2018年11月22日付け京都新聞より

〈京都府南丹市が11月24日に開催予定だった精神科医・香山リカさんの子育て応援講演会で、催しへの妨害を示唆する予告を受けて講演者を差し替えていたことが11月22日、分かった。香山さんは京都新聞の取材に「行政が脅しに屈してはならない。前例を作ってしまうことになりかねず、毅然(きぜん)とした態度を示してほしかった」と憤っている。〉(2018年11月22日付け京都新聞

香山リカ氏と鹿砦社は、現在神原元弁護士が香山リカ氏の代理人に就任し「連絡は代理人を通し本人に直接しないよう」要請されている。ところで香山氏はM君控訴審判決後に下記の書き込みを行っている(判決文に「『リンチ』ですらなかった」などとの文言はない。恒例の虚偽発信である)。自身は代理人を立て、鹿砦社(あるいは特別取材班)からの香山氏への直接の意見要請や取材、抗議などに対しては代理人を通せと求めながら(つまり防御壁を作り)、他方では次のような無責任な意見表明をツイートしている。「鹿砦社の責任は重い」だって!? M君に筆舌に尽くし難い傷(リンチ直後のM君の顔写真を見よ!)を負わせ今でもその後遺症に苦しむM君の気持ちを省みることなく、防御壁の向こう側(=安全地帯)からいい加減なことは言わないでいただきたい。いやしくも香山氏は精神科医なのだから、本来なら被害者に寄り添い慰撫すべきではないのか!? 万歩譲って「リンチ事件」という言葉の解釈はひとまず置いても、現実にM君は肉体的にも精神的に大きな傷を負ったことは消せない事実なのだから、まずはこの厳然たる事実をしかと凝視すべきではないのか!? そういう意味で被害者M君の気持ちを蔑ろにし暴行・傷害をなかったことにする香山氏の「責任は重い」。意見表明などは直接香山氏本人にしないようとのことなので、この場を借りて抗議しておく。

香山リカ氏の2018年10月19日付けツイッターより

まあ、こういうことを香山氏は過去何度も行っているので、小さいことは、この際問題にはしない。それよりもはるかに大きな警鐘が鳴らされたのだから。

上記、京都新聞の記事によれば、南丹市は「電話で5件、来庁で1件」の開催に対する反対意見によって香山氏のイベントを中止している。たった6件だ。それだけの反対意見でイベントが開催できなくなれば、行政が主催するイベントの多くは開催不可能になるだろう。どのようなテーマにせよ意見は様々にあって何の不思議もないわけだが、「反対意見」が6件あっただけで開催を断念してしまっていれば、いとも簡単にイベントは潰されることになる。

そして、香山氏の講演会中止は、あくまでも個人的な抗議・反対意見が根拠にされているようであるが、これが組織的で数がけた違いに多くなれば、より確実に主催者はビビり、開催を躊躇するであろうことは想像に難くない。

日ごろ香山氏の発信する内容の多くに、取材班は違和感を覚え、同意しない。しかし、だからといって、このような形の「言論封殺」がなされることには明確に反対であることを表明する。どのような意見であろうが、どのような論者であろうが、右であれ左であれ、表現を「脅し」によって規制されることがあってはならないと、取材班は考える。ましてや、言論を規制する「法律」や「条令」などにより規制が行われることには、絶対に反対である。

このように述べると「反しばき隊」のはずの取材班はどうした?と思われる向きもあるかもしれない。しかしそれは問題の表層しか見ていない考え方である。われわれは「あらゆる表現規制に反対する」。このことにおいて原則的である。今回香山氏の講演会が中止されたのは「法律」や「条令」によってではなく、もっぱら反対意見の申出があった(それもわずか6件だけ)ことによるものであるらしいが、同様のケースは過去いくつか記憶がある。

ろくでなし子さんがアムネスティ日本での会合が予定されたときにも、同様の反対意見が電話やメールで多数寄せられ、いったんは「中止が宣言」されたが、取材班もアムネスティ日本に電話で「中止すべきではない」と具申し、結局ろくでなし子さんご本人とアムネスティ日本の話し合いの結果、会合は実施されることになった。当時アムネスティ日本に寄せられた反対意見には「レイシストだから」という人物評価が多数あったと担当者から伺った。どういう人たちがアムネスティ日本に反対したのかはわからない。今回丹南市に抗議した人たちの一部は、右派の人であろうことはその発言から推測できる。たとえろくでなし子さんであろうが香山氏であろうが、集会の自由は保証されるべきである。ろくでなし子さんの集会はダメで、香山氏の集会はいいということにはならないし、逆にろくでなし子さんの集会はよくて、香山氏の集会はダメということにもならない。

繰り返すが、この程度の反対や異議(場合によっては「脅迫」)があろうと、講演会は予定通りに実施されるべきであった。なぜならばそれが「言論の自由」の具現化に他ならないからだ。ある考え・思想には当然異議のある人がいる。当たり前だ。反対する人は、反対の意見を表現すればよいだけのことで(講演会場での妨害など妥当でない方法での反論は除く)あり、双方の意見は尊重されるべきである。それが憲法21条に記された、言論の自由、表現の自由、集会の自由だ。

言論・表現の自由に、例外を設けることに取材班は反対する。その理由は「香山氏講演会中止事件」を見ても明らかなように、言論には言論で対抗する場が保証されなければ、恣意的な運用や規制をどんどん招き入れてしまうからだ。

繰り返し強調するが、取材班ならびに鹿砦社はあらゆる差別に反対である。しかし差別は人の心に宿るものである。人の心は法律では縛れない、縛るべきではないと考える。成立した「ヘイトスピーチ対策法」さらには、現在議論されている「差別に関する規制法」(仮称)は、権力による恣意的な運用が極めて高い確度で予想されることから、われわれは反対である。

意見・主張の立場を問わず、「自由にモノが言えなくなる社会」をこれ以上進めてはならない。

(鹿砦社特別取材班)

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541