冤罪事件について書かれた本や雑誌の記事を読んでいると、冤罪被害者の書いた手紙がしばしば引用されている。それらを読んで思うのが、世論を動かして無罪を勝ち取る人や、支援の輪が広がっている人は多くの場合、人の心を動かすような手紙を書いている、ということだ。

たとえば、戦後の混乱期に山口県で起きた有名冤罪事件「八海事件」の阿藤周平氏。3人の仲間と共に身に覚えのない強盗殺人罪で逮捕・起訴されたのち、主犯格とされて一、二審で死刑判決を受けながら、最終的に無罪判決を勝ち取った人物だ。弁護人の正木ひろし氏がこの事件の冤罪性を告発し、裁判の流れに影響を与えるベストセラーとなった「裁判官 人の命は権力で奪えるものか」(光文社)の冒頭では、この阿藤氏が上告中に広島拘置所から、まだ弁護人選任前で一面識もなかった正木氏に宛てた手紙が引用されている。

その手紙の文面を見ると、いかにひどい取り調べを受けて自白に追い込まれたかということをはじめ、捜査や裁判の不当性が説得力ある文章で綴られているのだが、それだけではない。正木氏が書いた雑誌記事を読み、感動し、尊敬の念を抱いたことがてらいなく綴られているのをはじめ、文章の端々から阿藤氏の誠実さ、正木氏に対する敬意が伝わってきて、「これなら助けたくなるよなあ」と感じさせる手紙になっている。
正木氏は実際、この手紙を読んだのがきっかけで、阿藤氏をはじめとする無実の男性被告人4人の弁護人になり、無罪獲得に奔走している。阿藤氏はまさに手紙によって、自分の運命を切り開いたのだ。

この他、自宅の書棚にある冤罪本から例を挙げると、「死刑台からの生還」(著・鎌田慧/岩波書店)に出てくる財田川事件の谷口繁義さんの手紙、「逆転無罪 少年はなぜ罪に陥れられたか」(著・読売新聞大阪社会部/講談社)に出てくる大阪市貝塚のビニールハウス殺人事件の少年被告人たちの手紙もそうである。前者は裁判官、後者は新聞記者たちの関心をひき、あるいは心を動かして、ひいては雪冤のための強力な味方としているのだが(※前者の裁判官・矢野伊吉氏は弁護士に転じ、谷口氏の弁護人まで務めている)、谷口氏や少年被告人たちが書いた手紙の文面もなんともいえない透明感や誠実さを感じさせるものなのだ。

で、なぜこんな話をするかというと、筆者が付き合っている冤罪被害者の中に、手紙で損をしているように思える人がたまにいるからだ。面会して話せば、穏やかな良い人なのに、手紙を書くと、相手の気持ちを引かせるような文面になってしまう。その結果、本来なら味方になってくれそうな人間まで遠ざけてしまう。当然、支援の輪が広がったりはしない。手紙で人の心を動かせる冤罪被害者がいる一方で、そういう残念な人も現実に存在するのだ。

実際問題、犯罪者の濡れ衣を着せられて送る理不尽な獄中生活の中、人の心を打つような文章を書くのは難しいだろう。文章は、その時々の精神状態が現れるものだからだ。そういう意味では、手紙で損をしている冤罪被害者はおそらく全国に決して少なくないはずだ。そういう人にはなんとか手紙力をつけて欲しいと思い、たまに文章指導をしたりもするのだが、思うように成果が出ずに自分の無力さを痛感している次第なのである。

(片岡健)

★写真は、筆者の元に寄せられた冤罪被害者の手紙。中には、手紙で損をしているように思える人も……