私のビジネスパートナーであるミャンマー人のNは、尻を叩かないと約束時間を守れない。しかし、Nのミャンマー国内における商業的手腕は、確かなものである。
その証拠に、ミャンマー(ビルマ)周遊旅行では、Nの選んだ宿泊施設、観光地、日本語通訳ガイドは、すべて現地で最高レベル。Nが抜かりなく、旅行の進行を指揮した。社会的インフラが不足するミャンマーで、大きなトラブルなく個人旅行ができたのは、Nが普段からミャンマー社会で地を這うような人脈を築き、それを活用しているからだ。この社会で、ものごとを進めるには、まず第一にコネがいる。第二に賄賂かもしれない。

バガン、マンダレーなど各地で雇われた日本語通訳ガイドたちは、Nに何度も頭を下げる。
「次も仕事があったら、お願いします」
ミャンマーで、日本語通訳ガイドは金になるビジネスだ。マンダレーの女性ガイドは、札幌の日本語学校に2年間留学したのち、ミャンマーに帰国してガイドになったという。彼女の身のこなしや態度から、彼女が自分の一族の稼ぎ頭になっていることがうかがえる。

日本にある日本語学校に入学したいミャンマー人は多いが、希望者全員に来日ビザが下りるわけではない。来日希望者や、支弁者と呼ばれる保証人の貯金額不足が理由で、ビザを取得できないのだ。
平均月給が5000円ほどの社会で、300万円の貯金額を用意するのは、たやすくない。それを乗り越えた彼女は、南国生まれであるにもかかわらず、北の大地、札幌で日本語を学んでいたのである。
彼女のハングリー精神は、多くのミャンマー人と同じく「親、兄弟を支えなくては」という気持ちから来ている。ミャンマーでは、家族で1人のエリートを輩出するため、ほかの親兄弟が学校も行かず、身を粉にして働いたという話を耳にする。彼女もそうした家庭にいたのだろうか、と想像したりした。

周遊旅行の道中、Nの妻、Pは日本語を学び始めた。父、母と言うところを、「アボジー、オモニー」と話している。彼女も、この国で流行している韓国ドラマを見ているらしい。そして日本と韓国の区別がついていない。ミャンマー市井の人々の日本への理解度は、しょせんこんなもんかと実感した。トヨタやパナソニックに親しみを覚え、スシを知っている程度である。

日本のマスコミが「ミャンマー人は親日的」と単純に書きたてているが、この国で、親日と言うほど日本を詳しく知る人間は、そこまで多くない。
たしかに中国企業に搾取されたミャンマーで、日本企業は紳士的な外国資本として歓迎されている。日本人に好意を持つ人もいる。一方で、ミャンマー人と結婚して親族になった私には、太平洋戦争時に日本がこの国を植民地支配して、日本の兵隊がどんな残酷な振る舞いをしたかも耳に入る。

個人差もあるだろうが、ミャンマー人の「親日感」は、さまざまな感情を含んだ、幾層にも重なりあった織物のようなものかもしれない。何色の織物をまとっているのか、人によって違う。しかし柔和な物腰で本音が読みきれず、誰もが「親日的」な上着を来ているように見える。

ミャンマー人が日本の植民地支配にあまり言及しないのは、日本軍より1962年から始まった軍事政権の残酷な支配のほうが、記憶に新しいからだ。彼らが太平洋戦争時の記憶を忘れたわけではない。
「ミャンマーは中国と違って、親日だから」
ミャンマーの「民主化」と市場開放の波に乗って、この地に進出を考える日本人がこう言うのを聞くたびに、私は少し違和感を覚える。日本のマスコミに作られたミャンマーの「親日感」こそ、日本人の忘れっぽさの証ではないかと。

(続く)

【写真キャプション】
ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ内にて

(文・写真:深山沙衣子)

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