいます。

また無名のタイボクサーでもに就きやすい仕事はバンコクの大通りから各部落に入る路地の入り口に待ち構えるバイクタクシーの運転手。ほんの数十メートルから2kmぐらいまで、30円~50円程度の低料金で、一定の狭い地域では欠かせない地元の足として重宝されるビジネスであります。

どこの国に行っても、頂点を極めたトップのほんの一握りの選手しか財産を蓄えられない競技を引退した後の多くの選手は、年齢を重ねた上でまたハンディを背負って生きなければならない場合が多い中、生き抜く知恵と人脈と踏ん張る力が必要になっていくでしょう。そんなことはわかっていても、キックボクシングを続ける選手はそれだけでも特殊技術を持った幸せな人生なのかもしれません。

ここにも挑戦あるのみの人生、これが本職、不死身のキックボクサー立嶋篤史選手 (2016年3月12日)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』5月号発売中!

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7