私のミャンマー(ビルマ)周遊旅行に付き添ったビジネスパートナーNの妻、Pは、ミャンマー政府の高官だった父を持つ。彼女の父は、数十年前、ミャンマーのある地域の特定業界において、絶大な権力を持っていた。その地域で大きな建設が行われる際、工事を請け負いたい業者がPの家を必ず訪れ、付け届けをした。
「ミャンマーでは、金ですべてが何とかなる」
ミャンマー人の夫がよく言う。この社会に横行する賄賂の有り様を表したセリフだ。
Pの父は、業者が持参する付け届けを受け取り、さらに軍事政権から支払われた工事費の一部を着服して、Pになに一つ不自由させない裕福な生活を送らせた。彼女はミャンマー軍事政権が生み出した、ごく一部の富裕層に属している。

Pは、彼女の属する階級では珍しく、親が勧める社会的につりあいの取れた見合い相手ではなく、みずから選んだ男性Nと恋愛結婚をした。
彼女の育ってきた環境を思うと、私に100万円の借金をしたNをかばって、「夫にこれ以上、仕事をさせないで」と言ったことも分かるような気はする(デジタル鹿砦社通信 当シリーズ3参照)。
しかし日本の中産階級で育った私は、Pのような金持ちの娘と付き合った経験がない。だから彼女の言動は世間知らずに思えた。逆にPの目にうつる私は、常にあくせくして、彼女の夫をこき使う、ハングリーすぎる女なのかもしれない。
この旅行中、Pは耳、首、腕に、大粒のダイヤモンドを身につけていた。彼女のアクセサリーに比べて、日本の高級デパートに陳列するダイヤモンドは、とても小さかった。

バガンはミャンマー最大の観光地だ。11~13世紀に建立された仏教遺跡が数多く残っている。特にアーナンダ寺院内の黄金の仏像や、巨大な仏塔のあるシュエズィーゴン・パヤーは、息をのむ美しさだ。
有名寺院にいくと、10歳くらいの子が何人かいる。学校も行かずに、片言の英語や日本語を駆使して、ハガキや絵画を売る。なかには、
「この寺院の歴史を説明しますよ」
とガイドを買って出る子もいる。売り込みの最後には必ず、こう言う。
「ラペッイエボウ ペーバーオウン(お茶代をいただけますか)」
ミャンマーで働く子は「マネー」と直接的な言葉を使わず、「お茶代」と言う。ミャンマー社会の人々の奥ゆかしさから来る表現か、などと思ったりする。
「どこで、そのセリフを覚えたの?」
「親から教わりました」
後から聞いたところ、ミャンマーの一般人が賄賂について話すときも、お茶代うんぬんと語られるという。金持ちがこの話題を持ち出すときは、「お茶代」から「プレゼント代」と表現が変わる。
子どもたちは、私たちが寺院内を周るのについてきた。だが、
「ここは許可のある人以外、出入り禁止だ!」
と寺院の警備係に怒鳴られると、雲の子を散らすようにいなくなった。

一方、Pはこういう子たちに全く関心を示さない。見慣れているのかもしれない。同じ国に住みながら、Pと、寺院で稼ぐ子たちの生活環境は違いすぎる。
Pは信心深い仏教徒で、寺院では仏像の前にひざまずき、熱心に家族の安寧を祈る。寄進もする。なんだかんだ腹に一物あったとしても、私に親切にしてくれる。裕福な人間の多くがそうであるように、彼女は基本的に善良だ。ただ、自分より恵まれていない環境にいる人の気持ちを、理解しようとはしない。
「ミャンマーでは、賄賂が悪だと認識されない。国民全体が行っていて、誰も裁けないから」
かつて夫が言っていた言葉を思い出した。そして夫とよく似た、Pの父の顔も。Pの父は、夫の叔父にあたる。Pは、私の義理のいとこなのだ。
(続く)

【写真キャプション】
バガンの遺跡群

(文・写真:深山沙衣子)

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