最近、日本企業がミャンマー(ビルマ)に経済進出するというマスコミ報道が過熱している。テレビや新聞では、軍人主導の政権が民主化したことや、豊富な資源、親日的な国民性をアピールする。こうした報道によって、ミャンマーに興味を持つ日本人が増えてきた。

ところが、実際にミャンマーに行ってみると、マスコミ報道が作り出すイメージと異なる場面が、かなりある。ここでは、ミャンマー人と結婚した日本人の私が、2012年9月、旧首都ヤンゴンでミャンマー人家族とともに生活した経験から、かの国の民主化の実態を探りたいと思う。

まず、渡航前から、私たち家族はミャンマーが完全に民主化していないことを、まざまざと実感してしまった。2012年8月、在日本ミャンマー大使館は、ミャンマー人で民主化活動家の夫にパスポートを交付しなかったのだ。
現在、ミャンマー政府は、海外に亡命した民主化活動家に対して、高学歴の一部の人間のみ入国を推進している。残りの多くの民主化活動家には、パスポートを交付していない。ミャンマーが本当に民主化したのであれば、ミャンマー大使館はすべての民主化活動家に、パスポートを交付すべきである。

さて、ミャンマー大使館でいろいろありつつも、私と娘(0歳11ヵ月)は、ミャンマーの旧首都・ヤンゴンにある夫の実家にたどり着いた。そこには夫の妹である義妹と、彼女の夫、長男(5歳)、長女(2歳)が住んでいる。加えて、住み込みの家政婦、ミーシェ(20代前半)と、義妹が経営するホームセンターの従業員男性、トウン(27歳)が同居する。つまり合計6人のミャンマー人家庭に、私と娘が転がり込んだ形だ。

住み込みのミーシェとトウンは一家の親類縁者で、ミャンマーの少数民族州、ラカイン州の出身だ。ミャンマーは多民族国家で、各少数民族が、それぞれ多く住んでいる州がある。ラカイン州はその1つだ。
かつてミャンマーの軍事政権は、マジョリティであるビルマ民族の優遇政策を取り続けた。そのため、少数民族は貧しい生活を余儀なくされている。
ミーシェやトウンもその例外ではない。地元ラカイン州で自活する手段がないため、親族のなかで経済的に豊かな夫の実家を頼り、ヤンゴンに出稼ぎに来ているのだ。
ミーシェの給与は、日本円にして月3000円。彼女たちは毎月、給与をラカイン州の実家に送金する。
義妹はたまに、ミーシェに洋服を買って渡す。「洋服を新しく買いなさい」と給与に上乗せして金をあげると、その金を実家に送金してしまうからだ。普段彼女が着るTシャツやスカートは古く、くたびれていた。
私は、ミーシェの様子から、「民主化」したと言われるミャンマーの一般人の生活が、まったく豊かになっていないことを思い知った。

ミャンマーでの暮らしは、時として電気や水を得る闘いに翻弄される。
ある朝、目覚めると、国営テレビが「本日から3日間、水道管の工事で断水します」と政府の決定を伝えている。
そういう大事な話は前日に言えばいい、と日本人の私は思う。だがミャンマー人にとっては、自国の政府が、突然、国民生活に迷惑をかけるのは、よくある話らしい。文句も言わずに、バケツや桶を抱えて井戸水を汲みにいく。路上には、水を汲んだ桶をのせ、人力車を引く人々の姿がある。
断水の間、私たちの家の水道水を汲み上げる貯水タンクには、水がほとんどなくなってしまった。私たちはタンクの底に溜まった泥水で体や顔を洗い、口をゆすいだ。

また電力が非常に弱く、停電が頻発する。クーラーのスイッチを入れて洗濯機をかけると、電力不足で洗濯機が回らないほどだ。洗濯機を使うには、クーラーを消さねばならない。

私が滞在した家庭は、ミャンマーでは富裕層に属する。それでも生活インフラは不足している。ミャンマーの「民主化」が、現地の人々の生活を豊かにするには、まだ時間がかかりそうだ。(続く)

(深山沙衣子)