1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに殺害された「飯塚事件」。一貫して無実を訴えながら死刑判決を受け、08年に死刑執行された久間三千年さん(享年70)には、冤罪の疑いが根強く指摘されている。その死後、遺族が起こした再審請求は14年に福岡地裁で退けられたが、現在福岡高裁で進行中の即時抗告審が重大局面を迎えた。

5月30日に福岡市内で会見した弁護団によると、福岡高裁(林秀文裁判長)はこの日、弁護人が求めていた警察庁科警研の笠井賢太郎技官に対する尋問を実施すると決めた。この事件では、10年に再審無罪判決が出た足利事件同様に科警研がMCT118型検査という手法で行った黎明期の稚拙なDNA型鑑定が有罪の決め手だったことは有名だが、笠井技官は坂井活子技官、佐藤元技官と共にこのDNA型鑑定を行った人物だ。が、今回の尋問はDNA型鑑定ではなく、血液型鑑定に関して行われるものだという。

5月30日、福岡県弁護士会館で会見した飯塚事件再審請求弁護団

◆血液型鑑定実施の科警研技官の尋問が決定

弁護団の説明では、笠井技官は捜査段階に被害者の遺体から検出された試料について、血液型鑑定も行い、犯人が久間氏と同じB型だと結論していた。しかし、福岡地裁の再審請求審で行われた筑波大学の本田克也教授の尋問で、笠井技官が血液型鑑定の際に行うべき「裏試験」などを行っていなかったことが明らかに。即時抗告後に本田教授が行った血液型鑑定に関する実験の結果も踏まえ、福岡高裁は笠井技官の尋問を決定したという。

犯人の血液型を「AB型」だと主張している弁護団の徳田靖之弁護士は、「これで、犯人の血液型が(久間氏と同じ)B型であるという認定は崩れ、犯人は“AB型”か、“A型もしくはB型”というところまで後退するだろう。証拠構造の2つの柱のうち、MCT118型検査はすでに崩れているが、これでもう1つの柱も崩れることになる」と説明。笠井技官の尋問は、早ければ10月中に行われる見通しだが、この即時抗告審の分岐点になりそうだ。

◆また不正捜査の痕跡が明るみに

また、弁護団によると、有罪の大きな根拠とされた遺留品発見現場での目撃証言に関する重大事実も明らかになったという。というのも、再審を認めなかった福岡地裁の原決定では、事件が起きた13日後の92年3月4日、目撃証人が県警の捜査員に「紺色、後輪ダブルタイヤの車を遺留品発見現場で目撃した」と供述したとする捜査報告書が存在することを根拠に、この目撃証人が捜査員の誘導を受ける可能性のない時期から久間氏の車と特徴が同じ車を遺留品遺棄現場で目撃したように供述していたと認定されている。しかし弁護団が記録を検証したところ、実際には、その日以前に県警が犯人の車を久間氏の所有するマツダステーションワゴン・ウエストコーストに絞り込んでいたことを示す捜査報告書が存在したという。

つまり、県警は目撃証言をもとに久間氏の車を犯人の車だと特定したのではなく、久間氏の車を目撃したような証言になるように目撃証人を誘導したことを示す事実が見つかったということだ。この目撃証言はそもそも異様に詳細で、捜査員に誘導された疑いが根強く指摘されてきたが、その疑いがますます強まったと言っていい。

筆者はこの事件の再審請求の動向をずっと取材してきたが、この間、冤罪を疑わせる数々の事実と共に目の当たりにしてきたのが、こうした不正捜査の痕跡だった。それゆえに思い出さずにいられないのが、久間氏の死刑に関与した「責任者」たちを取材した時のことである。

◆取材に応じずに逃げた「責任者」たち

筆者は今年2月に上梓した編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)で、久間氏が死刑執行直前に再審無罪への思いを綴っていた遺筆や、久間氏に対する死刑執行の全過程が記録された法務省の内部文書を紹介した。それと共に、捜査や裁判、死刑執行の各段階に「責任者」として関与した警察幹部、検察幹部、裁判官、法務省幹部、法務大臣らへの直撃取材を試み、その結果をレポートした。

ただし、大半の者は適当な言い訳をして、取材に応じずに逃げるだけ。そんな中、久間氏に対する死刑執行の過程で手続きに必要な文書の名義人となっていた福岡高検の検事長経験者2人が取材に応じたが、2人は「単なる事務手続き」「昔のことなんで忘れちゃったなあ」などとあっけらかんと言った(※なお、同書では、取材対象者を全員、実名で表記している)。要するに久間氏は、不正な捜査により死刑囚へと貶められ、ろくに死刑執行の可否を検証されないままに処刑されたのだ。死刑台に上がり、首に縄をかけられた時、一体どんな思いだったろうか。

奪われた久間氏の生命はもう戻らない。しかしせめて、殺人犯の汚名を着せられた久間氏の名誉回復くらいはなされて欲しいと願わずにはいられない。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)