私が心から尊敬する坂本龍一「教授」の、「たかが電気」発言を、様々な人々が叩いている。
抽象的な意味で言った言葉を叩くのは意味がない思うが、脱原発の立場からも、ちょっとまずかったかな、と思う。
電力不足になるから原発が必要、という電力会社の宣伝に乗ってしまっているからだ。
大飯原発が稼働してから、関西電力は3つの火力発電所を止めた。電力は足りているのだ。

電気が止まると、まず困るのは弱い人々だ。
エレベーターが停まると、車椅子で生活している人々は、移動が極めて困難になる。
電気は必要、原発は要らない、という主張で行かないといけない。

しかし、都会は電気を使いすぎている、というのはよく思うことだ。
日本の最西端の島、与那国に行くと、街灯も少なく夜になると真っ暗だ。
綺麗に星が見える。
ご存じのように、沖縄には原発はない。
与那国は、内燃力発電と風力発電で、電気をまかなっている。
居酒屋もスナックもあって、とても素敵な沖縄民謡を聴かせてくれる。

与那国が、楽園だというのではない。
「住んでみたいな」と言うと、「旅だからいいんだよ」と地元の人は言う。
台風がものすごいし、仕事がない。
歩いてみると、図書館も書店もなく、レンタルDVDショップもない。

与那国に原発を作ったら雇用が増えるか、と試しに考えてみるが、それはありえない。
どこの都会からも離れすぎていて、電気を送れないからだ。
バカスカ電気を使う都会があって、そこに電気を送ることによって、原発の地元はわずかな雇用と交付金を得る。
都会が地方を虐げている構図を変えないと、原発の問題は解決しない。

電気が止まったら、命が失われることもある、と電力会社は脅す。
沖縄の鳩間島には、診療所がない。米軍制下の時代にはあったが、日本に返還されてからなくなったという。
救急患者はヘリコプターで運ぶ約束になっているが、天候が悪ければヘリコプターは飛べない。
鳩間島では、天候が悪いだけでも、命が失われることもある。
それくらい、都会と地方では、環境が違う。

どうしたらいいのか。残念ながら答はない。
だが、脱原発には、地方からの視点が必要だ。
都会だけはふんだんに電気を使いたいというエゴイストが原発推進、電気は要らないというロマンチストが脱原発、という構図では、脱原発は都会人のお祭りに終わってしまうだろう。

(FY)