ミャンマーの『民主化』は本当か!? ヤンゴンで生活してみた 3

日本では第二次世界大戦後、家庭崩壊も弱者救済も無視してモーレツに仕事をし、国家発展に尽くすのが美徳だった。今もその風潮は息づいている。だから日本人が東南アジアに行くと、そこに住む人々が、仕事熱心でないと見えてしまう。

東南アジアの西にあるミャンマーの職業観は、そもそも日本で語られる「仕事」という言葉のとらえ方が違うように思う。かの国の仕事とは、一生懸命働くというより、のんびり、やるべきことをこなそうといった意識である。
そして「願わくば、あまり労力を使わないで利益を獲得したい」とまじめに考えている人が、確実に存在する。

私がヤンゴンで出会った携帯電話を販売するビジネスマンは、「昔の方が、仕事は断然良かったね」と過去を懐かしむ。過去とは、市場開放されず、海外資本の参入が制限されていた時期だ。
当時、ミャンマーの貿易相手国は主に中国だった。彼は中国から、本物そっくりなiPhoneのニセモノなどの携帯電話を輸入・販売していた。携帯電話が普及し始めた頃、ミャンマーでの携帯電話の契約代は1台50万円ほど。さらに中国製の海賊製品本体は8万円ほどだったという。この商売で、彼は大きな利幅を得られた。
ところが市場開放により、本物のiPhoneがミャンマーで出回るようになった。それで儲けが大分減ったのだ。

本物のiPhoneを入手できるほうが、ミャンマー国民にとって利があるはずだが、彼はミャンマー国民の総合的な幸福など考えていない。ただ、市場競争下で、あくせく働くのがいやなのだ。
ただし、これは彼の職業観に限った話で、彼自身の人柄は良く、仲間からの人望もある。人柄の良さと仕事に対する非社会性が、一人の人間の中で共存する。これこそ、ミャンマー人の独特な人間性だと思う。

また、私は日本・ミャンマー間の貿易業を営んでいるが、一緒に働くミャンマー人のうち、数人は、仕事のプレッシャーにすごぶる弱い。
商売上、私はあるミャンマー人の借金を100万円近く肩代わりした。ところが、金を借りている当人の妻が出てきて、「うちの夫を、これ以上働かせないで」と言う。「時間を正確に守って仕事をしろとは、厳しすぎる」らしい。
日本なら、「時間厳守できないなら、給料を減給する」と言われるだろう。だが、こんな考え方を持っている自分は、ミャンマー社会で浮いてしまう。
「ならば、あなたは夫の借金をどうやって返済するつもりなのか。時間を守り、客である日本人の要求に応えずして、利益が発生すると考えているのか?」と問いただしたいが、彼女にそんな考えがないのは分かっている。彼女はただ、そこまで熱心に仕事をしなくても、金を入手できると思っているだけだ。そして資本主義社会の激烈な市場競争を知らない。
こうした職業観は、かつてミャンマーが、ビルマ式社会主義という社会主義体制をとったことに関係する。
この体制下で、人々は、少々ながらも、配給により食料や生活必需品を得ていた。働かずして食べることができる時代に幼少期を過ごしたことが、彼らの職業観の形成に影響している可能性はある。
もちろんミャンマー人といっても様々で、愚直に働いている人間もたくさんいる。ただし、今のところ、愚直さが報われる社会ではない。依然として、政府機関へのコネや賄賂なくして、商売は進まない。

「民主化と市場開放が進むミャンマー」という、マスコミの言葉に惑わされないでほしい。自分の目でミャンマーを見ると、別の景色が見えてくる。
ミャンマー社会と、そこに住む人々の多面性は、「民主化」という一語で表せるものではない。アジア最後のゴールドラッシュを期待される地では、利権獲得以上に、魅力的な人々との出会いがあるはずだ。(続く)

【写真キャプション】
ミャンマー第二の都市、マンダレーの機織工場にて。機織り機に民主化勢力NLDの旗印とアウンサンスーチー氏を貼り付けていた。

(文・写真撮影:深山沙衣子)

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