「事実は小説より奇なり」というのは、たしかにその通りなのだろう。生きていると、「小説でもこんなことはないだろう」と感じるような不思議な出来事にしばしば遭遇するものだ。
しかし、筆者は冤罪事件を色々取材するようになってから、この言葉にある種の胡散臭さを感じるようになった。「小説より奇なり」と感じるような「事実」を見聞きしたら、まずはその「事実」が本当に事実なのか否かを疑うべきだと思うようになったのだ。

きっかけは、和歌山カレー事件だった。この事件は14年前の発生当初、「小説より奇なり」と感じるような「事実」がマスコミでずいぶん色々報じられていた。それはたとえば、こんな「事実」である。
この事件の犯人である女性は、事件以前、夫と共謀して様々な手口で保険金詐欺を繰り返していた。その中では、夫にも何度か死亡保険金目当てでヒ素を飲ませたことがあった。夫はそのせいで何度かヒ素中毒に陥って死にかけたが、それが妻の仕業とはまったく気づかず、妻のことを疑うことすらなかった。そして夫婦は騙し取った多額の保険金で一緒に贅沢な暮らしを続けていた・・・。

とまあ、この事件に関しては発生当初、こんな夫婦の不思議な関係がまことしやかに報じられていた。この「事実」に対し、夫はなぜ、妻にヒ素を飲まされていたと気づかなかったのか? と不思議に思いつつ、「事実は小説より奇なり」と納得した人は多かったろう。
そして、一旦そう納得しまった人は、夫がのちに妻の裁判で「私は保険金を騙し取るため、自らヒ素を飲んでいた」と告白しても、この「辻褄の合う告白」が素直に受け入れられなかった。そういう人は夫の告白を信じず、「あんなひどい目に遭わされても妻をかばう夫がいるとは・・・」と再び「事実は小説より奇なり」と納得してしまった。そういう人が世間では多数派だったように思う。

この事件が冤罪だという話がだいぶ広まった今では、「それは『事実は小説より奇なり』ではなく、ただの嘘だろう。夫の告白を信じたほうが素直だろう」と気づく人も増えてきた。しかし、そうなるまでに要した年月の長さを思うと、不思議な出来事に遭遇した時、「事実は小説より奇なり」と安易に納得したり、感心するのは危ないことだと思うのだ。

ところで、この和歌山カレー事件が起きた翌年の1999年、埼玉で起きた事件が「第2の和歌山カレー事件」と呼ばれ、注目を浴びたことを覚えている人はどれほどいるだろうか? 金融業者の男性が3人の愛人女性と共謀し、保険金目的で債務者の男性2人を殺害したとされる事件のことである。
この事件に関しても当時、「小説より奇なり」と感じる「事実」がずいぶん色々報じられていた。その最たるものが「殺害の手口」だった。

なんでもマスコミ報道によれば、金融業者の男性の指示によって愛人女性たちは被害者らに対し、(1)毎日20錠以上の風邪薬を飲ませ続けた、(2)タバコの葉を煮出した湯で入れたコーヒーを飲ませ続けた、(3)みじん切りにしたトリカブトの根を仕込んだ饅頭や大福、あんぱんを毎日食べさせ続けた――などの殺害行為をはたらいたとされていた。そして、被害者の男性たちは体調を悪くして、時にゲーゲー吐いたりしながらも、与えられる風邪薬やニコチンコーヒーを飲み続け、トリカブト入りの食べ物を食べ続けた末、死んでしまったとのことだった。
と、筆者はこうして書いていても、事実がこの通りならつくづく不思議な事件だと思う。被害者の男性たちがそんなひどい目に遭わされながら逃げ出さないどころか、されるがままだったというのは、まさに「事実は小説より奇なり」だろう。

さて、この「第2の和歌山カレー事件」に関し、報じられたこれらの「事実」は本当に事実なのだろうか?
この事件の主犯格とされた金融業者の男性も和歌山カレー事件の林眞須美さん同様、一貫して無実を訴えながら数年前に死刑判決が確定し、現在は再審請求中だ。林さんと違うのは、冤罪だという声が今のところはさほど世間一般に広まっていないことだ。しかし、いざ調べてみると、この事件もやはり、報じられた「小説より奇なり」と感じられるような「事実」の数々が本当に事実なのか疑わしいことこの上ないのである。

この事件については、また別の機会にもっと踏み込んだことをお伝えしたいと思っているが、この事件の今後の動向に少しでも多くの方に注目して欲しい。

(片岡健)