野田佳彦首相(民主党代表)は、大阪のJR吹田駅前の商店街での演説で、太陽の党と合流してできた日本維新の会を「ふたまたの大蛇(おろち)だ」とこきおろした。
かつて脱原発色を出していた橋下徹と、明確な進原発の石原慎太郎の合流への「ふたまた」批判は、言い得て妙である。“暴走老人”石原慎太郎は「原発の問題は白黒で決まる問題ではない。止めたら電気料金があがり、倒産する企業が続出する」と言っている。

しかし「ふたまた」は、野田佳彦の重複立候補をも想起させる。野田は、小選挙区と比例南関東ブロックに重複立候補している。地元の小選挙区で落選しても、比例で復活できる、というわけだ。歴代の現職首相は、2000年の森喜朗以外は重複立候補を辞退している。現職首相が、地元での当選を勝ち取れないはずがない、と普通は考えるからだ。

しかし野田の地元の船橋市(千葉4区)では、市民が『野田佳彦を落選させる勝手連』を結成し、自宅や事務所に抗議をかけている。今まで、不人気の首相は多かったが、地元で落選運動が起きたのは、野田が初めてだろう。

民主党を離党し、未来の党から立候補した三宅雪子は「国民を裏切った野田総理を許せない」と、刺客となって野田を追いつめている。
現職首相の地元での落選が、現実のものとして迫っているのだ。

市民たちの怒りを買ったのは、「原発再稼働」と「消費税増税」だ。
原発に関しても、野田の「ふたまた」ぶりがうかがえる。
民主党の新戦略では「2030年代に原発ゼロ」を目指すことになったが、核燃料サイクルは維持、青森県で建設中だった大間原子力発電所の建設再開も容認、中国電力の島根原発3号機、東京電力の青森県東通原発1号機の建設も認めるという、矛盾した「ふたまた」ぶりを示している。

そもそも、最初の案は「2030年に原発ゼロ」だったが、官僚に言われて「代」を入れた。
「2030年代」は、2039年12月31日までだから、ズルズルと約10年伸びたことになる。
これが官僚得意の「霞ヶ関文学」であることを、今や、誰もが知っている。これに易々と従ったことは、野田が官僚に尻尾を振るポチであることを、満天下に示したと言える。
官僚に歪曲された末、「2030年に原発ゼロ」は閣議決定もされなかった。経済界や原発立地県の福井県、そして米国にも強い不満があったからだ。
特に、アメリカの意向に屈した、という側面が強い。
野田政権は「この戦略は原発ゼロに直結するものではない」「安全が確認された原発は、引き続き重要な電源として再稼働させていく」と米国のホワイトハウス、エネルギー省、国務省などに説明していたことも、判明している。

閣議決定されれば政府の意志となり、次期政権にも縛りがかかることになるが、それが見送られた今、それは単なる民主党の見解に過ぎない。
もはや民主党の凋落は見えているが、生き残った民主党の一部は、自公と連立を組むのでは、という噂も永田町では流れている。
そうすれば「2030年代に原発ゼロ」は空文になり、進原発に進むであろう。

今や中身は進原発の民主党。選挙民に脱原発派の印象を与えるためだけに、「2030年代に原発ゼロ」を連呼している。

(鹿砦丸)