日本人は宗教に対して無節操、無頓着とはよく言われる。というより自分たちで自覚していて冗談にしているぐらいだが、年末年始は殊更感じる。クリスマスを祝って一週間もすると、今度は初詣に出かける。初詣にしても神社に行ったり寺に行ったりと、本当に無節操だ。

「我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」
芥川龍之介の著書の中に、上記の一文がある。戦国時代に、宣教師としてやってきたオルガンティノの前に現れた老人が語った言葉だ。この国でキリスト教を広めれば、皆帰依する。表面上は。しかしいつの間にか日本のものとして変わってしまう。実に日本人の真理を突いている。昔、中国から伝わった孔子や孟子の教えは、日本人の道徳観の中に入っている。仏教が伝わってきて、皆帰依したはずだった。遅れてキリスト教も入ってきた。江戸以前は大名すら大勢洗礼を受けた。しかし今、この国を支配している宗教は無い。皆八百万の神になってしまう。

中国の漢字から平仮名と片仮名を造りだした。中華麺はラーメンになり、カレーはカレーライスになった。英語は和製英語としてカタカナで表記され、ロックンロールはグループサウンズを経てJ-POPとして演奏されている。何事においてもそうだ。入ってくる時は強く影響を受けるので、支配されたかのようにみえる。其の実、自分らに都合のいいように造り変えてしまう。クリスマスはイエスの誕生を祝うものではなく、仏陀の教えを尊重して葬式をするのではない。初詣する場所も、どこだってよいのだ。

これを近代史で考えてみる。黒船によって独自の文化を守ってきた鎖国が崩壊したのは、一見欧米に屈したものとみえる。ところが富国強兵と称してドイツやイギリスの政治、経済を取り込み、日本のものに造り変えていった。日清、日露に勝利しいつの間にか列強と呼ばれる座に居座っている。文化の流入減だった中国を攻め、一時は主要都市の殆どを制圧するまでに至った。

しかし今度は列強国に包囲され、首都を空襲され原爆を落とされ、国土も国民もボロボロになって降伏した。今度こそ完全に支配されたと、日本人も思ったはず。それから20年ほど経ったところで、世界経済を取り込んで、日本は経済大国となった。敵国であったアメリカから、政治も経済も日本に取り込み造り変えてしまった。

第2の敗戦とも言われる経済不振の今、新たな取り込み先を探しているに違いない。そしてそれを日本のものに造り変え、日本として世界に発信する。古来から続くこの国の姿なのだろう。今度取り込むものは、できれば政治や経済でもなく軍事でもないものが良い。さしあたりブータンのGNH(国民総幸福量)などは如何だろうか。そんなことを、節操の無い年末年始を迎えながら思う。

(戸次義継)