「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」
42歳まで脚光を浴びることがなかった大女優、森光子が売れない時代に詠んだ句である。
森さんの本葬が12月7日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、石井ふく子、東山紀之ら芸能関係者やファン約2300人が、「日本のお母さん」として広く愛された国民的女優との別れを惜しんだ。
「とにかく貪欲に芸を学んでいた。ジャニーズに興味をもったのも、人気の秘密が知りたかったからです」(ファン)
森さんが大事にした「感謝」と「愛」が花言葉の花々をデザインした祭壇には、優しくほほ笑む遺影が掲げられる。モニターには2017回演じた舞台「放浪記」の映像などが映し出された。

親友の黒柳徹子は、「放浪記」で共演した時の「徹子ちゃん、好きなようにやってね。そうすれば私も変われるかもしれないから」と言われたエピソードを披露。「2000回になろうという時、まだ変わろうとしていた」と讃えた。
1992年11月、その幅広い活躍から、勲三等瑞宝章を授与される。この頃から体力の衰えを実感し、野茂英雄が通っていたジムへ行きトレーナーへ指導を仰ぎ肉体改造に着手した努力家だ。
「晩年も毎日150回のスクワットを欠かさず、エアロバイクを漕ぐなどからだを鍛えていました。そのおかげで、90歳近くまで舞台を続けられたのです」(劇団関係者)

「代表作の『放浪記』では、見せ場のでんぐり返しが、体力の衰えでできないというだけの理由で降板するかどうか悩んでいた。ホンモノの役者だった」(親交の深かった女優)

2009年には、国民栄誉賞が授与された。

享年92歳。時代を背負い続けた大女優が逝去。自分を磨き続ける精神を遺して。あまりにも存在が大きすぎた女優だった。

(鹿砦丸)