死刑囚も、オナニーする。もう「女を抱く」ことは絶対に望めないだけでなく、明日にも命が絶たれるかもしれない身でありながら。
死刑囚が書いた本は、これまでに幾冊もある。だが、その心の隅々まで明かされたのは、初めてだ。
尾塚野形著『地獄で生きたる! ー死刑確定囚、煉獄の中の絶叫』(鹿砦社)が、それだ。

放出の瞬間は、こう書かれている。
「俺、いや、男子死刑囚にとっては、この数秒間だけが唯一生きていることを体感できる時なのである」
明日が分からぬ儚い身だからこそ、オナニーするのだ。

死刑がどのように執行されるかは、これまでも刑務官経験者らの著作によって書かれてきたが、それを待つ身からの描写は迫真だ。
朝、迫ってくる靴音が、自分の房の前で止まったら、最期なのだ。
「出房」と告げられて房から出されると、死刑台が待っている、というわけだ。

靴音が近づいてきたら、頼む、頼む、と一心に願うしかない。
そのまま通り過ぎていってくれたら、「その瞬間、わけの分からない涙が、まさに滂沱となって机上に流れ落ち」るのだという。

死刑囚は、自ら願い出れば、房内での軽作業をすることもできるが、懲役のように労働を強制されることはない。
命を奪う、死刑そのものが、罰だからだ。
作業がなければ、三食昼寝付きの生活だ。
節分には豆が配られ、バレンタインデーには板チョコさえもらえるという。義理チョコももらえない非モテ男性から見たら、うらやましいかもしれない。

風邪を引くと、「しんどくなったら遠慮なく報知器で担当さんに知らせるんやで」と優しく気遣ってくれる。
死刑囚に病死でもされたら、刑務官の失態になるからだ。

それでも、なんとか無期懲役に減刑してもらいたいと、恩赦を願い出ている死刑囚も多いようだ。
明日にも命がないかもしれない、という日常から、なんとか逃れたい、と思うからだ。

もちろん、同書で語っている死刑囚に、同情する必要はない。
彼は、盗みに入った家で家人に発見されてしまい、男女二人の命を奪っているのだ。
逆恨みといわれてもかまわない、地獄で生きたる、という、すさまじいまでの生への執念を、感じ取ってほしい。

(FY)