2013年10月28日、中国・北京市中心部の天安門で、車が歩道に突っ込んで炎上、5人が死亡し、日本人を含む38人が負傷する事件が発生した。
この事件は、中国から独立を目指すウイグル独立派による「自爆テロ」だと言われている。
ウイグルは本来、〃東トルキスタン〃というのが正式な呼び名であり、ウイグル人は、トルコ人と同じチュルク系民族だ。

その東トルキスタンは、11月11日に独立記念日を迎え、海外に亡命しているウイグル人たちは、この東トルキスタン独立記念日を亡命した各地で祝う式典を開催する。
今回の天安門へ特攻したウイグル人のグループは、まさに東トルキスタン独立を北京で祝う〃祝砲〃だった。

また11月9日からは人民代表大会が開催される。
1世紀以上中国の植民地支配で東トルキスタンは、中国共産党政府によるウイグル人に対する弾圧の歴史に苦しんでいる。
1958~60年にかけての大躍進政策による中国全土で起こった飢饉の際、新疆ウイグル自治区だけでも数千万人が餓死している。
その後の1960年代後半に起こった文化大革命では、新疆ウイグル自治区のモスクが破壊されたり暴力行為が頻発したりして、大混乱が生じている。
また、中国共産党政府は、新疆ウイグル自治区を核実験場として使い、大勢のウイグル人が被曝し、白血病やがんなどに冒され、数百万人のウイグル人に健康被害が生じている。
さらに新疆ウイグル自治区の石油などの天然資源が中国共産党政府によって採取される。
また、ウイグル人はウイグル語という独自の言語を持つのに、学校の授業は中国語(北京語)で行われるなど、中国共産党による対ウイグル政策の不満がウイグル人たちの間に蓄積し、ウイグル人たちは常に大規模な暴動が起こし、東トルキスタン独立を叫んでいる。

1997年2月5日から6日にかけてには、新疆ウイグル自治区にある都市・グルジャで、
東トルキスタン独立を求めるウイグル人がデモを起こした。
これに対して中共政府は、武力で弾圧し、ウイグル人が百人以上虐殺されている。
2009年7月5日に新疆ウイグル自治区のウルムチ市で生じた、大規模な東トルキスタン独立運動は、6月26日に広東省にある玩具工場で起こった漢民族とウイグル人の従業員同士の乱闘がきっかけであった。
同玩具工場の乱闘では、118人が負傷し、その内16人は重傷、そして救急車が述べ46台も出動する大事件だった。また死者も2人出ている。
広東省での乱闘をきっかけに、新疆ウイグル自治区のウイグル族間で漢民族への不満が爆発した。
7月5日に生じたウイグル人の中共政府に対する抗議活動には数千人のウイグル人が参加している。
これに対して中共当局は武装警察部隊を派遣して鎮圧、ウイグル人と武装警察が衝突し数百人が死亡した。
世界各国のウイグル人を代表する組織である世界ウイグル会議は、「600~800人」が虐殺されたと推定している。
その後、武装警察部隊によってウイグル人が次々と拘束され、一旦は、ウイグル人による抗議活動は鎮圧された。
しかしその後も武装警察部隊はウルムチに厳戒態勢を敷き、抗議活動の再発を警戒した。7月6~8日の三日間は、ウルムチ市内の企業の多くが臨時休業となり都市機能がマヒした。

このような中共政府によるウイグル人の虐殺行為に対して、国際社会は非難の声を高めた。
トルコのエルドアン首相は、中共政府のウイグル弾圧を「残虐行為」と呼んで強く批判したのをはじめ、ウイグル人たちと同じイスラム教徒であるイスラム世界からの中共政府に対する批判を特に強めた。
アル・カイーダのアルジェリア支部組織「イスラム・マグレブ諸国のアル・カイーダ」(AQIM)は、中国への報復宣言まで出している。

ところで、ウイグル人に未曾有の希望を与えたのが、彼らと民族的、宗教的に繋がりが極めて深い、カザクスタン、ウズベキスタン、クルグズスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなど西トルキスタン諸国の五カ国の民族独立である。
これら西トルキスタン諸国は、19世紀以来、ロシアの植民地となっており、1991年のソ連崩壊によって独立を果たことが大きな希望となった。それ以降、東トルキスタンの民族独立運動が一気に活発化になった。
西トルキスタン諸国で完全な議会民主主義が実行され、西側並みの言論の自由、貿易の自由などが認められ、人々の基本的人権が保障されれば、西トルキスタンにおける東トルキスタン独立運動がより活発化すると思われる。

そのため中共政府は、西トルキスタン諸国の民主化を極端に恐れている。
“上海協力機構”を通して中共政府は、ウズベキスタンのカリモフ政権、カザクスタンのナザルバエフ政権にできる限りの支援とサポートを与えている。
なぜなら、西トルキスタンに旧共産系の独裁政治が続く限り、中国は東トルキスタン独立運動を国内だけではなく、西トルキスタンでも鎮圧すること可能であるためである。
西トルキスタン諸国の民主化は、東トルキスタン独立運動の大きなキーポイントになる。

一方、東トルキスタン独立運動を支持するようになったのが、同じ民族であるトルコである。
トルコには、中国から逃れてきたウイグル人が十万人在住しており、トルコ政府は暗に東トルキスタン独立運動を黙認・支援するようになっている。現在トルコ国内には大小二十余りの独立組織がある。
そのため2012年にまだ副主席だった習近平がトルコを訪問した際、エルドアン首相に対して、「東トルキスタン独立運動を阻止してほしい」と申し入れをしている。
今回の天安門における東トルキスタン独立運動における特攻作戦は、今後、彼らの独立運動に対する大きな起爆剤となることには間違いない。
中国全土、いや世界中の中国関連施設や航空機その他が標的にされることだろう。それは中国共産党王朝崩壊の序曲ともなる。

(筑前太郎/ちくぜんたろう)

★冒頭の図版は、東トリキスタン共和国亡命政府国章