昨年10月12日午後10時過ぎ、反骨と反権力の映画監督、若松孝二氏(本名・伊藤孝)が、新宿区内藤町でタクシーに撥ねられ、同月17日に病院で亡くなった事故について、新たに重大な新事実が発覚したので報告したい。
監督を撥ねたタクシーには、男2人、女2人の計4人もの乗客が乗っていた事が判明したのだ。
監督の遺族が、監督を撥ねたタクシー運転手の勤務する日興自動車交通に、ドライブレーコーダー(車の前方映像とスピード等を記録する)の動画映像を見に行った際、防犯用の車載カメラ(車内の様子を撮すカメラ)の映像も見せられたが、この車載カメラの映像には、前述した通り4人の乗客の姿が映っていたという。

事故を捜査する四谷警察署は、この重要な情報を遺族にも説明していなかったという。(監督が搬送された病院で、タクシーに乗客がいたようだと警官が言っていたのを聞いた関係者もいるらしいが、その後は遺族が捜査担当者に目撃者情報を尋ねても、タクシーに乗っていた乗客についての説明は、まったくなかったという)
現時点で、四谷警察署の交通捜査課が、タクシーに乗っていた4人の乗客から調書を録っていたのか、4人の現在の連絡先を把握しているのかは分からない。
四谷警察署に取材したという新聞の報道では、命に別条はないと報道された翌日に若松監督が死亡するなど、警察が若松監督の事故について正確な情報をマスコミに流していないという印象があったが、今回、監督を撥ねたタクシーに4人も乗客が乗っていた事が分かり、その印象は決定的になったと言えるのではないか。

『紙の爆弾』3月号に書いていた通り、四谷警察署に取材した際、「目撃者はいたのか?」という質問に対し、応対した警官が「なんでそんな事を聞くんだ。目撃者に圧力でもかけるつもりかっ」と興奮した理由も、監督を撥ねたタクシーに乗っていた4人の乗客と関係があるかも知れないのだ。
タクシーに4人も乗客が乗っていて事故を目撃していたのなら、前回も指摘した意味のない立て看板を車道に向けて立てて、目撃者情報を呼びかける必要など、そもそもなかったはずだ。また事故の捜査がこれほど長引くのも奇妙だと言えよう。タクシーに乗っていた乗客の証言が得られなかったのか、証言が得られたとしても、採用出来ないような何らかの理由があったのか、どちらかだろう。

いずれにせよ、四谷警察署が監督の事故に関する捜査情報をマスコミや遺族にも隠し、事故そのものが風化するのを待っているような気がする。
ちなみに『紙の爆弾』3月号で、監督と別れた人物の携帯電話の記録から、監督が事故現場の近くで車を降りた時刻と、事故に遭った時刻に40分の空白の時間があると書いたが、この証言を行なった人物は「自分の勘違いなのかも知れない」と言っているという。
若松プロの関係者に頼んで、証言を行なった人物から、直に事故当日の話が聞けないか、頼んでいるところだ。
事故当日の晩、若松監督は新宿2丁目の蕎麦屋で仕事仲間と会合した後、タクシーに乗って帰宅するのだが、自宅からはまだかなりの距離のある事故現場の近くで車を降りている。この時、監督と一緒にタクシーに乗っていた同乗者が、「いま監督を下ろした」と蕎麦屋で別れた友人に携帯電話で連絡していたという。
この時の通話時刻から、監督が車を降りてから、事故が起きるまでの間に40分の空白の時間があると思われていたのだが、証言者が「自分の思い違いだったかも知れない」と言っているのだ。
通話記録の時間が残っていれば、はっきりすると思われるので確認する必要があるだろう。
いずれにせよ、若松孝二監督の事故死には、単純な交通事故とは、言い切れない何かががあるのだ。

(高田欽一)

いまだ闇に包まれたまま、若松孝二監督の死