社長が夜逃げした。
予兆はあった。昨年まで社長が力を入れていた開発が失敗に終わり、大赤字を抱えてしまった。その頃から危険信号は灯っていたのだ。
元々システム開発者で、若くして会社を立ち上げた社長は、まだ30代後半。長めの髪を整えたりせず、やや長いアゴは肌荒れでカサカサになっている。金遣いが荒いところだけは社長っぽいが、専ら夜の五反田で遊ぶのが趣味だ。銀座に行くほどの貫禄はない。服装には金をかけず、安そうなチェックのシャツをよく着ている。その辺りが五反田に似合う。そのせいか夜遊び好きなのにモテない。経営には疎く、社員に任せて専ら自分の好きなシステム開発ばかりをやっている。

「会社を興すって言った時は、誰もが反対したんですよ。でも人に雇われるのがもう嫌だったから」
年上の社員もいるせいか、社長は会社の誰にも敬語で話す。もし、社長が会社を興すと言った時にその場に居たら、私も大反対しただろう。経営も総務も会計も、何も知らない人なのだ。

独学でPHP、JAVA、Cなど数々のプログラム言語を習得したのは、たいしたものだと思う。けれどそれをビジネスに結びつける術を知らない。いくつかのシステムやアプリケーションを開発しているのだが、客の評判はあまり良くない。
「社長、この操作をする時にエラーが出る可能性があるんですが」
「ああ、わかりました。気が向いたら直します」
「いや、気が向いたらじゃなくてクレームがきているんで早急にお願いします」
「はいはい、やっておきます」
そう言って少しだけ伸ばした髭をいじる。大体こういう生返事の場合は、1ヶ月ぐらい経ってから修正する。酷い時はそのまま忘れて、客から取引を止められたこともある。

だから2年前、社長が一大プロジェクトとして、携帯電話で遊べるモバイルゲームを作ると言い出した時は、10人足らずの社員の殆どが反対した。確かに、100万人ユーザーがいるというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)大手各社は、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長している。そこに展開すれば、必ず儲かるという単純な皮算用だったのだ。伸び盛りのサービスなので、SNS会社側は来るもの拒まずの体制だ。展開することは出来る。しかしパイプがあるわけでもなく、ゲーム制作のノウハウもない。社長がゲーム好きだというだけだ。ろくに広告費も出せないのに、さほど売上が出るとは思えない。

それでも言い出したら聞かない社長は、銀行から借り入れてまでサーバーを大量増築し、開発人員として小部という者を雇い、邁進していく。社長が言うには小部は「すごい人物」で、開発のアイデアは無限にストックがある、と紹介された。すごい人物のわりにはどことなく頼りなく、体格はいいが肩をすぼめて歩く。濃くなく薄くなく印象の弱い顔立ちだ。髭を伸ばしているところが唯一のアピールポイントだろうか。
ともあれもはや引き返せないと悟った他の社員達は、もう一つの業務であるWEB広告代理業で売上を伸ばして、何とか赤字の穴を埋めていた。

(続く)

※プライバシーに配慮し、社名や氏名は実際のものではありません

(戸次義寛・べっきよしひろ)