小室圭さんがフォーダム大学のロースクールで学位を取得し、来年度からの弁護士基礎コース(英語で受講)に備えて、夏休みを返上して講座を受けることになった。夏休みを大学で過ごすことで、母親の借金問題を「先送りした」と批判的に報じられている。


◎[参考動画]小室圭さん 卒業式は欠席 夏休みも日本に戻らず?(ANNnewsCH 2019/5/21公開)

テレビのワイド番組は、アメリカ留学事情と併せて、覗き見的に小室氏の動向を報じているが、大半の視点は借金問題でのバッシングである。皇室の子女に「ふさわしからぬお相手」というわけだが、視聴者は必ずしもそうではない。眞子内親王と小室氏の結婚を支持するというアンケート結果が出ているのだ。

テレビ朝日のモーニングショーの街頭アンケートでは、100人中で「応援できない」は、わずか19人だった。「応援できる」が42人、金銭問題の解決が条件で39人である。じつに80%の人々が二人の結婚を応援しているのだ。言うまでもなく、恋愛・結婚は個人の意思によるものだという、近代的な人権感覚による自由恋愛を支持するからであろう。昨年の秋篠宮の「納采の儀」の延期、上太皇后による不快感という報道にもかかわらず、自由恋愛を認めよという「世論」が圧倒的なのである。

本欄でも触れたとおり、秋からの女性宮家の創出、女性天皇および女系天皇の可否をめぐる議論に、小室氏問題は大きな比重を占めてくる。すなわち、天皇家に皇統以外の男子の血が入ることを、たとえば安倍総理は蛇蝎のごとく嫌っている。その象徴として、小室氏のような母親に借金がある男が皇族になってもいいのか。というロジックが浮き彫りになるのだ。ただし、議論の前提として女系女性天皇(元明女帝の娘である元正天皇)女系男性天皇(元正の弟の文武天皇)が皇統に存在することは、あらためて指摘しておきたい。

◆自由恋愛の禁止は、憲法違反である

象徴天皇制の矛盾として、対米関係で指摘されているのが憲法9条との安保バーター論がある。現人神から人間天皇となり軍備を持たない代わりに、安保条約で「日本を属国化」したというものだ。沖縄の現実を考えるごとに、この象徴天皇制が日米安保とリンクしているのは明白となってくる。国家の暴力装置を米軍にたよる、わが国は半植民地なのである。もうひとつ、人間天皇自体の矛盾である。人間でありながら、あらかじめ一般国民とは分離された、特権的な身分を持った存在なのである。であるがゆえに、基本的人権があるのかどうか、よくわからない存在なのだといえよう。憲法上はどう考えたらいいのだろうか。憲法学者の横田耕一九大名誉教授は、こう語っている。

「根本的に、皇族に人権を認めるかについては議論がありますが、私は認めるという立場です。よって皇族女子の結婚は自由でいいと考えます」

「結婚は、あくまでもご本人たちの自由意思によります。お相手の小室圭さんについて色々言われているからといって、お二人の結婚に何らかの制約をすることは憲法違反となるのです」

「象徴天皇制において『象徴』とされるのはあくまで天皇だけで、皇族はそれに含まないというのが私の考えです。眞子さまの結婚に関しても、皇族という概念を持ち出す必要はなく、あくまで個人のこととして扱われると思います」(以上「女性自身」5月3日)。

横田氏の立場は、天皇(国民の総意としての象徴)いがいの皇族には、基本的人権が適用されるべきというものだ。おそらく国民レベルの意識では、天皇もふくめて基本的人権はあるべきだというものではないか。2016年8月8日の平成天皇の「お言葉」つまり、退位の自由を国民に訴えたのを、国民は厚意的に受け容れたことが、その証左である。

かりに眞子内親王と小室氏の結婚に、一億円の一時金(税金)が支障になるのなら、それを放棄すれば国民は納得するのだろうか。元皇族の品位を保つのがその目的なのだから、おそらく放棄しなくとも国民の多数は納得するはずだ。筆者のように天皇制に反対する立場であっても、この婚姻で象徴天皇制の矛盾が露呈し、あるいは皇族の減少で政治と天皇家の分離に向けた議論が始まるのを期待したい。その意味では、小室氏と眞子内親王の婚儀は、ぜひとも自由恋愛の立場から貫かれるべきだと思う。いまの若者たちが恋愛で傷付くのを忌避するように、恋愛というものが美しいロマンばかりではなく、政治(制度)や社会(差別など)の制約と戦い、勝ち取られるものだということを、ぜひとも眞子内親王と小室圭氏には実践していただきたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』