すでに9月21日の、このブログでもお伝えしたように、関西の人気ラジオ番組『たね蒔きジャーナル』(MBS)が、先週9月28日(金)で終了した。
これに対して、同番組に再三登場され、反原発の立場から的確なコメントをされた小出裕章氏、また湯浅誠氏、山本太郎氏ら多くの著名人、視聴者らが異を唱え、それは全国区的な拡がりを持っていった。
最終日の28日には、わざわざ北海道から駆け付けた湯浅誠氏ら約150人の方々が参集し、番組終了を惜しんだ。

最後には、メインキャスターの水野晶子アナウンサーら番組関係者が登場し、涙ぐみながら、集まった方々を前にお礼の挨拶をされた。
……と、ここまではいいのだが、では、この”落とし前”はどうつけるのか? 水野アナウンサーらは、次に用意された番組に異動し、そのままなしくずし的に終わるつもりなのか? これだけ社会的な拡がりを持った中で、番組終了に異を唱えた方々の想いは、これで済むのか?
MBS側の一方的かつ突然の番組打ち切りに非があることは明白だし、今こそ反原発の声を代弁し続ける社会的意義があるのだから、私たちとしては、水野アナウンサーらには徹底抗戦していただきたかった。

9月21日のブログでも述べたように、約20年ほど前、水野アナウンサーは『シネマ・チップス』という番組打ち切り事件を経験されているのだから、ここはぜひ、みずからのアナウンサー人生を懸けて対峙していただきたかった。いや、対峙すべきだったと思う。
人は、その人生の中で、時に、こういう場面に遭遇する。こういう時に、どう立ち振る舞うかで、その人の人間性や人となりが露わになるのではないか。普段、まことしやかなことや綺麗ごとを言っていても、ここぞという場面で、腰砕けになれば、その人が、それまでに言ってきたことに疑問を持たざるをえなくなる。

今からでも遅くない、水野アナウンサーらは、局の不条理な圧力と断固闘うべきだ。その時、言葉と行動が一致する。
厳しいことを言うようだが、これだけ社会的な拡がりを持ってきた中で、「ありがとうございました」の一言では済まないだろう。

ところで、当社のスタッフが、MBSのコンプライアンス室の幹部B氏と名刺を交わし、「既定路線ですね?」と言うや、怒り出し「訴える!」とのたまわったという。おそらく9月21日のブログを読んでいるものと推察されるが、いやしくも報道に携わる者が、ちょっと批判されたぐらいで、なんとかの一つ覚えのように「訴える!」ということは、いかがなものか。報道関係者なら、「言論には言論で」対処すべきだろう。こんな徒輩が局にいるから、まともな番組も、お釈迦にされるのだろう。

おそらく局の幹部たちは、番組が日に日に反原発の声を強めていくことに、大口スポンサーの関西電力の”空気”を読んで、阿吽の呼吸で番組打ち切りの挙に出たものと思われる。
水野サン、これだけ多くの方々の想いを、あなたはどう理解されますか? このまま、あたかも何もなかったかのように終わるならば、私たちは、これから、あなたのまことしやかな物言いを信じることはできなくなります。
みずからの信条に則り徹底抗戦すれば、たとえ敗北したにしても、必ずや”浮かぶ瀬”もあろうし、水野晶子と『たね蒔きジャーナル』の名は、ジャーナリズム史に残ると思う。

(MT)