◎[参考動画]あおり運転で大学生殺害 元警備員の男に懲役16年(ANNnewsCH 2019/01/25)

司法の重刑化には反対の立場だが、この事件は特筆しておかなければならないだろう。大阪府堺市で起きた煽り運転の裁判である。公判では煽り運転をした「未必の故意の殺人」とする検察側の事実関係がみとめられ、懲役16年の実刑判決がくだった(求刑18年)。

事実関係をたどっておこう。昨年7月2日の午後7時35分ごろ、被害者(22歳の大学生)が乗った大型バイクに追い抜かれた被告(40歳)が腹を立てて、パッシングをするなど煽り運転をしている。クラクションやハイビームで煽ったうえ、時速100キロで約1キロメートル追跡し、最後は96キロで追突したのである。15秒後に「はい、おしまい」とつぶやいた被告の言葉が、ドライブレコーダーに残されている。速度制限60キロの一般道での出来事である。

裁判で争点になったのは、殺意があったかどうかである。被告側弁護人は「被告には殺人の動機がない」「殺意はなかった」と検察側に反論している。そこで「死んでしまっても仕方がない」すなわち、相手が死ぬかもしれないと認識して、その行為を行なった、という未必の故意が成立するかどうかである。

被告が車線変更をして被害者を追跡しているのは事実であり、追突の直前にブレーキをかけたとはいえ、速度は4キロしか低減していない。

結果的に「殺人事件」となったことで、自動車が法的にも凶器とみとめられたことになる。これは画期的と言っておくべきことだろう。わたしは10年前に自動車から自転車に乗り換えた。自分の健康と環境問題という意識もあったが、それよりも自動車が危険な乗り物だという認識からである。時速100キロというスピードは、一秒間に27メートルも進んでしまうのだ。それが標準速度である高速道路は、生死をかけた場所といわなければならないはずだ。じっさいに、初心者教習で高速道路に出た教習者は、口をそろえて「怖かったですねぇ」という感想をもつはずだ。27メートルをわずか一秒で判断し、処理する能力を誰もが持っているわけではない。そのスピードは今回の事故でわかったとおり、一般道でもふつうに行われているのだ。

◆なぜ危険運転致死罪ではなかったのか

懲役18年と、量刑的にはほぼ同じになったが、6月に起きた東名高速での煽り運転事故では、自動車危険運転致死罪が適用されている。煽って走路妨害をしたうえ、追い越し車線でクルマから降ろして暴行をふるい、さらには後続車の衝突によって2人を死なせた「事件」である。この事故の場合にも「走行中の車両が衝突して、死んでしまう可能性」は認識されていたはずだ。いや、仮にそういう認識がなかったとしても、客観的にみて認識できるはずだという評価は可能であろう。にもかかわらず、殺人罪の適用を見送ったことは、検察庁に失策として記憶されていたのではないだろうか。今回の判決が判例(上訴審での最終判決)になれば、交通行政に与える影響も少なくない。

自動車免許は筆記試験では30%前後の不合格率があり、それなりに交通法規の遵守が講じられている。そのいっぽうで、適性検査および運転時の心理カウンセリングはないがしろにされている。今回の事故も東名高速の事故も、加害者の「カッとなった」末に起きた事件、事故である。さらには、合宿免許やオートマ免許によって、免許取得は容易になっているとみるべきであろう。

◆自動車社会への警鐘になるか

自動車運転は「自我の拡張」という人格変化の現象をともなう。たとえば高級車に乗ればゆったりとした運転で、コクピットでの気分も落ち着いたものになる。スポーツカーや高速走行に適したエンジンを搭載したクルマの場合、いつもよりも攻撃的な運転になるし、大型トラックでは居丈高な態度になりがちだという。いつもは排気量の大きいクルマで高速道路をかっ飛ばしている人も、軽自動車で買い物にいくときは街をゆっくりと走る。自動車が運転する人の自我を決める、自我の拡張行為がそこにはあるのだ。そういう観点から、煽り運転の防止は、厳罰化だけでは達成できないのである。

今後、完全な自動運転化が進むとして、その場合の事故は誰が責任をとるのか、今回の判決で「自動車は凶器」と認められた以上、自動車社会は新たな課題を与えられたといえよう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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